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2025年4月

2025年4月24日 (木)

新宿高島屋の中華料理店、維新號でランチを食べにへ行ってきました。おいしい料理でした。

2025年4月23日、私の妻と、息子、私の妹と姪との5人で、新宿高島屋の14階、中華料理店、維新號へランチを食べに行って来ました。妹には新潟の魚沼産のコシヒカリを送ってもらったので、そのお礼という意味がありました。

当日はあいにくの雨で、タクシーで行きましたが、帰りには予報ではあめが 止むはずでしたが一日じゅう雨が降ってきました。

維新號は高島屋のレストラン街では比較的新しいお店です。以前ヘルパーの斉藤さんと一度ランチを食べに行きました。

タカシマヤ タイムズスクエア14F 個室が空いていました・

 

プレ三アムランチコース 6600円のコースです。

お品書きです

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4種冷菜盛り合わせ

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尾付き海老とアスパラのアッサリ炒め

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牛バラ肉とたけのこのトウチ仕立て

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フジ高原トリの揚げ物 スパイシーソース掛け

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白身魚とズワイガニのせ

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あさりとシソ葉のチャーハンとふかひれスープ

 

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デザートとコーヒー

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お酒は紹興酒を頼みました。

なかなかおいしい料理でしたが、82歳の私には、少し、量が多く感じました。

◎ランチコースは

 点心茶室コース   2640円

 飲茶コース     2970円

 ランチコース    4840円

 プレミアムコース  6600円

 ディナーコースは6600円から22000円までのコースがあります。

2025年4月21日 (月)

人間学懇話会、第7回(6月)例会のお知らせ。里見 脩氏「トランプと台湾有事」

2025年6月例会が下記のように決まりました。懇話会会員以外

の方も参加できます。ぜひご参加ください。

 

日 時 :2025年6月13日(金)

     午後4時~6時頃 開場3時半

会 場 :西戸山タワーホームズ・ノースタワー集会室

     新宿区新宿区百人町3-1-5

     JR 山手線新大久保駅下車

テーマ :「トランプと台湾有事」

講 師 :里見 脩氏

     大妻女子大人間生活文化研究所特別研究員

     前 大妻女子大教授

     近著 「言論統制というビジネス」 新潮選書

    ◎ いま、世界で、新たに危険が迫っているところが

     この地域です。ぜひご参加ください。

 

懇親会 参加は希望者

    鍛冶屋文蔵 高田馬場店

    6時半頃より

 

◎お問い合わせは 佐竹まで

           pcr92240@nifty.com

           090-6549-2677

 

 

 

 

2025年4月12日 (土)

人類は多くの人類と共存した ネアンデルタール人、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人、膨湖人、ルソン人 2025年、追記版

 ◎2025年4月12日の毎日新聞朝刊の記事に台湾沖でデニソワ人の骨が見つかりゲノム分析がなされたという記事が載っていましたので、更新して転載しました。

 

 このブログは2010年に初めて書かれてから、次々に追加の文書を加えたものです。文章を2015年に書きくわえて更新しました。2016年6月にも、フローレス人の記事を追加しました。

 

 ネアンデルタール人が、ホモ・サピエンスと同時代に生きていて、アフリカ人以外のホモ・サピエンスと交配しその遺伝子がホモ・サピエンスに組み込まれていることは、注目されています。しかし、ネアンデルタール人以外に、ホモ・サピエンスと共存していた人類がいたことが次々にわかってきました。今後も新しい人類の発見があるかもしれません。

 

ネアンデルタール人

は、20数万年前から28000年前まで生存していました。

 

「ネアンデルタール人は私たちと交配した」スヴァンテ・ペーボ 2015年6月

 

文藝春秋 原著2014年

 

 ホモ・サピエンスがアフリカで誕生してから、いろいろな地域に移住してゆき、いろいろな地域に応じて急速に変化していったのは、共存していた他の人類と交配した、その地に適した遺伝子を取り込んでいったという話は、納得ができます。

 

3万7000年~4万2000年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4代前にネアンデルタール人の祖先がいた。このネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母になる。

 

 マックスプランク研究所のスヴァンテ・ペーボ氏が「ネイチャー」に発表した。この現生人の遺伝子には6~9%ネアンデルタール人に由来することがわかった。

 

 ネアンデルタール人と現生人は1~2万年ほども接触があり、2つの間の人類に交雑があったと思われる。それは文明の発生から1万年ほどたっていない我々現生人類にとっても極めて長い間接触があったということです。

 

 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの関係は他で詳しく書きますので、ホモ・サピエンスと同時代に生存していた人類として、ここでは、アカシカ人、デニソワ人、フローレス人について書きます。

 

追 記

ナショナル‣ジオグラフィックの6月25日のnewsで、「4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明-欧州で見つかった約4万年前の人骨の研究から」

3万7000~4万2千年前、現在のルーマニアがある地域に暮らしていたある現生人類の男性に、わずか4世代前にネアンデルタール人の祖先がいた。つまりこのネアンデルタール人は、男性の高祖父か高祖母(祖父母の祖父母)だ。

