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2022年9月

2022年9月29日 (木)

岩城正夫氏と岩明均氏父子,アメリカ化した教育に対し日本独自の道、鶴見俊輔氏 2022年9月 追記更新版

◎今から6年ほど前に書いたブログで、大変反響のあったブログです。再び皆さんに読んでいただこうと更新してみました。
ぜひお読みください。
人間学研究所の本を出そうとしています。この記事も要約で出されます。 
2019年の7月に出された、「ヒストリエ11」がまだ〈2022年9月)、単行本化されていません。岩明氏の体調でも悪いのかしらと心配です。
岩城先生はとてもお元気です。
岩城正夫先生から、岸田秀氏の本に関しての感想をブログを書いたことに関してのお礼のお手紙をいただきました。またそのお手紙に同封されて岩城正夫、岩明均父子に関する鶴見俊輔氏の新聞記事のコピーも参考資料として送っていただきました。、いろいろ有益な内容がありますので皆さんにご紹介します。

 

現代のことば  鶴見俊輔  父から子へ 2007年の京都新聞記事

 

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京都新聞2007年の記事の一部です  以下その全文です
 作家金達寿をしのぶ会で、初対面の人が近づいてきて、「私は岩明均の父」ですと、あいさつした。

 

 作家の父からあいさつされたことは、私の生涯に、それまでなかった。岩明均は、私が感心している漫画家であるが、これまでに会ったことがない。会おうと試みたことはあるが、会ってくれなかった。ただ感銘だけが残っている。

 

 その父親が、会ってからさらに10年近くたって、著書を送ってきた。
 岩城正夫著『セルフメイドの世界―私が歩んできた道』群羊社である。

 

◎参考資料

 

『セルフメイドの世界』については「こういちの人間学ブログ」をごらんください

 

「岩城先生から『鳴子こけし風ネコの木像』をいただきました、『セルフメイドの世界』について」   2015年12,30

 

 

2018年4月:追記  4月30日開催

 

「岩城正夫氏の講演会『人と技術』~器用と不器用~が開催されますぜひご参加ください」

 

 

 はじまりは、火を起こすことからで、私も、火は木の板を棒を摩擦して起こすということを、こどものころからころから本で知っていたが、この本は、これまで私が読んできた本と違って、失敗するというところからはじまる。

 

 原始人はどのように火を起こしたのか。痕跡から、その手続きをたどってゆく。

 

 この本を読み進むうちに、私は、なぜこの人の息子が『寄生獣』という、めずらしい本を書くに至ったかに、思い当たった。

 

 『寄生獣』の主人公新一は、突然に腕に宇宙からミミズのようなもの(ミギー)が入ってきて、わけのわからないままに、電気のコードで自分の腕を縛り、侵入を食い止める。教科書で習ったこともない、とっさの判断による戦いであり、共生の方法である。

 

 この漫画は私にとって目の覚めるほどおもしろい読書であり、85年生きてきた中で指折りの本である。

 

 こういう本が現れるまでの長い道のりが、父の著書『セルフメイドの世界』にはある。小学生のころ、国語の教科書で農政学者佐藤信淵(一七六九-一八五一)の何代にも渡る受け継ぎの話を読んだことがあるが、それを思い出した。

 

 原始人などといっても、現代のわれわれが考えるのは、あやふやな受け売りで、だいたいが自己教育のプログラムには入ってこない。だが岩城正夫―岩明均の場合、それは実現した。文明の手続きの中で、見失われる人間を見ることだ。

 

 もし私に余命があれば、父から息子への思想の流れを調べてみたい。             それは明治以後の教育史、敗戦以後アメリカ化した日本教育史の中で一つの逆の流れを作ることだろう。

 

 日本が政治と教育の領域にわたって米国の模倣に明け暮れているこの60年の中で,それはひとつの冒険への試みとなる。

 

 われらのUSA宗主国においては、1911年以来、ひとり生き残った先住民イシが白人社会に出てきたことから1つの動きが始まる。彼に対面した文化人類学者アルフレッド・クローバーから、まずその妻、さらに娘と二人の息子によって、米国とは違う考え方が、百年をかけて伝えられた。ことに、娘のル=グゥイン の書いた『ゲド戦記』は、米国で広く読まれ、日本語に訳され、映画になって同時代に影響を持っている。

 

 『セルフメイドの世界』から『寄生獣』への流れが、現代日本文化をつくりかえるひとつの力になることを望む。

 

 哲学者

 

 以上は同封されていた新聞の切り抜きをそのまま載せさせてもらいました。

 

