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2021年8月

2021年8月30日 (月)

里見 脩氏から『言論統制というビジネス』という本が送られてきました。一部を掲載いたしました。ぜひ本をお読みください。

里見 脩氏大妻女子大学研究所特別研究員 博士(東京大学 社会情報学)が書かれた、『言論統制というビジネス』という書物で、新聞社史から消された「戦争」、というのがサブタイトルとなっています。新潮社から「新潮選書」として出版されております。発行年は2021年8月25日。定価1500円(税別)です。

表の

帯封に

は「愛国」は儲かる!戦時体制でやけふとったメディア人たちの正体

言論統制に積極的に参加したメディア人たち

 

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裏表紙に権力とメディアの癒着」その原点は戦時統制にあり!

第2次大戦後、新聞社はこぞって言い始めた。軍部の圧力で筆を曲げざるを得なかった」とー。しかしそれは真実か?新聞の団体は、当局に迎合するだけの記者クラブを作り政府の統制組織に人を送り込んで、自由な報道を自ら制限した。「報道愛国」の名の下、「思想戦戦士」を自称しつつ、利益を追求したメディアの空白の歴史を検証する。

◎帯封の宣伝文句は学術論文としては刺激が強い表現と思われます。

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裏の帯封には

「言論統制に積極的に参加したメディア人たち」

内閣情報局」の総裁に収まった朝日・緒方竹虎

日中戦争」で大躍進した読売・正力松太郎

「陸軍の黒幕」と呼ばれた元毎日・城戸元亮

「地方紙大合併」を主導した同盟通信・古舘伊之助

 

著者紹介

 里見  脩   (大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員)

         前大妻女子大学教授

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里見 脩氏は「人間学研究所」の2013年から研究員でもあります。当時から人間学研究所の副所長であり、大妻女子大のグループ長であった森岡修一氏のご紹介で研究員になられました。「人間学研究所年誌2020」-NO18には「新聞と戦争-満州事変」というテーマで、投稿していただいております。

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「言論統制というビジネス」

 

プロローグ

                  戦争は新聞を肥らせる  政府、メディア、国民  メディアの矛盾を問い直す  

第1章           一万三四二八紙の新聞

                  新聞の分布 全国紙と地方紙の格差 通信社の存在 岩永裕吉の動機  古野伊之助の来歴 ナショナル・ニュース・エージェン

      シーの誕生 私心なき策士 二つの言論統制

第2章    変貌する報道メディア

                  非公式で誕生した情報委員会 変質した社論  肉弾と爆弾  「写真号外」というキラーコンテンツ  慰問で集めた購読者

       地方紙の軍部批判  新聞資本主義  満州国通信社の設立  解体の危機

第3章    国策通信社の誕生

       電通と陸軍  聯合と外務省  難航する統合交渉  陸軍の翻意と2・2・6事件 動き始めた内閣情報委員会  

       古野の人脈

第4章    実験場としての満州

       反日感情を抑えるために 関東軍と弘報協会の巧妙な仕掛け  言論統制の革新的見本  情報統制の最終形態

第5章    新聞参戦

       「こんな程度でよいのか」 「報道報国」 兵器を献納する新聞社  同盟が作った新聞社と通信情報局の社

第6章    映画の統合

       我国初の文化立法  「日本ニュース映画社」の設立  欠くべからずの武器としての映画

第7章    内閣情報局に埋め込まれた思惑

                   「死刑宣告の新聞」  内閣情報局の陣容  統制者となったメディア  陸軍の黒幕と呼ばれたメディア人  政経将校という

       実務家たち  革新官僚が描い「公益」  同盟への補助金吉積みの書類綴り  全国紙に包んだ名古屋の「国策順応」

       連盟が望んだ「好まし統制」  植え付けられた「統制の種」  古野の役割と思惑     

第8章    自主統制の対価

       吉積の書類綴り  全国紙に挑んだ名古屋の「国策順応」  連盟が望んだ「好ましい統制」  「植え付けられた統制の種」

       古野の役割と思惑 

第9章    新聞新体制の副産物

       明かされた新聞の実売数  販売競争の終焉  記者クラブの履歴  枠内に入った記者たち  思想戦戦士   

第10章    統制の深化       

       日本中の新聞を一つにする  純粋なる公的機関としての新聞  目標より先に狙いをつけて撃て  くせ者たちの争い

             入り乱れる思惑  緒方案の真意  4つの連動  削られた「統制」の文字  日本新聞会という「私設新聞省」  

       資本と経営の分離  発表を待つだけの記者  売り上げを伸ばした共販制 南方占領地での宣撫と指導  資料Ⅰ~Ⅱ 

第11章   一県一紙の完成

      現在の新聞社の由来  調整者古野の暗闘  

第12章    悪化する戦況の中で

       憲兵政治  東条首相との会談  緒方の情報局総裁就任   焼け太りの持ち分合同

第13章    巣鴨プリズン

       8月15日の光景  原爆報道の抵抗  同盟の解体  巣鴨の弁明  新団体に残された火種  古野と正力

エピローグ 

       生き続ける「言論統制」 「一県一紙」という特権  「軽減税率」と「記者クラブ」の問題  「新聞資本主義」の克服

言論統制関連年表

参考文献一覧

 

◎ここでは、プロローグとエピローグの一部を載せさせていただきました。

他の内容は後で追記させていただきます。

 

プロローグ

戦争は新聞を肥らせる、

 「言論統制」とは、どのような行為をいうのであろうか。その言葉からは言論弾圧、抑制ということが想起されるであろう。

1931年の満州事変から日中戦争、1945年の太平洋戦争終結までの15年間は総力戦の名の下に国力の全てを戦争遂行に直結する体制の構築がはかられ言論統制も「国策」つまり国家の基本的政策として実施された。~軍部を凶暴な加害者とし新聞(メディア)、国民を「被害者」とする読み解きである。新聞は特権を与えられ、自身を「思想戦士」として規定し進んで従軍しペンを執った。

「戦争は新聞を肥らせる」という言葉が存在するように、実際には新聞社は戦争を事業拡大の「ビジネスチャンス」ととらえたのである。~正力松太郎は新聞ほどもうかる事業は世の中に2つとない。戦争中といえども、公定価格でもうかったのは新聞だけであった。」という言葉も、印象深いものがある。

政府、メディア、国民

 では国民は、虚偽の報道に踊らされた被害者であるのだろうか。~新聞が軍部を怖がっているのはあるが、~営利新聞の怖いのは購買者の離反である。~国民と新聞は「愛国心」という言葉の下で双方が一体化し、戦争に参加した。戦争は嫌だというのは負け戦になってからで、国民は銃後で戦争を支えた参加者という実像である。

 戦後には軍部だけに責任の咎を負わせる史観が主流を占めた。端的に言えばメディアはこれに便乗したのである。

東京経済大学名誉教授有山輝雄は、戦時期のメディアと国家の検証について戦時期の情報空間の実証を深めると、操作の対象とされるメディア・民衆の必ずしも受動的でない姿である。~新しい関係性を見直さなければならない。

