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2022年5月

2022年5月24日 (火)

人間学研での本の出版の企画 109歳まで元気で長生きされた森岡数英氏のすごい人生、人間学研副所長森岡修一氏のお父さん

 人間学研究所で、「人間学研究所・実用的人間学研についてのご紹介」的な本を、100万円かけて自費出版したらどうでしょうか、的なお話をブログ筆者の佐竹が提案しました。人間学研は新コロナの影響で、2年以上活動が停滞していましたが、何とか、再び会を活性化するのによいと思ったわけです。2022年の3月の例会時に、最初の講師の地理学者の生田さんのお話の後に最初に佐竹が提案し、5月20日の人間学研の例会で佐竹がその構想を提案することになっていました。人間学研究所の所長の岩田好宏氏も賛同され、例会に参加されていた森岡修一人間学研究所副所長、杉山実用的人間学研究会副会長も賛同されていました。岐阜大助教授の白村氏も記事を書かせてくださいとのことでした。

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3ページの資料1枚目

ところが実際に人間学の5月20日の例会では、ブログ筆者と森岡氏しか集まりませんでした。3名の方がコロナに用心ということと、体調不良などで欠席の連絡が入っていましたが、参加者2人というのは、何十年にわたる長い人間学研究所例会でも初めてのことでした。それでも162回例会の資料に基づいて2人で1時間半ほど熱心な話し合いをしました。

佐竹の作った資料は「人間学研究所での本の出版について」で1ページ目は。「人間学研究所の略史」、2、『人間学研究所・実用的人間学研究会での本の出版の企画」で、佐竹の初期構想 岩田好宏氏のご意見、3、その他の状況です。4、だいぶ会員が減少していること 参考として現在の会員数を示しました。本の泉社の自費出版費用の目安も書きました。204ぺーで46版並み 1000部 100万からというところです。参考に「こういちの人間学ブログ」のアクセスランキングも載せました。会の終了後も予約していた居酒屋で話をつづけました。

 その結果もし本を出版するとしても、論文+エッセイというものではなく、初めからエッセイ的なものを中心的なものとすることにしたらどうかということになりました。四六番100ページくらいの範囲では内容的に分量的に無理があるのではないかとなりました。いずれにしても仕切り直しで皆さんの要望もあまりないのだと思いました。

 

 

森岡氏は参考としてご尊父が自費出版された本、数えの100歳になったぼけ老人 らくがきちょう』を見せていただいた。この本は平成7年7月25日の発行で,2000円 238ージの本で、数栄氏の書かれた筆書きとスケッチを主に書かれた立派な書物です。

他に『愛媛教育の今昔』という上甲 修氏の書かれた本、そして新聞の切り抜き資料を見せていただきました。

 

「95歳のぼけ老人がこれ以上ぼけたら大変と書き始めて数えの100歳になってようやく書き上げたらくがきちょう」とあります。

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[この歳95歳までどうして生きてこれたか」p9

1、自分の体について考えてみた

1、体は弱弱しかった、2、血圧が高かった 降圧剤を飲む、3、風邪をひきやすい、4、中年になって生きる気力がなくなった、息子に大学にいってくれー大学の教師になった。5,80を過ぎて足が踏み建てられなくなった。いろいろ試したが駄目、お灸が効き年を取ってから痛みが消えた、6、高齢になり肺炎を起こす

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小学校卒業後鉱山労働者となる 15年間を働きながら独学で教師を目指す

愛媛県師範学校に入学

教員生活31年(うち10年校長)

下記 p73 佐礼谷中学校統合に1人で反対して中学校がのこり、自分も若返ることができ

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80歳で第4期目の町会議員に返り咲き 建設委員となり次のいろいろな施設をしてもらった。

 

97歳で2大事業を思いつく 

1、村中公園 自分の土地を提供 2、村中上水道

町会議員4期  老人クラブ連合会長

昭和55年  紺綬褒章  勲5等端宝章 受賞

住んでみたい田舎はこの町村』第6位 中山町 愛媛県

 

p114愛媛新聞佐礼谷販売所 60歳の老人ができるかということと、

校長先生が新聞配達をしていらいという子供があれば、白い目で見る

人があるかもしれない (配達は)85歳まで25年間続ける

 ◎すごいとしか言いようがない。またこれが元気で長生きの秘訣

だったとも思われまます。

 

戦前はいろいろな投資などで失敗した。

p118 貯金のことについてひとこと

 友人のはんか(ハンコ)づき貯金がなくなり(10円貸して保証人となり)

 (不動)貯蓄銀行の倒産で失敗し

 株を買って(満鉄株)株券がホーグ〈反古)となり

 戦後、物価が10倍、20倍になった。貯金の価値が少なくなった。

 大東亜戦争で貯金どころか生きていくのがやっとのことであった

 そこで新聞配達をするようになった。

 月収3万円のうち、2万円を生活費にし。1万円を郵便局へ貯金

 25年間貯蓄 そのためたお金を地域の人のために使う

 ことにした

 ◎300万円-現在のお金で3000万から5000万くらいでしょうか

  すごいことです。

 

 

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p152 死を目前にひかえた97歳の老人が画期的な2大事業に思い付いた

村中公園 自分の土地を無償提供

村中上下水道 

◎このように積極的に物事に取りくんでこられたことが109歳まで生きる活力になったのだと思いました。

まだ79歳の私が具合が悪いとグダグダ言っているようではいけないと思いました。

 

