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中国と韓国の歴史とドラマ

2017年5月12日 (金)

最近の韓国歴史ドラマH29年11月修正版。朝鮮王朝とドラマの関連 も

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 このブログは、定期的に更新を続けています。現在放送中のものは青い字で、放送終了後のものは黒字でのこしています。結果的に過去にどのようなものが放送されたかを見ることができます。

 2017年11段階のものです。今まで放送されたものを積み重ねています。

 簡略版を2014年3月20日付のブログに2014年5月27日で更新したものを載せました。それ以来あまり、熱心に韓国の歴史ドラマについて更新しませんでした。自分自身ではテジョヨンを毎日昼1時ころから見て居ましたが、それももうおしまいになります。ブログを書き始めてちょうど5年となりますが、ここでこのブログを復活させようと思いました。2014年7月21日祭日

2012年9月16日(日)朝 3階のベランダの朝顔、このツルが5階のベランダまで届きました。

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朝顔のトンネル状になっています。通るには腰をかがめないと行かれません。

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 2013年4月8日のベランダの状態です。様々な花が咲き乱れています。

★  青色は、2017年6月時点で放送中のもので す。

 

日本で放送中の韓国ドラマ

日本で放送中の韓国ドSラマの一覧表が出ているサイトがありました。これを見れば、韓国歴史ドラマだけではなく、すべてのドラマがわかります。一般放送、BS放送だけでなく、CS放送もわかります。

http://www.wowkorea.jp/guide/drama_info.asp

2015年11月2日時点の韓国歴史ドラマです。

参考 最近の韓国歴史ドラマ 2 2009,9,6

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2009/09/

 

一般放送

NHK

太陽を抱く月」

 はじめ、NHKのBS放送で放送されていたものです。いつものパターンで今度は一般放送で放送されます。朝鮮王朝時代のお話です。これはあまり見て居ませんでした。全20回、一般放送でも、BS放送でも放送されました。

 2015年11月、テレビ東京で再放送です。 

「イ サン正祖大王」

全77話 21代の英祖王から正祖にかけてお話しです 

日曜日のNHK一般放送に替わりました。23時から 再放送は見ていません

5月6日 第50回です。8月19日に61回 10月もうそろそろ終わりのようです。

2012年12月2日74回放送、77回で終了です。現在終了しました。

テレビ東京(7)

雲が描いた月明り

8時15分より

 タイムスリップもの

奇皇后

  再放送 8時15分より

「客主」商売の神

 2015年KBS制作、全52話。日本ではチャンネル銀河で放送。2017年4月4日から放送開始。朝8時15分より。朝鮮王朝時代、商売の神を目指す。チョン・ボンサム役はチャン・ヒョクがチョン・リリン役はハン・チェアが演ずる。

「華政(ファジョン)」

 2017年1月4日8時15分より 再放送 光海君と仁祖の時代

「秘密の扉」

 朝8時15分より、再放送 2016年8月より

「火の女神ジョンイ」

 再放送です 終了

「輝くか狂うか韓国KNTV放送

2016年5月19日、8時15分から放送。全24話。高麗王子、王(ワンソ)と渤海最後の王女ホシンユルの話 2015年作

「馬  医」

2016年1月から NHKBSなどで、やっていたものの再放送 3月終了です

朝鮮王朝、馬の医者から、優れた外科手術の腕で王の侍医にまでなった人物のお話し。

「王の顔」

 2015年11月30日、8時15分から

2014年製作 23話 光海君が観相の技術を使い王となる話 終了

「太陽を抱く月」

 2015年11月2日からNHKで放送されたものを再放送です。朝鮮王朝時代。

「夜警日誌」

 全24話、15世紀後半の朝鮮王朝時代。不良王子イ・ソンとエリート剣士ムソク、田舎娘トㇵなどが活躍。ムソクには、東方神起のユソクがなる、いろいろな悪霊と戦う。終了

「大風水」

 2015年4月23日からスタートしました。平日朝8時15分より。

2012年から13年SBSで放送。全35回。6月16日終了

高麗末期から朝鮮王朝はじめの時代をえがいた作品。主役は、風水師モク‣チサン役を鉄の王キム・スロ役のチソン。イ・ソンゲ(李成桂)役をトンイで粛宗役のチ‣ジニ、ライバル役の風水師にイ・ショングンという配役。

2012年韓国SBSで放送される。全35話。以前BSフジで放送。

「トンイ」

すでに何回も再放送されました。2015年4月終了。

「ホジュン~伝説の心医」

心医の物語。既に2回ほど放送され、再放送 です。2014 年12月 放送中

2月終了、「トンイ」に

「根の深い木9月4日より

2011年韓国SBSで放送された。全24話。終了後 2014年12月BS朝日で再放送

 朝鮮王朝第4代の王として世宗が即位したが、実権は父の太宗が握っていた。トルボクは世宗が父を殺した張本人と思う。世宗の文字創生事業にかかわる人物が、次々に殺害される事件が起きる。

「王女の男」

 朝鮮王朝時代第6代端宗の時代 首陽大君の娘セリョン姫と左議政キムジョンソの息子キムスンユのかなわぬ恋をえがいた 

「イ・サン 

 NHKで放送していたものを今度はこちらで再放送です。

 朝8時25分から

「武神」

 2013年6月25日から放送されていたのにうかつにも気がつきませんでした。

この放送はMBCが、2012年に制作したもので全56話です。13世紀の高麗中期、蒙古軍の侵略を受けた、高麗の状況をえがいたものです。主人公は実在の人物である、キム・ジュンです。平日8時25分からの放送です、7月8日に第10話が放送されました。終了しました。

「宮廷女官 チャングムの誓い」

 再放送韓国歴史ドラマに人気が出るもとになりました朝8時25分から 10月 再放送です。一般放送で放送するのは珍しいです。11月27日、放送中です。12月終了しました。代わりに「ジャイアント」という韓国の現代ものを放送中です。

「階伯」(ケべク)

 平日8時25分より。一体何回目の再放送でしょうか

 

NHK(1)

 「トンイ」同伊)

NHKBSプレミアムで、日曜日の午後9時から、欠かさず今一番面白く見ていました。

 6月24日で放送が終了になりました。これは、「太祖王建」とともにずっと見てきただけに終了してしまい残念でした。

 2013年1月20日(日) NHK 一般放送で再放送しました。

7月14日 24回 夜11時半から放送

「王女の男」が代わりに7月8日(日)から放送されます。

 「王女の男」は2011年に韓国KBSで放送され、24話です。第7代王世祖となる首陽(すやん)大君の娘であるイ・セリョン(王女)と、朝廷の重臣であったキム(金)氏の息子キム、スンユの悲恋のお話です。朝廷の重臣キム氏は、首陽大君のクーデターである癸酉靖難(ケユ。ジョンナン)によって殺されます。キム・スンユは敵の娘となってしまいます。

 今放送されている「王と妃」のドラマにも重なります。始め見ましたが、あまりおもしろそうでないので、見ていません。トンイやイサンを見ていた家内も見ていません。

11月25日に21回、12月16日最終回(24話)です。その後総集編を放送するようです。

終了しました。 

 「千秋太后」テレ玉10.00より これは日本での放送4回目でしょうか

BS放送

N H K BSプレミアム

「三銃士」 再放送 土曜日放送

「オクニョ」運命の女(獄中花)

 2017年4月2日よりスタート、日曜日夜9時から放送。イ・ビョンホン監督。オクニョ役にジン・セヨン、ユン・テジョン役にコ・スなど。全51話。

 朝鮮王朝14代明宗の時代。典獄署で生まれたオクニョの物語。後で、朝鮮の女性弁護士の立場の仕事につきます。

「ファン・ジニ」午後4時より

「チェオクの剣」

 日曜日、午後4時半より再放送

「美しき伝説の商人ーキムマンドク」

 18世紀末から19世紀初めの朝鮮で実在した人物。済州道(島)の妓生という不幸な生い立ちから、努力を重ね大商人となる話。2010年KBSで放送。全30話。大飢饉のとき私財を投じて人々を救ったという。その功により正祖、イ・サンの謁見を受けた。

 前回は民放で放送され、あまり見ませんでしたが、今回は1回から見ています。

 2011年11月より毎週土曜日の朝8時半より。主演コ・ドゥシム他。再放送

「三銃士」

 2016年9月4日(日)より、午前9時から10時まで、「奇皇后」に変わり放送。「三銃士」を韓国ドラマに翻案したもの。全12回。制作2014年。ジョン・ヨンファ

17世紀の仁祖の時代、主人公,パク・ダルヒャンと三銃士

「イニョプの道」

 第1回「波乱の幕開け」朝鮮王朝第3代王、太宗イ・バンウオンの時代

高麗の残党とみなされ、イニョプは奴婢におとされる

2014年 韓国で放送 全20回 4月3日より                       

「チェオクの剣」

 午後5時より放送 以前BSTBSで放送のもの 終了

「美しき伝説の商人」

 朝4時から、朝鮮王朝の商人キムマンドクの物語。終了

「奇皇后」

2016年4月再放送、8月終了

 毎週土曜日朝8時半

8月3日より放送。全く新規の放送はこれぐらいになってしまいました。

朝鮮高麗王朝時代、元の皇后まで上り詰めた女性の物語。51回放送

14世紀中国元の末期、高麗王朝の貢女から皇后までに上り詰める。

主演、ハ・ジウオン 韓国MBC放送 2015年8月24日 総集編です

「太陽を抱く月」 全20話 トンイに変わり放送開始しました。MBC2012年放送

 2013年1月20日(日)21時から 再放送土曜日 韓国で最高42,2%の視聴率を稼いだドラマだそうです。成祖(仮想の王様)の王子2人と少女と死んだと思われていた娘が大きくなっていて、の2人の葛藤などというラブロマンスだそうです。何かこのような仮想の設定でのメロドラマ調の物語には興味を感じられず。一度も見ておりません。そのうち終わってしまいそうです。6月16日の最後の回だけ見ました。

『馬医』全50話)が始まりました。7月7日(日)21時より

 BSプレミアムで放送です。これは韓国MBCで、イ、ビョンフォン監督により作られた李朝朝鮮の馬医から王の侍医にまでなった人物の物語です比較的面白く見ています。日曜日の21時からなので、ちょうど、今人気の半沢直樹の番組と重なり、どちらかを録画して両方見ています。9月1日で第9話です。これは10月末引き続き見ています。

2015年、今度は土曜日、朝8時半から再放送です。

「トンイ」

BSプレミアム 毎週土曜日、8時半から9時半 一般放送からBSに代わりました。

B S 日 テ レ (4)

「チュノ」 21話 2017年11月22日 朝10時から

日テレはアジアドラマスペシャルという形で、韓国ドラマに力を入れていましたが、今は低調です。2016年1月、3つ放送となりました。

「テバク」毎週土曜日、2017年9月30日第1回, 再、10月21日第1話から第5話 全29話

  チャン・グンソク、ヨ ジング他 朝鮮粛宗の時代 王の子として生まれ、いかさましとなった男と21代王となった英祖とのあらそい

「王の顔」朝10時から

 KBSで放送。庶子出身の王子が観相術を武器に王となる。15代王光海君を描く

 イ・ソングク主演 壬申倭乱のころ

「トンイ朝10時から

「王女の男」再放送

「推奴―チュノ日曜日午後4時から 4月9日第一回

商道」サンド 再放送 朝10時から

「ホン・グギョン」

 2017年1月13日スタート、10時から、全40話。正祖、イ・サンの側近として力をふるう。34歳の若さで失脚する。

「イサン」

 再放送 朝10時より

「大王の道」  

 昼0,00から、再放送

太陽を抱く月」

再放送7月 終了

「商道 ~サンド」

 午後0時から、イサンのあと 再放送 終了

「イ・サン」

 0,00時より 2月8日37話 3,23 69話 終了

「チャングムの誓い」

 1時半より 何度目の再放送でしょうか  終了

「太陽を抱く月」

 16時より 終了

「ぺク/ドンス」

 13時30分より 終了

「鉄の王キムスロ

 2015年10月午後1時半より再放送 伽耶の建国者

「薯童謡」(ソドンヨ)

 2015年9月16日より再放送

 百済の王について 午後0時より

「チャクペ」

 ホジュン終了後、再放送 午後1時半より 終了

「チャングムの誓い」

昼0時から、宮廷女官 2015年7月、4回目の再放送 9月15日終了

「鉄の王 キムスロ」

再放送 2015年2月 朝10時より 前述 伽耶国の初代王 4月放送 終了

「ペク・ドンス」

再放送 2015年2月27日より 午後4時より 朝鮮王朝末期 終了

「階伯」(ケベク)

 2015年1月、朝10時より何回目の再放送でしょうか。終了

「チャクペ」(相棒)

 2015年1月、午後1時半より、再放送です。終了

「王と妃」 字幕 全186話

平日10時から 再放送 世宗の長男文宗そして二男の7代世祖にかけての話です。これはみています チェ・シラ演じる大王大妃仁粋(インスンテビ)が主人公です 2011年 10月4日に一度終了しました。今は再放送なので見ていません。10月9日終了です。

「九尾狐伝」 平日10時から「王と妃」の終了後に始まります。これも再放送です。 10 月31日終了しました。 

「百済の王 クンチョゴワン 近肖古王」

 平日10時から「九尾狐伝」の後に放送しています。再放送です。これは以前は欠かさず見ていました。百済が全盛時代を迎えた時の王です。 371年近肖古王は高句麗の平壌白を攻め高句麗王、故国原王を戦死させました。 終了しました。

「張禧嬪」 

 1月24日(木)、第1回 平日10時から、朝鮮王朝3大悪女のお話です。

 「百済の王」に代わって再放送です。私は以前放送されたときにみました。 終了しました。         

「王妃チャン・ノクス宮廷の陰謀」

平日午後4時から KBS制作全52話で、龍の涙のユ・ドングンが王になります。王と妃の時代と重なります。これは毎日見ています。同じ仁粋大妃を扱っても、王と妃では主役ですが、このドラマでは悪役になります。チャンノクスも主人公になるとちゃめっけのある愛きょうのある女性になっています。当然扱い方が違います。

 4月25日終了しました。終わり近くの番組は見ていませんでした。

「夜叉」(ヤチャ)

 チャンノクスの後の番組で、朝鮮王朝中ごろ、王と廷臣の争い、兄弟で違う陣営に入り

 戦う運命に 全12話 5月15日11話 よく見ないうちにもうすぐ終わります。                 10月また再放送しています。日曜日のみ放送。

「妖婦 張譆嬪」 (字幕)

 2012年5月21日~平日毎日 16時から17時 1995年SBSで放送全63話 5月30日第9話

 チャンヒビンを主人公にしたものが3本もあります。時々見る程度です。それにしてもチャンヒビンはいろいろなところで、ドラマの題材にされていますね。今度終了した「トンイ」でもでてきますし。8月7日放送中です。私は最近見ていません。8月終了しました。

