2020年3月30日、赤旗科学欄に、「7万年以上前、インドの現生人類 大噴火生き延びたか?」追記 原人出現は20万年さかのぼる
記事 「大噴火生き延びたか? 一掃されたはずが・・・”証拠”の石器出土
7万年以上前 インドの現生人類
現生人類(ホモ・サピエンス)を絶滅の危機に追い込んだとされる7万数千年前の火山大噴火。とりわけインドはその影響が大きく、アフリカを出てそこに到達していた人々は一掃されてしまったという説が有力です。ところが、インド北部の遺跡の発掘調査から、人々は大噴火の危機を乗り越え、そこで生き続けていたことを示す証拠が見つかったといいます。オーストラリア・クイーンズランド大学などの国際研究グループが科学誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』[2月25日付)に発表しました。
7万4000年前ごろ、インドネシアのスマトラ島のトバ火山が過去200万年間で最大といわれる火山噴火を起こしました。この噴火の噴出物は2000立方キロメートルを超えたとされます。九州の広い範囲内だけでなく山口県にまで火砕流が押し寄せたとされる9万年前ごろの阿蘇山の噴出物が600立方キロメートルとされており、その噴火の巨大さが分かります。火山の噴火の規模を示す火山爆発指数では最大のカテゴリー8に位置付けられています。
現生人類の出アフリカと遺跡
赤線 定説(8万~5万年前)青線 定説より早い
気温5度も低下
トバ火山の噴出物は東南アジアや南アジアを中心に世界中に降り注ぎました。また大気中に滞留して太陽の光をさえぎったため、地球の平均気温が5度も低下するような激しい寒冷化が長く続いたと指摘されています。この影響はさまざまな方面におよびましたが、中でも現生人類にとっては人口が極端に減少するなど、絶滅寸前まで追い詰められた出来事だったとする説があります。
この説が正しいかどうかを検証する上で最も注目されている場所がインドです。トバ火山が噴火したのは30~20万年前ごろアフリカで誕生した現生人類が8万~5万年前に誕生の地アフリカを出て世界各地へ広がろうとしていたと考えらているからです。
ダバ遺跡から出土した石器
ダバの遺跡の発掘調査の様子
研究グループはインド北部,マディア-プラデシュ州のミドル・ソン川の流域にあるダバ遺跡に注目しました。遺跡は8万~4万前にかけて現生人類が作ったとみられる石器が大量に出土しています。研究グループは、これらの石器の種類の変遷とその年代を詳しく調べれば、トバ火山の大噴火で現生人類がどのような影響を受けたのかが分かると考えたのです。
最新の年代測定技術を駆使して、これらの石器の年代を測定した結果、ダバ遺跡では8万~6万5000年前にかけて石器が連続的に出土し、これらの石器の種類に変化は見られなかったといいます。これは7万4000年前ごろに起こったトバ火山の大噴火に、ダバ遺跡で生活していた現生人類はそれほど大きな影響を受けず、生き延びることができたことを示すと研究グループはみています。
ダバ遺跡で見つかった8万~6万5000年前の石器は、アラブ首長国連邦のジュベル-ファヤ遺跡で見つかった12万年前頃の石器と似ていました。また6万5000年前と5000年前とされるオーストラリア北部のマジェドベベで見つかった石器とも似ていたといいます。
人類拡大の議論
現生人類がいつアフリカを出て世界は、各地に広がったかは、遺伝学的研究などから8万~5万年前ごろに1回だけだったとする見方が有力ですが、ジュベル・ファヤ遺跡を含め、それより古いとされる現生人類の遺跡がアフリカ以外の場所で見つかっており、議論が続けられています。
イスラエルでは以前からスクールやカフゼーの遺跡で10万年前頃の現生人類の化石が見つかっており、、2018年にはミスリア遺跡で見つかっていた化石が18万5000年前の現生人類のものと分かったと報告されています。
スクールやカフゼーの遺跡に足跡を残した現生人類は、その後地球の寒冷化に伴ってアフリカに戻ったか絶滅し、南下したネアンデルタール人と入れ替わったと考えられていますが、アフリカ以外の他の地に移動した可能性も考えられています。
研究グループは、ダバ遺跡で見つかった石器の種類が、ジュベル・マヤ遺跡や、マジェドベベ遺跡で見つかった石器と似ていたことは、定説より早い時期にアフリカを出た現生人類がいて、その人々がインドを経てオーストラリアへ到達したことを示している可能性があるとしています。
◎恐ろしいのは温暖化ではなく寒冷化
先日、NHKで放送した「食の起源」シリーズでは、ホモ・サピエンスが、トバ火山が噴火した時に地球が寒冷化し、食物も激減した時に、南アフリカに逃れた、ホモサピエンスが、波打ち際で貝類を食べて生き残った、と放送していました。いずれにしても、人口が2000人とか1万人とか、極端に減り絶滅寸前になったため、ホモ・サピエンスの遺伝子の変異が他の霊長類にくらべく少ないのだ、と説明していました。
アフリカだけでなく、インドにもホモ・サピエンスがいたということになると前に書いたことは成り立たなくなります。
2万1000年前から18000年前には最終氷期の極寒期となった。いずれにしても温暖期においては種は繁栄し、極寒期に絶滅する。地球上の平均気温が2℃以上上昇すると世界が破滅的な機器に陥るというが、そんなことはない。今までもっと温かい時期は生物も人類も繁栄しているのだ。
最終氷期の7万年の間に6回ほど急速に寒くなった時期があった。大陸にあった氷床が崩れ、巨大な氷山となって大西洋に漂流する、この1万年周期で起こる急速な寒冷化はハインリッヒ・イベントと呼ばれる。グリーンランドの気候はハインリッヒイベントが発生するごとに、グリーンランドの気温は3度から6度、急低下した。(『気候文明史』田家康)
2020年4月7日 追記
2020年4月5日の赤旗14面に「原人ホモ・エレクトス 出現時期は200万年前 20万年さかのぼる」
の記事が掲載されました。
オーストラリアのラ・トローブ大学などの国際研究グループが米科学誌「サイエンス」3日付に発表しました。
南アフリカのヨハネスブルクから北西約40キロのところにさまざまな人類の化石が見つかっている洞窟遺跡が点在する、人類のゆりかごと名付けられた世界遺産があります。ドリモレン洞窟で、150個以上に断片化した人類の頭蓋骨を発見しました。これは3~6才の子供のヅ骸骨と分かりました。これは200万年前に生きていたと推定されました。これまではコーカサス地方のドマニシ遺跡で見つかった180万年前の駅が最古でした。ホモエレクトスの起源がアフリカであることが確認できたとしています。
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