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2021年7月

2021年7月21日 (水)

呪われた五輪、今日から無観客で競技開始。コロナ急拡大の中で。今後、どうなるのか。菅内閣は五輪報道で支持率回復狙う。

 

7月31日〈土)東京 4058人 最高、大阪1040人 初めて1000人超え

五輪関係者 感染類型241人 国内の感染者 11000人を超える

7月29日(木)東京の感染者3865人、全国で9582人、沖縄で392人 今までで最高

 

7月28日(水)全国で9576人、東京で初めて3000人を超えたことがあきらかに 今までの最大3117人

神奈川1051人、埼玉870人、千葉577人 4連休の影響か

 

7月27日(火)4連休明けの初日 東京都の感染者2848人 1月7日(2520人)以来過去最多となる。

 65歳以上はわずか4%、ワクチンの効果大

7月23日 オリンピック開会式の日

全国で5381人 東京 1979人  神奈川631人

毎日新聞 1面トップ 開会式演出 小林氏解任 無観客五輪きょう開幕 コロナ拡大、緊急事態下

毎日新聞 7月23日 朝刊の「桜田です!」悪魔とアマビエの会話

  人間って妖怪よりより恐ろしいな よくもそんなでたらめを・・・

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7月22日毎日1面トップ

ワクチン不足 11月完了 6割見通せず 自治体9割変更も 本紙調査

東京新たに1832人感染 五輪中 推計2500人超  入院調整懸念

 

2021年7月21日(水)

開会式に先立って、福島市でソフトボールの日本―オーストラリア戦が始まりました。7月21日の毎日新聞朝刊にはこれに関連した記事がトップですが、日経新聞は違う記事でした。

7月21日の毎日新聞朝刊 1面トップ

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上記1面記事の下 7月20日、東京新たに1387人感染  患者数の変化

前週の火曜日から557人増えた。

7月21日の東京都の感染者数  1832人

◎恐ろしい患者の急増ぶりである。でも21日の夕刊は五輪関係の記事で埋め尽くされている。

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7月21日(水)日経新聞朝刊1面 新コロナ関連の記事はなし

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東京都の新コロナの7月20日の新規感染者は1387人で全国では3758人でした。火曜日に1000人を超えるのは1月26日以来。火曜日の感染者が3000人を超えるのは5月25日以来。死者は20人、重傷者406人でした。

以下、NHKニュース 7月20日朝放送

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1,人流抑制不十分、2、入院患者急増 対策不十分 、3,変異株 、4、夏休み・東京五輪

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これまで最大の危機

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菅内閣支持率

 7月の支持率 各紙発表  17,18頃 下落し続ける支持率

 朝日新聞  支持 31%  不支持  49%  コロナ政策支持 26%  不支持 65%

 毎日新聞  支持 30%  不支持  62%  ワクチン政策維持しない  56%

 読売新聞  支持 37%  東京だけでは  支持 28% 

 

日本でのワクチン接種率

 7月19日で4352万  34,23%   2回目  2839万  23,34%

 河野大臣  遅れを謝罪   6割なら行くのではないか と 

 モデルナ社製ワクチンが、当初の4000万回の供給量がへらされて1370万回だったと、約2か月隠して都議選後の6日の会見で公表した。

 

新宿区でのワクチン供給状況 (新宿区ホームページより 令和3年7月16日付)

 新宿区に供給されるワクチン数量は、7月に入り大きく減少しており、8月についても必要とする数量は供給されないことが見込まれています。このため、集団接種(新宿区)の8月中旬までの1回目予約に影響が出ています。新宿区から地域のクリニック等へ配送できるワクチン数も減少しています。

 

さまざまな問題点・論調

◎「この大会は呪われている」との嘆きはコロナ禍だけではありません。シンボルマークの盗作、森喜朗会長の性差別、式典責任者の容姿侮辱ミュージ試案、そして開会式の楽曲を担当したミュージシアンのいじめ自慢・・・ 「潮流」から