 2013年、平日10時より、再放送をしています。終了

「広開土太王」 平日10時より

 2012年8月24日(金) 第一回放送です。平日16時から17時。KBSテレビ制作のもので、高句麗の全盛期の王です。全92話。主役の大王には、イ・テゴンがなります。以前ヨン様主演の大王四神記がありましたが、いかにも神秘主義的で、好きではありませんでした。

 これは、なかなか面白い番組です。直接見られないときには記録にとって、かならず見ています。広開土太王は400年百済、倭、伽耶の連合軍を破りました。放送中です。1月10日最終回です。最終回を見ました。面白い話でしたが、ほとんどが戦闘場面で、いつも王様が他の将軍と一緒にそろって先頭に立って、きりあいをします。最後に20万の兵をひきいているというのにそんなに先頭に立って、きり合いなどしないでしょうが。

 それから、北方の後燕やマルガリ、キッタン、百済、新羅を支配下においたといいますが、倭も服属させたといっていますが、服属はしていなかったと思います。太王自身が船で倭の地に船で遠征したことになっていますが(映像で富士山のふもとの地が出てきます)フィクションにしても違和感を感じました。

 2013年朝10時から、再放送です。

 2015年5月、BSジャパン7で、再放送中です。もうそろそろ終わります。

「武人時代」 KBS2003年放送 16時から

 「太祖王建」、「光宗大王、帝国の朝」、に続く三部作

 2013年1月11日~ 全112話(もとは158なのでしょうか) 高麗王朝中期以後の、武人が政権を次々に握る時代をえがきました。第一回、貴族と遊び戯れ、武人を低く見ていた18代毅宗に対して武人がクーデターを起こすところです。1170年~1270年の100年間次々に武人の権力者が変わります。ちょうどこのころ、日本でも平安時代から武士の鎌倉時代に変わったころで興味深いです。1270年以降モンゴル民族の元に高麗王朝は支配されます。最初に出ていた武人の長は、今まで見てきた韓国歴史ドラマでおなじみの顔ばかりでした。放映当時かならず見ているのはこれだけです。

 これは、みられない時にはビデオにとっておき見ています。6月いよいよ、キョン・デスン時代から、イ・ウイミン執権時代に変わります。2013年8月30日全158話のうち155話が終わりました。9月3日終了しました。長い物語でしたが、よく見てきました。

 「ホジュン 宮廷医官への道」 午後4時から変更、朝10時に 8月午後1時半終了

 武人時代に代わって、9月4日から放送されます。以前BS朝日で放送され、再放送です。1999年にMBCで作られました。監督はイ・ビョンフォンで、64話です。妾の子とさげすまれながらも、努力を重ね朝鮮王朝最高の宮廷医官になるというお話です。これは10月末日現在見ています。

2013年放送のものを2014年7月段階で再放送中です。

2015年6月 午後1時半より再放送中です BSジャパンと、おなじものを放送中

 「商道」(サンド)

 1月25日(金)12時より 第1回放送開始。全46話。平日放送。19世紀朝鮮王朝時代の大商人となった、イム・サンオクの物語。イ・ビョンホン監督作品。これは再放送だったでしょうか。私はまだ見ていません。

「名家の娘ソヒ」

 2004年SBSで放送されたもの。全52話で、7月26日スタートで、8月31日26話。平日12時から13時で、たまたま見て気がつくまで知りませんでした。1984年ころから、1945年にいたる、朝鮮王朝(大韓帝国)から日本による併合、そして独立にいたる時代についての話です。“土地”という小説がもとで何回かドラマ化されました。11月27日現在終了です。

6月また再放送です、放送終了しました。

B S フ ジ (8)

「チャングムの誓い」

「4人の騎士」

「師仁堂(さいむだん」色の日誌

 タイムスリップもの イ・ヨンエ主演

「太陽を抱く月」

「六龍が飛ぶ」

 高麗末期、イソンゲと、イ・バンウオン,チョンドジョンらが朝鮮王朝創立の時代

プニ(バンウオンの恋人、村人を支える)、イ、バンジ(高麗1の剣士)、、ム、ヒュル(剣士)の6人が高麗王朝を倒す

SBSで放送 全65話 2015年10月より韓国で放送 2017年3月、始まったのを気が付きませんでした。2時 59分から

ジョンイ再放送 早すぎます

「ホジュン」再放送

「善徳女王」

 9時54分より 再放送 何回目の再放送でしょう

「ジョンイ」  午後2時59分より 再放送

「善徳女王」

 午前9時54分より、新羅の女王

「鉄の王キムスロ」

 午後2時59分より 伽耶の初代の王

「華政」ファジョン)

 MBC放送 全30話、17世紀の朝鮮、14代宣祖のあと、15代王、光海君と16代仁祖の時代の話、文禄の役(壬辰倭乱)の時代、貞明王女(公主)は船が難破し日本で奴隷となる。その後朝鮮に帰る。

 2016年6月より7月終了  8月再開50話とも65話とも

「秘密の扉」

 2016年4月より放送。第21代朝鮮王英祖と、米びつに入れられ殺された思(サ)ド世子との葛藤を表す。サド世子の息子はイサンである。英祖はハン・ソッキョが演ずる。

「大風水」

 チソン他、朝鮮王朝創立のころの話、2015年9月15日より再放送 終了

「王と妃

2015年7月30日3時より、世宗の後、首陽大君とインスン大妃などの権力争い。

チェ・シラなど、再放送 長い番組です 全186回 再放送を時々見て居ます

11月2日 68話です 12月16日 100話 2016年2月8日135話 3月23日167話終了しました

「火の女神ジョンイ」

 2015年5月より、午後3時より。朝鮮王朝時代、全46話。主人公のモデルは実在した優れた女性陶工、日本にわたり有田焼の母となる、百婆仙の話。龍の涙の後の番組です。朝鮮王朝の陶磁器製作所を舞台に話が進みます。主人公のユ,ジュンと光海君との恋愛も組み合わせて居ます。百婆仙(ぺクパソン)は朝鮮人陶工深海宗田の妻となり1656年、96歳まで長生きしました。

 新しいドラマなので時々見て居ます。最終回を見ました。7月29日日本へ、行くところで終わっています。これで終わってしまうのでは、韓国の人には不評でしょう。

ドラマに豊臣秀吉が出てきます。日本(倭)軍が、源平時代の鎧を着て居るのがおかしい感じでした。

「龍の涙」

 2014年9月30日に再放送が始まりました。午後3時から。前回1回目は見ていなかったので、改めてみました。朝鮮王朝創立期のお話です。もう、フジテレビでは韓国歴史ドラマはやらないのかと思っていました。新聞には、新番組と書いてありました。朝鮮初代国王イ、ソンゲ(太祖)とその子バンウオン(太宗)との葛藤を中心に展開されていきます。4代目の世宗まで、えがかれています。2008年10月31日に日テレで放送されたものです。11月25日、第40話。全159話。

2014年12月」これは面白い話なので再放送を見ています。2015年4月再放送中。時々見ています。2015年5月終了

「大風水」

BSフジで放送後、終了。2015年4月より一般放送テレビ東京で放送開始。

「太王四神紀」

 10月1日から放送開始です。前の放送の時はよく見ていました。ペ、ヨンジュン主役で、再放送です。広開土太王を描いたもので神秘的な作り方です。BS日テレも広開土太王をやっています。

「信義」(シンイ)8時半から 

 2012年SBSで放送された 全24話 現代の整形外科医が高麗時代に

   タイムスリップしてというお話で、8月末まだ放送中です。一度も見ていません。

 「善徳女王」 18時から 新羅の女王 何回も再放送です 終了しました。

「チャクぺ -相棒」月曜から金曜 8:30~9:30 全32話

  この番組は気が付きませんでした。いつも「太祖 王建」を見ていたからです。たまたま、今日番組に気がつきました。5月4日でもう25話です。朝鮮王朝末期、同じ日に生まれた進士の子と乞食の子を産婆が入れ替えてしまうというお話です。5月15日終了です。 11月、放送時間を17時に変えて再放送です。11月27日終わったようです。2015年他で再放送

「鉄の王キムスロ」

 8月から、再放送で平日17時より、前は欠かさず見ました。伽耶国の建国者、金首露の物語。終了しました。

 2014年7月また、再放送です。2015年別の放送局で再放送

 「階伯」(ケべク)

  火曜のみ 22時から 5月29日放送(第9話)のものを見ました。善徳女王の時代、百済

  最後のケベク将軍をえがいたもの。 2011年MBC放送全36話です。11月27にち放送中です。12月4日、最終回です。 他で再放送です。

 ★ BSフジは、韓ドラを放送していると攻撃されてからあまり放送していません。

 代わりに2013年7月「宮廷の諍い女」という中国のテレビドラマを放送中です。

B S T B S (6)

「馬  医」  午後1時から 

オレンジ・マーマレード」

 吸血鬼ヴァンパイアと朝鮮時代との時空を超えた愛 午後5時から

「チャン・ヨンシル」

  2017,9再放送 朝7時から

 朝鮮太宗から世宗の時代朝鮮伝説の科学者 日食を正しくあてるなど

 月から金5時から、5,54分まで 全24話 主演は朱蒙のソン・イルグク

「馬医」 2017年3月朝7時から

「千秋太后」 午後5時から

 高麗時代、太祖王建の孫娘 太后となり実権を握る 主役 チェ・シラ

「馬医」

「夜警日誌」

「馬医」

「花たちの戦い」 

2016年6月14日より再放送、朝7時から69分まで 終了

「剣と花」 終了

「夜警日誌」  終了

「大王世宗」

 「花たちの戦い」の後7月より、午後5時から、放送開始 再放送10月終了

 午後1時から再放送 終了 

 2016年1月朝7時からで再放送

「花たちの戦い」

 宮廷残酷史 16代 仁祖王の時代(イ・ドンファ) まだ明と清が戦っている時代。朝鮮は真に敗れ、屈辱的な状態に。世子と二男が人質に取られる。王を取り巻く女性たちの戦い。ヤムジョンは自分の子を世子にしようとする

 全50話 午後5時より

「王女の男」

2015年4月より、再放送 2015年11月より再々放送

剣と花」 

午後5時から、高句麗末期、ヨンゲソムンとその息子の物語

全20話 2015年2,3月放送中 終了

「九家の書」千年に一度の恋

2015年1月5日よりスタート 午後5じより 全24話 

7月より朝7時から再放送中

「イサン」

2015年1月再放送です。朝7時より。4月末終了

「インス大妃」

 2014年9月より放送開始。月曜から金曜日。夕方5時から。全60話。終了

朝鮮時代はじめ、朝鮮王朝最も激しい動乱の時期、大妃となったインス大妃の物語。、インス大妃はチェ,シラが演ずる。

2015年朝7時から再放送 終了

「大望」(テマン)

 10月1日7時からスタート。18世紀の朝鮮王朝で、豪商の息子2人についてのドラマです。朝早いこともあり、見ていません。

「チャミョンゴ」

 17時より、再放送です。前もあまりよくみませんでしたが、今も見ていません。

2014年7月段階 朝の7時から再放送中です。

 

 「太王四神記」 平日17時から 再再放送です 終了しました。

  「キム・マンドク美しき伝説の商人」 水曜日19時より 朝鮮王朝イ、サン王のとき、

   苦労を重ね大商人となった、実在の人物デ、イ・サンにより功績をたたえられ女性と

   して最高の位についた。2010年KBS放送 全30話。 5月30日第7話。

   時々見るぐらいで、どうしても続いてみたいほどになっていません。

   11月7日第25話です。11月27日放送中、12月初めに終了です。終了しました。

   2013年1月25日17時から 再放送です。終了しました

  チェオクの剣 平日17時より再放送です 9月終了です

  スキャンダル 朝鮮王朝時代「春香伝」を元にしたドラマとか 平日20時より

★ 9月13日 平日は、16時、「広開土太王」 17時、「鉄の王キムスロ」 18時、「薯童謡」 19時 「キムマンドク」 20時、「スキャンダル」と続きます。

B S 朝 日 (5)

「夜叉」ヤチヤ 再放送

「チョンウチ」

 2015年9月より、8時58分より放送。韓国KNTVで放送。実在した道士、田う治の物語。現代にもタイムスリップし時空道士ともいわれる。10月終了。

「イニョン王妃の男」

 2015年8月24日より 朝鮮王朝と現代のタイムスリップの話です 終了

「善徳女王」

 2015年5月より再放送。朝8時58分より 8月終了

新羅の女王のおはなし。

「根の深い木」-世宗大王の誓い

 朝8時58分より、再放送です。全24話、朝鮮王朝、太宗から世宗に移る時代です。この時間は忙しくて見て居ません。

「帝王の娘スベクヒャン」

 2015年1月21日朝8時58分よりよりスタート。6世紀の百済、24代王東城王治世の末期から25代武寧王の時代の物語。武寧王は東城王のいとこに当たる。ソルランの別名スペクヒャンは百済を守る花の意味で、武寧王の娘。ソルヒはソルランの異父妹。2013年韓国MBCで放送。全108話。4月、放送中。4月10日、58話。

◎武寧王は弱った百済を強化する。日本との縁が強い。日本書紀に登場する。継体天皇とのつながりも大きい。又武寧王の日本における子孫、高野新笠は、桓武天皇の生母である。2015年5月終了。

「大王の夢」

 深夜2時から3時まで放送。はじめ気が付きませんでした。7世紀初頭新羅29代武烈王と武臣キム・ユシンのものがたり。全70話。終了したようです

 「太祖王建」

平日9時から。2月より始まりました。高麗を建国した王建のものがたりでKBS放送で、海神と同じテェ・スジョンが主演です。この番組に主演して人気が高まりました。かなりの視聴率が韓国で上がったようです。確か200回に及ぶ長いものですがここでは180話にちじめられるようです。これは毎日かならず楽しみにして見ています。6月、話しはちょうど後半ごろになってきました。8月7日129話です。高麗と後百済の太子同志の戦いがえがかれています。11月、もう最終回にちかづいてきました。

「太祖王建」 深夜3時

 6月、平日夜3時~再放送です。穴埋めでしょうか。あまりにも安易な感じがします。

  これはかならず見ていました。11月6日、百済のキョンホン王は高麗に脱出します。この番組は2012年11月9日で終了し、次に11月12日より「光宗大王」が同じ時間にスタートします。光宗は高麗4代目の王で、豪族勢力を抑え、王権を強化しました。8月、放送中。

「光宗大王 帝国の朝」

 全94話で太祖王建」の続編です。太祖王建の三男で、高麗第4代の王で、豪族勢力を抑え、王権を強化しました。主演キム・サンジュン。さらに次のドラマ「千秋太后」につながります。第1話、2話を見ました。太祖王建がなくなります。二代目国王の恵宗は病弱で、ワンジュ、国防大臣となった王建の義理のパクスリ側と、西京の支配者、王建の従弟王シンニョムなどとの対立が始まります。二代恵宗は二年、三代定宗も在位4年で弟の光宗に王の位を譲りました。これはかならず見ています。2013年4月に終了しました。

B S ジャパン(7)