 鶴見俊輔氏はハーバード大卒、母方の祖父は後藤新平。父の鶴見氏や弟妹も学者の一家です。日本にプラグマティズム導入し、「思想の科学」を発行しました。平和運動にもたづさわり、その後「べ平連」の設立、2004年に「九条の会の設立」などを設立しました。筆者もささやかながら、九条科学者の会に参加させてもらっています。

 

岩明 均氏について

 

 本名、岩城 均(ひとし)氏です。1960年7月生まれ、2016年の7月28日で56歳になります。和光大学は中退し、お父さんの最初の出版された火おこしの本の挿絵を描きます。確か新生出版の「原始技術史入門」1976年5月出版でしたでしょうか。今は人間学研究所に本が置いてあるので確認できません。人間学研究会ができたころ岩城先生も創立のメンバーでしたが、息子さんに自信を持たせるために、岩城先生が息子さん(岩明 均さんに)挿絵を描いてももらったんだっだと話していました。本の中に火おこしの方法やいろいろな火おこしの道具など多数の図版がありその技量に感心したものです。もうすでに均さんはその時から大変上手に挿絵を描いていました。そのあとも1985年に漫画家として自立できるまで暖かく見守っておられました。

 

 鶴見氏の文章でも取り上げられている「寄生獣」がものすごく大きな反響を呼びました。ブログ筆者もずっと「寄生獣」は読んでいました。結構残酷な描写があるのですが、それ以上にちょっと大げさですが哲学的に考えさせるところがあって、それが多くの人を引き付けているのでしょう。それ以後講談社の「月間アフタヌーン」を中心として、いろいろな漫画を発表していきました。ふつう有名な漫画となると多くのアシスタントを抱えるものですが、ほとんど1人で書いているようです。ですから作品数も少ないのです。ところで「寄生獣」は数多くの漫画賞を受賞し、2014年には映画化もされました。

 

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p142~ 新一の言葉―10巻から

 

生き物全体から見たら人間が毒で…寄生生物が薬ってわけかよ

 

誰が決める?人間と…それ以外の生命の目方をだれが決めてくれるんだ?

 

そうだ・・殺したくないんだよ!

 

殺したくないって思う心が…人間に残された最後の宝じゃないのか

 

p176

 

他の生き物を守るのは人間が滅びたくないから

 

人間の心には人間個人の満足があるだけなんだ

 

でもそれでいいしそれがすべてだと思う

 

人間の物差しを使って、人間を蔑んでみたって意味がない

 

p216 寄生生物ミギーのことば

 

道で出会って知り合いになった生き物がふと見ると死んでいた

 

そんな時なんで悲しくなるんだろう

 

そりゃ人間がそれだけヒマな動物どうぶつだからさ

 

だがなそれこそが人間の最大の取り柄なんだ

 

心に余裕のある生物 なんてすばらしい!!

 

寄生獣は紙で、(新装版全10巻と完全版全8巻)、電子書籍版全10巻とあります。なんと累計1500万部達成だそうです。 アフタヌーンKCDX,講談社刊

 

 2000年代からは歴史に題材をとった作品も多く出されるようになりました。「ヘウレーヌ」、や「七夕の国」、日本の武士を主人公とした「雪の峠」や「剣の舞」などもあります。最近では2003年からの「ヒストリエ」を連載中です。アレキサンダー大王の秘書官エウナネスを主人公としたものです。

 

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アフタヌーンKC 講談社 継続中です
9巻が2015年5月に出され、最新刊ですが1年半に1冊ぐらい新刊が出る感じです。10巻が待たれます。

 

私が書いた後漢初期の歴史小説『人相食む』も出版もしていないのですが、岩明均さんに描いてもらえたらなー、なんて夢想したこともあります。
 いずれにしても、誰でもが描けないような豊な発想・構想力のもとで、マンガをつくりだすには、単に真似事の積み重ねの秀才タイプには不可能なことです。これは、失敗しても失敗しても努力の積み重ねで、新しい発見を見出していかれるお父さんの岩城先生と共通性が見られところです。鶴見俊輔氏はさすがにそういうところを見出しておられます。

 

 ところで鶴見俊輔氏は残念ながら、2015年7月に93歳でお亡くなりになりました。

 

岩城正夫氏について

 

 1930年生まれ、東京教育大を卒業されました。ブログ筆者の大学の先輩となります。大学卒業後、教師やいろいろな職業につかれたそうです。科学史学会の事務局員もやったことがあり、科学史学会の役員もされました。教育学の柴田義松氏(現人間学研究所長)が女子栄養大学の教授になられた後、1969年動物学の小原秀雄氏と原始技術史の岩城正夫氏を招へいし、同じユニークな「人間学」のカリキュラムに組み込みました。