◎城南信用金庫名誉顧問 吉原 毅 「命より利権」今だからこそ五輪中止を

 「無観客」と言いつつ開会式ではIOC幹部、世界の五輪関係者、放送権者を「特別枠」にするなど、五輪特権が目に余ります。

◎オリンピック開会式の楽曲を担当していた、小山田圭吾氏(52歳)が、小中学生のころ障害のある同級生をいじめていたことが明らかになり

担当を辞任しました。

◎毎日新聞夕刊 「熱血!与良政談」与良正男 7月21日 毎日新聞夕刊

 政府分科会の尾身茂会長が「今のパンデミック(世界的大流行)の状況でやるのは普通はない」とさえ言っていた異例の五輪だ。それでも菅義偉首相が開催こだわったの理由は、もう説明するまでもないであろう。~五輪が始まりさえすれば、世の中の空気は一変し、下落しつづける内閣支持率も回復するはずだと考えているからである。

 五輪はなんでも特別扱い。終戦直後の連合国軍総司令部(GHQ)なみの治外法権と言いたくなる。~マスコミもいざ始まれば「感動ありがとう」の報道一色になって、菅首相が狙う「空気一変」を手助けするのでは?という不信の念をよく聞く。

◎ 今までNHkでは、エンゼルスの大谷選手の放送をほぼ毎日やっていて、筆者は楽しみにしていたが、オリンピックが始まると大谷を放送しなくなった。残念ーブログ筆者。

 

2021年7月18日 (日)

西新宿にある、成子天神社に行ってきました。マンションも併設し新しい建物です。吉田戦車の漫画に富士塚のことが載りました。

今まで新大久保を中心としていくつかある神社を訪問してきましたが、今回は西新宿にある成子天神社です。

追記 7月20日

7月20日発売の「ビッグコミックオリジナル」で、吉田戦車の漫画、「出かけ親」にたまたま、西新宿の富士塚のことが載っていました。

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職安通り(税務署通り)にある新宿税務署です

職安通りは青梅街道に合流します。

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西新宿の成子天神社の近くには高層ビルができています。

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しかし横道に入ると昔ながらの住宅があります。

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成子天神の入口 南向き 新宿区西新宿8丁目にあります。正式な入口は青梅街道に面しています。反対側は東京医科大学病院です。

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由緒 祭神 菅原道真公

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門の入口 風神、雷神の像

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手水鉢

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春日の局が家光公よりこの辺りの地を拝領し、天満天神社として拝殿を作る

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御神輿倉庫

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右側は社務所

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成子天神の力石。

 祭礼の余興としてちからくらべにつかわれた石 7個あります。

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大イチョウ

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正殿入口 2013年新築 隣接するところにマンション併設

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合格祈願の絵馬とおみくじ

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末社、摂社  大島神社、鳴子稲荷(赤い鳥居)、浅間神社(富士塚)

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神楽殿

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神社の中に作られたマンション

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新宿で一番大きい富士塚

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北の入口

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2021年7月17日 (土)

諏訪通りの工事進む。高田馬場と大久保の小さな交差点、、撤去され歩道橋に変わる 2021年3月 2022年1月 追記、山手線沿いの道つながる。

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2022年1月20日

工事が進んでいます

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9月15日  陸橋から工事現場を見る

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2021年7月17日〈土)諏訪通りと山手線に平行していた道がつながりました。

今まで高田馬場と新大久保の間に山手線に沿っていた2つの道がありましたが、山手線の外側の道は、車がほとんど通らず、片側はタクシーの休憩場所にもなっていました。今まで道はふさがれ諏訪通りには直接出られなかったのです。7月17日に様子を見ると通行止めになっていたところが解除され諏訪通りに出られるようになりました。

正面の道は諏訪通り。右側は以前は通行止めでした。左折ができるようになりました。

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向こうは諏訪通り、歩行者は横断歩道をわたります。

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山手線などとの交差するガード

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前はここで車は通行止め、信号で回り道をします。

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2021年3月29日(月)諏訪通り(補助74号線)と山手線などの立体交差工事の写真を撮ってきました

 

この場所の写真をすでに2度ほど撮ってきました。

 

「諏訪通りと山手線の立体交差の歩道橋が2020年12月やっと完成しました。車道はまだまだ。」 2020年12月23日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/12/post-159e81.html

