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2021年3月25日 (木)

緊急事態宣言解除後の昼間の歌舞伎町を回ってみました。(その1),昼は新大久保のほうがにぎやかです。歌舞伎町の歴史とわが家の歴史も。

昼の歌舞伎町(その1)

2021年3月24日(水)天気が良くて、暖かかったので、久しぶりに歌舞伎町の一部を電動車いすで回ってみました。しばらく大久保百人町に北隣で隣接している高田馬場地区をブログに書いてきましたが、今度は南隣で隣接している歌舞伎町地区を紹介ししてみることにします。

歌舞伎町は大きく4つの道と線路に囲まれています。北すなわち,図では上のほうは職安通りで、地下には都営大江戸線が通っています。右のほうは明治通りで地下鉄東京メトロ、副都心線が通っています。南側、図では下のほうが靖国通りです。左は山手線、西武線などが通っていて、その線路に沿って、高田馬場から新大久保そして歌舞伎町に至る区道補助72号線(ここでは西武新宿駅前通り)が通っています。また中央右側に南北に区役所通りが通っています。また歌舞伎町の中では東西に花道通りなどがあります。

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「昼の歌舞伎町~(その2)」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2021/03/post-f7a269.html

代表的な建物、施設は新宿区役所、映画館街、ゴールデン街、都立大久保病院、花園神社、鬼王神社、小さな弁財天、などがあります。歌舞伎町は世界的な歓楽街として飲食店、ホテル、バー、クラブなどが立ち並びます。

その1では映画館街,鬼王神社などを回りました。新宿区役所、ゴールデン街、花園神社はその2で紹介します。

 

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歌舞伎町の歴史

江戸時代にはこの辺りは角筈村や大久保村と呼ばれていました。詳しくは『新宿区の民俗』(6)淀橋地区編 新宿歴史博物館 に出ています。その第3章は「歌舞伎町の建設」です。元の歌舞伎町、現在の歌舞伎町1丁目の一部は角筈村と呼ばれていました。明治18年に新宿駅ができて発展し始めました。明治22年に角筈村は柏木村と合併して淀橋町となりました。昭和4年に新歌舞伎座が作られました。また花園神社のあたりは三光町とよばれていました。戦後には百人町の1部も歌舞伎町となりました。いろいろな地域が混ざって歌舞伎町になりました。大正から昭和の初めには西大久保に東京隔離所(現在の医療公社大久保病院と健康プラザハイジア)から、角筈1丁目には第五高女(現在の富士高校)がありました。

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歌舞伎町は新大久保の百人町、大久保に隣接しています。歌舞伎町は1,2丁目と別れていますが以前は歌舞伎町だけで、歌舞伎町2丁目はもともとは西大久保1丁目でした。また前に書いたように歌舞伎町1丁目には百人町1丁目の一部も入っていました。

江戸時代にこの地は窪地で東大久保から早稲田から神田川に至る蟹川の水源地でした。また明治43年ころ、この辺りは元肥前藩主大村伯爵の別邸で、邸内の大池は鴨猟場であった。明治30年ころに尾張屋銀行が買入整地しました。その時多くのヘビが出てきました。それを地中に埋めたところそのヘビの祟りを恐れ弁財天を立てたという。昔の東大久保(新宿6,7丁目)には広大な前田侯爵の屋敷や、浜野氏の屋敷がありました。

明治11年に東大久保村、西大久保村、大久保百人町が集まって大久保村になりました。昭和7年に淀橋区ができました。その時に大久保町ができました。昭和22年に四谷、牛込、淀橋区が集まって新宿区となりました。昭和40年に住居表示により、新住居表示になるところと旧来のままのところ(牛込地区など)に分かれました。この時、旧柏木地区は北新宿に、淀橋地区は西新宿に、旧東大久保地区などは新宿6,7丁目と変わりました。百人町、大久保は中新宿にという案もありましたが、由緒ある大久保、百人町の名を残すという意見が多く存続しました。

