里見 脩氏から『言論統制というビジネス』という本が送られてきました。一部を掲載いたしました。ぜひ本をお読みください。
里見 脩氏は大妻女子大学研究所特別研究員 博士(東京大学 社会情報学)が書かれた、『言論統制というビジネス』という書物で、新聞社史から消された「戦争」、というのがサブタイトルとなっています。新潮社から「新潮選書」として出版されております。発行年は2021年8月25日。定価1500円(税別)です。
表の
帯封に
は「愛国」は儲かる!戦時体制でやけふとったメディア人たちの正体
言論統制に積極的に参加したメディア人たち
裏表紙に権力とメディアの癒着」その原点は戦時統制にあり!
第2次大戦後、新聞社はこぞって言い始めた。軍部の圧力で筆を曲げざるを得なかった」とー。しかしそれは真実か?新聞の団体は、当局に迎合するだけの記者クラブを作り政府の統制組織に人を送り込んで、自由な報道を自ら制限した。「報道愛国」の名の下、「思想戦戦士」を自称しつつ、利益を追求したメディアの空白の歴史を検証する。
◎帯封の宣伝文句は学術論文としては刺激が強い表現と思われます。
裏の帯封には
「言論統制に積極的に参加したメディア人たち」
「内閣情報局」の総裁に収まった朝日・緒方竹虎
「日中戦争」で大躍進した読売・正力松太郎
「陸軍の黒幕」と呼ばれた元毎日・城戸元亮
「地方紙大合併」を主導した同盟通信・古舘伊之助
著者紹介
里見 脩 (大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員)
前大妻女子大学教授
里見 脩氏は「人間学研究所」の2013年から研究員でもあります。当時から人間学研究所の副所長であり、大妻女子大のグループ長であった森岡修一氏のご紹介で研究員になられました。「人間学研究所年誌2020」-NO18には「新聞と戦争-満州事変」というテーマで、投稿していただいております。
「言論統制というビジネス」
プロローグ
戦争は新聞を肥らせる 政府、メディア、国民 メディアの矛盾を問い直す
第1章 一万三四二八紙の新聞
新聞の分布 全国紙と地方紙の格差 通信社の存在 岩永裕吉の動機 古野伊之助の来歴 ナショナル・ニュース・エージェン
シーの誕生 私心なき策士 二つの言論統制
第2章 変貌する報道メディア
非公式で誕生した情報委員会 変質した社論 肉弾と爆弾 「写真号外」というキラーコンテンツ 慰問で集めた購読者
地方紙の軍部批判 新聞資本主義 満州国通信社の設立 解体の危機
第3章 国策通信社の誕生
電通と陸軍 聯合と外務省 難航する統合交渉 陸軍の翻意と2・2・6事件 動き始めた内閣情報委員会
古野の人脈
第4章 実験場としての満州
反日感情を抑えるために 関東軍と弘報協会の巧妙な仕掛け 言論統制の革新的見本 情報統制の最終形態
第5章 新聞参戦
「こんな程度でよいのか」 「報道報国」 兵器を献納する新聞社 同盟が作った新聞社と通信情報局の社
第6章 映画の統合
我国初の文化立法 「日本ニュース映画社」の設立 欠くべからずの武器としての映画
第7章 内閣情報局に埋め込まれた思惑
「死刑宣告の新聞」 内閣情報局の陣容 統制者となったメディア 陸軍の黒幕と呼ばれたメディア人 政経将校という
実務家たち 革新官僚が描い「公益」 同盟への補助金吉積みの書類綴り 全国紙に包んだ名古屋の「国策順応」
連盟が望んだ「好まし統制」 植え付けられた「統制の種」 古野の役割と思惑
第8章 自主統制の対価
吉積の書類綴り 全国紙に挑んだ名古屋の「国策順応」 連盟が望んだ「好ましい統制」 「植え付けられた統制の種」
古野の役割と思惑
第9章 新聞新体制の副産物
明かされた新聞の実売数 販売競争の終焉 記者クラブの履歴 枠内に入った記者たち 思想戦戦士
第10章 統制の深化
日本中の新聞を一つにする 純粋なる公的機関としての新聞 目標より先に狙いをつけて撃て くせ者たちの争い