「愛媛教育の今昔」 上甲 脩 文芸社 800円+税

    2016年6月15日

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「森岡數榮先生」

 独学で教師を目指した百九年の足跡

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p181ページから210ぺージまで森岡先生について

はじめに

森岡先生の少年時代

明治時代と石鎚登山

鉱山労働

青年補修夜学校

進学秦の芽生え

教員を目指すようになる参考書を松山の赤本屋で購入

検定試験を受ける

師範学校を目指して

師範学校の入試

師範学校の入学式

学校生活はすべて軍隊式

山路一遊校長の薫陶を受ける

教育実習そして卒業

教員生活31年の哀歓

反骨の人・気骨の人

 

森岡先生を偲んで

 

本の内容は詳しくは後で付け加えます。

 

◎愛媛県は昔から教育熱心であっ江戸時代の殿さまも何人も教育熱しとして名を知られている。

明治時代以後には優れた教育者や学者が輩出し、優れたたひとちが出ている。松山高校に赴任した夏目漱石、俳人の正岡子規など多数である。

ブログ筆者の妻の父は松山出身で両親ともに教師であり包丁を突き付けられて勉強したそうです。その後両親とともに東京に来たそうです。

妻の父は東大の首席で卒業したようです。その後電波研究所に入り副所長になっていたそうです。

 

愛媛新聞 平成7年8月10日

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数え年100歳の森岡さんの驚くべきお元気な姿

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2017年(平成29年)4月24日 月曜日 愛媛新聞の記事

 東京えひめ人 森岡修一氏の記事 他国理解交流が大切

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◎2022年5月8日の朝日俳壇・歌壇

佐々木 幸綱選 第1首

若き日に

 訪ねしキエフ

  いまいずこ

    キーウの映像

   追慕拒みて

         西東京市 森岡修一氏

 

 評 昔たずねたのはキエフ。現在、映像で見るキーウはまったく

過去とつながらない。

 

◎朝日の歌壇で第1首を取られるとはすごいことですね。

2022年5月15日 (日)

小原秀雄氏が94歳で逝去されました。私が学生時代に自宅を訪問したのが今の人間学研究所、総合人間学会の始まりです。

すでに小原秀雄氏が逝去されていたというのは、人間学研究所の所長、岩田氏から聞いておりました。2022年5月10日に5月7日付の娘さんの小原由美子氏から4月21日に小原秀雄氏が逝去されたと手紙が届きました。

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手紙の中の自画像

 すこし猫背のところ、少し腰が曲がっているとこなどはうまく特徴をとらえています。身長は180センチぐらいあったと思います。

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アフリカの野生動物たちの人形

 

 アフリカのタンザニアにはずっと前には毎年のように行っていて、タンザニアにはセスナ機をプレゼントしています。タンザ二アには毎年ファーストクラスで行っていました。ちなみに私はエコノミークラス以外のったことはありません。妻が以前行っていた絵のグループに元のタンザニア大使だった人がいて、小原氏のことはよく知っているとそういったです。

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2003年5月 総合人間学研究会の初夏のシンポジウムで発言される小原秀雄氏

総合人間学会になる前には、ブログ筆者が総合人間学研究会の事務局長でした。

このころはとても楽しい時期でした。

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『人間どう視るか 自己家畜化論』

 小原秀雄、岩城正夫氏

2022年5月14日の夜11時から「ヒューマニエンス 家畜それは遺伝子の共進化」という番組の再放送がありました。

その番組の中でこの本が紹介されていました。

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下記の資料 これは2012年6月に作った『人間学研究会のあゆみ』です。この文章は人間学研究所通信30号〈2006年5月)から37号〈2008年4月)に書いた『人間学研究会のあゆみ』を32ページのファイルにまとめたものです。

佐竹は自分の思想基盤を作るために多くの本を乱読しました。その結果、弁証法的唯物論に立脚することと自然科学と人文社会科学にまたがる人間学が必要であると確信しました。

1963年12月には佐竹は関東生物科学生懇談会〈生懇)の分科会として「人間学」を作りました。これは民科の生物学部会の流れをくむものでした。そして東京教育大の学生控室で例会を始めました。都立大、早稲田大学、御茶大、日本女子大などの学生が集まりました。

小原秀雄氏との出会いについては、小原氏の「動物版人間の条件」という本の終わりの方で、『人間学』の必要性について書かれていて、それを読んだ佐竹が、ぜひお会いしたいと小原氏に手紙を出し、1965年6月7日に小原氏の江古田の自宅を訪問した時から始まります。この時の情景については詳しく書きました。その時は話が弾み、夕飯までご馳走になりました。そして人間学研究会に入っていただき会長にもなっていただきました。この会はながくはつづきませんでしたが、1969年に教育学者の柴田義松氏が女子栄養大学に招聘され、さらに動物学の小原秀雄氏、原始技術史の岩城正夫氏とで,ユニークなグループができました。

1985年3月15日に第2次人間学研究会がスタートしました。この会は2年と少しで中止しました。

1991年第2サタケビルの建設とともにその2階を人間学研究所準備室としました。地下1階もあり小さいが、かなりお金をかけたビルでした。

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1999年4月 人間学研究所となる 小原氏は人間学研究所では名誉所長でした。

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2002年11月 総合人間学研究会ができる 場所は第2サタケビルです