「ネイチャー」に論文が発表された。発見したのは論文の共著者であるスバンテ・ペーボ氏である。現代人のゲノムの場合、最大で4%で、この骨は6~9%がネアンデルタール人に由来することがわかった。

 

「アカシカ人」の発見

 

2012年3月15日追加 

 中国南部に1万4500年~1万1500年前、未知の人類がいた可能性がある。オーストラリアと中国の研究グループが14日付の米オンライン科学誌『プロスワン』に現生人類と異なる特徴をもつ人類の化石を見つけたと発表しました。(2012年赤旗3月15日の記事)

 

 記事によれば、化石が見つかったのは、中国南部、雲南省にある2つの洞窟で、1979年(1989年3体)に最初の1体の化石が見つかって以来、研究が進められていました。これまでの研究結果からは、現代的な特徴と古代的な特徴を併せ持っていることがわかったといいます。未知の人類は洞窟でアカシカを食べていたことがわかったため、研究グループは「アカシカ人」と名付けました。

 

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アカシカ人(レッド・ディア・ケーブ・ピープル〉口絵はPeter Schoutenによる

 

追記 nappi11さんのブログから

一つの推論として彼らがデニソワ人の可能性がありロシア南部の南部アルタイ山脈のデニソワ洞窟見つかったデニソワ人がアジアにも広く分布していた可能性がある。ネアンデルタール人やデニソワ人が現生人類との共通祖先から分かれたのは80万4000年前、ネアンデルタール人とデニソワ人の祖先は64万年前に分かれたと推定される。

 

 インドネシアや、今回の中国にアジア起源の人類が、ネアンデルタール人や、そのDNAを持つホモ・サピエンスと混血し彼らが南洋や日本にまで来ていたとするのは理解しやすいし、アジア人とのホモ・サピエンスとの骨格の違いも説明がつく、想像は膨らむが、今後の科学的研究成果が待ち遠しい。

http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/3329095.html

 

赤鹿人の想像図が描かれています

★従来、アジアには原人(ホモエレクトス)が分布していましたが、アフリカからやってきた現生人類(ホモ・サピエンス)に入れ替わったと考えられていました。しかし1万年前にフローレス人が、4万年前にはデニソワ人もいたということがわかっています。

 こうしてみますと、20万年前にホモ・サピエンスが生まれて移動を開始したときにもずいぶん多くの他の人類が生存していたことになります。ヨーロッパのネアンデルタール人もホモ・サピエンスと共存し、一部混血した証拠が残っているそうです。1万年前ごろから、現生人類は家畜や、農耕などの文明がおこり、急速に人口が増えましたが、それまでの間に、まだ未知の人類も含め、様々な人類と共存していたことがわかります。しかし、言葉と文明を持ったホモ・サピエンスが、急速に人口を増やす中で、各地にいたホモ・サピエンス以外の人類も急速に絶滅していったように思われます。

 

先日NHKスペシャルで放送された、「HUMAN」でも、6万年前にアフリカを出て、南米の先端までのグレートジャーニーをしたホモ・サピエンスは、先端にフックのついた投げ槍機を発明し、そのことにより離れた距離からでも、獲物をとったり、敵の人類を倒すことができるようになったといいます。これも、ホモ・サピエンスが他の人類を圧倒した理由でもあるのでしょう。

 

★ 「ヒューマン なぜ人は人間になれたのか」 NHKスペシャル取材班

2012年1月22日発行 1600円 角川書店

 

デニソワ人の発見  

 

2010年12月23日追加の文章です

2010年3月25日のイギリスの科学誌「ネイチャー」に、ドイツなどのマックス・プランクの進化人類学研究所などの研究チームが、ロシアのシベリア南部のデニソワ洞窟から約4万年前の人類の指の骨片が見つけ、DNA解析の結果、現生人類であるホモ・サピエンスやネアンデルタール人の共通の祖先から104万年前に枝分かれして進化した人類であると載せられました。そのニュースは、さっそく各新聞で報道されました。この化石は2008年に、4万8000から3万年前の地層の洞窟から発見されたものです。

 

追記 2015年3月21日  

デニソワ人はDNA解析の結果、チベット人が、優れた高地適応能力をもっているのは、ちょうどネアンデルタール人とホモサピエンスとの交雑で、金髪や白い肌、青い目といった寒冷地での条件に適した遺伝子を取り込んだように、交雑によりデニソワ人の高地適応能力を取り込んだと考えられる。取り込んだ遺伝子はホモサピエンスの6%ぐらいではなかろうかといわれている。

 

追記 2015年8月14日

「ネアンデルタール人は私たちと交配した」というスヴァンテ・ペーボ氏の著作には、第22章に「デニソワ人」を発見するという章と、第23章の「30年の苦闘は報われた」は主に、デニソワ人について、書かれています。

 

