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人間とは何か

2018年9月27日 (木)

クローズアップ現代、「謎のマッチョな弥生人」船を漕いでマッチョというのはおかしい

2018年9月26日(水)の夜10時から、10時25分まで放送された、NHKの「クローズアップ現代+」で、「謎のマッチョな弥生人、骨から探るミステリー」という番組がありました。
九州北部には弥生人が早くに朝鮮半島から渡来し住み着きました。彼ら弥生人は背が高く、ほっそりしていて、顔も面長で、いわゆるしょうゆ顔であるということになっていましたが、九州西部の海岸や島部に住んでいた人の骨は、背が低く、筋肉ががっしりしていて、いわゆるマッチョな体つきで、顔つきも違う人たちでした。一体これはどうしてだろうかということです。
遺跡では権力の象徴として南方でとれる貝の腕輪の副葬品が権力者の骨と一緒に発掘されています。その貝の副葬品を得るために、ときに黒潮に逆らって、沖縄方面に行っていたので、筋肉が発達したのではないかと言っていました。季節によっては黒潮の流れに逆らった風の動きがあるのだそうであるが、それらを利用して手に入れたのであろうという。
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九州西部の海岸や島で発掘された骨は、身長は1メートル50センチほどだが、背は低いががっちりした体つきであった。
◎この顔つき、体系を見ても、縄文系由来の人である。縄文系の人たちは各地のへき地の海の近く、南九州、沖縄、四国、都会地以外の関東、東北特に太平洋側などに多い。
がっちりになったのではなくもともとがっちりなのである。
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平野部の弥生人と異なるマッチョな人々の集団があるということ。
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国立科学博物館の海部陽介氏はいう。
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弥生人のイメージ。ほっそりとした体つき。稲作もたらした人々。
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どんな暮らしでマッチョに。骨をCTスキャンして調べてみる。
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(弥生式)土器を運んだルート
長崎・高島にある遺跡と同じようなものが鹿児島さつま市にある。貝の腕輪など。
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赤い服を着た女性-筋肉を売り物にした芸能人ーはマッチョな弥生人と同じくらいの背の高さ。
このテレビでは、ほっそりして、背が高い弥生人が、船に乗るために筋肉が強くなって、外見も変わったというが、あまり納得できる話ではない
もともと、2400~3000年以前には日本には縄文人しかいなかった。縄文人は南方起源や、中国から来た人々、アイヌ系で北方に住む人たちなど雑多な人々が住んでいた。縄文時代にも稲作が伝わったようだが、弥生時代のように大規模なものではなかった。
大陸から中国江南の人たち(百越と呼ばれた)が漢民族の圧迫から逃れる形で渡来してきた。そのころ、広く倭人と呼ばれる人たちで、稲作文化をもたらし、高床式倉庫、抜歯、刺青の習慣を持った人たちだった。
倭人のことはや後漢の「漢書地理誌」や王充の「論衡」に書かれている。そこに書かれている倭人ということを、広く南中国から日本にかけて住んでいた人ととらえる人と、日本人とだけとらえる人がいる。
紀元前300年ころからいずれにしても沖縄諸島経由や朝鮮半島経由で、日本に渡来してきた。弥生時代の始まりとなる。そして、前から住んでいた縄文式文化の人たちと混血していった。
弥生人を狭義には渡来した人だけをいう場合があり、広義にはもともと住んでいた縄文人を含めて(縄文系弥生人という)と弥生時代になり、弥生時代の文化を取り入れ、渡来人と混血もしていった、人たちも含めて言う場合がある。
1700年前ごろ、弥生時代から古墳時代になるころから、気温の低下により、大陸の北方系のツングース系の人たちが、南下し、高句麗、百済を建国し、さらに朝鮮半島から大挙してやってきた。さらに、百済滅亡などに際して多くの渡来人が来た。また新羅系の人泰は日本海から富山、新潟から関東に住み着いたともいわれる。百済系の人たちは日本の支配層になっていった。彼らは細面、平面的な顔、いわゆるお雛様顔をしている人たちである。そして古墳時代になっていく。
 
 
 

2018年9月13日 (木)

ゲノムで解明、日本人の起源 縄文人は東南アジア起源か、各紙で報道

2018年9月2日(日))の日経新聞の朝刊と、9月11日(火)の毎日新聞夕刊に、日本人の起源が、ゲノムで解明された、と報道していました。特に、日経新聞はカラー版で大きく出ていました。30面サイエンス版
日経新聞の30面サイエンス版の図版。
日経新聞の記事
DNA追い古代人に迫る
 縄文人 東南アジア起源か
 ホアビン文化民族が縄文人となった可能性可能性が高い。
ラオス、マレーシアなどの文化の担い手が作るホアビン文化の人たちと、縄文遺跡の愛知県井川津貝塚(4000年から2500年前)の2500年前の成人女性の骨がこの研究の立役者となった。
金沢大学、北里大学、国立歴史民俗博物館を中心とする研究グループが、頭部(耳の骨-側頭骨錐体)にわずかに残る遺伝子を注意深く採取し、全遺伝子情報の解読に成功した。
その情報をもとにこの7月、縄文人の起源について成果を発表した金沢大の覚張隆史特任助教は「縄文人の全遺伝情報を解読した初の成果。東南アジアの人々の遺伝情報と比較して遺伝的なつながりを調べる足掛かりができた」と解説する。
比較した相手は現在のアジアの人々や8000~2000年前の東南アジアの古代人ら80を超える集団だ。古代の人たちの遺伝子で調べる研究はすでに試みられていたが、日本で解読できた遺伝情報の割合が数%と低く詳細な分析はなかなかむずかしかった。全遺伝情報が解読できれば情報量も多くなり、より深い研究ができる。
覚張特任助教らは遺伝情報の類似性などに着目し6つのグループに分けた。その結果、井川津貝塚の女性の遺伝子は、約8000年前のラオスの遺跡や約4000年前のマレーシアの遺跡で見つかった古代人の遺伝子に近く、同じグループに分類されることが判明した。
そのころの東南アジアには狩猟採集民が住み「ホアビン文化」と呼ばれる文化圏を作っていたと考えられる。その集団の一部が移動し日本列島にたどり着いた。東南アジア地域から渡来した集団が縄文人の起源とする説が最近唱えられているが、それを裏付ける結果となった。
このグループの遺伝子は他の5つのグループと大きな違いがあったが、地理的に近いグループの間で交流が起きたとみられる痕跡も見つかった。東南アジアでは、古い石器時代から住んでいた狩猟採集民が、稲作などの農耕文化を持つ集団の移動によって置き換わる「2層構造仮説」が長く信じられてきた。
今回の成果から単純な置き換わりはなく「複数のグループが移動と交流を繰り返す、新しい枠組みが浮かび上がってきた」(覚張特任助教)という。
国立歴史民俗博物館の山田康弘教授は「遺伝情報に基づく研究は日本の考古学にとってもおおいな力となる」と強調する。
遺伝子を解析して古代人の足跡をたどる世界の研究者に共通する考えでもある.浸透に合わせてこの分野の研究は活発になってきた。~
日本のような高温多湿なところでは遺伝子がきちんと残りにくい。乾燥した地域の多い欧州やアフリカは遺伝子の保存状態が良い。
今回の研究では,歯の中に残る細胞から遺伝子を取り出す方法ではなく、非常に硬い側頭骨に採取場所を変えた。~
この研究はデンマークのコペンハーゲン大学を核とする国際研究チームとの、共同作業でもあり、海外の複数の大学でも同様に遺伝子を解読した。北里大太田博樹淳教授は「1つの研究所だけでは信用度を高められない。国際協力体制で高い精度のデータを出せる」と話す。
キーワード「縄文人と弥生人」、「互いに交流し日本人に」
縄文人、1万数千年前から、約2300年前に日本列島に暮らしていた。丸顔で鼻が高く、えらが張っている特徴がある。狩猟採集生活を送り、現在の台湾や朝鮮半島などを経由して移り住んだと考えられている。
 