入り乱れる思惑 緒方案の真意 4つの連動 削られた「統制」の文字 日本新聞会という「私設新聞省」
資本と経営の分離 発表を待つだけの記者 売り上げを伸ばした共販制 南方占領地での宣撫と指導 資料Ⅰ~Ⅱ
第11章 一県一紙の完成
現在の新聞社の由来 調整者古野の暗闘
第12章 悪化する戦況の中で
憲兵政治 東条首相との会談 緒方の情報局総裁就任 焼け太りの持ち分合同
第13章 巣鴨プリズン
8月15日の光景 原爆報道の抵抗 同盟の解体 巣鴨の弁明 新団体に残された火種 古野と正力
エピローグ
生き続ける「言論統制」 「一県一紙」という特権 「軽減税率」と「記者クラブ」の問題 「新聞資本主義」の克服
言論統制関連年表
参考文献一覧
◎ここでは、プロローグとエピローグの一部を載せさせていただきました。
他の内容は後で追記させていただきます。
プロローグ
戦争は新聞を肥らせる、
「言論統制」とは、どのような行為をいうのであろうか。その言葉からは言論弾圧、抑制ということが想起されるであろう。
1931年の満州事変から日中戦争、1945年の太平洋戦争終結までの15年間は総力戦の名の下に国力の全てを戦争遂行に直結する体制の構築がはかられ言論統制も「国策」つまり国家の基本的政策として実施された。~軍部を凶暴な加害者とし新聞(メディア)、国民を「被害者」とする読み解きである。新聞は特権を与えられ、自身を「思想戦士」として規定し進んで従軍しペンを執った。
「戦争は新聞を肥らせる」という言葉が存在するように、実際には新聞社は戦争を事業拡大の「ビジネスチャンス」ととらえたのである。~正力松太郎は新聞ほどもうかる事業は世の中に2つとない。戦争中といえども、公定価格でもうかったのは新聞だけであった。」という言葉も、印象深いものがある。
政府、メディア、国民
では国民は、虚偽の報道に踊らされた被害者であるのだろうか。~新聞が軍部を怖がっているのはあるが、~営利新聞の怖いのは購買者の離反である。~国民と新聞は「愛国心」という言葉の下で双方が一体化し、戦争に参加した。戦争は嫌だというのは負け戦になってからで、国民は銃後で戦争を支えた参加者という実像である。
戦後には軍部だけに責任の咎を負わせる史観が主流を占めた。端的に言えばメディアはこれに便乗したのである。
東京経済大学名誉教授有山輝雄は、戦時期のメディアと国家の検証について戦時期の情報空間の実証を深めると、操作の対象とされるメディア・民衆の必ずしも受動的でない姿である。~新しい関係性を見直さなければならない。
メディアの矛盾を問い直す
本書は「上からの統制と下からの参加という2つの契機が同時に作動し絡み合った」という視点で、戦時期に立案、実施された言論統制の形成過程を検証した。メディアと国家の関係について、実際はどうであったのか、その事実を提示することが本書の主眼である。
検証に関しては 「同盟通信社」社長・古野伊之助という人物の軌跡を軸として用いた。全国の有力新聞で構成する公益法人と、内閣情報局から補助金を受ける「国策通信社」という2つの顔。
・・・
エピローグ
生き続ける「言論統制」
「暗黒時代」と言われる戦時期の、言論統制が形成される過程を検証してきた。それはメディア業界の興亡と、新聞の履歴を検証する作業ともいえる。
メディアは圧迫に喘ぐ被害者という弱弱しいものではなく、「思想戦戦士」を自任して時代に対応しようとする力強い姿が浮かび上がってくる。
戦時期の、自らの後ろ暗い勇気を持てないまま、軍部だけを「悪」とする大前提で、多くの事柄が論ぜられてきた。それによって描き出される時代の様は、実相とはいいがたいものとなる。
統制という巨大な力によって、明治以来の日本の新聞事業の合理化が著しく促進された「改革」という側面があったことは間違いない。
「 一県一紙」という特権
戦時期の言論統制によって経営基盤を整備したこと~特権享受の事実に対する言及はない。~圧迫だけを強調する。他の地方紙の社史の多くも同様である。
