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人間とは何か

2018年5月14日 (月)

NHKスペシャル「人類誕生」2、「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」ー現生人生存は集団の力

5万5000年前にヨーロッパに住んでいた、ネアンデルタール人とアフリカに住んでいた現生人(ホモ・サピエンス)が中東のエルサレム付近で出会った。共存期間は1万年余りとみられます。
参考
◎マノット洞窟(ホモ・サピエンス)とアムッド洞窟(ネアンデルタール人)40キロと極めて近い。
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参考、「そして最後に人が残った」ネアンデルタール人と私たちの50万年史 白揚社より
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ホモ・サピエンスがネアンデルタール人との混血が考えられる頭骨
◎マノット洞窟はイスラエルの北方、ガリラヤ湖のレパント地方にある。5万5000年前のホモ・サピエンスの頭骨が発見された。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが出会って、混血した可能性が強く、証拠が見つかるかもしれない。2015年1月28日に科学誌、ネイチャーに発表された。
ネアンデルタール人は優れた能力
ブリュニケル洞窟、ネアンデルタール人の400個の鍾乳洞内の遺跡。ストーン・サークルを作っていた。
ネアンデルタール人にはしゃべる能力があったと思われる。骨の構造から。
皮をなめすことができた。なめす道具-りソワール
貝のペンダントやブレスレットなどをしていた
◎埋葬をしていたという説も。花粉がいっぱいの墓か。宗教の萌芽。
「ネアンデルタール人の首飾り」ファン・ルイス・アルスアガ、新評論
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ネアンデルタール人の顔の復元図。色が白く髪が金髪か茶色。
額が後退。眼窩上隆起が強い.鼻が広い。北欧ヨーロッパ人の顔に近い。
寒さに適応。アレンの法則により、胴長・短足よりに。
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アフリカで生まれたホモ・サピエンス。体はきゃしゃ。手足は細長い。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの体の比較。女の子は現在のヨーロッパ人に近い顔をしていた。
◎ネアンデルタール人もホモ・サピエンスの1員であり、亜種であるともされている。
 ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス 学名
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの比較
ネアンデルタール人は接近して獣を倒す、力が強い。氷期の屈強ハンター。しかし獲物に接近し倒すため、大けがをする可能性が大きい。ネアンデルタール人の化石の骨を見ると傷跡がたくさんあった。
30歳ぐらいまでに多くが死んだ。女性も狩りに参加。
5万年前ほどのホモ・サピエンスの狩りでは小動物程度しか取れなかった。その代わりいろいろなものを食べ、雑食だった。
4万3000年ころになるとヨーロッパでは、ホモサピエンスは投げ槍器(アトラトル)を使うようになる。普通の槍の2倍以上飛ぶ。
解説者―長谷川真理子 進化生物学
◎ほかの資料で、ネアンデルタール人は女性も狩りに参加するので、ケガをしたり死んだりしやすい。現生人は男女の仕事を分業し、おんなは怪我をしない。人口に影響。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの能力比較。
肉体の能力はネアンデルタール人のほうが上。1対1で戦えばネアンデルタール人のほうが上であった。脳の働きは同程度。ストーンサークルを作るなど文化的能力も高かった。しかしホモ・サピエンスのほうが集団力に優れていた。
フランスのカスタネ遺跡、150人ほどが暮らしていた跡があった人数。人数が多いと発明品が集団に伝わりやすい。3万5000年前モスクワ郊外の遺跡では400人を超える遺跡があった。
それに対し、ネアンデルタール人の遺跡、エル・シドロン、15人から20人ぐらいまで。文化が広がらない。それにより逆転劇が起こる。
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脳容積はネアンデルタール人のほうが大きい
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シェーブル遺跡 4万年前の洞くつ
洞窟に描かれたシャーマンの姿。宗教的儀式を行う。
死者のために様々な埋葬品
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洞窟内での宗教的儀式―連帯感が生まれる。
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アトラトル(投げ槍器)を使うと倍近くも投げられる。
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ネアンデルタール人の絶滅
ネアンデルタール人は氷河期に適応した体だった。体が大きく力強い。しかしたくさんのカロリーが必要だった。
氷河期の終わりのころ―急激な気候変動ガーハインリッヒ・イベント
  極端な寒暖の差が起きる―食料が手に入りにくくなる。
人口が少しづつ減少し回復が難しくなった。家族単位の10数人の集団。新しい文化が生まれ、それが広がっていかなかった。
(ホモサピエンス―いろいろなものを食べる、集団で助け合う)
ジブラルタルのネアンデルタール人の最後の遺跡。ゴーラム洞窟、石に刻まれた、ハっシュタグーフィレイソン博士
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血
 ネアンデルタール人の遺伝子がホモサピエンスへ
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スヴァンテ・ペーボ博士。スエーデン人。ネアンデルタール人のゲノム解析を行う。
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ホモ・サピエンスはネアンデルタール人などと交わって様々な遺伝子を受け取って生きてきた。詳しくはこういちの人間学、「ネアンデルタール人は渡したいと交配した~」をご覧ください。文末の資料。
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迷子になったネアンデルタール人の女の子。保護される。
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10数年後混血した子供が生まれた。
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サハラ砂漠以南には混血していない、純粋なホモ・サピエンスが―アフリカ人。
それ以外では2、0%程度の、ネアンデルタール人のDNAがゲノムの中に。皮膚の色。病気に対する耐性など、生き残るのに有利な遺伝子が取り込まれた。
司会ー小林一生の唾液採取から
 2,3%から2,4%のネアンデルタール人由来の遺伝子が存在すること判明。
「こういちの人間学ブログ」
『ネアンデルタール人について 図像の変化~』
 
『ネアンデルタール人は私たちと交配した ~』

2018年4月21日 (土)

国内最古の旧石器時代の人骨、石垣島で発見 港川人との違いは?追記、国内最古の顔復元

 2018年4月20日ごろの新聞各紙に昨年5月に見つかった旧石器人の顔の復元像が出来上がり、国立科学博物館で展示されたと報じられました。追記して更新しました。
 2017年5月20日の各新聞に、国内最古、2万7000の年前の全身人骨が、沖縄石垣島の「白保竿根田原洞窟(シラホサオネダバル)遺跡」で見つかったと報じた。
 毎日新聞26面には、「旧石器時代の人骨19人分」、「2万7000年前 最古の墓」、「洞窟に風葬」とあり、日経新聞には「国内最古の全身人骨」、「沖縄・石垣島 2万7000年前と推定」「旧石器時代の墓か」とあります。
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毎日新聞
 沖縄県立埋蔵文化財センター(西原町)は19日、石垣島の遺跡で5年(2012~16年)の発掘調査で、旧石器時代の人骨を1000点超、少なくとも19人分確認したと発表した。出土量は世界最大級。国内最古の全身骨格の人骨もあった。同センターは洞窟を墓にして風葬のように葬ったと判断。旧石器時代の人骨の葬送と墓域がわかるのは初めてで国内最古とみられる。日本の墓制の起源や当時の葬送概念を考える上で重要な成果となる。(墓域を初めて確認した)
 人骨の年代は2万7000~1万8000年前。全身骨格がそろった人骨は2体分あり、うち1体の年代は2万7000年前で頭蓋骨を含めて国内最古となる。高齢の成人男性で身長は165センチ。これまで旧石器時代の全身骨格は、沖縄本島の港川フィッシャー遺跡(2万2千年前)でしか見つかっていない。
 この人骨は洞窟内の岩陰にあり、遺体はあおむけのまま、ひざは胸まで、ひじは両手が顔に近づくまで降り投げていた姿勢とわかった。他の人骨も岩陰で見つかった。同センターは屈葬の形で岩陰に置いて葬り続けたとみている。
当時の死生観反映
土肥直美・元琉球大准教授(形質人類学) 毎日新聞
 旧石器時代の人骨が19人分も出土するのは世界でもありえない発見。遺体をわざわざまげて葬っているところに、当時の死生観がうかがえる。
毎日新聞・大森顕浩
白保竿根田原洞窟遺跡
 旧石器時代から近世の人骨や骨が出土する沖縄県石垣島の複合遺跡。空港建設に伴う調査で発見され、同県立埋蔵文化財センターが2012~16年に本格調査を実施した。旧石器時代の人骨では初めてヒトのDNA抽出にも成功。中国大陸南部や東南アジアなどが起源のパターンと判明し、日本人のルーツを探る貴重なデータとなっている。
日経新聞
 
東方アジアの人類史解明進む
松浦秀治 お茶の水女子大名誉教授 日経新聞
 今回の成果から遺跡が旧石器時代人の文化的活動の場であったことが明らかとなり、遺跡の重要性が再認識された。沖縄本島を含む琉球列島各地域からの旧石器時代人骨資料の充実によって、証拠が点から線へまた面へと広がりつつあり、東南アジアの人類史の解明が進むことが期待される。
日経新聞
 同センターの金城亀信所長は、記者会見で「日本の人類史上に新たな1ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
 全身骨格は高齢の成人男性ととされ、推定身長、165センチで「港川人」より10センチ程度高かったと言い、虫歯のような跡もあった。
 同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及、。生活の痕跡は見られず「死者を葬る場所と生活の場所が分かれていた」と指摘する。
 全身骨格は放射性炭素年代測定値を実年代に合うように補正し、約2万7千万年前と推定した。
 全身人骨などは20~28日、同センターで一般公開される。
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毎日新聞より
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遺跡の場所
 