 

「諏訪通りと山手線などとの立体工事が進む ~歩道橋完成」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2020/11/post-35fe7f.html

 

2021年4月21日 歩道橋の上から写真を撮りましたので、追記いたします。

前に親子で電車を見に来ていました。

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工事がハイピッチで進んでいます。歩道橋からの眺め。

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「街路築造工事のお知らせ」の看板

 完成予定は令和4年3月 この道路の工事は長い間かかっています。

ここの前の椅子にいつも警備員さんが座っています。 

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ここに書いているように3月26日(金)の21時から、道路が切り替えられ、従来あった横断歩道が閉鎖されました。新大久保から高田馬場へ向かうのに便利で、途中によく行くコンビニもあるのでいつも利用していました。

今度はエレベーターで歩道橋で渡るか、電車のガードをくぐり違う歩道橋で渡るようになります。

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 高田馬場駅にむかう道 ビルとビルの間の細い道です。今まではここに横断歩道と信号がありました。

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陸橋を渡るためのエレベーター こちらは大久保側

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反対側の高田馬場側から見た元横断歩道のあったところ。右の建物は新宿区の労政事務所、左は住友ガーデンタワービルです。少し手前から見たところです。

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諏訪通りに近づいて撮ったところ。茶色の部分は新しく通った側道です。

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高田馬場に向かう道 ビルの間

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新しく完成した側道部分 茶色の道です。真ん中は深く掘り下げる工事中の道。

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側道を通って、山手線などをくぐったところ そのわきに人間用の細い道があります。

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このビルを曲がると駅前通りで高田馬場駅へ

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歩道橋から線路を見る。いろいろな電車が通ります。右側のビルを曲がると高田馬場駅です。

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階段で新大久保方面へ下がるところです。

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歩道橋の真ん中から道路工事の状況を見る。右の茶色の道が新しくできた側道部分。

真ん中の道は前に使っていた道。ここの地下が本道部分。

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陸橋から新大久保方面を見る。右の建物は労政事務所。

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エレベーター内部 このエレベーターは反対側に出ます。

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2021年7月12日 (月)

7月梅雨時の体調悪化 昼夜逆転、右眼も痛く、ぼーっとしています。晴天の中、日を浴びるのが一番の不眠の良薬。8月も寝られません。

8月14日〈土)連日眠れず 体調はひどく不調です。

このところ眠れず夜中ちゅう起きているという感じです。ひるま眠くてうとうとしています。夜はなんか一日中起きている感じです・

医者からもらった薬も効かないし、またなくなってきました。往診は来週の金曜日です。

昨年の梅雨時から不調です。結局今年(2021年)大腸がんの手術をしました。 

  毎年、梅雨時になると何かしらの障害が出て、体調が悪くなります。筆者のような後期高齢者ですと、どうもほとんどそうらしいです。リハビリに来てくれる理学療法士の方も行っていました。昨年の2020年は今頃体が不調になり、どうもおかしいということで、往診に来てくれている先生の紹介で、代々木病院に8月24日から8月31日まで、1週間ほど検査入院をしました。その結果大腸ポリープがたくさんあり大きな病院での再検査が必要と言われました。

 それで9月9日慶応病院の外来に、9月14日から18日までに入院しました。小さなポリープは9つとりましたが500円玉くらいの大きなポリープはがん化しているかもしれないということでした。9月30日に慶応病院に行き大腸がんの可能性があるので腫瘍センターで説明を受けました。10月19日に腫瘍センターで内視鏡手術をしました。11月18日と20日に慶応病院へ結果報告を聞きに行きました。その結果大腸ポリープの切除だけでは不十分ということで、11月26日、PET検査、30日にCT検査、12月8日にSPECT検査、12月12日にエコー検査をしました。12月18日に検査結果を聞きました。

 それで2021年1月3日に入院、大腸がんのステージ1ということで5日に大腸S字状結腸切除手術を受けました。入院時体温を計ったら7度5分ありました。相したら急に個室への移動という形で隔離されました。幸い熱はすぐに下がり一般病棟に戻りました。