2006年5月 「総合人間学会』が設立されました。はじめ事務局は第2サタケビルでしたが、後で明治大学に変わりました。

   小林氏は初代会長、小原氏は2代目の会長でした。3代目は柴田氏のはずでしたが3代目にはなりませんでした。

2006年発行の『シリーズ 総合人間学』が発行されました。

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  編集責任者は 1巻は小林直樹氏、2巻は小原秀雄氏、3巻は柴田義松氏でした、ブログ筆者は1巻には人間学概論的なものと3 巻には資 料集的なものを書きました。出版社の学文社の初めの宣伝文書には、私の論文がのっていました。ところが3巻の校正依頼が来ているのに1巻が来ません。出版社に尋ねたら小林氏の依頼で没にされたこと、小林氏に尋ねたら親戚の不幸があり、論文を校正できなかったというのです。小林氏の信奉する、マックス・シェーラーを批判的に書いたのが気に入らなかったようです。小原氏もボツにすることを承諾した次第です。事情を知る、その時の岩田先生も、私が理事。運営委員をやめるときに、仕方がないと言ってくれました。小原氏は日ごろから小林直樹氏をあの東大法学部長だからねと、1目おいていましたから、逆らえなかったのでしょう。それ以後わたしは総合人間学会にも行かなくなり、小原氏とも気まづくなりました。

 その後、依頼があり、2012年5月の第7回総合人間学会、研究大会に佐竹「人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」というテーマで発表しました。2つの分科会に分かれていましたが、私の時だけ全部の人たちが集まりました。その時に人間学研究所に数名が入り「人間学研究所年誌」も10冊全部売れました。その時私は学会の監事となったのですが、単なるお飾り監事でなく理事会にもだしてくれれば言ったのですが、その後一度もおよびもなく、最後にしっかり監査の仕事をして1期でやめました。またその後人間学会に「人間学ブーム」について書いて提出した論文も、査読で「人間学ブーム」なんて聞いたこともないと言って却下されました。人間学名の図書数は国立国会図書館で毎年調べて書いているのですが、それを見ればブームの時の図書数はおのずとわかります。なんだかんだで、その後総合人間学会もやめました。

その後

 小原秀雄氏とは女子栄養大学の卒業生と一緒に小原氏のお見舞いで行ったときにわだかまりは解けて、とてもよかったなと思いました。またお亡くなりになる直前まで年賀状のやり取りは続いていました。私も車いす生活で、お会いしにくかったのですが、1度はまたお会いしたかったです。

 小原秀雄氏のお父さんは雪の八甲田山の遭難事件の生き残りだと聞いております。はじめお父さんは100歳以上と聞いていて、私は、小原さんも100歳以上まで生きますよと以前言っていました。調べますとお父さんは小原忠三郎伍長で91歳まで生きていました。当時としては長生きです。お父さんの年は超えましたが、残念ながら100歳は超えませんでした。

 小原秀雄氏のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

2022年5月 6日 (金)

少年時代にみた、火の玉の推測  唯一の経験でした 最近 はっと気が付きました ロッテの工場の高電圧のせいかも

わたしは小学生5,6年生のころ、道端で火の球を見ました。電柱の下の方から上にかけて10数センチほどの小さな火の玉のようなものがふわふわと上がっていきふっと消えました。大久保通りから新大久保駅に近い、盛好堂書店から入った道です。その道は左側がロッテの工場がずっとつづき、突き当たりは戸山小学校です。時間は夕方で暗い時間帯でした。現在79歳の私にとっては何と67年前ほどということになります。そのようなものは生涯で一度きりで強い印象がありました。

下の地図で、山手線の新大久保駅と戸山小学校の位置がわかります。新大久保駅から2本目と3本目の道の間が、ロッテの工場でした。工場の両側の道からはかすかに甘い香りが漂ってきます。今は住宅展示場に変わっています。

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下図 これはさらに拡大した地図で、火の玉を見たのは、ちょうど住友林業ハウジングステージ新宿展示場というあたりです。少し左下に、ロッテと書いてありますが、以前は長い間大きなロッテの工場でした。戸山小学校にぶつかる道が小学校の通学路でした。大久保通りからの入口には盛好堂書店が今でも頑張ってお店をやっています。

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わたしは怪奇現象や超常現象というものを信じませんでした。ただ興味は持っていて、いろいろな超常現象に関する本などを買っていました。1991年に、ジャパンスケティクスという、超自然現象(超常現象)を科学的に考えるという学会に、それができた年に入りました。初代会長は壽岳氏で、2代目の会長は安斎育郎氏でした。安斎会長は東大の手品の会の会長だったそうで、学会の総会の後で手品の実演を見せてもらい、手品セットも買いました。それでわたしも何回か手品の実演をやってみせました。スプーン曲げはいろいろの方法いえませんnがあります。てこの原理を利用して曲げるもの、スプーンにやすりで細かい筋を入れておき、銀色のエナメル塗料で隙間を埋めておく方法など・・。手を使わないでモノを動かすには、ナイロンの靴下の繊維を使うこと。細い線は目には見えませんーなどなど。

超常現象を否定するのは大槻義彦氏が有名です。早稲田大学の理工学部教授でよくテレビに出ていました。最近はあまり見ません。いろいろな超能力を自称するもの、人を否定するのでテレビで有名です。

大槻氏は火の玉はプラズマであると電子レンジなどで火の玉を作って見せました。その反面、原子力発電を支持したり、時々おかしなことを言うので、私が、ジャパンスケプティクスという学会にいた時には、理事候補に反対票を投じました。

「ひのたま」でネットを検索すると、最初に「人魂」というのが出てきます。それから、隕石の大きなもの火球という説明があって、3番目にプラズマ説が出てきます。

 

いろいろな怪奇現象と火の玉

 

ごく最近、そういえば、私の見た火の玉のあり得る原因について気が付きました。

ロッテの工場です。ロッテの工場では高電圧の施設があるのではないか。もしそうすれば火の玉が発生する可能性があるのではないか。

 先に述べた早稲田大学の大槻教授はむかしよく超能力というものをいろいろと種明かしをしていました。もし本当に超能力というものがあるなら、早稲田の教授を辞職するという紙を持って歩いているそうです。大槻教授は火の玉の原因はプラズマで電子レンジの中でも人工的にできると学術的に証明しました。

 今になってどうもあの火の玉はそういう原因があったのかと気が付きました。

2022年5月 5日 (木)

西林克彦氏の本「知ってるつもり」について 「分からない」を見つけるために「きっちりわからなくなる」には?