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岩陰に葬られた際のイメージ、沖縄県立埋蔵文化財センター提供
追  記
「しんぶん赤旗」の2017年7月24日号の『科学』欄に大きく半ページを使って記事が載っていました。
 人骨次々”謎の遺跡”正体は・・・国内最古の墓地だった。みえてきた石垣島の旧石器人
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調査が行われていた時の白保竿根田原洞窟遺跡の全景
調査に最初から携ってきた土肥直美・元琉球大学准教授(形質人類学)は、「人骨は出るのに、生活の痕跡がないので、私たちは発掘中から人骨は風葬された人たちの骨だろうと考えていました」
 土肥さんは「4号人骨の発見で、人骨が風葬されたものであるものだと確信しました
沖縄の風葬のやり方は、以前葬られた人骨を奥に集め、空いた場所に新たな遺体を安置します。白保竿根田原遺跡の出土状況は崖葬墓(外装簿)と呼ばれる、それとよく似ています。
 沖縄の崖葬墓に詳しい片桐千亜紀・沖縄県立埋蔵文化センター主任研究員は「旧石器時代の人々が、生活の場所と別の場所を墓地としていたことが明らかになりました。沖縄の風葬の歴史は、これまで 縄文時代までさかのぼるとみられていましたが、旧石器時代から続いていた可能性があるとわかったのは大きな意義があると思います」と説明します。
 崖葬墓は沖縄だけでなく、鹿児島県のトカラ列島以南の南西諸島、さらにアジアや東南アジアの島々にも広がっていると言います。
◎コメント追記
もっともしっかり人骨が残っているものを、4号人骨と呼びます。写真の人骨は4号人骨です
人骨展示の沖縄県立埋蔵文化センターは9時から午後5時までオープン、入場無料
098-835-8751
人骨にはげっ歯類(ネズミ)のかじり跡があり、風葬によって葬られた証拠と見ます。
 今回2万7000年前に見つかった人骨と、5000年の差がある港川人(沖縄本島)との違いは?港川人は身長男性153~155センチ、女性144センチ。身長の差10センチもある。顔つきは、顔の復元が待たれる。
 港川人は、縄文人の祖先と見られたこともあるが、最近ではアボリジニやパプアニューギニアの人たちにちかいのではないかと言われている。国立科学博物館の顔の復元図もだいぶ変わってきた。
 さて今度の人類はどうでしょうか。
 氷河期の最後のころには海面が低下し、日本と本土はつながっていた。2万年前ごろまで最終氷期
 
2018年4月20日 追記 各紙で、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表
 2017年5月20日の各紙で発表されたものに、2018年4月20日の新聞各紙に、国内最古の旧石器人の顔を復元したと発表されました。
 国立科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されている4号人骨の頭骨のデジタル復元に基づく復顔像」
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記事は4月21日の赤旗によります
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これまでの頭骨の形態分析では、湊川人を含め、中国南部やベトナムなど琉球列島よりも南方系の人々に近いことがわかったと言います。
 20日から上野の科学博物館の企画展「沖縄の旧石器時代が熱い!」で展示されています。
 

2018年3月29日 (木)

ネアンデルタール人が壁画?高い知性の可能性。論争も。白人のネアンデルタール人。黒人のイギリス人。

最古6万年前の壁画、ネアンデルタール人が描いたのか?
2018年3月29日の毎日新聞の科学欄―科学の森に、
「壁画描く芸術性あった? ネアンデルタール人像、に新説、「野蛮」見直しも
 旧人のネアンデルタール人が6万年以上前に洞窟絵画を書いていたー。洞窟絵画は現生人類のホモ・サピエンスが描いたとする定説に、一石を投じる研究が発表された。4万年前に滅んだネアンデルタール人とは何者だったのか。最新研究を取材した。(鈴木理之)
● 4万年前に絶滅
毎日新聞では、すでに2月23日にはニュースで簡単に報道されています。今回はさらに詳しいニュースが書かれています。
 角を持つ牛のような動物や、梯子のようなマーク。ネアンデルタール人が描いたとの新説が浮上しているのは100年以上前に発見された世界遺産・ラバシエガ洞窟(スペイン)の壁画だ。赤い顔料が使われ、点描のような絵も見える。
 ドイツの研究チームが、壁画に付着した天然の放射性物質の年代を測定したところ、一部は6万4000年以上前に描かれたと推定した。これまでは4万年前とされていたが、2万年以上さかのぼったことになる。ネアンデルタール人は、ヒトと共通の祖先から50万年前に分かれたとみられ、私たちの「遠い親戚」に当たる。
 1856年にドイツのネアンデル谷の洞くつで、初めての骨格の化石が発掘された。これまでの遺跡調査から埋葬文化があったとされる。
 なぜ彼らがこの洞窟壁画を描いたと考えられるのか。私たちの祖先で、ホモ・サピエンスの仲間のクロマニョン人(新人)がアフリカから欧州に来たのは推定4万~4万5000年前。6万4000年以上前に欧州に定住していたのは、ネアンデルタール人だけと考えられるためだ。
 4万年前以前に壁画などは見つかっておらず、今回の研究は「すでに定住していたネアンデルタール人が描いたもので、芸術的な能力があった」(研究チーム)としている。
境界あいまい
「野蛮」などといったイメージがあったネアンデルタール人に対し、「芸術的な能力があった」とされるクロマニョン人。ショーベ洞窟(3万6000年前)やラスコー洞窟(2万年前)、アルタミラ洞窟(1万8000年前)など、クロマニョン人が描いたとされる壁画は牛やバイソンなどの動物が生き生きと描かれており、芸術性と知性がうかがえる。しかし最近の研究では両者の境界はあいまいになっていると言えそうだ。
 約4万年前には共存していたと考えられており、ゲノム(全遺伝情報)研究では、現代人にもネアンデルタール人に由来する残っている可能性が指摘されるなど、生物学的に近い種であることが明らかになっている。
 ネアンデルタール人は氷河期に適応するため身長は低く、手足の短いがっちりした体形。一方クロマニョン人は身長が高く現代人に近い容姿だ。東京大学の近藤修准教授(古人類学)は骨格を比較したうえで「ネアンデルタール人には氷河期を生き抜くだけの知恵があった。知能の優劣を認めるほど生物学的な差はない」と指摘する。
 ネアンデルタール人の遺跡からは火を使った痕跡や、壁画の絵具として使われた可能性のある赤い顔料も多く出土している。
 東京芸術大学の五十嵐ジャンヌ講師(旧石器時代美術研究)は,「両者」は共存していた時代も長い。文化的な接点があったなら、ネアンデルタール人の芸術性を示す証拠が今後見つかる可能性もある」と指摘する。「原始人」などといったネアンデルタール人のイメージを見直す必要がありそうだ。
「研究の蓄積必要」
 一方、ラパシエガ洞窟の壁画が描かれた6万4000年以前に、新人の一部がすでに欧州に進出していたーの説もあり、ネアンデルタール人を壁画の「作者」とする今回の研究には異論もある。
 国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長(人類進化学)は「ラパシエガ洞窟を含めこれまでの壁画は洞窟の奥で見つかっているが、ランプの痕跡はクロマニョン人の遺跡でしか見つかっていない」と指摘。年代測定方法についても「現時点では必ずしも制度が高いとはいけない。さまざまな角度からの検証が必要だ」と指摘する。
 近藤准教授は「生きた時代が重なる両者は何かと比較される。一般的に各研究は現代人の優位性を主張するキリスト教などの宗教的なな立場が強く影響することもある。という。両者の比較をめぐっては1980年代以降、学問的な論争が繰り返されてきた経緯があり、「確かな証拠を積み重ね、少しづつ正解に近づいていくしかない」と話している。
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100年前以上前に発見された世界遺産・ラバシエガ洞窟(スペイン)の壁画だ。赤い顔料が使われ、点描のような絵も見える。
ネアンデルタール人
 男性は身長165センチ程度
 骨格筋が発達しがっしりした形
 手足が短く、寒冷地で体温を保持しやすい
 後頭部が発達し、頑丈な下あごを持つ
クロマニョン人
 男性は身長175センチ前後、現代人に近い容姿
 手足が長く、熱帯地方で体温を拡散しやすい
 頭部が大きく,歯は小さい
ラバシエガ洞窟(スペイン)
 6万4000年前
ショーべ洞窟(フランス)
 2万6000年前
ラスコー洞窟(フランス)
 2万年前
アルタミラ洞窟(スペイン)
 1万8000年前
 
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4万年前後の中期石器時代と後期石器時代の入れ替わる時期にネアンデルタール人とクコロマニョン人が共存していたと考えられる。
赤い線で描かれたスペインの洞窟壁画―研究チーム提供(上記)
 
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1913年の論文に掲載されたスペインの洞くつ洞窟壁画を写した絵=サイエンス誌提供」
◎近藤氏の「現代人の優位性を主張するキリスト教などの宗教的な立場が強く影響することもある」という言葉は興味深い。
 クロマニョン人が、前にLIFE誌で金髪で白い肌をした姿で描かれているのに違和感を感じたことがあります。今年2018年にイギリス人やスペイン人をゲノムの解析で、目は青いが肌は黒く、今までの復元図と大きく異なる、ということがわかりました。肌が白く、目が青くというのはむしろゲノム解析でネアンデルタール人の姿であることがわかっています。
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1万年前の黒人?のイギリス人の復元図。肌は黒く髪も黒い。
「こういちの人間学ブログ」
 「1万年前のヨーロッパ人は暗い肌に黒い髪、青い目。イギリス、スペインなど」
 2018年2月23日
 
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国立科学博物館にあるネアンデルタール人の復元像。肌は白く髪の毛は茶色。
「こういちの人間学ブログ」 2015年8月
 「ネアンデルタール人について 図像の変化~」

2018年3月14日 (水)

ゲノム情報で、縄文人の女性の顔復元、ビートたけしに似る?

