カントの『人間学』、『自然地理学』と晩年のカントの年表と食卓について
◎『晩年のカント』p7 はじめに 中島義道 講談社現代新書
40歳を過ぎて、『実用的見地における人間学』や『自然地理学』にも目を通し,そのころさかんに翻訳された彼の伝記を読み進めるうちに、カントのうちに「あれっ」と驚くような人物を見出すことになった。これまでわが国で伝えられてきた堅物の結晶のような哲人とはまるで違った血の通った、いや俗物の塊のような、ユーモアのセンス溢れる男に出会い、その難解極まりない、しかもバカが付くほどの理想主義的な姿勢との乖離にひどく感動したのである。
1795年 カントの胸像
カント全集 第15巻 「自然地理学」三枝充ヨシ 理想社 昭和41年1月25日
1800円(中古書店で3000円で購入)
「カントの人間学」中島義道 1997年12月20日 第1刷
2017年10月18日 第18刷 760円税別 講談社現代新書
旧題 「モラリストとしてのカント」
「晩年のカント」 裏カバー より
還暦を過ぎ、ようやく購入した自宅
~
同業の哲学者は1度として招待せず、
連日4~5時間におよぶ食卓で繰り広げられる会話。
女性や人種に対する高慢と偏見の集積。
人の名前を覚えられなくなり、アルファベット順の
引き出しをこしらえて会見に挑む姿。
ケーニヒスベルクの市内の年長の高齢者に対する
異様な関心ー。
ある老哲学者の、ぎごちない下手な生き方を辿る。
「晩年のカント」 中島義道 講談社現代新書 2021年1月20日 900円税別
◎「カントの人間学―カントの人相術も少し―2012年12,1加筆修正版」
「こういちの人間学ブログ」
カント年表
1724年にケーニヒスベルクに貧しい職人の子として生まれました。
現ロシアのカリーニングラード
◎プロイセン公国は東西に分かれていました。東プロイセンは以前は
ドイツ騎士団領と呼ばれていました。
ドイツ帝国時代には東西プロイセン王国のところはつながって
いました。
第2次大戦後、ケーニヒスベルクはソ連領となり、ロシアの飛び地
となりました。
現在はポーランドとリトアニアに挟まれた、カリーニングラード
と呼ばれるロシアの飛び地となっています。
1746年ケーニヒスベルク大学卒業 22歳
家庭教師となる 10年
1756年大学の私講師となる 学生の聴講料のみが収入源
貧しい暮らしが続く 14年
1770年 にケーニヒスベルク大学の正教授となりました
カント46歳 形而上学
1772年に『人間学』の講義を始める 48歳
『実用的見地における人間学』
その講義は72歳までつずく
1776年 哲学部長に
1781年 『純粋理性批判」第1巻を出版
1784年 『啓蒙とは何か』
世界市民、世界概念
1786年に ケーニヒスベルク大総長となる
『自然科学の形而上学的原理』
1787年 自宅を買う 63歳
王宮の近くの 一切の装飾を欠いた家
『実践理性批判』
1790年『判断力批判』3大批判書完結
1791年 フィフィテ、カントを訪ねる
1793年『単なる理性の限界内における宗教』68歳
キリスト教批判 キリスト教の歴史は
「宗教はかくも多くの災悪をなさしめることができた!」
という叫び声をあげずにいられない代物なのである。
1794年 上記がとがめられる
1794年 自宅に料理人を雇う
カントの食卓仲間
この絵は相当に美化されているように思う(中島)
