エスニックの街、新大久保に唯一残っていた盛好堂書店さんが閉店しました。旧店主の道岡君とはブログ筆者と小学校同級です。
2024年7月28日、新大久保で唯一残っていた,本屋さん、盛好堂書店さんが閉店しました。この記事はすでに多くの記事が載せられています。このニュースをインターネットの記事で目にしてから、8月18日(日)に初めて行ってみました。
このところ暑いのでブログ筆者が新大久保周辺に行くのが遅くなりました。盛好堂さんは新宿区百人町2-1-4で大久保通りを挟んで北側にあります。ブログ筆者の元の店舗・住居は百人町1-3ー17で大久保通りの南側にあります。百人町は江戸時代には鉄砲隊百人組に与えられた土地で江戸城の警護にあたっていました。百人町は3つの町会に分かれていて山手線の内側の百人町東町会、中央の中央町会、総武線の外側の西町会に分かれていました。盛好堂書店さんは大正期にお店を開きました。戸山小学校の入口です。ブログ筆者の祖先はブログ筆者の曽祖父が明治末期に総武線の大久保駅の近くで桶屋を始めたことが始まりです。戦後まもなく現在の新大久保駅近く,盛好堂さんの近くに転居しました。
盛好堂書店は大久保通りから戸山小学校に入る道の入口にあります。戸山小学校では盛好堂書店の店主の道岡君とは1年から6年まで同じクラスでした。当時の70数年前の戸山小学校では安普請の木造校舎で教室が足らず2部授業でした。3年か4年の頃西戸山小学校ができて普通の授業になりましたが、それでも1クラス50名くらいでした。道岡君とは1年からずっと同じクラスでした。道岡君はいろいろな活動に熱心で、書店の組合の中心であり、町内会でも中心的に、合唱サークルでも熱心に取り組みました。途中で腎臓病となり透析をする生活となりましたが、それでも全くへこたれることもなく、小学校のクラス会でもずっと幹事役をしてくれました。
下の写真 盛好堂ビルその1階が盛好堂書店、今は閉店し看板が取り外されています。2階と地下1階は飲食店です。
この書店では韓国のいろいろな雑誌などが置いてあり有名でした。
先日お亡くなりになりましたが道岡君のお母さんはとても元気で長生きでした。
高田馬場の芳林堂書店も店の広さが半分になり、神田の書店、書泉に吸収されました。
参考写真
今では百人町の東町会地区の大久保通りに残る唯一の昔ながらの日本人経営のお店となった、熱帯魚販売店の円満屋さん。
そのとなりの〈下の写真)お店の佐竹ビル。ブログ筆者のビルです。1,2階コスメ店、リ・メイクなど、3階に新たに開店したのが、Uri Cafe 。
3階はヨガ教室、5階はレンタルスペース、スタジオ AS&SAです。
« 長生きの戸山高校の恩師、武藤徹先生が99歳でなくなくなられました。思い出話いろいろ。 | トップページ | 新宿紀伊国屋書店、本店の健康本売り場を見る 高田馬場の芳林堂書店も見ました。その数の多さにビックリです。 »
「大久保の街紹介」カテゴリの記事
- 本日、第41回大久保まつりが開催されます。その概略を紹介します。パレードは別に紹介します。(2024.10.14)
- テレビ東京の「出没!アド街ック天国」で、「新大久保の街ランキング20」が放送されました。長年、新大久保に住んでいるものが追加します。(2024.10.02)
- 1階が韓国化粧品店のリメイクの佐竹ビル3階に、BTSファンクラブARMYが経営するUri Cafeがオープンしました。(2024.09.10)
- エスニックの街、新大久保に唯一残っていた盛好堂書店さんが閉店しました。旧店主の道岡君とはブログ筆者と小学校同級です。(2024.08.19)
- 大久保の文学碑を見る、小泉八雲 下村湖人 鈴木三重吉、島崎藤村の碑があります。 昔の大久保の様子も追加します。(2024.05.14)
« 長生きの戸山高校の恩師、武藤徹先生が99歳でなくなくなられました。思い出話いろいろ。 | トップページ | 新宿紀伊国屋書店、本店の健康本売り場を見る 高田馬場の芳林堂書店も見ました。その数の多さにビックリです。 »
コメント