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2022年9月14日 (水)

人間学研究所の簡単な歴史 追記更新版 2022年9月段階での状況 4月21日 小原秀雄氏が死去されました。5月岩田氏が名誉所長になられました。

2022年9月版として更新しました。

この記事は以前のものでしたが。2022年5月1日に大幅に変更して、更新しました。

「以前の記録については『人間学所通信第30号』(2006年5月発行)から第37号〈2008年4月)までをまとめた『人間学研究会のあゆみ』〈2012年改訂版 6月修正)A4判 32ページがあります。

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1、人間学研究所の経過と現状

2013年11月に旅行先の滋賀県で脳出血で倒れ、4か月ほど入院し、車いす生活となりました。佐竹ビルの5階の自宅と、3階の人間学研究所に、エレベーターがないため戻れず、副会長の岩田氏に人間学ニュースと例会のお知らせをやっていただき、事務局長の仕事を木村廣子先生と税理士で実用的人間学研究会の副会長の杉山靖夫氏にお願いしていました。筆者が人間学の例会に参加できなかったからです。

佐竹ビル3階に甥っ子の日高さんに住んでもらっていましたが、改めて印刷機などがある元の風呂場を直し、本格的に住んでもらうことになりました。残っている猫の面倒も見てもらいます。それで、人間学の例会は現在、筆者の住んでいるマンションの集会室で行うことになりました。以前は、筆者が話をするときだけ、住んでいるマンションの集会室で行いました。

◎佐竹ビルの3階には今度は一番上の孫の泰知君に入ってもらうことにしました。2022年5月1日は引っ越しです。

人間学研究所の所長の柴田義松氏と名誉所長の小原秀雄氏も今度から、名誉所長と顧問になっていただくことになりました。そして、実質的に所長の役割をされていた岩田好弘氏に所長になっていただくことになりました。そしてブログ筆者も4年半ぶりに事務局長に復活することになりました。ただ、以前行っていた、人間学研究所通信の発行は印刷機がないので今まで通りでお願いしたいと思います。メールの添付ファイルでしたら簡単なのですが。メールアドレスをお持ちの方は出来るだけ教えてもらいます。

◎ながいあいだ老人施設に入っていた、小原秀雄氏が2022年4月21日、死去されたとの連絡を岩田氏からいただきました。小原氏はブログ筆者が学生時代からのお付き合いでした。途中で総合人間学会での小林直樹とのトラブルのあと、気まずい思いをしました。その後小原氏が骨折して入院された時、女子栄養大の学生たちとお見舞いに行き、気まずさは解消しました。

人間学通信は従来どうりで発行していただきます。ハガキでの例会のお知らせはこちらで行います。

人間学研究所には8000冊の本、特に人間学と名のついた本、昔の貴重な本はたくさんあります。例会の記録テープ、膨大な量があります。人間学研究所のノート多数。人間学例会の資料等。
 古い教科書、映画のビデオなどは捨ててしまいました。

なお、前にも書きましたが、柴田義松前人間学研究所所長に変わり、岩田好弘氏が2代目の所長になられました。岩田好弘氏は、柴田義松氏が所長時代に副所長として極めて重要な役割を果たしてこられました。岩田好弘氏は、東京教育大の動物学科を卒業され、筆者の4期先輩になります。高校の生物科の先生をやられるかたわら様々な団体の会長や役員をやられ、現在でも、総合人間学会の理事をされています。当研究所においては極めて重要な役割を果たしておられます、筆者が病気になった後は、事務局長の役割も果たしていただきました。人間学研究所においては極めて重要な役割を果たしてこられました

 

 2022年5月 年齢を理由に岩田好宏氏が、2代目の所長を退任されました。

      そして前の小原秀雄氏と同じように名誉所長になっていただきました。

      3代目所長は副所長の森岡修一氏に、なっていただく予定です。

       5月  森岡修一氏に所長になっていただきました。

  7月  人間学研究所、実用的人間学の記念の本を出版する予定です。
 
1、人間学研の簡単な歴史を書いてみます。

 