2022年4月22日(金)の人間学研究所の久しぶりの例会で、例会終了後、副所長の森岡修一氏から、西林克彦氏氏の書かれた「知ってるつもり 「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方ーという本の紹介をブログで紹介するように依頼されました。

◎1昨年の初めから大腸がんの3回の手術、その後の不眠症やいろいろの病気になり、最近少しマシになってきましたが、脳出血の後遺症の右マヒで左手でパソコンをうつスピードがさらに、落ちてなかなか文章を書くのが進みません。ご容赦ください。

「はじめに」から

  光文社新書 2021年10月30日発行 820円+税

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「わからない」を見つけるために「きっちりわからなくなる」には? 

 ロングセラー「分かったつもり」刊行から16年、今最も求められる「問題発見力」を身に着けるための方法を解説

 

「はじめに」

 きっちりわからなくなることの重要性

 「知ってるつもり」

  大学生の会話 「講義で聞いたんだけど、ジャガイモは茎、サツマイモは根なんでしょう」、「そうそう」 と、それで終わってしまう

 それだけで充分知っているつもりなのです。それから派生する周辺の知識群があることを知らない。「知ってるつもりなのです」

 わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度わかってくることが必要なのです。

   研究や学習が進むのはわからないことがわかってくることです。

   わからない点自体がうまく見つけられないということが学習の途中や研究のスタートなどで実によく起こります。

 本書は研究や学習を進めるために、わからない点を見つけ出す、わからないところを出すつくりだす方法についてたのべたものです。

 

裏表紙 西林克彦氏の経歴とカバーです

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(オレンジ色のカバー部分です。この本の目指すところが書かれています。)

「問題解決学習」は、子どもたちが自分で問題を見つけてそれの解決を図るというものですから、子どもたちの学習意欲や活発な活動が保証されると見なされて、教育現場では多用されます。しかし、その領域に関する知識がかなりなければ、解決したい問題点など見つかるわけがありません。それに、こう考えたらどうだろうといった探索を導く仮説も、その領域の知識がかなりなければなりません。うまくいっていないのに、それでも「問題解決学習」をやらせて、「どうもうちの子どもたちは積極性がなくて・・・」なんていうのを聞くと、本末転倒だと思います。子どもたちの学習を見なければダメなのです。(本文より)

 

西林克彦氏の経歴です

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西林克彦氏は1944年生まれ、東京工大から東大の大学院に進まれた、教育学者で、宮城教育大学の教授になられた方です。2005年の『わかったつもり』(光文社新書)は15万部のベストセラーに。ブログ筆者と同世代の方です。

カバー裏

 

 

本の内容

 

目 次

はじめに

「きっちりわからなくなる」ことの重要性

  研究や学習が進むのはわからないことがわかってくるからです。~わからない点自体がうまく見つけられないということが、学習の途中や研究のスタートなどで実によく起こります。

「知ってるつもり」

 われわれが「知ってるつもり」でいることもいくらもあります。~学生の会話~じゃがいもは茎でさつまいもは根 そうそう~それで、十分に知っているつもりなのです。~「知ってるつもりの知識は、孤立した他と関連しない知識ですから、そこから派生したり関係する周辺の知識群が存在するとは思っていません。そして彼らは「知ってるつもり」でいます。それ以上のことはないと感じているので、その話は終わって次にジャンプするのです。「知ってるつもり」の知識は、孤立した他と関連しない知識ですから、そこから疑問や推測を生み出すこともなく、わからなくならないので「知ってるつもり」でいられるのです。よく知らないので疑問を生じることがないから「知ってるつもり」でいられるのです。

~わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度分かってくることが大切です。

「知識システムを整備する」

  知ってる知識のすぐそばでしか、きちんとした疑問や推測はできません。ですから、知識を使ってわからなくなる、わからなくするのです。

 

第1章「知ってるつもり」をなぜ問題にするのか

 第1節「知ってるつもり」 

  「知ってるつもり」これがわれわれが持ってる知識の大部分のありようです。

  われわれの知識は「知ってるつもり」であることが圧倒的に多く、日常の多くはそれで間に合っているというのは紛れもない事実です。

  しかし、社会が「知ってるつもり」程度の知識で動いているわけではありません

  飛行機雲

   飛行機の向き  飛行機雲  横風の関係

  なぜ「知ってるつもり」になりやすいか

  点検・処理の甘さ

  「知ってるつもり」への対処の難しさ

 第2節「私たちはこんなマズイ知識の中で育っている」

  教科書 

   日本の海岸線についての概略を述べたものから―たとえば空欄に記入させる問題を考えたとする

  知識の周辺

    テストで  出入りの少ない「砂浜海岸」(九十九里浜)そして  鳥取砂丘のように砂丘が発達しているところもありますや

    三陸海岸、志摩半島、若狭半島などの「リアス式海岸」と「鳥取砂丘」を記入させ 対比する、という問題がある 

           しかしこのような知識はマズイ知識である

  平野の海岸は砂浜

        「 砂浜海岸」に対するのは「リアス式海岸」でなく、「岩石海岸」です

  鳥取砂丘は特別か?

