34年前の新大久保商店街地図(百人町東町会)と2021年現在の様子比較 2021年追記更新版
昭和62(1987)年の新大久保、百人町の街の様子
百人町東町会の地図が書かれた1987年とは、追記更新した2021年3月から見ますと、34年前ということになります。もうずいぶんと昔のことになりました。
百人町東町会でまだ昔からの商店が残っていました。昔からの商店は少しづつ減っていき、2021年にはサカエカメラさんが占いのお店に変わっていました。25年前には昔からのお店が10店ほどが残っていた、と書いています。2021年には百人町東町会で大久保通りに面したお店で残っているお店はは盛好堂書店と熱帯魚の円満屋さんしか残っていません。
この地図は昭和62年度の百人町東町会のうち、大久保通りの南側の部分をコピーしたものです。百人町東町会とは百人町のうち山手線内側の百人町1,2丁目のところです。地図で表しているところは百人町1丁目で、一番右はじの三和ビルのところからは大久保となります。大久保通りを挟んで北半分は百人町2丁目となります。地図によれば小さい字で見にくいですが、表通りには、このころ韓国系のお店は一軒もありません。この一角は新大久保駅を出てガードをくぐり右のほうへ行くところで、2012年10月から、2021年2月、一番人通りの多いところです。
新宿区の中の大久保地区には11の町会と9つの自治会があります。百人町の町会には百人町東町会、西町会、南町会、中央町会などがあります。
地図の上のほうが大久保通りです。駅に近くパチンコ屋さんがありましたが、今は韓流ショップ店の韓流百貨店です。この店はその後経営不振から倒産し、ほかの経営で再び営業しています。右端から先は、地名が大久保となります。前は新大久保近くの山手線の内側にパチンコ屋さんが大久保も含め大久保通りに5店ありましたが、今は1店だけです。
下の地図は2000年ごろの新大久保周辺の地図です。このころに次第に韓国など多国籍の店ができ始めましたが、メインの大久保通りはほとんど日本人のお店です。ブログ筆者は2000年に作られた。「おいしい街」と題した大久保、百人町地区のエスニックのお店と旧来のお店を共に地図に描いたものをもとに、自転車で回って歩き筆者独自の地図を作ったものです。このころは新大久保のメインのお店は旧来の日本人のお店でビルの2階以上にエスニックのお店がある状態でした。韓国のお店だけでなくいろいろなお店があったのです。その後韓流ブームとなり韓国のお店が多くなりました。その後ベトナムや、ネパールのお店が増えエスニックの新大久保というイメージが出てきました。
下図は東町会の地図です。
上の地図はスキャンでとったものですが、よくわからないと思います。下の図は携帯のカメラで撮ったものです。少しでも大きくしようと横向きにしました。少し字が読めるようになったかもしれません。上のほうが新大久保駅です。左側が大久保通りです。
下図は百人町1丁目の大久保通りの南側の地図です。1987年時点では、韓国のお店はほとんどありません。10数年後の2000年を超えてからにぼつぼつと表れ始めました。34年後の2021年には大久保通り南側では熱帯魚の円満やさんだけです。
この地図では大久保通りに面するところは、日本人の経営する店が立ち並んでいます。奥の方へ行きますと、かなり目立つのは小さいホテルで、いわゆる新大久保のラブホテルとして有名なほどで数えると32軒ほどありました。今では、今は10軒ほどに減少しています。小さくて設備が古く、歌舞伎町の設備の良い新しいホテルにかなわなくなっているのです。
以下の写真は2021年2月13日〈土)の新大久保山手線の内側の状況です。
新大久保駅前の交差点から見たところ。道路を挟んで右側が百人町1丁目、左側が百人町2丁目です。
右の大きな建物は竹見商店の後にできた、9h(ナインアワーズ)というカプセルホテルです。
百人町二丁目(山手線内側)に唯一残るお店、盛好堂書店。
百人町1丁目より見たところ。
内藤靴店の後の韓国グッズ店cos:mura
イケメン通り入口。ここは大久保1丁目です。
イケメン通り
西大久保公園にテーブルが置かれています。
COS:MURAの内部です。もとは内藤靴店
この下は上の図をさらに拡大したものです
百人町東町会の昔の地図
百人町1-7
この区画で大久保通りで昔からのお店で残っている店はありません
パチンコ三金のところは韓流百貨店に。店名は同じですが経営母体は変わりました。
このころは山手線の線路沿いに小さい旅館や簡易宿泊所がたくさんありました。
山手線に沿った道は拡幅されて高田馬場から新宿へとつながる道に拡幅されました。
ほとんどのお店はなくなりました。
百人町1-6
この区画で残っているのはサカエカメラさんだけです
2021年、この サカエカメラさんが占いのお店となりやめてしまいました。
この辺りは何々荘という木造アパートがたくさんありました。郵便局はのちに移転しました。
百人町1-4
この区画で残っている店は内藤シューズさんだけです。すぐ隣の山本米店は営業を続けています。
内藤シューズさんも2020年、やめて韓国グッズ店になりました。
落花生の販売卸をしていた、竹見商店さんは9アワーズというカプセルホテルになりました。
この辺りはいわゆるラブホテルの多いところです。4番地で6軒ありました。
百人町1-3
この区画で残っている店は円満屋さん(熱帯魚販売)だけです。3番地だけで6軒もホテルがありました。
2021年ホテルは半減しています。
円満やさんはまだ頑張っています。真ん中の茶色のビルのところが円満やさん。
東京ガス百人町サービスセンターはブログ筆者のお店でした。
昔は裏通りにホテルがたくさんありました。この地図だけで5軒も。
百人町1丁目-1,1丁目ー2
1丁目2番地はホテルが多いところ 職安通りのお店も韓国系が多くなりました。