  詳しくは「人間学研究所年誌2007」(No5)人間学研究会のあゆみ1と年誌2008(No6)」、人間学研究会のあゆみ2「人間学研究所年誌2012」(第10号)をご覧ください。

1963年、ブログ筆者が東京教育大の学生のころ、関東生物科学生懇談会(生懇)の分科会で・・人間学分科会を作ったのが始まりです。

     場所は東京教育大動物科控室 4年後期に筆者が生懇代表となる。前期代表は 動物科同期の近藤さん、1年後では浅島誠さんが代表

     でした。各大学から学生が集まり研究者や大学教授になった人も多数ありました。

 

人間学分科会の手書きのファイルです。大学卒業直後の手書きのノートです。

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上記のファイルの1ページ目です。

 

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発言者の名前と略号です・名前と大学名が入っています。会議の発言内容を記録しました。

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メンバーの発言者は東京教育大学動物学科が最も多いのです.ほかに教育大心理学科、体育学科,日本女子大、お茶の水女子大、早稲田大学などです。

1965年4月 第一次人間学研究会発足 学生主体

◎下記の写真は今までの各段階の人間学研究会から人間学研究所への印刷物です

1965年6月 小原秀雄氏の江古田の自宅を訪問し、小原秀雄氏と佐竹幸一が会う

    小原氏入会し会長になる

」1965年再発足 人間学ニュースの発行ループ

1967年5月 42回例会にて第1次人間学研究会解散

1969年女子栄養大学に『人間科」できる

   柴田、小原、岩城氏

1985年5月 第2次人間学研究会」できる

   小原、柴田、岩城、佐竹幸一   

        和光大学 野本雅夫、関根秀樹

「人間学ニュース第1号」 手書きでした。1985年6月3日 第2次「人間学研究会」の記録

  第1 回例会について 5月13日 佐竹ビル2階にて 参加者15名

 司会岩城氏

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人間学ニュース第2号」1985年6月号 巻頭は小原秀雄氏の言葉

 『人間学研究会に想う」 小原秀雄

1986年1月 東大にて人間学シンポジウム  100名参加

  柴田義松氏 東大教育学部長 小原秀雄氏、岩城正夫氏

  佐竹幸一、野本氏

人間学ニュース21号」1987年2月号

  人間を中心にすえた教育を 佐竹幸一

 

第2次人間学研究会のオープンセミナーを東大で開催した時は100名ほどの参加者がありました。

   柴田義松氏、小原秀雄氏、岩城正夫氏、佐竹幸一

1987年6月 26回例会で第2次人間学研究会終了

 

1991年4月 第3次人間学研究会スタート 

       第2サタケビル2階に人間学研究研究所準備室できる

 

実用的人間学研究会 1993年5月佐竹が始める〈一次)

「実用的人間学ニュース」第2号 平成5〈1993年)年11月 

 第7回例会 「戦争の人間学」佐竹幸一

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「第2回実用的人間学研究会」

    1993年5月27日「信長、秀吉、家康の人間学」

       講師 佐竹幸一

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1993年9月 岩城正夫氏中心に「人間サロン」できる

「人間学ニュース」60号まで

1996年 「人間サロン」と「実用的人間研究会」まとまる

   新屋重彦、志村紀夫、尾関修二氏参加

   北原眞一、杉山靖夫、平田ひろみ、永井治

◎その後一時中断

 

 

「人間学ニュース」No1 人間学研究所のビル(第2ビル)完成以後

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「実用的人間学ニュース第1号」 平成5〈1993年)年10月

 第7回例会 「超能力の人間学」講師 佐竹幸一

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「実用的人間学ニュース」最終号60号 平成11〈1999年)年4月

 1999年4月1日の「人間学研究所」の設立を報告しています。

 例会は第64回まで 平成11年3月 柴田義松氏

 

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「人間学研究所設立総会」のお知らせ

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人間学研究会から人間学研究所へ 

 1999年4月 人間学研究所できる

  設立記念集会 成蹊大学にて 参加40名

  所長柴田義松、名誉所長小原秀雄 副所長 岩田好宏氏

 

 2002年6月 総合人間学研究会準備会

    森岡修一氏 中江和江氏

 

