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宗教と死

2017年1月16日 (月)

「この世の成り立ちを見る基盤」熊王信之氏のブログ、「とら」ちゃんのことも

熊王信之氏の科学的・合理的な考え方
「ちきゅう座」の2017年1月9日の熊王信之氏(筆者のブログに、よくコメントしていただく、とら猫イーチ氏)ブログに、「この世の成り立ちを見る基盤」という文章があります。
 ちきゅう座  http://www.chikyuza.net/ 
熊王氏の文章の概略を以下に書きますが、よろしければぜひ直接お読みください。
 暦は新しい年を迎えて、世間では正月を祝う人々で、各地の神社はあふれたそうです。
他人事のように書きましたが、世に言われるところの正月を祝うことはないからです。亡父が口癖のように言っていた 一休の「正月は、冥土の旅の一里塚めでたくもあり、めでたくもなし」ということで、また、神社に詣でるのがあほらしいからです。そしてあらゆる宗教を信じないからです。
 この世に生を受けた定めに従わなければならない平等原理の下に運命を知るからで、他にさしたる由来はありません。宗教を信じないのに何かを拝むのは馬鹿らしいと思ったからです。
 神社に比べれば寺のたたずまいがまだましのように思える。いにしえ回帰で靖国神社に詣でる政治家は本当に信仰するというよりただ宗教を利用しているとしか感じられない。
 神や仏が存在するかということだが、神や仏が存在するならお目にかかりたいものだ。いるなら愛猫を奪った罪で死罪を宣告してやる。
 視点を海外に転じれば、今や世界は宗教戦争の渦中にあるようです。各国とも今でも宗教的権威により、民衆を支配している様がうかがえる。
"The Grand Design"、においてイギリスの物理学者、ホーキング氏は「神は存在しない」と言っている。(2011年)「天国も死後の世界もない」-死ねば、人間は、脳が壊れた時には、部品が壊れて機能を止めたコンピューターのようなのものだ。死を恐れるのは、闇を恐れる人間のおとぎ話だ。。(ちきゅう座の直接のサイトではつながります)
 亡母は真宗本願寺派で、学校は真宗大谷派の学校でしたが、東も西も大した違いはないと言っていました。なんぼ拝んでも死んだら終わりやと言っていました。
 熊王氏の子供時代、妖怪や幽霊を恐れなかった。亡父は便所に妖怪が出ると話した。当時の家は農家で便所まで遠くて暗かった。怖くても便所に行った。亡父は幽霊などを恐れぬ子と思ったろう。こういうことに疑問を持つ端緒となった。
小学生の時お寺や墓地が平気で、彼岸花をとりに行ったりして墓地へ行きよく遊んだ。
 あるとき人魂を母や妹は見たといった。一緒にいた自分は見られず残念に思っていた。何とか見たいと思った。小学校高学年の時、そういうものを見ようとして夜抜け出して墓地や神社などにいったが、一度も見られなかった。
 そして人魂を、作ろうとして、脱脂綿にアルコールをしみこませ、棒の先につるして、母や妹を驚かした。父にひどく怒られた。
 本当はどうなのかを調べてみようとするのが自身のこの世を成り立ちを見る基盤です。
 熊王氏の科学的な信念の基盤はお父さんやお母さんから引き継ぎ、本人のとことん追求しようとする態度によって形成されたものですね。
熊王信之氏は愛猫「とら」ちゃんの病気と10月3日に亡くなる前後に、記事の減少がありましたが、アメリカの大統領選挙が始まり、大統領選挙のいろいろな考察が続き、11月には13の記事を「ちきゅう座」に書かれました。最近の記事では、トランプ氏のこと、安倍首相のこと、戦争のこと、そしてこの記事のようにと、多面的に書いておられます。参考になることも多いと思いますので是非直接お読みください。
最近の記事
2017,1・13 「トランプさん L・L・ビーン氏をご推薦」
2017,1・9 「この世の成り立ちを観る基盤」
2016、12・29 「この国はもう一度「今は無き掩体壕」を子どもに見せるのか」
2016、12・21 「疫病神の機体(未亡人製造機)-オスプレイ」
2016,12,2 「自衛隊が実際に駆けつけ警護に出動した時に何が生じるか」 
2016、11,27 「アベ化した頭で複雑怪奇なる新情勢に戸惑う」
2016,11・13 「トランプ次期大統領新政権発足初日にTPP廃棄を指示」
2016  11,23 「反トランプ氏言説の依って来るところは何か」
2016、11、21「南スーダンの紛争地を祭壇に見立て、自衛隊員が人身御供に、憲法改正を
         狙うアベ政権」
在りし日の「とら」ちゃん
 熊王氏から、「とら」ちゃんの写真を送っていただきました。
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在りし日の「とら」ちゃんの雄姿
詳しくは下記の記事をご覧ください。
2016、10,18 「長寿動物表彰を受けた「とら」の最後」
       腎臓病と戦い 19年5か月の長寿を全うしました。
2015,10,4 「長寿動物表彰を受けた「とら」」
 「とら」ちゃんの画像を送っていただきました。なかなか堂々とした立派な姿ですね。
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タワーで遊ぶ「とら」ちゃん
 
