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2020年11月

2020年11月27日 (金)

8月の入院後、2回慶応病院に入院内視鏡手術、その後3回の検査後、また大腸がん手術で入院です。途中経過を報告します。

身体が不調で食欲がなく、痩せてきたので、総合的な検査と入院を8月24日(月)から8月31日(月)まで代々木病院に入院し内臓全体の検査をしました。その結果大腸ポリープがあり、より大きな病院で検査をということでした。

慶応病院に9月9日診察を受け、9月14日(月)から9月18日まで消化器内科に入院しました。ここでは8つの小さなポリープは取ったが25mm以上の大きなものは取れなかったそうです。9月30日には午前中は消化器内科の金井隆典教授の診察を受けました。

そしてその日の午後には腫瘍科矢作直久教授の診察を受けました。10月19日から23日まで腫瘍科で高度な内視鏡手術を受けました。そして大きなポリープも切除してもらいました。

11月18日矢作先生の結果報告を受けました。その結果S字状結腸にある30ミリ以上あるポリープはがん化してリンパ節にまで到達しているので、再び入院と手術が必要と言われました。

11月20日 岡林剛史医師(消化器外科-専任講師・腸班)の診察

◎以後12月に続きます

慶応病院の建物配置図です

 1号館は新しく、緑色の3号館は今回の検査を受けるところです。

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11月26日(金)PET/CT検査  撮影(ポジトロン=陽電子、放出断層撮影法)

 検査を受けました。検査予約表です。

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     3号館南棟2階 放射線診断科 12,05受付 13,05~15,35

  18F(ガンマ―線を出す放射性同位元素をフルオロルデオキシグルコースに

  吸収させる(ブドウ糖の1種を使ってがん細胞のありかを調べる

  方法)ブドウ糖ががん細胞に集まる性質をつかう がん細胞が光る

  PET(Positron Emission Tomography)陽電子放出断層撮影法

   細胞の活動状況を調べる。薬品を注入し1時間安静後、30分ほど横になる。

   薬の集まりぐわいで、ブドウ糖にフッ素18、放射性同位元素を注入

   PETカメラで、FDG全身分布状態を見る

   PET/CT検査

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   PETとCTが一体型となった装置で、一度の撮影で全身のPET画像とCT画像を

   得ることができる。

病院においてあった説明パンフレット

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PET/CT検査とは

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検査は予定通りに終わりました。

朝7時までに軽食の朝食

12:50 受付

更衣 ロッカー室

問診 日常の様子

注射は13:36分 体重に比例して薬剤の量が変わります。

そのあと薬が体内に回るまで約1時間待機します。

ベッドのある特別室になりました。

14:35分 トイレに行き、撮影準備 撮影は15分から20分 

身動きできないようにバンドで手と胴体をしめられます。撮影終了

待機室で放射線が抜けるまで 約25分

検査終了 退室時間15時36分

 

11月30日(月)CT検査 (大腸CTC:コロノグラフィー=コンピューター断層撮影法)

   1号館 1D 放射線診断科 12:00受付 13:15から 約30分

   前日から入院するか自宅で、ニフレックなどの下剤を飲み、便が体内から

   なくなり、きれいになるのを待つ。今回は自宅から。

   炭酸ガスを腸内に注入して大腸を膨らます

   X線を使って体(大腸)の3次元断層写真を撮る

11月29日(検査前日)

  消化の良いものを食べ、海藻、こんにゃく、しらたき、繊維の多い野菜

  キノコ類、豆類、種の多い果物などを食べない

 21時から

  禁食  水は可 ビコスルファート内溶液(下剤)-KEGG服用

      緩下剤 錠剤と内用液がある 処方されたのは内用液10ml

      甘い薬

11月30日(検査日)