 

 1982年、小原氏と岩城氏により「人間どう見るか」シリーズ3巻出版(群羊社)、1985年1月から小原、柴田、岩城氏により「人間人にとって教育とは何か」シリーズ、群羊社などが出版されました。

 

 1985年5月第2次人間学研究会発足しました。小原、柴田、岩城氏と筆者の佐竹が中心メンバーです。それが中断後、1991年4月第2サタケビルが完成しその1室に人間学研究所準備室が作られ、第3次人間学研究会が発足しました。その後1993年岩城氏の提案により人間サロンを開始しました。さらに1999年人間学研究所、2002年総合人間学研究会の設立に岩城先生は常に重要な役割を果たされました。小原、柴田先生は御大ですが実質的に支えらえたのはいつも岩城先生です。

 

 岩城先生は実験考古学の新しい分野を開発されました。一番最初に取り組まれたのは「火おこし」の技術です。大変な失敗の連続の中から、簡単に火が付く方法を見つけ出されました。現在は「古代発火法検定協会」が作られ、その理事長を務められています。岩城先生は本当にいろいろなものにチャレンジされてきました。人間学研究会の例会でもいろいろ実演して見せていただきました。石器の再現、パン焼き器、紙巻きたばこ機なども実演されました。全部足すとかなりの種類になります。古代の弩の再現にも取り組まれています。詳しくは「『セルフメイドの世界』-私が歩んできた道」発売 群羊社、2500年、1300円、をぜひご覧ください。和光大学でも大変人気がある講義で、学生のレポートを見るのが大変だとおっしゃっていました。

 

 その本にも書かれていますが、日本の学会に権威主義がはびこり、実際はどうなのかということがおろそかになっていることです。またその権威もアメリカの権威が最大に偉いとなっており、英語で書いた欧米の科学誌に多く書いたものが最も評価されるという状態です。ユニークな取り組みはあまり評価しないような日本の学問の世界の状況です。

 

 岩城先生のお弟子さんの関根秀樹さんも、原始技術の実演と説明を何度も、人間学研究会から研究所へと現在までとお聞きしました。関根さんは和光大学で学生時代、古文書の解読などに取り組んでおられました。それが、岩城先生の講義を聞き、その魅力にいっぺんにとりつかれたそうです。そしてずいぶん前から人間学研究会をとおしていろいろな原始技術の実演とお話をお聞きしました。火おこしの技術は世界チャンピオンだそうです。岩城先生と関根さんの共著の論文「古代文献に見られる古代発火技術について」において、第2章の「古文献にみえる発火技術」で古代のいろいろな文献を出されているのは、関根さんの面目躍如というところです。現在伊勢神宮などで使われている「マイギリ式発火法」は比較的最近の発火法で、本来は「きりもみ式発火法」が古くからおこなわれていたということなどを明らかにしました。(この論文は、「セルフメイドの世界」に載っています)

 

 お酒はほとんど飲めないのに浦澄がおいしいお酒だと教えていただいて筆者は今でも好んで飲んでいます。関根さんのことは改めて書きたいと思います。

 

 ◎学会の状況ですが、日本の現在の総合人間学会などでも、ブログ筆者が書いた論文など、二回も頭から否定されるような状況がありました。岩城先生も総合人間学会には嫌なことがあり学会をやめたと言っておられます。筆者はマックス・シェーラーなどの哲学的人間学を批判しています。それが筆者の論文に現れています。しかし、初代会長は哲学的人間学の立場です。「私の本をよく読めば、こんな考え方になるはずがないのになー」といっていました。

 

 総合人間学会に入られた、筆者がこの先生はと思っている研究者のかたも次々にやめてしまっています。はじめは政治とは無関係でいようという初代、2代目会長の方針に反対された、バナールの『歴史における科学』を訳された鎮目恭夫先生などですが、他の方の名前は今はあげないでおきます。初代会長には柴田先生を強く推薦すべきだったと後悔しています。でも3代目の堀尾輝久会長には期待しております。

 

 最近のブログにも書きましたが、岩城先生から鳴子こけし風のネコやお地蔵さまをいただきました。今度は観音様に取り組まれるようです。細かい手の作業は脳の働きを活性化させます。岩城先生がいくつになられても積極的に物事に取り組まれるのは本当に頭が下がります。いつまでもお元気なのもそういう積極性だと思います。私もそうありたいものと思っています。

