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2024年11月19日 (火)

 人間学研究会 人間学研究所 人間学懇話会の60年間の略史 そこでの蔵書も資料とともに掲載しました。追加更新版

◎ブログ筆者が、東京教育大学の学生時代と卒業直後の1965年から1967年ごろの図書貸出簿です。このころ佐竹はかなり人間学関係の本を集めていました。このとき人間学研究会の名簿があります。会員数約30名。名簿では小原秀雄氏が顧問格となっています。他にお茶大教授の柳田為正氏、東工大教授の八杉龍一氏、教育大教授の大島康正氏の名前が載っています。佐竹の所属する東京教育大の動物学の学生が中心で、8人ほど、教育大の他の学科の人が8人、早稲田の生物学の学生が3人、お茶大2人、日本女子大4人などでした。連絡して例会参加の人には東大、横浜国大などの人たちがいました。ノートの終わりの頃の名簿は40名くらいになっていました。佐竹は教育大を卒業し、学生は早稲田大学や日本女子大の学生が増えてきました。小原秀雄氏の本は7冊置いてありました。貸出簿の最初は小原氏が3冊借りています。(後で再び書いています)

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2000年までの簡単な人間学研究会や人間学研究所の歴史は、『人間学研究所年誌2000』No1の「人間学の概要」佐竹幸一 に書かれています。

p75の4「人間学研究所への歴史」です。

1、生懇の分科会としての「人間学」1953年12月設立 58回の例会開催

2,第1次人間学研究会 1965年4月16日 佐竹の大学卒業とともに設立 例会は月2回 会長小原秀雄 事務局長佐竹幸一 会員20名 連絡する人10名 人間学ニュース17号発行 1967年17名参加で合宿 1966年佐竹が中心に人間論研究会作るこれは1970年までつづく 人間学研究会は1967年5月解散

3、第2次人間学研究会 1985年5月 会長小原秀雄氏 副会長 柴田義松氏、岩城正夫氏 事務局長佐竹幸一 会員54名 和光大学 女子栄養大の学生が多い  研究会は26回 研究会ニュースは25号発行 1985年東大で開かれたシンポジウムは100名参加

4、第3次人間学研究会、および人間学研究所準備室 1991年4月 佐竹ビルの2階が人間学準備室となり人間学研究会が再開 会長小原秀雄氏副会長 柴田義松氏 佐竹幸一 事務局長 岩城正夫氏 1993年には佐竹が実用的人間学研究会を始める また岩城氏の提唱する 人間学サロンができる 1998年にふたたび人間学研究会に

5、人間学研究所の設立 1999年4月1日 現在に至る 2000年8月所員14名 会長 柴田義松氏 名誉所長 小原秀雄氏 副所長 岩田好宏氏 理事岩城正夫氏・・専務理事 佐竹幸一 所友57名 教育人間学部会 実用的人間学部会

ブログ筆者は東京教育大学在学中に生物科学生懇談会〈生懇)に「人間学」の分科会を作り、新しい人間学を作るべきと、人間学に関連する書物の収集を学生時代から始めていました。当時人間学に興味を持っていた小原秀雄氏も参加していただきました。大学4年生の時に(昭和40年11月-1965年)作った人間学研究会の名簿と図書貸出簿があります。

また20回例会から28回の参加者名簿があります。正会員は13名、皆勤は佐竹と、後日日本女子大にも人間学研究会を作り筆者の妻となった青野さん。早稲田の学生で後日女子栄養大教授となった平田氏。顧問格の後で女子栄養大教授となった小原秀雄氏、他に教授となったのは、小池氏、奥崎氏、高島氏で和田氏は高校の校長に他に各分野で素晴らしい活躍をしています。途中まで参加の藤沢氏は埼玉大教授、近藤氏も教授となりました。

下の「人間学分科会」のファイルは、当時の生懇の分科会の内容を記録した手書きの資料です。

発言者は16名 名前が記載されています。

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これは8月19日の夏合宿の記録です。

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当時は皆、手書きの資料です。例会の会話の内容も書いてあります。

生懇の夏合記録です

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 会員名簿によれば会員は32名。佐竹の大学卒業とともに。父が社長を務める会社(その当時は有限会社佐竹製作所、その後株式会社サタケに変更 2021年現在も存続)に入社、専務取締役となりました。そして民間の研究団体人間学研究会を作りました。会員は東京教育大、お茶の水女子大、早稲田大学、日本女子大、都立大学の学生とともに、顧問格の小原秀雄氏、お茶大教授の柳田為正氏、東工大教授の八杉龍一氏、東京教育大の大島康正氏などに参加していただきました。例会は会社の1室で行われました。図書はブログ筆者、佐竹のもので学生時代から人間学関連の図書を集めていました。貸出簿によれば500冊ぐらいを貸し出しています。人間学ニュースも発行され1号から17号(1966年12月)が発行されています。人間学研究会は例会を盛んに行いました会員の中には後日、大学教授になった方もたくさんいらっしゃいます。その後佐竹と小原秀雄氏の考え方の違いから会は分裂してしまいました。佐竹のほうにはメンバーが残りしばらく例会は続きました。学生時代からの人間学研究会の資料が保存しているためかなり多い資料となっています。]