百人町1丁目-5
ここは百人町鉄砲隊の菩提寺、長光寺が目立ちます
百人町1-5-13番地の朝倉さんは前の百人町町会長東町会長で、百人町鉄砲隊の子孫です。
百人町1丁目-8
線路側のお店は道路拡張でほとんどなくなりました。
あとこのころは簡易宿泊所がたくさんあります。線路沿いのところに多くありました。いわゆる山谷などにあるドヤといわれるものです。一部屋に三段ベッドが二つあるような部屋です。これも今はほとんどなくなりました。
このころ木造のアパートがたくさんありました。6畳ほどの畳の部屋と部屋には小さい台所があり、部屋にトイレがあるところと共同トイレのところがありました。お風呂はついていません。まだところどころに残っています。東京ガスではこういう住宅を3灯木造アパートと呼んでいました。
大久保通りに面したところの変化については、2011年6月3日に書いたこういち人間学のブログ「新大久保の街並み紹介1,2」があります。その時点ですでに大幅な韓国の街化が起きていますが。2012年10月時点ではさらに大きな変化があります。 このブログは、見やすいように更新版をつくりました、対比してごらんください。
2018年追記 25年前の大久保商店街となっていますが2018年の時点では30年前の商店街となります。下記のお店でも、竹見商店、東京ガスライフバル店はお店をやめました。竹見ビルは現在7アワーズという韓国系のカプセルホテルになっています。
昭和62年から現在まで残っているお店は、サカエカメラ、竹見商店、ナイトウシューズ、円満や、東京ガスライフバル店(その後やめました)だけです。29店中5店だけになっています。(その後3店のみ)2021年にはさらに円満やさん1店だけです。
2021年には百人町1丁目の円満やさんと 百人町2丁目の盛好堂書店だけです
下の図は百人町2丁目の地図です。(2021年3月21日 追記しました)
北側に戸山小学校 さらに海城中高学校があります さらに保善高校があり、都立戸山公園につながります。
百人町2丁目3番地
ここにロッテリアの1号店がありました。線路際に簡易宿泊所がたくさんありました。今は道路拡張によりなくなりました。
この辺りはロッテの土地が多く、住宅展示場ができるとともに、駐車場に多く変わりました。
百人町2丁目-2
ロッテが広大な地域を占めていました。今は住宅展示場です。大久保通りに面したお店はほとんど韓国系の店になりました。
百人町2丁目1番地
大久保通りで残る日本のお店は盛好堂書店のみ旧百十四銀行など3つのビルはプラザ1,2,3と名前が変わりました。韓国系のお店が大部分
戸山小学校の近くの広大な広さのロッテの工場は現在、住宅展示場になっています。
人間学研究所(150回)と実用的人間学研究会(110回)は2019年4月19日に合同例会を開きました。
テーマは「大久保・百人町の歴史」江戸から現在に至る変化を、歴史地図で見る で講師はブログ筆者です。
18ページの資料を配布しました。
2008年に新大久保のエスニックのお店を全部調べて地図を作りました。
このころは韓国のお店は職安通りに集中していました。また大久保通りでも新大久保駅から離れた大久保地域が多かったのです。このころはまだ新大久保駅の近くには昔からの日本人のお店が多かったのです。途中から日本人のお店は急減しました。
この図は大久保通りにある韓国のお店の地図です。新大久保駅の近くにはほとんどお店がなく、明治通りに近い大久保地区が圧倒的に多かったのです。
この地図は職安通りにおけるお店の地図です。職安通りに韓国スーパー、韓国広場がありその周辺に韓国レストランが密集していました。
今では新大久保駅周辺とイケメン通りに集中しています。
韓流の店、売り上げ減少について 2012年新宿区新聞
これは2012年10月25日付の新宿新聞です。ここにはごらんのように、「韓流ブーム」は縮み・・・「中国特需」は消えた!とあります。
記事には「韓流百貨店の売上‘半減‘大久保のコリアンブームに陰り」、と書いてあります。このエリアは2010年後半からのK-popブームを受け、昨年は大久保通りを中心に新規店舗の店が相次いだ。
それが竹島問題を契機に訪問客が少なくなった。8~9月にかけては「反韓」を掲げる街宣車やデモ隊が現れ、日本人客がトラブルを避けたためだ。それに加え、韓流ブームも一頃に比べ盛り上がりに欠けている。
「昨年は競合店の出店が相次いでも、その分を吸収できる勢いがあった。今年に入り、客はおとづれても買い物はしない傾向がある」「この周辺で2,3店の韓流店舗が退店に追い込まれている。(韓流百貨店)
10月以降街宣車が減って日本人客が増えているが「売り上げは半分以下。従業員も半分に減らした」と韓流百貨店の店長は苦しい状況を明かす。
以上が新宿区新聞の一部の内容です。韓流百貨店は新大久保からすぐの店で、店も大きく人もいつもたくさん入っている店です。ここでも売り上げが半分ということは、より遠い店はさらに苦戦していることになります。
◎2017年ごろから第3次韓流ブームで、人出も店の数も増えています。
◎2020年から2021年にかけての新コロナウイルスの影響で、人出はだいぶ減少していますが、客層が非常に若く、それほど他地区に比べ減少していません。
« 近況 114 1か月半ぶりに「こういちの人間学ブログ」が復活いたしました。この間の概況について。1月の大腸腹腔鏡手術について。 | トップページ | 『人間学研究所年誌2020』No.18が2021年2月15日発行されました »
「大久保の街紹介」カテゴリの記事
« 近況 114 1か月半ぶりに「こういちの人間学ブログ」が復活いたしました。この間の概況について。1月の大腸腹腔鏡手術について。 | トップページ | 『人間学研究所年誌2020』No.18が2021年2月15日発行されました »
コメント