井川津遺跡は4000年から2500年前の遺跡で、縄文後期から晩期に当たる。
弥生人は約2500年前にアジア大陸から九州地方にわたり,コメ作りを始めていたという。面長で目が細くあごは細い。徐々に日本全体に広がり、縄文人などと交流しながら現在の日本人へと移り変わっていった。
 
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上図は日経新聞の図表
・。
 縄文人の顔の特徴
  鼻が高い、えらが張っている、丸顔
 遺伝子の並び方
  古東アジア人の遺伝子と違う
  ホアビン文化の遺伝子と近い
◎下の図は、毎日新聞の記事を1,5倍に拡大してスキャンしました。今までスキャンがうまくできませんでしたが、パソコンを変えて、はじめからWindows10で入っているものに変えたら、うまく取り込めました。W7から10に変わったときうまく対応できませんでした。
 毎日新聞の記事は「ホアビン文化」のことは書いて無く、逆に日経新聞の記事は、日本全体に住む「ヤポネシア人―日本列島の人類」のことはかいてありませんでした。
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毎日新聞の記事
日本人の起源ゲノムで解明へ
分離融合の新手法
離島など50地域500人を解析
ゲノム歴史学という新手法
本州に住む人や北海道のアイヌ民族、南西諸島の人など、地域でDNAに違いがあることが分かっている。
チームでは、日本全体に住む人類を意味する「ヤポネシア人」-日本列島人―となずけ、ルーツを包括的に調べる。
全国で離島や半島など特に土着性の高い50か所の地域の約500人のゲノムを詳しく解析。5か年の研究には、プロジェクトには北海道大学、人間文化研究機構、国立歴史民俗博物館などが参加し研究費は約2億円。~
 
これは携帯カメラで撮影したものです。両方とも読みにくいですね。
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◎日本人と倭について
倭について書かれるのは、「漢書地理誌」や,王充の「論衡」などであり。倭人が暢草を献じた、という記録がある。これを日本の倭が献じたという説もあるが、当時揚子江一帯に住んでいた人たちも、日本に住んでいた人たちも倭と呼ばれていたので、揚子江一帯の百越と呼ばれた人々をさすのではないかと思われる。
倭人については、「魏誌倭人伝」が詳しい。米作をし,鯨面文身(入れ墨)をし、高床式の家に住み,貫頭衣を着るなどの風俗が描かれている。日本では弥生時代を表しているようである。
中国では倭人は中国人(漢人)に押され南方に行き中国の少数民族やタイ、ラオス、ベトナムなどの東南アジア人となったと思われます。
遺伝子的に、日本人と東南アジア人と近いのはそういう理由があります。
しかし日本人はアジアの諸民族の吹き溜まりのような存在で、南はベトナムやインドネシアに近い人たち、南中国系、北方中国系、モンゴル系、ツングース系のお雛様顔の人たち、アイヌ系などがいて、本当に様々な民族が混血しています。
国立科学博物館で一連の人類の起源と歴史のNHK番組の展示があると思います。楽しみです。
参考
                 日本         中 国
紀元前300年ころまで縄文時代            前漢
                                新
                        紀元25年   後漢成立
                           57年  倭の奴国朝貢
 
           弥生時代               「漢書」、「論衡」
                        220年     後漢滅亡
                                 魏,呉,蜀
紀元300年以後 古墳時代
 
 

2018年9月10日 (月)

NHKスペシャル 「人類誕生 未来編」1(なぜホモ・サピエンスが生き残ったのか)

2018年9月8日(土)NHK BS1で10時から50分間放送がありました。翌日、9日にはその続き2,3がありましたが見損ないました。

「こういちの人間学ブログ」では

2018年5月14日

「NHKスペシャル『人類誕生2』 「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」「現生人類、生存は集団の力」

http//koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/05/nhk-66bf.html

2018年7月20日

「NHKスペシャル『人類誕生3』「日本人のルーツ解明」「ホモサピエンス日本へ」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/07/nhk3-a78f.html

つながります。

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人類の未来で、ロボット(AI)の少女、エヴァが人間について、謎の老人ドクに質問をする。ホモ・サピエンスは逆転に次ぐ逆転で、、、現在生き残っている人類は、ホモ・サピエンスのみである。それはどういうわけか。

 

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700万年前、チンパンジーと人類が分化した。

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エチオピアのミドルカッシュで人骨を発掘

440万年前

アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人

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骨盤の形は人類に近い―二足歩行をしていた

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アフリカの土地が隆起して、一部が乾燥化した。森林の減少。

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ラミダス猿人は樹木と草原の両方で生活。足はまだ木をつかむのに適した形だった。

乾燥が進むと草原においては二足歩行のほうが有利

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ラミダス猿人は家族を持つ

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チンパンジーに比べ犬歯が小さい。メスをめぐっての争いがないということ。

370万年前

オーストラロピテクス・アファレンシス

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タンザニア のエラトリ遺跡

370万年前の10人以上の団体で歩いた足跡の化石が残る

猛獣に襲われないために仲間と行動した。-仲間を持つヒト

240万年前

ホモ・ハビリス(華奢型人類)とパラントロプス・ボイセイ(頑丈型人類)が共存していた。

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ホモ・ハビリス 死肉をハイエナなどと争う。適応力の強さ。

パラントロプスは固い植物ー食べ物ーを噛める強力なあごをもつ。パラントロプスのほうが絶滅した。

ホモ属(ヒト属)へホモ・エレクトスとなって幅広く分布

ジャワ原人や北京原人など。

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石器によって残された傷跡

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石器など、道具を持つ ホモ・ハビリス

180万年前

ホモ・エレクトゥス

身長が身長180センチにも  ドマニシ遺跡(ジョージア)

長距離を走ることができた。大殿筋の発達。体毛が薄くなるー汗をかいて体温を下げる働きが生まれた。狩りに有力な力を得た。

アジアでは、ジャワ原人や北京原人など。

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様々な 心の進化が起きてきた。

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歯がなくなった老人でも生きていけるように助け合った。

食料の変化ー肉食の増加 消化が良くなり負担減少―脳の増大へ心を持つようになる

◎タンパク質の増大が脳を大きくする

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40~50万年前ごろ

ハイデルベルグ人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)が生まれる。)アフリカや、ヨーロッパ、アジアに広がった。20万年前ごろに絶滅した。