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「とら」ちゃんを慕って集まるねこたち。「とら」ちゃんは 、オス猫ですが、母親のように、よく面倒を見、子供たちも、慕っていたそうです。
◎   直接画像を取り込めず、携帯でパソコン画面を映しそれから取り込んだのであまりきれいな画面ではありません。でも素晴らしい姿はわかると思います。 
2017年3月23日とらちゃんの追加の文章と画面を掲載させていただきます
とらちゃんは特別の能力を持っていました。
二階にとらちゃんの一緒にいたとき玄関先に5,6頭の猫がいました。
とらちゃんはいわば空を飛び、1階の玄関のところに飛び降り、猫パンチでたちまち猫を追い払いました。
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猫タワーで遊ぶとらちゃん
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声をかけると必ず振り返るとらちゃん
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夕食をたべるとらちゃん
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ネコベッドでやすむとらちゃん
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動画で送っていただいた、とらちゃんの画像。眠いのを我慢してポーズをとる、とらちゃんです。ガラケーで、パソコン画面をとっているのできれいにうつりませんが。
◎ サイトちきゅう座とは、「今の世界の日本はきわめて危うい方向に進んでいるという認識の下に、それぞれの分野の専門家や実践家の眼を通じたたしかな情報、問題の本質に迫る分析などを提供し、また共同の討議の場を作ることを志しています」
と書いてあります。
 4月1日、新しいブログを立ち上げるかもしれないとのご連絡をいただきました。ちきゅう座のブログではいろいろ自由が利かないことがあるかもしれませんが、他のところでは自由に書けるかもしれません。
熊王氏の考え方と筆者は科学的・合理性を目指す点で同じ
 ブログ筆者の場合も、熊王氏と全く同じようです。祖母と父は神仏に対しては、素朴唯物論的な考え方でした。祖母は迷信を信じず、また父は八百万の神なんかあてにならない、日本全体で戦勝を祈っても、戦争で負けてしまったとではないかと。7年も戦争に行った父の実感でしょう。
 後漢の唯物論哲学者、王充の「論衡」に筆者は心酔していますが、幽霊はいるのかいないかについて面白いことを書いています。死んで幽霊(鬼=キ)となったら、たくさんの人が死んで周り中幽霊だらけのはずだ、ぼーっとしてしかしはっきり見た者はいない。見間違いが多いのだ。また幽霊として出てくるとしたら、無機物の着物も一緒に出てくるのはおかしい、とか。
 筆者は様々な、非科学的な考えを追求する学会、「ジャパン・スケティプクス」にも入っています。「こういちの人間学ブログ」でも、いろいろな非科学的な考え方を批判しています。
 また靖国神社をはじめとして、神社が、日本会議や神道政治連盟を通して、昔の日本へと回帰することのお先棒を担いでいるのは日本の将来を暗くするものです。
 それでも、おみくじ収集のマニアとして、お寺や神社へ行っておみくじを集めているのですが。
 人魂や幽霊は恐ろしくて、びくびくしていると、何かを見間違えてそのように見えてしまうことがあるようです。また大槻教授によれば人魂現象は電磁波の働きで起きるようです。私も子供時代火の玉がのような発光体が電信柱の上のほうに上るのを見たことがあります。私もそれは幽霊などと思わず物理現象と思っていました。
 地球温暖化についての、「人為的二酸化地球炭素温暖化説」に対しての否定的見解も熊王氏と筆者は同じです。トランプ氏の考え方でおかしいなと思うことはありますが、「人為的二酸化炭素地球温暖化説」の否定ということについては全く同感です。
 筆者に比べ、英語について、すらすらと読み理解されるという点において、格段に優れておられます。いろいろ、英文の資料をはじめとしていろいろなことについて、教えていただくことは大変助かっています。ありがとうございます。
追記 「とら」ちゃんに比べるとうちの黒猫「くろべえ」はひどい顔を しています。お部屋を使ってもらっている方の猫にすっかりなっています。布団にもぐりこんだまま出てこないところを写真にとられています。年賀状に使われています。
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2014年8月 3日 (日)