戦前は大久保、百人町は高級軍人や文化人の住む高級住宅地でした。ブログ筆者の家は明治の末ころ曽祖父の代から桶屋を始め、その後祖父庄次郎の代からは井戸掘りもはじめました。井戸の升は桶で作ったので、桶屋が井戸掘り屋も兼ねたのです。大正5年生まれの父は226事件の時、危うく免れた岡田啓介首相が西大久保1丁目(現在の歌舞伎町2丁目)に住んでいて、うちのお得意さんで井戸や風呂のことでよく行ったことがあると話していました。現歌舞伎町2丁目は西大久保1丁目でした。横綱太刀山も百人町1丁目に住んでいてお得意さんだったそうです。

大正6年の地図を見ますと、現歌舞伎町1丁目あたりには十人町、五十人町、添地町などの名前が見えます。現在の大久保病院は東京市隔離所となっていました。昭和7年の地図を見ますと、現歌舞伎町1丁目のところは角筈1丁目となっています。またこの地に第5高女(現富士高校)が作られました。隔離所の名前は消え、大久保病院となっています。西大久保1丁目(現歌舞伎町2丁目)の明治通り側は新田裏と呼ばれていました。昭和4年に新歌舞伎座が作られましたが間もなくやめました。しかし後日歌舞伎町の名前になる元でした。

戦争によりこの辺り一帯は焼け野原となりました。歌舞伎町という名前ができたのは、戦後間もない1948年4月のことです。この後1950年に今の映画館街のあたりに東京文化博覧会というものが開かれました。博覧会は大失敗で多大な赤字が出たそうです。ブログ筆者は小学校1年生ぐらいでした。博覧会の前はこの地は何か池か水たまりのようなものがあったと記憶しています。その後歌舞伎町に新宿区役所が作られ、博覧会の後には映画館などいろいろな施設ができてきました。1952年に西武新宿の駅ができました。その後、西武新宿の駅ビルとして新プリンスホテル、そして旧コマ劇場、ミラノ座などができてきました。それ以前の西大久保1丁目(現在の歌舞伎町2丁目)は普通の住宅地が多く当時、中学生の筆者の友人もたくさん住んでいました。

昭和7年ごろ の現歌舞伎町1丁目(このころは角筈や三光町と言っていました)や歌舞伎町2丁目(このころは西大久保1丁目) 地図の真ん中あたりは花園神社 隣りは四谷第5小学校(廃校となり、現在は区役所分館と吉本興業事務所)右上の大きな囲いは前田侯爵の別邸

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1978年7月に従来の歌舞伎町が歌舞伎町1丁目に、当時の西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目となりました。そして西大久保2丁目が大久保1丁目となりました。歌舞伎町の映画街にはコマ劇場、東宝、オデオン座、地球座、ミラノ座、名画座、グランドオデオン座、新宿劇場などができ日本1の映画街でした。ブログ筆者はここまで自宅から歩いて5、6分くらいで簡単に来られたので、よく映画館に行ったものです。 

このころから歌舞伎町は急速に歓楽街化していきました。歌舞伎町は日本最大の歓楽街となり、3000軒のバー、キャバレー、ラブホテルなどが密集するところとなりました。隣接した大久保、百人町は、水商売関係の人が多く済む、いわば裏歌舞伎町というような位置づけとなりました。さらに2000年ころからは多国籍の街へと変わっていきます。

◎「新宿区の民俗」の155ページから157ページにかけて、「井戸」という文章と「職人の暮らし」という文章はブログ筆者の父親(佐竹実)や母親が話をした内容です。大正から昭和の初めにかけて井戸掘りの仕事が多く,掘った井戸を補強するために杉の側を入れたために井戸掘りの仕事は桶屋の仕事になりました。

 戦後の桶づくりの住み込みの職人はワカイシ(若い衆)と呼ばれていました。一時は住み込みの職人を含めて13人もの家族がいました。ブログ筆者はこの時代に子供時代を過ごしました。食卓は交代で使い、早く席を空けなければならず、早食いの習慣が付きました。

