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2026年3月 4日 (水)

人間学ブームと、人間学の本などの推移 2013年8月 「人間学研究所通信第64号」  2026年3月追記して更新しました。 

はじめに

 追記 2013年8月に発行しました、「人間学研究所通信64号」の概略をブログに書きましたが、2026年3月に追記して更新しました。

私たち人間学研究所と、その後作られた総合人間学研究会、そして更に総合人間学会へと発展させましたが、ブログ筆者が総合人間学会での講演の後に寄稿した文章が、『人間学ブームなんて聞いたことがない』と、却下されました。日大で行われた総合人間学会の年次総会で講演を行い、会計監査をやりましたが、会計検査をやってもいいが役員会にも出させてくれと頼みましたが。1度も会議に呼ばれませんでした。それで2018年に総合人間学会をやめました。

 「人間学研究所通信第64号」に書いた文章とその後の総合人学会との顛末ををもう少し、詳しくブログに書いてみます。

 

『人間学研究所通信 第64号』(2013年8月発行 人間学研究所)には、筆者が、「人間学ブームについて」と題して、7ページの文章を書きました。ここでは、そのポイントを書いてみたいと思います。

 

 筆者はすでにさまざまな形で、『人間学研究所年誌』などに人間学史について書いてきましたが、『人間学研究所通信 第64号』では、国立国会図書館で」、『人間学』名で検索し収集している本やさまざまな資料の数を年次ごとにグラフ化し、それぞれのブームについて説明してみました。

 

Kc4a01630001

 

 このグラフは、『人間学研究所通信第64号』に挿入したものである。残念ながらかなり縮小せざるをえないため、わかりにくいことをご容赦ください。横軸は1900年ころから始まり現在に至る年数です。縦軸は本や他の資料の出版件数です。ゼロから上は350件です。グラフの赤い色は、本の数で、青色は本のほかに記事・論文やデジタル資料も含めたすべての資料です。年数で真ん中よりやや左で、かすかに1945と書いてあるのが終戦の年で、この年にはゼロとなりました。

 

人間学ブームという表現は戦前のものは、桑木厳翼が1936年の『哲学と文学の間』(大日本図書)に「近頃流行の人間学」という言葉があり、一般に知られています。しかしその後の第二次人間学ブームという言葉とそれ以後については2000年に発行した『人間学研究所年誌2000 第一号』などにおいて、あくまでも筆者の提唱しているものです。

 

 1、第一次人間学ブームとその批判

 ドイツのマックス・シェーラーやH・プレスナーなどにより、哲学的人間学が提唱されました。これは、実存主義などの流れをくみ、人間とはなにかを、最新の科学的知識をも総合して探求していかなければならないというもので、当時勃興しつつあったマルクス主義に対抗する思想という位置づけにあったものです。1927年に三木清が「人間学のマルクス的形態」を「思想」に発表して以来、西田幾太郎、九鬼周造、和辻哲郎、高山岩男、三木清まどの京都学派を中心として発展した。また一方、石川千代松、小泉丹、丘浅次郎らが進化論にもとづいた進化論的人間学を展開した。1,938年には哲学的人間学や進化論的人間学などを総合した『人間学講座』全5巻(小泉丹、和辻哲郎など編)が発行され戦前の人間学のピークをなすものであった。上記のグラフでもこのころ人間学の本がかなり出版されていることがわかります。このころアメリカには1929年にイエール大学に人間関係学部ができ,以後人間科学(Human Science)の研究が強まり、戦後の日本に急速にひろまった。

 

 2、戦前における人間学の批判

 1935年に、戸坂 潤は『日本イデオロギー論』の中の「日本倫理学と人間学」において、和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』などの哲学的人間学をレベルは高いが保守反動的であると批判しました。

 また「人生生物学」の提唱者で産児制限などに取り組んだ山本宣治は、丘浅次郎などの生物学的人間学を進化論にもとづいて、世紀末的な未来を考え「現実の政治の諸問題に目をつむっている卑怯な人間論」と批判しました。

 戸坂潤と山本宣治の人間学批判は、多くの人間学が「人間とは何か」「人間とは いかにあるべきか」などという一般的な問いかけに終始し、結局倫理の問題や心がけの問題に解消し、現実社会の諸問題には目を向けない、ということであった。そしてその批判は現在でも存在する多くの「人間学」や「人間科学」にも言えることである。

 

3、第二次人間学ブーム

その始まり

 1960年の学術会議「人間科学総合研究所案」にもとづいて、1961年に東京工大に「人間科学研究所」が作られた。また1961年には「現代人間学」全4巻がみすず書房から出版され総合的な人間学への試みがなされた。同年、小原秀雄氏の『動物版人間の条件」などが出され、人間学や人間科学の必要性が叫ばれるようになりました。

 1965年には小原秀雄氏を会長とし、筆者を事務局長とする人間学研究会ができた。このころからしだいに人間学や、人間科学に関する本も増え始めました。日本においては人間学と人間科学の境界はあいまいでなものとなっています。

 

第二次人間学ブームとその終焉

 1975年ころからスタートし、1989年の「人間学」の本としては、139冊とピークをむかえるころを筆者は「第二次人間学ブーム」と名付けました。このころは1985年に小原秀雄、柴田義松、岩城正夫各氏と筆者が第二次人間学研究会を立ち上げたころでした。このころの日本はバブル経済真っ盛りでという時期で、安岡正篤、堂門冬二、船井幸雄らは次々に筆者が経営人間学となずけた本を出版した。この時期は人手不足でもあり、よりよき経営にとっては、優れた経営者とならなければならない、あるいは人間とは何かを知らなければならないなどという論調であった。このころは各大学にも人間学、人間科学の学部、学科ができ始めました。その中で、哲学的人間学や、科学的人間学の本も多く出版されました。