『イエス・キリストは実在したのか?』 イエスは帝国支配にあらがって敗北した貧農のユダヤ人革命家

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イエス・キリストは実在したのか?」

 7月29日に本を買いに行った中で、大変興味深い本を見つけました。「イエス・キリストは実在したのか?」という本です。作者は1972年生まれでイランからアメリカに移った宗教学者でレザー・アスランという人です。2013年に書かれ、2014年7月に翻訳されました。白須英子訳、文芸春秋刊、1850円+税です。キリスト教が生まれる前のイエスの実像に迫る研究を20年近く続けその成果としてこの本をだしたというものです。この本はアメリカでセンセーションを起こし20万部を超えたという。世界25か国で翻訳される予定だという。カルフォルニア大学助教授。イスラム教徒による実証研究というところが大変珍しい。

はじめにー歴史上のイエスを再現する

 本書の意図は、キリスト教が発足する前のイエス、歴史上の人物としてのイエスを可能な限り再生してみることにある。

 イエスを彼が生きた時代、ユダヤ教の信仰と実践のありようを永久に変えることになるローマ人に対する蜂起がじわじわと盛り上がりつつあった時代の社会的、宗教的、政治的背景にしっかり据えて描けば、それはそのままイエスの伝記になる。 p24,25

英語の原題は”ZEALOT The life and times of Jesus of nazareth”

「革命家(熱狂者) ナザレのイエスの生涯と日々」

 帯封に本の内容が要約して書かれています。

「聖書」はもともとイエスの死後布教に携わったイエスの使徒たちの手紙や文書をひとつに編んだもの。

この世の魂を救う手立てを探索する(青年時代の)私に思いがけないことが起こった。信仰を持たない人々の疑問に答えるときにそなえて聖書を深く読めば読むほど、福音書にあるイエスと歴史上の人物としてのイエスー「救世主イエス」と「ナザレのイエス」との間に隔たりがあることがわかったのだ。

もはや自分の読んだ物語が文字通りの事実であるという想定にとらわれなくなっていた私は原文書のなかに、歴史の切迫した事情によって意図的に除外された重要な真実に気づいたのである。皮肉なことに、ローマ帝国の無慈悲きりきわまりない占領に大胆に反抗する動乱の時代に生きた歴史上の人物としてイエスを知れば知るほど私は彼に心を惹かれるようになった。~浮世離れしたイエスよりも、世界最強の帝国支配にあらがって、敗北してしまう、貧農のユダヤ人革命家のほうが、私にとってずっと現実感のある存在になった。p12

