「百人町の住宅密集地の網目のような道」(新宿)を電動車いすで走ってみる。百人町3丁目について。2021年4月3日
「ほじくりストリートビュー」という能町みね子さんが書いた本に大久保、百人町のことが書かれています。以前はこの本の一番最後に書かれていた[高田馬場駅前の袋小路]のことをブログに書きました。このことはこの本の表紙に絵が書かれています。
「高田馬場と袋小路を見てきました。~」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2021/02/post-0c5808.html
今度は大久保・百人町(新宿区)のことで、この本でも表紙に書かれています。その題は「百人町の住宅密集地の網目のような道」というものです。
19ページの図 「Tの字に一度気付いてしまうととても気になる」と書いてあります。
この辺りの地図 赤線で囲ったところ 本では p20~22
高田馬場と新大久保の間の線路西側は不思議ゾーン。団地、劇場、タワーマンション、公的施設など、やたら大きな建物が多いのだけど、その間に挟まるようにかなりこまごました住宅地がある。ここが気になる。
妙に道が狭く、縦横があってなくて十字路がほぼないので、道にTが超たくさん書いてあります。
「ポケットパーク」なるものがやたらあること、家1軒分くらいの大きさの申し訳程度の公園で、子供が遊べるほどではない。
「ポケットパーク」の整備は、平成8年くらいに「狭隘地域の防災対策」ということで始められたらしいけど、この様子を見る限りこの辺の家は空き家になり次第取り壊してポケットパーク等にしているようです。
道の引き方が変な理由は、どうやら戦後すぐここに「百人町越冬住宅」と呼ばれるバラック街が形成された名残りのようですが、それにしてもここまで区画がゴチャゴチャなのは珍しく、理由はいまだにはっきりしません。残念。(本書から)
p22
p22 「区間理地」これもたくさん
2021年4月3日、改めてここに行ってみました。 そして実際に行って写真を撮ってきました
昔のこの辺りについて、詳しくのっている本があります。
「新宿区の民俗」です。平成15年に新宿区民俗調査会によって作られました。これは淀橋地区編です。
写真1は明治44年ころの戸山が原 下の2は昭和12年の戸山が原 この冬はスキーができた、とあります。
下図 昭和10年の大久保、百人町の地図 上部の空白になったところが西大久保4丁目の射撃場、と百人町4丁目の戸山が原の演習場と陸軍科学研究所と技術本部 百人町4丁目が現在の百人町3丁目。
このころ戸山町には、陸軍戸山学校、近衛騎兵連隊などの施設があり、戸山から大久保、百人町に至る広大な土地が陸軍の管理下にありました。その関係で大久保百人町には陸軍の高級軍人が多く住んでいました。
百人町越冬住宅は住宅営団が昭和20年10月から450戸を建設した。
下図 セット式の家(1戸建て)壁と床はパネルと言う板で作られ、屋根はトントン葺きと言われたパネル材の上に杉皮を並べたものでした。トイレは共同便所であった。ほかに長屋タイプがありました。
上図は1946年の百人町越冬住宅
1949年 1951年と周辺地域が変化しました。
1972年に新宿区百人町3,4丁目は広域避難指定場所に指定。
1984年に百人町3,4丁目地区整備計画
1990年に計画決定 それに基づき、ポケットパークなどが作られるようになりました。
建築研究所跡に百人町ふれあい公園などが作られました。
現在の新宿区の地図から 昔は百人町3丁目は旧4丁目、2丁目は旧3丁目、でした。百人町4丁目は元は高田馬場でした。西大久保も1丁目づつずれていきました。旧西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目になったためです。
山手線の線路際に近い、住宅地の端のところです。ここは住宅地の真ん中の道です
さらに進んだところです、たしかにTの字が目立ちます。
さらに進みます。
ポケットパーク。奥に見えるのは西戸山タワーホームズ。3棟あります。中曽根行革で作られた高層マンションのはしり。
ところどころにお店 があります。ここはベトナム料理のお店。近くにお寿司屋さんなど。
住宅地の北の端のところ、右は西戸山小学校 さらに西戸山中学校、この道の右側は都営住宅などの高層住宅 左はこの地区の住宅や店舗
複雑に入り組んだところ 突き当りを右に曲がります。左側のところは空き地です。
後ろに左、高層の住友ガーデンタワー、右に西戸山タワーホームズが見えます。
ポケットパーク 利用する人への注意
百人町ポケットパーク7。 家1軒分だけが公園として空いています
ここはポケットパークのNo19 1から19までありました。
こんなに小さな公園も
この地域でのちゃんとした唯一の小さな公園 まだ桜が満開
小型防火水槽とその上に花が植えてあります。
健康安全センターの横道との境界。段差が大きく車いすではいけませんでした。
人が住んでいるのかわからないツタで包まれた家、手前はポケットパーク。
東南側の端のところ
この地域の東側に隣接した、西戸山タワーホームズ3棟 1988年に中曽根行革に基づいて作られ、高層マンションの初めでした。
この地域の南の端。左側はこの地域。郵便局前のバス停の看板。
右側は一般住宅地区。郵便局の看板があります。
百人町郵便局
郵便局あたりから南の方を見る遠くに見えるのは西新宿の高層ビル
百人町ふれあい公園 ここは広い公園です。元は建築研究所跡地。
桜美林大学 百人町キャンパス(H31年開校) 国立博物館分館の後にできました。
隣りは東京都健康安全研究センター(前は都立衛生研究所)
百人町3丁目には東京山手メディカルセンター(旧社会保険中央病院)があります。元は大久保2丁目にありました。
また、新宿消防署もあります。国土交通省や総務省の施設、百人町高齢者住宅センター、クレハ東京研究所、サン糸研究所などの企業の研究所、俳句文学館、公務員宿舎などの各施設があります。以前は東京教育大学の光学研究所などがありましたが、筑波移転でなくなりました。
小滝橋通りに面して,高層な住宅供給公社があります。
ビルを見上げたところ 18階?
◎百人町3丁目はもともと陸軍の演習場で、陸軍の研究所などの施設がありました。
染井よしのではない桜が植わっています。”楊貴妃”とか
住宅内の道路予定地です
« 2021,4,1.散り始めた神田上水公園の桜を見る。2019年3月31日、2018年、2017年と対比。 | トップページ | 「顔の進化」馬場悠男(ひさお)氏、顔についてよくまとまった興味深い本です。顔学会についても。 »
「大久保の街紹介」カテゴリの記事
- 2025年2月9日(日)の新大久保駅周辺の賑わい 大久保通りの百人町1丁目地区のみ ハンバーガーNEW YORK オープン(2025.02.10)
- 新宿新聞元日号が送られてきました。18~19ページにコリアンタウン特集で、「人流が回復、店舗が増加、明治通りまで拡大」と書いています。(2025.01.05)
- 2024年末の新大久保から大久保駅周辺をみる。だいぶお店が変わっています。毎日新聞の記事。(2024.12.19)
- 2024年10月 大久保まつりの様子を見る 好天に恵まれました。(2024.10.17)
- 本日、第41回大久保まつりが開催されます。その概略を紹介します。パレードは別に紹介します。(2024.10.14)
« 2021,4,1.散り始めた神田上水公園の桜を見る。2019年3月31日、2018年、2017年と対比。 | トップページ | 「顔の進化」馬場悠男(ひさお)氏、顔についてよくまとまった興味深い本です。顔学会についても。 »
コメント