 

 岩城先生は86歳です。でもいつまでもお元気なのは、驚きです。 以前、階段を上がるのに2段ずつ上がるようにしているとお聞きしていました。いつまでそのように上がっておられたのか今も上がっておられるかはわかりません。頭をいつまでも若々しく働かしておられるのと、体を常にうまく動かしていくのは若々しさの必須事項です。食べ物も気を付けられているのではないかと思います。このさき、おそらくは100歳を超えてもお元気でしょう。筆者もそうありたいなと思っておりますし、「実用的人間学」にとっても、「元気で長生き」というのは、極めて重要な課題です。

 

◎私事ですが、ブログ筆者も頑張らねばと思い、今まで電動車いすになってから、足の筋肉が衰えているように感じましたので、1週間前から、室内にいると時は、モーターのスイッチを切っています。普通の車いすよりだいぶ重いので、手足だけで動かすのは少し大変ですが、筋肉を鍛える意味で、手動にしています。来年あたりには杖で出歩けるようになりたいものです。
◎2018年4月14未だです
ヒストリエ10は、2017年3月に発売され、すぐ購入しました。11は2019年1月ごろとか。
発行がゆっくりで待ち遠しいです。
このブログへのアクセスが増えています。現在ベスト10に入りました。

ヒストリエ11は2019年7月発売されました

12は2022年9月 まだです

 

 

 

 

 

 

2022年9月20日 (火)

日経新聞各社の2020年9月の世論調査 内閣不支持。支持を逆転

2022年9月20日の日経新聞朝刊2面に9月の各社世論調査がのった。

9月の世論調査 内閣不支持、支持を逆転となっている 

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報道各社の9月の世論調査で岸田文雄内閣を「支持しない」と答えた割合が

「支持する」を上回る結果が相次いだ。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)

をめぐる問題や安倍晋三元首相への反対論、物価高の懸念が重なったことが

響いたとみられる。

 

報道各社の世論調査の比較

自民党の調査は安倍元首相や細田博之衆院議長らを

対象外としたほか公表後に教団と新たな接点が判明する

議員もいる。不信が支持率に影響を及ぼした可能性がある。

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世論調査が後になるほど政府の支持率は低下している。

読売新聞は2~4日だった。自民党が旧統一教会の

調査結果を公表する〈8日)前で「支持する」が50%、支持

しないが41%で差は10%未満で逆転はしていなかった。

 

昨日,故イギリス女王の国葬が行われ、イギリス国民はじめ

諸国から慕われていたことがわかります。それに対し、故安倍

元首相の国葬が多くの非難の中で開かれるので、どうなるのか

見ものである。

 

 

 

 

2022年9月17日 (土)

「100歳以上」9万人突破 9月19日が敬老の日 最高齢 巽フサさん115歳 前の最高齢は田中カ子さん119歳。

2022年9月19日が今年の敬老の日です。日経新聞9月16日

(金曜日)の夕刊に、「100歳以上」9万人突破、女性が89%、

最高齢は115歳最高齢の巽フサさん、食欲健在、の記事が載り

ました。

 

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国内最高齢の巽フ・サさん〈6月大阪府 柏原市)

巽フサさんは 柏原市の特別養護老人ホーム「はくとう」

で暮らしています。1日の多くをベッドで暮らしているが

3食とも完食できるほどに食欲は健在。

「食べることと、口を動かすことが長寿の秘訣」と口

をそろえる。

 巽さんは1907年(明治40年)4月25日生まれ

6人兄弟の次女として生まれた。

入所する106歳まで自宅玄関に自分でいけた

花を飾り、庭では菊を育てていた。

男性の日本1は広島県神石高原町の中村茂さんで

1月11日生まれの111歳。

 

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都道県別10万人当たり100歳以上高齢者数

 特に島根県と鳥取県の1,3位が目立ちます。

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厚労省によると、21年の平均寿命は女性が87,57歳。男性が

81,47歳となり、男女とも10年ぶりに前年を下回った。

新型コロナウイルス流行の影響とみられる。

 

◎世界最高齢となった田中カ子さんは2022年4月14日に

119歳で死去しました。2021年9月の段階で世界1となりました。

2022年9月14日 (水)