「軽減税率」と「記者クラブ」の問題
新聞を消費税率の対象から外し、軽減税率の対象とするよう国を挙げて陳情し、要求通りとなったことは、業界主義の成果。
「業界主義」「サラリーマン意識」のいずれも戦時期の言論統制の形成過程にルーツをたどることができる。
「新聞資本主義」の克服
本書では、事象の是非すなわち歴史的評価を下すのをできるだけ抑え、「何がどのように行われたのか」という事実の提示を心掛けた。
戦時期のメディアは積極的に戦争に参加した。
緒方竹虎は「新聞資本主義」とよんだ 進んで国歌と結び「もたれあう」関係を形成し~「新聞資本主義」に基づくもの、これが現在でも五輪報道やコロナ禍報道などで繰り返される。
新渡戸稲造「バランス感覚」メディアと国家の間に 距離を置くことで初めて、その言葉は正当性を持つ。「もたれあう」ことをいさめた言葉。
伊藤政徳は軍部と酒席を共にするという交歓が悪習をなし正視するに堪えないものがあった。~現在の様を見る時に遺憾ながら改めてこの単語を思わずにいられないことも確かである。
※
市政会館という建物が東京日比谷のそばにある。同盟通信社のあとに共同、時事通信社が一時本社にした。本書で記載した多くが、この建物を舞台に行われている時事通信社の政治記者として勤務したためである。
欧米記者との交流を通じて、日本メディアの特性に特性に気付かされた。帰国後大学院等でメディア史研究に取り組んだ。この建物が研究の原点である。
◎本に付随して
愛国報道の構造-『言論統制というビジネス』に寄せてー里見 脩 という文章をいただきました。
コロナ緊急事態宣言下の東京五輪が終了した。五輪開催に反対を主張した新聞、テレビのマス・メディアも、いざ開幕すると日本選手の活躍や史上最多のメダル獲得を大々的に報じ、読者、視聴者である国民も歓呼して応じた。自国の選手を応援するのは自然な感情で、それ自体は批判されるべきものではない。だがその報道ぶりや反応は戦時期の「愛国報道」及び勝利に湧く国民の様を想起させることも確かであるディア。
国民世論形成にかかわるはメディアは、政治権力(政府)及び国民と密接な関fうるった係にあり、メディアを考える際には政府、国民との絡み合いが重要な要素となる。またメディアは国民世論形成に関わるという公的な側面を有する半面で、NHKという公共放送を除いて、営利追及を目的とした私企業という立場も有している。「なぜメディアは愛国報道をするのか」という問題を考えるには、メディアの構造も踏ましている。える必要もある。
「 戦争は、新聞肥らせる」と言われる。徴兵制で肉親が兵士として従軍し、また戦況の状況が日々の生活に直結するだけに戦争に関する、情報を得たいと思う国民が新聞をすすんで購読し、新聞は売れるのである。戦時期の日本では、テレビはなくラジオも日本放送協会だけという状態下、絶対的メディアである新聞を進んで購読した。一方の新聞も戦争をビッグチャンスとして販売攻勢を仕掛けた 。
明治期に萬朝報(よろずちょうほう)という新聞を創刊し経営者として辣腕をふるった黒岩涙香は「新聞社経営の要諦は、平時においては反政府、戦時の時は新政府」という言葉を残している。満朝報は政府高官ら著名人のスキャンダルを売り物にし、政府に批判的な幸徳修水、内村鑑三、堺利彦を社員とするなど「反政府」の主張を掲げたが、日露戦争開戦と同時に「愛国報道」に転じ、これに怒った幸徳らは退社している。それは時の政府との関係や私企業としての儲けとの絡みを示すものだ。
