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2021年7月10日 (土)

「総合人間学研究15号」に、人間学研究所とブログ筆者とことが少し書かれていました。

オンラインジャーナル『総合人間学研究』は総合人間学会の学会誌『総合人間学』の電子版として発行されました。ブログ筆者は現在も活動中の人間学研究所を作り、またその中から2002年に総合人間学研究会が作られ、それは発展的に解消し、2006年5月27日に総合人間学会となりました。この当時ブログ筆者はいろいろな学会等に参加していました。しかしある時を境に人間学研究所の活動を除きすべての学会より退会しました。

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ある時、総合人間学研究会のオンラインジャーナル『総合人間学研究』の15号(2021年版) が目にとまりました。総合人間学会では毎年学会誌「総合人間学」発行していました。10巻まで発行し。11巻からはハーベスト社で発行しています。12巻までは総合人間学会に参加していたので保管してあります。

2018年11月に総合人間学会をやめることとし事務局に申し出しました。2019年2月14日に事務局から退会を了承したとの連絡が来ました。

 

「総合人間学会」のオンラインジャーナル15号の尾関修二氏の文章に、に私のことが書いてあったので、転記するとともに、一部誤りがあったので修正させていただきます。

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目   次

報告 : 設立経緯

 

     総合人間学会設立の背景と発展

The Background and Revelopment of the Jyapan association  of 

    Synthetic Anthropology

                                                          尾関 周二(OZEKI Shuji)

 

はじめに

 この論考は、研究談話委員会主催による総合人間学研究会(2018年12月15日

於:明治大学)において、当日にはパワーポイントで行った報告を、研究談話委員会の古沢広祐

委員長の要請で文書化したものである。文章化に伴う若干の加筆修正はあるが、大きな変更はない。

前半は、総合人間学会の設立に至る過程や時代背景を述べて、それを踏まえて「設立趣意書」が

執筆された経緯を明らかにする。~

 

1,学会設立へ向けての流れ

 学会設立に至る経緯を簡単に触れておこう。

(1)「人間学研究所の時代」

 かなり以前から小原秀雄さん、柴田義松さんなどが中心となって設立した「人間学研究所」

という形で、佐竹幸一さんの小さなビルの1室で定期的な研究会や講演会が行われてきた。

山手線の新大久保駅から歩いて5分ほどの好立地のビルであった。これへの私の参加は途中

からであったので、いつ始まったのか知らない。佐竹さんは、実業家であったが、人間学に

関心を持ち、自らの人間学を「実用人間学」と呼んで、その部屋には所狭しと人間学関係の

本が集めてあった。

 

 

(2)「総合人間学研究会」の時代(2002年から2006年)

  小原さんと小林さんがお互いの問題意識に共感し、人間学研究所を基礎にしながらそれとは別に

、「総合人間学研究会」を設立した。小林、小原、柴田さんが代表幹事で、それに事務面で岩田

好宏さんが中心となって、堀尾輝久さんや私などが幹事として参加して定例の研究会が主に講演会

方式で開催された。小林さんや小原さんの知人・友人を中心に多くの方々に講演を依頼した。私の

記憶に良く残っているのは、精神分析学で著名な木村敏さんの講演であった。京都から招待して

交通費を払うだけの感じだったので、演者も少々驚かれたようであったが、小林直樹さんの顔に

免じてご理解いただいた。

  この研究会はおよそ20回開催され、そのうち、7回はシンポジウムで、後の13回は例会であった。

その成果として小林、小原、柴田編著の『シリーズ 総合人間学』3巻本が発刊された。この発刊

に関しては、小林さんが大変熱心で、私も頼まれて、第1巻と第2巻に合わせて論文二本書いた。

 こういった用意周到な準備を経て、総合人間学会の成立〈2006年5月27日〉に至ることに

なるが、それに先立つ最後の研究会は第19回研究会(第7回シンポジウム)として開催されたので、

その内容を少し紹介しておこう。シンポジウムのタイトルと演者は、当時の研究会の中心メンバー

の5人で。以下のようである。

 「21世紀、総合人間学は何をめざすのか――人間の危機、人類の危機に際し、3年の研究を経て、

私たちの『知』の課題を提出する」

 1、小原秀雄  「現代環境の危機と人間」

 2、柴田義松  「子どもと教育の危機と人間学」

 3,長野敬   「バイオエシックスの問題」

 4,尾関修二  「人間性の基礎としての〈自然さ〉」

 5,小林直樹  「総合人間学の課題」

 

2、学会設立への情熱

 この学会の設立には、小林先生と小原先生の意気投合によって生まれた年齢を超えた若々

しいお二人の学問的情熱が大きな動因だったと思う。実際、小林直樹〈1921~2020)は

学会設立時85歳であり、小原秀雄〈1927年~)で設立時79歳だったことからも理解される

ように、いわば「後期高齢者」の年齢からこの学会設立の事業に取り掛かった。このことは

驚くべきと言わざるを得ないだろう。

  小林先生は、著名な憲法学者で、一貫して平和憲法を擁護する論陣をはった。小林先生に

よれば、若いころの哲学・人間学関心が小原先生との出会いによって再燃したということで

あった。これは、小原先生が動物学者であっただけでなく、社会的問題にも深い関心をもっ

ておられ,人文社会科学と生物学の統合への関心があったことと関係しているであろう。

いかにお二人の特徴について私が感じたところを箇条書きに記しておきたい

 

以下 略

 

ブログ筆者 佐竹幸一の追加修正文

 

◎ 人間学研究所時代に筆者の名前が出てくる。

「佐竹幸一さんの小さなビルの1室で定期的な講演会や研究会が行われてきた。新大久保駅から5分の好立地のビルであった。私の参加は途中からであったので、いつ始まったのか知らない。佐竹さんは実業家であったが、人間学に関心を持ち、自らの人間学を「実用人間学」と呼んで、その部屋には所狭しと人間学関係の本が集めてあった。」