人間学研究所の簡単な歴史 追記更新版 2022年9月段階での状況 4月21日 小原秀雄氏が死去されました。5月岩田氏が名誉所長になられました。

2022年9月版として更新しました。

この記事は以前のものでしたが。2022年5月1日に大幅に変更して、更新しました。

「以前の記録については『人間学所通信第30号』(2006年5月発行)から第37号〈2008年4月)までをまとめた『人間学研究会のあゆみ』〈2012年改訂版 6月修正)A4判 32ページがあります。

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1、人間学研究所の経過と現状

2013年11月に旅行先の滋賀県で脳出血で倒れ、4か月ほど入院し、車いす生活となりました。佐竹ビルの5階の自宅と、3階の人間学研究所に、エレベーターがないため戻れず、副会長の岩田氏に人間学ニュースと例会のお知らせをやっていただき、事務局長の仕事を木村廣子先生と税理士で実用的人間学研究会の副会長の杉山靖夫氏にお願いしていました。筆者が人間学の例会に参加できなかったからです。

佐竹ビル3階に甥っ子の日高さんに住んでもらっていましたが、改めて印刷機などがある元の風呂場を直し、本格的に住んでもらうことになりました。残っている猫の面倒も見てもらいます。それで、人間学の例会は現在、筆者の住んでいるマンションの集会室で行うことになりました。以前は、筆者が話をするときだけ、住んでいるマンションの集会室で行いました。

◎佐竹ビルの3階には今度は一番上の孫の泰知君に入ってもらうことにしました。2022年5月1日は引っ越しです。

人間学研究所の所長の柴田義松氏と名誉所長の小原秀雄氏も今度から、名誉所長と顧問になっていただくことになりました。そして、実質的に所長の役割をされていた岩田好弘氏に所長になっていただくことになりました。そしてブログ筆者も4年半ぶりに事務局長に復活することになりました。ただ、以前行っていた、人間学研究所通信の発行は印刷機がないので今まで通りでお願いしたいと思います。メールの添付ファイルでしたら簡単なのですが。メールアドレスをお持ちの方は出来るだけ教えてもらいます。

◎ながいあいだ老人施設に入っていた、小原秀雄氏が2022年4月21日、死去されたとの連絡を岩田氏からいただきました。小原氏はブログ筆者が学生時代からのお付き合いでした。途中で総合人間学会での小林直樹とのトラブルのあと、気まずい思いをしました。その後小原氏が骨折して入院された時、女子栄養大の学生たちとお見舞いに行き、気まずさは解消しました。

人間学通信は従来どうりで発行していただきます。ハガキでの例会のお知らせはこちらで行います。

人間学研究所には8000冊の本、特に人間学と名のついた本、昔の貴重な本はたくさんあります。例会の記録テープ、膨大な量があります。人間学研究所のノート多数。人間学例会の資料等。
 古い教科書、映画のビデオなどは捨ててしまいました。

なお、前にも書きましたが、柴田義松前人間学研究所所長に変わり、岩田好弘氏が2代目の所長になられました。岩田好弘氏は、柴田義松氏が所長時代に副所長として極めて重要な役割を果たしてこられました。岩田好弘氏は、東京教育大の動物学科を卒業され、筆者の4期先輩になります。高校の生物科の先生をやられるかたわら様々な団体の会長や役員をやられ、現在でも、総合人間学会の理事をされています。当研究所においては極めて重要な役割を果たしておられます、筆者が病気になった後は、事務局長の役割も果たしていただきました。人間学研究所においては極めて重要な役割を果たしてこられました

 

 2022年5月 年齢を理由に岩田好宏氏が、2代目の所長を退任されました。

      そして前の小原秀雄氏と同じように名誉所長になっていただきました。

      3代目所長は副所長の森岡修一氏に、なっていただく予定です。

       5月  森岡修一氏に所長になっていただきました。

  7月  人間学研究所、実用的人間学の記念の本を出版する予定です。
 
1、人間学研の簡単な歴史を書いてみます。

 

  詳しくは「人間学研究所年誌2007」(No5)人間学研究会のあゆみ1と年誌2008(No6)」、人間学研究会のあゆみ2「人間学研究所年誌2012」(第10号)をご覧ください。

1963年、ブログ筆者が東京教育大の学生のころ、関東生物科学生懇談会(生懇)の分科会で・・人間学分科会を作ったのが始まりです。

     場所は東京教育大動物科控室 4年後期に筆者が生懇代表となる。前期代表は 動物科同期の近藤さん、1年後では浅島誠さんが代表

     でした。各大学から学生が集まり研究者や大学教授になった人も多数ありました。

 

人間学分科会の手書きのファイルです。大学卒業直後の手書きのノートです。

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上記のファイルの1ページ目です。

 