戦前期に全国紙と呼ばれたメジャーの新聞は、朝日、毎日、読売の三紙だ、その背景には友に政府との関係が存在する。日本の 新聞の出発点は、反政府の自由民権運動で、戊辰戦争に敗れた幕府支持諸藩の武士が刀を筆に変えて、薩長藩閥政府を攻撃したとされる。これに対し政府は「御用新聞」の育成にも力を入れた。朝日は、秘かに政府から多額の補助金を受領している。これは東京経済大元教授有山輝雄が伊藤博文関連文書の「内閣機密金勘定書」から発掘した。補助金の受領は朝日が三井銀行か借金をし、その返金を政府が代理返済するという仕掛けがなされたという。また毎日は反政府系新聞として創刊したが、山縣有朋系の人脈が入り、政府と関係を結んだとされる。読売は坪内逍遥、尾崎紅葉らを社員とする文学新聞として創刊、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」は同紙に連載されている。しかし大正期に入り財政事情が悪化した。そうした同紙を内務官僚・警視庁刑務部長であった正力松太郎氏が買収し社長に就任した。正力は摂政襲撃事件の責任を問われ退官しており、資金は内相として仕えた後藤新平が援助した。後藤は政治力強化のため自身が意になる新聞という思惑があったといわれ、また同紙を内務省が支援したとされる。つまり、三紙ともに表向きは政治的「中立」を標榜したが、裏面では隠微な関係を結んでいたわけだ。また戦争との関わりでは、朝日、毎日は日清、日露戦争で、読売は日中戦争で、その経営基盤を形成している。
地方では、一つの県に数十、百の地方紙が存在し、千九百三十八年(昭和13年)5月現在で、全国に総計一万三千四百二十八紙もの新聞がそんざいしている。地方紙は、自由民権運動の流れを引き継ぎ政友会、民政党と政党支持を明確にし、政党の支持者がイコール購読者として経営基盤となっていた。地方紙も政治権力と深く結びついていたのである。
新聞業界では全国紙、地方紙が激しい販売競争を繰り広げた。資本力に勝る全国紙は新聞拡張を意図して、様々なイベントを企画実施した。その代表的なものに、朝日が発案した夏の甲子園球場での高校(当時は中等学校)野球、春の選抜高校野球は後追いした毎日が。これに対抗して読売はプロ野球を。また正月の箱根路の関東大学駅伝報知新聞が発案し,報知を合併した読売が現在主催している。こうしたイベント企画は戦時においても発揮されないはずもなく、読者に募金を呼び掛けて軍用機、高射砲、戦車など兵器を軍部に献納し,凱旋行進、ニュース映画上映など知恵を絞って「戦争協力事業」と称した愛国イベントを企画、実施した。拙著『言論統制というビジネス』はこうした戦時期の新聞メディアの動きを検証した。
しかし、政府との関係強化や営利追及は、日本の新聞メディアだけではなく、アメリカの新聞メディアも同様だ。一八九八年のスペインとのキューバを舞台とした米西戦争開戦の際の、「モーニング・ジャーナル紙」のオーナー、ランドルフ・ハーストの電報は典型的事例だ。ハーストは映画「市民ケーン」のモデルで新聞王の異名をとった人物である。ハーストは戦争を新聞拡張の好機と捉え、開戦へ向けた愛国っキャンペーンを展開した。新聞に掲載する絵を描くための画家を現地に派遣したが、現地は戦争の気配がなく平穏で、画家は「全て静かだ戦争も起きないようだし、帰国したい」と電報を打ってきた。これにハーストは「君は留まり絵を描け。私は戦争を準備する」と返電した。この戦争に勝利したアメリカはスペイン領であったフィリピン、グアム、キューバを奪取している。
米MIT名誉教授チョムスキーは、ニューヨーク・タイムズ紙など現代の米紙の戦争報道に関して「マスメディアは企業であり、その行動様式は、他業界の企業と変わることがなく、基本的には商品を生産し販売することで利益を得て、組織を存続させている。利益を得ることや、企業体として存続するということを優先させるため、政治権力や有力な社会層のためのプロパガンダを行い、共通の利害や、もたれあいの関係を結ぶ」(『マス・メディアの政治経済学』などと指摘している。
つまり、新聞メディアは、基本的に企業という側面があり、愛国報道もそうした思惑の上で形成されているのである。これに対応するには「メディア・リテラシー(読解力)」を身に附け、メディアが伝える情報を読み解く能力を磨くことが求められる。
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