その後、ヨーロッパで寒冷地に適応していった人類―ネアンデルタール人、と、20数万年前にアフリカで生まれた、ホモ・サピエンスに分離していった。

◎ハイデルベルグ人は50から70万年前ころに生存。20万年前に絶滅。脳容積が大きい。ホモ・エレクトスの1種だとみる見方もある。

寒冷化が進む中で、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモサピエンスに分かれた。ネアンデルタール人は40万年前から2万数千年ごろに生存。ネアンデルタール人もホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとされる。

ホモ・サピエンスはネアンデルタール人に比べスマートな形をしていた。

◎アジアではデニソワ人、赤鹿人、フローレス人ー(原人)などたくさんの人類が存在した。

19万年前から氷期が始まった。

ヨーロッパではネアンデルタール人がうまく氷期に適応できた。マンモスやトナカイなどの狩り。寒さに適応したずんぐりとした強力な体,弱い日光に対し、赤い髪、白い肌など。

東南アジアでは氷期の厳しさは余り無かった。ヨーロッパに比べ温暖であった。

アフリカでは乾燥化が強く、ホモ・サピエンスは1万人以下の絶滅寸前となった。これは現代のホモ・サピエンスの遺伝子がほとんどないことからわかる。これを「ボトルネック現象」と呼ぶ。

南アフリカの最南端の海岸の遺跡(ピナクルポイント遺跡)にムール貝の貝殻などがたくさん出てくる。貝を食べるなど食べ物に対する柔軟性などが存続へとつながった。

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◎氷期は人間に大きな打撃を与えた。現在は温暖な間氷期の期間である。氷期になったら現代文明に壊滅的な打撃を与える。今騒がれている温暖化など問題にならない。

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アフリカの最南端。ピナクル・ポイント。

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ムール貝を食用にした。貝殻が遺跡に残る。食物の多様性。

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ネアンデルタール人は言葉を喋ることができたとされている。知能もそれほど劣らなかった。

◎ネアンデルタール人は10人程度の小人数で行動し、新しい文化が生まれ、広がるのが遅かった。また女性も狩りに参加し、狩りで傷ついたり死んだりもした。2万1000年前ころには、最も厳しい氷河期(最終氷期)となり、ネアンデルタール人は絶滅した。

それに対し、ホモ・サピエンスは大きな集団で行動し、何かを生み出していった。そして地球全体に広がっていった。ネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスは栄えた。そして、1万年前頃から地球は温暖化していった。そして文明の誕生へ。

◎未来編の3つの巻の最後に、アンドロイドーAIと、人間との話がある。

地球上の人類は絶滅し、いわば人類が生きた証としてのアンドロイド・エヴァを残した―という話で終わっていました。

2018年8月23日 (木)

デニソワ洞窟で、母・ネアンデルタール人、父・デニソワ人の人骨発見

5万年前の人骨は混血の少女

シベリアの洞くつ

2018年8月23日の新聞「赤旗」の記事で、シベリア南部の洞窟で、見つかっていた5万年前ごろの人骨は、ネアンデルタール人の母とデニソワ人の父から生まれた混血の少女だったことがわかったと、ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所などの国際研究グループが22日付の科学誌『ネイチャー』の電子版に発表しました。 (以下、赤旗の記事です)

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(様々な角度から撮影したデニソワ11、 c,T Higham, University of oxford)

2つの人類が混血していたことは知られていましたが、それぞれの人類を両親とする人の骨が見つかったのは初めてです。

人骨は、2012年にアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で、他の多くの骨と一緒に見つかりました。長さが2センチほどで、腕や脚の骨の一部とみられていますが、どこの骨かは、わかっていません。「デニソワ11」と呼ばれています。

研究グループがゲノム(全遺伝情報)を解析。これまで知られている人類のものと比較した結果、ネアンデルタール人やデニソワ人のゲノムとそれぞれ40%程度づつ一致していることがわかりました。両者とも比率が高く、しかも同程度の割合を占めているいることはデニソワ11がネアンデルタール人とデニソワ人の混血で生まれた人の遠い子孫でなく、子どもであることを示しています。


母親からだけ子どもに受け継がれるミトコンドリアDNAはネアンデルタール人のものと一致しており、母親がネアンデルタール人で父親がデニソワ人と判明しました。性染色体はX 染色体しか見つからなかったこと、骨の皮質の暑さから13歳程度とみられたことから、デニソワ11は少女だったことも分かりました。


デニソワ人は主としてユーラシア大陸の東部に、ネアンデルタール人は西部に分かれて住んでいたと考えられています。今回の研究で、父親ののデニソワ人の祖先にはネアンデルタール人と混血した人がいたことも分かりました。

デニソワ人は主としてユーラシア大陸の東部に、ネアンデルタール人は西部に分かれて住んでいたと考えられています。今回の研究で父親のデニソワ人の祖先にはネアンデルタール人と混血した人がいたことも分かりました。マックスプランク進化人類学研究所のスパンテ・ペーボ博士は「ネアンデルタール人とデニソワ人がこれまで考えられていたより頻繁に混血していた可能性がある」と説明しています。

デニソワ人

2008年にデニソワ洞窟で見つかった手の小指の骨のゲノムを解析して発見され、これまで知られていなかった未知の人類。その後の解析で、ネアンデルタール人に近隣な人たちだったことがわかりました。オセアニアやアジアの現生人類のゲノムにはデニソワ人のゲノムの1部がふうまれており、現生人類とも混血したと考えられています。頭や顔の骨は見つかっておらず、どんな人たちだっかは謎に包まれたままです。デニソワ洞窟からはデニソワ人とネアンデルタール人の骨が見つかっています。


「こういちの人間学ブログ」  2015年8月の記事

「人類は多くの人類と共存した。ネアンデルタール人,アカシカ人、フローレス人」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/20134-2304.html

すみません。つながりません。

◎デニソワ人の骨はほんの小さな小指の骨のかけらでも、ゲノムが明らかになりました。今度はネアンデルタール人とデニソワ人の両親から生まれた少女の骨が見つかり、ゲノムも分かりました。
ゲノムがわかったということは皮膚の色や目や髪の色も分かってきているはずです。顔の形もある程度わかるでしょう。発掘がさらに進みデニソワ人の頭骨の発掘が待たれます。ネアンデルタール人が現生人類と混血し明るい肌や金髪などがひきつがれたようですが、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の混血が北方系のアジア人に引き継がれているように感じますが、今後の発見が待たれます。


2018年7月20日 (金)

NHKスペシャル「人類誕生」3「日本人のルーツ解明」・ホモサピエンス日本へ

2018年7月15日、NHKスペシャル、「人類誕生「の最後は、「高橋一生の人類誕生3、「日本人のルーツ解明!?」「海を越え、極寒に耐えた苦難の道をリアル体験」でした。