 22章の冒頭、2008年に発見され、2009年、デニソワ洞窟から小さな骨が届いた。さして重要と思わなかったが、一応DNAを調べると、なんと未知の絶滅した人類だったのだ。と書かれています。これは小指の本の小さい骨片です。調べてみると、ホモ、エレクトスより後ネアンデルタール人の祖先より前にアフリカを離れた一員だったのだ。

 

 そして、デニソワ人の臼歯も発見されました。これらのDNAの解析の結果,第一に、デニソワ人の核ゲノムは、現生人類のゲノムよりネアンデルタール人のゲノムとより密接な関係があること、アジアにいたより古代型のホミニンがこれらデニソワの個体のmtDNAに寄与したという筋書きだ。第2の発見は、デニソワ人は、ゲノムをネアンデルタール人と比較した現代人5人の中で特にパプア人とより多くのSNPを共有していたのだ。

 

 デニソワ人の指の骨の持ち主は5~7歳の少女だと結論付けられた。又調査の結果デニソワの少女とデニソワ人は現生人類とよりも、互いに密接につながっていたということもわかりました。(41,000年前の化石と判明)

 

 またデニソワ人はパプアニューギニアの人たち(メラネシア)により近いということもわかった。デニソワ人のDNAから、アフリカ人以外の人々の約、2、5%はネアンデルタール人由来で、パプア人はそれに加えてゲノムの約、4,8%をデニソワ人から寄与されたと推定しました。また中国南部の住人の遺伝子構造のやく1%が、デニソワ人由来ということも、スエーデンのウプサラ大学の研究チームから出されている。従ってパプア人のおよそ7%をデニソワ人とネアンデルタール人からもらったことになる。p339.そして、これは、ネアンデルタール人デニソワ人も完全には、絶滅していないことを意味する。

 

以下、ウイキペディアより

 デニソワ洞窟はネアンデルタール人の化石発見地のうち、もっとも近いイラクのシャニダール遺跡から、4000㎞の距離がある。(ロシア、アルタイ地方でロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)

 

 40-30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人になり、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに送れて6-5万年前にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジアの内陸部でネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら全世界に広がり、現在に至った。

 ジョージワシントン大学の古人類学者のブライアン・リッチモンドは、デニソワ洞窟で見つかった大人の臼歯から、デニソワ人の体格はネアンデルタール人と同じか、それよりも大きいと見ている。

 

 アジア内陸部でデニソワ人と交雑した現生人類祖先は、そののち長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられる。また中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住したグループはチベット人になったともされる。

 

2025年4月12日 追記 毎日新聞 4月12日〈土)朝刊 21面

謎の人類デニソワ人 台湾で発見 アジア南部まで分布

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デニソワ人の想像図  孫 氏作成

 台湾沖の海底で見つかった19万年前~1万年前の人類の下顎化石は,たんぱく質の解析により「謎の人類」とされる絶滅した旧人「デニソワ人」男性と分かったと、総合研究大学院大や東京大学の国際研究チームが10日付の米科学誌のサイエンスに発表した。総研大の鶯谷匠助教(自然人類学)は「温暖な台湾で見つかったことでアジア南部まで広範囲に分布していたことが、裏付けられた」としている。

 これまでデニソワ人の化石が発見されたのは、シベリアと中国・チベット高原のみで、姿や詳しい分布域はよくわかっていない。頑丈な顎や大きな臼歯があり現生人類のホモ・サピエンスや4万年前に絶滅したネアンデルタール人とは異なる特徴があるという。

 これまでのゲノム〈全遺伝情報〉研究から、ホモ・サピエンスがデニソワ人やネアンデルタール人と交雑した可能性が高いことが判明。現代の日本人のゲノムにもわずかにデニソワ人との交雑の痕跡が残っていることがわかってきた。化石は、過去に陸地だったとみられる台湾の膨湖諸島近くの海底で発見された。

 

フローレス人

2011年12月24日追加 NHKBSプレミアム「人類進化はるかな旅」

 

 すでに、2004年(2003年とも)には、インドネシアのフローレス島(コモドオオトカゲで有名なコモド島の東隣の小さな島)で、身長1m程度で、頭の大きさもホモ・サピエンスの3分の1程度(猿人なみの脳容積400ml)の人類が、約10万年前に発生し、1万8000年前まで存在し、その後1万3千年前火山噴火で絶滅するまで、ホモ・サピエンスと共存していたと発表されています。彼らはインドネシアに存在していた、ジャワ原人の子孫とも思われます。小さい島にいると全体に身体が小型化して適応する傾向がみられ、他の動物たちも全体に小型化しています。脳がきわめて小さいにも関わらず、一緒に出てきた石器などを見るとかなり高度な文化を持っていたとみられます。当時フローレス島に住んでいた、小型の象であるステゴドンや大型で獰猛なコモド大トカゲなども食料にしていました。

 

現代人との大きさの比較。極めて小さいということが分かります。

 

 現生人類では、現在ホモ・サピエンスのみが生存しておりますが、今から4万年前には、旧人と呼ばれる、ネアンデルタール人、今度発見されたデニソワ人、そしてフローレス人が共存していたということになります。他にもおそらくまだ発見されていない、未知の人類がいたと思われます。ネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しましたが、フローレス人はその後も生き残っていたとは驚きです。

