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2022年5月24日 (火)

人間学研での本の出版の企画 109歳まで元気で長生きされた森岡数英氏のすごい人生、人間学研副所長森岡修一氏のお父さん

 人間学研究所で、「人間学研究所・実用的人間学研についてのご紹介」的な本を、100万円かけて自費出版したらどうでしょうか、的なお話をブログ筆者の佐竹が提案しました。人間学研は新コロナの影響で、2年以上活動が停滞していましたが、何とか、再び会を活性化するのによいと思ったわけです。2022年の3月の例会時に、最初の講師の地理学者の生田さんのお話の後に最初に佐竹が提案し、5月20日の人間学研の例会で佐竹がその構想を提案することになっていました。人間学研究所の所長の岩田好宏氏も賛同され、例会に参加されていた森岡修一人間学研究所副所長、杉山実用的人間学研究会副会長も賛同されていました。岐阜大助教授の白村氏も記事を書かせてくださいとのことでした。

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3ページの資料1枚目

ところが実際に人間学の5月20日の例会では、ブログ筆者と森岡氏しか集まりませんでした。3名の方がコロナに用心ということと、体調不良などで欠席の連絡が入っていましたが、参加者2人というのは、何十年にわたる長い人間学研究所例会でも初めてのことでした。それでも162回例会の資料に基づいて2人で1時間半ほど熱心な話し合いをしました。

佐竹の作った資料は「人間学研究所での本の出版について」で1ページ目は。「人間学研究所の略史」、2、『人間学研究所・実用的人間学研究会での本の出版の企画」で、佐竹の初期構想 岩田好宏氏のご意見、3、その他の状況です。4、だいぶ会員が減少していること 参考として現在の会員数を示しました。本の泉社の自費出版費用の目安も書きました。204ぺーで46版並み 1000部 100万からというところです。参考に「こういちの人間学ブログ」のアクセスランキングも載せました。会の終了後も予約していた居酒屋で話をつづけました。

 その結果もし本を出版するとしても、論文+エッセイというものではなく、初めからエッセイ的なものを中心的なものとすることにしたらどうかということになりました。四六番100ページくらいの範囲では内容的に分量的に無理があるのではないかとなりました。いずれにしても仕切り直しで皆さんの要望もあまりないのだと思いました。

 

 

森岡氏は参考としてご尊父が自費出版された本、数えの100歳になったぼけ老人 らくがきちょう』を見せていただいた。この本は平成7年7月25日の発行で,2000円 238ージの本で、数栄氏の書かれた筆書きとスケッチを主に書かれた立派な書物です。

他に『愛媛教育の今昔』という上甲 修氏の書かれた本、そして新聞の切り抜き資料を見せていただきました。

 

「95歳のぼけ老人がこれ以上ぼけたら大変と書き始めて数えの100歳になってようやく書き上げたらくがきちょう」とあります。

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[この歳95歳までどうして生きてこれたか」p9

1、自分の体について考えてみた

1、体は弱弱しかった、2、血圧が高かった 降圧剤を飲む、3、風邪をひきやすい、4、中年になって生きる気力がなくなった、息子に大学にいってくれー大学の教師になった。5,80を過ぎて足が踏み建てられなくなった。いろいろ試したが駄目、お灸が効き年を取ってから痛みが消えた、6、高齢になり肺炎を起こす

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小学校卒業後鉱山労働者となる 15年間を働きながら独学で教師を目指す

愛媛県師範学校に入学

教員生活31年(うち10年校長)

下記 p73 佐礼谷中学校統合に1人で反対して中学校がのこり、自分も若返ることができ

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80歳で第4期目の町会議員に返り咲き 建設委員となり次のいろいろな施設をしてもらった。

 

97歳で2大事業を思いつく 

1、村中公園 自分の土地を提供 2、村中上水道

町会議員4期  老人クラブ連合会長

昭和55年  紺綬褒章  勲5等端宝章 受賞

住んでみたい田舎はこの町村』第6位 中山町 愛媛県

 

p114愛媛新聞佐礼谷販売所 60歳の老人ができるかということと、

校長先生が新聞配達をしていらいという子供があれば、白い目で見る

人があるかもしれない (配達は)85歳まで25年間続ける

 ◎すごいとしか言いようがない。またこれが元気で長生きの秘訣

だったとも思われまます。

 

戦前はいろいろな投資などで失敗した。

p118 貯金のことについてひとこと

 友人のはんか(ハンコ)づき貯金がなくなり(10円貸して保証人となり)

 (不動)貯蓄銀行の倒産で失敗し

 株を買って(満鉄株)株券がホーグ〈反古)となり

 戦後、物価が10倍、20倍になった。貯金の価値が少なくなった。

 大東亜戦争で貯金どころか生きていくのがやっとのことであった

 そこで新聞配達をするようになった。

 月収3万円のうち、2万円を生活費にし。1万円を郵便局へ貯金

 25年間貯蓄 そのためたお金を地域の人のために使う

 ことにした

 ◎300万円-現在のお金で3000万から5000万くらいでしょうか

  すごいことです。

 

 

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p152 死を目前にひかえた97歳の老人が画期的な2大事業に思い付いた

村中公園 自分の土地を無償提供

村中上下水道 

◎このように積極的に物事に取りくんでこられたことが109歳まで生きる活力になったのだと思いました。

まだ79歳の私が具合が悪いとグダグダ言っているようではいけないと思いました。

 

「愛媛教育の今昔」 上甲 脩 文芸社 800円+税

    2016年6月15日

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「森岡數榮先生」

 独学で教師を目指した百九年の足跡

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p181ページから210ぺージまで森岡先生について

はじめに

森岡先生の少年時代

明治時代と石鎚登山

鉱山労働

青年補修夜学校

進学秦の芽生え

教員を目指すようになる参考書を松山の赤本屋で購入

検定試験を受ける

師範学校を目指して

師範学校の入試

師範学校の入学式

学校生活はすべて軍隊式

山路一遊校長の薫陶を受ける

教育実習そして卒業

教員生活31年の哀歓

反骨の人・気骨の人

 

森岡先生を偲んで

 

本の内容は詳しくは後で付け加えます。

 

◎愛媛県は昔から教育熱心であっ江戸時代の殿さまも何人も教育熱しとして名を知られている。

明治時代以後には優れた教育者や学者が輩出し、優れたたひとちが出ている。松山高校に赴任した夏目漱石、俳人の正岡子規など多数である。

ブログ筆者の妻の父は松山出身で両親ともに教師であり包丁を突き付けられて勉強したそうです。その後両親とともに東京に来たそうです。

妻の父は東大の首席で卒業したようです。その後電波研究所に入り副所長になっていたそうです。

 

愛媛新聞 平成7年8月10日

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数え年100歳の森岡さんの驚くべきお元気な姿

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2017年(平成29年)4月24日 月曜日 愛媛新聞の記事

 東京えひめ人 森岡修一氏の記事 他国理解交流が大切

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◎2022年5月8日の朝日俳壇・歌壇

佐々木 幸綱選 第1首

若き日に

 訪ねしキエフ

  いまいずこ

    キーウの映像

   追慕拒みて

         西東京市 森岡修一氏

 

 評 昔たずねたのはキエフ。現在、映像で見るキーウはまったく

過去とつながらない。

 

◎朝日の歌壇で第1首を取られるとはすごいことですね。

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