「客主」10時55分から

「花たちの戦い」 10時57分

「火の女神ジョンイ10時57分から

「イ・サン 10時57分から

「トンイ 10時57分より再々放送 7月にまた再放送

「ホジュン」

 再放送 午前10時57分より 7月放送中 終了

「王の顔」

 16世紀末の第14代、朝鮮王朝宣祖の時代 人相見から王にふさわしくないと言われる

全23話

「トンイ」

0時57分より 再放送 終了

「ファンジニ」

0時57分より再放送

「チョン・ドジョン」

 2015年8月24日0時57分より放送開始 KBSで2014年放送 全50話 朝鮮王朝はじめ、イ・ソンゲを助け、一時実権を握る。イ・バンウオンと争い失脚。チョン・ドジョン役に、チェ・ジェヒョン、イ・ソンゲ役にユ・ドングン。

「ホジュン

 2015年5月、色々な局で再放送されます

 2015年6月 BS日テレでもほうそうが始まりました。いいのでしょうか。

[広開土太王」

0,57分より、2015年1月5日より再放送 全92回

2011年韓国KBSで放送 BS日テレで放送したもの 4月放送中5月終了

「天命」

 2013年作る 2014年4月日本で放送 終了後、今度はBSジャパンで再放送

中宗の時代 医官の話、昼11時27分より

キム‣マンドク

再放送です 女性の大商人 終了しました

 「武神」

 下の「大王の道」終了後に13時から放送しています。再放送です。これは現在見ていません

2014年7月再放送が始まりました。朝10時57分から

「 チャン、オクチョン」

 19代粛宗のきさき チャン、ヒビンのこと チャン・ヒビンは悪役になっていることが多いが、ここでは一転していい役になっている。確かにいろいろな派閥の戦いがあり単純にどちらがいいか悪いかいえないものが多い。

2015年6月再放送。チャン・ヒビンは韓国では3大悪女となって居ます。王の命で、毒殺されます。立場を変えて、主人公となると変わってきます。イ,ニョン王妃は西人派、チャン・オクチョンは南人派です。トンイもこのドラマでは、位置づけが違います。

「DR-JIN]

テジョヨンの代わりにはじまった。日本のJIN-仁のリメーク版。それも再放送です。見る気がしません終了しました

テジョヨン」

 これは再放送でした。高句麗が滅び、後継の国「渤海」国が生まれるまでのはなしです。これは、ずっと見て居ましたが7月22日終了しました。

 「大王の道」  13時から (全34話) 8月の新番組

  原題は「大王」。1998年からMBCで放送された作品です。監督は、イ、ビョンフォンです。2013年8月29日に第一回がスタートしました。放送の時間は13時からです。李朝朝鮮時代の英祖の息子である思棹(サド=ヘンがリッシンベン)世子を主人公としたものです。正祖(サン)の父親で、政争により英祖により殺されます。

 「太陽人 イ・ジェマ」      13時~

   朝鮮時代の有名な医者の物語 再放送です 「大王の道に代わりました。

 平日18時から薯童謡(百済の王)が再放送されています。終了しました。

  (薯童謡はBSスカパーやひかりテレビなどで12月放送中です)

 「アラン使徒伝(サトデン)」

 同じ局で放送して終了していたものをまた10月6日から再放送です。平日朝9時~

 朝鮮王朝時代の現世と冥界にまたがってのお話し。イ。ジュンギ

   シン ミナ主演 少し見たのですが、あまり面白くないのでやめました。

 「剣士ペク・ドンス」 全29話 平日17時から、10月から始まりました。

  イ・サンを守った実在した強力な男

 10月31日終了しました。2013年6月からまた再放送です。終了

 「宮廷女官 チャングムの誓い」2013年1月6日より 平日13時より

   NHK-テレビ東京ーBSジャパンと次々にテレビ局を変えて放送されます

   また再再々放送です

 「薯童謡」 2013年平日13時、これも一体何回目の再放送でしょうか。終了です

B S イレブン(11)

「薯童謡」 午後7時から

『スベクヒャン朝4時から

「チャングム」

『スベクヒャン」 午後4時59分より 再

「夜叉」ヤチヤ 午後8時より 再

「宮廷女官チャングムの誓い」

 2016年9月2日午後7時より、新聞の放送欄には新番組となっています5回目の再放送です。

「王の女」

午後7時より 1591年宣祖の時代、正室に子供はいず、臨海君や光海君などが争う。女官のキム尚宮は、光海君を王にすべく策動する。全36話。 終了

平日 15時30分 「朱蒙」ソンイルグク やっていますが何回目の再放送でしょうか

 これは5月1日終了しました。

日曜 8時 「風の国全36話 ソンイルグク主演 朱蒙の続きの話 再放送です終了です

4月4日(水) 平日19時より 「名家」が始まりました。韓国の慶州で300年続く名家を作り上げた男の物語とのこと。これは初めての放送のようです。終了しました。現在朝11時から再放送です。終了しました。

 「風の絵師」 日曜日朝8時から 朝鮮王朝 再放送です 11月27日、放送中です。

 11月4日第12話です。12月30日 最終回です。

 2013年7月から再放送です。11時より

「大王世宗」 平日13時~ 再放送です。

B S 12 Twellv トゥエルビ

「大王4神記」

「階伯」ケベク

「善徳女王」再 新羅女王

「海神」(へシン午後5時から 海洋歴史超大作

「快刀ホンギルドン 午後4時より 再放送

「朱蒙」17時より 再放送

「チャンオクチョン」

 再放送 終了

「快刀ホンギルドン

再放送

DR,JIN 

 2016年再放送

「チャン・オクチョン」

 再放送

 アラン使徒伝」

 2015年4月再放送です。6月終了です。

シンイ

再放送です、2015年1月 このテレビ局では珍しい

2月末終了したようです

2015年7月9日 再放送開始です

地方テレビ他

TOKYO MX

テレビ埼玉

チャングムの誓い

千葉テレビ

大王の夢

推奴 チュノ

TVK(神奈川)

スカパー

数多くの韓流ドラマをやっています

KBS WORLED スカパー791韓国のNHK

  韓流ドラマ50%

Mnet Japan スカパー792 韓流ドラマ30%

KNTV スカパー331 韓流ドラマ 54%

アジアドラマチック 韓流ドラマ 70%

DATV 韓流ドラマ 45%

SO-Net スカパー749

女性チャンネル スカパー372 韓流ドラマ50%

ホームドラマチャンネル スカパー362

銀河  305 韓国、中国ドラマ 最近はよく見ています

 千秋太后 2017年8月 見ています

◎韓流ドラマの率は2015年4月の比率です

◎ 放送中の番組の数の変化

 2012年1月時点で以上私の知る限り韓国歴史ドラマは11本でした。昨年8月のときには13本ありましたから少し減っています。ちなみに、現代ものの韓国ドラマは14本です。BS朝日が4本、BSイレブンが4本と多い数です。2011年、9月フジテレビがあまりに韓国ドラマをやりすぎているというので反対でもが起きています。その影響もあるのでしょうか、一時に比べると特に歴史ドラマは減っています。                                      

 3月28日現在、韓国歴史ドラマは私の知る限り、7本ほどに減ってしまいました。その後見落としがありましたのでプラスして9本でした。昨年の8月は13本でしたから、最初に書いたように半減はしていませんがかなり減っています。楽しみが減りました。

 2012年、9月13日現在 放送中のものは13本に増えました。また増えてきたようです

 10月9日、13本でした。 11月6日 11本です。 11月27日9本に減少しました。

 どんどん減少しているようです。12月28日、年末に入れ替わりということもあり4本と極めて浮くなくなっています。

 2013年1月25日、一斉にスタートして8本になりました。でもピーク時に比べるとだいぶ減っています。

 2013年4月14日 放送中のものは8本です。ただそのうち新しいものは「太陽を抱く月」と「武人時代」だけです。他の6本はすべて再放送です。現在は私は一本しか見ていません。同じものをまた見る気になれません。安易に再放送ものばかりを出しているうちに、せっかくのファンに飽きられてしまいます

  2013年10月31日現在放送中の韓国歴史ドラマは筆者の知るかぎりで10本です

 2014年7月 放送中の韓国歴史ドラマは6本です。それもほとんど再放送です。前に比べ大幅に減っています。

 2014年12月は、放送中は5本ほどになりました。下のスカパーなどでは、放送していますが略します。

 2015年1月は10本に増えました。だいぶ本数は増えてきて居ます。

1月23日12本となりました。又増えてきました。

2015年4月は7本に減りました

2015年7月10本です 一般放送とBS放送の合計です。

2015年9月7本です 2015年11月9本です

2016年1月 8本です うちBS日テレが3本です

2017年1月8本です うちBS12が2本です

CS放送

 スカパー!やひかりTVなどを通して、韓国のKBS放送などを見ることができます。

 具体的な内容は、ここでの紹介を略します。

朝鮮王朝  506年続く

「大風水」朝鮮王朝成立のころ  イ ソンゲと有力な風水師の話

「六龍が飛ぶ」イソンゲとイ・バンウォン

1代 太祖(李成桂 イ ソンゲ) 在位期間  6年  

 1393年 高麗を倒し王朝成立 

  ドラマ「龍の涙」BS日テレ面白い 4代世宗まで

2代 定宗  太祖の二男  2年 位を弟の太宗に譲る

3代 太宗  太祖の五男  18年 「龍の涙」(159話)の主役 バンウオン 

 「太宗大王」日本では未公開 強力な指導力で王権を高め朝鮮を安定 させる

 「イニョプの道」

 2011年9月 「龍の涙」BS日テレ 今まで金曜日の夜21時にやっていましたが、9月から平日の朝の放送毎日に替わりました。これも長過ぎて少しあきられてきたのではと思います。私もあまり熱心に見なくなりました。2011年10月終了しました。

「根の深い木」

4代 世宗  太宗の三男  在位32年 

  ドラマ「大王世宗」朝鮮王朝で最も尊敬されている王とされています。文治政治で安定させる お札に描かれたり軍艦「の名前になったりしている。ハングル文字の作成など

 4人の聖君の一人   ドラマ「王道」ホングギョンの話 「チャン・ヨクシル」(伝説の科学者)                       

5代 文宗  世宗の長男  2年 名君とされていますが(「王と妃」)即位二年で病弱で死んでしまいました。

6代 端宗  文宗の長男  3年  12歳で即位1453年のクーデターで

 世祖に譲位するが、王の復活運動があり、それを名目に殺される

 「王女の男」

7代 世祖  世宗の二男 13年 ドラマ「王と妃」(全186話)の主人公 首陽(すやん)大君 平日16時から最も、興味深く見ていました。世宗の兄である元世子、譲寧(ヤンニョン)大君が世宗の死後も健在で、大きな役割を果たしているのが興味深いものです。世祖の長男の后である、のちの仁粋大妃(インステビ)が実権を握る 2011年9月5日BS日テレ 163話(ユン氏自決) 広範長すぎてあきてきました。

 「チョン・ドジョン」首陽大君と対立、殺される。左議政となり、一時実権を握る。

  ドラマ「ハンミョンフェ」(上記のハン氏世祖即位に貢献する)                           世祖は実力があり善政を行ったが多くの人を殺したのでいまいち評判が良くない

 「王女の男」 2012年7月「トンイ」に代わりNHKBSプレミアムで放送する。

 「インス大妃」チェ・シラ主演

8代 睿宗  世祖の二男  1年で病死

 ドラマ「死六臣」日本未公開 端宗に殉じて死んだ家臣

9代 成宗  世祖の孫   在位25年   「王と私」成宗に仕えた宦官キムチョソンの話

 成宗は朝鮮王朝4人の聖王の一人で学者(志林派)を登用し善政をおこなう

 文化は黄金時代を迎える 13歳で即位インス大妃が摂政 38歳で死去

10代 燕山(よんさん)君 

成宗の子  在位12年  仁粋(インスン)大妃に実母を殺される 実母を殺された恨みを果たす。暴政により1506年中宗のクーデター(中宗反正)で失脚 贈名をもらえなかった 30才で病死した

 「王と妃」

 ドラマ「王の男」芸人チャンセン                                   「王妃チャンノクス」朝鮮三大悪女 燕山君の妃 52話

11代  中宗  成宗の二男 在位38年  この王はいろいろなドラマに出てきます      「チャングムの誓い」 最初にヒット、大ブームとなりました 

「ファンジニ」有名な妓生のはなし                                              「女人天下」朝鮮三代悪女の一人ナンジョンの物語

12代 仁宗   1年  王に成ってすぐ病死     

13代 明宗   12年  12歳で即位  このころ「必殺最強チル」、「オクニョ」

       チョン・ナンジョンー悪役 ムンジョン太妃

14代 宣祖   在位41年   

 このころ「宮廷医師ホジュン」                       

1592年(宣祖25年)壬辰倭乱 豊臣秀吉の朝鮮侵略始まる

 ドラマ「不滅のインスンシン」李舜臣  面白い内容らしいが、日本が悪者で負けるような話なので日本で放送しにくいようだ 

15代 光海君  在位15年  宣祖の子

  ドラマ「宮廷女官キム尚宮」

  「王の女」 ケトン(キム尚宮の話) 

  「火の女神ジョンイ」高名な女性製陶師の話

  「王の顔」観相

  「華政」ファジョン

 光海君は身内を殺害し暴虐だとして贈名もらえなかった

 物語によっては名君になっている

16代 仁祖  26年   クーデターで即位(仁祖反正という) 

  父は定遠君[傍系)

  「花たちの戦い」 宮廷残酷史           

 ドラマ「イルジメ伝」 この時期、中国の清と戦いがあり(丙子胡乱)があり、                戦いに負けて屈辱を味わう 世子夫妻が清の人質に

このころ「推奴」(チュノ)奴婢と奴隷狩りの話 BSジャパン4月より 

17代  孝宗  10年 善政をおこなう  

18代  顕宗   15年在位 33歳で死去              

19代  粛宗  在位46年   

「チャンヒビン」朝鮮三大悪女の一人  いくつもドラマ作られる

2014年の「チャンオクチョン」は一転していい役になっている。                                       

「トンイ」2011年4月10日~ NHK BSで「イサン」の後放送される                           トンイはもっとも下層な身分から粛宗の側室となり英祖を生む                              2011年 NHKBS放送で 日曜の21時から 2012年6月終了しました。

20代 景宗 在位4年 粛宗の長男 チャンヒビンの子

21代 英祖 在位52年  粛宗の次男   「イ サン」「大王の道」

 実力者を登用する 4人の聖君の一人 52年ともっとも 在位が長い

 「大王の道」イ、サンの父

 「秘密の扉」英祖とサド世子との葛藤

22代 正祖 イ サン 英祖の孫 在位24年 ドラマ「イ サン」 

  NHKBSで放送後、現在NHKテレビで日曜日に放送中

  何度も暗殺の危機を迎える もっとも愛された王という

 「イサン」 「風の絵師」 「キム・マンドク」ー イ サンは4人の聖君の一人 

  「ホン・グギョン」 

23代  純祖  正祖の子  10歳で即位 在位 34年間 

24代 憲宗    在位15年    

25代 哲宗     在位14年1863年死去  

 「太陽人 イジェマ」著名な医師

26代 高宗   12歳で即位 在位14年    

  実権は大院君が 王妃は明成皇后(閔妃)            