人類は現在76億人もいる。その原動力は何か。鍵は日本列島にある。
日本は大陸から海で隔てられ(台湾と与那国島は110キロも離れている)、北は極寒の地シベリアとつながっている。そこを乗り越えられたのはホモ・サピエンスのみ

沖縄県石垣島の白保竿根多原遺跡で、2万7000年前の遺跡が発見された。そこで、全部で19体の人骨が発掘されました。彼らは白保人と名づけられました。以前に発見された港川人より背が高いということがあきらかになりました。
土肥正美氏は白保人を調べ、外耳道骨種があることがわかりました、海に潜るのが習慣としていたと分かりました。

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南方ルートの大海原を渡って日本に至るコースと、北方の氷河時代で陸続きになった陸地を通って日本に至る道がある。

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白保人の顔の復元図・南方系の顔

「こういちの人間学ブログ」2018年4月21日

「国内最古の旧石器時代人、石垣島で発見。港川人との違いは?追記国内最古の顔復元」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/04/


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氷河時代海水面の低下により、東南アジアに広大なスンダランドができ、そこにたくさんの遺跡群が
篠田謙一氏がそこに住む人々のDNAの解析する。

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インドネシアのティンプセンドウロ壁画 アジア最古の壁画。 今までは壁画はラスコーなどのヨーロッパが最初と思われていた
39900年前の手形やいろいろな絵も残っている。

台湾の八仙洞遺跡に絵が残っている
台湾から島伝いに日本にわたってきたのではないか。
台湾から日本へ、黒潮の流れー台湾から物を流すと日本まで届かない

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南方ルートについて解明しようと、海部陽介氏の研究グループは、草(ヒメガマ)で作った船を試す。(実験考古学)船で新しい土地に移り住むには最低、5組10人は必要であると。2隻で与論島を出発。しかしこの船では黒潮の流れに逆らって、石垣島などへ渡るのは困難と分かった。


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北方ルート
2万5千年前、2003年北方の地、シベリアでマンモスの骨で作ったアクセサリーが見つかった。いろいろな細石器が発見される。また骨から作った針も発見。これで皮を縫いあわせて服を作り寒さを防ぐことができた。

エベンキ族 縫い針を4つの工程で作る。縫い針を作れるのはホモ・サピエンスのみ

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脳・ブローカ野―言語能力をつかさどる分野が発達。道具と言語が並行して発達。

白保人は釣り針を作ることができた。世界最古の釣り針。


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石器で斧を作り、丸木船を作り、海に乗り出す。実際に試してみる。草の船に比べ力強く進んでいく。
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海部陽介氏(国立科学博物館人類史研究部長)


参考書

「日本人はどこから来たのか」、NHKスペシャル制作班、馬場悠男、海部陽介監修、2016年2月10日

「大逆転!奇跡の人類史」、NHKスペシャル制作班、馬場悠男、海部陽介監修。2018年5月26日

◎日本人は、古くは、中国大陸や、台湾など南方から丸木舟にのってきた人たち一方、北の大陸から来た、人々が混合し縄文文化を形成しました。地球寒冷化に伴い、百済、新羅、高句麗などの朝鮮半島の人々や、中国大陸の戦乱を逃れてきた人たちが相次いで移住してきた。

日本人は北はツングース系(韓国由来の細面の狐顔―おひな様顔)、モンゴル系(丸顔)、北方の漢民族系、(四角などいろいろ)
南中国系、(庶民的な丸顔―狸顔)、南方の(海洋民族的な顔―白保人の顔は典型的)、少数だが遠くシルクロードから来た人の顔など様々である。東洋の諸民族の吹き溜まりのような状況にあります。それらが融合して日本人が形成されました。

7月25日:追記

7月25日の毎日新聞夕刊1面トップに「日本人の足跡たどる」、「3万年前の航海再現」
今回は丸木舟、台湾~与那国島で来夏挑戦、という記事が載りました。

2018年5月14日 (月)

NHKスペシャル「人類誕生」2、「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」ー現生人生存は集団の力

5万5000年前にヨーロッパに住んでいた、ネアンデルタール人とアフリカに住んでいた現生人(ホモ・サピエンス)が中東のエルサレム付近で出会った。共存期間は1万年余りとみられます。
参考
◎マノット洞窟(ホモ・サピエンス)とアムッド洞窟(ネアンデルタール人)40キロと極めて近い。
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参考、「そして最後に人が残った」ネアンデルタール人と私たちの50万年史 白揚社より
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ホモ・サピエンスがネアンデルタール人との混血が考えられる頭骨
◎マノット洞窟はイスラエルの北方、ガリラヤ湖のレパント地方にある。5万5000年前のホモ・サピエンスの頭骨が発見された。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが出会って、混血した可能性が強く、証拠が見つかるかもしれない。2015年1月28日に科学誌、ネイチャーに発表された。
ネアンデルタール人は優れた能力
ブリュニケル洞窟、ネアンデルタール人の400個の鍾乳洞内の遺跡。ストーン・サークルを作っていた。
ネアンデルタール人にはしゃべる能力があったと思われる。骨の構造から。
皮をなめすことができた。なめす道具-りソワール
貝のペンダントやブレスレットなどをしていた
◎埋葬をしていたという説も。花粉がいっぱいの墓か。宗教の萌芽。
「ネアンデルタール人の首飾り」ファン・ルイス・アルスアガ、新評論
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ネアンデルタール人の顔の復元図。色が白く髪が金髪か茶色。
額が後退。眼窩上隆起が強い.鼻が広い。北欧ヨーロッパ人の顔に近い。
寒さに適応。アレンの法則により、胴長・短足よりに。
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アフリカで生まれたホモ・サピエンス。体はきゃしゃ。手足は細長い。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの体の比較。女の子は現在のヨーロッパ人に近い顔をしていた。
◎ネアンデルタール人もホモ・サピエンスの1員であり、亜種であるともされている。
 ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス 学名
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの比較
ネアンデルタール人は接近して獣を倒す、力が強い。氷期の屈強ハンター。しかし獲物に接近し倒すため、大けがをする可能性が大きい。ネアンデルタール人の化石の骨を見ると傷跡がたくさんあった。
30歳ぐらいまでに多くが死んだ。女性も狩りに参加。
5万年前ほどのホモ・サピエンスの狩りでは小動物程度しか取れなかった。その代わりいろいろなものを食べ、雑食だった。
4万3000年ころになるとヨーロッパでは、ホモサピエンスは投げ槍器(アトラトル)を使うようになる。普通の槍の2倍以上飛ぶ。
解説者―長谷川真理子 進化生物学
◎ほかの資料で、ネアンデルタール人は女性も狩りに参加するので、ケガをしたり死んだりしやすい。現生人は男女の仕事を分業し、おんなは怪我をしない。人口に影響。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの能力比較。
肉体の能力はネアンデルタール人のほうが上。1対1で戦えばネアンデルタール人のほうが上であった。脳の働きは同程度。ストーンサークルを作るなど文化的能力も高かった。しかしホモ・サピエンスのほうが集団力に優れていた。
フランスのカスタネ遺跡、150人ほどが暮らしていた跡があった人数。人数が多いと発明品が集団に伝わりやすい。3万5000年前モスクワ郊外の遺跡では400人を超える遺跡があった。
それに対し、ネアンデルタール人の遺跡、エル・シドロン、15人から20人ぐらいまで。文化が広がらない。それにより逆転劇が起こる。
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脳容積はネアンデルタール人のほうが大きい
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シェーブル遺跡 4万年前の洞くつ
洞窟に描かれたシャーマンの姿。宗教的儀式を行う。
死者のために様々な埋葬品
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洞窟内での宗教的儀式―連帯感が生まれる。
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アトラトル(投げ槍器)を使うと倍近くも投げられる。
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ネアンデルタール人の絶滅
ネアンデルタール人は氷河期に適応した体だった。体が大きく力強い。しかしたくさんのカロリーが必要だった。
氷河期の終わりのころ―急激な気候変動ガーハインリッヒ・イベント
  極端な寒暖の差が起きる―食料が手に入りにくくなる。
人口が少しづつ減少し回復が難しくなった。家族単位の10数人の集団。新しい文化が生まれ、それが広がっていかなかった。
(ホモサピエンス―いろいろなものを食べる、集団で助け合う)
ジブラルタルのネアンデルタール人の最後の遺跡。ゴーラム洞窟、石に刻まれた、ハっシュタグーフィレイソン博士
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血
 ネアンデルタール人の遺伝子がホモサピエンスへ
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スヴァンテ・ペーボ博士。スエーデン人。ネアンデルタール人のゲノム解析を行う。
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ホモ・サピエンスはネアンデルタール人などと交わって様々な遺伝子を受け取って生きてきた。詳しくはこういちの人間学、「ネアンデルタール人は渡したいと交配した~」をご覧ください。文末の資料。
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迷子になったネアンデルタール人の女の子。保護される。
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10数年後混血した子供が生まれた。
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サハラ砂漠以南には混血していない、純粋なホモ・サピエンスが―アフリカ人。
それ以外では2、0%程度の、ネアンデルタール人のDNAがゲノムの中に。皮膚の色。病気に対する耐性など、生き残るのに有利な遺伝子が取り込まれた。
司会ー小林一生の唾液採取から
 2,3%から2,4%のネアンデルタール人由来の遺伝子が存在すること判明。
「こういちの人間学ブログ」
『ネアンデルタール人について 図像の変化~』
 