 1月5日に手術、全身麻酔の手術は初めてです。手術は大腸壁が癒着していてうまく外れず6時間半と時間がかかったそうです、

1月14日退院しました。

 

この2週間体調が崩れ。昼夜逆転気味となりました。

2021年7月、この2週間ほど天気が悪く曇りか雨でほとんど外出できません。おまけに3日ほどいつももらっている睡眠薬等が切れてしまいました。

普段は寝入りがとてもよく床に入り薬を飲むとすぐ寝てしまうのです。面白いテレビの無い早い時は9時過ぎ、遅くとも10時です。ですから朝は5時か5時半には起きてしまいます。

 これらに加えて、夜になかなか眠れず、起きていることが多く、昼間は眠くてうとうとしてしまいます、外の昼間の明るい光を浴びていると頭もすっきりしてよく眠れるでしょうに。夜、寝るときに飲んでいた、アレルギーの薬ビラノア(これも睡眠作用がある)と、睡眠導入剤エスゾピクロ1mgが数日間、なくなったのも原因の一つです。月に2回往診で来てくれる医者から睡眠薬ロゼラム8mgを追加でもらいました。しかし最近はその3つを寝しなに飲んでも全然眠くならないのです。前はとても寝つきが良かったのに。昨日は眠くなるまで起きていましたが結局夜中の2時、3時ごろまで起きていて、朝5時ごろ起きてしまいました。

 

寝る前に飲む薬3錠

ビラノア錠20 mg 抗ヒスタミン剤 少し眠くなるので就寝時に良い

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不眠症治療薬 エスゾピクロン1mg (ルネスタ)

GABA受容体に作用 脳の神経を鎮める

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不眠症薬 ロゼレム8mg〈あたらしく処方してもらった薬)

  メラトニン受容体作動薬

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これらの薬を飲んでもよく眠れないのは同じでした。

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プレガバリンOD錠25mgは、リリカ25mgの後発材です。神経障害による疼痛治療薬です。水なしで飲めます。以前はリリカ(カプセル)を飲んでいました。

錠剤には25mg、75mg、150mgとあります。25mgは弱い薬です。右の目じりを中心に痛むときに飲みますが、25mgでは少し効いたかなという程度です。痛みが強い時2錠飲みますがあまりよく治りません。75mgぐらい飲む必要があるのでしょう。

 

7月10日、久しぶりに天気の中で出かけました。その結果

 

7月10日〈土)は久しぶりの晴天となりました。このところの1週間以上曇りか雨の日が続きました。それがきょう珍しくはれ上がり青空が出ました。チャンスとばかりに高田馬場方面へと電動車いすを走らせました。日差しはかなり強く太陽を強く感じました。

 夜は10時までNHKのドラマを見ていて11時ころ眠りました。途中2どほど軽く目が覚めましたが、眠れないということ・はなく朝も5時半に目が覚めました。2週間ぶりに良く寝られました。日差しの威力抜群です。

7月11日(日)午前中は晴れ、今度は新宿方面へ電動車いすを走らせます。ヨドバシカメラでシェーバーを買いました。一度自宅に戻り11時からは昨日と同じようにエンゼルスの大谷のテレビを見ました。残念ながら、エンゼルスは敗れました。それからまだ天気が良いので高田馬場へ電動車いすで行きました。馬場の芳林堂書店で本を買い、帰りの途中でマルエツによって食べ物を買い自宅へ戻りました。そうしました4時ころからら急に雲行きが悪くなり、猛烈な雨と雷になりました。寒冷前線の通過です。雲は北から南へ強く流れます。各地で雷雨や突風が襲っているようです。BSのテレビは映らなくなりました。4時半ころになると風雨も収まってきました。虹も出てきました。

11日の夜は10時半に寝ることにしました。睡眠薬を飲んで寝ましたが、今日はすぐ寝られません。結局寝られなくてトイレに起きてしまったりしました。夜中の2時ころまで少し寝たり起きたりが続き、ぐずぐずしていましたが、それからは急速に寝込んだようで目が覚めたのは朝の5時半ころでした。途中ぐっりねたので眠いことは眠いのですが、朝は比較的にすっきりしています。

