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2022年2月 7日 (月)

設立に携わった総合人間学会をやめるに至る顛末について書きました。 

 2006年11月1日に学文社から出版された、シリーズ総合人間学の3巻目「現代の教育危機と総合人間学」柴田義松編集〈2000円+税)の資料2 「人間学と人間科学の現状」をブログ筆者の佐竹幸一が書きました。本来は3巻には1巻に書いた文章の資料として書くということで、小林直樹氏編集の第1巻「総合人間学の試み」にも、基本の原稿を提出していました。学文社の編集者にもよくまとまっているとほめていただきました。しかし、第1巻編集責任者の小林直樹氏と第2巻編集責任者の小原秀雄氏とが相談し、ブログ筆者の原稿を掲載拒否としました。出版社の学文社の初めの宣伝文書の中に私の文章と名前が載っていたのですが、小林直樹氏の崇拝するマックス・シェーラーの哲学的人間学を佐竹が批判的に書いたのが気にいらなかったようです。小林氏の佐竹の文章を掲載できない理由を、まともに表明し批判することはできず、親類が急病で忙しく、私の文章を検討できず載せられなかったと言い訳しました。そのあたりの事情は当時、人間学研究所の副所長の岩田好宏氏はよく状況を知っていたので、私の立場を支持していただきました。

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 総合人間学会のなかには筆者のように唯物論系の立場の人と、小林直樹氏のようなシェーラーなどの哲学的人間学系の人が混在し、唯物論系の人が次第に学会を去っていきました。しかし会長は3代目会長の堀尾輝久氏と4代目会長である尾関周二氏は唯物論研究協会の元会長で、今でも年賀状のやり取りをしています。本来は3代目の会長には柴田義松氏が成るはずでしたが、小林氏と小原氏の話し合いで柴田氏を排除しました。柴田氏は学会をやめるといったそうですが、会費を払わなくてもいいからと遺留されたそうです。 学会の設立総会でも鎮目氏が総合人間学会が政治的な行動や批判を避けるという小林氏や小原氏の立場を批判しましたが結局、学会をやめていきました。ブログ筆者も総合人間学会の前身のその後もすぐれた人たちが総合人間学会のあり方に失望し次第にやめていきました。ずっと人間学研究所に参加してこられた岩城正夫氏もやはり総合人間学会で嫌なことがあり学会をやめたそうです。

 小林氏は東大法学部の教授です。権威を重んじる小原氏は、「東大の法学部教授だからねー」と何度か言っていました。総合人間学会では小原氏と小林氏が総合人間学会の主導権を握り、同じ創業者の柴田氏を排除していきました。柴田氏を支持する佐竹も排除されたのです。小林氏はブログ筆者の佐竹に対して、小林氏の本を読めばわかるはずなのに、なぜわからないのか、とい言ってました。もちろん小林氏の本も読ませてもらいました。しかし、法学は専門でもむしろ人間学のことは学生時代からやっている私のほうが詳しいと自負しています。それに唯物論支持の私と、マックス・シェーラーなどに心酔している小林氏とうまく合うはずがありません。

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 下の赤い本は戦前のシェーラーの本、[シェラ― 哲学的人間学」

  樺  俊雄、佐藤慶二 訳  1931年  理想社

上は著作集13「宇宙における人間の地位」など 白水社

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「現代ヨーロッパの人間学」金子晴勇  現代人間学の全体像を提示

 知泉書館 2010年発行 5000円+税

  非常によくまとまっている本です

 総合人間学会の前身の総合人間学研究会では、筆者の第2佐竹ビル2階を人間学研究所とともに、総合人間学研究会の場所としてきました。ブログ筆者は総合人間学研究会ではずっと事務局長を務めてきました。2006年5月明治大学で行われた、総合人間学会設立時には事務局長として会議を取り仕切りました。総合人間学会では筆者は運営委員、事務局次長で、事務局長は現人間学研究所所長の岩田好宏氏でした。しかし小林氏のしたことに納得せず、役員をやめました。

 筆者もその後、2012年5月に参加した総合人間学会総会で発表した内容を総合人間学会の学会誌に投稿したところ、それを2人の査読者から否定されました。例えば人間学と名前が付いた本の名前と年次ごとに、冊数を国立国会図書館で調べ、グラフ化し人間学には何度かブームがあると書きましたが、そんなことは聞いたこともないというのです。

 その2012年5月の総合人間学会第7回研究大会が日大で開催されたとき、最終時間に2つの分科会に分かれていたグループを1つにして大変多い参加者で行われました。この話の後、人間学研究所の年誌が10冊ほど売れ、2人の方が人間学研究所に入会しました。また佐竹も学会で発表した時に,監事に指名されました。私は監事になるのはいいが、単なる名誉職でなく理事会にも出席にさせてほしいと小原氏にいいましたが、結局1度も理事会にお呼びがありませんでした。それで、次の総会前に会計監査の監事の仕事を果たした後、総合人間学会をやめました。学会で発表した内容は「人間学研究所年誌2012」No10〈2013年3月31日発行に「人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」として掲載しました。

「こういちの人間学ブログ」2014年9月7日

 「総合人間学会の現状について 会長堀尾輝久氏に代わる 佐竹 監事退任の顛末」

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