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2025年4月12日 (土)

人類は多くの人類と共存した ネアンデルタール人、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人、膨湖人、ルソン人 2025年、追記版

 ◎2025年4月12日の毎日新聞朝刊の記事に台湾沖でデニソワ人の骨が見つかりゲノム分析がなされたという記事が載っていましたので、更新して転載しました。

 

 このブログは2010年に初めて書かれてから、次々に追加の文書を加えたものです。文章を2015年に書きくわえて更新しました。2016年6月にも、フローレス人の記事を追加しました。

 

 ネアンデルタール人が、ホモ・サピエンスと同時代に生きていて、アフリカ人以外のホモ・サピエンスと交配しその遺伝子がホモ・サピエンスに組み込まれていることは、注目されています。しかし、ネアンデルタール人以外に、ホモ・サピエンスと共存していた人類がいたことが次々にわかってきました。今後も新しい人類の発見があるかもしれません。

 

ネアンデルタール人

は、20数万年前から28000年前まで生存していました。

 

「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 2015年6月

 

文藝春秋 原著2014年

 

 ホモ・サピエンスがアフリカで誕生してから、いろいろな地域に移住してゆき、いろいろな地域に応じて急速に変化していったのは、共存していた他の人類と交配した、その地に適した遺伝子を取り込んでいったという話は、納得ができます。

 

3万7000年~4万2000年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4代前にネアンデルタール人の祖先がいた。このネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母になる。

 

 マックスプランク研究所のスヴァンテ・ペーボ氏が「ネイチャー」に発表した。この現生人の遺伝子には6~9%ネアンデルタール人に由来することがわかった。

 

 ネアンデルタール人と現生人は1~2万年ほども接触があり、2つの間の人類に交雑があったと思われる。それは文明の発生から1万年ほどたっていない我々現生人類にとっても極めて長い間接触があったということです。

 

 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの関係は他で詳しく書きますので、ホモ・サピエンスと同時代に生存していた人類として、ここでは、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人について書きます。

 

追 記

ナショナル‣ジオグラフィックの6月25日のnewsで、「4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明-欧州で見つかった約4万年前の人骨の研究から」

3万7000~4万2千年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4世代前にネアンデルタール人の祖先がいた。つまりこのネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母(祖父母の祖父母)だ。

「ネイチャー」に論文が発表された。発見したのは論文の共著者であるスバンテ・ペーボ氏である。現代人のゲノムの場合、最大で4%で、この骨は6~9%がネアンデルタール人に由来することがわかった。

 

「アカシカ人」の発見

 

2012年3月15日追加 

 中国南部に1万4500年~1万1500年前、未知の人類がいた可能性がある。オーストラリアと中国の研究グループが14日付の米オンライン科学誌『プロスワン』に現生人類と異なる特徴をもつ人類の化石を見つけたと発表しました。(2012年赤旗3月15日の記事)

 

 記事によれば、化石が見つかったのは、中国南部、雲南省にある2つの洞窟で、1979年(1989年3体)に最初の1体の化石が見つかって以来、研究が進められていました。これまでの研究結果からは、現代的な特徴と古代的な特徴を併せ持っていることがわかったといいます。未知の人類は洞窟でアカシカを食べていたことがわかったため、研究グループは「アカシカ人」と名付けました。

 

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アカシカ人(レッド・ディア・ケーブ・ピープル〉口絵はPeter Schoutenによる

 

追記 nappi11さんのブログから

一つの推論として彼らがデニソワ人の可能性がありロシア南部の南部アルタイ山脈のデニソワ洞窟見つかったデニソワ人がアジアにも広く分布していた可能性がある。ネアンデルタール人やデニソワ人が現生人類との共通祖先から分かれたのは80万4000年前、ネアンデルタール人とデニソワ人の祖先は64万年前に分かれたと推定される。

 

 インドネシアや、今回の中国にアジア起源の人類が、ネアンデルタール人や、そのDNAを持つホモ・サピエンスと混血し彼らが南洋や日本にまで来ていたとするのは理解しやすいし、アジア人とのホモ・サピエンスとの骨格の違いも説明がつく、想像は膨らむが、今後の科学的研究成果が待ち遠しい。

http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/3329095.html

 