2018年3月12日の新聞や、テレビ、インターネットで、縄文時代人の女性の顔が、ゲノム情報で復元され、たということが、報じられました。
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3月12日の毎日新聞の記事です。そのまま書きますと。
縄文人 肌・髪くっきり ゲノム情報で復元
国立科学博物館(林 良博館長)は、12日、縄文時代の遺跡から出土した人の歯などからゲノム情報を解析して、復元した女性の顔を公開した。ゲノム情報を利用した縄文人の顔の復元は初めてで、これまで、はっきりしなかった肌の色などを正確に表現している。
復元されたのは1989年に北海道礼文島の船泊遺跡から出土した、約3800年前の40代と推定される女性。同館や国立遺伝学研究所のチームが臼歯約0、2グラムから抽出したDNAを分析し、全ゲノムを解析した。
肌や瞳の色など顔の特徴は、ゲノムに含まれる遺伝子9個から得られた。その結果、肌の色は濃く、シミができやすい▽毛髪は細く縮れている。▽瞳の色は明るい茶色―であることが判明。その情報を従来の骨の形などを利用した復元方法に加え、より正確に顔を復元した。ほかにもこの縄文人女性は血液型がA型であることや、アルコール分解酵素を持っていることも分かったという。
チームを主導した同館の篠田謙一副館長は「標本を見て、現在の研究のレベルを実感してほしい」と話している復元された顔は、13日から始まる同館特別展「人体―神秘への挑戦ー」で公開される。
荒木涼子、写真も
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この写真は、インターネットでの記事の写真です。
元になった人骨は船泊23号だそうです。
4月10日 国立科学博物館の「人体」展で実物を見てきました。
ビートたけしに似ている?。ひろみに似ているのでは?
ちょうど12日の日本テレビで、午後1時55分から放送されていた、「ミヤネ屋」で、宮根氏がしつこく、ビートたけしに似ていると話し、家内もその前に、たけしに似ていると話していました。筆者はそれほど似ていると思いませんでしたがいていることは確かで、ビートたけしは”縄文系”なのでしょう。
 私はタレントのひろみも似ているように感じました。
臼歯、0,2グラムで全遺伝子情報がわかるのはすごいことです。ネアンデルタール人が金髪で青い目をしていたということも遺伝子情報がわかり,デニソワ人もほんの小さな骨のかけらで全ゲノムがわかりました。
2018年2月には、イギリスの最古の現生人(1万年前ーチェダーマン)の骨の遺伝子から、暗い肌と青い目をしていたという復元図が発表されました。8000年前のスペイン人も同じようでした。次々と古代人の全ゲノムがわかると、今までの常識が次々と覆ります。ブログに書いたばかりです。
縄文時代は礼文島に遺跡が残るほど気温が高かった。
礼文島は北海道でも最北端の地です。縄文時代は極めて気温が高かったことがわかっています。
縄文時代最も栄えていたところは、現在の寒冷地です。縄文時代は気温が高く、関東地方では関東の奥地まで海が入り込んでいました。(縄文海進)
縄文時代最も栄えた集落は、青森県の三内丸山遺跡です。5500年から4000年前ごろに栄えました。弥生時代になると寒冷化が進み、朝鮮では北方のツングース系の人々が南下し日本にまで来ました。日本でも文化の中心は九州から近畿に至る南方が栄えました。
礼文島の船泊遺跡は、礼文島北部にあり、様々な縄文土器、ビーズ玉やそれを使ったネックレスなどが多数見つかっており、糸魚川に出るヒスイも見つかっています。文化が高く広く交易していたことがわかります。
◎国立科学博物館の特別展も見に行く予定です。3月13日から6月17日まで。
縄文時代のような温暖な時代は、居住地も広く、食物も豊かで争いごとの無い平和な時代でした。寒冷化が始まると、北方に住んでいた民族は食べ物を求めて南下していきます。人々は争いを起こします。豊かに居住できる土地は狭くなり、飢饉と争いごと(戦争)も起きます。気温が2℃や3℃上がるとどうのと問題にしますが、急な気温上昇は確かに生物に大きな影響を与えますが、そのうち安定します。「地球が危ない」と言って、温暖化で生物が絶滅するとか言って脅かしますが、絶滅は専ら人為的なものであり、気温上昇のためではありません。
上野の科学博物館の特別展で見た縄文人の頭骨の・追記
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2018年2月23日 (金)

1万年前のヨーロッパ人は暗い肌に、黒い髪、青い目、イギリス、スペインなど

、2018年2月7日のニュースで、1万年前のイギリス人は、暗い肌に黒髪だったことが、DNA 解析の結果わかったと、顔の復元模型が発表されました。目は青く、従来考えられていたのと異なる復元図でした。
 すでに、2015年1月に発表されていた、7000年前のスペイン人も(後述)黒い肌、青い目だったと、発表されていました。その他にも7700年前のハンガリー、8000年前のルクセンブルクからも中石器時代の黒い肌を持つ古代人が見つかっており、今回見つかったイギリス人も遺伝的に近いことが証明されました。(National Geographic などによる)
 
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チェダーマンの復元図
イギリス―ブリテン島は4万年前ごろに人が住んでいたが、3万年前ごろに極端に気温が下がり人類がいなくなり、1万5000年前に気温の上昇とともに人類が戻った。しかしその後
この時代は最終氷期の時代が終わるころで、最も厳しい寒さとなりました。イギリスのブリテン島は大陸とつながっていました。日本も大陸とつながっていました。その後11000年前ごろから地球の気温は徐々に安定して来ました。
 イギリスの南西部で発見された人骨を復元し、DNAシークエンシング技術で分析。
「チェダーマン」と呼ばれている約1万年前の人骨は、1903年に英国サマーセット州のチェダー渓谷で見つかりました。チェダーマンは、遺伝子地図が作成された最古のイギリス人となりました。
 その顔を、英ユニバーシティカレッジ・ロンドンの科学者、マーク・トーマス氏がロンドン自然史博物館の協力で復元したところ、、明るい青色の目の色、わずかにカールした髪、そして黒い肌を持っていたことが明らかになりました。以前にマンチェスター大学での復元図では肌が白く、白人であったが、今回の結果では黒い肌(Dark to Black) であることが明らかになりました。黒肌の確率は76%だそうで、ヨーロッパじゅうで10000年前には黒い肌の人たちが、たくさん住んでいたことになります。(後述のスペイン人なども黒い肌をしています)
また、このDNAは現代のイギリス人の10人に1人が関係していることが明らかになりました。
 身長は165センチほどでした。
チェダーマンの顔の復元作業をしたのは、モデル製作者のアドリエ・ケニス氏とアルフォンス・ケニスという双子のオランダ人で、3Dスキャナーと3Dプリンターを利用して復元した顔に肉を付け加えました。
トーマス氏によると、肌の色を決める遺伝子はさまざまな場所に点在するので、従来のDNAシークエンシング(遺伝配列の特定)技術によっては判定困難であった。
 しかし、新しい技術で、点在する染色体の簡単に行われるようになったといいます。
トーマス氏によると「目の色を決めるのは、ある特定の遺伝子と、その遺伝子の中にある特定の変異体」だと言います。「肌の色は、たくさんの変異体によって決まります」
 この地域の人々は時間とともに肌の色が薄くなっていったが、その理由や時期は分かっていない、といいます。
「肌の色が薄ければ,浴びる紫外線紫外線が多くなり、生成されるビタミンDも多くなるからでしょう。とビラール氏は推測する。ビタミンDは健康な骨を作るのに欠かせないが、紫外線を浴びることでも生成される。しかし、温帯地方では、人が日光を浴びる頻度は少なくなるため、、多くの紫外線を吸収できるように、肌の色が白くなったというわけです。
 ビラール氏は肌の色については最も説得力のある説だが、目の色は説明できません。
2014年の研究での説では、人々が耕作するようになったことで、食生活の多様性が減り,日光からより多くのビタミンD を吸収しなければならなくなったというものだ。なお現在の食生活では日光を浴びなくともビタミンD を賄うことができると彼は付け加える。
◎白い肌は、突然変異で一定の比率で「白っ子」が生まれます。アフリカの黒人でも生まれます。北ヨーロッパなどでは、「「白っこ」が有利で増えていったのかもしれません。北極でヒグマから白熊が生まれたようにです。また性選択で白い肌が好まれたのかもしれません。現代は白い肌が好まれます。
 1万年前のヨーロッパの人々は、まだ狩猟採集をしていましたが、その後農耕が始まり、栄養が穀物に偏り、ヨーロッパの日光が少ないところでは、皮膚の色を薄くして、ビタミンDを摂取する必要があり、次第に肌が白くなったともいわれます。
 採集狩猟時代は(日本の場合、縄文時代)は食べ物は変化に富んでいた。しかし農耕時代になると食べ物が穀物類に偏り、また身分の分化により下層社会の人々は栄養不良となり身長も低くなったのです。身長の「平均値は低下しました。
◎現生人より前にヨーロッパに生存していた、ネアンデルタール人の肌は白く、混血により現生人は2から3%遺伝子を取り込んだと言われます。その取り込んだものの中に白い肌の遺伝子も含まれたかもしれません。
白い肌が生存に有利となり次第に増えていったのかもしれません。
◎今回、復元されたチェダーマンの顔立ちは、どちらかというと、アメリカのネイティブ(インディアン)に似ています。
◎イギリス人は、日本と同じように様々な人達の吹き溜まりのように混合しています。1万年前の、チェダーマン、その後に住んでいたケルト人、大陸から攻め込んできた、デーン人やノルマン人などです。
「こういちの人間学ブログ」
「イギリスの歴史は多くの民族の混合の歴史~」2011年8月
2、スペインからの古代人、7000年前の復元図
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Nature誌のオンライン版で発表。バルセロナの進化生物研究所,イニョ・オラルテ氏
この男性LA BRANA 1はヨーロッパ人の特徴である色素沈着があり、青い目の遺伝的変異を持っていました。また、2万年以上前のシベリア人の祖先(アメリカのネイティブ・アメリカンとリンクしている)をスカンジナビア人と共有していたことも分かりました。
場所は北西スペインのレオン近くのLA Brana Arintero洞窟で、そこで見つかった人骨の歯のDNA分析を行いました。
彼は石器時代の人間であり、、狩猟生活が主だった。
その後にやってくる新石器時代の主食成分であるでんぷん質や,乳糖の消化は苦手だったに違いない。
以前に、青い目の起源はフィンランドあたりに住んでいた人々からはじまったと聞いたことがあるが、7000年前にはすでにシベリアからフィンランド、スペインまでまでの遺伝的連続があったことになる。
また、白い肌よりも先に、青い目の広がりが先行していたことも今回の調査は示している。
◎肌の色は黒く、目の色は青で、チェダーマンと同じですが、顔立ちが、チェダーマンと全然違います。いわゆる現代ヨーロッパ人の顔立ちをしています。人により変化はあるでしょうが、チェダーマンの復元図のほうが当時の人たちに近かったように思えます。
◎ヨーロッパのいわゆる白人は、ずっと前から肌が白いことを自慢していますが、実は7000年から10000年前ころのヨーロッパ人はどちらかというと、いわゆる黒人であった、ということがわかります。前からヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人はいわゆる白人ですが。。。青い目は比較的早く青い目になりましたが、白い肌はかなり後年に変わってきたということは面白いことだと思います。
 同じヨーロッパ人でも北方にすんでいた、ゲルマン人(ノルマン人含む)は肌が白いですが南ヨーロッパにもともと住んでいた人は真っ白ではありません。
 ゲルマン人、ノルマン人が世界中に侵略していった結果、そのまま世界を支配する形になっています。-イギリスの今の王朝はノルマン系です。
◎日本においては10000年前には、石器時代から縄文時代に移るころです。南方由来の黒潮にのってきた人々や、中国の南方の倭人が主体だったでしょう。倭人は日本だけでなく、高床式住居、稲作、入れ墨をした人々です。
◎は、筆者の見解です。
 

