現代日本人のルーツ大陸からの3起源に 金沢大グループ発表 古墳人(東アジアからの渡来人)が多数を占める 他の説についても
従来は縄文人に弥生時代、弥生人が到来し混血して、日本人になったといわれてきたが,金沢大学を中心とするグループの研究により、日本人のルーツは縄文人、弥生人のほか、大陸から到来した古墳人も含めた3つのルーツがあると、発表されました。
金沢大学の覚張隆史助教(考古分子生物学)らは2021年9月17日付の「サイエンス、アドバンシズ」に論文を発表しました。
これに関する記事は各新聞、テレビ等で報道されました。
読売新聞オンライン 「日本人の遺伝情報の変化」9月18日
従来の、縄文時代人、弥生時代人の混血で日本人が成立したのではなく、古墳時代人も含めた3つのルーツで成り立っていると報告した。
古墳時代に東アジア系の人々が大量に入り日本人では最大のグループをなすという学説。
◎縄文人は南方由来の人々で、高床式住宅、鯨面(入れ墨)をした人々。当時の日本は温暖で青森の三内丸山古墳や礼文島の遺跡があるように日本の北方まで住んでいました。関東地方では海が関東の奥深く入り込んでいました(縄文海進)。人は当時、倭人と呼ばれ倭人は中国南部や、韓国にも住んでいました。朝鮮南部の人たちはやはり倭人と呼ばれていたのです。
弥生人は世界全体が寒冷化し中国北方(北東アジア)に住んでいたツングース系の人々(寒冷地適応をした満州族、女真族系の人たち)は南下していった。朝鮮では扶余国から高句麗が生じそこからさらに百済が生じた。南方の加羅(伽耶)国と日本の倭の国ぐには極めてルーツが近かった。当時の日本・弥生時代には小さな集落が分立していた。
◎弥生人には縄文系弥生人と弥生系弥生人とが存在した.弥生時代には東アジア人はいなかったのでしょうか。
従来の学説
KNB(北日本放送)ニュース
日本人の祖先 大陸からの3集団
小竹貝塚(富山県)など6遺跡の人骨をゲノム解析
県埋蔵文化財センターや金沢大学などの研究グループが米科学誌電子版に発表
人物は覚張助教
縄文、弥生、古墳時代の国内の6遺跡で出土した人骨をゲノム解析
従来の説
新しい学説 約1400年前に古墳人(東アジアからの渡来人)が多数到来し日本人での多数派を占める。
◎1400年前は朝鮮では高句麗、新羅,伽耶の時代である。この時代に古墳人(東アジアからの渡来人)がたくさん到来したのでしょうか。倭の5王(巨大古墳のころ)が中国南朝に朝貢したころですが。紀元前221年に即位した秦の始皇帝の時代に中国から渡来している徐福のように中国からは東アジアから継続して渡来してきているようにも感じます。日本の古墳は300年ごろに現れ600年ころに終末期を迎えました。
参考
◎ミトコンドリアDNAハプログループの分布図
「新版 日本人になった祖先たち」
篠田謙一氏 NHKブックス 2019年3月20日 1300円+税より
DNAで系統をさぐる。母から子に伝わるミトコンドリアDNAと、男性に継承されるY染色体を構成するDNAなのです。
日本人の持つハプログループのそれぞれについて、どこで生まれ、どのような経路を通って日本に入ってきたかを現在利用できるデータをもとに見てゆくことにする。私たちの持つ16種類のDNAのルーツを明らかにする。
モンゴロイドのミトコンドリアDNA の主要なハプログループは、主として
1,東南アジアから中国南部にかけて分布するもの
2,大陸中央部からバイカル湖を中心とした北方アジアに分布するもの
3,アムール川の流域を中心にした沿海州に分布するもの
ハプログループD 東アジアの最大集団
アメリカ先住民がD1と2 アジアに住むグループ,D4グループ、D5,D6
D4、D5で日本で4割を占める 中国北部の漢民族中心の人々
D4グループ(東アジア最大集団)は東アジア東北部 日本では32,6%
日本にも最も占める比率が大きい。D4a 7,4% D4b 2,4% D4d 2,7% D4その他19,7%
D5は日本で4,8% 中国南部に多い
あらゆる時期にあらゆるところから入ってきた人々。(弥生時代に以後多数入ってきた。)