7月12日(月)は朝は朝から暑くすごく天気が良くなっています。寝不足気味なのと少し右の眼の周辺がズキズキ痛むのでプレガバリンを飲みました。

今の状況で公開しますが、状況を追記します。その後も、途中で目が覚めて起きているというのが続きました。

7月17日〈土)昨晩は普段寝入りばなに少し寝て、その後寝られなくて、というのではなく、最初から眠れず、夜中の2,3時ころにもう着替え起きている状態でした。きちんと寝た記憶がありません。17日には眠く気分がひどく落ち込みました。昼食後ようやく眠りました。1時間半ぐらい寝たのでだいぶ調子がなおりました。もちろんいつものような快調ではありません。往診の先生の処方で2つの睡眠薬とアレルギー剤はそろいました。

2021年7月10日 (土)

「総合人間学研究15号」に、人間学研究所とブログ筆者とことが少し書かれていました。

オンラインジャーナル『総合人間学研究』は総合人間学会の学会誌『総合人間学』の電子版として発行されました。ブログ筆者は現在も活動中の人間学研究所を作り、またその中から2002年に総合人間学研究会が作られ、それは発展的に解消し、2006年5月27日に総合人間学会となりました。この当時ブログ筆者はいろいろな学会等に参加していました。しかしある時を境に人間学研究所の活動を除きすべての学会より退会しました。

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ある時、総合人間学研究会のオンラインジャーナル『総合人間学研究』の15号(2021年版) が目にとまりました。総合人間学会では毎年学会誌「総合人間学」発行していました。10巻まで発行し。11巻からはハーベスト社で発行しています。12巻までは総合人間学会に参加していたので保管してあります。

2018年11月に総合人間学会をやめることとし事務局に申し出しました。2019年2月14日に事務局から退会を了承したとの連絡が来ました。

 

「総合人間学会」のオンラインジャーナル15号の尾関修二氏の文章に、に私のことが書いてあったので、転記するとともに、一部誤りがあったので修正させていただきます。

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目   次

報告 : 設立経緯

 

     総合人間学会設立の背景と発展

The Background and Revelopment of the Jyapan association  of 

    Synthetic Anthropology

                                                          尾関 周二(OZEKI Shuji)

 

はじめに

 この論考は、研究談話委員会主催による総合人間学研究会(2018年12月15日

於:明治大学)において、当日にはパワーポイントで行った報告を、研究談話委員会の古沢広祐

委員長の要請で文書化したものである。文章化に伴う若干の加筆修正はあるが、大きな変更はない。

前半は、総合人間学会の設立に至る過程や時代背景を述べて、それを踏まえて「設立趣意書」が

執筆された経緯を明らかにする。~

 

1,学会設立へ向けての流れ

 学会設立に至る経緯を簡単に触れておこう。

(1)「人間学研究所の時代」

 かなり以前から小原秀雄さん、柴田義松さんなどが中心となって設立した「人間学研究所」

という形で、佐竹幸一さんの小さなビルの1室で定期的な研究会や講演会が行われてきた。

山手線の新大久保駅から歩いて5分ほどの好立地のビルであった。これへの私の参加は途中

からであったので、いつ始まったのか知らない。佐竹さんは、実業家であったが、人間学に

関心を持ち、自らの人間学を「実用人間学」と呼んで、その部屋には所狭しと人間学関係の

本が集めてあった。

 

 

(2)「総合人間学研究会」の時代(2002年から2006年)

