『ルポ 新大久保』室橋裕和氏の本 新聞等で紹介される なかなか詳しく面白く、よく書けています「こういちの人間学ブログ」で補填
◎『ルポ 新大久保 移民最前線年を歩く』(辰巳出版、1600円+税)が2020年9月15日に出版され、新聞や週刊誌に紹介されています。とっている毎日新聞、日経新聞、赤旗日曜版いずれにも紹介されていて、11月15日の日曜日に高田馬場の芳林堂書店で購入してきました。同時にやはり室橋氏の書いた『日本の異国在日外国人の知られざる日常』晶文社(本体1800円+税)2019年5月25日も買ってきました。
今までは外部から来ていろいろ調査して、本を書くというものが多かったのですが、実際に大久保2丁目に住んで、そこで見聞したものを書いていますから、よく書けているなと思いました。
ブログ筆者の佐竹幸一は、昭和18年2月生まれで、現在77才、この大久保の地に生まれ育っています。先祖は新潟長岡の出身で苗字、帯刀を許された桶屋だったそうですが、戊辰戦争後没落したそうです。この地では、明治40年ころから曽祖父の佐竹伝蔵が大久保百人町で桶屋を始めました。その後それから私は4代目になります。祖父の庄次郎は地元の有力者で皆中神社の先代の宮司は祖父が木曽から連れてきたといいます。祖父の代では桶屋よりも井戸掘りの仕事が中心で、父、実の話ではいろいろなうちの井戸を掘ったそうです。ちかくに横綱太刀山が住んでいて、そこの井戸も掘ったそうです。しかし伯父が井戸掘りの事故でなくなってしまいました。戦争中も大久保の地で頑張ったそうです。戦後は木風呂の製造販売が盛んでした。それから東京ガス百人町サービス店としての仕事もするようになりました。しかしサービス店は合併され東京ガスの子会社に吸収合併されました。株式会社サタケは不動産賃貸業として存続、平成1年度は第70期を迎えます。今度新しい事業も開始します。
「こういちの人間学ブログ」の中の1つのカテゴリーとして、「大久保の街紹介」として記事を書いています。ブログを読んでいただいた方からいろいろと取材も受けています。ブログのアクセスも1日1000件ほどもありました。ただ7年前に旅先で脳出血を起こし、車いす生活となり行動が制限されて階段などは上がれなくなりました。それでも今も電動車いすであちこちと回っています。
◎印の部分は ブログ筆者が書き加えた部分です。
『ルポ・新大久保』の帯封には、「コリアンタウンからインターナショナルタウンへ」として
このカオスな多国籍タウンはどこか、僕が10年ほど暮らしたタイに似ていたからだ、雑然としていて,ゆるやかで、のびやかな活気があるそれは、新大久保に住み働く、さまざまな国から来た外国人たちが作っているものだろう。まるで東南アジアの下町なのだ懐かしいな、と感じた。
同時にまた、次から次に謎も浮かんでくる。
どうしてこれほど、いろいろな国の人たちが集まってくる街になったんだろう。それはいつからなのか、どんなきっかけがあったのか。
外国人たちはどんな仕事をしていて、どんな思いをもって,この街で生きているのだろう。
そして何より、この多国籍化を地元の日本人はどう感じているのだろうか。交流や、あるいは軋轢はあるのだろうか・・・。
これはもう、実際に暮らしてみるしかないなと思った。(はじめにより)
「新大久保マップ」太字で書いているところは、この本で紹介しているところです。
目 次
はじめに 僕が新大久保に引っ越した理由
第1章 単なるコリアンタウンではない多民族混在の街
第2章 外国人コミュニティを支える商売人達
第3章 新大久保には神さまがたくさん
第4章 この街に人生を掛ける外国人たち