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佐竹は1967年前後にいろいろ思いついたことを「思索」というノートに書きました。このノートは1967年のもので。1968年の「思索23」で終わります。

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佐竹は人間学関係の歴史を書きました。これは19冊目。2010年からの歴史です。

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 私は自分が専門の学者になるために大学に残るのではなく、当時まだ不確立な人間学研究を成り立たせるためには財政的基盤が重要と考えました。それは実現され、第2佐竹ビル建設ではその1室を人間学研究所にしました。以後現在まで、財政的なことと事務局を担ってきました。

 その後女子栄養大学の教授である柴田義松氏は(後日東大教授になりました)小原秀雄氏、岩城正夫氏から、佐竹に声がかけられ人間学研究会(第2次)が1985年5月に作られました。東大での公開シンポジウムには100名からの人が集まりました。しかしこの研究会は長くつづかず停止しました。

 1991年4月に株式会社サタケが第2佐竹ビルを作り、そこの2階を人間学研究所準備室とし、第3次人間学研究会が作られました。その間たくさんの例会が開かれました。そして1999年4月に人間学研究所が作られました。それは現在まで続いています。

これは1961年ごろ、第1次人間学研究会のころ佐竹が書いた人間学ニュースです。

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「人間学とは何か―人間学史を中心として」として書きました。

1、人間学の諸潮流について 

2,カントの人間学と人間学の名称

3、ヒト人間と人間学

4,生物学的人間学の潮流1,

5,生物学的人間学の源流2,カレルの人間この未知なるもの

6,生物的人間学の潮流3

7、マルクス、エンゲルスの人間学 エンゲルスについて

8、人間学とニューサイエンス

 

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これは第3次人間学研究会、人間学ニュース第1号です。1991年4月25日発行です。

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第1次実用的人間学研究会規約です。このころ同時に岩城先生を中心とし人間学サロンも開催されました。

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2006年から2008年にかけて毎月1回22回にわたって佐竹が「実用的人間学セミナー」(第1期全12回、第2期全10回)を開きました。時々講師としてはなすのではなくまとめてお話をしました。

このセミナーにおいては実用的人間学副会長の杉山靖夫氏が全会参加されました。

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1部抜き出しました 1期

1,健康法の人間学、2、人相術 手相編・ 8、生き方の人間学 ・10、人間とは何か・13自分を語る

第2期例 第2回「宗教的信仰と科学的信念」2006年7月20日

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実用的人間学ニュース第1号」2008年5月発行

 実用的人間学研究会は2021年12月現在も続いています。

 

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実用的人間学研究会 第1回 「教育バブルの崩壊」講師 中島寿一氏 第2佐竹ビル2階

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第2回実用的人間学研究会例会 「信長・秀吉・家康の人間学」講師 佐竹幸一

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実用的人間学ニュース 最終号60号 人間学研究所の設立

第64号例会の報告 平成11年3月25日 柴田義松氏 「人間の総合的学習の構想について」

  参加者 12名

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人間学研究所 開所記念講演会 平成11(1999年)年4月24日 成蹊大学

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人間学研究所通信第1号」1999年6月

 2021年12月現在 91号です

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「人間学研究所通信91号」2021年10月7日発行

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人間学研究会に途中から小林直樹氏が参加しそれに一連の方々が参加し、総合人間学研究会ができました。事務局長は佐竹で、事務局は第2佐竹ビル内人間学研究所でした。例会が開かれ、年に1回は京都で開かれました。第1回研究会(シンポジウム)は2002年11月30日明治大学で開かれました。総合人間学研究会の発起人名簿も総合人間学会の発起人名簿もあります。学文社発行の「シリーズ総合人間学」では佐竹の主要論文が無断で没にするという小林氏とのトラブルがあり、事務局次長をやめました。もう一つの資料編は第3巻で柴田氏に掲載してもらいました。その後、総合人間学会も退会しました。

この資料は「総合人間学シンポジウム・総合人間学研究会設立総会」のものです。

2002年11月30日〈土〉明治大学リバティータワー16階で行われました。

30ページの資料です。事務局は 佐竹ビル2階 人間学研究所でした。

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追記

そのいきさつをもう少し書くことにしよう。小林氏とのトラブル後、総合人間学会にはしばらく参加しなかったが、2012年5月27日に日大の会場で開催された総合人間学7回大会が開催された際、佐竹が久しぶりに学会で発表した。メンバーはA,Bグループに分けて発表会が分かれていたのを最終に合同で行われたものでした。すべての参加者が集まり大変盛況でした。テーマは「人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学」というものでした。講演は評判がよく、終了後持参した多くの人間学研究所年誌もたちまち売り切れました。また新たに2人の方が人間学研究所に参加されました。