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発言者の名前と略号です・名前と大学名が入っています。会議の発言内容を記録しました。

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メンバーの発言者は東京教育大学動物学科が最も多いのです.ほかに教育大心理学科、体育学科,日本女子大、お茶の水女子大、早稲田大学などです。

1965年4月 第一次人間学研究会発足 学生主体

◎下記の写真は今までの各段階の人間学研究会から人間学研究所への印刷物です

1965年6月 小原秀雄氏の江古田の自宅を訪問し、小原秀雄氏と佐竹幸一が会う

    小原氏入会し会長になる

」1965年再発足 人間学ニュースの発行ループ

1967年5月 42回例会にて第1次人間学研究会解散

1969年女子栄養大学に『人間科」できる

   柴田、小原、岩城氏

1985年5月 第2次人間学研究会」できる

   小原、柴田、岩城、佐竹幸一   

        和光大学 野本雅夫、関根秀樹

「人間学ニュース第1号」 手書きでした。1985年6月3日 第2次「人間学研究会」の記録

  第1 回例会について 5月13日 佐竹ビル2階にて 参加者15名

 司会岩城氏

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人間学ニュース第2号」1985年6月号 巻頭は小原秀雄氏の言葉

 『人間学研究会に想う」 小原秀雄

1986年1月 東大にて人間学シンポジウム  100名参加

  柴田義松氏 東大教育学部長 小原秀雄氏、岩城正夫氏

  佐竹幸一、野本氏

人間学ニュース21号」1987年2月号

  人間を中心にすえた教育を 佐竹幸一

 

第2次人間学研究会のオープンセミナーを東大で開催した時は100名ほどの参加者がありました。

   柴田義松氏、小原秀雄氏、岩城正夫氏、佐竹幸一

1987年6月 26回例会で第2次人間学研究会終了

 

1991年4月 第3次人間学研究会スタート 

       第2サタケビル2階に人間学研究研究所準備室できる

 

実用的人間学研究会 1993年5月佐竹が始める〈一次)

「実用的人間学ニュース」第2号 平成5〈1993年)年11月 

 第7回例会 「戦争の人間学」佐竹幸一

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「第2回実用的人間学研究会」

    1993年5月27日「信長、秀吉、家康の人間学」

       講師 佐竹幸一

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1993年9月 岩城正夫氏中心に「人間サロン」できる

「人間学ニュース」60号まで

1996年 「人間サロン」と「実用的人間研究会」まとまる

   新屋重彦、志村紀夫、尾関修二氏参加

   北原眞一、杉山靖夫、平田ひろみ、永井治

◎その後一時中断

 

 

「人間学ニュース」No1 人間学研究所のビル(第2ビル)完成以後

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「実用的人間学ニュース第1号」 平成5〈1993年)年10月

 第7回例会 「超能力の人間学」講師 佐竹幸一

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「実用的人間学ニュース」最終号60号 平成11〈1999年)年4月

 1999年4月1日の「人間学研究所」の設立を報告しています。

 例会は第64回まで 平成11年3月 柴田義松氏

 

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「人間学研究所設立総会」のお知らせ

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人間学研究会から人間学研究所へ 

 1999年4月 人間学研究所できる

  設立記念集会 成蹊大学にて 参加40名

  所長柴田義松、名誉所長小原秀雄 副所長 岩田好宏氏

 

 2002年6月 総合人間学研究会準備会

    森岡修一氏 中江和江氏

 

 2002年11月総合人間学研究会設立 明治大学 150名参加

 

 2004年2月新教育人間学部会設立

 

 2006年5月総合人間学会設立 明治大学 300名参加

 

 2008年4月 実用的人間学研究会〈2次)

 

 2009年2月 新教育31名 実用的33名 両方参加11名

 

『人間学研究所通信 Humanology 』のファイルです

1〉(1999年6月第1号))から〈2009年1月)91号までです

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「実用的人間学セミナー」 全12回 第1期 平成17年度 2006年

 下記の内容で佐竹が毎月1回 話をしました

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資料はすべてファイルされております

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実用的人間学セミナー

第1回  「健康の人間学」2005年5月 第1回 

 2回  「人相術、手相術」1

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2006年5月18日 最終回 反省会と今後の取り組み セミナー終了式

         自分を語る 自伝講評

「実用的人間学セミナー」第2期 全10回 平成18年度4月から19年度 2007年から

 

  1月 「おみくじについて」

 

  4月 「実用的人間学研究会準備会とゼネラリスト養成講座について」

  7月 「宗教的信念と科学的信念」

 11月 『後漢初期の人間学」

 