メディアの矛盾を問い直す

本書は「上からの統制と下からの参加という2つの契機が同時に作動し絡み合った」という視点で、戦時期に立案、実施された言論統制の形成過程を検証した。メディアと国家の関係について、実際はどうであったのか、その事実を提示することが本書の主眼である。

 検証に関しては 「同盟通信社」社長・古野伊之助という人物の軌跡を軸として用いた。全国の有力新聞で構成する公益法人と、内閣情報局から補助金を受ける「国策通信社」という2つの顔。

・・・

エピローグ

生き続ける「言論統制」

「暗黒時代」と言われる戦時期の、言論統制が形成される過程を検証してきた。それはメディア業界の興亡と、新聞の履歴を検証する作業ともいえる。

 メディアは圧迫に喘ぐ被害者という弱弱しいものではなく、「思想戦戦士」を自任して時代に対応しようとする力強い姿が浮かび上がってくる。

 戦時期の、自らの後ろ暗い勇気を持てないまま、軍部だけを「悪」とする大前提で、多くの事柄が論ぜられてきた。それによって描き出される時代の様は、実相とはいいがたいものとなる。

 統制という巨大な力によって、明治以来の日本の新聞事業の合理化が著しく促進された「改革」という側面があったことは間違いない。

「 一県一紙」という特権

 戦時期の言論統制によって経営基盤を整備したこと~特権享受の事実に対する言及はない。~圧迫だけを強調する。他の地方紙の社史の多くも同様である。

「軽減税率」と「記者クラブ」の問題

 新聞を消費税率の対象から外し、軽減税率の対象とするよう国を挙げて陳情し、要求通りとなったことは、業界主義の成果。

 「業界主義」「サラリーマン意識」のいずれも戦時期の言論統制の形成過程にルーツをたどることができる。

新聞資本主義」の克服

 本書では、事象の是非すなわち歴史的評価を下すのをできるだけ抑え、「何がどのように行われたのか」という事実の提示を心掛けた。

 戦時期のメディアは積極的に戦争に参加した。

 緒方竹虎は「新聞資本主義」とよんだ 進んで国歌と結び「もたれあう」関係を形成し~「新聞資本主義」に基づくもの、これが現在でも五輪報道やコロナ禍報道などで繰り返される。

 新渡戸稲造「バランス感覚」メディアと国家の間に 距離を置くことで初めて、その言葉は正当性を持つ。「もたれあう」ことをいさめた言葉。

 伊藤政徳は軍部と酒席を共にするという交歓が悪習をなし正視するに堪えないものがあった。~現在の様を見る時に遺憾ながら改めてこの単語を思わずにいられないことも確かである。

※  

市政会館という建物が東京日比谷のそばにある。同盟通信社のあとに共同、時事通信社が一時本社にした。本書で記載した多くが、この建物を舞台に行われている時事通信社の政治記者として勤務したためである。

欧米記者との交流を通じて、日本メディアの特性に特性に気付かされた。帰国後大学院等でメディア史研究に取り組んだ。この建物が研究の原点である。

◎本に付随して

 

愛国報道の構造-『言論統制というビジネス』に寄せてー里見 脩  という文章をいただきました。

 

 コロナ緊急事態宣言下の東京五輪が終了した。五輪開催に反対を主張した新聞、テレビのマス・メディアも、いざ開幕すると日本選手の活躍や史上最多のメダル獲得を大々的に報じ、読者、視聴者である国民も歓呼して応じた。自国の選手を応援するのは自然な感情で、それ自体は批判されるべきものではない。だがその報道ぶりや反応は戦時期の「愛国報道」及び勝利に湧く国民の様を想起させることも確かであるディア。

 国民世論形成にかかわるはメディアは、政治権力(政府)及び国民と密接な関fうるった係にあり、メディアを考える際には政府、国民との絡み合いが重要な要素となる。またメディアは国民世論形成に関わるという公的な側面を有する半面で、NHKという公共放送を除いて、営利追及を目的とした私企業という立場も有している。「なぜメディアは愛国報道をするのか」という問題を考えるには、メディアの構造も踏ましている。える必要もある。

「 戦争は、新聞肥らせる」と言われる。徴兵制で肉親が兵士として従軍し、また戦況の状況が日々の生活に直結するだけに戦争に関する、情報を得たいと思う国民が新聞をすすんで購読し、新聞は売れるのである。戦時期の日本では、テレビはなくラジオも日本放送協会だけという状態下、絶対的メディアである新聞を進んで購読した。一方の新聞も戦争をビッグチャンスとして販売攻勢を仕掛けた 。

 明治期に萬朝報(よろずちょうほう)という新聞を創刊し経営者として辣腕をふるった黒岩涙香は「新聞社経営の要諦は、平時においては反政府、戦時の時は新政府」という言葉を残している。満朝報は政府高官ら著名人のスキャンダルを売り物にし、政府に批判的な幸徳修水、内村鑑三、堺利彦を社員とするなど「反政府」の主張を掲げたが、日露戦争開戦と同時に「愛国報道」に転じ、これに怒った幸徳らは退社している。それは時の政府との関係や私企業としての儲けとの絡みを示すものだ。

 戦前期に全国紙と呼ばれたメジャーの新聞は、朝日、毎日、読売の三紙だ、その背景には友に政府との関係が存在する。日本の 新聞の出発点は、反政府の自由民権運動で、戊辰戦争に敗れた幕府支持諸藩の武士が刀を筆に変えて、薩長藩閥政府を攻撃したとされる。これに対し政府は「御用新聞」の育成にも力を入れた。朝日は、秘かに政府から多額の補助金を受領している。これは東京経済大元教授有山輝雄が伊藤博文関連文書の「内閣機密金勘定書」から発掘した。補助金の受領は朝日が三井銀行か借金をし、その返金を政府が代理返済するという仕掛けがなされたという。また毎日は反政府系新聞として創刊したが、山縣有朋系の人脈が入り、政府と関係を結んだとされる。読売は坪内逍遥、尾崎紅葉らを社員とする文学新聞として創刊、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」は同紙に連載されている。しかし大正期に入り財政事情が悪化した。そうした同紙を内務官僚・警視庁刑務部長であった正力松太郎氏が買収し社長に就任した。正力は摂政襲撃事件の責任を問われ退官しており、資金は内相として仕えた後藤新平が援助した。後藤は政治力強化のため自身が意になる新聞という思惑があったといわれ、また同紙を内務省が支援したとされる。つまり、三紙ともに表向きは政治的「中立」を標榜したが、裏面では隠微な関係を結んでいたわけだ。また戦争との関わりでは、朝日、毎日は日清、日露戦争で、読売は日中戦争で、その経営基盤を形成している。

 地方では、一つの県に数十、百の地方紙が存在し、千九百三十八年(昭和13年)5月現在で、全国に総計一万三千四百二十八紙もの新聞がそんざいしている。地方紙は、自由民権運動の流れを引き継ぎ政友会、民政党と政党支持を明確にし、政党の支持者がイコール購読者として経営基盤となっていた。地方紙も政治権力と深く結びついていたのである。