   日本に砂漠は存在しません 砂丘というものは、別に鳥取に限ったものではなく、

         むしろ砂浜海岸があれば、砂丘や砂丘もどきがありま   

  海岸線がわかると何がわかるか

   リアス式海岸と養殖の盛んさ

  当該文章への疑問

    教科書の記述 はじめなんの違和感がなかったのが 知った後では物足りなく

           感じるでしょう

  バラバラな事柄

    事実の羅列 適用できない知識 広がりを持たない知識 このような教科書が多い

 

 第3節「知識に関するいくつかの誤解」

   知識と知恵

   知識の質

   それしか知らないと「知ってるつもり」になりやすい

   考えたこともないという世界

 ◎消化器官は体の外ーという知識から  この文章を下記に取り上げてみます。

 (それしか知らないと「知ってるつもり」になりやすい)

第2章「共通性」と「個別特性」によるものごとのとらえ方

  魚みたいなクジラ

第3章 孤立した知識への対応

  第1節 繋がっていない知識

   根・茎・葉からできている

    本章では「知ってるつもり」の元凶ともいえる「孤立した知識」をどのようにすれば知識システムにできるのかについて考えま

    す。

    根、茎、葉からできている植物と 海藻の比較

    根、茎、葉を持っていることは陸上に上がって光とリ競争をした歴史を持つ植物の特徴なのです

第4章 知識システムと教育

 

第5章 知識システム構築に関する留意点

第1節 驚きからのスタート

飛行機雲 知ってるつもりの例としての  驚きは知識システム構築の端緒となり得るものである

バス停の屋根 上りと下りの違い

共通性と個別特性

盆地と流出河川

第2節 知識のフル活用が「わからない」に繋がる

日食・月食

なぜ日食、月食は毎月起こらないか

規則的に起きている

わからないこと

第3節単純化と不整合

他の要因を一定に保つ

日本海側と太平洋側

夏における日本海側と太平洋側

緯度の影響

南三陸海岸の不整合

日本海側の温度と降水

 

◎この本の中にはいろいろと興味深い話が、例として挙げておられますが、その一つとして第1章 第3節、54ページからの文章を、書き出してみます。

 

「消化器官は体の外」、というお話を例として挙げてみます。

 胃の内部や腸の内部は体の外側だというものです。口から消化器を通って肛門まで、ずっと管が通じているのはわかります。ですから、極端に単純化すれば、人間の身体は、真ん中がに穴が開いた円柱に手足が付いたようなものです。人間の消化器はドーナツにある穴のようなものです。ドーナツの穴がドーナツの内部とは言えないように、食物がとおっていく私たちの消化器は穴なのです。

 消化器が外側であるという知識を持っていれば、食物を口に入れると、それでもう体内に取り込んだとは思えなくなるでしょう。歯で咀嚼し, 胃でこなし、生物で習った憶えきれないほどの種類の消化液をだして、食物をなんとか腸壁から内部に取り込めるような形にしようとしているのだと考えることができるようになるでしょう。

 薬だって同様です。飲めばもう体内に取り込んでいると思いがちですが、、消化器内は体外なのですから,胃なり腸なりから吸収されなくてはなりません。だいたいにおいて薬の吸収は半分程度だと考えられているようです。

 毒だってそうです。飲んだだけで吸収されなければ害は及ぼさないはずです。吸収されてわれわれの正常な働きを阻害するので毒性を表すわけです。われわれの体と運用のメカニズムを阻害するので毒になるわけで、毒性があるから毒というわけではないでしょう。人には有毒でも別のある動物には無害なこともあり得るわけです。

 消化器官が体の外側だと知っていれば、食物や毒が吸収されていくメカニズムがどうなっているのかに興味を引かれるかもしれません。

 サプリメントの広告 その成分が腸からどのように吸収され、どのようなメカニズムで患部にまで運ばれるか気になってしまいます。

 

◎この文章はほんの1部分のご紹介です。非常に幅広い例題が紹介されています。興味のある方は是非お読みになってください

2022年5月 1日 (日)

人間学研究所の簡単な歴史 追記更新版 2022年6月段階での状況 4月21日 小原秀雄氏が死去されました。5月岩田氏が名誉所長になられました。

 

この記事は以前のものでしたが。2022年5月1日に大幅に変更して、更新しました。

「以前の記録については『人間学所通信第30号』(2006年5月発行)から第37号〈2008年4月)までをまとめた『人間学研究会のあゆみ』〈2012年改訂版 6月修正)A4判 32ページがあります。

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1、人間学研究所の経過と現状

2013年11月に旅行先の滋賀県で脳出血で倒れ、4か月ほど入院し、車いす生活となりました。佐竹ビルの5階の自宅と、3階の人間学研究所に、エレベーターがないため戻れず、副会長の岩田氏に人間学ニュースと例会のお知らせをやっていただき、事務局長の仕事を木村廣子先生と税理士で実用的人間学研究会の副会長の杉山靖夫氏にお願いしていました。筆者が人間学の例会に参加できなかったからです。

佐竹ビル3階に甥っ子の日高さんに住んでもらっていましたが、改めて印刷機などがある元の風呂場を直し、本格的に住んでもらうことになりました。残っている猫の面倒も見てもらいます。それで、人間学の例会は現在、筆者の住んでいるマンションの集会室で行うことになりました。以前は、筆者が話をするときだけ、住んでいるマンションの集会室で行いました。