  自宅にて

  ニフレックパック(経口洗浄腸管剤)に2Lの水を入れ少しずつ飲む

  1時間で1リットルを飲む 普通その時に排便

     8月よりすでにこの検査で5回目です。

  始めと終わりにガスモチン錠(下剤)を4錠ずつ飲む

   (モサブリドクエン酸塩水和物)消化運動機能改善剤 

  便が水のようになれば終了

検査内容

  予約時間の60分前に1号館1階1D受付に行く  検査時間は、30分程度

  PET/CT検査に比べ同じような形だが小さな円形の機器

  検査では横向きや腹ばいに右まひの身体障碍者にはつらい

  点滴右半身ではうまく血管が出ず、左側でやり直し

  看護士さんが直腸診(お尻に指を入れ、お尻に痔や肛門の病変がないか

  調べる

  肛門から炭酸ガスを入れて大腸を膨らます。お腹が時々痛くなる

  腸管内部だけでなく外部の画像もわかる

  コンピューター処理により3次元映像が撮れる

  費用は25000円程度、前回の検査(PET/CT)よりはかなり安い検査。

 

 

12月8日(火)SPECT検査 アイソトープ シンチグラヒフィー断層撮影法)

検査室入口

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     検査名 心筋血流(薬剤負荷)201TI

       ペルサンチン(ジピリダモール)負荷心筋血流シンチグラフィー

     3号館南棟2階 9:20受付 9:50~15:10

    朝食なし 水のみ

     薬にあらかじめ”目印”をつけ薬が体内のどこに移動するかを調べる

 

    負荷心筋血流検査

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      負荷(点滴)検査薬投与(注射)ー撮像〔15~30分)

      心臓が安静状態になるのを待って〔3,4時間程度〕安静心筋血流検査へ

      廊下のところで待っている時間も長く疲れます 私の場合車いすで3時間

      くらい待ちます

      付き添いの妻も少し出掛けたぐらいで、待ってくれました。

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     右まひがあるため、同じ姿勢だと右腕が痛くなりました    

            安静心筋血流検査

      撮像〔15-30分〕-終了

 

◎慶応病院の循環器内科から電話があり、12月11日の午後に、消化器外科の

結果報告の前に、循環器内科の方で、今回の検査の結果での、報告があるので

同じ日の午前9時に受付をして、9時半に結果報告があるとの電話が入りました。

心筋検査は関係がないと思っていましたが、循環器関係の異常があったため、

追加の検査を受けたことが分かりました。

また半日慶応病院で過ごすようになります。

        

12月11日(金)9時半

循環器内科でspect検査の結果報告

   田野崎 翔医師 検査結果を見ると心筋梗塞をおこしているような状態だといいます。

   検査を言われましたが早い方がいいということで

   なんとなく心臓のことが心配で、以後軽い心臓ノイローゼ気味となる

 

12月12日(土)8時30分 心エコー検査

   朝いちばんぐらいで慶応病院へ

   循環器内科で心エコー検査を受ける。20分ほど。

  12月18日(金) 9時半から10時 結果報告

   いったん自宅に戻り、また午後に慶応病院に出掛けました。

 

12月12日(土) 15時から15時30分

  再度慶応病院へ

  消化器外科 岡林医師の診察結果報告

  検査結果について 私のがんの状態はステージ1

    ステージ0 粘膜層にとどまる

    ステージ1 固有筋層の内側

    ステージ2 固有筋層の外

    ステージ3 リンパ節転移

    ステージ4 血行性転移

  他への転移は見当たらない

  腹腔鏡手術によりS字状結腸の切除手術を行う

  手術は来年になる可能性大 転移等ないので急ぐ必要はないとのこと

12月18日(金)朝9時半より慶応病院の循環器内科へ

  心エコー検査の結果報告

  若干問題はあっても、大きなことではないとのこと

  手術には問題ないとのこと

 

12月22日(火)

  病院から電話 12月29日(火)pcr検査他、入院日など

 

12月29日(火)pcr検査

 

2021年1月3日(日)入院

 

2021年1月5日(火)手術

     

    

2020年11月24日 (火)