 「済衆院」チュジュンウオン1885年韓国で最初の西洋式医院となる                9月BS11で放送中 終了

 ドラマ「明成皇后」 

 

1897年 大韓帝国 となる 高宗 皇帝となる 国号 大韓 

    ドラマ「名家の娘 ソヒ」    

27代 純宗   3年   朝鮮王朝最後の王  

1905年 統監府をおく 日本が韓国の実質的支配を

1910年 日本朝鮮を併合 朝鮮王朝消滅

★ 韓国の歴史は『マンガ韓国史』全3巻 2001年 図書刊行会

  『韓国歴史地図』 韓国教員大学歴史教育科 2006年 平凡社

  などで見ると大変わかりやすく面白いので、お勧めです。

★ 韓国歴史ドラマについて良くまとめられているものがあります。

 参考までにどうぞ 韓国時代劇一覧

  http://hanryumomo.web.fc2.com/kdrama/hd.html

★ 最近出版されて、大変よく売れている本だそうです。私も早速買ってきました。韓国歴史ドラマがお好きな方は、現在のドラマと関連付けられていますので、面白いと思います。

『古代韓国の歴史と英雄』 康 熙奉(カン ヒボン) 

         2011年10月20日 762円   実業の日本社

『朝鮮王朝の歴史と人物』 康 熙奉

         2011年7月25日  762円  実業の日本社

追記 : 詳しい資料は、これがお勧め

 韓国歴史 年表比較による韓国史 歴史ドラマ物語

 www.kampoo.com/jp/history/top.htm をご覧ください

それによれば、今まで韓国で放送されたテレビは KBSで44、MBCで23、SBSで16だそうです。そのほかにも他のテレビ局のものがあります。その中で日本のテレビ局で放送されたものが私の知る限りで、KBSで15、MBCで13、SBSで10本ほどです。そのほとんどがBS放送です。

2017年3月11日 (土)

韓国の歴史ドラマと歴史(1)高句麗、百済、から倭へ,ツングース系の流れ

2009年ごろの韓国歴史ドラマ 

 2009年9月の実用的人間学研究会で、「韓国歴史ドラマ」について話をするために、いろいろ資料を集めています。仕事をしなくなったため、昼間の時間が空いて、韓国歴史ドラマの多いBS放送を見られるようになりました。まえから「チャングムの誓い」などいろいろ見ていましたが。

 今放映中のものはTBSで、「宮廷女官チャングムの誓い」の再放送。BS放送では、NHK第2で、「イ、サン」(日曜21時)。BS日テレで、「テジョヨン」(毎日10時から)、「大王世宗」(毎日16時から)、「龍の涙」(金曜21から)。BS朝日で「韓流。必殺最強チル」(木曜19時から)。BSフジで 「風の国」(毎週木曜21時から)、朱蒙(ちゅもん再放送)(日曜22時から、他の時間再放送あり)などです。 「風の絵師」「王の女}は終わったばかりです。そのほかに、歴史物ではない現代ものが、歴史ものの倍ちかくありますので、いかに多くの人が韓国ドラマを見ているかということになります。

 韓国には主要テレビ局が3つあって、いろいろな韓国歴史ドラマを作ってきました。「チャングムの誓い」も「朱蒙」も、平均視聴率が40数%で、最高視聴率は52,7%という驚異的な数字が上がっています。お金も相当掛けていますし、セットも大掛かりです。ヨン様主演の「太王四神記」のセットはそのまま残されて観光名所になっています。

 いずれも回数がとても長く、「テジョヨン」は134話、「朱蒙」が81話、「イ・サン正祖大王}77話ととても長いのです。長くても話をとても面白く作ってあって次も見たくなるように作っています。佐竹も、今放送中の「テジョヨン」を、DVDを貸しビデオやさんで借りてきてみんな見てしまいました。いずれも韓国のテレビで、放映した後で、日本で見るわけですが、直接契約すれば韓国で放映しているときに見ることもできます。

 韓国歴史ドラマには、いろいろな人物が登場しいろいろな地名が出てきます。「朱蒙」では、扶餘(ふよ)という国があって、そこの王子だった朱蒙が、卒本(チョルボン)に行って高句麗国を作るのですが。漢の城の位置とか、相互関係がわからず、韓国歴史地図を買ってきて、ようやく位置関係がわかったのです。一番初めには、古朝鮮(衛氏朝鮮)という国があったのですが、漢によって滅ぼされ、漢の四郡が作られ朝鮮の民は苦しんでいました。(古朝鮮を疑問視する人もあります)南のほうは三韓の小国が分立していました。

高句麗の建国

 朱蒙は高句麗を建国しました。朱蒙は、朝鮮や韓国のひとにとってはだれでも知っている建国の偉人です。高句麗は今の中国東北地方(満州)と北朝鮮にまたがる強国で、中国と互角に戦い、高句麗と戦って疲弊した中国の王朝が倒れるということが続きました。高句麗には、鉄が生産されすぐれた武器を持っていました。「朱蒙」の次は「風の国」で、朱蒙の孫が主人公です。朱蒙も孫のムヒュルの役も、ソン、イルグクが演じています。高句麗の最盛期は、「太王四神紀」の好太土王で、侵略した百済と倭の連合軍を撃退したと碑文に書かれています。朱蒙の息子が南に下り、百済を建国したということになっています。同じころ新羅も建国されました。

高句麗系の百済(ぺくちぇ)

 百済の国については「藷童謡(そどんよ)」というドラマがあります。高句麗末期には、唐と戦った「淵蓋蘇文(ヨンゲソムン」というドラマがあり、「海神(ヘシン)」という貿易商を描いたものもあります。高句麗滅亡からそれを引き継いだ渤海国を作った「テジョヨン」のドラマにつながります。高句麗は何と700年近くも王朝が続いたのです。これは驚異的なことです。高句麗は内紛によって唐に滅ぼされました。渤海国も長く続きました。渤海国は中国北部から遼東半島、韓国の北部にまたがる大帝国でした。

新羅(シルㇻ)から高麗

 一時期、新羅が統一し韓国南部をおさめ、渤海が、北をおさめる時代が続きました。新羅は、新羅の武将だった王建が新羅を滅ぼして高麗王国を作ります。これは「太祖王建」というドラマでえがかれました。高麗の国というのは高句麗を意識して作った国です。このころ、渤海国も滅亡しました。「テジョヨン」も、「海神」も「太祖王建」も主人公はテェ、スジョンが演じています。高麗は仏教を大切にします。

『韓国歴史地図』 韓国教員大学歴史教育課 2006年 3,800円 平凡社

これは非常に面白い地図です。初めて、扶余、卒本などの位置がわかりました。

  (以後2に続きます)

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2009/09

2017年3月11日

韓国・朝鮮のルーツと、日本との関係などについて、少し書き加えて、更新してみました

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魏志倭人伝ごろの地図

 扶余、沃沮、濊(わい)などの位置がわかります。朝鮮半島南部は馬韓、辰韓、弁韓などの小国が分立していました。馬韓は百済に、辰韓は新羅に、弁韓は伽耶などに変わります。朝鮮半島の中央部は楽浪郡などの中国の郡がおかれていました。

旧満州、中国東北部にルーツを持つツングース系のイエメク族・ワイ族(濊)などはバイカル湖周辺から旧満州地域、北朝鮮地域に住んでいて、色白、面長、細く吊り上がった眼(いわゆる狐目)をしています。農業や漁業もやっていましたが、牧畜や狩猟なども行っていました。

 古くは勿吉(モッキチ)とよばれ、高句麗建国の前には、沃沮(ヨクソ)や扶余(フヨ)の国がありました。伝説によれば、扶余の王子であった朱蒙が高句麗を建国します。朱蒙の息子がさらに南下して百済を建国したと言われます。このころ中国東北部から沿海州などが寒冷化し南下したともいわれます。男女の服は曲領(まるくび)がとくちょうだったそうです。またツングースだけでなく、モンゴル系の影響もあったと言われます。

 西暦32年に後漢の光武帝が高句麗を認めました。高句麗の隣国としての扶余は494年に滅びました。光武帝の時倭国が朝貢に来て、光武帝に会っています。

 古代朝鮮は初め小国が分立していた。辰韓が新羅に、馬韓が百済に、弁韓が伽耶となる。

238年に魏志倭人伝で卑弥呼のことが出てくる                                   

346年百済 近尚古王即位 371 高句麗王を殺す  660 百済滅亡 663 白村江の戦い

676 新羅朝鮮統一 698 靺鞨人のテジョヨン高句麗遺民と共に渤海国成立 928 遼、渤海を滅ぼす

満州民族は10世紀ごろから靺鞨(マルガリ)族 その後女真族は1115年 遼から独立し金(女真系)を建国する。

1234 元(モンゴル)の支配をへて 1636 清(女真系)の建国

朝鮮王朝の成立において、太祖イ・ソンゲは女真系といわれる。

◎ 朝鮮半島にはいろいろな人たちの影響があります。

朝鮮の人たちのルーツはY染色体の型でわかります。

O2-M122 東アジア全体に存在 中国の影響  41%

O1b2-M176 琉球を含む日本列島から朝鮮半島 31%

C2-M217 北アジア(カザフ、モンゴル) 14%

その他の地域14%

 高句麗・百済の支配階級はツングース系である。新羅は別系統。高句麗、百済は言葉の終わりが母音で終わる。新羅は子音で終わる。南朝鮮の伽耶などは南方系の倭の系列である。前方後円墳が日本にも南朝鮮にも存在する。朝鮮の人たちの顔は、日本人と同じように支配層が、ツングース系でお雛様顔で、庶民は丸顔である。

 日本の王朝ははじめ伽耶系(仁徳天皇など)、あとで百済系(継体天皇)に変わる。日本ははじめ倭人の縄文系の人たちであったが、北九州から近畿地方にかけて伽耶系そして百済系の渡来人たちが多くなり、混血して日本人となる。日本の支配層としての渡来系の百済などの人々。お雛様の顔で、庶民の顔は丸顔である。

北方のツングース系の人々、のっぺりした細面、面長で色白、体毛が少なく、目がつり上がった狐目の人々が、朝鮮では両班などの支配者層になり、日本でもお雛様顔、公家顔が日本の支配層になった。朝鮮でも日本でも丸顔か四角い顔、目が大きく、色黒、彫りが深い毛深い人たち、いわゆる縄文顔の人たちが被支配層になった。

◎不十分な追記なので後で充実させます。

2014年6月26日 (木)

奴隷制度と人身売買ー韓国ドラマも参考に 光宗大王、チャン・ノクス、広開土太王追加版

2014年6月追記版  

2013年2月24日 追記版 「光宗大王」の奴隷解放

 毎日欠かさず見ている韓国歴史ドラマの一つにBS朝日の「光宗大王 帝国の朝」があります。高句麗、新羅、百済の三国時代の抗争から、909年韓国・朝鮮を王建が統一し高麗を建国しました。このドラマは原作では200本ととても長いもので、日本では180くらいにちじめられていました。それも私はずっと見てきましたが、「光宗大王」はその後の高麗の時代をドラマ化したものです。ちなみにBS日テレでさらにその後の高麗の戦乱の時代をえがいた「武人時代」も見ています。

 光宗は初代王の王建の三男であったが、兄の死のあと4代目の皇帝となりました。二代目三代目の皇帝は、王建を助けた大豪族が実権をにぎり、王権は極めて狭められていました。豪族はそれぞれの地方を支配し、奴婢(奴隷)を私兵として抱え、いわば独立国家のような状態でした。

 光宗は、一つには「奴婢按検法」を制定し、三国時代に戦いに負けた兵士やその家族などを中心として、人口の半分ぐらいを占め利用な有様でした。その奴婢を大豪族は私有財産として、田畑を耕させた私兵としていました。一般の平民は少なく国の税収はわずかでした。光宗は始め大豪族に従順なように見せかけしだいに体制を固め、一気に「奴婢按検法」を制定したのです。戦争などにより奴婢となったものは役所に届け出れば平民とするというものです。そのことにより、豪族の所有する奴婢は半減し、新しい民は兵士になるか土地をもらって耕作できるようになりました。それで国に入る収入が増えるわけです。また科挙制度を導入し、豪族の子弟だからと高位についていたものを学問の力によって選定しようとするものです。これらにより大豪族の地からは大きく抑えられ、高麗の国は安定しました。しかし光宗の死後また豪族はしだいに力を得てくるようになってしまいました。

2012年9月7日追加

 このブログは最初に書かれたのはだいぶ前なのですが、ほとんど毎日のアクセスがあります。2012年8月から韓国歴史ドラマ「広開土太王」が始まりました、平日午後4時からBS日テレで放送されています。9月5日(水)の番組のテーマは「犬闘」でした。若きタムドクが、奴隷商人につかまり、「犬闘」と言う奴隷どうしで、死ぬまで戦わせ、どちらが勝つか書けるというものです。ちょうどローマの剣闘士と同じようですが、剣闘士に比べて、待遇は劣悪で、ただの殺し合いの材料になっています。戦争が続いている時代には、国が滅び、大量の難民が出ます。そうすると、奴隷商人が難民を捕まえ、奴隷にします。韓国朝鮮では奴隷もしくは奴婢と言うのは、公然とみとめられていたので、そういう商売が成り立つのです。後でも書きますが、日本では公然とした奴隷としての売り買いはみとめられていまsんでいたが、戦乱の時代には、国内でもあるいは国外にも大量に売られました。

 今でも、ときどき新聞にフィリピン女性が売られて、売春させられていて、それが保護されたなどの記事が目につきます。

このブログのもとは2009年10月6日に書かれたものですが、2012年3月にもまだかなり読んでいただいています。現在、BS日テレの平日16時から「王妃チャン・ノクス 宮廷の陰謀」という韓国歴史ドラマが放送されています。チャン・ノクスは朝鮮王朝で三大悪女(妖女)といわれています。

 このドラマでは、朝鮮王朝における賤民(奴婢、奴隷)のひどい状況が良くわかりますので、追加として書いてみます。

 まずチャン・ノクスは貴族階級である両班(ヤンパン)と、そこで働いている賤民の母親との間に生まれました。チャン・ノクスの父親が賤民である母親のいる部屋に来て犯し、チャン・ノクスが生まれます。賤民の女性は拒否できません。そしてチャン・ノクスはひそかにかくまわれて生まれますが、しっと深い両班の奥方により、母親は殺されてしまいます。賤民はあくまでも主人の持ち物であるので、殺しても法の裁きを受けません。チャン・ノクスの父親は弱くて何も言えません。そして、娘のチャン・ノクスは賤民の扱いを受けます。その後チャン・ノクスは結婚して子供もできますが、その家を離れ、娼生(キーセン)となり、朝鮮国王燕山君に見染められます。それ以後は燕山君とともに、暴虐な行いがあり、悪女といわれるようになりますが。賤民の厳しい立場が良くわかります。