赤鹿人の想像図が描かれています

★従来、アジアには原人(ホモエレクトス)が分布していましたが、アフリカからやってきた現生人類(ホモ・サピエンス)に入れ替わったと考えられていました。しかし1万年前にフローレス人が、4万年前にはデニソワ人もいたということがわかっています。

 こうしてみますと、20万年前にホモ・サピエンスが生まれて移動を開始したときにもずいぶん多くの他の人類が生存していたことになります。ヨーロッパのネアンデルタール人もホモ・サピエンスと共存し、一部混血した証拠が残っているそうです。1万年前ごろから、現生人類は家畜や、農耕などの文明がおこり、急速に人口が増えましたが、それまでの間に、まだ未知の人類も含め、様々な人類と共存していたことがわかります。しかし、言葉と文明を持ったホモ・サピエンスが、急速に人口を増やす中で、各地にいたホモ・サピエンス以外の人類も急速に絶滅していったように思われます。

 

先日NHKスペシャルで放送された、「HUMAN」でも、6万年前にアフリカを出て、南米の先端までのグレートジャーニーをしたホモ・サピエンスは、先端にフックのついた投げ槍機を発明し、そのことにより離れた距離からでも、獲物をとったり、敵の人類を倒すことができるようになったといいます。これも、ホモ・サピエンスが他の人類を圧倒した理由でもあるのでしょう。

 

★ 「ヒューマン なぜ人は人間になれたのか」 NHKスペシャル取材班

2012年1月22日発行 1600円 角川書店

 

デニソワ人の発見  

 

2010年12月23日追加の文章です

2010年3月25日のイギリスの科学誌「ネイチャー」に、ドイツなどのマックス・プランクの進化人類学研究所などの研究チームが、ロシアのシベリア南部のデニソワ洞窟から約4万年前の人類の指の骨片が見つけ、DNA解析の結果、現生人類であるホモ・サピエンスやネアンデルタール人の共通の祖先から104万年前に枝分かれして進化した人類であると載せられました。そのニュースは、さっそく各新聞で報道されました。この化石は2008年に、4万8000から3万年前の地層の洞窟から発見されたものです。

 

追記 2015年3月21日  

デニソワ人はDNA解析の結果、チベット人が、優れた高地適応能力をもっているのは、ちょうどネアンデルタール人とホモサピエンスとの交雑で、金髪や白い肌、青い目といった寒冷地での条件に適した遺伝子を取り込んだように、交雑によりデニソワ人の高地適応能力を取り込んだと考えられる。取り込んだ遺伝子はホモサピエンスの6%ぐらいではなかろうかといわれている。

 

追記 2015年8月14日

「ネアンデルタール人は私たちと交配した」というスヴァンテ・ペーボ氏の著作には、第22章に「デニソワ人」を発見するという章と、第23章の「30年の苦闘は報われた」は主に、デニソワ人について、書かれています。

 

 22章の冒頭、2008年に発見され、2009年、デニソワ洞窟から小さな骨が届いた。さして重要と思わなかったが、一応DNAを調べると、なんと未知の絶滅した人類だったのだ。と書かれています。これは小指の本の小さい骨片です。調べてみると、ホモ、エレクトスより後ネアンデルタール人の祖先より前にアフリカを離れた一員だったのだ。

 

 そして、デニソワ人の臼歯も発見されました。これらのDNAの解析の結果,第一に、デニソワ人の核ゲノムは、現生人類のゲノムよりネアンデルタール人のゲノムとより密接な関係があること、アジアにいたより古代型のホミニンがこれらデニソワの個体のmtDNAに寄与したという筋書きだ。第2の発見は、デニソワ人は、ゲノムをネアンデルタール人と比較した現代人5人の中で特にパプア人とより多くのSNPを共有していたのだ。

 

 デニソワ人の指の骨の持ち主は5~7歳の少女だと結論付けられた。又調査の結果デニソワの少女とデニソワ人は現生人類とよりも、互いに密接につながっていたということもわかりました。(41,000年前の化石と判明)