 

身長は極めて低く、1メートルくらいしかありません。

 

 従来は、人類の祖先は、アフリカにいた初期ホモ属から、170万~70万年前に、アフリカ人、アジア人の元の北京原人、オーストラリア先住民のもととなるジャワ原人、ヨーロッパではネアンデルタール人から、クロマニヨン人へと進化していったという、いわゆる他地域起源説が有力でした。この説はヨーロッパ人が早くから、ほかの人類より優秀であるという根拠にも使われました。

 

フローレス原人についての追加記事 2013年4月19日

 

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 2013年4月19日のしんぶん赤旗にフローレス人についての記事が掲載されました。興味深い記事なので、転載いたします。

 

 小柄な「フローレス原人」祖先はジャワ原人か

 

 インドネシア・フローレス島で2003年に化石が発見された小柄な「フローレス原人」は、初期のジャワ原人が孤島に渡って身体が小さくなった可能性が高いと、東京大学と国立科学博物館の研究グループが17日、科学誌『英王立協会紀要』電子版に発表しました。もうの大きさを精密に測定して分かりました。

 

 フローレス原人は7万4000年~1万7000年前に、同等に生息していたことが判明。食料が少ない熱帯雨林の島で「島しょ化」とよばれる現象が起き、身長が約1メートルまで小さくなったと考えられていますが、祖先は謎とされていました。

東アジアと東南アジアには以前からジャワ原人や北京原人など、アフリカから進出してきた大柄で進歩した原人「ホモ・エレクトス」がいました。

 

 東大の久保大輔特任研究員や同博物館の河野礼子研究主幹らは約2万年前のフローレス原人の成人女性頭骨化石について、X線コンピューター断層撮影(CT)で内部を精密に測定し、模型を作製。壊れた部分を粘土で修復しました。その結果、頭骨う内部の脳容積量は426CCと、従来推定の約400CCより大きいことがわかりました。

 研究グループは初期ジャワ原人の脳容量・860CC程度で、差が縮まったことなどから、初期ジャワ原人が祖先の可能性が高くなったと見ています。

 

参考 フローレス島とは

 インドネシア連邦の島の一つです。小スンダ列島の中にあり、細長い島です。面積は、13,540km2で、日本の四国を小さくしたほどの大きさです。島の中には9つの県があります。西隣に小さなコモド島があり、コモドオオトカゲが有名ですが、そこへの中継地点ともなっています。あまり観光化されてはいませんが、この島のリアンブア洞窟でフローレス人が発見され有名となりました。 

 

2016年6月9日追記、「マタ・メンゲ原人」はフローレス原人?

 

 6月9日の新聞、テレビなどの報道機関で、国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長たちの国際研究グループはインドネシアのフローレス島に少なくとも70万年前前に小型の、小型の原人が住んでいたことを突き止め、8日付(9日?)の科学誌『ネイチャー』に発表しました。(新聞各紙の総合)

フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)の化石は見つかったフローレス島西部の、リャン・プア洞窟で2003年に発見されました。洞窟から75キロほど離れた島の中部のソア盆地では100万~70万年前の石器が見つかっていますが、人骨は見つかっていませんでした。オーストラリアとインドネシアの研究者たちは14年前に、盆地内のマタ・メンゲで、人類の右下顎骨1個と歯6本を発見し、海部さんに形態学的分析を依頼していました。

 大きさはフローレス原人と同程度かやや、下顎骨はジャワ原人やフローレス原人のものと似ており下顎大臼歯は全体的に初期のジャワ原人のものに似ていました。地層は70万年前ごろと決定されました。

海部さんは「マタ・メンゲの原人」はフローレス原人の直接の祖先であった可能性が極めて高い。分類学的にもフローレス原人といってよいと思うが、結論付けるには頭骨化石の発見が必要だ」と説明しています。

初期のジャワ原人がフローレス島にわたり島しょかと呼ばれる現象で小型化したという説が有力です。

フローレス島は、初期のジャワ原人が住んでいたとみられるほかの大陸や島と陸続きになったことがなく、初期のジャワ原人がどうやってフローレス島にやって来たかわかっていません。

海部さんは「70万年前からフローレス原人のような小型の人類がいたことに驚いている。100万年前にいたのはどんな人類だったのか見てみたい」と今後の発掘に期待しています。

 

ミトコンドリアのDNA(デオキシボリボ核酸)で起源を探る

細胞の中にある、細胞内でエネルギーを発生させる重要な小器官である、ミトコンドリアは母方からしか受け継がれない性質があります。ミトコンドリアは一定の年数で、突然変異していくという傾向があります。そこでミトコンドリアのDNAの塩基配列を調べると、どの系統とどの系統が近いか、どのくらい前に分岐していったかの系統がわかるようになっています。その祖先をさかのぼっていくと約16万年(14~29万年)前に、アダムとイヴにちなんでミトコンドリア・イヴということを考えたのです。(イヴ仮説)ただし、一人の女性というわけではありません。そこで、現生人類である、ホモ・サピエンスはアフリカ大地溝帯に生まれた人類が世界中に広がったという、単一人類起源説が今では有力になっています。                  また、全身骨格が発見されなくともDNAさえ採取されれば、デニソワ人のように指の骨だけで、系統と位置づけを知ることができるようになるのです。