2018年1月28日 (日)

アフリカ外 最古現生人類がイスラエルで発掘 ネアンデルタール人と重なる期間長く

2016年1月26日の日経新聞に、「アフリカ外 最古現生人類 イスラエルで化石発見 5万年以上遡る」という記事が載りました。

毎日新聞でも同じような記事が載り、各紙で報道されたと思います。

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アフリカ以外では最古となる現生人類の化石をイスラエルの洞くつで発見したと同国テルアビヴ大などのチームなどが26日付の米科学誌サイエンスに発表した。19万4千から17万7千年前のものとみられ、アフリカを除いた「最古」が5万年以上さかのぼることになる。

 アフリカのエチオピアでは最古の現生人類とみられる約20万年前の化石が見つかっており、今回の発見は人類の進化や移動の謎を解き明かす手掛かりになりそうだ。

 チームはイスラエルのミスりヤ洞窟で見つかった成人の上顎周辺や歯列の一部、近くにあった火打石などの年代を複数の手法で推定。歯茎から出ている「歯冠」が高く、幅が狭い点などが古い人類には見られない現生人類の特徴だと判断した。

 アフリカ最古の現生人類とともに見つかったものと似た石器も発見したという。

 ただ,諏訪元(げん)・東京大学教授(古人類学)は、「現生人類と言えるだけの特徴持っていたかはわからない。( (上顎だけでなく)頭骨全体が見つかるのを待ちたい」と慎重な見方をしている。

毎日新聞の記事では、日経新聞の記事と内容は同じ

1月26日の赤旗では、前半の記事は同じ

~。現生人類は20万年前ごろアフリカで誕生し、その後世界に広がったと考えられています。現生人類が初めてアフリカを出た時期については8万年前~5万年前とされていますが、地球が温暖化しサハラ砂漠が緑に覆われた12万年前ごろ現在のイスラエル周辺に一時的に進出しました。地球が再び寒冷化してからイスラエル周辺の現生人類の痕跡が消え再び現れるのは5万年前あたりからでした。

◎「地球の温暖化でサハラ砂漠が緑に覆われていた「」、というのは素晴らしいことではありませんか。

 今回の研究結果について、研究グループは現生人類の誕生が少なくとも30万年以上さかのぼる可能性や、現生人類の世界各地への広がりについての現在の考えを見直す必要性について言及しています。

 実際、2017年6月には、西アフリカのモロッコで見つかっていた人類の化石は30万年前の現生人類だという研究成果が発表されました。しかし、その見方に否定的な見解も示されており、今回の研究結果はさまざまな議論を呼ぶ可能性があります。                 

インターネットでは、BBCニュースの内容が詳しくのりました

 パラブ・ゴーシュ科学担当編集委員

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国際研究チームはこのほど、イスラエルで2002年に見つかった化石が、アフリカ以外で最も古い現生人類(ホモ・サピエンス)のものだと分かったと発表した。

 研究の共同筆頭著者、テルアビヴ大学のイスラエル・ヘルシュコヴィッツ教授はBBCニュースに対し、今回の発見によって現生人類の進化についての発見に根本的な修正が迫られると語った。

 ロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー教授は、「今回の発見は、現生人類は13万年以前にはアフリカにしかいなかったという、長らく信じられてきた限界を打ち砕いた。新たな年代決定は、もっと古いホモ・サピエンスでさえ西アジア地域で発見される可能性を示唆している」と語った。

 新たな年代決定の証拠が出たことで、現生人類とすでに絶滅したほかのヒトの 種との間に、何万年にもわたる交流があった可能性が示されている。また、従来の説よりも早い時期に人類がアフリカから旅立っていたことを示唆する、最近の発掘成果や遺伝子研究の成果とも一致する。

 2002年にイスラエルのミスリヤ洞窟で見つかったあごの一部を分析した。歯が8本残る骨はその特徴から、同時代に生きていた現生人類以外の種ではなく、現生人類のものだと指摘されていた。

 研究者たちはコンピューター断層撮影によって3Dのバーチャル模型を作り、ほかの現生人類の骨と比較、歯冠の下の組織をスキャンし、現生人類だけにみられる特徴があるのを発見した。

 これまでアフリカ以外で最も古いとされてきた人の化石は、イスラエルにある、発掘現場のスクールとカフゼーで見つかった9万年から12万5000年前のものだ。

 ミスリヤ洞窟で発見された化石は、その地域で25万年から14万年前にかけて使われていた石器のルバロワ型石核と同じ地層で見つかっている。もし。現生人類がその地域で生きていたこととルバロワ型石核とが、関連付けられれば、現生人類が、アフリカから出た時期は、ミスリヤ洞窟の発掘物の年代よりも前の可能性もある。

 最近までは、現生人類がアフリカから出発したことを示す早期の証拠はレバント(東部地中海沿岸地方)に限定されていた。しかし、過去数年、中国湖南省の道県や中国南西部の広西壮族(チワン族)にある智人洞窟で発見された現生人類の化石8万年から12万年前のもので、従来考えられてきたよりも早い時期にユーラシア大陸で分散していた可能性が示されている。

 さらに、アフリカから出たヒトとネアンデルタール人の間で早い時期に混血が起きていたことが遺伝子研究から判明している。

 21万9000年から40万年前のネアンデルタール人との混血を示す、ドイツで見つかった骨に関する研究論文が昨年発表されている。また2016年には欧州の研究チームが、約10万年前のシベリヤのアルタイ地方で、アフリカからやってきたヒトとネアンデルタール人との混血が起きていたことを示す証拠を見つけたと発表した。

ヘルシュコビッツ教授は、「新たな証拠の断片があまりに多くて、どこに当てはまるのかわからなかった」と語った。

 「新しい発見があったことで、すべての断片がつなぎ合わされた。(アフリカから)出た時期は、ミスリヤ洞窟で見つかった石器と同じ時期の25万年前までさかのぼれる可能性がある」

 しかし、ミスリヤ洞窟から示唆される、早い時期での現生人類のアフリカからユーラシア大陸への分散の結末は、絶滅だったとの見方が一般的だ。遺伝子学及び考古学研究では、アフリカ以外ににいる現在の人類の祖先がアフリカから出たのはわずか6万年前だったとされる。これまでのDNA調査で、6万年前より前に我々の祖先がアフリカから出ていたことが示された例はほぼない。

 これは、現生に進化した時期についても、あらたな発見がされている。モロッコで見つかった初期の現生人類のものとみられる化石の年代特定で、31万5000年前という研究成果が昨年発表された。

 これは、現生人類の始まりを20万年前とする一般的な見方よりも大幅に古い年代だ。従来の説は、遺伝子学研究やエチオピアのオモで出土した19万5000年前の化石などをその証拠とするが、今後の発見によっては年代がさらに早められるかもしれない。

ネアンデルタール人について 「絶滅の人類史」更科 功 NHK出版新書 2017年12月

 30万年前にホモ・ハイデルベルゲンシスからネアンデルタール人的な化石が出土する。そして12万5000年前の温暖な間氷期に入ると、ネアンデルタール人の遺跡は急増する。約7万年前に寒冷な時期になると、遺跡は地中海沿岸まで南下し、その数も減少する。約6万年前に温暖化が始まると、遺跡数は再び増加しヨーロッパの北部まで広がっていく。しかし、約4万8000万年前の寒冷化で人口が減り始め,さらに4万年7000万 年前には、ホモ・サピエンスがヨーロッパに侵入してくると、もはや再び人口が回復することはなかった。そして、ついに約4万年前にはネアンデルタール人は絶滅してしまう。3万8000年くらいまで生存していた可能性も。

 ホモ・ハイデルゲンシスから、40万年ごろ、ヨーロッパに住むネアンデルタール人とアフリカにすむホモ・サピエンスが分離しはじめた。10万年以上たってからはっきり分岐した。

 4万7000年前に2種の人類は再会した。4万7000年前の温暖化でホモサピエンスが進出してきた。はじめは多くはなかった。4万3000年前になると多くのホモ・サピエンスがヨーロッパに進出してくると。急速に分布を広げる。共存期間は少なかったと思われる。

 中東のレパントが寒冷化したとき、姿を消したのはネアンデルタール人ではなく。ホモサピエンスだった。

 ホモサピエンスのほうが骨で針を作り寒さに適応した服を作れた,ホモ・サピエンスは投げ槍器を使って遠くからやりを投げる。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが混血の証拠

 3万7000年前から4万2000年前にルーマニアに住んでいた現生人で、ネアンデルタール人の遺伝子を6-9%持っている男性が存在し、4代前には高祖父母がネアンデルタール人であるだろうと推測された。

「ネアンデルタール人について 図像の変化」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/08/post-6640.html

◎現生人類の起源についての新説のもととなる化石がイスラエルから見つかった。

 はじめホモ・サピエンスが中東やヨーロッパに進出した時には、ホモサピエンスのほうが絶滅してしまった。

 寒冷期には温暖なアフリカにすんでいたほうが有利であった。どちらにしても、温暖な時期はいずれの人類にしても住みやすかったのです。寒冷化には人類は苦しみました。温暖化で2℃や3℃上昇してもよいことのほうが多いのです。逆に寒冷化はすべての人類を苦しめました。場合により絶滅しました。

 興味深いのは、ネアンデルタール人と現生人類との混血が初めの予想よりずっと長く行われていたということだ。更科氏は混血の期間は数千年と短いと予測していますが、かなり長いように思われます。そうでないと、アフリカ人以外の現生人の遺伝子に2から4%のネアンデルタール人の遺伝子が必ず組み込まれるまでにはならないように思われるのです。

 いずれにしても、ホモ・サピエンスの起源がより古く、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人と接触する期間もずっと長くなることは間違いありません。今までの常識とされたことが覆されていくということで大変興味深いと思います。

2018年3月追記

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 ケニアの近くで30万年前の石器が見つかりました。大型のハンドアックス以外の様々な形をした小型の石器を発見。32万年前から30万5000年前に作られたもの。