ハプログループB 第2のグループ(7人に一人、14,3%)が4万年前日本へ、
ハプログループBは 4万年前 中国南部で生じた。縄文人にも見つかっている
B4 9% B5 4,3%
環太平洋から アメリカ先住民にも広がる。
ハプログループM7 関西地方から中国にかけて 日本の基層集団を生む)
沖縄では4人に一人と多い
M7a 7,5% M7b 4,5%
(とN9b 3,5%ほぼ日本列島だけに存在)
ハプログループA(7%)北東アジアのマンモスハンター
バイカル湖から南下して日本にまで到達
(満州、朝鮮の扶余系ー高句麗、百済系か 日本の支配階級に)
ハプロGグループ(7%)カムチャッカと北東アジア
北方に特化する地域集団 朝鮮半島より日本へ
ハプロFグループ(5,3%)東南アジアの最大集団
ハプロN9a(4,6%) 中国南部由来、N9b(2,1%)
関東以北の縄文人に多い
ハプロYグループ アイヌの人に多い N9の側枝
ハプロM8a グループ 中原に分布 M8にM8aとCそして
zという3つのグループがある
ハプロCグループ 中央アジア平原 日本ではほとんど見当たらぬ
ハプロzグループ アジアとヨーロッパを結ぶ 徳川家治と生母がZ
M7a(7,5%)とN9b(2,1%)は日本独自のグループ
p98
p114
日本人の持つミトコンドリア DNAのハプログループ割合
p140
日本人の完成は古墳時代だった。 石倉氏 朝日新聞デジタル 9月18日
金沢市で発見された1500年前の古代人の骨の解析
従来の縄文人と弥生人の混血という説ではないことを明らかにした。
群馬県の渋川市の金井東裏遺跡で発掘された古墳人の骨の復元図
古墳人の顔の想像図
現代日本人の成り立ち
北東アジア人
バイカル湖から旧満州にかけて住んでいた人々
東アジア人
幅広く東アジアに住んでいた人たち
朝日新聞デジタル
従来は1991年に埴原和郎氏が提唱していた、縄文人と弥生人の2つがルーツであるという二重構造モデルが提唱されていた。
付記 邪馬台国の場所について
「日本古代史を科学する」PHP新書 という中田 力氏が書いた本がとても興味深いです。中田氏は自然科学者(脳科学)で自然科学の目で見た歴史について論じています。邪馬台国の位置は2説唱えられていますが、中田氏は宮崎であると主張されています。説明を読むとなるほどと思います。
Y染色体ハプログループを追いかけることにより父系の先祖をさかのぼることができる。
弥生、と呼ばれた時代は温帯ジャポニカを持った弥生人の渡来によるものである。その人々は上海地方から直接海を渡って日本の九州にわたっ人々なのである。
図19 Oハプロタイプ
アジアの基本的なY染色体ハプロタイプはOである。
図21 日本、中国、モンゴル、チベットの男性が持つY染色体ハプロタイプ
日本はO(水色)とD(草色)が最も多い。赤はCタイプ。紫はその他。
Oは上海あたりで枝分かれし他グループ 米作りの民となった。日本の弥生人を形成した人がO2で中国本土を離れている
越は百越と呼ばれた民族の国家 呉の滅亡そして海路で日本に逃れる。倭人はみづから 姫姓の呉の末裔と称していた。博多の奴国で光武帝から金印をもらう 。
秦の始皇帝の時、斉人の徐福に童・童女数千人を送って仙人を探させた。
卑弥呼(天照大神)の邪馬台国は魏王朝から金印を賜ること(天孫降臨)に成功し倭国の宗主国のとしての地位を固めることになる。やがて博多の奴国と結んだ邪馬台国は狗奴国を抑えることになる。
弥生と呼ばれる時代は、温帯ジャポニカを持った弥生人の渡来によってもたらされた。上海地方から直接海を渡って日本の九州に到達した人々なのである。紀元前473年。呉の滅亡。倭人は呉の末裔と称していた、秦の時代、徐福に率いられた若き貴族の一団が日本に来た・
漫画 ビックコミック・ オリジナルのなかの漫画「卑弥呼」も宮崎説にもとづいて書かれています。
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