70歳 日に1回 食卓の会話 4時間から5時間ほど
カントは食事のマナーにもこだわらなかった。
(あえていえば下品であった)
カントは哲学的テーマを避けた
公務員、商人、旅行者、哲学以外の著述家などから
カントは彼らから哲学以外の膨大な知識を収集した。
規則的な散歩
1795年 『永遠平和のために』
1797年 『人倫の形而上学』
1798年 『実用的見地における人間学』出版 カントが出版した
最後の本
1802年 講義録『自然地理学』出版
1803年 講義録『教育学』
◎ 実践(用)的見地における人間学 『晩年のカント』
中島義道 講談社現代新書 p186
◎ 当時の大学では、講義は専門の大学生のための講義と、
一般市民相手の通俗講義との2種類に分かれていて、
前者は数人からせいぜい10数人の学生が参加し、
(少ない時はカント邸で行われた)後者は一般市民にも
開放されていて、30人から80人に及ぶ聴講者がいた。
~こうした通俗講義には、女性たちも多く集まっていた。
~なお、こうした通俗的な講義は大いに聴講者たちに
受けた、という。
◎ 私たちの実用的人間学研究会は、この名前に由来する。
学者でない人が自由に講師になり、学び討議に参加する。
一時はこの研究会だけのこともありました、
1804年 カント死去 80歳
当時としては長生きであった。
( カントは長生きした。たとえばフィフテ52歳
、ヘーゲル61歳、シェリング79歳。)
「自然地理学」
自然地誌学
自然と人間との諸経験は、あわせて世界認識となる
人間の知識を人間学によって学び、自然の知識は
自然地理学ないし地誌学に負っている。~
自然地理学論
第1部
第1篇 水について
1~35節
第2編 陸について
36節
37節 アフリカの内部がわれわれに月の諸地方と同じように非常に知られていないことの原因は、アフリカ人の側よりもわれわれヨーロ パ人のほうに存する。われわれが二グロ売買のために非常にしり込みさせられたからである。毎年6万人から8万人の二グロをそこからアメリカへ連れ去っていくという極めて無法なものである。こうして、かなり新しい時代に至るまで、この大陸は、海岸から内部へ30マイルまでがかろうじて知られたに過ぎない、ということになってしまった。
~62節
(河川の歴史)
第3篇 大気圏おおってこうむり、なおこうむりつつある
第63節 大きな諸変動の歴史
第81節まで 240p
第2部 陸地の含むものに関する特別の観察
第1篇 人間について
第1節 種々なる地帯における人間の姿と色の相違
第2節 人間の黒い色のいくつかの特徴
第3節 この色の原因についての考え
第4節 その他の生来の特性にもとづいて、陸地全体に
関し考察した人間
第5節 人間がその形姿に自ら引き起こす諸変化について
第6節 人間のさまざまな飲食物の比較
第7節 嗜好に関する人間の相互間の差異
第2編 動物
第1章 蹄を有するもの
A 1蹄動物
1 ウマ
2 シマウマ
3 ロバ
B 2蹄動物
1、牛類
2、羊類
3,ヤギ類
シカ類
C3蹄動物
サイ
D4蹄動物
カバ
E 5蹄動物
ゾウ
第2章 有趾動物
A 1趾動物 アリクイ
B 2趾動物 ラクダ
C 3趾動物 なまけもの
D 4趾動物 センザンコウ
E 5趾動物
人間はこの種類の中でまさしく第1のクラスに入れる
べきであるが、その理性によって、人間は動物の類
をはるかに遠く超えている.