2020年11月24日、ひさしぶりのお出かけで目白駅前の中華、南国酒家へ行ってきました。

目白駅前のスタッド目白の2階、南国酒家へ行ってきました。久しぶりの斉藤さんとのお出かけです。はじめは2階に4店あるうちの洋食屋さん、旬香亭へ行くつもりでした。そこは残念ながらお休みでした。カフェーの1店は閉店していました。新型コロナの影響が出ているのでしょう。ここの南国酒家は2回目です。

お店についたのは午後1時20分ごろでしたが、比較的混んでいました。

入ったときにアルコールを手にかけてくれました。向かいの席も互い違いになっていました。コロナ対策は十分なように思えました。

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頼んだものは肉とレタスのチャーハン、牛肉炒茶醤炒め、真鯛蒸し、焼売でした。

これをヘルパーの斉藤さんに6割、私に4割と分けてもらいました。

特別メニュー 牛肉と炒茶醤炒めと真鯛蒸しを頼みました。

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焼売2個を頼みました。

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肉とレタスのチャーハンも頼みました。

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これは焼売です。420円+税 1人1個にしました。

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真鯛蒸し1700円。+税 1人分を分けてもらい 4割のもの。 

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牛肉炒茶醤炒め 1750円+税 4割のもの これはなかなかおいしかったです。

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蟹とレタスのチャーハン1480円+税 4割のもの スープはサービスとのこと。

この炒飯もおいしいものでした。

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小計 5350円 税 535円 合計5885円でした。

 

 

写真はいずれも4割のものです。

合計

5350円 +税535円 合計5885円 でした。

 

2020年11月22日 (日)

2020年11月22日、(日)晴天の3連休 多国籍タウン新大久保は新コロナ下で以前と同じ混み方に

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2021年2月に山手線の内側の百人町地区の栄カメラが占いのお店に代わっていました。

百人町東町会(山手線の内側地区)の町会の地域では、昔からの(戦後から含め)

お店は盛好堂書店と円満や(熱帯魚販売)だけになってしまいました。

 

2020年11月22日、いい夫婦の日で、わんわんにゃんにゃんの日でもあるそうな。

天気にめぐまれ午後1時ころ街の様子を見に行ってきました。

 

新大久保駅 駅で待ち合わせをしている人がたくさんいました。

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大久保通り 1丁目地区 右側が百人町1丁目、左の大きなビルから大久保1丁目 その境の道が西大久保公園通り

かなり混んでいます

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新大久保駅近くの新しく開通した道路(つつじ通り)に面したビル

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大久保通りに止まっていた韓国の人が提供した巡回バス

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新大久保駅の近く、大久保通りとつつじ通りの交差点

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プラザ1のビル 右隣はプラザ2 ここに屋台のお店が3店、一番混むところです。

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チーズタッカルビを始めた、市場タッカルビのお店 チキンのお店の看板も

このビルの角を曲がるといわゆるイケメン通り

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市場タッカルビのお店も看板の半分はチキンのお店になりました。

少し前までは大行列でしたのに

今日はほんの一部だけを写しました。明日も追加します。

 

2020年11月17日 (火)

『ルポ 新大久保』室橋裕和氏の本 新聞等で紹介される なかなか詳しく面白く、よく書けています「こういちの人間学ブログ」で補填

◎『ルポ 新大久保 移民最前線年を歩く』(辰巳出版、1600円+税)が2020年9月15日に出版され、新聞や週刊誌に紹介されています。とっている毎日新聞、日経新聞、赤旗日曜版いずれにも紹介されていて、11月15日の日曜日に高田馬場の芳林堂書店で購入してきました。同時にやはり室橋氏の書いた『日本の異国在日外国人の知られざる日常』晶文社(本体1800円+税)2019年5月25日も買ってきました。

今までは外部から来ていろいろ調査して、本を書くというものが多かったのですが、実際に大久保2丁目に住んで、そこで見聞したものを書いていますから、よく書けているなと思いました。