 

アフリカ単一起源説と人類の拡散

16から20万年くらい前に、生まれたホモ・サピエンスは、同時代にいた、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシスただしネアンデルタール人もホモ・ピエンスに加える考え方もあります)と共存していたということはすでに述べました。ネアンデルタール人は、脳容積は現生人類より大きく、埋葬等の宗教的なものの芽生えなどがあり、以前考えられたほどのちがいはなく、現生人類とほとんど変わらない外見でした。しかし大きな違いは、言葉の発声に必要な顎(おとがい)が発達しておらず、言語をとうした文化の差の違いで、次第に競争に負け、ついには絶滅してしまいました。ホモ・サピエンスは10万年前にアフリカを出て、世界中に広がっていきました。15000年前には氷結したベーリング海を渡りアメリカ大陸に到達し、南下をつづけて、12000年前には南米の先端にまで到達しました。現在は、それぞれの地域に適応した人種の違いがあり、一見大きな変異があるように見えますが、ホモ・サピエンスの中での変異はきわめて小さいものです。人種で、優劣をうんぬんする考え方は完全に破たんしました。

 

2010年12月23日追加  

23日付の新聞に、今年の3月に発表された、「デニソワ人」が骨から細胞内器官である、ミトコンドリアのDNAを調べた結果、ネアンデルタール人の姉妹種であるということが分かったと、科学誌『ネイチャー』に発表されたと載せられました。デニソワ人はこの地域にいた現生人類(ホモ・サピエンス)とも、ネアンデルタール人とも違う人類であったというのです。そしてデニソワ人は64万年前に、ネアンデルタール人と分離したということが分かったといいます。ニューギニアなどメラネシアの人々とわずかながら共通した部分(5%)があり、現生人類とデニソワ人が混血し、その人たちがメラネシアに移動したのではないかと言っています。なお、同じ地層から見つかった上顎の臼歯はデニソワ人と確認されたが、小指の骨は別人であると分かったということです。  すでに他のネアンデルタール人とも、ホモサピエンスと混血したといわれていますので。混血することができるということはホモサピエンスと、ネアンデルタール人や、デニソワ人との差異がきわめて小さいということができます。混血し子どもがうまれ、さらに子孫を残していくとすれば、生物学的に言って、同じ種であるということになるのではないでしょうか。

 

追 記

2018年8月16日、「こういちの人間学ブログ」 ・

「デニソワ洞窟で、母ネアンデルタール人、父デニソワ人の人骨発見」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/08/post-6ef4.html

追 記  2019年4月18日

☆アジアで第4の原人として台湾の膨湖人、さらに第5の原人としてフィリピンでルソン人(5万~7万年前)が発見されています。

アジアでは第一の原人としてジャワ原人、二番目が北京原人,三番目がフローレス原人です。

 

2025年4月10日 (木)

神田川の満開の桜を3月30日と3月31日に見てきました。2025年4月9日に追記しました。

 2025年4月9日 神田川の早稲田地区の桜を見てきました。2022年3月31日に書いたブログに追記しました。

桜は満開を過ぎていましたがまだとてもきれいでした。

2025年4月のお花見の終点に神田川に沿った、椿山荘の隣にある細川公園の庭園を見てきました。桜はそんなに多くありませんが庭はとてもきれいです。

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奥に椿山荘の建物が見えます。神田川に花びらがたくさん落ちています。

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橋から川を眺めている、外国人観光客の人々。

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神田川の下流の方の桜は上流(新宿区内で)より桜が太い気がします。また川に中洲のようなものがあります。少しわかりにくいですが、下の方にシラサギが獲物を狙っているのが写っていました。

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上の写真のところです。

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2022年3月31日、神田川の川沿いに咲く満開の桜を3月30日と3月31日とに分けてみてきました。

神田川沿いの「水とみどりの散歩道」の看板がありました。青梅街道の西新宿の5丁目から西早稲田1丁目までの区間です。

この看板のあるところは高田馬場駅に近いところです。

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3月31日に行った神田川と妙正寺川の合流地点です。通りは明治通り。右側は都電荒川線が通っています。橋の向こう側は豊島区高田3丁目で手前は高田馬場2丁目です。

北新宿から高田馬場にかけての地図です 上方の青い色のところが神田川

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北新宿から西新宿の地図です。左側の赤い線のところが神田川。

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上記の桜の隣の桜。見事に咲いています。

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神田通りの近くの明治通りにあった桜 。ピンク色の花は桜でしょうか

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神田川には桜の花びらが浮いていました。手前には鳩の群れが。