 

 またデニソワ人はパプアニューギニアの人たち(メラネシア)により近いということもわかった。デニソワ人のDNAから、アフリカ人以外の人々の約、2、5%はネアンデルタール人由来で、パプア人はそれに加えてゲノムの約、4,8%をデニソワ人から寄与されたと推定しました。また中国南部の住人の遺伝子構造のやく1%が、デニソワ人由来ということも、スエーデンのウプサラ大学の研究チームから出されている。従ってパプア人のおよそ7%をデニソワ人とネアンデルタール人からもらったことになる。p339.そして、これは、ネアンデルタール人デニソワ人も完全には、絶滅していないことを意味する。

 

以下、ウイキペディアより

 デニソワ洞窟はネアンデルタール人の化石発見地のうち、もっとも近いイラクのシャニダール遺跡から、4000㎞の距離がある。(ロシア、アルタイ地方でロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)

 

 40-30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人になり、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに送れて6-5万年前にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジアの内陸部でネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら全世界に広がり、現在に至った。

 ジョージワシントン大学の古人類学者のブライアン・リッチモンドは、デニソワ洞窟で見つかった大人の臼歯から、デニソワ人の体格はネアンデルタール人と同じか、それよりも大きいと見ている。

 

 アジア内陸部でデニソワ人と交雑した現生人類祖先は、そののち長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられる。また中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住したグループはチベット人になったともされる。

 

2025年4月12日 追記 毎日新聞 4月12日〈土)朝刊 21面

謎の人類デニソワ人 台湾で発見 アジア南部まで分布

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デニソワ人の想像図  孫 氏作成

 台湾沖の海底で見つかった19万年前~1万年前の人類の下顎化石は,たんぱく質の解析により「謎の人類」とされる絶滅した旧人「デニソワ人」男性と分かったと、総合研究大学院大や東京大学の国際研究チームが10日付の米科学誌のサイエンスに発表した。総研大の鶯谷匠助教(自然人類学)は「温暖な台湾で見つかったことでアジア南部まで広範囲に分布していたことが、裏付けられた」としている。

 これまでデニソワ人の化石が発見されたのは、シベリアと中国・チベット高原のみで、姿や詳しい分布域はよくわかっていない。頑丈な顎や大きな臼歯があり現生人類のホモ・サピエンスや4万年前に絶滅したネアンデルタール人とは異なる特徴があるという。

 これまでのゲノム〈全遺伝情報〉研究から、ホモ・サピエンスがデニソワ人やネアンデルタール人と交雑した可能性が高いことが判明。現代の日本人のゲノムにもわずかにデニソワ人との交雑の痕跡が残っていることがわかってきた。化石は、過去に陸地だったとみられる台湾の膨湖諸島近くの海底で発見された。

 

フローレス人

2011年12月24日追加 NHKBSプレミアム「人類進化はるかな旅」

 

 すでに、2004年(2003年とも)には、インドネシアのフローレス島(コモドオオトカゲで有名なコモド島の東隣の小さな島)で、身長1m程度で、頭の大きさもホモ・サピエンスの3分の1程度(猿人なみの脳容積400ml)の人類が、約10万年前に発生し、1万8000年前まで存在し、その後1万3千年前火山噴火で絶滅するまで、ホモ・サピエンスと共存していたと発表されています。彼らはインドネシアに存在していた、ジャワ原人の子孫とも思われます。小さい島にいると全体に身体が小型化して適応する傾向がみられ、他の動物たちも全体に小型化しています。脳がきわめて小さいにも関わらず、一緒に出てきた石器などを見るとかなり高度な文化を持っていたとみられます。当時フローレス島に住んでいた、小型の象であるステゴドンや大型で獰猛なコモド大トカゲなども食料にしていました。

 

現代人との大きさの比較。極めて小さいということが分かります。

 

 現生人類では、現在ホモ・サピエンスのみが生存しておりますが、今から4万年前には、旧人と呼ばれる、ネアンデルタール人、今度発見されたデニソワ人、そしてフローレス人が共存していたということになります。他にもおそらくまだ発見されていない、未知の人類がいたと思われます。ネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しましたが、フローレス人はその後も生き残っていたとは驚きです。