 もう一つは同じ、「チャン・ノクス」で、燕山君の側近の宦官として権力をふるう、キム・ジャオンについてです。キム・ジャオンは貧しい家の息子で((賤民だと思います)、宮廷の宦官であるキム内侍に金で買われ、養子になります。宦官は男性機能をなくしてしまうから養子をとるしかないのです。キム・ジャオンは養子になるときに、男性機能を失います。宦官は子供を作れない代わりに権力や金銭を追い求め、政治の腐敗の元になりました。

奴隷とは、人間を人間として扱わず、物や家畜と同じように売買し所有するものです。奴隷制度とか人身売買なんていうものは、ずっと過去のもので、現在は全く関係ないとおっしゃる方は多いと思います。実際はどうでしょうか。

日本において

 日本においては、すでに邪馬台国以前から、奴隷(東洋では奴婢といい、奴はおとこ、婢はおんなです)の存在が記録されています。律令制の時代には、人口の五%が五色の賎といわれていました。平安時代には、人を略取(人さらい)して、人身売買するのが増加しました。有名な「安寿と厨子王」はこのころの話です。中世には、人身売買が、ひとつの産業として定着する有様でした。南北朝の内戦期には、倭寇が朝鮮や、中国で奴隷狩りをしました。日本の戦国時代には、戦闘により、相手の国の領民をとらえる、「人取り」が横行しました。「人取り」は最も割りの良い戦利品で、日本人は高く売れ、日本人奴隷は、ポルトガル商人により世界中に輸出されました。おそらく、ポルトガル商人にとっては、キリスト教信者でないものは、人間ではないと思っていたと思います。関白豊臣秀吉はその実態を知り、バテレン追放令を出した大きな理由となっています。

 江戸時代には、「人さらい」は死罪となり、奴隷身分は禁止されましたが、エタや非人と呼ばれる、被差別階級はのこりました。しかし、年貢を上納するための娘の身売りは認めました。いわゆる「人買い」が横行したのです。また、前借り金による青少年の年季奉公(奴隷労働)も継続しました。明治以降、日本人女性が、「からゆきさん」として東南アジアにたくさん売られていきました。また、資本主義時代には「蟹工船」に見られるような、新たな奴隷労働も生まれました。明治になって、ようやく、1870年に外国人への児童の売買を禁じ、1872年に芸娼妓解放令を出しましたが、不完全でした。

日本において、人身売買が全面的に禁止されたのは、戦後のことであり、「人身売買および、他人からの売春からの搾取の禁止」の条約は1949年にようやく発効しました。「人身売買罪」を新設したのは、2005年6月のことです。日本には、東南アジアや、南米から、売春のために売られてきた女性がたくさん存在しています。アメリカ国務省の「人身売買報告書」では、2005年に日本はようやく、「監視対象国」から、「基準に満たないが努力している」に変わったのです。しかし、日本は、「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」を批准していないため、国連が2000年に採択した同条約の、「人身取引に関する補足議定書」も公式に批准していません。

 世界中を見てみますと、ネパールの貧しい女性をだまして、インドなどの売春組織に売る大がかりな組織があります。また、北朝鮮の女性を、脱北を手助けすると称して、売り飛ばすということも行われています。さらには、臓器移植のための、人さらい、人身売買など、今でも大量に人身売買や、奴隷労働が行われています。

韓国、朝鮮では

 韓国には様々な奴婢階級が出てきます。韓国歴史ドラマでも、いろいろな奴婢が出てきます。高麗から1392年に始った、朝鮮王朝は奴婢階級が重要な役割を果たす、奴隷社会でした。李氏朝鮮では、人は、良民と賎民とに分けられました。良民は、特権階級の両班(ヤンパン)や中人、常民です。賎民奴婢と最下層の白丁(ペクチョン、賭殺などに従事)に分けられました。さらに、奴婢は国家が所有する、官奴婢と私奴婢がありました。親のどちらかが奴婢であれば、その子供も奴婢になることになっていました。奴婢には人権はなく、殺すのも、売るのも、解放するのも所有者の気分次第でした。大体奴婢は今の金銭で1万円くらいで売られたそうです。自由に結婚することもできず、いろいろな悲劇が生じ、よくそれがドラマに出てきます。

 韓国ドラマで、大変評判になった「チャングムの誓い」では、チャングムは医女になりますが、医女は官奴婢です。妓生(キーセン)は国家が管理する技芸と売春をおこなう官奴婢です。いろいろな階層がありました。「ファンジニ」というドラマでは、朝鮮で一番というファンジニという妓生が主人公でした。医女は後世、妓生とほとんど同じようになってしまいました。官奴婢には、税を徴収するものとか、国営の牧場で牛馬を飼育するものなどがありました。今度、「推奴(チュノ)」という、奴婢から逃亡した主人公とそれを追いとらえるもののドラマが来年1月から始まります。ドラマ「大王世宗」でも、不当な理由で奴婢となったものを調査して、領民に戻す役所のことが出てきます。また、ドラマでは、チャン、ヨンシルという、奴婢のため、その家のお嬢さんと恋仲になっても、思いが遂げられない、という話が出てきます。

 朝鮮では、ほかに巫堂(ムーダン、巫女)や僧侶も賎民扱いされていました。私奴婢は、農民で年貢が払えなくなって没落したものを、地主が奴婢にしたものが多いのです。朝鮮の大豪族は広大な土地を所有し多くの奴婢を働かせていました。「大王世宗」では三代国王の太宗を即位させた創業からの功臣で、総理大臣に当たる、ハ、リュンが広大な私有地と2000人(500人とも)の奴婢を所有していたとして罷免されています。朝鮮では、1801年にようやく官奴婢制度が廃止されましたが私奴婢はのこりました。

 そして、完全に廃止されたのは、なんと、1910年の韓国が日本に併合された年でした。韓国が、一時日本に後れをとったのは、日本にくらべ、奴隷制を含む身分制度が、社会の発展を阻害したと思われます。

2014年6月26日追記 

『人身売買・奴隷・拉致の日本史』

  渡邊大門 2014年4月10日発行 柏書房 2200円+税

    帯封の宣伝に書いてあるもの

 日本人が日本人を襲い、日本人が中国人・朝鮮人を襲う。そんな暗黒の時代が確実に存在したのである。

 3万7千人もの朝鮮人が島津氏領内に拉致された!?

  (強制的に奴隷として日本に拉致された朝鮮人は、主に九州各地に住んでいたが、島津氏の領内にはその数が3万7千人にも及んだという。彼らは陶磁器の製造を行った。

 日本人の人買い商人のうち、あるものは自ら朝鮮半島に渡海して奴隷を買いあさり、またある者は日本国内でポルトガル商人に転売して巨万の富を得た。

 彼ら奴隷は牛馬のように肉体労働に従事させられた。)

日本人奴隷は、ポルトガル商人によって東南アジア・インド‣ヨーロッパ売り飛ばされたが、悪いのはっ売ってくる日本人である!?

 奴隷になったほうが、生活が豊かになったこともある!?

各章の内容

第1章 奴隷・人身売買の黎明

第2章 室町・戦国時代の人身売買

第3章 世界を駆けめぐった日本人奴隷

第4章 文禄・慶長の役と拉致

詳しくは後で付け加えます。

 

2014年6月 5日 (木)

小説『人相食む』における故事一覧 『後漢書』はおもしろい(その1)

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追記:2014年6月6日、その1とその2とともに載せなおしました。1と2は分ける必要がありませんでした。

このブログははじめ2011年に書かれたものです。

右から中華書局版全12巻(中国)。あとから出版された 真中が岩波版 左が汲古書院版です。ほぼ同時に日本で全訳がだされました。汲古書院版は現代語訳がついています。

私が、書いている小説『人相食む』では、正史『後漢書』と王充の『論衡』の資料などをもとに書いています。『後漢書』は後漢の班固の書いた『漢書』に比べて劣っているとみられていました。『後漢書』は様々な人が書いています。その中で最も有名なのが宋の范曄(ハンヨウ)の書いたものです。『後漢書』は『漢書』に比べ、和訳されたのが大変遅く、2001年に岩波版と汲古書院版が相次いで出されました。それまでは、私は中華書局版を買って自分で訳しました。ただ部分的には、「光武帝紀」とか「第五倫伝」などの訳はありました。

 『後漢書』は大変面白い内容で、日本の知識人で読んでいる人は昔から多かったのですが、和訳がなかったためでしょうか、今までの日本ではその時代の小説はあまりありませんでした。『三国志』関連の小説に比べて極めて少なかったのです。宮城谷氏の『草原の風』(主人公は光武帝、読売新聞連載中)などこれからだんだんできてくるかもしれません。(現在、上中下で発売されています)

 『後漢書』には今私たちがよく使う、故事やことわざがたくさん入っているのです。私の小説では、それを王充の『論衡』の話とともに取り入れました。

 以後、その内容について書いていきます。

「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」                                        班超は、思い切って敵陣に潜入して勝利した。その案が危険だといったものに対していった言葉。班超は班固の弟です。

「井の中の蛙、大海を知らず」「井底(せいてい)の蛙」                    すでに昔から言われていた) 班超が「臘西(ろうせい)」の支配者は井の中の蛙で、世の中のことが全く分かっていないといった

「百聞は一見にしかず」                                               漢書に書かれた言葉だが、班超が西域攻略のときに発した言葉

「敵はわが眼前(中)にあり」                                        馬援は敵の陣地や人のありようを、米粒を積んで光武帝に見せた。それを感嘆して光武帝が発した言葉

「臘(ろう)(西)を得て、蜀をのぞむ」                                  光武帝と馬援のはなし、臘西を占領すると今度は次に地つづきの蜀が征服したくなるという話 

「かくしゃくたるかなこの翁は」                                               年老いているから、もう戦争に行くのは無理ではないかという光武帝の言葉に、馬援は颯爽として馬を乗りこなして見せた。それを見て光武帝がたたえた言葉

「薏苡(よくいーハト麦のこと)のそしり」                                    馬援が南方征伐に勝利してかえって来た時に健康のために、ハト麦を車いっぱい積んできました。それを金銀財宝を私物化していると、ありもしないことを、讒言したたとえです

「中庸、まことは天の道なり、これを誠にするは人の道なり」                     光武帝の政治の基本理念です。バランスのとれた誠実な政治を光武帝はめざしました。

「柔よく剛を制し、柔なりといえどもかならず強し」                                        老子の言葉からとってきた言葉ですが、私(光武帝)の政治は、強引な政治を行わず、優しい、柔和なものにします。しかしそのような政治のほうが力を発揮するものです。

「元元(げんげん)Iをもって首となす」                                                光武帝の基本的な政治理念。民衆こそが最も大切である。この考え方を明帝以後の皇帝に徹底させ、かつてない善政が行われました。

「天地の性、人を尊しとなす」                                                     光武帝の詔勅に現れた言葉。この世の中で人ほど大切なものはない。人間を大切にする政治を行わなければならない。奴隷解放の詔勅に用いられた。 

 その2 に続きます

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2014/06/post-dbf4html                         

第五倫 小説『人相食む』の主人公 2014年6月5日追加版 2011追加版

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 このブログははじめ2011年に書かれたものでしたが、小説『人、相食む』を完成させなんかしらのかたちで人々に読んでいただこうと、ほかにも書いたブログとともに2014年6月5日に移し替えたものです。これに後日新たに書きくわえます。

ようやく『第五倫」の画像を入れることができました 上の画像はまだ若いころの像です。 下の画像は三公になって以後の像と思われます。小説の主人公なので、なんとか画像を手に入れたいと思い、中国で探したこともあります。

この画像は『国華』国華社発行の1028と1029号に画かれていたものです。1979年11月、12月号

『賢聖障子の研究』川本重雄氏ら によるものです。仁和寺にある像を基にしています。中国では名臣の肖像画を宮廷のもっとも重要な部屋に必ず飾ることにとになっており、日本でも紫宸殿に肖像画が描かれてきました。

そのほかには、白髪のかなりの老人になった画像もありましたが像が小さく写せませんでした。

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これは小説を保存した、CDです。簡単に複製できます。

王伯人とはこの小説を書くにあたってのペンネームです。リッチテキスト方式で364ページです。

筆者は、『人、相食む』という小説を10年がかりで書いています。(2014年には14年です)がかりその小説の主人公は、後漢初期の、優れた政治家であった、「第五倫」です。第五という姓は大変珍しいものですが、前漢初期に、戦国時代の斉の国の国王である田氏の一族を、長安の都に転居させたとき、5番目に来た田氏ということで第五氏となづけられました。第五倫については、『後漢書』の中の「第五倫伝」に書かれています。

 さて主人公の第五倫は西暦1年ころに生まれました。そのころは前漢を滅ぼした王莽の新の国が戦乱で乱れ、赤眉の賊などが荒らしまわっていました。第五倫は早くに父をなくしてしまいましたが、まだ20歳くらいで、一族のものを守って、砦を築き、赤眉の賊などの襲撃を撃退してきました。大変な弓の名人だったそうです。そして、当時は人が人を食べるような、悲惨な状況の中で、一族と食べ物を分け合い、生き抜いてきました。なにしろ、西暦2年の前漢末の人口が5959万人、それが西暦25年に光武帝が即位したとき1400万人に減少したのです。わずか20年の間に、4分の1以下4600万人も減少したのです。それには、食べるものがなくなり、人が人を食べたこと(人相食む)も大きく影響しました。中国の正史は、いつどこで「人相食む」があったかを記録し続けます。

 長安の役人である「鮮うほう」に認められ、長安の小役人になります。能力はあるのですが、あまりに清廉潔白であるために、上司に煙たがられ出世しません。その後、郷(村)の役人その後再び役人として、長安の市場の役人となり、大きな実績を上げますが、やはり上司の間違いを正したりして、煙たがられ、認められず、不遇でした。西暦51年、46歳になったときようやく孝廉にあげられました。同じ役人でも高級官僚になれる長吏となれない小吏とは大きな差がありました。2000年前の当時では46歳では普通、もう死んでしまう年齢です。

光武帝、二代の明帝、そして三代目の章帝の政治は、建武、永平の治とよばれ後代に模範とされる善政の時代でした。建武の名は、日本でも「建武の中興」として使われました。光武帝は「元元(げんげん)をもって首とす」(民衆こそが最も大切である)としてさまざまな政策を打ち出します。思い切った無駄な役所の削減、周りの国と友好関係を結び国内の内乱もなくなったため常備軍を廃止しました。それらにより大幅な経費節減が実現しました。そしてその結果大幅な減税を行いました。軽い税は庶民の懐を富ませ、購買力が高まります。さらにさまざまな産業の推進、奴隷解放、清廉な役人の採用などの政治をおこないます。その結果、建武2年(西暦26年)の「関中餓え、人相食む」というのを最後として、人が人を食べるということがなくなりました。中国の歴史が始まって以来清朝末まで10数年に一回あった「人相食む」がその後80年間なかったのです。これは不景気で苦しむ今の日本でもお手本になることではないでしょうか。