『ネアンデルタール人は私たちと交配した ~』

2018年4月21日 (土)

国内最古の旧石器時代の人骨、石垣島で発見 港川人との違いは?追記、国内最古の顔復元

 2018年4月20日ごろの新聞各紙に昨年5月に見つかった旧石器人の顔の復元像が出来上がり、国立科学博物館で展示されたと報じられました。追記して更新しました。
 2017年5月20日の各新聞に、国内最古、2万7000の年前の全身人骨が、沖縄石垣島の「白保竿根田原洞窟(シラホサオネダバル)遺跡」で見つかったと報じた。
 毎日新聞26面には、「旧石器時代の人骨19人分」、「2万7000年前 最古の墓」、「洞窟に風葬」とあり、日経新聞には「国内最古の全身人骨」、「沖縄・石垣島 2万7000年前と推定」「旧石器時代の墓か」とあります。
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毎日新聞
 沖縄県立埋蔵文化財センター(西原町)は19日、石垣島の遺跡で5年(2012~16年)の発掘調査で、旧石器時代の人骨を1000点超、少なくとも19人分確認したと発表した。出土量は世界最大級。国内最古の全身骨格の人骨もあった。同センターは洞窟を墓にして風葬のように葬ったと判断。旧石器時代の人骨の葬送と墓域がわかるのは初めてで国内最古とみられる。日本の墓制の起源や当時の葬送概念を考える上で重要な成果となる。(墓域を初めて確認した)
 人骨の年代は2万7000~1万8000年前。全身骨格がそろった人骨は2体分あり、うち1体の年代は2万7000年前で頭蓋骨を含めて国内最古となる。高齢の成人男性で身長は165センチ。これまで旧石器時代の全身骨格は、沖縄本島の港川フィッシャー遺跡(2万2千年前)でしか見つかっていない。
 この人骨は洞窟内の岩陰にあり、遺体はあおむけのまま、ひざは胸まで、ひじは両手が顔に近づくまで降り投げていた姿勢とわかった。他の人骨も岩陰で見つかった。同センターは屈葬の形で岩陰に置いて葬り続けたとみている。
当時の死生観反映
土肥直美・元琉球大准教授(形質人類学) 毎日新聞
 旧石器時代の人骨が19人分も出土するのは世界でもありえない発見。遺体をわざわざまげて葬っているところに、当時の死生観がうかがえる。
毎日新聞・大森顕浩
白保竿根田原洞窟遺跡
 旧石器時代から近世の人骨や骨が出土する沖縄県石垣島の複合遺跡。空港建設に伴う調査で発見され、同県立埋蔵文化財センターが2012~16年に本格調査を実施した。旧石器時代の人骨では初めてヒトのDNA抽出にも成功。中国大陸南部や東南アジアなどが起源のパターンと判明し、日本人のルーツを探る貴重なデータとなっている。
日経新聞
 
東方アジアの人類史解明進む
松浦秀治 お茶の水女子大名誉教授 日経新聞
 今回の成果から遺跡が旧石器時代人の文化的活動の場であったことが明らかとなり、遺跡の重要性が再認識された。沖縄本島を含む琉球列島各地域からの旧石器時代人骨資料の充実によって、証拠が点から線へまた面へと広がりつつあり、東南アジアの人類史の解明が進むことが期待される。
日経新聞
 同センターの金城亀信所長は、記者会見で「日本の人類史上に新たな1ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
 全身骨格は高齢の成人男性ととされ、推定身長、165センチで「港川人」より10センチ程度高かったと言い、虫歯のような跡もあった。
 同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及、。生活の痕跡は見られず「死者を葬る場所と生活の場所が分かれていた」と指摘する。
 全身骨格は放射性炭素年代測定値を実年代に合うように補正し、約2万7千万年前と推定した。
 全身人骨などは20~28日、同センターで一般公開される。
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毎日新聞より
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遺跡の場所
 