著者はそれぞれの弟子たちの文献、聖書以外の歴史的な資料を比較調査することにより、聖書で何が捏造され、何が史実から落とされて行ったかを明らかにしていく。

熱心なキリスト教徒からムスリムに転向して、客観的にイエスを見ることができるようになった。

本の内容

第一部 ローマ帝国とユダヤ教

第1章ローマ帝国と手を結ぶユダヤの大祭司たち

第2章ユダヤ人の王ヘロデの実像

   貧農の反乱と「メシア」

   ヘロデ属王による反乱鎮圧

   属王ヘロデの死去とローマの直轄支配

第3章ヘロデ王は赤子大虐殺などしていない

   初期キリスト教徒はイエスの生涯に無関心だった

   神話と現実を区別していなかった福音書

   さまざまに解釈された「メシア」

第4章地上の革命求める者たち

   読み書きのない習慣がない社会にいたイエス

   処女降誕伝承とイエスの家族

     イエスには、少なくともヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという4人の兄弟 

     とほかのしまいもいる大家族

     1世紀のパレスチナで独身でいるのは極端に珍しい事実

第5章 世界最強帝国に宣戦布告する

第6章 聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」

第2部 革命家、イエス

    プロローグイエスはなぜ危険視されたのか

第7章イエスの陰に隠された洗礼者ヨハネ

第8章善きサマリア人の挿話の本当の意味

第9章 無償で悪魔祓いをする男

第10章 暴力革命も辞さなかった男 

第11章 イエスは自分を何者と見ていたのか?

第12章 ピラト裁判は創作だった

第3部キリスト教の誕生

   プロローグ「神」になったイエス

第13章ユダヤ人スディアスポラから生まれたキリスト教

第14章パウロがキリスト教を世界宗教にした

第15章イエスの弟ヤコブが跡を継いだに見えたが・・

   エピローグ 歴史に埋没したナザレのイエスの魅力

どのようなことをなことを問いかけたのか

イエスとは実際にはどのような人物だったのか?

そして、イエスは何を実際に説いていったのか?

そして、それがどのように変質して、世界宗教へと飛躍していったのか?

聖書の物語と、実際の史実の差から見えてきたものとは?

「聖書」から落とされた史実、捏造された物語

キリスト教は、イエスが作ったのではない

福音書は、実際のイエスを描いていない

イエスは、過激なユダヤ人ナショナリストであった

イエスが説いたのは、愛と平和ではなく、武力行使も辞さない革命だった

ヘロデ王は、赤子大虐殺などしていない

ローマ総督ピラトがイエスを三度助けようとしたというのは作り話

キリスト教は、パウロによって世界宗教となった。

-キリスト教のローマ化とイエスの家族の地位低下

 新約聖書の大部分はパウロが書いた。

イエスは大変革をもたらす熱烈な革命家から、ローマ風の神格化された英雄へと次第につくりかえられ、ローマ人の抑圧からユダヤ人を解放しようとして失敗した一人の人間から、浮世の問題には全く関心のない天界の存在にされていったのである。p222

 一つはイエスの弟ヤコブを旗頭とした陣営と、元ファリサイ派のパウロが陣頭する陣営である。最終的には、これら憎悪に満ちた、敵対意識丸出しの当事者間の抗争が、何にもまして、私たちが今日知るグローバルな宗教としてのキリスト教をかたちづくることになる。

この本の最後に(p276)著者の結論の言葉として

 救世主イエスと人間イエス

 2000年後の今、パウロの創り上げた救世主(キリスト)は、歴史上の人物としてのイエスをすっかり包含してしまった。~

歴史上の人物としてのイエスの包括的な研究で、できれば明らかにしたいのは、「ナザレのイエス」-「人間としてのイエス」で、それは「救世主(キリスト)」イエスに負けず劣らずカリスマ的で、人を動かさずにはいらない魅力に溢れる,賞賛に値する人物だからだ。ひとことで言えば、彼は信じるに値する人物だ。

 と、述べられている。

略年表

紀元前63        ポンペイウス、エルサレムを征服

紀元前4         ヘロデ大王死去

紀元前4ー紀元後6  「ナザレのイエス」誕生

  6           ガリラヤのユダの蜂起

  26          ピラト  ユダヤ総督に

  26-28      洗礼者ヨハネの宣教開始

  28-30      ナザレのイエス宣教開始

  30-33      ナザレのイエスの死

  36          サマリア人の蜂起

    37年ころ       タルソスのサウル(パウロ)の回心

  48          パウロの最後の書簡

  62          イエスの弟ヤコブの死

  66          ペテロとパウロのローマでの死

  66          ユダヤ人の蜂起

  70          エルサレム陥落

  70-71      「マルコによる福音書」書かれる

  73          ローマ軍のマサダ占領

  100-120    「ヨハネによる福音書」書かれる

  313         コンスタチヌス帝「ミラノ勅令」

                キリスト教が国教に

◎イエスの宣教活動は長くても3年ぐらいしかなかったことがわかる。

 イエスの教えは、ローマ帝国で教えを広めるために変質し、313年キリスト教がローマ帝国の国教になるに従いさらに変質した。そしてキリスト教が国王以上の権力を持つに至り、決定的に支配の道具になっていった。