 孝簾にあげられてから、2年後第五倫は光武帝と直接会い意気投合し、二日間語りとおしたと言われます。そして、県令として任地に行く途中に、大きな郡である会稽郡の太守になるように、追いかけての指示を光武帝が出しました。いかに高く評価していたかがわかります。会稽郡の都である山陰(紹興)では、若い鄭弘や謝夷吾を抜擢します。鄭弘は後で三公の一人太尉になり、謝夷吾も大活躍し、やはり三公の司徒に推薦されます。第五倫は任地の会稽郡の中で、民の暮らしをよくし、人々にあがめられ、連座して都に呼びだされたときには、数千人の民衆が無実を訴え長安に押しかけました。直接皇帝が調べ無罪となりましたが、その後しばらく田舎暮らしをしていました。

 68年,63才になって、又召し出され大きなぐんである蜀郡の太守になりました。そこで再び大きな実績を上げます。また多くの素晴らしい人材を見つけ出しました。よく人を見ることができるということで「知人」と称賛されていました。さらに、75年に三代皇帝、章帝に招かれ、いきなり三公の一人、司空(財務建設関係担当)となります。当時70歳です。現代のわれわれでももうとっくに定年になっている年です。その後11年間、81歳になるまで、ほかの三公が次々と交代するなかで、ひとり司空を続けます。いかに多くの信頼を受けたかがわかります。飢饉の際には手際よく、救助の手はずをし、80年間「人相食む」ということがない、素晴らしい時代を支えてきました。哲学者の王充は大いにその実績をほめたたえました。ちなみに、人口は、75年章帝即位のときには3412万人、和帝即位の年には、4336万人と人口は急速に回復して行きました。105年和帝が死んだときには、5326万人と前漢の人口のピーク時に近付きました。しかし、世のみだれとともに、人口は再び減少していきました。

 第五倫は、あなたは私心というものがないのですねと言われて、とんでもない、昔兄の子が病気の時には、何度も見舞いに行きましたが、そのあとはぐっすり眠ったのです。しかし自分の子が病気の時には、心配で夜も寝られませんでしたと。 また、自分を推薦してくれたら、素晴らしい馬を差し上げるといわれて、その話には、乗りませんでしたが、いい馬でほしかったなー、とあとで夢の中で見るようでした。そんなことでは私心がないとはとても言えませんと、言ったといわれています。

 ところが章帝の妃の兄、竇憲(とうけん)の陰謀により、太尉の鄭弘が失脚します。そのことにより、謝夷吾の司徒も実現せず、謝夷吾の王充の推薦も実現しなくなり、一気に外戚の横暴が始まります。第五倫は職をはなれました。その後章帝もおそらく暗殺されたと私は思います。その子の和帝が幼くして即位します。しかし実権は外戚がにぎり悪政のかぎりをつくしました。しかし和帝が大きくなったときには、竇(とう)憲の一族を壊滅し、皇帝親政を行いました。ところが105年に和帝が死去した後、わずか生後100日の乳児を皇帝に立てました、そして、外戚や宦官はふたたび私腹を肥やす政治を始め、106年には、48年間なかった、農民の反乱が始まり、107年には羌賊が反乱をおこし10年も続き、財政が破たんしました。108年には、ついに、「河間飢饉、人相食む」と正史に記載されました。以後疫病の発生イナゴの害、日照り洪水が起きて人々は苦しみました。しかし清廉なる役人はまだのこり外戚や宦官と戦いました。それで、184年の黄布の乱が始まり、「三国志」の世界に入ります。そして220年に魏の文帝が即位し漢はほろびました。

小説「人相食む」はこのように、第五倫を中心とし、光武帝からはじまる4人の皇帝、謝夷吾、鄭弘、王充などの人たちが活躍する、後漢初期の100数10年を描いた小説です。ですから文章の量も多くなり登場人物も大変多くなってしまいました。まだまだ不十分なところがありますが、内容を高め、世に出してみたいと思っています。

 日本でも、今人口が減り続けています。人口がこれほど減少しているということは、自公政権の悪政によって引き起こされたものです。民主党連合政権が「子供手当」などをつけ、人々の暮らしを良くすれば人口は増えてきます。ヨーロッパの国の中では、政策の変化で人口が増加に転じています。

 追記  第五倫の肖像画をずっと探していました。昨年京都国立博物館での皇室の宝展で、「賢聖の障子」(けんぞうのそうじ)をみることができました。その像によれば、おそらく年は80歳くらいで、かなりの高齢ではあるが、眼はケイケイと輝き厳しい顔立ちをしていました。ほかにも筆者が変わると、まだ若い穏やかな顔立ちの50歳くらいと思われるものがあります。またうんと高齢者で白髪、白いひげのかなりの老人に描かれたものなど、その肖像画はいろいろ異なって描かれています。

『後漢書』と私の『人相食む』に出てくる故事について 第五倫などについても(その2)

 このブログは2011年12月24日にはじめ書かれたものです。2014年6月5日また最近号として提示しなおしました

『後漢書』に出てくる故事には、ほとんどの人が知っているものと、おそらくほとんどの人が知らないものがあります。後半では、初めて見る故事もあると思います。

「物色す」

 光武帝はお互いに貧しい時代の親友であった厳光をさがすために、似顔絵を描いて全国にさがさせました。現在でもいろいろ探すことを物色するといいます。

「山高水長」

 よく習字の題材になる言葉です。光武帝はようやく見つけた親友の厳光がその知識や得が優れていることに感心し、高い冠位につくことをすすめました。しかし、厳光は気楽な生活が良いと断りました。ただ友人として気楽にあえれば良いと。宋の時代の詩人である范仲淹は「先生の風、山高く水清し」と其の高潔にして優れた人格をたたえました。

「糟糠(そうこう)の妻」

 光武帝が皇女からぜひ宋江と結婚したいと頼まれました。皇女を妻にしないかと、光武帝は宋江に聞いたとき、宋江は「糟糠の妻(古くから苦楽を共にしてきた妻)とは離縁できませんと、断りました。

「雲母屏風の故事」

 大尉(三公の一人で、軍事の責任者)の鄭弘は自分を昔抜擢してくれた第五倫(三公の一人司空)に何かと遠慮をしているのを見て光武帝は二人の間に雲母の屏風をおいて朝議に臨んだというところから来た故事です

「棟甍」(とうりょう)

 謝夷吾を司徒(三公のひとり宰相)に推薦したことばに書かれた言葉。ここから大工の棟梁(統領)という言葉ができました

「鄭公風」(てっこうふう)

 鄭弘は、仙人がなくした特別な鶴の矢羽を拾い、仙人に届けました。仙人は感謝し、何か一つ望みをかなえてあげるといいました。鄭弘は自分の個人的な望みを言わず、ひどく暑かったり寒かったりして民の悩みの種であった風を直してもらいました。人々は鄭弘の徳をたたえ「鄭公風」となずけました。

「南宮において著し」

 鄭弘は三公の一人として次々に立派な業績をのこしました。その功績は南宮(皇居)の中でも、とくに著しいとして称賛されました。鄭弘は今ではあまり人に知られていませんが、平安時代などでは歌に歌われるなど極めて有名な存在でした。

「苛政(かせい)は寅(虎)よりも猛し」(礼記)より

 虎にわが子を食われたにもかかわらず、その地にとどまって住み続けている老婆に、なぜ、この地にとどまっているかと聞くと、「隣の県は税金が高く、とても暮らすことはできません今住んでいるところは税が軽く住みやすいのです」と答えました。ひどい政治は虎の害より恐ろしいということです。

「向かえ酒の故事」

 第五倫の奏上文です。現在の世の中ではわいろを贈った人間が失脚しても、違う人にわいろを贈れば良いという風潮があると、当時の政治の風潮を批判しました。

「遇適自然」

 王充は『論衡』において、自然は神の意志などではなく、たまたま、偶然に自然に動いているものであると主張しました。

 ここですべてを上げたわけではありません。後漢書は現在よりも日本の知識人によく読まれていていろいろな所に出てきます。2001年に和訳が出たのでもう少しいろいろと広がるかも知れません。

追記 第五倫と山陰(紹興)グループ

『人相食む』の主人公は第五倫です。第五倫は斉の国の王族の末裔です。五番目に長安の都に来たので、第五氏という珍しい名字になりました。小役人になるがまじめ過ぎて出世せず、西暦51年46歳で、ようやく孝廉にあげられる。光武帝に認められ、会稽郡の太守となる。そこで第五倫はいままで不遇であった、力がありながら紹興で小役人であった鄭弘と、謝夷吾を見出し抜擢しました。75年章帝は第五倫を抜擢し司空としました(三公、副宰相)その時すでに70歳という高齢です。さらに第五倫は多くのすぐれた人材を推薦し「知人」と言われた。鄭弘を太尉(三公)に推薦、自分の後任に郡太守の謝夷吾を司徒(三公 宰相)に推薦しました。そして謝夷吾は友人の紹興の上虞出身の王充を推薦するのです。

このころはすばらしい人材に恵まれ、まれにみるすばらしい善政が行われた時代でした。ところが、鄭弘が外戚の竇憲(とうけん)におとしめられ、第五倫の紹興グループは一気に失脚しました。

 抜群の知識と能力を持ちながら下級役人に甘んじていた王充は、謝夷吾が、私よりもはるかに優れた人物がいると皇帝に推薦し、皇帝から公車をもって迎えられることになっていましたが、鄭弘の獄死、第五倫の退職、謝夷吾の左遷などにより会稽郡グループは一気に失脚し、王充の登用も実現しませんでした。王充は大いに失望しましたが、以後王充は自宅に閉じこもって『論衡』の著述に専念します。

 第五倫の肖像画は、平安時代の初期から江戸時代末期にずっと京都の皇居の紫宸殿にずっと描くき続けられた中国の名臣32人の肖像画(賢聖の障子 けんぞうのそうじと呼ばれました)の中に、第五倫の肖像画があります。第五倫もいろいろな年代の肖像画が書かれました。昔は第五倫ではなく「ていごりん」と呼ばれていました。これについては改めてくわしくかいてみます。

2011年12月24日追加版

 宮城谷昌光氏の小説、『草原の風』の下巻(1600円税別、中央公論新社)が2011年12月10日に出版され、上中下巻が完結しました。後漢の光武帝が皇帝になるまでの物語です。その下巻に、光武帝が話した言葉が故事になっているということで、載せられていました。124ページです。

「疾風にして勁(けい)草を知る」

 王覇の嘆きをきいた劉秀は、

 「潁川軍から私に従った者もみな去ってしまった。一人とどまったのは、何時だけだ。努力するがよい。疾風が吹いて、初めてどの草が勁(つよ)いかがわかる」

 困難に遭って初めて人の価値がわかる、といいかえることがわかる。正し、劉秀の言葉には詩趣があり、それを平明な言葉に置き換えると、詩趣が消えてしまう。

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2014/06/post-dbf4html

光武帝の小説『草原の風』と『人、相食む』(第五倫伝)私の小説 後漢時代初期の面白さ

『人、相食む』後漢初期の人間学について

 このブログは2011年12月24日付で書かれたものでした。今劉邦が 注目されています。それで私の書いた小説もそこのままほおっておけなくなりました。(2014年6月5日)

 小説の題を「第五倫伝」後漢初期の人間学、に改めて、少しづつブログにて紹介します。2016年8月

 最近相次いで劉邦について、が脚光を浴びています。一つは毎日新聞の朝の連載小説が宮城谷昌光氏の『劉邦』で、2014年6月5日現在連載312回目で、秦の圧制に対して蜂起した項梁の指揮のもと、劉邦や項羽が秦軍と戦うところです。BS朝日でつい3日前から、李朝朝鮮の創始者を描いた韓国歴史ドラマ『大風水』にかわり午後三時から中国の歴史ドラマ「項羽と劉邦」が始まりました。

 これに刺激をうけて、だいぶ前に書いてそのままになっている私の小説「人、相食む」も何とかしなければいけないと感じた次第です。とりあえず、ずっと前に書いたブログをまた最近のものに復活させました。

追記:2016年8月7日

 小説『人相食む』を、題名を『第五倫伝』-後漢初期の人間、に変え、1章と2章とを入れ替えるなどを行い、このブログに書いてみました。1章だけは転記完了しました。まだまだ不備がたくさんあります。これからはとびとびに、ブログに載せていくことにしました。

 『草原の風』について

宮城谷昌光氏の小説『草原の風』全三巻(中央公論新社)の下巻が2011年12月10日出版され、完結しました。この小説は『読売新聞』の連載小説として2010年2月から、2011年8月まで書かれたものです。私は、読売新聞をとっていなかったので、連載しているのは知っていましたがその内容は読んでいませんでした。宮城谷氏の中国の歴史小説は、大変面白く、出るとすぐに書店に買いに行き、数巻のものでも、たちまち読んでしまいます。本は初期の本も文庫本ももっているほどのファンです。

 平成8年3月の第32回実用的人間学例会において私が「宮城谷昌光における人間学」についてお話しをし、さらに平成10年11月にも「実用的人間学第61回例会」で、「宮城谷昌光における人間学ーその2」と題してお話ししました。24ページに及ぶ資料で、後漢初期の時代背景、そして宮城谷氏の小説の中から、感動的な話し、有益な話を書きだして説明しました。

 宮城谷氏は中国の歴史書を克明にメモをし、ノートに書きつけて、その膨大な資料から小説を書いています。その知識にはいつも感嘆させられます。宮城谷氏の文章は、日本では使わない、極めて難しい言葉や漢字がよく書かれています。逆に普通漢字にするところをひらがなにすることが多いのです。

 慍然(うんぜん)として=(むっとしてというところ)とか、倶(とも)に=(共に)とか、人を恤(あわれ)む=憐れむとかいった具合で、振り仮名がたくさんついています。しかし、「おどろきをかくさず」とか、「はいった」とかは仮名のままです。

 また、「-ついに、きたか。」とか、「ーあの人だけになってしまった。」とか印象的な短文んを多用します。また、会話も短く歯切れが良いので、文章を読んでいても、はずんでいく感じがします。わたしにはとてもかけない文体です。私はどうも、くどくどといろいろ長く書いてしまいすぎます。

 『草原の風』は光武帝が親を亡くし、叔父に預けられ、肩身の狭い思いをしたことから都で、苦労して勉強したこと、兄が王莽に反旗をひるがえした時、それに参加したことから始まります。光武帝は自分に背いたものも度量をもって許し、その能力を見極め、どんどん有能な部下にしていきます。前漢の劉邦と違い、部下に背かれることも無かったし、天下を取った後、部下を殺すこともありませんでした。人間的に劉邦に比べて極めて優れていたと言えましょう。そして皇帝に即位してから、10数年たって、生まれ故郷に、錦をかざる、あたりで終わります。

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(光武帝の肖像画です。眉目秀麗といわれました)

 光武帝が本当に偉いのは、自分だけではなく、自分の跡継ぎの皇帝になるものに対して、「元元をもって首とする」(民衆がもっとも大切であると)ということを徹底させました。そのため、わたしの小説『人相食む』に書いたように、自分自身が善政を行っただけでなくその後4代の皇帝が善政を行い、あとで「建武・永平の治」として後代から模範となる時代を築いたからでした。前に書いたように前漢初代皇帝、劉邦は多くの功臣を謀反の疑いをかけ殺してしまいました。しかし後漢の劉秀はそういうところは全くありません。やさしさと人間味にあふれています。