 2002年11月総合人間学研究会設立 明治大学 150名参加

 

 2004年2月新教育人間学部会設立

 

 2006年5月総合人間学会設立 明治大学 300名参加

 

 2008年4月 実用的人間学研究会〈2次)

 

 2009年2月 新教育31名 実用的33名 両方参加11名

 

『人間学研究所通信 Humanology 』のファイルです

1〉(1999年6月第1号))から〈2009年1月)91号までです

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「実用的人間学セミナー」 全12回 第1期 平成17年度 2006年

 下記の内容で佐竹が毎月1回 話をしました

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資料はすべてファイルされております

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実用的人間学セミナー

第1回  「健康の人間学」2005年5月 第1回 

 2回  「人相術、手相術」1

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2006年5月18日 最終回 反省会と今後の取り組み セミナー終了式

         自分を語る 自伝講評

「実用的人間学セミナー」第2期 全10回 平成18年度4月から19年度 2007年から

 

  1月 「おみくじについて」

 

  4月 「実用的人間学研究会準備会とゼネラリスト養成講座について」

  7月 「宗教的信念と科学的信念」

 11月 『後漢初期の人間学」

 

「人間学研究所通信」 HUMANOLGY

1号 1999年6月

91号 2021年10月7日

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人間学研究所通信NO1ー91

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「人間学研究所の年誌」です 1号〈2000年)から19号〈2022年)です。

 

佐竹幸一が『人間学研究所年誌』に書いた記事一覧

 『人間学研究所年誌2000』 No1  2000年12月1日発行

        『人間学の概要』 p59-69

        『人間学研究所の概要』p70-81

        「実用的人間学部会の活動」報告 p104-121

 『人間学研究所年誌2002』No2   2002年11月30日発行

       『人間学を取り巻く状況』 p44-55

 『人間学研究所年誌2003』 No3  2004年8月1日発行

       『ゼネラリスト養成講座』について p106-115

  『人間学研究所年誌2006』 No4

                      『人間学ノート』p111-124

 『人間学研究所年誌2007』 No5

      『人間学研究会のあゆみ』 (一)p88-104

 『人間学研究所年誌2008」

      『人間学研究会のあゆみ』 〈二)p-92

 『人間学研究所年誌2009」

      『人は自分の考えに固執する エセ科学と懐疑論』

                          p74-79

    『人間研究所年誌2010」 No8 2011年3月31日

      『人間学・人間科学の状況-大学の講座等に見る』

         p41-60

  『人間学研究所年誌2011」 No9

      『原発のウソについて』p37-50

 『人間学研究所年誌2010』 No8

     『人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学』

           p100-113

 『人間学研究所年誌2013』 No11

    『視床出血からの回復に向けて―私の病状報告』

           p72-80

 『人間学研究所年誌2014』 No12

    『こういちの人間学ブログ」について」

         p91-96

 『人間学研究所年誌2015』No13・

    「気候変動・温暖化・大気汚染とCOP21]

           二酸化炭素温暖化説について

    「ネアンデルタール人などと私たち人類」 

            p116-123  

 『人間学研究所年誌2016』 No14

    『どこまで人間とみるか』その歴史と未来 p67-82

 『人間学研究所年誌2017』No15

    『CO2温暖化仮設、今日、日本の経済界、報道の空気変わる』

           p75-81

 『人間学研究所年誌2018』No16

       『柴田先生の思い出と人間学研究所のこれから』 

           p40-49

 『人間学研究所年誌2019』No17 2020年 3月10日

       『人間学研究所の今後について』 p55-64

 『人間学研究所年誌2020』No18 2021年2月15日

       (掲載なし)

 『人間学研究所年誌2021』No19 2022年3月10日

       『新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告」

       p32-35

 

 

 

人間学研究会。人間学研究所の略史

 


1964年に佐竹が大学3年の時に関東生物科学生懇談会〈生懇)の分科会で「人間学」を作る

  東京教育大の学生を中心に早稲田大、お茶の水女子大、日本女子大、都立大などいろいろな学生が参加

 

