2021年11月19日(金)人間学研究所の例会が再開されました 160回目は田中稲生氏 「歌の歌詞について」
2021(令和3)年11月19日(金)18時から、第160回人間学研究所の例会が再開されました。2020年2月例会以後、新コロナウイルスの蔓延により、ずっと休会が続き、この度、久しぶりに例会が再開されました。もともと、2020年4月例会でお話ししていただく予定でした。
当日は例会会場に8名の方が参加されました。久しぶりの再会です。
当日配布された6ページの資料
(汚い字でのブログ筆者のメモがあります。ご容赦ください)
ーよくいろいろ調べてあるので感心しました。
p1
1,「君が代」
もともとは君(天皇ではなく)が代ーではなく、わが君(私の夫)であった。平成11年、国歌となる
2,「荒城の月」土井晩翠
左半分 ひらかな 右半分 漢字
ひらがなではよくわからないところも 漢字にするとわかるが
3,「蛍の光」元はスコットランド民謡
ー意味がわからなかったり間違えて歌っている歌が多い
p2
4,「椰子の実」島崎藤村
5,「高原列車は行く」丘灯至男
p3
7,「天城越え」 吉岡 治
8、「くちなしの花」 水木 かおる
9、「みだれ髪」 星野哲郎
10.「恋のハレルヤ」 なかにし礼
11、「人形の家」なかにし 礼
p4
「最後のニュース」 井上陽水
「氷の世界」 井上陽水
「傘がない」 井上陽水
p5
「さらば青春」 小椋佳
「少しは私に愛をください」小椋佳
「シクラメンのかほり」 小椋佳
シクラメンは香りがない
「愛燦燦」小椋佳
歌 美空ひばり
(1)雨 潸潸と
(2)風 散散と
(3)愛 燦燦と
p6
「赤とんぼ」 三木露風
「とおりゃんせ」
「花いちもんめ]
◎お話の内容は録音させていただいております。佐竹保管。
◎以前、日経新聞朝刊の最後のページ「私の履歴書」欄で 小椋佳の連載記事があり、日経新聞を取っていたブログ筆者は,小椋佳が第一勧業銀行の1年先輩で同じ東大卒業の田中さんにいろいろ手伝ってもらって大変助かったという記事がありました。そのこともお話しいただきました。田中さんは銀行支店長から銀行の関連会社の役員などを務められました。
◎田中稲生さんとは戸山小学校、大久保中学と同窓で中学校ではクラスが一緒でした。クラス会は今でも続いています。大久保中学の同じクラスからから田中さんと私など4名が戸山高校に入りました。田中さんは1浪して東大へ、その当時、戸山高校では120名ほどが東大に入りました。私は1年目東大しか受けず、戸山の卒校生(卒業後も東大めざし戸山高校の先生が受験用の授業をしてくれます)に、なりました。しかし2年目は東大を受けず東京教育大に入りました。東京教育大学でしたら前年の試験問題をやってみて、現役で入れました。あとの2人は慶応大学です。しかしこの1年はしっかり勉強に専念しました。
田中さんは今まで何回も人間学研究会の例会の講師をしていただいております。相対性理論をもとの資料なしで、説明するなどブログ筆者ではできません。また漢字の1級検定に合格しましたが大変とるのが困難な資格です。
私は周りは優秀な人が多く、戸山高校では目立たない生徒でしたが、東京教育大では余裕が感じられ、積極的に活動しました。1年で関東生物科学生懇談会(生懇)に入り、3年で人間学分科会を組織-これが今の人間学研究所につながります。、4年で生懇の代表となりました。卒業後父の会社に入り後で社長にりなりました。
新しい人間学の研究のためには自分の研究よりも人間学確立の経済学的基盤づくりが大切と考えました。第2佐竹ビルを作ったときその2階を人間学研究所にしました。
◎田中さんから高級なクッキーなどのお菓子の詰め合わせをいただいてしまいました。皆にも配りましたがだいぶ残ったものは、うちでいただいてしまいました。ありがとうございます。
◎例会終了後一部の方は居酒屋へ。ブログ筆者は体調不良のため、参加せず帰らせてもらいました。
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