◎佐竹ビルの3階には今度は一番上の孫の泰知君に入ってもらうことにしました。2022年5月1日は引っ越しです。

人間学研究所の所長の柴田義松氏と名誉所長の小原秀雄氏も今度から、名誉所長と顧問になっていただくことになりました。そして、実質的に所長の役割をされていた岩田好弘氏に所長になっていただくことになりました。そしてブログ筆者も4年半ぶりに事務局長に復活することになりました。ただ、以前行っていた、人間学研究所通信の発行は印刷機がないので今まで通りでお願いしたいと思います。メールの添付ファイルでしたら簡単なのですが。メールアドレスをお持ちの方は出来るだけ教えてもらいます。

◎ながいあいだ老人施設に入っていた、小原秀雄氏が2022年4月21日、死去されたとの連絡を岩田氏からいただきました。小原氏はブログ筆者が学生時代からのお付き合いでした。途中で総合人間学会での小林直樹とのトラブルのあと、気まずい思いをしました。その後小原氏が骨折して入院された時、女子栄養大の学生たちとお見舞いに行き、気まずさは解消しました。

人間学通信は従来どうりで発行していただきます。ハガキでの例会のお知らせはこちらで行います。

人間学研究所には8000冊の本、特に人間学と名のついた本、昔の貴重な本はたくさんあります。例会の記録テープ、膨大な量があります。人間学研究所のノート多数。人間学例会の資料等。
 古い教科書、映画のビデオなどは捨ててしまいました。

なお、前にも書きましたが、柴田義松前人間学研究所所長に変わり、岩田好弘氏が2代目の所長になられました。岩田好弘氏は、柴田義松氏が所長時代に副所長として極めて重要な役割を果たしてこられました。岩田好弘氏は、東京教育大の動物学科を卒業され、筆者の4期先輩になります。高校の生物科の先生をやられるかたわら様々な団体の会長や役員をやられ、現在でも、総合人間学会の理事をされています。当研究所においては極めて重要な役割を果たしておられます、筆者が病気になった後は、事務局長の役割も果たしていただきました。人間学研究所においては極めて重要な役割を果たしてこられました

 

 2022年5月 年齢を理由に岩田好宏氏が、2代目の所長を退任されました。

      そして前の小原秀雄氏と同じように名誉所長になっていただきました。

      3代目所長は副所長の森岡修一氏に、なっていただく予定です。


 
1、人間学研の簡単な歴史を書いてみます。

 

  詳しくは「人間学研究所年誌2007」(No5)人間学研究会のあゆみ1と年誌2008(No6)」、人間学研究会のあゆみ2「人間学研究所年誌2012」(第10号)をご覧ください。

1963年、ブログ筆者が東京教育大の学生のころ、関東生物科学生懇談会(生懇)の分科会で・・人間学分科会を作ったのが始まりです。

     場所は東京教育大動物科控室 4年後期に筆者が生懇代表となる。前期代表は 動物科同期の近藤さん、1年後では浅島誠さんが代表

     でした。各大学から学生が集まり研究者や大学教授になった人も多数ありました。

 

人間学分科会の手書きのファイルです。大学卒業直後の手書きのノートです。

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上記のファイルの1ページ目です。

 

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発言者の名前と略号です・名前と大学名が入っています。会議の発言内容を記録しました。

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メンバーの発言者は東京教育大学動物学科が最も多いのです.ほかに教育大心理学科、体育学科,日本女子大、お茶の水女子大、早稲田大学などです。

1965年4月 第一次人間学研究会発足 学生主体

◎下記の写真は今までの各段階の人間学研究会から人間学研究所への印刷物です

1965年6月 小原秀雄氏の江古田の自宅を訪問し、小原秀雄氏と佐竹幸一が会う

    小原氏入会し会長になる

」1965年再発足 人間学ニュースの発行ループ

1967年5月 42回例会にて第1次人間学研究会解散

 

1969年女子栄養大学に『人間科」できる

   柴田、小原、岩城氏

 

1985年5月 第2次人間学研究会」できる

   小原、柴田、岩城、佐竹幸一   野本雅夫、関根秀樹

「人間学ニュース第1号」 手書きでした。1985年6月3日 第2次「人間学研究会」の記録

  第1 回例会について 5月13日 佐竹ビル2階にて 参加者15名

 司会岩城氏

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人間学ニュース第2号」1985年6月号 巻頭は小原秀雄氏の言葉

 『人間学研究会に想う」 小原秀雄

1986年1月 東大にて人間学シンポジウム  100名参加

  柴田義松氏 東大教育学部長 小原秀雄氏、岩城正夫氏

  佐竹幸一、野本氏

人間学ニュース21号」1987年2月号

  人間を中心にすえた教育を 佐竹幸一

 

第2次人間学研究会のオープンセミナーを東大で開催した時は100名ほどの参加者がありました。

   柴田義松氏、小原秀雄氏、岩城正夫氏、佐竹幸一

1987年6月 26回例会で第2次人間学研究会終了

 

1991年4月 第3次人間学研究会スタート 

       第2サタケビル2階に人間学研究研究所準備室できる

 

実用的人間学研究会 1993年5月佐竹が始める〈一次)