第5章 外国人が暮らすための「インフラ」とはなにか
第6章 オールドカマーとニューカマー二つの世代の韓国人たち
第7章 はじめて開催された4か国合同の「新大久保フェス」
第8章 「よそもの」たちが紡いできた新大久保の歴史
第9章 結婚もビジネスもお祈りも音楽も、なにもかもが
多国籍でごちゃ混ぜ
第10章 外国人との軋轢、日本人の葛藤
第11章 コロナウイルスは新大久保の姿を変えるのか
第12章 この街の未来を担う子供たち
終わりに この街はどこへ流れていくのか
おもな記事
はじめに 僕が新大久保に引っ越した理由
第1章 「単なるコリアンタウンではない多民族混在の街」
引っ越し初日の洗礼 筆者の大久保2丁目の転居
山手線を挟んで世界が変わる
東南アジア、南アジアの人々の「生活の街」
職安通りのベトナム人ガールズバー
留学生の街、新大久保
若い人のベトナム人のたまり場「エッグコーヒー」(西大久保公園通り)
住民の40%が外国人 (大久保1丁目あたり)
若きベトナム人起業家(文化通り ベトナムフォー エッグコーヒー)
若さ溢れる外国人、老いてゆく日本人
第2章 「外国人コミュニティ―を支える商売人達」
多国籍タウン新大久保の中心地「イスラム横丁」
◎右は24時間外国人でにぎわう「新宿八百屋」―右側 こちら側のNASCOはハラルフードの食材を売るお店
◎NASCO ハラルフードの店 この写真に写っているところはレストラン となりの2階 モモ ネパール料理
日本の八百屋で働く、ベトナム人のアルバイト達
新大久保もラマダンの季節
トゥイさんのベトナムフェスティバル挑戦
ベトナム語フリーペーパーを出す韓国人 朴さん
街のあちこちで見かける「エスニックメディア」
編集長は在日ネパール人社会の「お父さん」
第3章 「新大久保には神さまがたくさん」
超ミニ神社・夫婦木神社
新大久保でも異色の存在、台湾媽祖廟 ヒンドゥー廟
◎上 新しく立て直した媽祖廟 より豪華に
道路の向かい側にもできていました。
ルーテル教会のロック牧師 関野和寛さん
◎明治通りに近いビルの中にある教会。こう言う教会が新大久保にはたくさん。
東京イエス中心教会
牧師は新大久保からメジャーリーグを目指す
ナゾのヒンドウ-廟を発見!
第4章 「この街に人生を賭ける外国人たち」
新大久保を覆いつくすタピオカブーム
ガールズバー・トゥイさんの野望
ミャンマー人が営む、日本風の焼肉屋 「
おかやま」昼は定食屋夜は焼肉、明治通り近く
◎お母山というかんばんです ビルの裏側です
ここは「ニンゲンセカイ」
第5章 「外国人が暮らすためのインフラとは」
外国人の生活に欠かせないものは何でもある街
外国人コミュニティに欠かせない・行政書士
ネパール人のビザと格闘するレゲエ行政書士
外国人専門の家賃保証会社
日本人が少数派の会社
商店街の会議には4か国が参加
新宿区が取り組む外国人支援
第6章 〔オールドカマー、とニューカマー、二つの世代の韓国人たち」
コリアタウン化のきっかけは「ワールドカップ」と
「ヨンさまブーム」
在日2世の苦労とアイデンティティ
新大久保を席巻したハットグの一大チェーン
「アリラン・ホットドッグ」
チーズタッカルビのブームを作った男
―金泰林さん 市場タッカルビからアリラン・ホットドッグ
韓国では新大久保は全く知られていない?
第7章 「初めて開催された4か国合同の「新大久保フェス」
ネパール人留学生に愛される「500円定食」
◎二ハマル弁当 大久保通り
ここはネパール人の「寮」でもある
23言語の蔵書がある大久保図書館
真夏の国際フェスティバル、開幕!