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岩陰に葬られた際のイメージ、沖縄県立埋蔵文化財センター提供
追  記
「しんぶん赤旗」の2017年7月24日号の『科学』欄に大きく半ページを使って記事が載っていました。
 人骨次々”謎の遺跡”正体は・・・国内最古の墓地だった。みえてきた石垣島の旧石器人
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調査が行われていた時の白保竿根田原洞窟遺跡の全景
調査に最初から携ってきた土肥直美・元琉球大学准教授(形質人類学)は、「人骨は出るのに、生活の痕跡がないので、私たちは発掘中から人骨は風葬された人たちの骨だろうと考えていました」
 土肥さんは「4号人骨の発見で、人骨が風葬されたものであるものだと確信しました
沖縄の風葬のやり方は、以前葬られた人骨を奥に集め、空いた場所に新たな遺体を安置します。白保竿根田原遺跡の出土状況は崖葬墓(外装簿)と呼ばれる、それとよく似ています。
 沖縄の崖葬墓に詳しい片桐千亜紀・沖縄県立埋蔵文化センター主任研究員は「旧石器時代の人々が、生活の場所と別の場所を墓地としていたことが明らかになりました。沖縄の風葬の歴史は、これまで 縄文時代までさかのぼるとみられていましたが、旧石器時代から続いていた可能性があるとわかったのは大きな意義があると思います」と説明します。
 崖葬墓は沖縄だけでなく、鹿児島県のトカラ列島以南の南西諸島、さらにアジアや東南アジアの島々にも広がっていると言います。
◎コメント追記
もっともしっかり人骨が残っているものを、4号人骨と呼びます。写真の人骨は4号人骨です
人骨展示の沖縄県立埋蔵文化センターは9時から午後5時までオープン、入場無料
098-835-8751
人骨にはげっ歯類(ネズミ)のかじり跡があり、風葬によって葬られた証拠と見ます。
 今回2万7000年前に見つかった人骨と、5000年の差がある港川人(沖縄本島)との違いは?港川人は身長男性153~155センチ、女性144センチ。身長の差10センチもある。顔つきは、顔の復元が待たれる。
 港川人は、縄文人の祖先と見られたこともあるが、最近ではアボリジニやパプアニューギニアの人たちにちかいのではないかと言われている。国立科学博物館の顔の復元図もだいぶ変わってきた。
 さて今度の人類はどうでしょうか。
 氷河期の最後のころには海面が低下し、日本と本土はつながっていた。2万年前ごろまで最終氷期
 
2018年4月20日 追記 各紙で、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表
 2017年5月20日の各紙で発表されたものに、2018年4月20日の新聞各紙に、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表されました。
 国立科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されている4号人骨の頭骨のデジタル復元に基づく復顔像」
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記事は4月21日の赤旗によります
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これまでの頭骨の形態分析では、湊川人を含め、中国南部やベトナムなど琉球列島よりも南方系の人々に近いことがわかったと言います。
 20日から上野の科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されています。
 

2018年3月29日 (木)

ネアンデルタール人が壁画?高い知性の可能性。論争も。白人のネアンデルタール人。黒人のイギリス人。

最古6万年前の壁画、ネアンデルタール人が描いたのか?
2018年3月29日の毎日新聞の科学欄―科学の森に、
「壁画描く芸術性あった? ネアンデルタール人像、に新説、「野蛮」見直しも
 旧人のネアンデルタール人が6万年以上前に洞窟絵画を書いていたー。洞窟絵画は現生人類のホモ・サピエンスが描いたとする定説に、一石を投じる研究が発表された。4万年前に滅んだネアンデルタール人とは何者だったのか。最新研究を取材した。(鈴木理之)
● 4万年前に絶滅
毎日新聞では、すでに2月23日にはニュースで簡単に報道されています。今回はさらに詳しいニュースが書かれています。
 角を持つ牛のような動物や、梯子のようなマーク。ネアンデルタール人が描いたとの新説が浮上しているのは100年以上前に発見された世界遺産・ラバシエガ洞窟(スペイン)の壁画だ。赤い顔料が使われ、点描のような絵も見える。
 ドイツの研究チームが、壁画に付着した天然の放射性物質の年代を測定したところ、一部は6万4000年以上前に描かれたと推定した。これまでは4万年前とされていたが、2万年以上さかのぼったことになる。ネアンデルタール人は、ヒトと共通の祖先から50万年前に分かれたとみられ、私たちの「遠い親戚」に当たる。
 1856年にドイツのネアンデル谷の洞くつで、初めての骨格の化石が発掘された。これまでの遺跡調査から埋葬文化があったとされる。
 なぜ彼らがこの洞窟壁画を描いたと考えられるのか。私たちの祖先で、ホモ・サピエンスの仲間のクロマニョン人(新人)がアフリカから欧州に来たのは推定4万~4万5000年前。6万4000年以上前に欧州に定住していたのは、ネアンデルタール人だけと考えられるためだ。
 4万年前以前に壁画などは見つかっておらず、今回の研究は「すでに定住していたネアンデルタール人が描いたもので、芸術的な能力があった」(研究チーム)としている。
境界あいまい
「野蛮」などといったイメージがあったネアンデルタール人に対し、「芸術的な能力があった」とされるクロマニョン人。ショーベ洞窟(3万6000年前)やラスコー洞窟(2万年前)、アルタミラ洞窟(1万8000年前)など、クロマニョン人が描いたとされる壁画は牛やバイソンなどの動物が生き生きと描かれており、芸術性と知性がうかがえる。しかし最近の研究では両者の境界はあいまいになっていると言えそうだ。
 約4万年前には共存していたと考えられており、ゲノム(全遺伝情報)研究では、現代人にもネアンデルタール人に由来する残っている可能性が指摘されるなど、生物学的に近い種であることが明らかになっている。
 ネアンデルタール人は氷河期に適応するため身長は低く、手足の短いがっちりした体形。一方クロマニョン人は身長が高く現代人に近い容姿だ。東京大学の近藤修准教授(古人類学)は骨格を比較したうえで「ネアンデルタール人には氷河期を生き抜くだけの知恵があった。知能の優劣を認めるほど生物学的な差はない」と指摘する。
 ネアンデルタール人の遺跡からは火を使った痕跡や、壁画の絵具として使われた可能性のある赤い顔料も多く出土している。
 東京芸術大学の五十嵐ジャンヌ講師(旧石器時代美術研究)は,「両者」は共存していた時代も長い。文化的な接点があったなら、ネアンデルタール人の芸術性を示す証拠が今後見つかる可能性もある」と指摘する。「原始人」などといったネアンデルタール人のイメージを見直す必要がありそうだ。
「研究の蓄積必要」
 一方、ラパシエガ洞窟の壁画が描かれた6万4000年以前に、新人の一部がすでに欧州に進出していたーの説もあり、ネアンデルタール人を壁画の「作者」とする今回の研究には異論もある。
 国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長(人類進化学)は「ラパシエガ洞窟を含めこれまでの壁画は洞窟の奥で見つかっているが、ランプの痕跡はクロマニョン人の遺跡でしか見つかっていない」と指摘。年代測定方法についても「現時点では必ずしも制度が高いとはいけない。さまざまな角度からの検証が必要だ」と指摘する。
 近藤准教授は「生きた時代が重なる両者は何かと比較される。一般的に各研究は現代人の優位性を主張するキリスト教などの宗教的なな立場が強く影響することもある。という。両者の比較をめぐっては1980年代以降、学問的な論争が繰り返されてきた経緯があり、「確かな証拠を積み重ね、少しづつ正解に近づいていくしかない」と話している。
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100年前以上前に発見された世界遺産・ラバシエガ洞窟(スペイン)の壁画だ。赤い顔料が使われ、点描のような絵も見える。
ネアンデルタール人
 男性は身長165センチ程度
 骨格筋が発達しがっしりした形
 手足が短く、寒冷地で体温を保持しやすい
 後頭部が発達し、頑丈な下あごを持つ
クロマニョン人
 男性は身長175センチ前後、現代人に近い容姿
 手足が長く、熱帯地方で体温を拡散しやすい
 頭部が大きく,歯は小さい
ラバシエガ洞窟(スペイン)
 6万4000年前
ショーべ洞窟(フランス)
 2万6000年前
ラスコー洞窟(フランス)
 2万年前
アルタミラ洞窟(スペイン)
 1万8000年前
 