「実用的人間学ニュース」第2号 平成5〈1993年)年11月 

 第7回例会 「戦争の人間学」佐竹幸一

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「第2回実用的人間学研究会」

    1993年5月27日「信長、秀吉、家康の人間学」

       講師 佐竹幸一

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1993年9月 岩城正夫氏中心に「人間サロン」できる

「人間学ニュース」60号まで

1996年 「人間サロン」と「実用的人間研究会」まとまる

   新屋重彦、志村紀夫、尾関修二氏参加

   北原眞一、杉山靖夫、平田ひろみ、永井治

◎その後一時中断

 

 

「人間学ニュース」No1 人間学研究所のビル(第2ビル)完成以後

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「実用的人間学ニュース第1号」 平成5〈1993年)年10月

 第7回例会 「超能力の人間学」講師 佐竹幸一

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「実用的人間学ニュース」最終号60号 平成11〈1999年)年4月

 1999年4月1日の「人間学研究所」の設立を報告しています。

 例会は第64回まで 平成11年3月 柴田義松氏

 

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「人間学研究所設立総会」のお知らせ

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人間学研究会から人間学研究所へ 

 1999年4月 人間学研究所できる

  設立記念集会 成蹊大学にて 参加40名

  所長柴田義松、名誉所長小原秀雄 副所長 岩田好宏氏

 

 2002年6月 総合人間学研究会準備会

    森岡修一氏 中江和江氏

 

 2002年11月総合人間学研究会設立 明治大学 150名参加

 

 2004年2月新教育人間学部会設立

 

 2006年5月総合人間学会設立 明治大学 300名参加

 

 2008年4月 実用的人間学研究会〈2次)

 

 2009年2月 新教育31名 実用的33名 両方参加11名

 

『人間学研究所通信 Humanology 』のファイルです

1〉(1999年6月第1号))から〈2009年1月)91号までです

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「実用的人間学セミナー」 全12回 第1期 平成17年度 2006年

 下記の内容で佐竹が毎月1回 話をしました

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資料はすべてファイルされております

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実用的人間学セミナー

第1回  「健康の人間学」2005年5月 第1回 

 2回  「人相術、手相術」1

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2006年5月18日 最終回 反省会と今後の取り組み セミナー終了式

         自分を語る 自伝講評

「実用的人間学セミナー」第2期 全10回 平成18年度4月から19年度 2007年から

 

  1月 「おみくじについて」

 

  4月 「実用的人間学研究会準備会とゼネラリスト養成講座について」

  7月 「宗教的信念と科学的信念」

 11月 『後漢初期の人間学」

 

「人間学研究所通信」 HUMANOLGY

1号 1999年6月

91号 2021年10月7日

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人間学研究所通信NO1ー91

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「人間学研究所の年誌」です 1号〈2000年)から19号〈2022年)です。

 

佐竹幸一が『人間学研究所年誌』に書いた記事一覧

 『人間学研究所年誌2000』 No1  2000年12月1日発行

        『人間学の概要』 p59-69

        『人間学研究所の概要』p70-81

        「実用的人間学部会の活動」報告 p104--121

 『人間学研究所年誌2002』No2   2002年11月30日発行

        『人間学を取り巻く状況』 p44-55

 『人間学研究所年誌2003』 No3  2004年8月1日発行

         『ゼネラリスト養成講座』について p106-115

  『人間学研究所年誌2006』 No4

                        『人間学ノート』p111-124

 『人間学研究所年誌2007』 No5

         『人間学研究会のあゆみ』 (一)p88-104

 『人間学研究所年誌2008」

         『人間学研究会のあゆみ』 〈二)p-92

 『人間学研究所年誌2009」

         「人は自分の考えに固執する エセ科学と懐疑論」 p74-79

 

 「人間研究所年誌2010」 No8 2011年3月31日

         『人間学・人間科学の状況-大学の講座等に見る』

                  p41-60

  『人間学研究所年誌2011」 No9

         『原発のウソについて』p37-50

 「人間学研究所年誌2010」 No8

         『人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」 p100-113

 『人間学研究所年誌2013』 No11

            「視床出血からの回復に向けて―私の病状報告」p72-80

 『人間学研究所年誌2014』 No12

             「こういちの人間学ブログ」 p91-96

『人間学研究所年誌2015』No13・

              「気候変動・温暖化・大気汚染とCOP21]

               二酸化炭素温暖化説について

              「ネアンデルタール人などと私たち人類」 p116-123  

 『人間学研究所年誌2016』 No14

              「どこまで人間とみるか」その歴史と未来 p67-82

 『人間学研究所年誌2017』No15

               「CO2温暖化仮設、今日、日本の経済界、報道の空気変わる』

                                 p75-81

  『人間学研究所年誌2018』No16

              「柴田先生の思い出と人間学研究所のこれから」 p40-49

 「人間学研究所年誌2019」No17 2020年 3月10日

               『人間学研究所の今後について』 p55-64

 

 

 

人間学研究会。人間学研究所の略史

 


1964年に佐竹が大学3年の時に関東生物科学生懇談会〈生懇)の分科会で「人間学」を作る

  東京教育大の学生を中心に早稲田大、お茶の水女子大、日本女子大、都立大などいろいろな学生が参加

 

1966年に佐竹の大学卒業とともに第1次人間学研究会小原秀雄氏らととらもに作りました。その後。2派に分裂 数年で解散しました



1985年に佐竹ビルの完成とともに第2次人間学研究会を作りました。この時、小原氏とともに柴田義松氏、岩城正夫氏などとともに設立しました。学生などの勝手な行動があり、2年ほどで解散しました。

 

1991年4月に第2佐竹ビルの完成とともに第3次人間学研究会が始まりました。設立総会成蹊大にて
・ (ここの年を間違えて記載していました、1991年が正しい年です)