 そして、いままで、中国の正史で、平均して17年に一度という、ずっと書かれてきた、「人 相食む」ということが中国の歴史上で82年間と最も長い間なかった時代を作りあげたのです。その時代を実現した、各代の皇帝とそれを支えた、第五倫鄭弘謝夷吾などの名臣や理論的な支えを作った王充などの活躍した、その時代に私の小説は主題をおいて書きました。王莽の戦乱で極端に減少した人口が、4代の皇帝の善政で人口が前漢最高レベルに戻りました。

 後漢時代の初期についての小説は、今まで極めて少なく、塚本靑史氏の『光武帝』三巻が2003年4月~5月に講談社から出されたものと、太佐 順氏の書いた『班超』2004年10月PHP文庫として出版されたものぐらいです。『三国志』が様々なかたちで出版されそれを基にしたゲームがたくさん出るようになっているのに比べ大変少ないのです。『草原の風』にも「三国志よりさかのぼること二百年。曹操・劉備・孫権の活躍にもひけを取らない、こんなにも面白い時代があった!」と書かれています。

 後漢初期の小説が少なかったのは、『後漢書』の和訳が無かったからです。ですからそれを訳すのが大変でした。ところが2001年に、岩波書店版汲古書院版があいついで出されました。和訳本が出れば、これからどんどん、三国志時代に劣らない面白い話がいっぱいある時代ですから、今後小説が出てくることでしょう。

 塚本氏の『光武帝』は宮城谷氏とほぼ同じ時代を小説にしています。しかし、塚本氏の小説では、赤眉賊の頭目である、樊崇や悪少年出身の赤眉の頭目である力子都などの活躍がかなり力点を置いて書かれているのが、宮城谷氏と異なるところです。

小説 『人相食む』について

 私は2009年7月に「こういちの人間学ブログ」に「『小説人相食む』後漢初期の人間学」を書きました。もともと、私が後漢初期の小説を書こうと思ったのは、1999年ころにノストラダムスの予言だのオウム真理教の騒ぎがあり、神秘主義を批判した後漢初期の唯物論哲学者、王充の小説を書こうと思ったことから始まります。2000年には中国語を学び、王充の墓を訪ねて、紹興県上虞市まで行きました。当時「後漢書」の和訳は無く、中国語の後漢書を買って自分で訳したりしました。2001年には「公募小説にチャレンジ」などというカルチャースクールにも行ってみました。「後漢書」の中から、「第五倫」について100枚、「謝夷吾」について、20枚を書いて応募しましたが落選しました。『謝夷吾』は同人誌『孤帆』24号に掲載させてもらいました。

 いろいろ書き続けた結果、2002年には『人相食む』という題に変え、書き続けました。2006年には原稿用紙1000枚で新風舎、文芸社に応募しましたが、自費出版では200から300万かかるということで、断念しました。新風舎はみなさんご存じのとおりその後倒産しました。そのまま書き続け、2010年9月には、前漢末から、後漢王朝4代の和帝以後までを書いた大小説になってしまいました。『人 相食む-後漢初期の人間学』という題で、ペンネームも王伯人としました。40万字、A4リッチテキスト方式で365ページにおよぶ大小説になってしまいました。それでもまだまだ、完成したとは言えない状態です。今中断しておりますが、興味ある方には今まで書いたものをCDでさし上げます。

◎これから、もう少し文章を付け加えます。

追記 2016年8月

 『人相食む』という題から、「第五倫伝」という題に戻して、章も少し変えて、ブログに書いています。もう少しで第1章がおわりますが、改めて打ち直すのは大変です。

 

2014年3月20日 (木)

最近の韓国歴史ドラマ(簡略,5,27更新版)

2014年5月27日更新版

2013年7月8日づけで、10月末21日 2013年までの分を更新しました。

詳しくはそちらをご覧ください。

一般放送です。

NHK

  トンイ  夜11時から 週1回 再放送です。60話

      朝鮮王朝 5月4日最終回でした。

テレビ朝日

  天命 4月30日スタート全21話 KBS2

     朝鮮第11代の王 中宗から12代仁宗の時代

     朝鮮版逃亡者の話 仁の後に放送 

  仁J:In 日本の漫画のリメイクばん 2014,2,25より    

.      全21話 朝鮮時代に 現代の名医がタイム

      スリップしたら、 という設定です 終了

 

B S 放送

NHKBS  

    馬医 朝鮮時代 週1回9時から

       馬の医者から宮廷医となる物語

       外科手術を始めます

     トンイ 土曜日 8時半より週一回放送

          再放送です。終了

BS日テレ武人時代 再放送です。高麗王朝時代

            蒙古襲来までの4人の覇者の時代

             階伯 ケベク 午後4時から 百済の

                          全盛期と滅亡をえがく 再放送

BSジャパン テ・ジョヨン 再放送です 昼0:57

           高句麗をつぎ 渤海国をうちたてます

           面白いので再放送ですが見て居ます         

        イ、ジェマ 朝鮮王朝再放送です。

            名医のお話です 終了

BS朝日  商道-サンド 朝鮮王朝再放送です。終了

BSフジ  大風水 新番組 2012年SBS放送 

        李朝朝鮮のそうししゃである、

        イ・ソンゲの物語 4月14日第一回放送 

        王朝と風水の関係 チソンほか

BSTBS  王と私 再放送です。朝鮮王朝時代 

       イ・サン 再放送です。朝鮮王朝 

            以前NHKで放送

Bs11        なし

 

 : 5月末放送中は8つです。放送している数はそう減っていませんが、再放送が多すぎます            

   簡単にしか書いていません もうしわけありません

 

2012年12月27日 (木)

「日本語の正体」倭の大王(天皇)は百済語で話す。 追記。擬音、擬態語1位は韓国、2位、日本

Hi3d0358

『日本語の正体』より、少し見にくくて申し訳ありません。上の段は日本語とアイヌ語よりも「から語」(昔の韓国語)とアイヌ語のほうがむしろ近いことを示しています。

 下の段は、漢語、新羅語、現カラ語、百済語・高句麗語、やまと言葉を比べています。

 真ん中の段には「このように、日韓語には、新羅系と百済系の言葉が入り混じりながらも、それでもなお両者の90%以上の基礎単語がつながっているのが不思議なくらいです。」と書いてあります。

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このグラフは日韓語の変化過程を示したものです。左の数字は3世紀から始まり、上は21世紀の現代となります、百済語と新羅語との差は始め方言程度でした。伽耶語も含めたt韓国の古代の言葉は方言程度の違いしかありませんでした。

 663年の倭と百済の連合軍と、唐と新羅の連合軍との戦いである白村江の戦い以後急速に倭(日本)と新羅の言葉が分離を始めました。

 韓国語は、新羅語に統一されました。唐の影響を強く受けた新羅は正統漢文を使用しました。

 日本語は百済語に収れんし、訓読体を発明しました。10世紀にはかな文字が盛んになります。韓国ではハングルが作られました。そのようにして、日本と韓国の言葉は大きく離れてしまいました。

 金容雲氏の『日本語の正体』の帯ふうには、下記のように書かれています。

百済語が日本語で、百済語を投げ出したのが韓国語だった。

 日韓語についておおくの韓国人は「現韓国語がオリジナルで、現日本語はその変形だ」と誤解する人が少なくありません。

 しかし(漢字の影響で)音韻を増やした韓国語のほうが大きく変わり、昔ながらの音韻範囲をほとんど維持してきた日本語のほうが原型に近いものが多いのは事実です。日本人はどれほど努力しても中国の漢字とはソリがあわず、むしろ王仁が』伝えた訓読法を日本式として確立する道を選んだのです。(「日本語の正体」第4章より)

日本の王朝の変遷と日本語の変遷

日本列島の各地には、始め縄文人の人たちが、その後、韓国の百済、新羅、伽耶(加羅、任那)などの人たちが、移り住んできました。それぞれの人たちはたとえば百済でいえば小さい国のような軍事組織であるタムロ=屯を作っていました。

  金容雲氏の『百済=日本説』によれば、百済の系統の人は、九州の中部に国を作り、狗奴(耶)=熊襲となりました。日本に最も近い、伽耶の人たちは北九州に拠点を作り、邪馬台国となりました。新羅系の人は、出雲から但馬などにかけて国をつくりました。

 その中で、300年ころ伽耶系の崇神天皇(神武と同じ人物)が九州から奈良大和の地に王朝を作りました(第一王朝)。天皇家の創立神話である、天孫降臨神話と伽耶国の創立者である金首露神話は驚くほど似ています。その後、391年には百済系の応神天皇の王朝(第二王朝]、そして507年には、継体天皇の王朝(第三期)となります。継体天皇の子とされる欽明天皇は、実は伽耶系の人物で、第4王朝を開いたという説も紹介しています。

 また他の本によれば、701年の大宝律令が完成したとき、天武系が滅び、天智系に変わったという説もあります。(『欺かれた王朝交換 日本建国の謎』斉藤忠 学研)      詳しくは前のブログ「日本=百済」説」をご覧ください。

日本語のルーツを見てみますと、一番底になっている言葉は、大野 晋氏が提唱している日本語タミール起源説です。タミール(インド)、ネパール、雲南省、そして揚子江下流域には、稲作文化を中心とした倭(日本だけでなく漢の時代にはこの地方一帯をそう呼んだ)の人たちがいて、日本語の稲作や、食べ物に関することばはかなり共通しています。

 韓国の南方系の倭の人達の言葉(韓ーから語)に、北方系(アルタイ系)の扶余、高句麗、百済、伽耶語などとが融合し元日本語となりました。日本列島は言語融合のるつぼとなりました。

 高句麗の広開土王が百済を攻め、百済は敗退しました。百済の人々の一部は九州にある分国である狗那(熊本)と協力し、第一王朝を倒しました。それが391年の応神天皇の第二王朝です。このころ、百済エキソダスといわれるほどの大量の百済人が移住してきました。大和の主要地はほとんど百済の人たちで占められていました。当然大和の公用語は百済語ということになります。新羅系の人たちは多くが東国に移住し、後の武士の言葉である東言葉の元になったといわれます。

 507年に第三王朝の継体天皇が即位しましたが、金容雲氏の説によれば継体天皇は百済の王の弟である、昆支(コンチ)で、大伴の金村などの豪族の協力を得て第二王朝を倒しました。そして、継体天皇の息子は百済の王となります。この当時、倭と百済は一体となっていました。継体天皇は新羅攻撃のために6万の兵を九州に送ったが、新羅系の筑紫国造である磐井が阻止します。よく年反乱をおこしますが、抑えられました。この当時百済王の後継者は大和(飛鳥)にいること事になっていました。百済は五経博士などを送りや仏教などを伝えます。

 聖徳太子はいなかったとか、聖徳太子とは蘇我入鹿であったとか言う説のありますが、昔NHKのドラマで、聖徳太子が時々百済語をしゃべるというのがありました。へー思い切ったことをドラマにしたと思いましたが、逆にまるっきり百済語だったということです。蘇我氏や他の豪族も百済系です。

白村江の戦い以後、分離が始まる

 663年の白村江の戦いで倭が負けたことにより、朝鮮半島とはっきり分かれました。新羅の統一で、高句麗の人たちも日本に亡命してきました。渡来人は多くが東国に移住して開発をしていきました。722年には飛鳥の高市郡の人口のうち80から90%が百済人と言われます。

 781年父の光仁天皇がなくなったとき桓武天皇が哀号(アイゴー)の声を発し痛哭したと書かれています。実際に続日本記を見ると、哀号と泣いたと書いてありました。詳しくは後の文章で。

12月27日追記(下記)(「続日本記」)しかし794年に平安京に都をうつし、百済的なものに満ちている奈良を離れました。北畠親房の『神皇正統記』によれば、百済と日本が関係があるという文章を桓武天皇がすべて燃やしたと書いてあるそうです。それ以後かなの発明とともに日本独自の文字が発展し、韓国語と分離して行きました。特に遣唐使の廃止以後日本は日本独自の文化や言葉の発展がありました。

天皇家と百済王家と同脈であったのには、具体的な例があります。

宮中では母親のことをカラ語のオモニと同じく「おも様」と呼んでいました。

天皇家では「裕仁」とか「明仁」のように「仁・ヒト」がつきます。古代の韓国の王や皇子の名前も同じような名前でした。韓国語の「貴方」にあたる「ニム」は「君ーキミ」の古い言葉で「ニムクム(王様)」を意味します。古代語の「斯等=シト」も王様の意味でしたが、今はただ「人ーヒト」という意味にしか使いません。

 アボジーオヤジ アジシーオジ なども日韓近い言葉です。シトのトは「商人ーアキンド」や「仲人ーナコウド」などに残っています。

 万葉集に書かれた万葉仮名の原型は百済の吏読です。吏読とは、漢字による朝鮮語の表記方法の一つで、三国時代にはじまり、19世紀末まで用いられた古代韓国語の資料の一つに数えられるものです。万葉仮名と,吏読の表記や発音はカラ語とほとんど同じです。『古事記」にも百済式吏読を使いました。万葉集の歌の中の東国の人たちの言葉には新羅語のなまりがはいっているそうです。

 日本人の最大の発明は訓読法

 漢字を日本語で読む訓読法である。

 日本には「名前の漢字はどうにでも読める」という無原則の原則があるようです。万葉仮名から始まっています。音と訓の読み方からはじまり、さまざまな読み方があります。たとえば以下のようです。

修行 しゅぎょう ー行(ぎょう) 百済式呉音 6,7世紀                             旅行 りょこう  ー 行(こう) 漢音 8世紀                             行脚 あんぎゃ -行(あん) 唐、宋音 12世紀

 現在韓国語の75%と日本語の50%は漢字語です。                           

 日本では仮名を発明し、仮名交じり文で、漢字を受け入れました。韓国では政策的にかくこたる中国化する意志から、漢文を棒読みしたのはいかにもふしぜんであったと言えましょう。おおくの中国語の音韻が韓国語に編入され、古代以来の吏読ではカバーしきれない音節がはいりました。韓国が誇りとするハングルはそれに対応するために作られたのです。

「日本語の正体」p159から

 日本の関西弁は朝鮮半島の西南部と共鳴する。京都弁は百済語、東京弁は新羅語を思わせる。そのほか様々な面白い話が書かれていますがよろしかったら直接お読みください。

『日本語の正体』 金容雲 2009年8月30日1500円+税 三五館

2012年7月30日追記 擬音、擬態語は韓国世界1位、日本2位

 2012年7月27日の、人間学研究所の新教育人間学部会で、佐藤由紀氏(明治大学特任講師)から「音と言葉をつなぐものー日本語における擬音語・擬態語考察ー」というお話を伺いました。