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3月30日 神田川のやや上流部分を見てきました。

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神田上水公園の表示があります。ここは北新宿4丁目です・

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満開の桜が見事です。

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神田川大久保通りから見た新宿副都心のビル

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2025年4月 9日 (水)

「人間学研究所年誌」の年次別内容と会員の変動 NO1~19号( 2000~2022)更新版 2022,8,31変更 2025 ,4 再変更

◎2025年4月9日現在の、『人間学研究所年誌』の在庫数を表示いたします。

本に興味のある方は下記の価格で販売し、郵送いたします。

在庫数は各年次に表示いたします。

「人間学研究所年誌2000」1冊1000円 、「2002~2012」800円、

「2013から2021」500円  郵送代別途実費

 

年誌2000から2020まで 下記

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年誌2018まで

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人間学研究所年誌 

 

”BULLETIN OF THE  INSTITUTE 

         OF HUMANOLOGY

 

1、人間学研究所年誌 2000 NO,1 

  2000年12月1日発行          p166  在庫数 10冊

巻頭論文 「人間学」概念の現代化を超えて  小原秀雄                         

「人間」を学ぶ学習総合カリキュラム の開発  柴田義松                     

随想 慈育論承前                         北原眞一                          

幼児の発語例・「ある玄関」の生成について  飯田啓介                        

心と予測との関係                          永井 治                         

環境的人間学の構想                        岩田好宏                       

人間学の概要                              佐竹幸一

人間学研究所の概要                           佐竹幸一

教育的人間学部会の活動記録 実用的人間学部会の活動報告                                    

トピックブック「道具と人間」との取組み   

 

2、人間学研究所年誌 2002 NO,2   

           2002年11月30日発行 p133   在庫数 8冊              

巻頭論文 人間をめぐる科学概念     小原秀雄

21世紀の学校と学びのあり方を考える  柴田義松

自然史と自然誌をめぐって       岩田好宏

慈育論 (2)             北原眞一

幸福の混迷と幸福の実態          永井 治

人間学をとりまく状             佐竹幸一

第一回人間学シンポジウムの記録

基調講演 子どもと人間にとっての危機とは  正木健雄                      

 提案 人間観の再構築をめぐって       柴田義松

パネラーどの子も勉強がよくわかり楽しく

                         安心して通える学校へ 糀谷陽子       

教育の現状と回生の試み         大森 享

現代の子どもの心身問題         尾関周二

人間学研究所部会の報告 等(以下略) 

 

3、人間学研究所年誌 2003 NO3 

          2004年8月1日発行     p135  在庫数 6 冊

巻頭論文 新世紀教育はどこへ向かうか        柴田義松

特集 -思春期を明らかにする

なぜ思春期を研究課題とするのか          柴田義松 

ヴィゴツキーの思春期研究―その1         柴田義松

動物の思春期と人間の思春期            小原秀雄

現代の子供における思春期の問題 

         アディクションの視点から      西田隆男

高校生は授業に何を求めているのか

1996年入学のある高校生たちの 3年間の学習の軌跡            

                                                         岩田好宏

文学に表れた思春期           北原眞一

慈育論(3)              北原眞一

”よい”の実体              永井治

デカルトの誤り             北村和夫

思春期問題について            横湯園子

「ゼネラリスト養成講座」について    佐竹幸一 

人間学研究所規約   人間学研究所年誌刊行規則

人間学研究所年誌編集委員会運営規定

人間学研究所年誌原稿執筆要綱 等   

 

4、人間学研究所年誌 2006 NO4  

     2007年6月30日    p109  在庫数 6冊 

特集 思春期その2  論文

なぜ思春期を問題とするのか         柴田義松

思春期問題についての総合人間学的一考察                          

動物の思春期と人間の思春期を進化生態学から考える 小原秀雄

江戸の少年に見る思春期 鈴木桃野と勝小吉  中江和恵

思春期の薬物乱用防止教育

 ・カウンセリング理論から見えてくるもの  西田隆男

少年期課題を併せもつ思春期の子どもたち   横湯園子

渋谷重治作「波」              麻生信子

授業「自然」の中の高校生          岩田好宏

万葉の人                  北原眞一

人間学ノート                佐竹幸一

          

5、人間学研究所年誌 2007   No5

       2008年5月31日発行  在庫数 7冊

特集 新学習指導要領

新学習指導要領を斬る          柴田義松

無題                  小原秀雄 

国語科に見る人間観・教育観     小林義明

新学習指導要領「社会科」を「地理」

             と「歴史」の関係から考える  生田清人         

算数・数学ー子どもの知力を見くびった愚民教育のきわみ

                                                     銀林 浩         

2008小学校・中学校学習指導

 要領理科編と自然科学教育について 岩田好宏          

保健と生きる力の関係        西田隆男

新しい体育はなぜ失敗したのか    大貫耕一

家庭科の学習指導要領を読む     鶴田敦子

改定学習指導要領の批判的検討 外国語(英語) 阿原成光

「要」・推進教師で、徳目主義が一層進行する  高橋喜代治  

火の道具史火打石と火口)      関根秀樹

家族と子ども            中江和恵

 人間学研究会のあゆみ 1 佐竹幸一 p109

 