 東アフリカ最古の現生人類はエチオピアで見つかった20万年前なので、これらの石器を作ったのがどんな人類なのかわかっていません。

 

2017年8月24日 (木)

最近購入した3冊の本。山極寿一、鷲田清一、篠田謙一、大塚柳太郎氏、人間とは何かについて参考に

最近購入した本の中で、「人間とは何か]という、人間学にとって根本で的興味深い書物3冊がありますので紹介します。

1、「都市と野生の思考」

 鷲田清一、山極寿一 インターナショナル新書 集英社 2017年8月12日 740円+税

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鷲田清一氏は1949年京都府生まれ、京都大学大学院修了。大阪大学総長から京都市立芸術大学の学長となった哲学者である。

山極寿一氏は1951年東京都生まれ京都大学大学院修了。、学内選挙で京都大学総長となった霊長類学者である。山極氏はゴリラの世界的研究家で知られ、一時、総合人間学会にも参加されていました。

◎霊長類研究所

 京都大学の今西錦司教授が昭和24年(1948)に愛知県犬山につくった研究所。モンキーセンターも併設されている。今西氏はニホンザルの個体識別をし名前を付けてずっと観察するなどユニークな方法を編み出した。伊谷純一郎、河合雅夫、杉山幸丸、松沢哲郎、山極寿一氏など世界的な研究者を輩出している。霊長類研究では国際的な有力な研究所となっている

各章の興味あるテーマについて少し

はじめに 鷲田清一

第1章 大学はジャングル 

 大学が法人化されてから、従来は研究・教育と言われていたのが教育・研究と変わり、社会貢献が加わった。社会貢献も企業だけのことをいう。

 おもろいな、ほなやってみなはれが京大の世界観。ゴリラから学ぶリーダーシップ、-ゴリラには勝者、敗者がない。関西人の松下幸之助のリーダーシップ、サントリー創業者の鳥井もやってみなはれが口癖、愛嬌、運が強そう、後ろ姿で心服させる・・はゴリラそのもの

 京都は町中の住宅街にかならず仕出し屋と和菓子屋がある。近所の寄り合いがしょっちゅうあるからです。おいしいものを食べながらはなしをするのが大事だとわかっているからです。

◎きわめて当時の政府の意向に沿った研究を中心とする東京大学は、ユニークな研究が育ちにくく、ノーベル賞などのような画期的な研究は少なくなりがちである。ノーベル賞を取った東大の小柴さんも東大の中ではかなり異端児的であったと聞く。それに対してノーベル賞受賞者が一番多い京都大学はより自由闊達で、山極さんのような人が学長になっている。その差は大きい。しかし最近は大学に対しての政府の締め付けは厳しくなっている。

第2章 老いと成熟を京都に学ぶ

  わずか20年ぐらいの間に従来の社会資本を破壊したのがグローバリゼーション、コミュニティの消失も-以前は地域社会でまかなっていた衣食住をはじめとするすべてが、巨大なグローバル資本に侵食され、地域社会を支えていた生業の複雑な絡み合いが、根こそぎ引っこ抜かれてしまった。-コミュニティの消失。

 それにたいして、京都にある成熟した老い

  老化に学ぶ山極仮説 年を取ると子供に愛される体型となる いかめしさが取れてユーモラスになる 孫を育てるのに有利。女性の場合は「おばあちゃん仮説」があります。これは赤瀬川さんの「老人力」ですね。伊能忠敬のような例も。ところが最近はそれどころではない悲惨な現実が。貧困と格差が日本社会を語るキーワードに想像もしなかった。

 社会全体がギスギスして、結果的にゆったりした老後を送れる余裕がない。生きがいとは本来誰かに期待されることにより生まれるものです。ところが多くの人が自分の生きがいは自分で決めるものだと考える。・・「長老」『老師」などの言葉にある『老い』に対する尊敬は失われてしまった

第3章 家と家族の進化を考える

  明治維新以降プロ化をつきすすめた日本-生まれてから死ぬまでプロに任せる

  「許せない子ども」を生んだ資本主義 人間が作った最古のフィクション「家族」ー父子関係そのものがフィクションである

 性を隠して、食を公開した人間-  性を隠すのはおそらく父親を確定するためです 動物にとっては食は隠すもので、性は公に見せるもの、それを人間は逆転させた。 

 家族は人間社会に特有なものです。家族は互いに親密な関係があり、相手に対していろいろな奉仕をします、互いに見返りを求めずに、助け合おうとしています。しかしいま、家族が崩壊しかかっている

 家のあり様が変質し、それが人間関係を規定し、個人や家族を隔離し、社会とのつながりを分断している。それがいまの社会です。

◎家族、が人間を作った。 河合雅夫はいう。

NHKドラマ東京オリンピックのころのドラマ「ひよっこ」に見る、家族、地域の濃密な人間関係。良き時代へのノスタルジアを感じさせる。

第4章 アートと言葉の起源を探る

 ヒトは表現する生きもの、仮説検証型と現場発見型(ノーベル賞級の研究者は、狩猟採集的であり現場発見型)

 鷲田ー学問には2つのスタイルがある。資料を読み込み、実証実験をを積み重ねて仮説を立てるやり方と、山極さんのように動物の糞を見てv新たな理論を打ち立てるやり方と。

 山極ーゴリラを観察していると、これまで見たこともない行動をしている。そこから新しい学問世界がパーっと開ける。僕がホモセクシュアルのゴリラを発見したのはその典型です。

 鷲田ー狩猟民族的な学問のやり方に目覚めて、臨床哲学という看板を掲げた。周りからは「学問をやめたんか」みたいに言われた。

 人間の体にはホメオスタシスが働いている

第5章 自由の根源とテリトリー

 生後9か月から始まる他者への同調-j自分と他者と物体という3項目に変化する

 ゴリラにはテリトリーがない―ゴリラのオスは一人でいるのに耐えられない、人間もそう。自由イコール非依存、何にも頼らないというという考え方に賛同できません。

 ひとりで暮らすことを選ばなかったメス

 山極―自分と自分を取り巻く仲間たちとの間のレスポンスがきちんとした時代には、身体性としての責任が幼いころからはぐくまれていました。今はなんだかふわふわ浮いちゃってる。個人がコミュニティから切り離されてしまっているから、個人の責任があいまいになっている。

第6章 ファッションに秘められた意味

 ストーリーとしての服装 着物はかつて役割の階層性を示した

 かつて自由のシンボルだった制服 市民は自由を主張するために市民はみんなおんなじ格好をした。現代は自由がありすぎる社会でなくて、むしろ束縛が見えない社会と捉えるべきなんです。禁止が見えなくなった社会

 昔は自分の身体だから自分の勝手にしていいなどと、口が裂けても言えなかった。

第7章 食の変化から社会の変化を読む

 南米をスペインが支配した時も、現地の人は人間ではないと言ってひどい扱いをする。逆に考えれば、そのぐらいの格差をつけて区別しないと、自分たちの悪行を正当化できなかったんだと思います

 食に見る所有と共有の起源、所有と共有をリセットした近代革命

 プライベートとパブリックの逆転

第8章 教養の本質とは何か

 臨床の哲学を捉え直す

 世界がどんどん細分化されていった結果、知の儀式すべてをつかさどる様なグレートシンカー(大思想家)みたいな人がいなくなってしまった。福島の原発事故でも、きちんと対応できる人がいなかった。-これは危機的な状況である

鷲田ーこれからの科学のあり方を考えると、例えば原子力発電についてけっして専門家ではないけれども、考える材料をひと通り集めることができて、自分なりの仮説を立てて検証できるような人が必要です。Ph.D(博士)とは本来、そうした仮説検証の訓練を受けた人物のはずでしょう。~自分の専門領域とは異なるテーマだったとしても、自分が身に着けている仮説検証のスキルを、他のテーマに応用して市民と一緒に考える。これがこれからの科学者のあるべき姿ではないでしょうか。

 科学者は知者ではなく賢者になるべき

◎人間学において、人間について総合的に知っていて対策を考える人をゼネラリストとして養成する必要性を提唱しました。専門化細分化は進み、そういう学問の風潮に逆らって、人間学、総合人間学を作ったつもりであった。しかし現実には総合人間学と名前だけは立派でも中身は旧態依然とし、新しい筆者のような取り組みは、断固として拒否するのが実態である。

第9章 AI時代の身体性

 資本主義時代の科学、みんなの夢を負って科学者の科学者の矜持を追い求めるような学問がとても貶められてしまった。そんなもの役に立たないじゃないかと。-教育を投資と考えるようではいけない

 鷲田―僕は博士号を持った先生に教わったことがない。僕の先生も助教授もカントが専門で『俺が一番カントのことがわかっているんや。その俺が論文を出したら、いったい誰が審査するんや」と真顔で言っていましたから。だから誰もは博士号なんて取らない。今そんなことをいったら書類審査ではねられるけどね。

◎ブログ筆者の学会誌に出した論文は、二人の査読者により否定された。その一つに日本における人間学人間学ブームについて書いたが、査読者はそんなことは聞いたことがないという。こちらは長年研究し、国会図書館の本の出版数などに基いての見解だが、自分が知らないからと否定した。筆者はこと日本の人間学の歴史については誰よりも詳しいと自負しているが、自分が知らないと却下するのである。また戦前の山本宣治や戸坂潤は唯物論的な立場から当時の進化論的生物学的人間学や哲学的人間学を批判した。筆者の批判も唯物論に基いた批判であった。進化論的生物学的人間学や哲学的人間学の批判はその立場の人たちにとっては面白くないことなのである。                     

 山極ー今盛んに英語化だ国際化だという。これだけたくさんノーベル賞を取っていて日本の研究が国際的になっているにも関わらずです。日本語化して考えてノーベル賞を湯川秀樹氏はとった。-英語化国際化にモノ申す

おわりに 山極寿一

◎さすがに知の巨人と言われる人の話は面白い。現在、何か自分の専門分野だけは詳しいけれど、参考にならないどころか、面白くもなんともなくて、、というものが多い。学会誌が来ても読む気も起らないものが多い。それどころか自民党政府におもねったような研究がはばを利かせます。地球温暖化論なども国策に添って膨大な税金をつぎ込まれているのを見ると嫌になります。

 それに比べて霊長類学者と哲学者であるが共にその専門を乗り越えて、話をかみ合わせいろいろな発想が自由に展開していくところはさすがに知の巨人と言われるだけのことがあります。お二人とも推挙されて大学の長となるだけの人間の魅力が感じられます。

 やはり国の官僚組織の頂点となる人物を養成すべく期待される東大と、自由な発想を重視する京大や阪大との違いがありますね。

2、「ホモ・サピエンスの誕生と拡散」

 篠田謙一監修 洋泉社 歴史選書 2017年6月19日 900円+税

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篠田謙一氏は1955年生まれ、京都大学理学部卒業。現在国立科学博物館副館長兼人類研究部長。専門は分子人類学。著書多数。

はじめに

序章 人類史を解き明かす科学技術

1、人類の誕生から出アフリカまで

2、世界に拡散するホモ・サピエンス

3、解き明かす日本人の成立史

◎人類の起源から現在まで、また日本人の成立について、最新の資料を要領よくまとめていてわかりやすい本である。1冊の本でこれらの概略を知ることができる。

3、ヒトはこうして増えてきた 20万年の人口変遷史

 大塚柳太郎、新潮社 新潮選書 2015年7月25日 1300円+税

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1945年生まれ、東京大学人類学卒業。東京大学大学院教授から国立環境研究所理事長を経て自然環境研究センター理事長。

何が人類をここまで激増させたのか?