 新聞業界では全国紙、地方紙が激しい販売競争を繰り広げた。資本力に勝る全国紙は新聞拡張を意図して、様々なイベントを企画実施した。その代表的なものに、朝日が発案した夏の甲子園球場での高校(当時は中等学校)野球、春の選抜高校野球は後追いした毎日が。これに対抗して読売はプロ野球を。また正月の箱根路の関東大学駅伝報知新聞が発案し,報知を合併した読売が現在主催している。こうしたイベント企画は戦時においても発揮されないはずもなく、読者に募金を呼び掛けて軍用機、高射砲、戦車など兵器を軍部に献納し,凱旋行進、ニュース映画上映など知恵を絞って「戦争協力事業」と称した愛国イベントを企画、実施した。拙著『言論統制というビジネス』はこうした戦時期の新聞メディアの動きを検証した。

 しかし、政府との関係強化や営利追及は、日本の新聞メディアだけではなく、アメリカの新聞メディアも同様だ。一八九八年のスペインとのキューバを舞台とした米西戦争開戦の際の、「モーニング・ジャーナル紙」のオーナー、ランドルフ・ハーストの電報は典型的事例だ。ハーストは映画「市民ケーン」のモデルで新聞王の異名をとった人物である。ハーストは戦争を新聞拡張の好機と捉え、開戦へ向けた愛国っキャンペーンを展開した。新聞に掲載する絵を描くための画家を現地に派遣したが、現地は戦争の気配がなく平穏で、画家は「全て静かだ戦争も起きないようだし、帰国したい」と電報を打ってきた。これにハーストは「君は留まり絵を描け。私は戦争を準備する」と返電した。この戦争に勝利したアメリカはスペイン領であったフィリピン、グアム、キューバを奪取している。

 米MIT名誉教授チョムスキーは、ニューヨーク・タイムズ紙など現代の米紙の戦争報道に関して「マスメディアは企業であり、その行動様式は、他業界の企業と変わることがなく、基本的には商品を生産し販売することで利益を得て、組織を存続させている。利益を得ることや、企業体として存続するということを優先させるため、政治権力や有力な社会層のためのプロパガンダを行い、共通の利害や、もたれあいの関係を結ぶ」(『マス・メディアの政治経済学』などと指摘している。

 つまり、新聞メディアは、基本的に企業という側面があり、愛国報道もそうした思惑の上で形成されているのである。これに対応するには「メディア・リテラシー(読解力)」を身に附け、メディアが伝える情報を読み解く能力を磨くことが求められる。

 

2021年8月25日 (水)

目白の切手博物館,「恐龍の特別展」。昼食は目白駅前の「あえん」で 電動車いすで行ってきました。

目白駅近くの「恐竜~切手で見る古生物図鑑~展」をやっていた切手博物館へ行ってみました。

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山手線の線路沿いにある、切手博物館のある道は何回も通りましたが、一度もはいったことはありませんでした。今日はちょっと覗いてみましたら「恐竜の特別展」をやっていましたので、入ってみることにしました。入場料は200円でした。入場者は私一人でした。

もう目白へは電動車いすで何度も行っているのですが、1人で行くのは2回目です。

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まず切手の歴史から

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メインの展示物 いろいろな 恐竜の切手が展示されています。

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1階の展示場遠景

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入場券

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入場した時にもらったパンフレット。展示案内NO101

「切手に描かれた恐竜世界」

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展示状況

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切手の博物館

 東京都目白1-4-23  03-5951-3331

 10時半から午後5時   入館1階から2階  3階特別展示室あり

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昼食は目白駅前のトラッド目白2階の和食のお店「あえん」へ行ってきました。

 

 新コロナ真っ盛りの時期、2階は5店中2店しか営業していませんでした。

何回か行っている和食の「あえん」さんに行くことにしました。

トラッド目白2F 03-6914-3880

 

名物竹籠 特製ご馳走ランチ 2000円+税 にしました。

アルコール類はお休みです。

1,サラダ

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2、メインの料理

 

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3,炊き込みご飯

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パンフレットから

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電動車いすで、1人で行きましたが、、橋がうまく使えず味噌汁をこぼしてしまいました。

 

あえん目白店 食べログ 3,34点  2019-4117

 伊勢丹会館店もあります。

2021年8月22日 (日)

2021年8月21日(日)、新コロナ急激な蔓延下の新大久保駅周辺の状況を見る 。人の出は前と同じくらい 午後さらに込みました。

  予報に反して午後も良い天気になったため、新大久保のお店の様子を見に行きました。

午後2時ころ再度訪問しました。さらに込んでいます。

山手線が南北を貫き真ん中に大久保通りが通っています。最近山手線に沿って高田のばばから新宿に至る新しい道「つつじ通り」ができました。

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人が集まって顔が詳しくわかってしまわないように人が少なめの時に写真を撮りました。

1,文化通り  新大久保駅前通りから北に山手線に沿った道 グローブ座があるのでこの名前が付きました。下図

すぐ近くに「山手メディカルセンター」があります。

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まっすぐ行くとグローブ座

一方通行の狭い道ですが10階近いビルが建っています。

 

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新宿八百屋 24時間営業です。安くお客さんは外国人のほうが多いのです。

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ナショナルマート

 開店したばかりのお店 ずっと昔は仙力という居酒屋でした。改装してきれいなお店に。

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レストランもやっています。

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文化通り 前は焼き鳥のお店でした。最近アリババというレストランに。

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この辺りお店が混在しています。ハラル・フード、ネパール料理、インドネシア料理のお店、日本のお店などいろいろ。この辺りに新宿八百屋があり、いつも混んでいます。

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イスラム横丁の中心のお店 ビルの上に小さいモスクがあります。

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NASCOレストラン

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後で通ったら混んでいました。店頭で焼き鳥を売っています、1本100で、中で食べると150円とか、

看板にインドのカレー料理、アラビア料理、トルコ料理と書いてあります。

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 今日は天気よくかなりお客がいました。

 

2,新大久保駅前周辺

新大久保駅舎

2階はスターバックス、3,4階はフードコートなど

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新大久保駅のガード周辺 大久保通りと最近できたつつじ通りが交差しています。

1階は花やさん、上は西武線の変電所

左右の道は つつじ通り

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新大久保駅周辺

  百人町2丁目側

駅の近くに住宅展示場があります(左側)。前はロッテの工場だったところです。

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展示場の中心の建物

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大久保通り 駅の近く

 道の向こうが新大久保駅 道路の右側が 百人町2丁目。

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新大久保駅前 大久保通りとつつじ通りの交差点

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盛好堂書店 このあたりで数少ない日本人経営のお店 筆者の戸山小同級生 2階はとんちゃん

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茶色のビルはここも少ない日本人の熱帯魚の円満やさん 

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百人町2丁目地区

 プラザ1,2,3のビル 真ん中のプ大きなラザ2は元114銀行と社員宿舎でした。

1階は韓国スーパーチョンガーネ、2階はコスメのスキンガーデン

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プラザ2の1階 スーパー チョンガーネ 隣りに一時。大流行したアリラン ハットグのお店

 

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大久保地区

韓国スーパーソウル市場 すぐ横からイケメン通り

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イケメン通り

   大久保通りから入口

 