「人間学研究所通信」 HUMANOLGY

1号 1999年6月

91号 2021年10月7日

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人間学研究所通信NO1ー91

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「人間学研究所の年誌」です 1号〈2000年)から19号〈2022年)です。

 

佐竹幸一が『人間学研究所年誌』に書いた記事一覧

 『人間学研究所年誌2000』 No1  2000年12月1日発行

        『人間学の概要』 p59-69

        『人間学研究所の概要』p70-81

        「実用的人間学部会の活動」報告 p104-121

 『人間学研究所年誌2002』No2   2002年11月30日発行

       『人間学を取り巻く状況』 p44-55

 『人間学研究所年誌2003』 No3  2004年8月1日発行

       『ゼネラリスト養成講座』について p106-115

  『人間学研究所年誌2006』 No4

                      『人間学ノート』p111-124

 『人間学研究所年誌2007』 No5

      『人間学研究会のあゆみ』 (一)p88-104

 『人間学研究所年誌2008」

      『人間学研究会のあゆみ』 〈二)p-92

 『人間学研究所年誌2009」

      『人は自分の考えに固執する エセ科学と懐疑論』

                          p74-79

    『人間研究所年誌2010」 No8 2011年3月31日

      『人間学・人間科学の状況-大学の講座等に見る』

         p41-60

  『人間学研究所年誌2011」 No9

      『原発のウソについて』p37-50

 『人間学研究所年誌2010』 No8

     『人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学』

           p100-113

 『人間学研究所年誌2013』 No11

    『視床出血からの回復に向けて―私の病状報告』

           p72-80

 『人間学研究所年誌2014』 No12

    『こういちの人間学ブログ」について」

         p91-96

 『人間学研究所年誌2015』No13・

    「気候変動・温暖化・大気汚染とCOP21]

           二酸化炭素温暖化説について

    「ネアンデルタール人などと私たち人類」 

            p116-123  

 『人間学研究所年誌2016』 No14

    『どこまで人間とみるか』その歴史と未来 p67-82

 『人間学研究所年誌2017』No15

    『CO2温暖化仮設、今日、日本の経済界、報道の空気変わる』

           p75-81

 『人間学研究所年誌2018』No16

       『柴田先生の思い出と人間学研究所のこれから』 

           p40-49

 『人間学研究所年誌2019』No17 2020年 3月10日

       『人間学研究所の今後について』 p55-64

 『人間学研究所年誌2020』No18 2021年2月15日

       (掲載なし)

 『人間学研究所年誌2021』No19 2022年3月10日

       『新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告」

       p32-35

 

 

 

人間学研究会。人間学研究所の略史

 


1964年に佐竹が大学3年の時に関東生物科学生懇談会〈生懇)の分科会で「人間学」を作る

  東京教育大の学生を中心に早稲田大、お茶の水女子大、日本女子大、都立大などいろいろな学生が参加

 

1966年に佐竹の大学卒業とともに第1次人間学研究会小原秀雄氏らととらもに作りました。その後。2派に分裂 数年で解散しました



1985年に佐竹ビルの完成とともに第2次人間学研究会を作りました。この時、小原氏とともに柴田義松氏、岩城正夫氏などとともに設立しました。学生などの勝手な行動があり、2年ほどで解散しました。

 

1991年4月に第2佐竹ビルの完成とともに第3次人間学研究会が始まりました。設立総会成蹊大にて
・ (ここの年を間違えて記載していました、1991年が正しい年です)

 

1991年人間学研究所準備室を作り研究所設立に備えました。この時の中心メンバーは柴田氏、小原氏、岩城氏、筆者でした。
研究会は1998年4月にはすべてが実用的人間学研究会となったこともあり、名簿には114名の名前がありました。この時には今度の新所長、岩田氏も参加されました。毎月例会を続けました。



1999年4月には人間学研究所となり、研究所設立寸前の人間学研究会の4月の名簿には142名の名前がありました。この時例会で講師をしていただいた方が31名となかなかの盛況でした。
正式な人間学研究所の発足に伴い、所員と所友制度となり人数は減少しました。。



6月には人間学研究所通信(Humanology)が発行されました。(Humanology)2018年8月現在で81号となっています。

2022年段階で91号です。「人間学研究所年誌」は2022年3月10日 19号です

2000年には「人間学研究所年誌」NO1が発行されました。
派生的に人間学研究所を母体として2002年に総合人間学研究会、2006年には総合人間学会が設立されました。総合人間学会設立時には筆者は事務局次長でした。