 20万年前、アフリカで誕生したわれわれは穏やかに増えていくが、つい最近、突然の増加を見た。農耕が始まった約1万年前のわずか500万人が文明が成立し始めた5500年前には1000万、265年前の産業革命で7億②000万となり、2015年には72億人に。そしてこの先どう推移するのか?人口という切り口で人類史を眺めた新しいグローバル・ヒストリー。

第1章 賢いヒト

第2章 移住

第3章 定住と農耕

第4章 文明

第5章 人口転換

 産業革命、死亡率の低下、出生率の低下

第6章 現在

 人口増加への危機意識

2017年6月 8日 (木)

30万年前の、現生人類最古の化石?モロッコで発見

2017年6月8日の各紙に、現生人類最古の化石かと思われるものが発見されたと報じられました。
 北アフリカのモロッコのジェベル・イルード遺跡で30万年前に生きていたとみられる現生人類(ホモ・サピエンス)の化石が見つかったと、ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所などの国際研究グループが8日発行の科学誌『ネイチャー』に発表しました。これまで最古とされている現生人類の化石の記録を10万年さかのぼっているとしています。
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赤旗、14面の記事の写真。毎日、日経に比べ、最も詳しく書かれていたので紹介しました。
◎筆者の個人的意見
 ここでは現生人類の頭骨と説明がありますが、あとの説明にありますが諏訪元氏の言うように現生人類の移行型のように見えます。見ただけですが眼窩上隆起も高く、ホモサピエンスの頭骨よりネアンデルタール人に近い頭骨に見えます。
 アフリカに存在していた、現生人類以外の人類にホモ・ローデシエンスがいます、南アフリカで発見されたもので30万から12,5万年前とみられています。ネアンデルタール人の前段階のホモ・ハイデルベルゲンシスから派生したものとみられます。
 新しく見つかった人骨はちょうどネアンデルタール人段階のもので、ヨーロッパに多いネアンデルタール人は氷河期のヨーロッパに住み、寒冷地適応して赤い髪、白い肌をしていましたが、より温暖なモロッコあたりの北アフリカにすむ人類はより現生人に近くなったのかも知れません。
記事によりますと
 化石が見つかったのはモロッコ中部、アトラス山脈の丘陵地にある都市マラケシュの西にあるジェベル・イルード遺跡。1960年代から人類の化石や、ヨーロッパ人のネアンデルタール人が使っていたとされるものに似た石器などが見つかっており、化石がどの進化段階にあたる人類なのか注目されていました。
 研究グループは2004年から新たな発掘調査を開始し、これまでに少なくとも5体分の頭骨や歯、身体の骨などを収集。マイクロCT(コンピューター断層撮影)など最新の技術を使って、さまざまな人類の化石と比較した結果、現生人類と最もよく似ていたといいます。また化石が見つかった地層の年代を詳しく調べた結果、約30万年前のものだったことがわかったとしています。
 細胞内小器官のミトコンドリアのDNAを使った遺伝学的研究では、現生人類は約20万年前アフリカで誕生したことが示されています。
◎新しく見つかった化石のDNAの解析はどうなのでしょうか。系統がはっきりします。純粋な骨のDNAがあると、デニソワ人のように小さな指の骨だけでゲノムがわかりました。
 
 このため、現生人類は20万年前ごろ、東アフリカのどこかで出現したというのが、大方の専門家の見方です。東京大学総合研究博物館の諏訪元・教授(人類学)は、「オモ・キビシュやヘルト村で見つかった人類化石直前の段階を表す化石だ。現生人類の出現が30万年前にさかのぼるというよりは、現生人類につながる人類が30万年前に北アフリカにいたことを示していると考えたほうがよい。ただ、年代の決定には不確定要素があり、今後さらに検討が必要だ」と話しています。
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◎この下あごの写真は、毎日新聞と、日経新聞に載せられていたものです。ここでも現生人類の下あごと決めつけていますが、果たしてどうでしょうか。現生人の特徴である、おとがい(下あごの出っ張り―しゃべるのに有利とされている)はありません。
日経新聞には
 化石から復元した頭蓋骨は顔立ちが現代人に似ている一方脳を収める 頭部の形状に、ネアンデルタール人に似た原始的な特徴が残っていた。チームは「アフリカ大陸での石器文化の広がりと相まって初期の現生人類が進化した」とみている。
 年代は石器を含めて35~28万年前のものだと位置づけた。頭骸骨を復元。脳を収める領域は前後に長く(筆者注:長頭型という。現生人は短頭型)、初期人類の特徴が残っていた。
 30~20万年前にはアフリカ各地で現生人類が暮らしていたとみている。
遺跡ではガゼルなど動物の骨が出土し、狩りをして火を使った痕跡も見つかった。
毎日新聞には
 現生人類ということには専門家に異なる意見もあり、議論を呼びそうだ。
チームは「アフリカ大陸での石器文化の広がりと相まって初期の現生人類が進化した」とみている。
各紙の共通部分は省略しました。
◎現生人類の化石の発見が一気に10万年さかのぼるというのは、大きなことです。現生人類の起源を見るために、さらに詳しい研究が望まれます。

2017年1月27日 (金)

日本人のルーツ 縄文系と弥生系の混血 松凰山は縄文系の典型?ゲノム分析などから

 日本人のルーツという問題は、大変興味深い問題です。私も、2011年11月18日の第27回実用的人間学研究会の例会で「日本人のルーツと顔のいろいろ」と言う題でお話ししました。その時にも色々な例をあげて、日本人がもともとあった縄文系の人々に、渡来系の人たちが、混血して日本人となったということ、そして、沖縄と北海道のアイヌの人たちには、渡来系の影響が少な九共通性があるということを。お話ししました。それについては様々な人が提唱していますが、例をあげてみます。

◎2017年1月27日 記事を加えて更新しました。

高安、御嶽海などが日本人とフィリピン人の混血であるということを、書き加えました。松鳳山もハーフではないかと言われますが、純粋の日本人です。けれども日本人のルーツに南方系の毛深く、浅黒く、丸顔の縄文顔をした人が多いということです。

◎2017年9月9日(土)フジテレビのFNS27時間テレビ「にほんの歴史、楽しく日本を知ろう!4万年を1日で旅する」

 縄文人・弥生人ルーツ 縄文度、弥生度何%か 例に挙げていた人々

弥生系の顔ー北方系の日本人のルーツとして、シベリヤ、バイカル湖近くのブリヤート人

    寒冷地適応したのっぺり顔 耳垢・粉耳 笑福亭鶴瓶みたいな顔 新モンゴロイド

         ブリヤート人はモンゴル系の人々で、丸顔が特徴 日本人と共通した顔が多い

縄文系の顔―彫りが深い顔、インドネシア、バリ島の人たち  特徴追加 歯が小さい

    片岡鶴太郎のような顔 古モンゴロイド

◎「縄文人と『弥生人』について、NHK[日本人のルーツ解明 縄文人続々発見」

  「こういちの人間学ブログ」 2015年11月26日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/11/post-c6ce.html

 ツングース系はバイカル湖近くから、中国東北部(旧満州)に住む人たち。面長、キツネ顔

 マルガり、女真族などと呼ばれ、扶余国、高句麗、百済などの国を建国。中国では金、清王朝を建国。ハプロC2グループ。お雛様の顔、日本へ日本の支配層へ。出雲地方に多いとも。

 南方系では中国南部の少数民族、トン族が日本人にそっくりな顔とも

1、ベルツの長州型と薩摩型の分類

 ドイツ人医師のベルツは、日本人の顔や体つきを観察し分類すると、背が高く顔つきが上品で、色白、面ながな長州型と、背が低く、毛深く、目鼻立ちのはっきりした顔立ちである薩摩型(武骨型)に分かれるといいました。そして、琉球人とアイヌは、薩摩型に似ているということで、「同系」であると1911年に唱えました。

2、埴原和郎氏の「二重構造説」

 東大教授から国立国際日本文化研究センター教授になった埴原和郎氏は1980年代に、日本人は縄文人と渡来人の混血によって成り立ったという「二重構造説」を提唱しました。

『日本人はどこから来たか』埴原和郎編1984小学館                                  『日本人の成り立ち』埴原和郎 1995人文書院                                  『日本人の骨とルーツ』埴原和郎 1997角川書店 など

3、尾本恵一氏の集団遺伝学から

 人間の様々な対立遺伝子の地域的な差を調べました。耳垢、色盲、赤血球、白血球の型、ガンマグロブリンの型など様々な因子がどのように変化しているかです。そして各民族いより遺伝子がどれほど近いかがわかるということを示しましたその結果、近畿と九州は近くアイヌと琉球が近いと言うことがわかりました。

4、国立遺伝研の1996年の人類、民族合同学会での発表

 「ミトコンドリアDNAから見た、日本人の成立」と題して発表しました。そこで、琉球人や、アイヌ人は大陸由来の遺伝子は20%以下で、本土日本人は50%以上が中国人や、韓国人など大陸由来のものであると、発表しました。本土日本人の遺伝子プールの65%は弥生時代以降大陸からもたらされた。