 この本には大変詳しい原注が付いており、著者の見解を裏付ける根拠になっております。これも本書が優れている点です。          

 訳者あとがき

 福音書記者たちにとって、ユダヤ人の独立運動から距離を置き、イエスの物語から、急進主義や暴力革命や一途な行動の片りんをできるだけけし去りイエスの言葉と行為を自分たちが置かれた新たな政治環境適合させようとしたのは極めて自然なことだった。

 ローマ―とりわけローマの知識人エリートーがキリスト教伝道の主要なターゲットになっていた。

 ローマ帝国で布教するためにユダヤ的要素を取り除いて編纂されたのが「新約聖書」ということである。だからこそ、世界中の人々が受け入れることができたのではないか。

2011年10月12日 (水)

不老不死について「 火の鳥」と「ものみの塔のパラダイス」

不老不死 手塚治虫「火の鳥」も

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わかりにくい写真で申し訳ありません。手塚治虫の『火の鳥』の『未来編』です。

 ほとんどの宗教が、死後の世界を想定して、信仰すれば、永遠の生を保証してくれるようです。私のように、無神論者で、死後の世界に生まれ変わることはないし、死後の世界に行くなんてまっぴらごめんと、確信しているのは少ないだろうと思います。しかし、「本当に確実にある」と確信している人も、日本でも外国でも少なくなってきているのではないでしょうか。死後の世界や、不死の問題については手塚治虫さんのまんがにおいては重要なテーマになっています。彼のマンガでは代表作の「火の鳥」や「ブッダ」、「ブラックジャック」などがそうです。そのマンガを見ると手塚治虫自身が、相当に深く死の問題を考えていたと思われます。

「火の鳥」

 「火の鳥」の中で、さまざまな形で、「火の鳥」の血をなめた人が登場してきます。ところがその結果、すべてあまり良い結果になっていないのです。特に、『未来編』では人類はすべて絶滅しているのに主人公のマサトはただ一人「火の鳥」の血を舐めたばかりに、死ぬことができず、その後何千年も、次の人類が現れるまでただ一人生き続けています。そして5000年後に時間が来たら開けてくださいと書いた、タイムカプセルをみつけ、その中の人が復活するを唯一の楽しみにしています。そして5300年後、ふたをこじ開けたら中の人はぼろぼろになっていたのです。人と会えることが駄目だった時の絶望を描いているのがあります。

天国や極楽 エホバの証人

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ものみの塔の書物です

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中は高度な生物学の教科書という感じです

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 これは虎ですね。人間と仲良くなり、食べものは草です。

それでは、天国(パラダイス)とか、極楽などに行くのはどうでしょうか。大体の宗教は、かなりその辺になるとあいまいなのですが。「ものみの塔」(エホバの証人)ではかなり具体的です。奥さん連れで、よく子供もつれて訪れてきて、パンフレットを置いていくひとたちです。それによりますと、世界は世界戦争などで絶滅し、その間、信者だけは宙に浮いていて助かるそうです。そしてそのあと地球に戻るのだそうです。

 あるとき人間学研究所に三人で来た時私は話を聞きながら、『生命ーどのようにして存在するようになったか 進化か創造か」という本を買い、そして、いろいろ聞くことができました。この本は細胞や進化について詳しく書いてあって、高度な生物学の教科書のようです。しかし最後が創造説と「楽園」についてかかれています。

そして聞いた話しでは、14万4千人の特に優れた信者は天の極上の楽園(パラダイス)へ行くそうです。その他の人は信者すべての人が地球上のパラダイスに行くのだそうです。それには定員はなく信者すべてだそうです。

  回ってきた人々にあなたがたはどうですかといったら、「私たちはとてもとても」と、わらって言っていました。あとの信者は、不信心な邪魔ものがいなくなった地球にもどり地上の楽園に住むそうです。年とった人も若返り、みんな若者になってしまうのですね。そこではライオンも草を食べるようになるそうですが。ほかの生物はどこまで、生存がゆるされるのでしょうね。