新大久保あるきの先輩「共住懇」
「この街は流れていく街なんだよ」
街の有名人、関根のおばちゃん
ー共住懇の山本さんと関根のおばちゃん『OKUBO]を印刷
4か国会議を引っ張る商店街の理事長は外国人も利用するはんこやー(伊藤節子)さん
◎島村印店
あのヒンドゥー廟も多国籍混在の場所だった
毎週月曜はシヴァ神の日
第8章 「よそ者たちが紡いできた新大久保の歴史」
大久保通りが江戸時代にタイムスリップしたー
「鉄砲組百人隊出陣の儀」
江戸を守る「鉄砲百人隊」が百人町の元になったー
◎百人町1丁目のお寺長光寺のとなりに住む朝倉さんは、先祖が百人町鉄砲隊でした。少し前まで町会長をされていました。
新宿区の花「つつじ」のルーツとは
明治以降、新宿の後背地として発展していくー 皆中神社
小泉八雲、内村鑑三…名だたる文化人も住んだ大正時代
歌舞伎町の発展と高度経済成長期が、アジア系外国人を呼び込む
ロッテの工場 連れ込みホテルと外国人女性
◎「こういちの人間学ブログ」の筆者、佐竹幸一の先祖は明治40年ころ、私の曽祖父伝蔵が新潟から大久保の地へきて、桶屋を始めたのが始まりです。今から113年ほど前のことです。それから祖父の庄次郎が桶屋を継ぎました。場所は大久保駅に近いところです。私の父の実は関東大震災の時小学生でした。仕事は桶屋と井戸掘りでした。戦争中で家を焼かれてもバラックを最初に建てたと自慢していました。戦後は東京ガスのサービス店になっていました。そのあたりのことは、「こういちの人間学ブログ」に詳しく書かれています。会社は株式会社サタケとなり存続しています。今はビルのほとんどが韓国系の方に貸していますが、今息子が社長になっていて、佐竹ビルの5階をレンタルルームに改造中です。
第9章 「結婚もビジネスもお祈りも音楽も何もかもが多国籍でごちゃ混ぜ」
多国籍アーティストたちの「セプテンバーコンサート」
街の移り変わりを見続けてきたミュージシアン
大久保駅そばの「スタジオM] ー経営するする小二田重幸さん
◎「スタジオM] ブログ筆者のいとこのビルの2階。以前は1階が「あうん」というレストラン、今は台湾カフェに
新大久保あんまり好きじゃない ーネパール出身リタさん
ネパール人とベトナム人の夫婦が経営する多国籍レストラン ー「アジア屋台村」 8か国の料理
◎「アジア屋台村」 以前は韓国料理店『大長令』その後ネパール料理店。何れも行きましたが、今は入口は高くなり車いすでは入れません。
中止になってしまったヒンドゥ―廟のお祭り「ダサイン」
どうしてもこの日本で祈る場所が欲しかった
シヴァ神を安置する場所は見つかるのか -ヒンドウー廟
◎場所を見に行きましたが、何処かわかりませんでした。
第10章 「外国人との軋轢」
ゴミ、騒音、臭い、契約違反、住居トラブルはまだまだ多い
すっかり街に根付いたタイのお弁当屋さん「ルンルアン」
◎ルン・ルアン 元はタイ料理のお店 「クンメー3」だった
年に一度大久保通りが歩行者天国になる日
新大久保の生き字引、おばちゃんの半生
ルーテル教会のクリスマス礼拝で新大久保の1年が終わる
「この街に来ると落ち着くんだよね
また一つ商店街から日本の店が消えていく
-『ナイトウシューズ」内藤雅也さん
◎新大久保駅から百人町の地域まで(百人町東町会)で従来から日本人の店で残っているのは、本の盛好堂と熱帯魚の円満屋、カメラのサカエカメラぐらいです。本にも出ていますが2020年ナイトウシューズさんが閉店しました。盛好堂の店主はブログ筆者の小学校時代の友人です。円満屋の諏訪さんは以前の商店街の理事長です。
第11章 「コロナウイルスは新大久保の姿を変えるのか」
ゴーストタウンと化した韓流エリア
◎イケメン通りの混みぐわいは一時の最盛期に比べ激減しましたが、大久保通りの新大久保駅からイケメン通りの入口までの通り尾人出はだいぶ回復しました。
外国人置き去りのコロナ支援策
それでも日本で暮らしたい、コロナに邪魔されたくない
マスクの街と化した新大久保
第12章 「この街の未来を担う子どもたち」
児童の6割が外国由来、大久保小学校ー日本語国際学級を持つ
日本でもまれにみる多国籍学校ならではの取り組みとは
24時間保育園は、子どもの3割が外国人
-エイビーシー保育園(大久保2丁目)
子どもたちは街に愛着を持ってくれるだろうか
おわりに、この街はどこに流れていくのか