 

参考「人間学研究所年誌2000」に人間学研究会及び学会等の概略が書かれています。人間学研究所は

1、生懇の分科会としての人間学研究会、1963年から

2、第1次人間学研究会、1965年4月16日から。東京教育大学動物学専攻学生控室

  佐竹の大学卒業後株式会社サタケの1室で開催

3、第2次人間学研究会 1985年5月から、同上

4、第3次人間学研究会、および人間学研究所準備室(第2サタケビル2階に専用事務所)、1991年4月より、(8年間)

5,人間学研究所の成立、1999年4月1日より2021年7月現在に至る

      佐竹ビル3階に事務所移転 その後現在は佐竹の自宅で 例会はマンション集会室  現在22年間)ア。

6,総合人間学研究会の設立 事務所は第2佐竹ビル2階  2002年から2006年 4年間

7,総合人間学会の設立  2006年5月から はじめ第2佐竹ビル2階 その後明治大学等へ 

 

◎尾関氏は「私の人間学を実用人間学と呼んで、その部屋には所狭しと本が集めてあった」と書いています。

正式には実用人間学と言います。第2サタケビルには12000冊の本を集めていました。事務所が佐竹ビル3階に移ったとき狭くなり2000冊を処分しました。現在自宅マンションに2500冊に絞り置いてあります。

◎学会成立への情熱ー学会はあたかも、小林直樹氏と小原秀雄氏の情熱で作られたように書いておりますが、柴田氏と人間学研究所の方々の役割を過小評価してはなりません。岩田氏は初代事務局長であり、宮坂琇子氏も有力役員です。森岡修一氏も役員になっております。

◎総合人間学会の前身の総合人間学研究会の事務局長は岩田好宏氏が事務局長であるように書いてありますが、総合人間学研究会までは、佐竹幸一が事務局長です。総合人間学研究会時代の事務資料はすべて私が保管しております。総合人間学会となったときに事務局長は岩田氏で私は事務局次長でした。しかしいろいろとトラブルがあり事務局長次長をやめました。また、しばらく後で、総合人間学会で発表をし、そのあと監事に選出されましたが、単に名誉職というのでなく学会の役員会に出席させていただけるということで監事を引き受けました。しかし1度も役員会には呼ばれず、最後に会計監査だけをして終了しました。これでは意味がないので1期でやめさせてもらいました。

◎学文社から発行された、シリーズ「総合人間学」は1巻を小林直樹氏、2巻を小原秀雄氏が、3巻を柴田義松氏が編集することになっていました。ブログ筆者の佐竹幸一は1巻に「人間学の概要」、3巻に「資料2 人間学と人間科学の現状」を書いて、それぞれの編集者のところへ送付してありました。1巻についての文章は岩波書店に勤務され、編集を手伝っていただいた後藤さんには高く評価していただきました。そして、学文社な刊行予定の印刷物にも載っていました。ところが一こうに最終の校正の印刷物が送られてきません。1巻の編集者の小林直樹氏によれば身内のご不幸などがあり、校正が間に合わなかったというのです。実は小林氏はマックス・シェーラーなどの哲学的人間学を批判的に書いてるブログ筆者の文章が気に入らなかったようです。それは後で知りました。そして結局柴田氏担当の3巻の部分だけが掲載させてもらいました。

◎「人間学の概要」人間学研究所年誌2000 佐竹幸一 p50から

1、人間学とは何か

2、カントの人間学

3、実存主義的人間学・哲学的人間学

  1928年のドイツのシェーラーやプレスナー等である。注3

4、カレル

5、人間科学

6、唯物論と人間学

7、日本における人間学

  戸坂 潤や山本宣治らの哲学的人間学などの批判

8、経営人間学

以上について簡単に述べました。哲学的人間学に対して批判的です。小林氏のマックス・シェーラーらの人間学に依拠する立場からは佐竹の哲学的人間学への批判的立場は容認しがたいでしょう。よく小林氏は小林氏の本を読めばわかるだろうにと、佐竹の勉強不足と言っていました。

 そのあたりの顛末については、「人間学研究所通信 第33号(Humanology33  2007年3月発行)にブログ筆者の「総合人間学会、事務局次長の退任について」という記事を書きました。この記事をめぐってはまたトラブルがあったのですがそれは省略させていただきます。

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参考 人間学研究所の歴史などについて、筆者が人間学研究所年誌に書いた内容

「人間学研究所年誌」に書かれたものに限定しました。そのほかに「人間学ニュース」などにも書いています。

 

人間学の概要    人間学研究所年誌2000 1号 2000年12月1日

人間学を取り巻く状況      年誌2002 2号 2002年11月30日

人間学ノート          年誌2006 4号 2007年6月30日

人間学研究会のあゆみ(1)   年誌2007 5号 2008年5月31日 

人間学研究会のあゆみ(2)    年誌 2008 6号   2009年3月31日

人間学研究会,人間学研究所の歴史と実用的人間学  年誌2012 

                       10号  2013年3月31日

(2012年5月27日 総合人間学会第7回大会において、一般発表において、報告した資料に基づいている。

1,関連年表6ページ、2,実用的人間学とは何か、3,佐竹幸一が取り組んでいるテーマ、4、人間学研究所について、5、人間学研究所に保管されているもの、6,人間学の名の付く書名の本の変化、あとがき、注及び引用文献

柴田義松先生の思い出と人間学研究所のこれから 年誌2018 

                       16号 2019年3月10日

人間学研究所の今後について  年誌2019 17号 2020年3月10日

 

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