ブログ筆者の佐竹幸一は、昭和18年2月生まれで、現在77才、この大久保の地に生まれ育っています。先祖は新潟長岡の出身で苗字、帯刀を許された桶屋だったそうですが、戊辰戦争後没落したそうです。この地では、明治40年ころから曽祖父の佐竹伝蔵が大久保百人町で桶屋を始めました。その後それから私は4代目になります。祖父の庄次郎は地元の有力者で皆中神社の先代の宮司は祖父が木曽から連れてきたといいます。祖父の代では桶屋よりも井戸掘りの仕事が中心で、父、実の話ではいろいろなうちの井戸を掘ったそうです。ちかくに横綱太刀山が住んでいて、そこの井戸も掘ったそうです。しかし伯父が井戸掘りの事故でなくなってしまいました。戦争中も大久保の地で頑張ったそうです。戦後は木風呂の製造販売が盛んでした。それから東京ガス百人町サービス店としての仕事もするようになりました。しかしサービス店は合併され東京ガスの子会社に吸収合併されました。株式会社サタケは不動産賃貸業として存続、平成1年度は第70期を迎えます。今度新しい事業も開始します。

「こういちの人間学ブログ」の中の1つのカテゴリーとして、「大久保の街紹介」として記事を書いています。ブログを読んでいただいた方からいろいろと取材も受けています。ブログのアクセスも1日1000件ほどもありました。ただ7年前に旅先で脳出血を起こし、車いす生活となり行動が制限されて階段などは上がれなくなりました。それでも今も電動車いすであちこちと回っています。

◎印の部分は ブログ筆者が書き加えた部分です。

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『ルポ・新大久保』の帯封には、「コリアンタウンからインターナショナルタウンへ」として

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 このカオスな多国籍タウンはどこか、僕が10年ほど暮らしたタイに似ていたからだ、雑然としていて,ゆるやかで、のびやかな活気があるそれは、新大久保に住み働く、さまざまな国から来た外国人たちが作っているものだろう。まるで東南アジアの下町なのだ懐かしいな、と感じた。

 同時にまた、次から次に謎も浮かんでくる。

どうしてこれほど、いろいろな国の人たちが集まってくる街になったんだろう。それはいつからなのか、どんなきっかけがあったのか。

 外国人たちはどんな仕事をしていて、どんな思いをもって,この街で生きているのだろう。

 そして何より、この多国籍化を地元の日本人はどう感じているのだろうか。交流や、あるいは軋轢はあるのだろうか・・・。

これはもう、実際に暮らしてみるしかないなと思った。(はじめにより)

 

「新大久保マップ」太字で書いているところは、この本で紹介しているところです。

 

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目  次

はじめに 僕が新大久保に引っ越した理由

第1章 単なるコリアンタウンではない多民族混在の街

第2章 外国人コミュニティを支える商売人達

第3章 新大久保には神さまがたくさん

第4章 この街に人生を掛ける外国人たち

第5章 外国人が暮らすための「インフラ」とはなにか

第6章 オールドカマーとニューカマー二つの世代の韓国人たち

第7章 はじめて開催された4か国合同の「新大久保フェス」

第8章 「よそもの」たちが紡いできた新大久保の歴史

第9章 結婚もビジネスもお祈りも音楽も、なにもかもが

    多国籍でごちゃ混ぜ

第10章 外国人との軋轢、日本人の葛藤

第11章 コロナウイルスは新大久保の姿を変えるのか

第12章 この街の未来を担う子供たち

終わりに この街はどこへ流れていくのか 

 

おもな記事

 はじめに 僕が新大久保に引っ越した理由

 

 第1章 「単なるコリアンタウンではない多民族混在の街」

    引っ越し初日の洗礼  筆者の大久保2丁目の転居  

    山手線を挟んで世界が変わる

    東南アジア、南アジアの人々の「生活の街」

    職安通りのベトナム人ガールズバー

    留学生の街、新大久保

    若い人のベトナム人のたまり場「エッグコーヒー」(西大久保公園通り)

    住民の40%が外国人 (大久保1丁目あたり)

    若きベトナム人起業家(文化通り ベトナムフォー エッグコーヒー)

    若さ溢れる外国人、老いてゆく日本人

 