私は不死のパラダイスに行きたくありません

 ただそこで私は思うのですが。だいたい90歳くらいまで生きれば十分です。そこで、あらためて欲張っても100年くらいはまた生きてもいいのですが、あと数千年、数億年も生きなければならないとしたらどうでしょう。いづれ太陽系も消失するでしょうけれど。私はまっぴらごめんです。今生きている間で、そこそこ時に厳しく、時に楽しくで生きていれば十分です。死後の世界なんてないと思えば、この世界を少しでも住みよくしなければと思うのですが。皆さんはいかがお考えですか。

追記 回ってくる奥さんかたは、優しく確信に充ち「本当に迷える私たちを救おうと思っているのでしょう。嫌味な質問でも怒ったりしないで丁寧に答えます。

 しかし、わたしのお悩み相談で、昔エホバの証人の信者の親に連れられて、家々を回った、という人の相談を受けました。親元から抜け出すのが大変だったと言っています。自分が信者になるのはいいのですが、まだ自分を主張できない子供を連れまわすのはとてもかわいそうに思えます。

 

2011年1月17日 (月)

死について その2 死の生物学、医学 そして宗教

1、細胞の死

  人間の体は細胞で成り立っていますが、その細胞は約60兆といわれています。普通の細胞は、どんどん死んで新しい細胞に入れ替わっていきます。良く分かる例が皮膚の細胞で、古い細胞は、どんどん死んで垢となってはげ落ちていきます。細胞の死に方にはアポトーシスという整然としたきれいな死と、ネフローシスという、やけどや炎症などによる壊死のような死に方があります。生物の普通の細胞はどんどん死んで新しい細胞に置き換わっていくのですが、死なない細胞があります。それは一つは生殖細胞で、他の細胞がすべて死に絶えても、次世代に受け継がれていきます。もうひとつはがん細胞です。1952年に子宮がんから取り出されたがん細胞(ヒーラー細胞として有名)は世界中に配られ培養され続けています。がん細胞は遺伝子の故障が原因で発生するもので、がん細胞は体内で、どんな人でも発生し、ふつうは抗体や白血球などにより壊されてしまいます。それが抑えることができないようにまで増殖すると、始めてがんとして目に見える形になります。

 1990年にはDNA(デオキシボリボ核酸)で構成されている染色体の先端にある塩基配列があり、テロメアといいますがDNAが複製するたびに短縮していくということをハーレイ博士が発見しました。ちょうど回数券のように、分裂をするたびに減って最後になくなればその染色体さらには細胞も死ぬというのです。がん細胞にはテロメアを延長させる酵素を持っているようだというのです。細胞は分裂で再生しますが、60回くらいが限度だといいます。テロメアの回数券が60回ということです。また、1月23日の日経新聞記事で、「人はなぜ死ぬのか」という記事がありました。心筋や神経細胞のように分裂しない、「非再成型細胞にも寿命がある」と東京理科大学の田沼靖一ゲノム創薬研究センター長が「非再生系細胞にはアポトーシスとは別の死の仕組みが備わっている」と三つ目の死に方があると。紹介していました。

 生命の起源より、連綿とした遺伝子のつながりがあり、外部環境の変化に応じて、遺伝子も変化し、古い適応できない生物は死滅し、適応した子孫が生き残り次第に進化をし、この地球上に様々な生物が生じてきました。すなわち、さまざまな死がなければ、世の中は変化発展していかないのです。個体がどんどん死んで、新しい個体が環境に応じて変化するためにその種は維持されるのです。死がなかったら進化も発展もありません。人間の社会もそうで、そうでなかったら文明の発展はありません。動物の世界では死は自然の持つ一つのシステムです。生態系の中で動物は死ねば他の生物のえさとなり役立ちます。人間も鳥葬の間は自然のシステムでしたが、今人間の死は儀式化され、自然には帰れなくなっています。また人間は動物として、ふつうは繁殖ができないと死ぬことになるのですが、能力がなくなっても長く「余命」として生きていられるようになった生き物です。ゾウなどは、生殖能力がなくなってもすぐ死ぬわけではなく、仲間がささえるという面があるようです。また、家族のゾウが死んだときしばらくの間その死体を離れないということがあり、「死」について多少の認識があるようです。