  小原さんと小林さんがお互いの問題意識に共感し、人間学研究所を基礎にしながらそれとは別に

、「総合人間学研究会」を設立した。小林、小原、柴田さんが代表幹事で、それに事務面で岩田

好宏さんが中心となって、堀尾輝久さんや私などが幹事として参加して定例の研究会が主に講演会

方式で開催された。小林さんや小原さんの知人・友人を中心に多くの方々に講演を依頼した。私の

記憶に良く残っているのは、精神分析学で著名な木村敏さんの講演であった。京都から招待して

交通費を払うだけの感じだったので、演者も少々驚かれたようであったが、小林直樹さんの顔に

免じてご理解いただいた。

  この研究会はおよそ20回開催され、そのうち、7回はシンポジウムで、後の13回は例会であった。

その成果として小林、小原、柴田編著の『シリーズ 総合人間学』3巻本が発刊された。この発刊

に関しては、小林さんが大変熱心で、私も頼まれて、第1巻と第2巻に合わせて論文二本書いた。

 こういった用意周到な準備を経て、総合人間学会の成立〈2006年5月27日〉に至ることに

なるが、それに先立つ最後の研究会は第19回研究会(第7回シンポジウム)として開催されたので、

その内容を少し紹介しておこう。シンポジウムのタイトルと演者は、当時の研究会の中心メンバー

の5人で。以下のようである。

 「21世紀、総合人間学は何をめざすのか――人間の危機、人類の危機に際し、3年の研究を経て、

私たちの『知』の課題を提出する」

 1、小原秀雄  「現代環境の危機と人間」

 2、柴田義松  「子どもと教育の危機と人間学」

 3,長野敬   「バイオエシックスの問題」

 4,尾関修二  「人間性の基礎としての〈自然さ〉」

 5,小林直樹  「総合人間学の課題」

 

2、学会設立への情熱

 この学会の設立には、小林先生と小原先生の意気投合によって生まれた年齢を超えた若々

しいお二人の学問的情熱が大きな動因だったと思う。実際、小林直樹〈1921~2020)は

学会設立時85歳であり、小原秀雄〈1927年~)で設立時79歳だったことからも理解される

ように、いわば「後期高齢者」の年齢からこの学会設立の事業に取り掛かった。このことは

驚くべきと言わざるを得ないだろう。

  小林先生は、著名な憲法学者で、一貫して平和憲法を擁護する論陣をはった。小林先生に

よれば、若いころの哲学・人間学関心が小原先生との出会いによって再燃したということで

あった。これは、小原先生が動物学者であっただけでなく、社会的問題にも深い関心をもっ

ておられ,人文社会科学と生物学の統合への関心があったことと関係しているであろう。

いかにお二人の特徴について私が感じたところを箇条書きに記しておきたい

 

以下 略

 

ブログ筆者 佐竹幸一の追加修正文

 

◎ 人間学研究所時代に筆者の名前が出てくる。

「佐竹幸一さんの小さなビルの1室で定期的な講演会や研究会が行われてきた。新大久保駅から5分の好立地のビルであった。私の参加は途中からであったので、いつ始まったのか知らない。佐竹さんは実業家であったが、人間学に関心を持ち、自らの人間学を「実用人間学」と呼んで、その部屋には所狭しと人間学関係の本が集めてあった。」

 

参考「人間学研究所年誌2000」に人間学研究会及び学会等の概略が書かれています。人間学研究所は

1、生懇の分科会としての人間学研究会、1963年から

2、第1次人間学研究会、1965年4月16日から。東京教育大学動物学専攻学生控室

  佐竹の大学卒業後株式会社サタケの1室で開催

3、第2次人間学研究会 1985年5月から、同上

4、第3次人間学研究会、および人間学研究所準備室(第2サタケビル2階に専用事務所)、1991年4月より、(8年間)

5,人間学研究所の成立、1999年4月1日より2021年7月現在に至る

      佐竹ビル3階に事務所移転 その後現在は佐竹の自宅で 例会はマンション集会室  現在22年間)ア。

6,総合人間学研究会の設立 事務所は第2佐竹ビル2階  2002年から2006年 4年間

7,総合人間学会の設立  2006年5月から はじめ第2佐竹ビル2階 その後明治大学等へ 

 

◎尾関氏は「私の人間学を実用人間学と呼んで、その部屋には所狭しと本が集めてあった」と書いています。

正式には実用人間学と言います。第2サタケビルには12000冊の本を集めていました。事務所が佐竹ビル3階に移ったとき狭くなり2000冊を処分しました。現在自宅マンションに2500冊に絞り置いてあります。