6、人間学研究所年誌 2008 NO,6  

               2009年3月31日        p111 在庫数 6冊

「授業」の本質を問う         柴田義松

地球についてー生物多様性から     小原秀雄

「ル・コルビュジェ建築論」散見    岩田好宏

現代母親考               宮坂琇子

リテラシーとコミュニケーション理論に関する一考察

・ヴィゴツキーとルリヤの文化的・歴史的理論を

    中心に 前編            森岡修一 

若者の薬物依存防止のための心理教育・

    二次予防を中心として       西田隆男

「悲しみの学校」から「喜びの学校」へ 南 隆洋

人間学研究会のあゆみ (二)      佐竹幸一 

7世紀以前の文献にみるアジアの油彩絵画技法材料について

・『晋書』と『陀羅尼集経』を中心に    関根秀樹                      

江戸時代の家族と子ども―『浮世風呂』から-1中江和恵  

                                                                                               7,「人間学研究所年誌 2009」、No7  

           2010年3月31日発行   p105  在庫数 7冊

教科書教材の教授学的研究       柴田義松

現代の人間界の一つの新しい課題   小原秀雄

評価に翻弄される時代         宮坂 琇子

リテラシーとコミュニケーション理論に関する1考察

ーヴィゴツキーとルリヤの文化的・歴史的理論を中心に森岡修一

ウシンスキー著・柴田義松訳・新読書

「子供と大人のための童話集」 で教師が変わり子供が変わる 麻生信子

人は自分の考えに固執する エセ科学と懐疑論

-真の科学者となるための実用的人間学      佐竹幸一

思春期の問題行動からの回復と成長-心の回復力 」

    の概念を中心として                           西田隆男

江戸時代の家族と子ども-浮世風呂から2 中江和恵

 

8、「人間学研究所年誌 2010」、No8 

         2011年3月31日発行        p102  在庫数 8冊

デカルトからスタニスラフスキーへポドテキストの概念 柴田義松訳

見方のちがい               小原秀雄

授業「若者の関心に即して」の人間学を基礎にした検討メモ 岩田好弘

電子メディアは子どもの発達にどのような影響を与えるか 宮坂しゅう子

人間学・人間科学の状況ー大学の講座等に見る 佐竹幸一

学校教育におけるヘルス・プロモーション-アルコール

  健康教育を中心にして        西田隆男

乳児にとっての人と物:視線の追随を媒介する

大人の手の効果        天野幸子・毛塚恵美子

菅原道真をめぐる物語の変容(1) 

  天神記にみる家族と子どもの登場   中江和恵  

 

9、「人間学研究所年誌 2011」、No9  

    2012年3月31日発行     p84  在庫数  3冊

日本自然保護協会の「自然観察」の検討メモ  岩田好弘

「聞く行為」の研究はどのように行われてきたか 宮坂しゅう子

大人、子ども、そして繋ぐ手―ことばと道具獲得に必要なこと           

                    天野幸子

放射能から子どもたちを守ろう―生命科学の視点から木村廣子

原発のウソについて           佐竹幸一

中高生のスクール・セクハラとデートDV

 -その現状と対策          西田隆男

菅原道真をめぐる物語の変容(2)

―「菅原伝授手習鑑」における道真   中江和恵 

 

10、「人間学研究所年誌 2012」、No10 

   2013年3月31日        p119  在庫数  5冊

 

巻頭特集 柴田義松氏の講演と質疑応答 柴田義松・森岡修一他

中内敏夫著「住民運動と学校の教育過程」に学ぶ  岩田好宏

生涯発達的観点から見た高齢者の知的能力       宮坂琇子

食物選択行動から見た好き嫌いの考察         天野幸子

世界史におけるソヴィエト障害者の位置づけ   白村直也

脱法ドラッグの現状と対策         西田隆男

胎教から胎児期の発達保障へ            中江和恵

将来予測と予知              永井 治

コンフリクト事例研究会への道       松本 孚

不可視の越境               倉田 眞

2013年度の展望-備忘録として       佐藤由紀

人間学研究会、人間学研究所の歴史と実用的人間学 佐竹幸一

 

11、「人間学研究所年誌」2013、No11 

                2014年11月1日    p 93  7冊

ヘイトスピーチ問題の考察      倉田 眞

東日本大震災避難者が抱える 暮らしのニーズ     白村直也

危険ドラッグの現状と予防教育        西田隆男

軽度発達障害児教育の現状と課題           宮坂琇子

生命概念の検討               岩田好弘

短報 視床出血からの回復に向けて      佐竹幸一

世の中の複雑化と対応            永井 治

本研究所2013年度活動報告   佐竹幸一・木村廣子

                                                       