第2章 「外国人コミュニティ―を支える商売人達」

    多国籍タウン新大久保の中心地「イスラム横丁」

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 ◎右は24時間外国人でにぎわう「新宿八百屋」―右側 こちら側のNASCOはハラルフードの食材を売るお店

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◎NASCO ハラルフードの店 この写真に写っているところはレストラン となりの2階 モモ ネパール料理

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    日本の八百屋で働く、ベトナム人のアルバイト達

    新大久保もラマダンの季節

    トゥイさんのベトナムフェスティバル挑戦

    ベトナム語フリーペーパーを出す韓国人 朴さん

    街のあちこちで見かける「エスニックメディア」

    編集長は在日ネパール人社会の「お父さん」

 

第3章 「新大久保には神さまがたくさん」

    超ミニ神社・夫婦木神社

    新大久保でも異色の存在、台湾媽祖廟  ヒンドゥー廟

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◎上 新しく立て直した媽祖廟 より豪華に

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道路の向かい側にもできていました。

    ルーテル教会のロック牧師 関野和寛さん

◎明治通りに近いビルの中にある教会。こう言う教会が新大久保にはたくさん。

 東京イエス中心教会

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    牧師は新大久保からメジャーリーグを目指す

    ナゾのヒンドウ-廟を発見!

 

第4章 「この街に人生を賭ける外国人たち」

     新大久保を覆いつくすタピオカブーム

     ガールズバー・トゥイさんの野望

     ミャンマー人が営む、日本風の焼肉屋  「

      おかやま」昼は定食屋夜は焼肉、明治通り近く

◎お母山というかんばんです ビルの裏側です

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     ここは「ニンゲンセカイ」

 

第5章 「外国人が暮らすためのインフラとは」

           外国人の生活に欠かせないものは何でもある街

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    外国人コミュニティに欠かせない・行政書士

    ネパール人のビザと格闘するレゲエ行政書士

    外国人専門の家賃保証会社

    日本人が少数派の会社

    商店街の会議には4か国が参加

    新宿区が取り組む外国人支援

 

第6章 〔オールドカマー、とニューカマー、二つの世代の韓国人たち」

    コリアタウン化のきっかけは「ワールドカップ」と

      「ヨンさまブーム」

    在日2世の苦労とアイデンティティ

    新大久保を席巻したハットグの一大チェーン

      「アリラン・ホットドッグ」

    チーズタッカルビのブームを作った男   

      ―金泰林さん 市場タッカルビからアリラン・ホットドッグ

    韓国では新大久保は全く知られていない?

 

第7章  「初めて開催された4か国合同の「新大久保フェス」

     ネパール人留学生に愛される「500円定食」

◎二ハマル弁当 大久保通り

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     ここはネパール人の「寮」でもある

     23言語の蔵書がある大久保図書館

     真夏の国際フェスティバル、開幕!

     新大久保あるきの先輩「共住懇」

     「この街は流れていく街なんだよ」

     街の有名人、関根のおばちゃん

      ー共住懇の山本さんと関根のおばちゃん『OKUBO]を印刷

     4か国会議を引っ張る商店街の理事長は外国人も利用するはんこやー(伊藤節子)さん

◎島村印店

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              あのヒンドゥー廟も多国籍混在の場所だった

     毎週月曜はシヴァ神の日

 

第8章  「よそ者たちが紡いできた新大久保の歴史」  

               大久保通りが江戸時代にタイムスリップしたー 

           「鉄砲組百人隊出陣の儀」

     江戸を守る「鉄砲百人隊」が百人町の元になったー

◎百人町1丁目のお寺長光寺のとなりに住む朝倉さんは、先祖が百人町鉄砲隊でした。少し前まで町会長をされていました。

     新宿区の花「つつじ」のルーツとは 

     明治以降、新宿の後背地として発展していくー 皆中神社

     小泉八雲、内村鑑三…名だたる文化人も住んだ大正時代

     歌舞伎町の発展と高度経済成長期が、アジア系外国人を呼び込む 

     ロッテの工場 連れ込みホテルと外国人女性

 