a ウサギ類
b リス類
c ネズミ類
d モグラ類
e コウモリ
・
h イヌ類
m ネコ
q ライオン等
r クマ等
t サル類 尾のないサル オランウータン、
チンパンジー,ボンゴ、テナガザル
尾の長いサル ヒヒ
第3章 鰭を有するもの
カワウソ
第4章 卵生4足動物
ワニ
第5章 海棲動物
クジラ類
マナティーすなわち海牛
サメ
海の驚異
人魚(これが何かわかりません)
この動物は人間とほんのわずかな類似しか
ない。海の豚ともなずけられる
第6章 若干の珍しい昆虫など
益虫
えんじむし
害虫
第7章 他の匍匐動物
へび
・
第8章 鳥類
ダチョウ
・
第3篇 植物界
特殊な樹木について
その他の栽培植物
特殊な植物
第4篇 鉱物界
金属
準金属
可燃性鉱物その他
塩について
石について
宝石
準宝石
土について
化石について
鉱物の起源について
第3部 すべての地方の最も卓越した自然の特徴
地理学的区分によるに総括的考察
第1州 アジア
インド
前インド
後インド
(インドに住むのは、土着の住民-カーストの住民
ムガール人、ペルシャ人、アラビア人はイスラム教徒)
アッサム
アラカン
ペグ―
トンキン (ベトナム地方)
コーチシナ
シャム (タイ)
マラッカ (マレー)
セイロン
スンダ諸島 スマトラ じゃば
パプア
シナ
中国については8ページにわたって書いてあります。呼び名
はシナです。
日本には補遺があり、全部で12ページ半書かれていて、中国よりも
好意的です。(江戸時代)
フィリピン諸島
ペルシャ
アラビア
ロシア領土 シベリア
第2州 アフリカ
喜望峰 ホッテントット人 3ページ
ナタル地方 カフェル族
ソファラ海岸 モザンビーク
マダガスカル島 フランス人 黒人160万人 アラビア人
モノモタハ
コンゴ、アンゴラ
マタンバ・・
カナリア諸島
緑の岬
ガンビア・ギニア
ギニア地方の二グロは,ぶ体裁な格好をしていない
エジプト
アビシニア
第3州 ヨーロッパ 全部で9ページ
ヨーロッパのトルコ (オスマントルコ帝国)
ブルガリア
ギリシャ
ハンガリア
◎オスマントルコ軍は1799年、侵入してきたナポレオン軍を破る
イタリアは2ページ半、
フランスは1ページ、
ポルトガルは3行しか書いてありません。人口は200万人
スペインは800万人しかいない。ムーア人、ゴート人の時代
には実にその4倍の人口がいた。
スエ―デン
ノルウエー
ロシア
第4州 アメリカ
南アメリカ
北アメリカ
アメリカの諸島
氷海の諸地方について
自然地理学補遺
1地球の内部について
水流の川床
砂漠について
風について
最古代の地球の歴史
◎高慢と偏見に満ちた人種・民族論 p195
ただ、異人種も同じ理性を持っていて、ただその発言が
妨げられているだけである
よってきちんとした教育を施せば、近代西洋人と同じ
道徳法則を承認するはずだ。(p200)
まさにこれが理性主義ないし理性信仰に他ならない。
訳注
ここには膨大な量の訳注があります。本の480ページから
928ページにわたっています。本の本文と同じくらいの
解説がついているとは驚きです。
解説 p627 三枝充〈 )
最も広く最も深い意味での大哲学者たるイマヌエル・カント
の影に自然学者I・カントが隠れて立ち、そのまた陰に(自然)
地理学者カントが見いだされる―少なくとも今日のカント像
はそのようなものであろう。
◎この内容は地理学だけでなく、人類学や生物学なども
含まれたもので、かなり幅広いものが含まれています。
◎ブログ筆者の見解
ブログ筆者が東京教育大学在学中に、人間と人間学に関する本を読んでいる中で、カントの『実用的見地における人間学』を読みました。そこで、学者ではなくいろいろな分野の人々が集まっていろいろ、その人の経験を聞くというのがありました。そこで、研究者主体の人間学研究会(後で人間学研究所)と実用的人間学研究会を作ったのです。そのご人間学研究会は「実用的人間学研究会」だけの時もありました。専門の各社でなくともいろいろな知識に満ちていて、かえって学者先生の話より面白いのです。カント先生もそうだったのでしょう。
◎参考書
「カントの人間学」 ミシェル フーコー 王寺賢太訳
2010年3月25日 2400円 税別
「カントの人間論」-人間は人格である― J.シュヴァルトレンダー
佐竹照臣訳 成文堂
昭和61年7月10日 3200円
「カントの人間哲学」 太田直道 晃洋書房
2005年11月10日 6000円
「カントにおける人間観の研究」山口祐弘 勁草書房
1996年12月20日 2472円
「カント」S・ケルナー
「いまを生きるカント倫理学」 秋元康隆 集英社新書
2022年7月20日 940円+税
« 人間学研究会もできてから60年、人間学研究所もできてから23年、私たちも多くが80歳ぐらいになります。記念の本を出すことにします。 | トップページ | 安倍晋三元首相銃撃事件とその後の状況について 週刊文春の記事などから »
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