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2022年12月29日 (木)

電動車いすで四谷の新宿歴史博物館まで、行ってきました。大久保の地図もまた買いました。

区立新宿歴史博物館はいままで1度も行ったことがありませんでした。新大久保からでは車いすでは少し距離があるように感じました。

行ったのは、すこし前の11月27日です。住所は新宿区四谷三栄町2-16です。

入り口のモニュメントです。

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博物館の入り口です。

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特別展の場所 新宿の弥生時代展 大きな銅鐸

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光を当てると小さく金色に光るところがありました・

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常設展の眼玉の建物

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新宿の縄文時代の展示

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昔の写真や絵

上ー大久保満花園 ツツジ園

下ー早稲田大学

 

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大久保の昔の地図 神田川が下から右側、早稲田の低地

赤は遺跡の後

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大久保の三角山

弾除けの人工の山と保善高校 ブログ筆者の子どものころは

この山で皆であそびました、

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各地区ごとに作った歴史地図 淀橋・大久保 編

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新宿区の民俗 淀橋地区編

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江戸時代の百人町の地図 鉄砲同心百人組

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大正時代の地図に氏大久保駅と大久保駅の間に、佐竹桶店が載っています。

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新宿区の民俗』で

大久保地区の「大久保と百人町」の155ページ「井戸」と156ページの「職人の暮らし」は、ブログ筆者(佐竹幸一)の父親(佐竹実)が答えています。

大正、昭和の初めは、わが家は井戸掘りと風呂桶づくりが仕事でした。明治末期は曽祖父傳蔵が桶屋をやっていましたが、その時は祖父、庄次郎は大阪に行っており、父親も大阪で子ども時代を過ごし、詳しい話を聞けませんでした。曽祖父が倒れてから祖父が大阪から帰ってきました。

井戸を掘るには木の桶が必要で、それで桶屋が井戸掘りも兼ねたのです。桶屋よりも井戸掘りが本業でした。新大久保は比較的浅くで、水が出たのです。以前、第2佐竹ビルの地下を掘ったとき、大量に水が出て困りました。

父の兄は井戸掘りの酸欠事故で亡くなりました。新聞記事にのったそうです。

桶職人は住み込みで働いたが、井戸の職人は通いでした。筆者が中学生のころまで住み込みの職人さんがいました。

 この記事では『エネスタ百人町』という名前で、紹介していますが、これはずっと後の、東京ガスの委託店になってからの名前です・

父は住み込みで働いている職人は「ワカイシ」という名前で言っていますが「若い衆」の事です。

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