 ◎「こういちの人間学ブログ」の筆者、佐竹幸一の先祖は明治40年ころ、私の曽祖父伝蔵が新潟から大久保の地へきて、桶屋を始めたのが始まりです。今から113年ほど前のことです。それから祖父の庄次郎が桶屋を継ぎました。場所は大久保駅に近いところです。私の父の実は関東大震災の時小学生でした。仕事は桶屋と井戸掘りでした。戦争中で家を焼かれてもバラックを最初に建てたと自慢していました。戦後は東京ガスのサービス店になっていました。そのあたりのことは、「こういちの人間学ブログ」に詳しく書かれています。会社は株式会社サタケとなり存続しています。今はビルのほとんどが韓国系の方に貸していますが、今息子が社長になっていて、佐竹ビルの5階をレンタルルームに改造中です。

 

第9章  「結婚もビジネスもお祈りも音楽も何もかもが多国籍でごちゃ混ぜ」

     多国籍アーティストたちの「セプテンバーコンサート」

              街の移り変わりを見続けてきたミュージシアン

     大久保駅そばの「スタジオM] ー経営するする小二田重幸さん

◎「スタジオM] ブログ筆者のいとこのビルの2階。以前は1階が「あうん」というレストラン、今は台湾カフェに

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     新大久保あんまり好きじゃない ーネパール出身リタさん

     ネパール人とベトナム人の夫婦が経営する多国籍レストラン  ー「アジア屋台村」 8か国の料理

◎「アジア屋台村」 以前は韓国料理店『大長令』その後ネパール料理店。何れも行きましたが、今は入口は高くなり車いすでは入れません。

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     中止になってしまったヒンドゥ―廟のお祭り「ダサイン」

     どうしてもこの日本で祈る場所が欲しかった

     シヴァ神を安置する場所は見つかるのか  -ヒンドウー廟

◎場所を見に行きましたが、何処かわかりませんでした。

第10章 「外国人との軋轢」 

     ゴミ、騒音、臭い、契約違反、住居トラブルはまだまだ多い

     すっかり街に根付いたタイのお弁当屋さん「ルンルアン」

◎ルン・ルアン 元はタイ料理のお店 「クンメー3」だった

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     年に一度大久保通りが歩行者天国になる日

     新大久保の生き字引、おばちゃんの半生

     ルーテル教会のクリスマス礼拝で新大久保の1年が終わる

     「この街に来ると落ち着くんだよね

     また一つ商店街から日本の店が消えていく

         -『ナイトウシューズ」内藤雅也さん

◎新大久保駅から百人町の地域まで(百人町東町会)で従来から日本人の店で残っているのは、本の盛好堂と熱帯魚の円満屋、カメラのサカエカメラぐらいです。本にも出ていますが2020年ナイトウシューズさんが閉店しました。盛好堂の店主はブログ筆者の小学校時代の友人です。円満屋の諏訪さんは以前の商店街の理事長です。

 

 

第11章 「コロナウイルスは新大久保の姿を変えるのか」

     ゴーストタウンと化した韓流エリア

◎イケメン通りの混みぐわいは一時の最盛期に比べ激減しましたが、大久保通りの新大久保駅からイケメン通りの入口までの通り尾人出はだいぶ回復しました。

     外国人置き去りのコロナ支援策

     それでも日本で暮らしたい、コロナに邪魔されたくない

     マスクの街と化した新大久保

 

第12章 「この街の未来を担う子どもたち」

     児童の6割が外国由来、大久保小学校ー日本語国際学級を持つ

     日本でもまれにみる多国籍学校ならではの取り組みとは

     24時間保育園は、子どもの3割が外国人 

         -エイビーシー保育園(大久保2丁目)

     子どもたちは街に愛着を持ってくれるだろうか

 

おわりに、この街はどこに流れていくのか

 

 

「日本の異国」在日外国人の知られざる日常 室橋裕和

  1800円 +税 2019年5月 晶文社

  巻末が新大久保について

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◎「こういちの人間学ブログ」の中から、最近の参考になるブログのご紹介

 