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4万年前後の中期石器時代と後期石器時代の入れ替わる時期にネアンデルタール人とクコロマニョン人が共存していたと考えられる。
赤い線で描かれたスペインの洞窟壁画―研究チーム提供(上記)
 
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1913年の論文に掲載されたスペインの洞くつ洞窟壁画を写した絵=サイエンス誌提供」
◎近藤氏の「現代人の優位性を主張するキリスト教などの宗教的な立場が強く影響することもある」という言葉は興味深い。
 クロマニョン人が、前にLIFE誌で金髪で白い肌をした姿で描かれているのに違和感を感じたことがあります。今年2018年にイギリス人やスペイン人をゲノムの解析で、目は青いが肌は黒く、今までの復元図と大きく異なる、ということがわかりました。肌が白く、目が青くというのはむしろゲノム解析でネアンデルタール人の姿であることがわかっています。
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1万年前の黒人?のイギリス人の復元図。肌は黒く髪も黒い。
「こういちの人間学ブログ」
 「1万年前のヨーロッパ人は暗い肌に黒い髪、青い目。イギリス、スペインなど」
 2018年2月23日
 
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国立科学博物館にあるネアンデルタール人の復元像。肌は白く髪の毛は茶色。
「こういちの人間学ブログ」 2015年8月
 「ネアンデルタール人について 図像の変化~」

2018年3月14日 (水)

ゲノム情報で、縄文人の女性の顔復元、ビートたけしに似る?

2018年3月12日の新聞や、テレビ、インターネットで、縄文時代人の女性の顔が、ゲノム情報で復元され、たということが、報じられました。
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3月12日の毎日新聞の記事です。そのまま書きますと。
縄文人 肌・髪くっきり ゲノム情報で復元
国立科学博物館(林 良博館長)は、12日、縄文時代の遺跡から出土した人の歯などからゲノム情報を解析して、復元した女性の顔を公開した。ゲノム情報を利用した縄文人の顔の復元は初めてで、これまで、はっきりしなかった肌の色などを正確に表現している。
復元されたのは1989年に北海道礼文島の船泊遺跡から出土した、約3800年前の40代と推定される女性。同館や国立遺伝学研究所のチームが臼歯約0、2グラムから抽出したDNAを分析し、全ゲノムを解析した。
肌や瞳の色など顔の特徴は、ゲノムに含まれる遺伝子9個から得られた。その結果、肌の色は濃く、シミができやすい▽毛髪は細く縮れている。▽瞳の色は明るい茶色―であることが判明。その情報を従来の骨の形などを利用した復元方法に加え、より正確に顔を復元した。ほかにもこの縄文人女性は血液型がA型であることや、アルコール分解酵素を持っていることも分かったという。
チームを主導した同館の篠田謙一副館長は「標本を見て、現在の研究のレベルを実感してほしい」と話している復元された顔は、13日から始まる同館特別展「人体―神秘への挑戦ー」で公開される。
荒木涼子、写真も
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この写真は、インターネットでの記事の写真です。
元になった人骨は船泊23号だそうです。
4月10日 国立科学博物館の「人体」展で実物を見てきました。
ビートたけしに似ている?。ひろみに似ているのでは?
ちょうど12日の日本テレビで、午後1時55分から放送されていた、「ミヤネ屋」で、宮根氏がしつこく、ビートたけしに似ていると話し、家内もその前に、たけしに似ていると話していました。筆者はそれほど似ていると思いませんでしたがいていることは確かで、ビートたけしは”縄文系”なのでしょう。
 私はタレントのひろみも似ているように感じました。
臼歯、0,2グラムで全遺伝子情報がわかるのはすごいことです。ネアンデルタール人が金髪で青い目をしていたということも遺伝子情報がわかり,デニソワ人もほんの小さな骨のかけらで全ゲノムがわかりました。
2018年2月には、イギリスの最古の現生人(1万年前ーチェダーマン)の骨の遺伝子から、暗い肌と青い目をしていたという復元図が発表されました。8000年前のスペイン人も同じようでした。次々と古代人の全ゲノムがわかると、今までの常識が次々と覆ります。ブログに書いたばかりです。
縄文時代は礼文島に遺跡が残るほど気温が高かった。
礼文島は北海道でも最北端の地です。縄文時代は極めて気温が高かったことがわかっています。
縄文時代最も栄えていたところは、現在の寒冷地です。縄文時代は気温が高く、関東地方では関東の奥地まで海が入り込んでいました。(縄文海進)
縄文時代最も栄えた集落は、青森県の三内丸山遺跡です。5500年から4000年前ごろに栄えました。弥生時代になると寒冷化が進み、朝鮮では北方のツングース系の人々が南下し日本にまで来ました。日本でも文化の中心は九州から近畿に至る南方が栄えました。
礼文島の船泊遺跡は、礼文島北部にあり、様々な縄文土器、ビーズ玉やそれを使ったネックレスなどが多数見つかっており、糸魚川に出るヒスイも見つかっています。文化が高く広く交易していたことがわかります。
◎国立科学博物館の特別展も見に行く予定です。3月13日から6月17日まで。
縄文時代のような温暖な時代は、居住地も広く、食物も豊かで争いごとの無い平和な時代でした。寒冷化が始まると、北方に住んでいた民族は食べ物を求めて南下していきます。人々は争いを起こします。豊かに居住できる土地は狭くなり、飢饉と争いごと(戦争)も起きます。気温が2℃や3℃上がるとどうのと問題にしますが、急な気温上昇は確かに生物に大きな影響を与えますが、そのうち安定します。「地球が危ない」と言って、温暖化で生物が絶滅するとか言って脅かしますが、絶滅は専ら人為的なものであり、気温上昇のためではありません。
上野の科学博物館の特別展で見た縄文人の頭骨の・追記
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2018年2月23日 (金)

1万年前のヨーロッパ人は暗い肌に、黒い髪、青い目、イギリス、スペインなど

、2018年2月7日のニュースで、1万年前のイギリス人は、暗い肌に黒髪だったことが、DNA 解析の結果わかったと、顔の復元模型が発表されました。目は青く、従来考えられていたのと異なる復元図でした。
 すでに、2015年1月に発表されていた、7000年前のスペイン人も(後述)黒い肌、青い目だったと、発表されていました。その他にも7700年前のハンガリー、8000年前のルクセンブルクからも中石器時代の黒い肌を持つ古代人が見つかっており、今回見つかったイギリス人も遺伝的に近いことが証明されました。(National Geographic などによる)
 