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入ってすぐのところ

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占いのお店が何軒もあります。

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道の真ん中あたり 韓国料理とコスメのお店

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職安通り近く 右に工事中の高層ビルが 歌舞伎町 元ミラノ座のビル

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西大久保公園通り

イケメン通りの一つ手前の通り 韓国の人たちで勝手に名前を付けそうなので

慌てて付けたそうです。ここが百人町と大久保の境

1階 コサム 冷麺 2階 カンホドン チキン

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少し前までEGGコーヒーというベトナム人のコーヒーやさんがあったのですが。

行列していました。

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イケメン通りに面したドン・キホーテ すぐ職安通り

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大久保通り

上は9アワーズというカプセルホテルだった。今は名前が変わりました。

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山手線の外側

山手線に沿った郵便局通り。この道にはいろいろありますが特に大きな楽器店があるのが特徴。

他にソムオーとかクンメーとか言ったベトナム、タイ料理店などいろいろあります。

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新大久保駅から見た大久保通り

向こうは大久保駅

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 交番があります。今増築中 隣りが皆中神社

前が文化通り

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小さい2階建て、百人町交番 近くに増築中 隣りは皆中神社

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上 新しく開通したつつじ通り  向こうは歌舞伎町 高いビルは元のミラノ座

下 新大久保駅前大久保通りとつつじ通りの交差点

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2021年8月17日 (火)

最近の記事いろいろ、毎日新聞余禄、「日本の敗戦と日本のコロナ対策の失敗の共通性。 文春の衆院選予測  そのほかいろいろ

この数日間の新聞記事等を思いつくままに記録してみました。

毎日新聞 「余禄」

1921年8月15日(日)は終戦の日です。今日の毎日新聞の『余禄』には、日本人の「ひとりよがり」の世界認識が日本の敗戦をもたらし、今度の日本の対新コロナ対策の失敗とを下記のように対比しています。

「今度の戦争に敗れた1つの理由は主観的な観念性に走って、科学を媒介とした、客観性、世界性から遊離したことにあった」終戦から5日後の小紙に高坂正孝・京都大人文科学研究所の長文の談話が掲載された。

 カント研究で知られた哲学者の高坂は、日本人が抱いていた、自信、自尊心について「外に目をふさいで己を高しというような趣はなかったか」と疑問を示し、「ひとりよがり」な日本の自己認識、世界認識に敗因を求めた。

 ワクチン敗戦、コロナ敗戦といった言葉も使われる。有効なワクチンを開発できず、科学技術の遅れを露呈した。当初は有効に見えたクラスター対策中心の「日本モデル」もデルタ株の流行で水泡に帰し感染拡大が止まらない。

 文部科学省の研究所によると、影響力の大きな自然科学分野の学術論文の数で日本が過去最低の世界10位に後退した。中国が初めて米国を抜き世界1位になったことに今の国際情勢が表れている。

 76回目の終戦記念日。米中に追いつき追い越せという時代ではあるまい。ひとりよがりに陥らず、日本が置かれた現状を客観的に見つめなおすことが過去の失敗を今に生かす出発点ではないか。

 

週刊文春 衆院選全選挙区予測

週刊文春の8月12,19日夏の特大号には、開会式に「衝撃計画」天皇陛下が参加のOXクイズー開・閉会式全深層 がトップでした。そして衆院選289全選挙区予測が12ページ載っていました。

「自民過半数割れ、立憲伸び悩み、維新3倍増」と文春は予測しています。

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週刊文春党派別獲得議席予測

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自由民主党     現有議席 276   予測 230

公明党             29       30

ーーーーーーー

立憲民主党          109      125

日本共産党           12       18

日本維新の会          10       32

国民民主党            7       15

社会民主党            1        2

NHk党             1        0

令和新選組            0        5

無所属与党            7        4

無所属野党            9        4

計               461      465

 

8月29日付 「サンデー毎日」新聞広告

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8月16日付 世界の新コロナ感染者数

 インドでの感染者数がアメリカに迫ってきました。

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毎日新聞8月17日記事」

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国内の新コロナウイルスの感染者

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◎こんな中でいよいよ8月24日からパラリンピックもスタートします。いったいどうなるのか・

 

毎日新聞2021年8月18日 朝刊 1面トップ

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8月18日付 「週刊文春」の宣伝

  「菅9・6首相解任」がトップに コロナ爆発徹底解明

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週刊新潮の記事

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2021年8月13日 (金)

『生物哲学』沼田 眞著作集-第2巻ー岩田好宏編が出版されました。素晴らしい本です。

沼田 眞 著作集 第2巻『生物哲学-新しい研究領域開拓の軌跡』ー沼田 眞著作集編纂委員会 岩田好宏編が、人間学研究所所長の岩田好宏氏から、送られてきました。本の内容の概略を「こういちの人間学ブログ」で紹介してほしいということでした。そして本のご紹介を「こういちの人間学ブログ」でご紹介することを了承するとともに、人間学研究所の皆さんにも読んでいただければと思い,ブログが出来上がったら、研究所の発行されています。メール網でもお伝えしようと思いました。ただ、今体調が不良でいっぺんに記事が書けないので、少しづつ追記していく方式にさせていただきます。著作集第1作は2018年9月30日に発行されています。その概略は2018年9月30日発行の「沼田眞著作集」編纂の序に書かれています。第2作は岩田好宏氏により1941年から1949年までに発行された論文・著作を収めたものとして2021年1月1日に発行されました。概略は「生物哲学―新しい研究領域開拓の軌跡」序、に書かれています。

沼田 眞先生は1917年に生まれました。22歳のころは(1940年)東京高等師範学校を卒業し、東京文理科大学に入学したころで、研究は植物の集団の学の方法論の追求と、理論生物学の確立にあった。本書をよむことにより、若き生物学者新しい学問領域開拓の軌跡をたどるとともに、植物集団の学の方法論発見の過程を見ることになる。岩田好宏氏の序より

沼田先生は東京文理科大学生物学科卒業で、岩田先生も東京文理大から、変わった、東京教育大学の生物学科の卒業です。ちなみに初期の人間学研究所の創立のメンバー岩城正夫先生(現名誉会員)も東京教育大学出身です。また、このブログ筆者が在学当時の東京教育大学はちょうどノーベル賞の朝永振一郎氏が学長で大学は素晴らしい雰囲気でした。民主主義科学者協会(民科)の学生部会たる関東地方の生物科の学生の集まり、関東生物科学生懇談会(生懇)は東京教育大の学生が主導権を取っていました。生懇の責任者の任期は半年でした。同じ動物学専攻の近藤 晃君(科学方法論分科会責任者 東京都老人研究所員から大学教授)、そして私(人間学分科会責任者)、次はお茶大の大沢さん,その次は浅島誠氏(東京教育大動物学から東大大学院へ、ノーベル賞候補者ともいわれる著名な生物学者)が生懇代表でした。ブログ筆者は生懇の分科会として「人間学」を作り現在の「人間学研究所」に至っているのです。その後筑波移転反対闘争を経て反文部省・反政府的な東京教育大学はつぶされ、文部科学省べったりの筑波大学に変えられました。東京教育大学は廃校されていて学籍簿は移動していますが、東京教育大学と筑波大学は別物なのです。(改めて記入あり)