 

1991年人間学研究所準備室を作り研究所設立に備えました。この時の中心メンバーは柴田氏、小原氏、岩城氏、筆者でした。
研究会は1998年4月にはすべてが実用的人間学研究会となったこともあり、名簿には114名の名前がありました。この時には今度の新所長、岩田氏も参加されました。毎月例会を続けました。



1999年4月には人間学研究所となり、研究所設立寸前の人間学研究会の4月の名簿には142名の名前がありました。この時例会で講師をしていただいた方が31名となかなかの盛況でした。
正式な人間学研究所の発足に伴い、所員と所友制度となり人数は減少しました。。



6月には人間学研究所通信(Humanology)が発行されました。(Humanology)2018年8月現在で81号となっています。

2022年段階で91号です。「人間学研究所年誌」は2022年3月10日 19号です

2000年には「人間学研究所年誌」NO1が発行されました。
派生的に人間学研究所を母体として2002年に総合人間学研究会、2006年には総合人間学会が設立されました。総合人間学会設立時には筆者は事務局次長でした。

2008年には第2次実用的人間学研究会が編成されました。

2009年7月より、「こういちの人間学ブログ」の開始。
・   


2010年3月には人間学研究所の場所が佐竹ビル3階となりました。

    佐竹ビルの5階が佐竹の自宅で3階も自宅として使っていて、道路側の広い部屋12畳以上を人間学研究所としました。

2013年3月に年誌2012(第10号)が発行されましたこの時のメンバーは、人間学研究所32名。実用的人間学研究会会員31名でした。

このころ活動は最盛期でした。(実人員60名) 

2013年11月 佐竹はドライブ中、脳出血をおこし大津の病院に入院しました。翌年2月退院

     状況は年誌2013に記載

2015年3月15日 年誌2014・12号 「こういちの人間学ブログ」について

     ブログアクセス 2014年12月 アクセス97万件

2018年8月の状況


2018年3月発行の年誌2017(15号)に登録されている会員数は、人間学研究所員27名。実用的人間学研究会員19名でした。重複3名、名誉会員2名。2018年8月段階での名誉会員と重複者を除くと29名です。筆者が事務局を離れている間に、この5年間で会員数は半減しました。

事務局長復活に伴い、これからは、面白くてためになる人間学研究所と実用的人間学研究会として、面白い企画をいろいろ考え、会員も増やしていきたいと思います。以前は、大久保の街散策やめずらしい食べ物のたんぽう、科学博物館の「顔展」を見たり千葉の白浜旅行へ行ったりと、いろいろな企画を行いました。

 

2020年2月ころより 新型コロナウイルスの蔓延開始

2020年3月10日 「年誌2019」「人間学研究所の今後について」

2020年 3度の入院 代々木病院から慶応病院へ

2021年1月 佐竹、慶応病院にて大腸がんの手術

2021年 佐竹 不眠症やいろいろな病気が発生      

2021年2月15日 佐竹 具合悪く「年誌2020」年誌の投稿せず

2022年3月10日 『年誌2021」「新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告」

2022年3月  新型コロナ、筆者ワクチン3回 少し下火に

2022年5月1日 ブログアクセス 195万8000件

2020年5月予定 人間学研究所の本の出版企画

2022年5月 「人間学研究所の本」の発行企画

 

 


◎以下は以前の記事をそのまま残しました。


2018年9月21日に、カラオケ大会を企画します。

正式にはニュースかはがきでご連絡します。会員以外の方も興味ある方はぜひご参加ください。

日 時 : 2018年9月21日(金) 午後6時から9時まで

場 所 : カラオケ店、「ビッグエコー」山手線新大久保駅前店、マツモトキヨシ前、パチンコ店2階

参加費: 2800円 料理8品・ソフトドリンク飲み放題コース
      お酒飲む方は実費払い カラオケ歌わなくても食事で楽しく歓談しましょう

お問い合わせ
申し込み: 佐竹幸一まで 090-6549-2677
        pcr92240@nifty.com     3日前までに、それ以後のキャンセルは支払いお願いします。、

 

◎第142回人間学研究所、第102回実用的人間学研究会が開催されました。

 

日時:2018年7月20日(金)18時より

 

テーマ:「人間は植物をどのようにみてきたか」

 

講師:岩田好宏氏 人間学研究所新所長

場所:西戸山タワーホームズ集会室

 

資料は「人間学研究所通信81号」に岩田氏の同名の文章が載せられています。

参加者が5名とすくかったのですが、大変重要な参考になるお話でした・

追記

思えば私の人生は人間学特に私の提唱している、実用的人間学とともにありました。実用的人間学の組織を維持するために、学者とならずに、会社の経営者となりました。会社の社長の道楽として会社の1室を確保し、そこを人間学研究所としてまいりました。本来はもっと大きな会社にしたかったのですが、東京ガスの下請けとしてはいっぱいの規模でした。例会を開催する場所や事務所を確保することは、組織にとって重要です。
 新宿で場所を借りて事務所を維痔するには数十万かかります。

 また学者だけでなく、一般人も参加してもらい、それぞれのお得意の分野を話してもらうことは有意義なことです。また研究活動だけでなく、いろいろな親睦活動も行ってきました。それが研究所が1991年から27年間も続いていてきた理由です。〈2022年には31年間です)

 筆者の突然の病気で、活動が停滞しましたが、この度、再び事務局長に復活しましたので、また人間学研究所を盛り上げてゆきたいと思います。

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