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チェダーマンの復元図
イギリス―ブリテン島は4万年前ごろに人が住んでいたが、3万年前ごろに極端に気温が下がり人類がいなくなり、1万5000年前に気温の上昇とともに人類が戻った。しかしその後
この時代は最終氷期の時代が終わるころで、最も厳しい寒さとなりました。イギリスのブリテン島は大陸とつながっていました。日本も大陸とつながっていました。その後11000年前ごろから地球の気温は徐々に安定して来ました。
 イギリスの南西部で発見された人骨を復元し、DNAシークエンシング技術で分析。
「チェダーマン」と呼ばれている約1万年前の人骨は、1903年に英国サマーセット州のチェダー渓谷で見つかりました。チェダーマンは、遺伝子地図が作成された最古のイギリス人となりました。
 その顔を、英ユニバーシティカレッジ・ロンドンの科学者、マーク・トーマス氏がロンドン自然史博物館の協力で復元したところ、、明るい青色の目の色、わずかにカールした髪、そして黒い肌を持っていたことが明らかになりました。以前にマンチェスター大学での復元図では肌が白く、白人であったが、今回の結果では黒い肌(Dark to Black) であることが明らかになりました。黒肌の確率は76%だそうで、ヨーロッパじゅうで10000年前には黒い肌の人たちが、たくさん住んでいたことになります。(後述のスペイン人なども黒い肌をしています)
また、このDNAは現代のイギリス人の10人に1人が関係していることが明らかになりました。
 身長は165センチほどでした。
チェダーマンの顔の復元作業をしたのは、モデル製作者のアドリエ・ケニス氏とアルフォンス・ケニスという双子のオランダ人で、3Dスキャナーと3Dプリンターを利用して復元した顔に肉を付け加えました。
トーマス氏によると、肌の色を決める遺伝子はさまざまな場所に点在するので、従来のDNAシークエンシング(遺伝配列の特定)技術によっては判定困難であった。
 しかし、新しい技術で、点在する染色体の簡単に行われるようになったといいます。
トーマス氏によると「目の色を決めるのは、ある特定の遺伝子と、その遺伝子の中にある特定の変異体」だと言います。「肌の色は、たくさんの変異体によって決まります」
 この地域の人々は時間とともに肌の色が薄くなっていったが、その理由や時期は分かっていない、といいます。
「肌の色が薄ければ,浴びる紫外線紫外線が多くなり、生成されるビタミンDも多くなるからでしょう。とビラール氏は推測する。ビタミンDは健康な骨を作るのに欠かせないが、紫外線を浴びることでも生成される。しかし、温帯地方では、人が日光を浴びる頻度は少なくなるため、、多くの紫外線を吸収できるように、肌の色が白くなったというわけです。
 ビラール氏は肌の色については最も説得力のある説だが、目の色は説明できません。
2014年の研究での説では、人々が耕作するようになったことで、食生活の多様性が減り,日光からより多くのビタミンD を吸収しなければならなくなったというものだ。なお現在の食生活では日光を浴びなくともビタミンD を賄うことができると彼は付け加える。
◎白い肌は、突然変異で一定の比率で「白っ子」が生まれます。アフリカの黒人でも生まれます。北ヨーロッパなどでは、「「白っこ」が有利で増えていったのかもしれません。北極でヒグマから白熊が生まれたようにです。また性選択で白い肌が好まれたのかもしれません。現代は白い肌が好まれます。
 1万年前のヨーロッパの人々は、まだ狩猟採集をしていましたが、その後農耕が始まり、栄養が穀物に偏り、ヨーロッパの日光が少ないところでは、皮膚の色を薄くして、ビタミンDを摂取する必要があり、次第に肌が白くなったともいわれます。
 採集狩猟時代は(日本の場合、縄文時代)は食べ物は変化に富んでいた。しかし農耕時代になると食べ物が穀物類に偏り、また身分の分化により下層社会の人々は栄養不良となり身長も低くなったのです。身長の「平均値は低下しました。
◎現生人より前にヨーロッパに生存していた、ネアンデルタール人の肌は白く、混血により現生人は2から3%遺伝子を取り込んだと言われます。その取り込んだものの中に白い肌の遺伝子も含まれたかもしれません。
白い肌が生存に有利となり次第に増えていったのかもしれません。
◎今回、復元されたチェダーマンの顔立ちは、どちらかというと、アメリカのネイティブ(インディアン)に似ています。
◎イギリス人は、日本と同じように様々な人達の吹き溜まりのように混合しています。1万年前の、チェダーマン、その後に住んでいたケルト人、大陸から攻め込んできた、デーン人やノルマン人などです。
「こういちの人間学ブログ」
「イギリスの歴史は多くの民族の混合の歴史~」2011年8月
2、スペインからの古代人、7000年前の復元図
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Nature誌のオンライン版で発表。バルセロナの進化生物研究所,イニョ・オラルテ氏
この男性LA BRANA 1はヨーロッパ人の特徴である色素沈着があり、青い目の遺伝的変異を持っていました。また、2万年以上前のシベリア人の祖先(アメリカのネイティブ・アメリカンとリンクしている)をスカンジナビア人と共有していたことも分かりました。
場所は北西スペインのレオン近くのLA Brana Arintero洞窟で、そこで見つかった人骨の歯のDNA分析を行いました。
彼は石器時代の人間であり、、狩猟生活が主だった。
その後にやってくる新石器時代の主食成分であるでんぷん質や,乳糖の消化は苦手だったに違いない。
以前に、青い目の起源はフィンランドあたりに住んでいた人々からはじまったと聞いたことがあるが、7000年前にはすでにシベリアからフィンランド、スペインまでまでの遺伝的連続があったことになる。
また、白い肌よりも先に、青い目の広がりが先行していたことも今回の調査は示している。
◎肌の色は黒く、目の色は青で、チェダーマンと同じですが、顔立ちが、チェダーマンと全然違います。いわゆる現代ヨーロッパ人の顔立ちをしています。人により変化はあるでしょうが、チェダーマンの復元図のほうが当時の人たちに近かったように思えます。
◎ヨーロッパのいわゆる白人は、ずっと前から肌が白いことを自慢していますが、実は7000年から10000年前ころのヨーロッパ人はどちらかというと、いわゆる黒人であった、ということがわかります。前からヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人はいわゆる白人ですが。。。青い目は比較的早く青い目になりましたが、白い肌はかなり後年に変わってきたということは面白いことだと思います。
 同じヨーロッパ人でも北方にすんでいた、ゲルマン人(ノルマン人含む)は肌が白いですが南ヨーロッパにもともと住んでいた人は真っ白ではありません。
 ゲルマン人、ノルマン人が世界中に侵略していった結果、そのまま世界を支配する形になっています。-イギリスの今の王朝はノルマン系です。
◎日本においては10000年前には、石器時代から縄文時代に移るころです。南方由来の黒潮にのってきた人々や、中国の南方の倭人が主体だったでしょう。倭人は日本だけでなく、高床式住居、稲作、入れ墨をした人々です。
◎は、筆者の見解です。
 

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