当日配布した資料を基に「総合人間学」の学会誌に投稿しました。ところが査読者2人がいろいろ文句をつけ投稿を拒否しました。佐竹が国立国会図書館で発行される資料に基づいて人間学の名の図書が特に多い年を人間学ブームと指摘しました。しかし査読者はそんな事は聞いたことがないというのです。結局没にされました。学会で発表した内容は「年誌2011」において発表しました。

またなった監事も1度も理事会によばれませんでした。結局次の総会の会計報告をするだけに終わってしまいました。哲学的人間学派の小林直樹氏と小原秀雄氏により再び拒否されました。それで監事の再任は断りました。唯物論系と、マックス・シェーラー系の小林氏の哲学的人間学は本来うまくいくわけがないのです。唯物論系の優れた学者は次々にやめていきました。創立時の3人の役員の1人柴田義松氏は小林、小原連合に阻害されやめるといったそうです。佐竹も総合人間学会をやめました。

マックス・シェーラーは1928年に「宇宙における人間の地位」を書き、新しい哲学的人間学を提唱しますが、これは唯物弁証法的な世界観を否定するものです。小林氏の人間学の著作にはシェーラーの言葉が最初に書かれます。小林氏は小林氏の書いた本を読めば、そんなことをかかないはずだといいました。シェーラーの哲学的人間学は弁証法的唯物論に対抗して提唱されたものです。読んでいても考え方が弁証法的唯物論の佐竹とは相いれないのです。

「人間学」の始まりは、カントであると思います。最晩年に書かれた「人間学」はわが人間学の始祖といわれるものです。私は日本の訳書を比較するため6冊の「人間学」の翻訳書を購入しました。

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 途中第2佐竹ビルはテナントに貸出し、佐竹ビルの3階の1室に人間学研究所を移しました。佐竹ビルの3階に事務所を移すとき部屋が狭くなったため12000冊のうち2000冊の本を処分しました。

 2013年11月に佐竹が一人で大津方面にドライブしていた時、突然脳出血をおこし入院しました。歩行困難になったため、それ以後前住んでいた佐竹ビルには階段のみのため戻れず、別にマンションを借りました。しばらくは人間学の例会は佐竹ビル3階で行っていましたが、途中から佐竹の住んでいるマンションの集会室に変わりました。本は1万冊のうち2500冊ほどを今住んでいるマンションに移し、後の本は処分しました。2021年からは再び本を処分していくことにし、マンションの廃品回収の日に50冊ぐらいづつ出します。本はほかの住民が好きな本は持って帰りました。今までは高田馬場の駅前の芳林堂書店でよく本を買っていましたが、それもやめました。

 佐竹のデスクのあるところの書棚。

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佐竹のベッドがある部屋―デスクもありますーの書棚

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その中に岩城先生の本があります。

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人間学研究所の年誌 1から18号まで

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デスクの後ろ側にある小さな書棚

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その隣の書棚。

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妻の寝室がメインの書棚があります。前面に2つの書棚。後ろに5列の書棚があります。

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人間学研究会等の記録ノートや例会の講師の資料バインダーです。

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書棚の左側。

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◎2024年11月19日 『人間』って何ですか、の発行と、「人間学懇話会」の発足

「『人間』って何ですか」という本(エッセイ集)を、人間学研究所と実用的人間学研究会で、『人間学研究会60周年記念』集として、2024年1月20日、工作舎、2600円+税、で発行されました。記念の本の企画は以前からありましたが、ようやく発行されました。編集は、佐竹幸一、森岡修一、里見 脩、杉山靖夫氏の4人です。著作者はほかに、岩城正夫、高橋喜代治、西田隆男、白村直也,松本 孚、野本雅央、木村廣子、上杉徳治郎、檀上新氏の全てで13名です。

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 本の発行に伴い、人間学研究所、実用的人間学研究会は、2024年4月1日『人間学懇話会』として、1つにまとまり,より懇親会的な会に変更いたしました。

会員数、26名 

『人間』って何ですか 出版記念パーティー

      2024年1月21日 参加者12名  ガゼボにて

第1回例会 2024年4月6日

   懇話会の今後について 参加者 7名

第2回例会 2024年6月2日

   講師  岩城正夫氏  参加者7名

第3回例会 2024年9月8日

   講師  佐竹幸一 参加者3名

第4回例会 2024年11月29日

   講師  森岡修一氏

 

 

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