ブログ筆者のころは東京教育大学の生物学科は動物学科と植物学科に分かれていました。定員は動物科、植物科ともに16人でした。動物科と植物科との間の交流はあまりありませんでした。動物科所属していたブログ筆者は植物学に関してあまり詳しくありません。菅平と下田に実習所がありました。少し前に生態学の主任教授だった下泉重吉先生は退任しました。代わりに若手の三島次郎先生が講師としてこられました。

このブログにおいてはブログ筆者の考え方を述べるのではなく、この本の内容がどのようなものか知っていただいて、詳しく知りたい方は、本を購入していただくように書かせていただきたいと思いましす。。

文中において◎の部分はこの本に関しての岩田先生に教えていただいた部分や、ブログ筆者の個人的な見解を書いたものです。本の内容が多いためにはじめは少ししか書けず、後で少しづつ追記という形にさせていただきます。

岩田先生へのお詫び

◎この2021年7月から8月以上 昼夜逆転の生活が戻らず、ブログなどもまともに書けなくなっております。この状態ですともともとまとめてうまく書くのが下手なうえに注意力が散漫となっております。こういった状態でこの書の的確な評論は無理な状態でした。せっかく岩田先生の立派な本をけがしてしまい申し訳ありませんでした。

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1946年10月 千葉師範学校玄関前にて

右から2人目が沼田眞先生で、当時千葉師範学校の助教授をされていました。

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ーーーーーーーーーーーーーー

「生物哲学」の本の概要は以下の通りです。

『生物哲学-新しい領域開拓の軌跡』

 2021年(令和3年)3月30日 初版第1刷 発行

 沼田 眞著作集編纂委員会 岩田好宏

 発行所 (株)学報社

 価格  4200円

 本文  424ページ

 解説  岩田好宏  425~477ページ

 索引  480から485ページ  事項索引  486~502ページ

 編者紹介  岩田好宏  奥付

ーーーーーーーーーーーーー

 沼田 眞生誕100周年記念著作集 第1巻刊行

自然誌の窓から」

  沼田著作集編纂委員会 中村俊彦編

  刊行2019年4月10日 520ページ  4200円+税

ーーーーーーーーーーーーー

「生物哲学―新しい領域開拓の軌跡」

「沼田眞著作集」編纂の序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅲ

生物哲学―新しい研究領域開拓の歴史・・・・・・・・・・・・・・・Ⅴ

本巻の表記についての方針・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅶ

 

 

  、初歩期の生物学理論研究・・・・・・・・

 

1、生物学における「理論」の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

  「博物学雑誌」Vol,38 No701 博物学会1941年10月より

  1,1、緒論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

        私は年来、生物学における理論があまりにも貧弱で且つ酷い混乱状態にあることを憂え,之が打開をいかになすべきかについて悩んできた。この意味において所謂理論生物学の建設には非常なる関心と興味とを有するものであるが、現代生物学のこうした極端なる混乱状態は、いったい何に起因するのであろうか。石井友幸氏の言葉を借りれば、~生物学は膨大な事実の集積をし~1つの「生命の理論」にまで総合し、概括すべき必要に迫られているにもかかわらず、~誤った理論に陥っているのは、生物学が哲学に対して無関心であるがゆえに、研究の正しい認識論、方法論を持たないことによる。”正しい方法によってのみ正しい理論に到達しうるのである”(唯物論全書:『生物学』昭10)。~

  1,2,理論と実験の関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3  

  1,3 西田哲学の生命観 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 

  1,4 結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11

  関連著文1:P ヨルダン著 

     「理論生物学への道」訳文の前書き1941より・・・・・・・・・11

   <(岩田好宏氏による) 解説>

   ~このような沼田先生の問題意識について注目したいのは、ご自身が将来研究されようとする領域を、同じ領域の先行研究の成果を学び、批判する一方で視野を生物学全体に、さらには自然科学全体に目を向けられて構想されたことです。   

2、理論生物学への道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

 「科学ペン」6  科学ペン社 1941(懸賞当選論文)

  関連著文2:「自然美論」2題  東京文理科大学新聞 1941・・・21

3、書評 -今西錦司著「生物の世界」・・・・・・・・・・・・・・・・・27

    東京文理科大学新聞7月20日 1941

    この書は生物学概論(生物学通論ではない)の1論考をなし、したがって当然理論生物学あるいは自然哲学の見地から問題とされるべきであろう。

4、量子生物学の進展性とその将来・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

  関連著文3:書評  菅井準一著「科学史の諸断面ー

          力学及び電磁気学の形成史」・・・・・・・・・・・・37

    東京文理科大学新聞1月20日 1942年

  関連著文4:書評  下村寅太郎著「科学史の哲学」・・・・・・・・39

   「新若人」3,8 旺文社 1942(懸賞当選論文)

5, ゲーテの植物哲学-科学方法論的反省・・・・・・・・・・・・・・・・44

    東京文理科大学新聞 3月20日  1942年

6,生の原型・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

    東京文理科大学新聞  8月   1942年

7、生命論と区別されたる「理論生物学」・・・・・・・・・・・・・・・52

    東京文理科大学新聞   1942年

 

Ⅱ、基礎期の生物学理論・・・・・・・・・・・・・・57

関連著文5:ドブジャンスキー著 沼田 眞訳「遺伝学と種の起源」

      第5章 「生物の自然集団における変異」の まえがき・・・・・・57

      農業及び園芸21巻10号 養賢堂 1946年

 

 1,原型概念の系譜について―生物学思想史の一試論・・・・・・・・・58

     「医学と生物学」第9巻 医学生物学速報会 1946年

 1,1 生物学思想史の立場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58

 1,2 原型概念発展の序幕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58

 1,3 原型概念における転換点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・59 

 1,4 生活型概念の発展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60

 2、 科学と科学者の類型-生命論のことよせてー・・・・・・・・・・・62  

     「東京文理科大学新聞」 1946年

 3、生物学におけるゲーテの位置

      「科学」1947年 岩波書店・・・・・・・・・・・・・・・・・65

 4、生物学的基礎論のために―理論生物学序論・・・・・・・・・・・・・・69

      「科学思想」2 科学思想研究会1947

 5、生命論批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75

      「民主主義科学者協会編「自然科学」1947

 6、生命哲学試論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・88

     「日本科学哲学会編」「哲学と科学」1947

 7、生命学論-生の原型・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111

     「民主主義科学者協会編」 「自然科学」NO9 1947

 8、生物学論-生態論批判を中心としてー・・・・・・・・・・・・・・・119

     関連著文6:生物学を学ぶもののために―読書の栞り・・・・・・119

 