◎学会成立への情熱ー学会はあたかも、小林直樹氏と小原秀雄氏の情熱で作られたように書いておりますが、柴田氏と人間学研究所の方々の役割を過小評価してはなりません。岩田氏は初代事務局長であり、宮坂琇子氏も有力役員です。森岡修一氏も役員になっております。

◎総合人間学会の前身の総合人間学研究会の事務局長は岩田好宏氏が事務局長であるように書いてありますが、総合人間学研究会までは、佐竹幸一が事務局長です。総合人間学研究会時代の事務資料はすべて私が保管しております。総合人間学会となったときに事務局長は岩田氏で私は事務局次長でした。しかしいろいろとトラブルがあり事務局長次長をやめました。また、しばらく後で、総合人間学会で発表をし、そのあと監事に選出されましたが、単に名誉職というのでなく学会の役員会に出席させていただけるということで監事を引き受けました。しかし1度も役員会には呼ばれず、最後に会計監査だけをして終了しました。これでは意味がないので1期でやめさせてもらいました。

◎学文社から発行された、シリーズ「総合人間学」は1巻を小林直樹氏、2巻を小原秀雄氏が、3巻を柴田義松氏が編集することになっていました。ブログ筆者の佐竹幸一は1巻に「人間学の概要」、3巻に「資料2 人間学と人間科学の現状」を書いて、それぞれの編集者のところへ送付してありました。1巻についての文章は岩波書店に勤務され、編集を手伝っていただいた後藤さんには高く評価していただきました。そして、学文社な刊行予定の印刷物にも載っていました。ところが一こうに最終の校正の印刷物が送られてきません。1巻の編集者の小林直樹氏によれば身内のご不幸などがあり、校正が間に合わなかったというのです。実は小林氏はマックス・シェーラーなどの哲学的人間学を批判的に書いてるブログ筆者の文章が気に入らなかったようです。それは後で知りました。そして結局柴田氏担当の3巻の部分だけが掲載させてもらいました。

◎「人間学の概要」人間学研究所年誌2000 佐竹幸一 p50から

1、人間学とは何か

2、カントの人間学

3、実存主義的人間学・哲学的人間学

  1928年のドイツのシェーラーやプレスナー等である。注3

4、カレル

5、人間科学

6、唯物論と人間学

7、日本における人間学

  戸坂 潤や山本宣治らの哲学的人間学などの批判

8、経営人間学

以上について簡単に述べました。哲学的人間学に対して批判的です。小林氏のマックス・シェーラーらの人間学に依拠する立場からは佐竹の哲学的人間学への批判的立場は容認しがたいでしょう。よく小林氏は小林氏の本を読めばわかるだろうにと、佐竹の勉強不足と言っていました。

 そのあたりの顛末については、「人間学研究所通信 第33号(Humanology33  2007年3月発行)にブログ筆者の「総合人間学会、事務局次長の退任について」という記事を書きました。この記事をめぐってはまたトラブルがあったのですがそれは省略させていただきます。

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参考 人間学研究所の歴史などについて、筆者が人間学研究所年誌に書いた内容

「人間学研究所年誌」に書かれたものに限定しました。そのほかに「人間学ニュース」などにも書いています。

 

人間学の概要    人間学研究所年誌2000 1号 2000年12月1日

人間学を取り巻く状況      年誌2002 2号 2002年11月30日

人間学ノート          年誌2006 4号 2007年6月30日

人間学研究会のあゆみ(1)   年誌2007 5号 2008年5月31日 

人間学研究会のあゆみ(2)    年誌 2008 6号   2009年3月31日

人間学研究会,人間学研究所の歴史と実用的人間学  年誌2012 

                       10号  2013年3月31日

(2012年5月27日 総合人間学会第7回大会において、一般発表において、報告した資料に基づいている。

1,関連年表6ページ、2,実用的人間学とは何か、3,佐竹幸一が取り組んでいるテーマ、4、人間学研究所について、5、人間学研究所に保管されているもの、6,人間学の名の付く書名の本の変化、あとがき、注及び引用文献

柴田義松先生の思い出と人間学研究所のこれから 年誌2018 

                       16号 2019年3月10日

人間学研究所の今後について  年誌2019 17号 2020年3月10日

 

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