12、「人間学研究所年誌 2014」、No12 

                   2015年3月15日      p105 在庫数 5冊

ロシアにおける民族文化と教育の諸問題     森岡修一

自由学習「学友を作って」における学びのテーマ 設定の推移 岩田好弘

道徳の心情読みの実践的改善           高橋喜代治

学校における性的少数者への対応         西田隆男

震災と教育の越境             白村直也

朝日新聞誤報問題とジャーナリズム     倉田 眞

「こういちの人間学ブログ」について     佐竹幸一

本研究所2014年度活動報告        佐竹幸一・木村廣子

 

13、人間学研究所年誌」2015、No13 

              2016年3月10日  p129  在庫数 7冊

依頼論文 アムールトラの保護と生物多様性  関 啓子

薬物依存からの回復プログラム    西田隆男

避難をめぐる政治と被災者のニーズ    白村直也

「学校での学習指導12年基本計画試案づくり」序   岩田好宏

道徳の教科化と問題解決型授業学習    高橋喜代治

気候温暖化・大気汚染とCOP21      倉田 眞

二酸化炭素地球温暖化説について     佐竹幸一

多民族国家における文化と教育       森岡修一

ネアンデルタール人などと私たち人類    佐竹幸一

 

14,「人間学研究所年誌 2016」 NO14

              2017年3月10日発行 p90  在庫数 7冊

思春期におけるメンタルヘルスリテラシ

            ーー中高生への予防教育の視点から    西田隆男

中内敏夫の「教育課程研究と住民運動」  1977から 岩田好宏

ロシアにおける婚姻と出産をめぐる動向と母親(家族)資本

                                                             白村直也

多民族国家ロシアにおける文化と教育改革        森岡修一

アクティブ・ラーニングとひとりひとりの学びの形成

                                                             高橋喜代治

「どこまで人間と見るか」その歴史と未来     佐竹幸一

まやかしの言葉                     倉田 眞

 

15 「人間学研究所年誌2017」  NO15

             2018年3月10日発行     p100  在庫数  9冊

ロシアの批判的言説-教育をめぐってロシア革命100周年に思う

                                                                    関 啓子

現代ロシアにおける教育の動向-補充教育と

      ヴィゴツキー理論を通じて                            森岡修一

思春期のHSP(敏感気質)の生徒たち-学校での対応を中心に                      

                                                                     西田隆男

家庭の暴力と伝統的価値への回帰-刑法の改正をめぐる

     ロシア社会の動向                                          白村直也

生体における情報代謝                             岩田好弘

『CO2地球温暖化仮説、今年日本の経済界、報道の空気変わる」佐竹幸一

データ、世論調査に見る政治の陥穽(かんせい)   倉田眞

 

16 人間学研究所年誌2018 NO16

                  2019年3月10日発行   p64  在庫数  15冊

青森県立大湊高等学校の総合的学習の時間

  下北半島学学習指導の分析-               岩田好宏

施設から家庭での養育へ

ロシアにおける孤児の養護をめぐる近年の動向と問題 白村直也

学習支援ボランティア事業の現状と課題

  民間運営の無料塾を中心に                              西田隆男

柴田義松先生の思い出と人間学研究所のこれから   佐竹幸一

石牟礼道子さんを偲んで                                      倉田 眞

 

17、「人間学研究所年誌2019」 NO17

              2020年3月10日発行            p78   13冊

地域の問題に取り組み、学びあって育む社会人基礎力

 -岐阜県で学ぶ学生のキャリア形成に関する新たな仕掛け作

                               白村 直也

思春期の生きづらさへの教育哲学的アプロ―チ

 -哲学プラクティスを中心にして                          西田 隆男

農作の一つの人間学的考察               岩田 好宏

インクルーシブ教育と教育と教育改革の影

 -保護者と教育現場の声から浮かび上がる問題        白村 直也

人間学研究所の今後について

 -「こういちの人間学ブログ」についても          佐竹 幸一

中村 哲さんとアフガニスタン・ペシャワール会        倉田  眞

 

18、「人間学研究所年誌2020」No18

             2021年2月15日発行           p58  在庫数 8冊 

新聞と戦争‐満州事変                 里見 脩

心理臨床から見えてくる思春期のメンタルヘルス 

  MHL(精神保健リテラシー)教育を中心として   西田 隆男

大学生はソ連やロシアをどのようにとらえているか 

  学生へのアンケートをもとに授業づくりを考える 白村 直也

自然保護活動のあり方を具体的に考える

『トトロの森を作る』と『野生動物のためのソーシャルディスタンス』

     の2編を読んで                                    岩田 好宏

政治報道の堕落                                           倉田   眞

 

19、「人間学研究所年誌」No19

              2022年3月10日発行  p51  在庫数  17冊

自立援助ホームにおける学修支援

  ケーススタディーを中心として         西田隆男

柴谷篤弘、その若き日の動的平行論         岩田好宏

新コロナ蔓延とその2年間のご報告          佐竹幸一

随想3題-「文化学院開学100年」、「続自然保護論」

     そして「日本人は幸福か」        岩田好宏

 

◎以上で発行は停止いたしました。

 

          

 

   

    

                    

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