5、筑波大原田勝二助教授のお酒の強さで

 アセトアルデヒドを分解する能力(酒に強いかどうかの能力)はの分布図をつくりました。その結果、北九州から、中国、近畿、などは酒に弱いことがわかりました。(渡来系の多いところ)。また、南九州、四国(土佐県)そして、東北、北海道、沖縄など、縄文系の因子の強いところは酒に強いことがわかりました。それは酒の消費量も比例するそうです。

6、ハブロタイプといわれる遺伝子の分布

白血球の一種の表面に抗原表示するHLA(ヒト白血球抗原)には色々なタイプがあります。そのタイプにより色々な遺伝子のセットが現れます。それをハブロタイプと呼びます。ハブロタイプを比較することで人類集団の近さを推定できます。アジアをハブロタイプで分類すると、いくつかのタイプがあり、モンゴル地方、韓国地方、南中国地方、東南アジアに近い地方などのグループに分類されます。日本人はそれらのグループの混血で、今の日本人でも、ある人のタイプを調べればその人のルーツがわかるといいます。

 勝永勝士「HLA遺伝子群からみた日本人の成りたち」一部 1995 東大出版会

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図は、はるかな旅より

B52-DR2 ツングース系(北方系) 朝鮮経由 百済系 桓武天皇から現在の天皇家

       面長、色白、体毛薄い 北九州、近畿、 関東、北陸は新羅系

B44-DR13 南朝鮮、(元は南方系) 前方後円墳を作った人達 伽耶系 仁徳朝など

       近畿、北陸、東海地方に多い

B46-DR9 中国中南部がルーツ 倭の人々 北九州、山陽。近畿に多い

B54-DR4 中国南部、タイ、ベトナムなど東南アジア 色黒、毛深い 沖縄、南九州 アイヌ

 

7、ウイルスに対する抵抗度

 成人T細胞や白血球ウイルスなどに抵抗性が強い形質を、カリブ海やパプアニューギニアなどの地域に持っていて、南方の海から来た人たちが多い、縄文系と思われるれ人たち(沖縄など離島部や北海道など)に同じ形質を持っている。

総合研究大学院大学の斉藤成也教授也国立遺伝学研究所などによる 

11月1日付の日本人類遺伝学会学会電子ジャーナル版への発表

 11月1日の新聞各紙に発表されました。それをとっておき、私のブログで紹介しようと思いましたが、11月26日付の赤旗で、大変詳しい話しがのっており、それをようやくして書くよりも、そのままを、お伝えしたほうがわかりやすいと思い転載しました。

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途中の文章は字が細かく不鮮明で読めないかもしれません。申し訳ありません。

上記の地図で、「現在」は、あまりはっきりしませんが沖縄地方は北海道と同じ赤っぽい、縄文系が強く残っていることを示しています。

三番目の写真の図は極めて重要なので2倍に拡大して、下図のように示しました。

色々複雑に絡みあって日本人が成り立っているのが良くわかります。

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追記  2013年1月14日 新小結、松凰山は縄文系の典型か?

 初日横綱、白鵬と初日を闘った、新小結 松凰山関はこのところすばらしい成績を残しています。いつも思うのは、松凰山関ほど、縄文系を色濃く残している力士はいないのではということです。ともかく肌の色が濃く、茶色に近い色です。色白のモンゴル系白鵬に比べるとその違いが、極めて大きいのです。また毛深いことです。胸毛もあり背中にも濃い毛があります。ひげを伸ばしたらいかにも濃そうです。顔つきも丸顔で、目鼻立ちはいかにも縄文系でいわゆる濃い顔立ちです。フィリピンやインドネシアなど南方にいる人たちの顔立ちです。出身は福岡だそうですが、縄文系の遺伝子を色濃く受け継いだように思えます。韓国の人には、あのようなタイプはほとんど見かけません。

 松鳳山は毛深いのでハーフではないかと、いう人もいますが、純粋の日本人です。インターネットで見ると、松鳳山はハーフ?という記事がいくつもあります。みんなそう感じるのですね。

追記 2017年1月27日 高安、御嶽海、舛ノ山は日本人とフィリピンの混血だそうです

 毛深さにおいては松鳳山といい勝負で、肌の色も浅黒い高安は、日本人の父親とフィリピンの母親の混血です。高安は今度横綱になった稀勢の里と同じ、田子の浦部屋で、強力な大関候補と注目されています。本名、高安晃で茨城県土浦の出身で、元AKBの秋元才加とは、幼馴染だそうです。

 御嶽海も2017年の初場所で大活躍しました。彼もお父さんが日本人で、お母さんがマルガリータというフィリピン人です。松鳳山や高安ほど毛深くはないですが、色は浅黒く、丸顔の南方の顔をしています、

 桝ノ山もフィリピン人の混血だそうですが、(桝ノ山はフィリピン生まれです。混血かどうかわかりません)色白で毛深くもありません。フィリピン人といっても、中国系やスペイン人系とかいろいろなルーツの人がいます。心臓病のせいか、すぐ息が苦しくなり、20秒だけの力士ともいわれるそうです。

 

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明治神宮での稀勢の里の初の横綱土俵入り、太刀持ち、高安、露払い松鳳山の色黒、毛深いコンビです。稀勢の里に比べると色黒、毛深さが目立ちます。

古モンゴロイドと新モンゴロイド

 アジア人の内、もともとのアジアに住んでいた人たちを古モンゴロイドといい、寒冷地適応をした人たちを新モンゴロイドといいます。古モンゴロイドの人たちはインドシナ半島からアイヌ人や日本の縄文人など多様である。ポリネシア、フィリピン、台湾、沖縄、などに広く分布している。新モンゴロイドは、ツングース、蒙古、北部中国人、朝鮮人など。

古モンゴロイド

 顔つきは、彫りが深く、比較的小柄で、二重瞼、厚い唇、湿った耳垢、多毛、波上の髪などである。いわゆるソース顔とも。濃い顔ともいう。

 沖縄、南九州、四国の南側、関東の山間地、東北の一部、北海道などに多い。

新モンゴロイドは、寒冷地適応した、

 顔つきは、のっぺりとした、比較的大柄、一重瞼、薄い唇、渇いた耳垢(粉耳)直毛、など。いわゆるしょうゆ顔、お雛様顔である。渡来人系でお公家様の顔とも言え。北九州、中国、近畿、日本海側に多い。大部分は混血型。

2017年1月 4日 (水)

クローズアップ現代、「サピエンス全史」文明の構造と人類の幸福、を取り上げる

「サピエンス全史」 について
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2017年1月4日(水)のNHKの番組「クローズアップ現代」は午後10時から25分間、放送されます。毎日新聞には、「クローズアップ現代+世界注目!人類史の本、幸せ探す250万年の旅」と紹介されています。他の新聞でも同じ紹介となっていますが、毎日新聞ではカラーの広告が出ていました。
 『人間学研究所年誌2016』14号への、ブログ筆者の応募論文(2017年3月31日発行)「どこまで人間と見るかー歴史と未来」でも、Ⅱ章、「人間を考えるための、いくつかの論考」でも、約1ページにわたって、「サピエンス全史」文明の構造と人類の幸福、と題して、紹介しています。
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 新聞の広告に「人類史の常識がいまくつがえる!、今世紀最高の必読書!」と紹介されていますが、どのように、NHkで取り上げるのか注目して、紹介したいと思います。
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1月5日の日経新聞の広告です。下段全部を使った大きな広告です。各紙誌で紹介され、いろいろな人が推薦しています。今世紀最高の必読書!とまで書いているのは果たしてどうでしょうか。
 世界200万部突破のベストセラー、と書いてあります。
 原題と著者は”SAPIENS: A Brrief History of Humankind",Yuval Noa Harari 2011
で、日本では『サピエンス全史』上下ー文明の構造と人類の幸福、著者はユヴァル・ノア・ハラリ氏となっています。2016年9月30日発行、訳者、柴田裕之、河出書房新社、1900円+税 上下とも、となっています。
 帯封に48か国で観光の世界的ベストセラー!、ジャレド・ダイアモンド(「銃、病原菌、鉄」の著者)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック創業者)、日本では、山極壽一(京都大学総長)、山形浩生(評論家)氏の推薦となっています。
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 著者のハラリ氏は、1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で、中世史、軍事史を専攻して、博士号を取得し、現在ヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行い、多くの受講者を獲得している。(本の紹介より)
 最低限の紹介だけをしました、NHKの放送が始まりましたら、追記して紹介いたします。
「人間学研究所年誌2016」には、次のような文章を書きました。
 「サピエンス全史」文明の構造と人類の幸福
 「サピエンス全史」は、2016年9月に翻訳されたばかりの本で、多くの国でベストセラーになっている。この本を書いたハラリは、なぜホモサピエンスだけが繁栄したのか?という問いを出し、国家、貨幣、企業…虚構が文明をもたらしたという。また、そして文明は人類を幸福にしたのか?と問いかける。
 「想像上のヒエラルキー(階層性とか階級制)と差別」という章で、様々な階級と階級間の差別について書いている。またスペイン人のアステカ王国やインカ帝国への暴虐の限りを尽くした侵略の実態を書いた。これをインディオにとって、あたかも「宇宙からの侵略」のようだと書いた。
 「文明は人間を幸福にしたのか」の章で、農業革命は集団としての能力は拡大したが多くの人間にとって個人の運命はより苛酷になった。ヨーロッパ諸帝国の拡大は膨大な数のアフリカ人、アメリカ先住民、オーストラリア先住民にとっては、とても吉報とは言えなかった。人間には明らかに、権力乱用のあることに照らせば、人間は力を増すごとに幸せになれると考えるのは、あまりにも安直だろう」。
 現代世界は、歴史上はじめて全人類の基本的平等性を認めたことを誇りにしているが、実際はこれまでで、最も不平等な社会を生み出そうとしているところかもしれない。歴史を通して、上流階級はつねに底辺層よりは賢く、強く、全般的に優れていると主張してきた。~実態は優れているわけではなかった~だが、これからは新たな医学の力を借りれば、上流階級のうぬぼれも、間もなく客観的現実となるかもしれない。
 「あとがきー神になった動物」で、7万年前、ホモサピエンスはまだアフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足らない動物だった。ところが、その後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモサピエンスは神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえ手に入れかけている。自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものはあるだろうか?という問いかけをしている。
以上は論文に書いたことです。不十分さが目立ちます。
本の概略を書きます
この本は4部に分かれている。目次を書きます。
第一部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種
第2章 虚構が協力を可能にした
第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
第4章 史上最も危険な種
第二部 農業革命
第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
第6章 神話による社会の拡大
第7章 書記体系の発明
第8章 想像上のヒエラルキーと差別
第三部 人類の統一
第9章 統一へ向かう社会
第10章 最強の征服者、貨幣
第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
第12章 宗教という超人間的秩序
第13章 歴史の必然と謎めいた選択
第四部 科学革命
第14章 無知の発見と近代科学の成立
第15章 科学と帝国の融合
第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
第17章 産業の推進力
第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
第19章 文明は人間を幸福にしたのか
第20章 超ホモサピエンスの次代
あとがきー神になった動物
NHKのクローズアップ現代での紹介
オバマ大統領が夢中で読んだという。世界中でのベストセラー。
池上 彰氏がこの本の内容を解説する
認知革命
 ネアンデルタール人などに比べ、成功の秘訣は何か。ホモ・サピエンスの言語を話す能力が重要、また神や国民や法人といったフィクションを信じる力そして、集団力が存続繁栄させてきた。会社とは、お金とは、実体は?
 ラスコーの洞くつ壁画ーバイソンに殺されているところだという鳥のような頭の人間-この世からあの世に行く旅を描いているのかもしれない。
狩猟採集民は豊かな暮らしをしていた。(健康に良く多様な食物、比較的短い労働時間、感染症の少なさ)。それに比べて生産力が上がっている大部分の現代の人々は幸せな暮らしをしていない。
 人類は拡大を続け、多くの種を絶滅してきた。
-文明の発展は人類を幸福にするとは限らない。
今までの歴史、歴史上の出来事、人物にのみ関心を持ってきた。幸せということに注目してきた歴史は少ない。
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農業革命
 農業革命が起きた。そのことにより生産力は飛躍的に上がったが、一人一人は昔より長い時間をはたらかなければならなくなった。少数の者に富が集中する。
食料の増加はより良い食生活やより長い休暇に結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟採集民より、苦労して働いたのに、見返り得られる食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大のサギだったのだ。-小麦に人間が家畜化された。
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農業の発展により、富の蓄積や、様々な差別や格差の発生した。
差別や格差は虚構に根差している。
現代社会は個人の幸せには目を向けず、国家や権力にだけ注目してきた。
歴史も個人の幸せに注目してこなかった。
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人類の統一
 神話と虚構のおかげで、人々はほとんど誕生の瞬間から、特定の方法で考え、特定の
標準に従って行動し、特定のものを望み特定の規則を守ることを習慣づけられた。こうして人工的な本能のネットワークのことを「文化」という。
 歴史は統一に向かって進み続ける。グローバル化。しかし資本主義の発展により、一人一人は不幸になってきた。
 帝国の誕生。今後は歴史を個人の幸せから見ていくことが事が、重要であると、ハラリ氏は主張する。
2014年は区切りの年、いろいろな矛盾が激しくなる年。グローバル化、と格差の拡大。
トランプ大統領の登場。アメリカが世界のリーダーである時代の終焉。資本主義は限界なのか。
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フィクションは人間を発展させる一方でその考え方にとらわれてしまう恐れもある。
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今起きている、様々な矛盾。人口減少、低成長、j格差などが生じている。資本主義の行き詰まり、限界が生じてきている。
それを克服するための、新たなイノベーションが必要。
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科学革命
 