 

身長は極めて低く、1メートルくらいしかありません。

 

 従来は、人類の祖先は、アフリカにいた初期ホモ属から、170万~70万年前に、アフリカ人、アジア人の元の北京原人、オーストラリア先住民のもととなるジャワ原人、ヨーロッパではネアンデルタール人から、クロマニヨン人へと進化していったという、いわゆる他地域起源説が有力でした。この説はヨーロッパ人が早くから、ほかの人類より優秀であるという根拠にも使われました。

 

フローレス原人についての追加記事 2013年4月19日

 

Img

 

 2013年4月19日のしんぶん赤旗にフローレス人についての記事が掲載されました。興味深い記事なので、転載いたします。

 

 小柄な「フローレス原人」祖先はジャワ原人か

 

 インドネシア・フローレス島で2003年に化石が発見された小柄な「フローレス原人」は、初期のジャワ原人が孤島に渡って身体が小さくなった可能性が高いと、東京大学と国立科学博物館の研究グループが17日、科学誌『英王立協会紀要』電子版に発表しました。もうの大きさを精密に測定して分かりました。

 

 フローレス原人は7万4000年~1万7000年前に、同等に生息していたことが判明。食料が少ない熱帯雨林の島で「島しょ化」とよばれる現象が起き、身長が約1メートルまで小さくなったと考えられていますが、祖先は謎とされていました。

東アジアと東南アジアには以前からジャワ原人や北京原人など、アフリカから進出してきた大柄で進歩した原人「ホモ・エレクトス」がいました。

 

 東大の久保大輔特任研究員や同博物館の河野礼子研究主幹らは約2万年前のフローレス原人の成人女性頭骨化石について、X線コンピューター断層撮影(CT)で内部を精密に測定し、模型を作製。壊れた部分を粘土で修復しました。その結果、頭骨う内部の脳容積量は426CCと、従来推定の約400CCより大きいことがわかりました。

 研究グループは初期ジャワ原人の脳容量・860CC程度で、差が縮まったことなどから、初期ジャワ原人が祖先の可能性が高くなったと見ています。

 

参考 フローレス島とは

 インドネシア連邦の島の一つです。小スンダ列島の中にあり、細長い島です。面積は、13,540km2で、日本の四国を小さくしたほどの大きさです。島の中には9つの県があります。西隣に小さなコモド島があり、コモドオオトカゲが有名ですが、そこへの中継地点ともなっています。あまり観光化されてはいませんが、この島のリアンブア洞窟でフローレス人が発見され有名となりました。 

 

2016年6月9日追記、「マタ・メンゲ原人」はフローレス原人?

 

 6月9日の新聞、テレビなどの報道機関で、国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長たちの国際研究グループはインドネシアのフローレス島に少なくとも70万年前前に小型の、小型の原人が住んでいたことを突き止め、8日付(9日?)の科学誌『ネイチャー』に発表しました。(新聞各紙の総合)

フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)の化石は見つかったフローレス島西部の、リャン・プア洞窟で2003年に発見されました。洞窟から75キロほど離れた島の中部のソア盆地では100万~70万年前の石器が見つかっていますが、人骨は見つかっていませんでした。オーストラリアとインドネシアの研究者たちは14年前に、盆地内のマタ・メンゲで、人類の右下顎骨1個と歯6本を発見し、海部さんに形態学的分析を依頼していました。

 大きさはフローレス原人と同程度かやや、下顎骨はジャワ原人やフローレス原人のものと似ており下顎大臼歯は全体的に初期のジャワ原人のものに似ていました。地層は70万年前ごろと決定されました。

海部さんは「マタ・メンゲの原人」はフローレス原人の直接の祖先であった可能性が極めて高い。分類学的にもフローレス原人といってよいと思うが、結論付けるには頭骨化石の発見が必要だ」と説明しています。

初期のジャワ原人がフローレス島にわたり島しょかと呼ばれる現象で小型化したという説が有力です。

フローレス島は、初期のジャワ原人が住んでいたとみられるほかの大陸や島と陸続きになったことがなく、初期のジャワ原人がどうやってフローレス島にやって来たかわかっていません。