2020年8月1日梅雨明け初日の土曜日の新大久保の様子を見る~

  2020年8月

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/08/post-96035e.html

5,24(日))エスニックの街新大久保の様子~

  2020年5月24日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/05/post-0f4a51.html

新大久保多国籍会議。外国人との共生の窓口~「新大久保フェス」

  2019年11月12日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/11/post-e06172.html

出没!アド街ック天国 「新宿百人町」20位ランキング

  2019年6月12日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/06/post-9be8ab.html

新大久保における宗教施設 キリスト教会の多さについて

  2019年5月22日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-6d8011.html

2019年5月令和になった新大久保の変化 ハットグ、多国籍化

  2019年5月10日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-28b70b.html

新大久保商店街の変化 2001,2008,2012,2019

  2019年年5月7日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-a2e14b.html

江戸から明治~令和にいたる歴史地図で見る大久保、百人町の歴史

  2019年4月12日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/04/post-6aec.html

大久保の由来、大窪から~

  2019年4月7日

 

韓国グルメ求め、人殺到~

  2018年12月3日

 

「新宿区の民俗」昔の大久保、百人町 井戸掘りと桶屋をしていた,わが家について 父の話

  2018年7月24日

 

◎これ以前は「こういちの人間学ブログ」を直接ご覧ください。

 

 

 

2020年11月11日 (水)

諏訪通りと山手線などとの立体工事が進む。2019年11月ようやく歩道橋完成予定-未完成。追記:工事完了は令和4年1月 側道2020年完成

2020年11月11日追記 側道の歩道は完成

このブログは2019年9月21日に書いたブログでしたが追記して更新しました。

工事完了は2022年(令和2年)4月完成ということになり、せっかく作ったエレベーターはそのままで、今は1人が工事現場の見張りをしている状態です。

高田馬場駅側には側道の歩道が完成しています。

高田馬場側のエレベーター

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新しくできた高田馬場側の歩道 向こうが山手線の線路

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山手線をくぐる道

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エレベーターのとなりにできた道

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左にかすかにエレベーターが見えます

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令和4年1月13日までの工事となりました。

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大久保や百人町と高田馬場4丁目との境界にある、諏訪通り(補助74号線)の拡張工事は2002年に工事に着手しているにも関わらず、一時工事は全くストップしていました。工事現場は全く進まず、何も工事をしていない感じでした。ところが2020年の東京オリンピックが決まると、急に工事が再開され始めました。今年2019年の11月までには、一番の難工事の歩道橋を完成させる予定のようです。また、新大久保から歌舞伎町の職安通りへ行く道も今年中に完成します。そうなると高田馬場から新宿駅に向かう道も大変便利になります。渋滞の激しい大久保通りの渋滞も少しは解消されると思います。

諏訪通の立体交差の道の工事は6メートルの道を28メートルに広げ諏訪通をそのまま電車道の下を貫通させます。そうすると近くの大久保通りの渋滞は解消されます。道路は深く掘り下げられますので、横断歩道橋にはエレベーターが作られ、バリアフリーのための横断歩道橋もつくられます。

下図 諏訪通と山手線などの交差するところの道路地図。道路が黄色の線路周辺だけ急に狭くなっています。

現在地とはこの看板(地図)が置かれている場所 右側の緑色をしたところが、大久保、百人町地区、右上は都立戸山公園。左側が高田馬場地区。

線路の右側が新大久保駅、左側が高田馬場駅方面 黄色のところが諏訪通。下の道は小滝橋通りにつながります。交通の便が悪いため、普段車があまり通りません。

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下図 右側は山手線などの線路。左側は区立戸山公園。この道の先が工事現場、そこはそのまま直進できぬため、めったに車が通りません。平日はタクシーの休憩場所になっています。右側はつつじの花やさるすベリーべりの花がきれいに咲きます。

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工事の内容を書いた標識 赤い部分が立体交差の歩道橋の場所を示します。

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下図 諏訪通から山手線、と工事中の横断歩道橋を見る。青い部分が横断歩道橋。