15章 科学と帝国の結合
 クックの遠征、壊血病への対策法発見 クックの遠征の後100年間でオーストラリアとニュージーランドの肥沃な土地が原住民から奪われた。先住民の人口は最大で9割が失われた。生き残った人々も過酷な人種的迫害にさらされた。タスマニアのアボリジニは絶滅。
 宇宙からの侵略のようなースペイン人によるアステカ帝国とインカ帝国の侵略
 産業革命によって、人類は、おおむね周囲の生態系に依存しなくて済むようになった。
全人類の総重量はおよそ3億トン、家畜の総重量は7億トン、残存する大型の野生動物の総重量は1億トンに過ぎない。
 家族とコミュニティの崩壊
近代以前の相関関係-、弱い国家と市場、強い家族とコミュニティ、弱い個人
近代の相関関係ー、強い国家と強い個人、弱い家族とコミュニティ
第19章 文明は人々を幸福にしたのか
 近代のサピエンスが得意になれるのは実験台になったサルや乳牛、ベルトコンベヤーに載せられたひよこの犠牲の上にきづかれたものだ。人類の幸せだけを考慮するすることも誤りだろう。
 幸福度を測るーより豊かで健康になれば人々はより幸せになるはずだと。
富は幸福をもたらすが一定の水準まででそこを超えると富はほとんど意味を持たなくなる。
家族やコミュニティは、富や健康よりも幸福感に大きな影響を及ぼすようだ。よいコミュニティと良い家族を持つ人たちは、家庭が崩壊し、コミュニティの1員にもなれない人よりははるかに幸せだという。-過去2世紀の物質面の劇的な状況改善は、家族やコミュニティの崩壊により相殺されてしまった可能性がある。
 核兵器により超大国間の戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服をもくろむことは不可能になった。
 私たちの未来はどうなるのか。いま科学革命が起きつつあるし、今後さらに必要である。
はたして文明は人間を幸福にしたのかという問いかけ。
 現代世界は、歴史上初めて全人類の基本的平等性を認めたことを誇りにしているが、これまでで最も不平等な社会を生み出そうとしているところなのかもしれない。上流階級はつねに底辺層より賢く強く、全般的に優れていると主張してきた。彼らは自分を欺いてきたが新たな医学の力を借りれば、上流階級のうぬぼれも、おそらく客観事実となるかもしれない。
 今後、1,2世紀のうちに人類は姿を消すと思います。ネアンデルタール人のように絶滅するという意味ではない。人工知能-AIなど、科学の発達が加速度的に進み、いわば超ホモ・サピエンスが生まれてくるのではないか。あるいはターミネーターのいる世界など。コントロールできない社会になるかもしれない。(シンギュラリティなど)
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幸福を探す人類史の旅。
そして幸せな道に進む賢い選択をする必要がある。人類の欲望をコントロールできるのかという問題。いろいろな諸問題の解決、そのためには科学と政治の協力が必要である。
以上がクローズアップ現代の概略です。
あとがき
 今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえ手に入れかけている。
 不幸にも、サピエンスの地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、~、だが世の中の苦しみの量を減らしたのだろうか?人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増大しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。
 私たちは、かってなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当がつかない。~
 自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?
 これが最後に著者が言いたいことなのだ。
訳者あとがき
 アフリカ大陸の片隅で捕食者を恐れてほそぼそと暮らしていたとるに足らない動物がこの21世紀までたどってきた道のりを振り返り、将来を見据える。
 それは、多数の見知らぬものどうしが協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンスだけが身に着けたからだ、と著者はいう。
 貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という3つの普遍的秩序だった。貨幣は人類の寛容性の極みでもある。
 著者は時とともにすべて悪くなる一方などという極端な見方はとらない。
 他の生物や個人の幸せや苦しみにどのような影響を与えてきたか、ほとんど顧みてこられなかった。人類の歴史理解にとって最大の欠落で、この欠落を埋める努力を始めるべきだ。
ブログ筆者のコメント
◎ 幸福の増大と、苦しみを減らす、という観点で書いた、人類の過去現在、未来を書いた壮大な歴史である。今までの歴史を見ると、人々ー人類のためと称しながら、実際には支配階級のための歴史であった。
 かつて、マルクス、エンゲルスの社会主義、共産主義の夢は、スターリンや毛沢東、ポルポトなどにより、無残に打ち砕かれた。現在の世界はグローバル化が進み、北朝鮮や一部のイスラム国を除けば、マグドナルドやケンタッキーやコンビニ店などが世界的に進出している。こういう国にはアメリカは戦争を仕掛けない。大々的な戦争が起きた20世紀に比べいくらかよくなったともいえる。しかし、グローバル化は進み、人口減少、低成長、格差の増大は先進資本主義国共通の悩みである。多国籍企業は利益追求を推し進め一般の人々の幸福の増大などは眼中にない。政治は多国籍企業などに有利に行われる。しかし格差の増大は多国籍企業の発展にも限界を生じさせる。
 このような世界的な風潮の中で、これらの世の中の実態をつかみ、一般庶民のための幸福を増大させるために、何らかの動きをしなければならない。すでに、その動きは出ている。例えば現在の日本の選挙制度は不十分ではあるが、やりようによっては変革可能である。人々の多くが幸せになるために、政治を変えることが大事である。そのための議論が十分に高まることを期待したい。
 人間の=一般庶民の幸福の増大と、苦しみを減らすにはどうしたらよいかということである。政治の仕組みの問題もあるが、その政治を行う人間がどのような政治を行うかということである。中国の後漢の時代、そのはじめ建武・永平の治といわれる優れた政治の時代があった。中国では政治が乱れると、人が人を食べるという悲惨なことが起きたが、光武帝、明帝、和帝の時代には80数年そういう悲惨なことが起きず、人口も急速に増えていきました。それは、「元元を主とする」=庶民が最も大切であるという光武帝の考えと、その考えを受け継いだ歴代皇帝、そして第五倫のような優れた政治家が政治をおこなったからである。皇帝独裁という政治体制でも善政は可能なのである。
 現代の政治の仕組みの多くは建前として民主主義に基づいたものとなっているが、実際には、現代資本主義社会を動かしている支配層が支配している。いまのままでは、幸福の増大と、苦しみの減少より、さらに大企業と大資本家の富を増やすための政治が行われるであろう。そうなれば、科学と技術の進歩は”人間”に破滅的な事態を引き起こすであろう。もうすでに表れているが人工知能(AI)やロボットが人間に置き換わり、一部の大資本家と技術者だけで、あとは人間のいない世界になってしまうかもしれない。もうすでに、仕事の多くが人間から変わりつつあるのである。
 一般の人々の幸福の増大と、苦しみを実際に減らすにはどうしたらいいかを、原点に立ち返って現代の政治の現状について個々に見直してみることでしょう。
 

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