1966年に佐竹の大学卒業とともに第1次人間学研究会小原秀雄氏らととらもに作りました。その後。2派に分裂 数年で解散しました



1985年に佐竹ビルの完成とともに第2次人間学研究会を作りました。この時、小原氏とともに柴田義松氏、岩城正夫氏などとともに設立しました。学生などの勝手な行動があり、2年ほどで解散しました。

 

1991年4月に第2佐竹ビルの完成とともに第3次人間学研究会が始まりました。設立総会成蹊大にて
・ (ここの年を間違えて記載していました、1991年が正しい年です)

 

1991年人間学研究所準備室を作り研究所設立に備えました。この時の中心メンバーは柴田氏、小原氏、岩城氏、筆者でした。
研究会は1998年4月にはすべてが実用的人間学研究会となったこともあり、名簿には114名の名前がありました。この時には今度の新所長、岩田氏も参加されました。毎月例会を続けました。



1999年4月には人間学研究所となり、研究所設立寸前の人間学研究会の4月の名簿には142名の名前がありました。この時例会で講師をしていただいた方が31名となかなかの盛況でした。
正式な人間学研究所の発足に伴い、所員と所友制度となり人数は減少しました。。



6月には人間学研究所通信(Humanology)が発行されました。(Humanology)2018年8月現在で81号となっています。

2022年段階で91号です。「人間学研究所年誌」は2022年3月10日 19号です

2000年には「人間学研究所年誌」NO1が発行されました。
派生的に人間学研究所を母体として2002年に総合人間学研究会、2006年には総合人間学会が設立されました。総合人間学会設立時には筆者は事務局次長でした。

2008年には第2次実用的人間学研究会が編成されました。

2009年7月より、「こういちの人間学ブログ」の開始。
・   


2010年3月には人間学研究所の場所が佐竹ビル3階となりました。

    佐竹ビルの5階が佐竹の自宅で3階も自宅として使っていて、道路側の広い部屋12畳以上を人間学研究所としました。

2013年3月に年誌2012(第10号)が発行されましたこの時のメンバーは、人間学研究所32名。実用的人間学研究会会員31名でした。

このころ活動は最盛期でした。(実人員60名) 

2013年11月 佐竹はドライブ中、脳出血をおこし大津の病院に入院しました。翌年2月退院

     状況は年誌2013に記載

2015年3月15日 年誌2014・12号 「こういちの人間学ブログ」について

     ブログアクセス 2014年12月 アクセス97万件

2018年8月の状況


2018年3月発行の年誌2017(15号)に登録されている会員数は、人間学研究所員27名。実用的人間学研究会員19名でした。重複3名、名誉会員2名。2018年8月段階での名誉会員と重複者を除くと29名です。筆者が事務局を離れている間に、この5年間で会員数は半減しました。

事務局長復活に伴い、これからは、面白くてためになる人間学研究所と実用的人間学研究会として、面白い企画をいろいろ考え、会員も増やしていきたいと思います。以前は、大久保の街散策やめずらしい食べ物のたんぽう、科学博物館の「顔展」を見たり千葉の白浜旅行へ行ったりと、いろいろな企画を行いました。

 

2020年2月ころより 新型コロナウイルスの蔓延開始

2020年3月10日 「年誌2019」「人間学研究所の今後について」

2020年 3度の入院 代々木病院から慶応病院へ

2021年1月 佐竹、慶応病院にて大腸がんの手術

2021年 佐竹 不眠症やいろいろな病気が発生      

2021年2月15日 佐竹 具合悪く「年誌2020」年誌の投稿せず

2022年3月10日 『年誌2021」「新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告」

2022年3月  新型コロナ、筆者ワクチン3回 少し下火に

2022年5月1日 ブログアクセス 195万8000件

2020年5月予定 人間学研究所の本の出版企画

2022年5月 「人間学研究所の本」の発行企画

2022年9月 「本の泉社」に連絡する

       研究所メンバーへの連絡 

 