2、死と宗教

 肉親の死は、宗教などにより儀式化し、通夜、初七日、33回忌などを通して次第に受容してい(死の癒し)。 昨年一年間で日本人が約120万人の人が死んだそうです。2040年にはピークの166万人になるそうです。以後少しづつ減少していきます。

 なぜ人は死を恐れるのかということに関して、

  1、死は非常に苦しいもの、醜いものと考える

  2、この世から、自分が永久に消滅してしまうという、限りない寂しさと死後はどこへ行くのかという不安

 私は無神論の立場から、死はいわば永遠の眠りのようなもので、病気などで死ぬ寸前の痛みがあっても、最後には大量に脳内から出されるドーパミンで、夢のような快感を感じながら死んでいけるようなので、心配はしていません。また、死後の世界などは、絶対なくて、そのまま安らかに眠った状態になるだけであると確信しています。わたしは死後に天国だろうが、極楽浄土だろうがなにかに生まれ変わることなど、まっぴらごめんです。

 ただ、最近は、あまり無いのですが、心臓ノイローゼなどがあった若い時には、自分が死んでしまって、何もない暗黒の世界をイメージが出てきてぞっとして目が覚めたりしたことはあります。生きていることはお釈迦さまが言うように、いろいろ矛盾はありますがこの世界は美しい甘美なものなのですね。心身が健康な時には死も意識に表れてきませんが、重病に侵されたら否応なしに意識せざるを得ません。特にがんで余命を宣告されたらなおさらそうです。ですから、誰でもがいずれは死ぬのだから、一日一日も大事に使おうと思うべきなのでしょうが、なかなかふつうはそんなことを感じないで生きています。いずれにしても宗教などで、じぶんたちの宗教を信じない者は不幸になり、地獄に落ちるとかいうものほど傲慢なものはいません。ありもしないもので人をだますのは詐欺そのものではないでしょうか。

 うちの宗派は、真宗大谷派です。葬儀や何回忌に必ずお坊さんとお経(真宗大谷派勤行集)をいっしょに読み上げます。正信偈で何度も唱えているのでかなり覚えてしまいました。そして和賛から回向そして南無阿弥陀仏と唱えます。ちょっと付け加えますと、韓国歴史ドラマを見ていると、お坊さんが、南無観世音菩薩というのを、日本語で言うのとまったく同じ言葉で言うのを興味深く感じます。また蓮如上人の「白骨の話」などの法話も聞きます。浄土真宗というものは、けがれるといけないからと塩をまいたりするのはおかしいなど、葬儀上の迷信をすっぱり否定しているところはなかなかいいと思います。いずれにしても仏に帰依して、南無阿弥陀仏を唱えれば、悪人でも浄土(安楽国らしい)へいくことが保証されます。これは死後に関してかなりの安心感を与えるでしょうね。少し横道にそれました。いずれにしても、人間が死ぬということに対しての恐れ、その克服法として宗教が生まれてきたと言えるでしょう。

 キリスト教というのは、自分の教えにしたがうものには、パラダイスを約束し、そうでないものには、地獄行きを命じます。最後の審判で、その前に死んだ者も墓からよみがえって神の審判を受けます。キリスト教の聖書で最も目立つ言葉が、私に従えという命令です。かなり理不尽と思われる命令を神が下しても従わざるを得ません。聖書の中でも、神はよくその人の神への信仰がほんものであるかを試します。

 クリスマスのころになりますと、車が止まっていて、独特の口調の一本調子のマイクの音で、あれ「エホバの証人」なのでしょうか、「罪を犯した人間の報いは死である。悔い改めなさい。そうすれば永遠の命を与えられるであろう」というような内容をながしていますね。みなさんもお聞きになったことがあるでしょう。前にも宗教のところで書きましたが、「エホバの証人」ものみの塔の資料を買ったりもらったりいろいろ聞きました。きつい質問でもにこにこしながら、話します。絶対の確信を持っているのでしょうね。