「日本の異国」在日外国人の知られざる日常 室橋裕和
1800円 +税 2019年5月 晶文社
巻末が新大久保について
◎「こういちの人間学ブログ」の中から、最近の参考になるブログのご紹介
2020年8月1日梅雨明け初日の土曜日の新大久保の様子を見る~
2020年8月
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/08/post-96035e.html
5,24(日))エスニックの街新大久保の様子~
2020年5月24日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/05/post-0f4a51.html
新大久保多国籍会議。外国人との共生の窓口~「新大久保フェス」
2019年11月12日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/11/post-e06172.html
出没!アド街ック天国 「新宿百人町」20位ランキング
2019年6月12日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/06/post-9be8ab.html
新大久保における宗教施設 キリスト教会の多さについて
2019年5月22日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-6d8011.html
2019年5月令和になった新大久保の変化 ハットグ、多国籍化
2019年5月10日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-28b70b.html
新大久保商店街の変化 2001,2008,2012,2019
2019年年5月7日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/05/post-a2e14b.html
江戸から明治~令和にいたる歴史地図で見る大久保、百人町の歴史
2019年4月12日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2019/04/post-6aec.html
大久保の由来、大窪から~
2019年4月7日
韓国グルメ求め、人殺到~
2018年12月3日
「新宿区の民俗」昔の大久保、百人町 井戸掘りと桶屋をしていた,わが家について 父の話
2018年7月24日
◎これ以前は「こういちの人間学ブログ」を直接ご覧ください。
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コメント
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イチロウ様
コメントありがとうございます。大阪の鶴橋は有名ですね。新大久保は韓国よりもベトナム、ネパールや多国籍が特徴となってきました。
私の方はこの2,3週間慶応病院でがんの状況を見るために3回検査を受け、その後、また再入院です。前よりは長い入院となります。
どうなるか転移があまりなければいいのですが。
投稿: こういち | 2020年11月24日 (火) 16時48分
こういち 様
感染症の二次蔓延にも拘わらず御健筆を振るっておられ、自身と比べ嘆息しております。
新大久保の比ではありませんが、私の住む大阪の南の街でも、駅前にインド料理屋が出来ましたし、街角では中国その他の国から来られた方々が何やら様々なことを話されています。 でも、マスクで顔が隠されていますので何処の国の方々かが分かりません。 話される言葉が日本語ではないのが分かるのみです。
昨年の末に大阪市の鶴橋に所要があり二度訪問しました。 新大久保と比較も出来ませんが、焼き肉屋が多数営業されていて賑やかな街です。
私は、この街が好きなので、昔から良く行きます。 JRのガード下にある中華料理の店や、韓国料理屋に良く行きました。 亡母や妹一家等とも何度も行きました。 愛猫と別れてからは、お酒も飲まずに居ますので飲食目的で行くことは無くなりましたが。
早く新型感染症が鎮静化して何処へでも行けるようになって欲しいものです。
投稿: イチロウ | 2020年11月23日 (月) 14時39分