◎以下は以前の記事をそのまま残しました。


2018年9月21日に、カラオケ大会を企画します。

正式にはニュースかはがきでご連絡します。会員以外の方も興味ある方はぜひご参加ください。

日 時 : 2018年9月21日(金) 午後6時から9時まで

場 所 : カラオケ店、「ビッグエコー」山手線新大久保駅前店、マツモトキヨシ前、パチンコ店2階

参加費: 2800円 料理8品・ソフトドリンク飲み放題コース
      お酒飲む方は実費払い カラオケ歌わなくても食事で楽しく歓談しましょう

お問い合わせ
申し込み: 佐竹幸一まで 090-6549-2677
        pcr92240@nifty.com     3日前までに、それ以後のキャンセルは支払いお願いします。、

 

◎第142回人間学研究所、第102回実用的人間学研究会が開催されました。

 

日時:2018年7月20日(金)18時より

 

テーマ:「人間は植物をどのようにみてきたか」

 

講師:岩田好宏氏 人間学研究所新所長

場所:西戸山タワーホームズ集会室

 

資料は「人間学研究所通信81号」に岩田氏の同名の文章が載せられています。

参加者が5名とすくかったのですが、大変重要な参考になるお話でした・

追記

思えば私の人生は人間学特に私の提唱している、実用的人間学とともにありました。実用的人間学の組織を維持するために、学者とならずに、会社の経営者となりました。会社の社長の道楽として会社の1室を確保し、そこを人間学研究所としてまいりました。本来はもっと大きな会社にしたかったのですが、東京ガスの下請けとしてはいっぱいの規模でした。例会を開催する場所や事務所を確保することは、組織にとって重要です。
 新宿で場所を借りて事務所を維痔するには数十万かかります。

 また学者だけでなく、一般人も参加してもらい、それぞれのお得意の分野を話してもらうことは有意義なことです。また研究活動だけでなく、いろいろな親睦活動も行ってきました。それが研究所が1991年から27年間も続いていてきた理由です。〈2022年には31年間です)

 筆者の突然の病気で、活動が停滞しましたが、この度、再び事務局長に復活しましたので、また人間学研究所を盛り上げてゆきたいと思います。

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人間学研究所の例会」カテゴリの記事

コメント

イチロウ様


獣医さんの所の天井近い窓枠にまで飛び上がるとは驚きです。猫のオリンピックが有ったら金メダルですね。
とらちゃんに比べると、わが家の3匹の猫はいずれもダラダラしていてどうしようもないネコでした。

こういち 様

「とら」の思い出ばかりをコメント欄で書き込みしまして申し訳ありません。

話のついでにもう一つ書き込みいたします。 それは、「とら」が未だ若い時に獣医院で診察してもらっていた時のことでした。 

診察を受けられる順番を待っていた筈の方が、いきなり診察室に入ってこられて、それに驚いた「とら」が物凄く怒り、診察台から飛び上がって待合室の敷居を飛び越えて、其処にいた犬に向かって「フー!」と威嚇し、獣医院の天上近くにある窓枠の頂点に飛び上がりました。 高さは、私の背丈よりも更に高く、普通の家の天上程の高さです。 

私も驚いて、待合室におられた方に外部へのドアを開けないように願い、窓枠の頂点の天井近くに爪でしがみ付いていた「とら」に近寄りまして「とら、お家に帰ろう。」と言いまして、両手を差し伸べますと、ゆっくりと体を私の両手に落しましたので、抱き締めてケージに入れて連れ帰りました。

後で、獣医さんと私は、その時の話を何度もしましたが、獣医さんは、「とら」の運動能力に驚いておられました。 ただ、爪がいくつか獣医院の床に落ちていたそうでして、「とらちゃんは大丈夫でしたか?」と訊かれました。

武勇伝は、他にも色々とありますが、確かに「とら」の運動能力は、他の猫とは違っていたようです。

イチロウ様

とらちゃんが床から直に肩に飛び上がれるとはすごいですね。岩合さんのテレビでも。いきなり飛び乗れるのは見たことがありません。

ヨーロッパの場合は肩に乗ってお散歩する場面が多いのですが日本では、実際でも、テレビでもほとんど見たことがありません。

こういち 様

人の肩に乗る猫は、この国ではあまり見ませんね。 でも、猫は、人の肩に乗るのが好きだと思います。 猫の運動神経に依るのかも知れません。日本の猫が、人の肩まで飛び上がれるか否か、に依るのでしょう。