 その後風呂釜はマキからガスに代わり、東京ガスのサービス店となりました。東京ガス百人町サービス店から東京ガスエネスタ百人町(株式会社サタケ)として担当地域は、新宿区百人町、大久保、北新宿、西新宿、渋谷区の千駄ヶ谷、代々木を担当し、担当エリア8万件、社員数80名、ガス業務だけでなく、建築リフォームや、水道、電気工事などの設備業、不動産業までを総合的に行う会社になっていきました。大型湯沸かし器の取り付けなどでは同じ組で電気、ガス、水道工事までやってしまうので効率が良く利益も上がりました。お客様からも喜ばれました。筆者の曽祖父がこの地で桶屋を始めたのが明治40年(1907年)創業114年で会社となってからは令和2年3月現在70期です。現在は株サタケはガス関係業務を手放し、不動産管理業と最近はスタジオ・アズサとして総合スタジオ業も始めました。

新宿大ガードから副都心のビルを見る 右側は西武新宿駅と新宿プリンスホテルがあります

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高田馬場から歌舞伎町に至る山手線沿いの道 百人町から新築中の高層ビルを見る。すでにだいぶ高くなっています。右下のビルはプリンスホテル

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さらに進んだところ この交差点は職安通りとの交差点。この先は歌舞伎町。

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映画館街は取り壊され一時さびれましたが、2015年にはTOHOシネマが作られ旧ミラノ座あとには48階建てのビルを建設中です。2019年の歌舞伎町1丁目の人口は203人、2丁目は2283人です。

東京都健康プラザハイジア(都立大久保病院)と隣りはハイジア 手前の公園は大久保公園

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下図は建築中のミラノ座の後に建つ、48階建ての高層ビル、左はアパホテル 右はハイジア

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西武新宿駅を中心とした地図

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ビルの表示

地上48階 地下5階 この辺りでは極めて高いビルです

 

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2015年4月に建った31階建て東宝ビルと東宝シネマ 後ろはグレイスリー新宿ホテル

手前の空間はシネシティ広場。かっては池がありました。

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東宝シネマの前の公園にいる鳩 右向こうは新宿プリンスホテル

◎3月24日の歌舞伎町での人出は本当に閑散としていました。それに対して同じ日の新大久保では、春休みの若者で、最盛期と変わらぬ人出でした。新大久保のお店は歓迎でしょうが、新コロナの感染が恐ろしいです。人はいないけれど鳩がたくさんいました。

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ちらっと見えていますが実物大のゴジラの頭部が見えます。

ホテルはグレイスリー新宿です

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花道通り

花道通りから見た東宝ビル

夜はこの辺りが一番賑やかに

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花道通りの中頃

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一番街通り

有名な歌舞伎町1番街の門

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一番街を見たところ さすがに少し人がいます。

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ホストクラブの看板 歌舞伎町2丁目

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道路の横道に入るとごみの山と鳩がえさを食い散らす。こういうところはあちこちに。

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この道(1番街通りから)順に南北に、2番街通り、セントラル通り、さくら通り、東通り、区役所通りとなります。

さくら通りから、区立歌舞伎町公園があり、大正2年に作られた弁財天があります。

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3月31日の弁財天  公園の中にあります。

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横から見たところ

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職安通り

大久保側から見た歌舞伎町の端。手前は職安通り、右は高田馬場から新宿に至る道

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職安通りの由来となる 新宿職業安定所

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職安通りにある、韓国スーパーの韓国広場

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区役所通り

 稲荷鬼王神社

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鬼王神社を裏から見たところ ここにはミニ富士山があります。

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この辺りはホテルが多いところです 近くのバッティングセンター

 

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バーの看板がいっぱい。こういうビルがたくさんあります。

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B2Fから7階まですべてクラブなどのビル

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区役所通りと花道通りの交差点 昼間はほとんど人がいません。新コロナ前の普段のときはもう少し混んでいるのでしょうけれど。

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続きはその2で

 

 

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