 擬音語とか擬態語とは

擬音語ー現実世界の音をそのまま言葉で写し取った言葉 ワンワンとかドンドン(叩く)とか

擬態語ー現実世界の状態を、その言語の発音で、いかにもそれらしく写し取った言葉    さらさら、あっさり、どんどん(進める)など

擬音語はカタカナで、擬態語は平仮名で書くというのが原則です。

世界で擬音、擬態語が一番多いのが韓国語、二位が日本語

 言語は世界で4000から7000の間あるという中で、一位、二位とはすごいことです。これを見ても日本語と韓国語が、大変近いということの一つの例証ではないかと思いました。例会でもそのことをお話ししました。日本、韓国語では多いが、中国語では少ないのです。

 擬音、擬態語は欧米では子供っぽい言葉とされている。しかし日本では朝日新聞で調べた例では一カ月でのべ、1000ぐらい出てくるほど一般的に使われているとのことです。日本語を研究している外国人にとっては、覚えにくく、理解が難しいそうです。

韓国語と日本語の擬音、擬態語の例を対比すると

韓国               日本語

 パドゥル、パドゥル      がたがたふるえる

 サルサル           サラサラ

 パンチャク、パンチャク   キラキラ

 メックン、メックン       すべすべしている

★ そのほか いろいろと大変興味深いお話がされましたが、それは改めてご紹介います。

追記 2012年12月27日

 『続日本紀』(ショクニホンギ)を調べてみました。『続日本紀』は平安時代初期(797年)に編纂された。『日本書紀』に続く、全40巻の日本の正史です。奈良時代から平安初期について書かれています(697~791年)。

 その36巻には次のように書かれています。

 「天応元年 丁未(12月23日)太上天皇(光仁天皇)崩御 春秋七十有年 天皇(桓武天皇)哀号 摧咽不能自止」

 確かに哀号、哀号と泣いて、なきやめることができなかったと書いてありました。哀号は皆さんご存知のように、韓国、朝鮮の人が極めてよく使う悲しみの言葉です。

参考 重複した話もありますが

「金容雲氏の、「日本=百済説」について」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2012/07/post-a694.html

追記 2017年7月5日

 「哀号ってのは」さんから、桓武天皇が「哀号」と泣いて、泣き止むことがなかったのではなく、ただ、悲しんで泣き止むことがなかった、というだけだ、とコメントをいただきました。

 なるほどと思われるお話ですので、コメントもぜひお読みください。いずれにしても奈良時代までは、百済や唐などの大陸の文化の影響が大変強かったのが、遣唐使を止めた平安j時代に日本独自の文化が発展しました。

 

 

2012年7月21日 (土)

金容雲氏の[日本=百済説」について 追記「太祖王建」で後百済の王が日本は百済が作ったと。

初めに

2012年7月19日の第45回実用的人間学研究会例会で、私は「日本=百済説について」というお話しをしました。日本人のルーツは何だろう、邪馬台国はどこにあったのか、日本の天皇家はどのようにして生まれたのか。日本と韓国の関係、そして日本語と韓国語の関係とはなど、古代史のなぞは私たちの興味を引きます。

 私は、韓国歴史ドラマが好きで良く見ていますが、韓国と日本(倭)の関係していることが良く出てきて興味を持っていました。たまたま、金容雲氏の『「日本=百済」説』と、『日本語の正体』を読んで、なるほどそうだったのかと、よくわかった気がしました。そこで、二つの本の要旨と、以前からあった日本と韓国の古代史に関する22冊の本も参考にしながら資料をまとめてみました。何しろ石器時代から桓武天皇ごろまでの日本と韓国と中国との関係について、書くのですから大変な労力を要しました。でもともかくA4で21ページの資料にまとめました。そしてまた大変なのがその資料を1時間半で話さなければならないので大変でした。でも、当日は17名の方が参加され、懇親会にも12名の方が参加されたので、頑張ったかいがありました。またこのブログで、うまくまとめるのも大変ですがポイントをお話しいたします。

 まず、金容雲氏は1927年に東京に生まれ、終戦まで日本にいてそれから韓国にいった方で、日本語も、韓国語もよくわかる方です。そして著名な数学者であるとともに、文化比較論の大御所的存在で、6年間、韓日文化交流会の韓国側代表者になった方です。

1、日本人のルーツと邪馬台国について

1) 石器時代、氷河時代

  氷河時代に、大陸と日本は陸続きで、マンモスなどがはいってきて、それを追って石器時代人が日本に入ってきた。ルートは朝鮮半島から、日本へ入ってきたルートと、樺太から北海道を通ってきたルートがあります。

2) 縄文人

 1万年ほど前から氷河期が終わり、温暖化してきた。列島が分離し、海水面が上がり関東地方でも内陸まで海がはいってきた。日本には、1)海流に乗り南方から来た人、2)中国から戦乱を逃れてきた人、3)北方の樺太から来た人、4)そして朝鮮半島から来た人々など様々な人々が混在して、縄文式文化を作ってきました。なかでも多いのは南方系モンゴロイドで、雲南省あたりから揚子江河口周辺、朝鮮半島南部から日本にまで住んだ、稲作をし、高床式住居、文身(いれずみ)をした、当時の漢の人たちからとよばれた人たちでした。倭は日本だけの呼び方ではなかったのです。丸顔、体毛が濃く、目鼻立ちがはっきりしたいわゆる濃い顔の人たちでした。弥生時代に北方系の人達(弥生人)が来ると一部混血しましたが、多くが辺境に追いやられ、蝦夷とか、土蜘蛛とか国巣(くず)とか呼ばれました。

3) 弥生人と韓国の人たちの各地への移住と分国

 世界的に気温が下がり始め、大陸の北方系の人たち(シベリヤ、アルタイ系)が南下を始めました。彼らは寒さに適応した人たちで、身長が高く、色白、細面、体毛が薄く一重まぶたのいわゆる、のっぺりした顔をしていました。

 紀元50年ごろから北方扶余から南下して朝鮮半島に、高句麗、新羅、百済などの国々ができてきます。南方は倭の系統の人たち(韓・から族)が小さい国々を作り、南端では伽耶国ができました。北方系の人たちや、から族の人達が次々と日本に移住し農民として定着しました。日本は気候も温暖で異民族の侵入もなく住みやすいところだったのです。

 新羅系の人たちは出雲から北陸方面に定着しました。伽耶系(プサンあたり)の人達は対馬を通って北九州に入りました。そして小さな国(倭の奴国など)がたくさんできました。それがまとまり邪馬台国ができた。と、金容雲氏は言っています。百済の人たちは熊本周辺を拠点として、狗奴国(熊襲)を作りました。百済国は海運が盛んで、中国の遼西などいろいろなところに分国(タムロといいます)を作りました。

4)邪馬台国と狗奴国の対立時代

 邪馬台国は伽耶系の人たちが作った連合王国(分国)で、239年邪馬台国の卑弥呼は中国の魏に使いを送り、親魏倭王の位を授かる。邪馬台国は隣国の百済系の分国である狗奴と戦っていました。しばらくの間、ちょうどアメリカ大陸にヨーロッパの人たち(イギリス、フランス、スペインなど)が植民地をつくっていたのと同じことです。邪馬台国は一時滅びるが、伽耶系の人達は瀬戸内海を通り、奈良の大和の地に向かい征服していきました。

2、日本の天皇家の歴史

1)第一(崇神)王朝(伽耶系)

 300年ころに大和の三輪山の地で崇神天皇(神武天皇と同一人物とされる)による第一王朝が成立する。高天原神話は伽耶の金首露神話とほとんど同じである。大和盆地では葛城氏や大伴氏、蘇我氏などの豪族(それぞれ、韓国由来)の助けを借りて勢力圏を広げていく。このころの天皇はスメラミコトとかスメロギとよばれた。

 新羅系の出雲などの諸国は天皇家に征服されていく。大国主の国譲りなど。

2)第二(応神)王朝 391年ころ(百済系)

 高句麗の広開土王が百済を攻め、首都漢城は陥落した。百済一族の一部が伽耶の地に入り、新羅の国境地帯を占領しつつ、九州に渡った。九州には百済の分国である狗奴(那)がある。百済の一族と狗那の連合軍は応神天皇朝の最後の仲哀天皇を戦死させる。

 「日本書紀」では仲哀天皇の妃が神功皇后で、第二王朝の祖である応神天皇は神功皇后の子ということになっています。新羅征伐に行った、皇后が、子どもが生まれないように腹に石をまいて、九州に戻ってから子どもを産んだということになっています。

 応神=応津=熊津(久麻那利)すべてウンジン 百済の漢城陥落以後熊津に遷都しました。天皇は応神王朝では「おおきみ」(大君)とよぶ。応神政権ができると、弓月君が120県の、阿知使主が17県の百姓をひきいて列島に来たという。これを応神エクソダスと金氏はよんでいます。その後仁徳天皇陵など巨大な古墳がつくられました。この当時の天皇は中国の宋の皇帝に朝貢し、日本のみならず、百済をはじめとする韓国南部の王としても認定されています。

 第21代雄略天皇の時高句麗により漢城百済が陥落したとき、雄略天皇は熊津を百済の文周王に譲ってといわれます。金 容雲氏によれば、百済には漢城系の百済(弟の温祚系)と、熊津系(兄の沸流系)の百済があり、韓国内だけではなく、九州の狗那(奴ー今の熊本に)と過去には中国内の遼西にも分国がありました。それらの分国を含め、2つの百済があったと主張しています。

3)第三(継体)王朝 507年ころ(百済系)

 応神王朝最後の武列天皇のころ、日本は戦乱となりました。456年ころ百済の21代王である蓋鹵(ケロ)王の弟(金氏によれば文周王の弟)である昆支(クンチ)が日本に人質として来ていました。日本には(当時はまだ倭)代々百済の王子が日本に来ていました。この昆支については日本、韓国の資料により様々に異なって書かれています。

 金容雲氏によれば、継体天皇は昆支で、大伴金村などの豪族の支援で即位したというのです。しかし戦乱は続き、継体天皇は即位真、20年間も居住を変えたといわれます。継体天皇が死ぬ5年前にようやく河内に都を定めました。隅田八幡には韓国百済の武寧王がオオト王(弟)に送ったとされる銅鏡がたくさんあるそうです。継体天皇は男大迹(オホト)王とよばれていました。継体と昆支の倭名がともにオホト(大人)であるので、時代から見ても昆支は継体天皇であると主張しています。

 昆支(継体)の子どもは百済に戻り、百済の王(武寧王)になっています。当時は日本(倭)と百済は一体のものだったということです。

4)欽明天皇は第4王朝の伽耶系?

 継体天皇の死後とその子安閑、宣化天皇が相次いで死に、欽明天皇が即位します。欽明天皇は継体天皇の5人の子供の一人とされていますが、金 容雲氏は一時権力を失っていた蘇我氏とともに、クーデターを起こし天皇になった説もあるといっています。欽明天皇は伽耶復活に異常に力を注いでいるので伽耶系ではないかというのです。蘇我氏の台頭で大伴氏は没落しました。以後の天皇は、現在の天皇まで続いています。

5)飛鳥時代 603から

 592年、蘇我馬子が崇俊天皇を殺害します。そして蘇我馬子が推した推古天皇が即位し603年に飛鳥に遷都します。そして聖徳太子が摂政となったとされています。本によれば聖徳太子は存在せず、聖徳太子は蘇我馬子の孫の蘇我入鹿であると主張する人もいます。法隆寺はだまし討ちされた蘇我入鹿がたたらないようにと建てた寺であると。蘇我入鹿は日本書紀ではひどい悪人とされていますが、実はすぐれた人物であったともいわれます。

 このころ、まえとおなじように百済の王子が日本に来ることは続いています。舒明天皇は百済好きで、百済宮を作らせ、死んだ後も百済式の葬儀を行いました。

追記 2013年9月 『ビッグコミック』には『新説・日本書紀 天智と天武』という漫画が現在連載されています。その村昌弘原案、中村真理子作

 それによれば、蘇我入鹿は学堂1の秀才であり、皇極天皇(女帝)との間に月皇子(大海人皇子ーのちの天武天皇)をもうけるが、中大兄皇子により殺された。豊璋は百済の義慈王の王子で中大兄皇子を助け、中臣(藤原)鎌足となるとしている。

6)大化改新 645年と白村江の戦い 663年

 645年 大化改新 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我の入鹿を殺害 孝徳天皇(女帝)即位

 662年 天智天皇(中大兄皇子)即位

 663年 白村江の戦いで 倭、百済の連合軍が唐、新羅の連合軍に大敗した。

    以後倭(日本)は朝鮮半島と断絶の方向へ。

 672年 壬申の乱 大海人皇子 大友皇子を倒して、天武天皇として即位

 690年 持統天皇即位 694 藤原京に遷都

 697年 文武天皇15歳で即位 707崩御 兵乱あり

7) 701(大宝元年]から 平城京 794年平安京に遷都

 大宝律令完成 中央集権的世界に 文武天皇「日本天皇」を名乗る

 藤原不比等 実権を握る

 大宝元年 九州王朝(倭国)倭の五王 天武ー文武王朝消滅という説あり

 応神やまと皇統 オオキミ氏 天智 光仁ー桓武天皇に

  「欺かれた王朝交代 日本建国の謎」 斉藤忠 の説

 794 平安京に遷都 桓武天皇

  桓武天皇の父である光仁天皇は天智天皇の孫にあたる。桓武天皇の母親である、  高野新笠は、継体天皇の実子でもある武寧王の子孫である,和(ヤマト)氏乙継の娘。

 桓武天皇は父の光仁天皇がなくなったとき、哀号(あいごー)の声を発し、痛哭したと「続日本記」にかかれています。(実際に続日本記を見たら書いてありました)

参考

 2001年 今上天皇陛下のお言葉

 「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、「続日本記」に記されて言うことに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は、日本との関係が深く、この時以来日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。また武寧王の子聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております」

 桓武天皇は北畠親房の「神皇正統記」に、桓武天皇は百済が日本とが同じ種であるという文書をすべて燃やしたと書いています。以後日本と韓国は別々の道を歩みます。言葉もしだいに分離していきました。

★ これは金 容雲氏の話を元に要旨を書きました。これらの問題には本当に様々な説があり、どれが本当かについて決着していない問題は多いのです。しかし金氏の話は中なか面白いので、皆さんに紹介しました。

* 日本語のルーツと変遷については、あらためて、書くことにいたします。

『「日本=百済」説』原型史観で見る日本事始め 金容雲 

         2011年4月1日  1500円    三五館

『日本語の正体』  倭の大王は百済語で話す 金 容雲  

         2009年8月30日 1500円    三五館

追記 : 2012年8月1日(水)

 韓国歴史ドラマで、今日、現在BS朝日で放送されている「太祖王建」を見ていましたら、新羅が崩壊した後、また三国に分裂した時代(後三国)の一つ、後百済の王である、甄萱(キョンホン)が、「中国や日本などと外交を結ばなければならない、特に日本は百済が作った国だから」と言っていたのにはびっくりしました。韓国では百済が倭(日本)の元になったというのが、かなり広がっているのでしょうか驚きました。

こちらもぜひお読みください

「日本語の正体 倭の大王は百済語で話す」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2012/12/1-79cb.html

 

 

 

 

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