Ⅲ  完成期の生物学理論研究・・・・・・・・・・・・・・・121

 1、生物学論 ―現代生物学批判ー

        1948年、自東書店 刊行・・・・・・・・・・・・・・・121

 1.1生物学の構造-集団の生物学を中心としてー・・・・・・125

 1、2生物学の対象と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142

 1,3 生物学の存在的拘束性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・179

 1,4 理論生物学批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・190

 2)理論生物学批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・195

      1,   理論生物学と言われてきたもの、~有用なことではあるが、それらは生物学そのものの内容を構成するものではない。それらは科学としての生物学の基礎論であり、哲学であるといえる。生物学そのものではない。理論生物学と呼ばれたものは大部分「生物学の哲学」であったのである。生物学の一部と考えるのが問題。

  2

  3

  4

  5

 2、生物学の方法論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・209~228

               民主主義科学者協会編 「自然科学」  1948年  霞ケ関書房  1948

 

3、生物哲学概論(本邦初出)

 

コメント

    ◎岩田好宏氏から、この本とともに送られた手紙には、この「生物哲学概論」は、1949年初めに執筆され、編集事務担当者による使用活字などの指定がされ、印刷に回されるところで出版版元が倒産して刊行されず、長い期間にわたり書斎の奥深く眠っておりました。70年を超える年月ののち、本巻に収められ公のものとなりました」と書かれています。

  ◎またほかのメールで、岩田氏は「沼田氏についていろいろなことがわかりました。①、沼田さんが昭和17年の東京研究の論文文理大の学事報告によれば、沼田氏が東京文理大の卒業論文を3つ書かれていることがわかりました。1つは松の樹形について 2つは菅平の植生に関する調査、②つ目は最初の「生物学における『理論』の問題」です。 ③つ目は1949年に著述される「生物哲学概論」理論生物学についてです。

◎同じ大学の生物科に石井友幸氏がいる。石井友幸氏は帝大のほうへ進みましたが、沼田さんが学生のころ植物の助手をしていました。チミリャーゼフの「植物の生活」の翻訳をしたりして、理論生物学のリーダー的存在でした。」

◎沼田氏の原稿は草書体でなかなか判読するのが困難でした。とのことです。

 

3,生物哲学概論   〈本邦初出)p229

 

 緒言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・230

科学の哲学、いわゆる科学哲学の高唱されることは新しい傾向であるが、、その1例は物理学を媒介にしたカントの先験的観念論。歴史学を媒介にしたヘーゲルの客観的精神の形而上学、あるいは心理学ないしをベルグソンの純粋持続の形而上学に見ることができる。

3、1 生物哲学の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・232

  1)科学の哲学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・232

    哲学を持たない科学は真の化学ではない。

  2)生物学の哲学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・236

  3)生物学の存在拘束性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・240

3,2 生物学思想史の試論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・245

  1)科学思想史の方法論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・245

  2)生物学思想の源流・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・253

          科学思想史としての生物学史 古代 1、生命に対する驚異、2、トーテム崇拝、3,魔術、4、生活に置いての知識

    ギリシャ文化 アリストテレスとヒッポクラテス  中世 ゲルマン民族の破壊 イスラム文化に継承 十字軍 商工業の発達

    中世を終わらせるベーコンの思想 人間主義と自然科学の相互作用で近代精神の真の歴史が始まる ルネサンス時代 ヒューマニズム

    フランシス・ベーコン ニュートン力学、進化論 ヘーゲル  マルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論

  3).生物学における原型概念の系譜・・・・・・・・・・・・・・・269

           p284 原型概念の発展の図示

    アリストテレス

    デオフララストス -リンネ ー  ルソー  -ゲーテ  -フンボルト ーラウンキエー

        静的植物学              〈原植物〉  (相観型)  (生活型)   

                                            ーークレメンツ

                              動的生物学              (植物計)

  4)生の原型  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p286

    1  生物学における種

    2  黒松の判定におけるプロセスはゲシュタルト心理学の説くところかもしれない

    3  生物の多様性  分類が可能に

    4  似ていることとは何事であろうか

    5  生物種の純粋はせいぜい遺伝子的に言いうるのみであるが~

    6  生態における類型的な2,3を取り上げてきたが

    7  原型とは何を意味するのか

        原型の系譜こそ生成発展する声明の現実にほかならない

   (付)生物学史におけるゲーテの位置・・・・・・・・・・・・307

        ゲーテの生物学上の業績について、沼田氏は3つの論文に書いています。ゲーテの生物学上の業績は正しく評価されていない。ダーウィ 

   ンが種の起源の冒頭に、彼を進化論の先駆者として挙げていることには注意する必要があるであろう。  

   ◎ゲーテが生物学上の優れた実績を上げていることは全く知りませんでした。

3,3 生命論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・311

  1)生命論と生物学 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・311

  2)生気論と機械論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・312

  3)生物的なもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・316

  4)生命の弁証法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・318

  5)生命論の在り方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・321

3,4 生物学論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・324

  1)生物学の位置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・324

  ◎原図と異なります。ご容赦ください。

    形式科学(数学)

                       

 科学         

          自然科学(現象論的  発生論的  組織論的)

           実質科学

          精神科学(現象論的、発生論的、組織論的)

ーーーーー

自然科学  現象論的 (物理学・科学。生理学)  

      発生論的 (宇宙発達史、地質学・生物発生学)

      組織論的 (記述学的星学・地理学・鉱物学。生物系統学)

          

      現象論的(心理学・社会学)

精神科学  発生論的(歴史学)

      組織論的(系統的法理学・系統理論学)

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  2)生物学の構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・328

  3)集団の生物学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・330

3,5 理論生物学の形成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・336

  1)生物学における「理論」の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・336。

。建設には非常な関心と興味とを有するものであるが、現代生物学のこうした極端な混乱状態は一体何に起因するのであろうか。

  2)理論生物学への道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・344

  3〉量子生物学の問題性-方法論的考察ー・・・・・・・・・・・・・・351

   1から4

  1927年、モルガンの弟子マラーがショウジョウバエにX線を当てて人為的に突然変異体を作るに至った。人為的突然変異が可能になった。

      ドイツの理論物理学者ヨルダンの量子生物学(1939)の提唱。巨視生物学に対し微視物理学的なの関係がありうるのではないか。

 

3,6  生物学の方法論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・360

  1)生命の公理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・360

  2)生物学の対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・362

  3)生命の合目的性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・363

  4)生命現象の法則性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・365

  5)生物学の方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・367

 

あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・373

 

4、本邦における理論生物学の発展・・・・・・・・・・・・・・・・・・374

  民主主義科学者協会理論生物学研究部編(民科)「生物科学」

      1949 岩波書店

 昭和21年9月 民科理論生物学研究会(責任者 八杉龍一)が作られた

  丘 英通、八杉龍一、碓氷益雄、柳田為正、柴谷篤弘、石井友幸、高梨洋一、

  沼田眞など。

  さらに民科の京都支部に、仙台に永野為武のグループ これらが季刊誌

   「生物科学」を生むことに。

◎民主主義科学者協会(略して民科)はブログ筆者の東京教育大在学のころは、部会により衰えているものがありました。また当時民科の学生版がいくつもありました。都物集(物理)都数集(数学)生懇(生物学)などがありましたが、東京教育大の地学の午来正夫氏の地団研が最も活動が盛んでした。地団研は1957年、民科から脱退し現在もつづいています。