「とら」は、他の猫よりも運動神経が発達していましたので、床から、私の肩まで飛び上がることが簡単に出来ましたので、私の肩まで飛び上がって、前脚で私の頭に爪を出して自分を支えましたので、とても痛かったです。 

また、冬にリビングで長椅子に座っていますと、エリマキ猫になって私の首筋に乗りましたので、とても暖かくて気持ちが良かったことを覚えています。
でも、この時にも、前脚で私の頭に爪を出して自分を支えていましたので、とても痛かったです。

よく猫の爪を切る人がいますが、爪を切ると猫は、欲求不満になりますし、猫タワー等に飛び乗ることが出来なくなりますので、私は、全く猫の爪は切りません。

「とら」がいなくなり、私の頭に爪をたてる猫がいないので、痛い思いはしなくて済みますが、その分は、自分の心が痛みます。 

イチロウ様


コメントありがとうございます。

残念ながら事務局長に戻ったというのも、リハビリが進んで、歩けるようになったとかいうのではなく、例会の場所を、住んでいるマンションのところの集会室に変えて、人間学の例会に毎回参加できるようになったからです。以前は人間学ニュースの発行も、含めてほとんどやっていましたが、印刷機がないため。ニュースの発行は従来通りやってもらいます。

 ハガキの連絡はこちらでやりますと言いましたがパソコンが故障してCD,DVDなどが作動しません。
音も出なくなっています。いよいよパソコンも買い替えるようです。

 ボブという名の猫 幸せのハイタッチ

の宣伝ビデオ、見せてもらいました。病気の前にはよく映画を見に行ったのですが、今は全然見に行っていません。残念です。そのかわり、毎日やっている岩合さんの猫のビデオはよく見ています。

映画でも猫が人の肩にちゃんとのっています。岩合さんのテレビでもヨーロッパではよく肩に載せているのが出てきます。よほど信頼関係がないと、ずっと肩に乗っているというのはでいないように感じます。
 ちきゅう座にも、とらちゃんのことが記事にのっていますね。写真が載せられないのが残念でしたね。


こういち 様

人間学研究所の事務局長に復帰された、とのこと。 おめでとうございます。 それだけリハビリで成果をあげられたから、と思われます。 奥様を始め、ご家族の皆様がお喜びのことでしょう。 私にとっても、吉報です。 何より、二酸化炭素地球温暖化懐疑論の先輩が現役復帰されるのですから。

でも、お互いさまですが、無理は禁物です。 お体に差し障りのない程度の活動にとどめておかれて、ご健康を第一にされることがご家族の願いでしょうから。

私は、家族には恵まれない不運の下ですが、幸いにも猫の家族には恵まれていますので、最近では、自分の健康に気をつけて、不具合があれば専門医に相談し、各種検査を積極的に受けています。 猫にとっては、飼い主だけが頼りですので、倒れると共倒れになりますから。

その昔、私にも家庭がありました。 しかし、中年の折に崩壊しましたので、独り身で過ごす生活になりました。 そして、何時しか女性を避けるようになり、同時に猫が私に寄りつくようになりました。 何かの因果関係があるのかも知れませんが、不思議です。

あるいは、猫を家族の代わりにしているのかも知れませんが、それに応える猫が居るのですから、この世は面白いです。

洋の東西を問わずに、この種の出来事は、あるようです。 昨年にこの国でも公開されました映画「ボブと言う名の猫 幸せのハイタッチ」と言う映画に代表されるように、猫(その他の動物も含めて)と人との触れ合いは、人生を左右する意味を持っているように思えます。

ボブと言う名の猫 幸せのハイタッチ
http://bobthecat.jp/

この映画の原作を読みますと、薬物中毒で最悪の人生を送りつつあった一人の青年を、同じくロンドンの街角に住む野良猫のボブが救ったのです。

我が家の最愛の猫「とら」も、同じく、独り身の「おっちゃん」に家族の持つ温かさを教えてくれたようです。

私も、少し、この方面から人間学を学んでみよう、と思っています。

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