海部さんは「70万年前からフローレス原人のような小型の人類がいたことに驚いている。100万年前にいたのはどんな人類だったのか見てみたい」と今後の発掘に期待しています。

 

ミトコンドリアのDNA(デオキシボリボ核酸)で起源を探る

細胞の中にある、細胞内でエネルギーを発生させる重要な小器官である、ミトコンドリアは母方からしか受け継がれない性質があります。ミトコンドリアは一定の年数で、突然変異していくという傾向があります。そこでミトコンドリアのDNAの塩基配列を調べると、どの系統とどの系統が近いか、どのくらい前に分岐していったかの系統がわかるようになっています。その祖先をさかのぼっていくと約16万年(14~29万年)前に、アダムとイヴにちなんでミトコンドリア・イヴということを考えたのです。(イヴ仮説)ただし、一人の女性というわけではありません。そこで、現生人類である、ホモ・サピエンスはアフリカ大地溝帯に生まれた人類が世界中に広がったという、単一人類起源説が今では有力になっています。                  また、全身骨格が発見されなくともDNAさえ採取されれば、デニソワ人のように指の骨だけで、系統と位置づけを知ることができるようになるのです。

 

アフリカ単一起源説と人類の拡散

16から20万年くらい前に、生まれたホモ・サピエンスは、同時代にいた、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシスただしネアンデルタール人もホモ・ピエンスに加える考え方もあります)と共存していたということはすでに述べました。ネアンデルタール人は、脳容積は現生人類より大きく、埋葬等の宗教的なものの芽生えなどがあり、以前考えられたほどのちがいはなく、現生人類とほとんど変わらない外見でした。しかし大きな違いは、言葉の発声に必要な顎(おとがい)が発達しておらず、言語をとうした文化の差の違いで、次第に競争に負け、ついには絶滅してしまいました。ホモ・サピエンスは10万年前にアフリカを出て、世界中に広がっていきました。15000年前には氷結したベーリング海を渡りアメリカ大陸に到達し、南下をつづけて、12000年前には南米の先端にまで到達しました。現在は、それぞれの地域に適応した人種の違いがあり、一見大きな変異があるように見えますが、ホモ・サピエンスの中での変異はきわめて小さいものです。人種で、優劣をうんぬんする考え方は完全に破たんしました。

 

2010年12月23日追加  

23日付の新聞に、今年の3月に発表された、「デニソワ人」が骨から細胞内器官である、ミトコンドリアのDNAを調べた結果、ネアンデルタール人の姉妹種であるということが分かったと、科学誌『ネイチャー』に発表されたと載せられました。デニソワ人はこの地域にいた現生人類(ホモ・サピエンス)とも、ネアンデルタール人とも違う人類であったというのです。そしてデニソワ人は64万年前に、ネアンデルタール人と分離したということが分かったといいます。ニューギニアなどメラネシアの人々とわずかながら共通した部分(5%)があり、現生人類とデニソワ人が混血し、その人たちがメラネシアに移動したのではないかと言っています。なお、同じ地層から見つかった上顎の臼歯はデニソワ人と確認されたが、小指の骨は別人であると分かったということです。  すでに他のネアンデルタール人とも、ホモサピエンスと混血したといわれていますので。混血することができるということはホモサピエンスと、ネアンデルタール人や、デニソワ人との差異がきわめて小さいということができます。混血し子どもがうまれ、さらに子孫を残していくとすれば、生物学的に言って、同じ種であるということになるのではないでしょうか。

 

追 記

2018年8月16日、「こういちの人間学ブログ」 ・

「デニソワ洞窟で、母ネアンデルタール人、父デニソワ人の人骨発見」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/08/post-6ef4.html

追 記  2019年4月18日

☆アジアで第4の原人として台湾の膨湖人、さらに第5の原人としてフィリピンでルソン人(5万~7万年前)が発見されています。

アジアでは第一の原人としてジャワ原人、二番目が北京原人,三番目がフローレス原人です。

 

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