5、ゲーテの植物学-生物学史の1試論・・・・・・・・・・・・・・・388

  同上「生物科学」1949

 1,まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・388

 2,ゲーテ植物学のおいたちとその背景・・・・・・・・・・・・・・・390

 3,植物学上の業績とその評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・393

 4,方法論としての型の論理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・395

 5,進化論と後成説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・399

 6,生命観と世界観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・405 

 7,むすび・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・409

  引用文献

  関連著文7: 『生物学のゆくて』・・・・・・・・・・・・・・・・413

    千葉県長狭バイオロジー研究会編 「バイオロジー」No5   1951

6、理論生物学に対する私見・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・415

   民主主義科学者協会編「自然科学」霞が関書房1949

  関連著文8:沼田眞著 「最近の生物学の動向」・・・・・・・・・・417

     教育技術連盟編「教育技術」小学館 1954

 

沼田 眞先生の生物学史研究   

       岩田好宏・・・・・・・・・・・・・・421

 沼田眞先生は、実証的生物学の研究者としては異例と言えるほど生物学史研究に大きな力を注がれました。沼田先生にとって生物学史は、生物学を専門的に研究することになった学生時代から始まり、生涯を通じての研究領域でした。沼田先生の生物学史に関する論著は次のようなものです。

 p423  "科学史とは単に科学上の事実の継起的羅列ではない 、史的事実を、木に竹をつぐよう、本質的には不連続に繋ぎ合わせた結果は、決して科学の成立発展を明らかにしてくれない。科学史は科学の「歴史」であるよりも「科学」の歴史である。科学史の最大の目標は、科学の真の性格を明らかにし、現代の科学を理解せしめ、あるいは更に将来の科学への見通しを与えるところにある ,と。さらに”・・・科学史は、まず第一に科学思想史でなければならないと思う”とも述べられています。~先行研究を調べる言うのは一つの史的作業です。

 沼田先生の生物学史研究はむしろその広がりと深さに大きな特色があると考えます。

第2巻所集論著順番  表

1942年

2002年

◎参考  ブログ筆者より

1886年に東京高等師範学校設立

1929年に東京文理科大学設立される 小石川区

1949年に東京教育大学設立される

1969年 つくば移転反対闘争 機動隊導入

1973年10月 筑波大学開設される(新規学生募集)

1978年(昭和53年)3月末 東京教育大学閉鎖される

     最後の東京教育大学生卒業(重なる期間が4年半あります)

◎追記

  岩田先生は筑波大を東京教育大学の引き継ぎ校とされていました。もう全く別物と否定しなくてもいいとも思いました。先日筑波大を出た方が私のことを先輩と言っていました。後輩がいるのもいいものですね。

解 説 (岩田好宏)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・425

1、沼田 眞生物学理論研究の概要・・・・・・・・・・・・・・425

  1,1沼田生物学理論研究の世界

  1,2沼田生物学理論研究の後・・・・・・・・・・・・・・・426

表1 (p426) 沼田眞の生物学理論の世界

 N 植物集団学研究にかかわる理論研究

   Nー1 植物集団学研究のなかでの理論研究

     N1a  実際の調査研究の進め方に関する理論研究

     N1b 調査に必要な仮説の設定、調査結果によ

        る検証や研究結果の評価など結果を導く

         理論研究

   Nー2 植物集団学研究の方法開発に関する理論研究

     N2a 植物集団を形成している格個の生活様式に

        関する理論研究

     N2b 植物集団の構造を明らかにするための理

        論研究

   n純粋の理論(理論生物学研究)

   n-1 植物集団学研究の方法開発の基礎に関する理論研究

              n1a  ヨルダンの量子生物学、ドブジャンスキーの

        集団遺伝学に関する理論研究

              n2b  ゲーテの植物学に関する研究

   n-2 生物学純理論研究

              n2a  生物学一般の方法論に関する研究

             n2b  生物学の中の特定の分野(植物生態学)に

         関する研究

 

表1

 

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p427沼田眞の生物学理論研究の場合 3つの段階を経て発展している。

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2、沼田眞の植物生態学研究と理論研究との関係・・・・・・・・429

はじめに

  2-1 初歩期純粋理論研究と植物生態学研究

  2-2沼田先生の基礎期の理論研究

  2-3沼田先生の完成期の理論研究・・・・・・・・・・・・・・432

  1)3つの成果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・432

   完成期の生物学的理論研究は、1947年から始まった。

   ①『生物科学』に発表された「本邦における理論生物学

     の発展」

   ②1918年に公刊された『生物学論』と1949年に完了された

     『生物学概論』

   ③1972年の「生物学的原型観の系譜とゲーテの位置」の下

      が形成された。

  2)沼田先生の純粋理論研究の2著誕生の経緯・・・・・・・・・・433

    「生物学論」と「生物哲学概論」が、純理論研究の完成期

     の作品である

   (1)1946年 「世界哲学全書」の第1巻として「生物哲学」の執筆依頼

   (2)1947年 「生物哲学概論」執筆を再開

   (3)1948年 「生物学論」を刊行する

   (4)1949年 「生物哲学概論」出版社の倒産で刊行されず

  3)沼田眞著「生物学論」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・435

   生物学理論研究の成果  「柴谷書」の観光に対しての批判

  4)「生物哲学概論」は生物学理論研究書・・・・・・・・・・・・437

   戸坂書に従って世界観は人生論であるとみるならば、生物哲学にもう一つ人間は生物世界といかにかかわればよいか、という問いにこたえる使命がある。

   表ー2 沼田眞著 「生物哲学概論」の構成  p439

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3 沼田生物学理論研究の日本における1926年から

   1950年までの生物学理論研究のなかでの位置・・・・・・・・441

  3-1  日本における1926年から1950年までの生物学理論研究史

  3-2 戸坂 潤著「生物学論」・・・・・・・・・・・・・・・・446

            「戸坂書」、「丘書1」については、沼田先生は強く批判しながらも、その生物学論の重要な基礎としていた。戸坂はカント哲学から弁証法的唯物論に転換して間もなくで、「科学論」執筆の準備期であったと思われる。

  3-3 丘 英通の「生物学概論」と「機械論と生気論」・・・・・450

   ◎丘 英通は有名な進化論研究者丘浅次郎の息子である。丘浅次郎は明治元年生まれ、東京文理科大学などの教授になった。『進化論講和』などの多くの本を書いています。

     丘書1は、1931年2月に『岩波講座生物学』として書かれた「生物学概論」であり、同じ年の12月に「機械論と生命論」(丘書2)を書いた。沼田先生はその両書を批判した。

  「戸坂書1」生物学論の枝葉をそぎ落として純粋に哲学的に核心となる課題のみ検討したのに対して、丘には生物学研究のそれまでの成果を取り入れて包括的、体系的に生物学を論じようという問題意識を感じる。p452

  丘書2 「機械論と生命論」全体論が表れてきて、新実在論の立場に立って新たな生命論を論じようとする。全体論を支持する立場。

  「理論生物学」は実証的研究の助成・支援の位置にある。実証性をという生物学の立場から生物学の独立した部分ではない。したがって理論生物学という名前は適当ではない。「純理論研究」というべきである。p456