 ところが1989年に昭和の時代が終わり消費税が導入され、景気が後退し始めました。1991年には地価、株の暴落があり、長く続く平成大不況の時代となってきました。今まで”経営には人間が大切だ”などと言っていたのが、不景気になるとそのようなことが言われなくなりました。船井総研の船井幸雄が途中から、コンサルタントの方向をアメリカ流の労務管理の導入に重きをおき、一切人間に関しての本を書かなくなったのによくあらわれています。人間学の名のついた本は1989年の139冊をピークに減少を続けています。

 

4、大学における人間学の定着と、記事・論文デジタル資料の増加

 

 第一期

 1970年ころから、激動と不確定性の70年代といわれています。日本はバブル期へ。このころは、上記の第2次人間学ブームと重なります。各大学に、人間学をを称する各部、各学科ができ始めたころである。1969年に女子栄養大学に柴田義松、小原秀雄、岩城正夫氏らによる人間学コースができました。上智大には1970年に、一般教養の共通コースとして人間学が導入されました。文学部に人間学研究室ができ、上智人間学会もできました。1972年に大阪大学に人間科学部ができ、哲学的人間学講座も作られました。茅野良男氏や菅野盾樹などが担当しました。筑波大では1973年に人間学群が作られました。教育、心理、生涯学科、体育科学系の環境人間学コースでは松村和則教授が、Hunanology の用語を使い始めました。このころは第二次人間学ブームの時期と重なります。

 

 第二期

 1990年ころから、ソビエト連邦の崩壊、バブル崩壊と平成大不況となります。

 すでに述べたように経営人間学の本が減少しました。一方、人間学や人間科学の名のついた大学が増加し、記事・論文やデジタル資料を含めたものは急速に増加してきました。1991年には我々の人間学研究所準備室ができ人間学研究会が成立し現在に至っています。

 1992年には京都大学に総合人間学部ができました。ここでは教育人間学の取り組みもあります。同じ年に天理大に人間学部ができました。宗教学科と心理学科をまとめた学部で、宗教系の大学には似たような名称が多くつけられています。しかし人間学とは名ばかりで、内容は従来の講座のままというケースも多いようです。

 

第三期

 2000年から現在に至る時期です。総体の出版物は多いのですが、以後の伸びはなく停滞期にあります。2000年に『人間学』に関する資料が336件となりました。以後200件ほどが続きます。1999年には筆者らの人間学研究所が設立されました。人間と名のつく大学は一時急増しました。そして各大学で出版物をつくり、1970年ころから急増しています。本は毎年減少し続けています。またすべての資料もしかし近年は横ばい傾向であることがわかります。また、出版物としてではなく、1970年ころよりデジタル資料という形が増大しています。しかしそれも近年は横ばい傾向でzまり、増加傾向にはなっていません。『人間学』が定着するとともに、それ以上の進展がみられていないということが言える。

 それは2006年に筆者らが総合人間学会を設立しましたが、設立の時期をピークとして、年々会員数が減少し、学会誌もはじめ学文社で出版され、5巻までは立派な装丁の本でしたが、その後4巻は薄く簡単な装丁で、2017年の11巻はハーベスト社に変わりました。それ以後はブログ筆者も総合人間学会をやめました。

 

参考

 1、国立国会図書館蔵書検索 によるキーワード人間学と人間科学

 

 2013年8月14日現在

                        人間学        人間科学

すべての資料   6991件        2719件

   本        4943件         1816件

記事・論文       2084件        890件

児童書       44件          23件

デジタル資料      2388件        434件

その他         7件          21件

 

 *人間学でのすべて、と本の最初に出てくる資料は、

      本研究所の『人間学研究所年誌2000』第一号です

       その後新しい資料には出てくる順位は下がっています。

 

2、人間学と名のつく本 2013年8月

  アマゾンでのリスト 1498件

  楽天でのリスト   5395件販売店ごとのもので重複

 

 ◎人間学部などのある大学 2013年

  人間学部

   仙台白百合女子大、埼玉学園大、大正大学、文京学院大学、

   目白大学、仁愛大学、清泉女学院大学、愛知東邦大学、

   東邦大学、名城大学、聖泉大学、京都文教大学、

   大成学院大学、天理大学、(14大学)

  総合人間学部 京都大学、ルーテル学園大学、山陽学園大学、

  現代人間学部 和光大、神戸海星女子学園大、

  国際人間学部 鈴鹿大

 

◎人間科学部は25大学にあります。また人間科学部、人間生活学部

    人間社会学部、環境人学部など、人間~学部というものは

    多くなっています。

    しかし、各大学のその講座の内容を見てみると、従来の講座

    のままで、それらをまとめて、人間学や人間科学と、いわば

    看板だけを変えたものが多い。また前にも書きましたが、

    各教科の内容を見ると、人間学部や、人間学科、人間科学部

           や,人間科学科との境界はあいまいです。

◎人間学部 ウイキペディアより(2026年)

    哲学分野の研究より、地域学、心理学、コミュニケーション

            学,福祉、健康、哺育学の学際的な教育研究を行っている。

    大正大学、文京学院大、目白大学、埼玉学園大、仙台白百合

            女子大  仁愛大、名城大、聖泉大、大成学院大、大成学院

            大、清泉女学院大  石巻専修大(12大学)

    かって人間学部があった大学 関西国際大学、京都文教大学

    愛知東邦大学,天理大学(4大学)

    人間学部という名前は減少しているのがわかるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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