2008年には第2次実用的人間学研究会が編成されました。

2009年7月より、「こういちの人間学ブログ」の開始。
・   


2010年3月には人間学研究所の場所が佐竹ビル3階となりました。

    佐竹ビルの5階が佐竹の自宅で3階も自宅として使っていて、道路側の広い部屋12畳以上を人間学研究所としました。

2013年3月に年誌2012(第10号)が発行されましたこの時のメンバーは、人間学研究所32名。実用的人間学研究会会員31名でした。

このころ活動は最盛期でした。(実人員60名) 

2013年11月 佐竹はドライブ中、脳出血をおこし大津の病院に入院しました。翌年2月退院

     状況は年誌2013に記載

2015年3月15日 年誌2014・12号 「こういちの人間学ブログ」について

     ブログアクセス 2014年12月 アクセス97万件

2018年8月の状況


2018年3月発行の年誌2017(15号)に登録されている会員数は、人間学研究所員27名。実用的人間学研究会員19名でした。重複3名、名誉会員2名。2018年8月段階での名誉会員と重複者を除くと29名です。筆者が事務局を離れている間に、この5年間で会員数は半減しました。

事務局長復活に伴い、これからは、面白くてためになる人間学研究所と実用的人間学研究会として、面白い企画をいろいろ考え、会員も増やしていきたいと思います。以前は、大久保の街散策やめずらしい食べ物のたんぽう、科学博物館の「顔展」を見たり千葉の白浜旅行へ行ったりと、いろいろな企画を行いました。

 

2020年2月ころより 新型コロナウイルスの蔓延開始

2020年3月10日 「年誌2019」「人間学研究所の今後について」

2020年 3度の入院 代々木病院から慶応病院へ

2021年1月 佐竹、慶応病院にて大腸がんの手術

2021年 佐竹 不眠症やいろいろな病気が発生      

2021年2月15日 佐竹 具合悪く「年誌2020」年誌の投稿せず

2022年3月10日 『年誌2021」「新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告」

2022年3月  新型コロナ、筆者ワクチン3回 少し下火に

2022年5月1日 ブログアクセス 195万8000件

2020年5月予定 人間学研究所の本の出版企画

2022年5月 「人間学研究所の本」の発行企画

2022年9月 「本の泉社」に連絡する

       研究所メンバーへの連絡 

 


◎以下は以前の記事をそのまま残しました。


2018年9月21日に、カラオケ大会を企画します。

正式にはニュースかはがきでご連絡します。会員以外の方も興味ある方はぜひご参加ください。

日 時 : 2018年9月21日(金) 午後6時から9時まで

場 所 : カラオケ店、「ビッグエコー」山手線新大久保駅前店、マツモトキヨシ前、パチンコ店2階

参加費: 2800円 料理8品・ソフトドリンク飲み放題コース
      お酒飲む方は実費払い カラオケ歌わなくても食事で楽しく歓談しましょう

お問い合わせ
申し込み: 佐竹幸一まで 090-6549-2677
        pcr92240@nifty.com     3日前までに、それ以後のキャンセルは支払いお願いします。、

 

◎第142回人間学研究所、第102回実用的人間学研究会が開催されました。

 

日時:2018年7月20日(金)18時より

 

テーマ:「人間は植物をどのようにみてきたか」

 

講師:岩田好宏氏 人間学研究所新所長

場所:西戸山タワーホームズ集会室

 

資料は「人間学研究所通信81号」に岩田氏の同名の文章が載せられています。

参加者が5名とすくかったのですが、大変重要な参考になるお話でした・

追記

思えば私の人生は人間学特に私の提唱している、実用的人間学とともにありました。実用的人間学の組織を維持するために、学者とならずに、会社の経営者となりました。会社の社長の道楽として会社の1室を確保し、そこを人間学研究所としてまいりました。本来はもっと大きな会社にしたかったのですが、東京ガスの下請けとしてはいっぱいの規模でした。例会を開催する場所や事務所を確保することは、組織にとって重要です。
 新宿で場所を借りて事務所を維痔するには数十万かかります。

 また学者だけでなく、一般人も参加してもらい、それぞれのお得意の分野を話してもらうことは有意義なことです。また研究活動だけでなく、いろいろな親睦活動も行ってきました。それが研究所が1991年から27年間も続いていてきた理由です。〈2022年には31年間です)

 筆者の突然の病気で、活動が停滞しましたが、この度、再び事務局長に復活しましたので、また人間学研究所を盛り上げてゆきたいと思います。

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