   4つの要件、1統一方法論は 個々の生物学の方法論を明らかにしながら、生物学の方法論を構築するしかない。丘書では下からの理論生物学と述べたが、これは「上向理論研究」ともいうべきものである。 2は方法上のことである。生物世界は物理化学的世界の法則性から逸脱して存在することはあり得ない。第3の方法上の問題、哲学との関係 各個生物学を全体の中でどう位置付けるかの問題 第4の要件 生物学と社会の相互関係の問題

    ◎ 丘英通先生はブログ筆者の1、2年の時の主任教授でした。 私たちは丘先生がそんなに偉い先生とも思っていませんでした。碓氷先生もこのころ助教授でした。

    京都大学の生物学から代議士となった、山本宣治は丘浅次郎の進化論的人間観を厳しく批判していました。

 

p469 理論生物学研究成立要件による評価

  戸坂書、丘2書、柴谷書、沼田2書、八杉書の比較

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  3-4 生物学の純理論研究(理論生物学)と生命論・・・・・・・454

      1) 理論とは

  2)生物学研究における理論についての1つの整理

   3)理論生物学の行き詰まり―生命論の混迷

  3-5 柴谷篤弘著「新訂理論生物学―動的平行論」について・・・460

  3-6 八杉龍一の「理論生物学」観       ・・・・・・・464

        八杉龍一の『生物学の方向』1948年刊(八杉書)は、沼田先生の『生物学論』と同じ年に発行された。八杉は父親がロシア語学者のためルイセンコ学説や生物学史の論文を多数発表している。八杉は民主主義科学者協会(民科)が設立された後、1946年に碓井益雄と柳田為正と3人で「理論生物学研究会」の設置にかかわった。その機関紙「生物科学」が岩波書店から1948年に創刊されたが、その名は八杉の提案だった。その初代編集代表は沼田先生であり中心であった。

 

  3-7 沼田生物学理論研究の当時における日本の生物学理論研で研究の中

     での位置              ・・・・・・・・・467

  1)生物学における純理論研究の要件

  2)各生物学理論書の、純粋理論研究の視点から見た特色。

  3)沼田眞の生物学理論研究の特徴

           沼田先生生物学理論研究は、同時代のほかの理論研究に比べ、純粋理論と実証的研究を同時併行的に進め、さらにその相互の連関が密であったことに見ることができる。丘英通も同様な方向。丘が2つの著書を執筆した当時もっとも関心を持ったのが実験発生学であった。~八杉龍一は実証的研究から進化論を中心とした生物学史へと研究領域を変えた。柴谷篤弘は沼田先生と同様純理論研究学生時代から始め、ともに実証研究と並行させたという点では共通している。しかし、実証的研究との関係を重視して理論的研究に取り組むことはなかった。柴谷篤弘の取り組み~。

 これに対して沼田先生は4つの理論研究と実際の実証的研究を進めていた。

   ①実際の実証的研究の中でそれと不可分の理論研究    

   ②実証的研究に必要な方法の開発の理論研究

   ③生物の集団の学としての生態学の純理論研究

   ④生物学一般の方法論追及の理論研究

   この1から4の4つを相互に密に関連させながら進めたとみることができる。

 第2のこととして、沼田先生の生物学理論研究が、ご自身の生物学研究の中でどのような位置にあったか、これも一言でいえば、植物集団の学の方法論追及手段の位置にあった。

  沼田先生の理論研究は、先に述べたように4つの領域でみられるが、それらは最終的には自身の生涯の前半をかけた植物生態学方法論の構築築とともに収束したとみることができる。、この第2巻の副題を”新しい研究領域開拓の軌跡”としたのはこのためである。こうした生物学理論研究は、他に例を見ない。

 

資料  沼田眞著作集年表(1941~1950)  ・・・・475~477

 

 

編者あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・478

    この第2巻の沼田先生の書かれた諸論文を、初めから順に読み進んでいきますとお分かりになると思いますが、前に書かれた論文の一部がのちの論文の中に見られ、それが核となって論が大きく展開されて発展してゆきます。量子生物学を提唱したパスクワル・ヨルダンの3つの論文の紹介が何回もあります。橋田邦彦の全体論的生気論や、生物を「直覚」するなどを含む全体論の批判の同じ文章が何回も出てきます。ゲーテを進化論者のさきがけと述べていたダーウインやヘッケルに対して、それは誤りであると指摘した文章もも出てきます。またフランスのクロード・ベルナールの機械論と生気論についての苦悩の中から生まれた考え方の紹介の文章も何回も出てきます。石井友幸の認識論の引用、早田文蔵の「動物分類学」に対する激しい批判から。

 この第2巻の編集方針については「はじめに」で簡単に述べましたが、沼田先生の生物学理論研究の軌跡をたどり、「生物哲学概論」でその全体像を読み取っていただきたいという願いから編みました。

編者者紹介

    岩田好宏(いわた よしひろ)

    1936年2月 東京生まれ

    1958年3月 東京教育大学理学部(動物学専攻)卒業

    1958年~1996年 千葉県公立高校教諭

    1984年~2008年 立教大学などで非常勤講師

 

現在の研究分野

  生物学習助成学、人間学、生物学基礎論

 

所属学会・団体

  千葉県生物学会会員、人間学研究所所長、総合人間学会理事、子どもと自然学会・野生生物保善論研究会顧問

編著書

  『野生生物保全事典』、(緑風出版)、『子どもと自然大事典』、(ルック)、『野生生物保全教育入門』(少年写真新聞社)など

 

ブログ筆者のコメント

◎戸坂潤はブログ筆者が最も尊敬する学者です。戸坂潤は弁証法的唯物論の立場から哲学的人間学のマックス・シェーラーらをてきビしく批判していました。ブログ筆者も戸坂潤と同じ立場です。以前ブログ筆者が哲学的人間学を批判的に書いた論文を、シェーラーの立場に立つ哲学的人間学会の立場に立つ小林直樹氏とはうまくいかなかったのです。

◎民科の流れをくむ生懇(関東生物科学生懇談会)には八杉龍一氏や柳田為正氏などに、着ていただいた。生懇から人間学研究会が独立した後も例会に来ていただいたり連絡をしたりしていました。

◎同じ東京教育大学の生物科と言っても、動物学専攻と植物学専攻では交流がほとんどありませんでした。生懇でも植物学の人は私たちの世代ではあまり来ていませんでした。またさらに私は大学2年生ころから生物学・動物学というより幅広く人間学として勉強していましたから生物学に関してあまり詳しくありません。岩田先生の本に対して適切なコメントができなく、申し訳ありません。

◎岩田先生は人間学研究所設立当初(1999年)から参加していただいております。ほかの学会などで学会運営の基本に詳しく、人間学研究所の組織、『人間学研究所年誌』(現在第18巻)、『人間学研究所通信』No90(Humanology)に対して基本的な枠組みを作られました。人間学研究所の初代所長は柴田義松氏でしたが2代目は岩田好宏氏です。

  

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