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現在の横断歩道から見たところ。青いところが新しい横断歩道橋です。右に見えるところが工事中のエレベーターです。エレベーターで上に上がり緑色の歩道橋のところまで行きます。

標識を大きく写しました。令和元年11月29日までと書いてあります。

◎2020年2月3日追記

2020年2月末の完成予定に変更されました。歩道橋は一応2がつまでにはできるのでしょうが、工事全体はまだ完成しないように思います。

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下図 左側が深く掘り下げられそこがメインの車通になります。右側に製作中なのが歩道橋に上がるエレベーターです。

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線路に沿った道から今のあたらしい横断歩道橋を見る。そこにエレベーターができます。

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下図 諏訪通からここの道の左手に山手線、西武線などの線路が通っています。信号の通りは高田馬場駅に向かう道です。向こうに四角く小さく見えるのは高田馬場駅のビッグボックスです。

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下図 上図からつながる現在のトンネルをくぐる道路。この先に歩道橋ができます。

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下図 左右に諏訪通。右側にガード。正面の道は線路沿いの新大久保駅につながる道。今工事中の歌舞伎町までつながる道として完成すると大変便利になります。

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下図 諏訪通側のメイン通り入口。両側に側道。この部分はもうだいぶ前に作ってあります。

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山手線などの道にはいろいろな電車がひっきりなしに通ります。よく電車を見に親子連れで来ています。

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2019年12月14日 エレベーターが完成近く

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2020年8月15日

工事の予定表が張り出されましたので、撮影してきました。

完成予定は令和4年1月となっています。

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2020年11月10日 (火)

1、人間学研の2020年11月例会で佐竹が話をします。2、「人間学研究所通信89号」の発行、3「交流の広場」始める

1、人間学研究所 2020年度11月例会で佐竹が話をします。

 日 時 : 2020年11月27日(金)午後6時から

 場 所 : 西戸山タワーホームズ N棟集会室

       新宿区百人町3-1-5

 テーマ :「ヒトは人相のどこに興味を持つのか(今度の入院のことも)」

     「こういちの人間学ブログ」でのアクセスを見ると、日本では

      人相の耳についてのアクセスが多く次は額でした。西洋人相術

      では目と髪についての関心が強いのです。なぜでしょう。

 講 師 : 佐竹幸一

       ご連絡は 090-6549-2677へ

◎新コロナウイルスの感染状況により、これも中止になることがあります。

 例会が開けるかどうかわかりません。それで急遽、臨時でお話しすること

 になりました。本来の順番の生田清人氏さらには、田中稲生氏には、状況

 が好転してからお話しいただきます。

 

2、「人間学研究所通信89号」”HUMANOLOGY89””が発行されます。

 2020年度は新コロナウイルスのために、まだ1度も例会が開かれていません

 が、岩田所長のご尽力で、「人間学研究所通信は」85号(3月27日)

 86号〔4月〕、87号(6月)88号(8月)89号〔11月〕と発行されてきました。

 89号の内容は

  p1  11月例会のお知らせ  会費納入のお願い

  p2『人間学研究所年誌2020』第18号刊行予告 原稿募集

  p4 「交流の広場」始めました

 

3、「交流の広場」を始めました

  新コロナウイルスのために、例会をずっと開いておりません。よく他の学会等

  では、オンラインでの例会に変えていますが、当研究所では困難です。

  その代わり、佐竹の提案により、人間学研究所の皆さんに、自由にいろいろ書いて

  いただく場を作りたいと思いました。その呼びかけに答えて、研究員の倉田 眞氏

  が早速2020年9月付 第1号、「政治報道の堕落」P4を書いていただきました。

  それに続いて、12ページの力作、同じく研究員の里見 脩氏の、第2号「倉田論文

  を受けて」を投稿していただきました。

  3号と5号には研究員の生田清人氏、第4号には副所長の森岡修一氏の投稿も送られて

  きました。

  今後、この欄を皆様が気楽に使っていただき交流を深めることができるならば、

  新コロナの蔓延も新しい交流の機会を与えてもらったと言えましょう。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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