追記:2012年1月 新大久保駅周辺が、韓国のお店に行く人でごった返している2011年12月ごろ、毎日毎日、その言葉が流れていました。

 以下は「エホバの証人」の3人の女性の人たちから聞いたことです。

最後の審判のときにハルマゲドンがあり、「エホバの証人」を信仰しないものはすべて死にたえてしまいます。そのハルマゲドンのときに信仰している人は、一時地球上の空中に浮いているそうです。そして無信仰な邪悪な人間などが死にたえた後、一部の高級な信者144000人は天上のパラダイス(楽園)へ、その他の信者は地球上へ戻り、年老いたものは若返り、病気も治り、ライオンやクマとも仲良しになり、ライオンも草をたべるようになります。ということでした。14万4千人というのがずいぶん具体的で、面白いなーと感じました。話してくれた3人に、あなた方はそういう天国に行くのですかとたずねましたが。私たちはとてもとても、と笑っていました。

 でも私は、そういうパラダイス(楽園)があっても行きたくありません。永遠の命なんてまっぴらごめんです。100歳も元気に生かしてもらったら上出来で、もう疲れたからそろそろ永遠の休息でもとりたいな、と思います。それにしても、あるかどうかわからないことを絶対と信じて、自分たちに従わない人を弾圧したり、地獄へ行くなどと脅かすのはひどい傲慢だと思います。そういう人はよほど欲が深いのでしょうね。もし本当に永遠の命をもらったとして、地球や太陽が滅び、ついには宇宙がなくなるまでなんか生きていたくありません。

死について考える その1、死とは何か 

1997年(平成9年)10月の実用的人間学研究会第49回例会において、私は「死について考える」というテーマで、お話ししました。13年も前のことなので、その頃参加していた方は少なくなっていると思うので、来月(2月)の実用的人間学の例会でお話ししてみようと思います。そのときの24ページの手書きのレジメを基に、お話ししてみたいと思います。

追記 2月例会は寒いので、もっと明るく楽しい話題にすることにしました。

1)死について、いろいろな見方と歴史をお話ししました。

 死といっても人間の死、動植物の死、民族の死、人類の死、そして宇宙の死まで、いろいろです。また人間の死に関しても、細胞死、臓器死、個体死、精神死などいろいろとあります。また人間に関して言えば、生物学的、医学的な死、と社会的な面での死というものもあります。フィリップ・アリエスという人は、死にも、1、一人称の死(しぬ人本人の死)2、二人称の死(家族身内にとっての死)3、三人称の死(医者など第三者にとっての死があると言っています。また人間にとっての死も、ある一点の時間で死んだと言えないのです。すなわち死は点ではなく、線上を流れていく過程で見ていかなければなりません。1、呼吸停止、2、心臓停止、3、瞳孔が拡大(脳死)となっていきます。昔、NHKのETV特集で、「4つの死亡時刻」という番組をやっていました。死亡時刻もどこをもって判定するかは難しいのです。

 死の定義の一つは、「脳幹を含む脳の全体の機能の不可逆的な停止」とされています。脳細胞の死も1、大脳の死(人間としての意識をもたらす脳)と、2脳幹(中脳、橋、延髄)など、呼吸の中枢などがある。3、全脳死があります。心臓が止まって脳への血流がなくなっても脳はただちに死ぬわけではなく数十分は生きられます。そこで血流が戻れば生き返るということになります。そのようなときに臨死体験という状態が生まれます。しかし蘇生するならばそこではまだ死んではいないのです。いわゆる仮死状態です。死んだ後体験するのではなく、死にそうなときに体験するということです。「完全に死んだ人」が生き返ったことは、宗教上のお話し以外一度もありません。またもし生き返ったらそれは死んでいなかったということです。生き返らないのが死なのですから。

 さて人工呼吸器の発明により、いわゆる「脳死」ということが生じてきました。脳幹部分は生きていて自発呼吸をしている状態はまだ死亡したとは言いません。しかし脳幹部分が死んだ場合でも、人工呼吸器で呼吸を維持することができます。その段階で、「脳死」が生じます。心臓やほかの臓器はきちんと機能していて、体は当然暖かいし、子供などでは栄養が与えられて成長していくこともあります。このような状態でも両親が自宅に引き取って、生かし続けているケースがいくつもあります。でもこの段階でいちおう人間の死(脳死)と判定し、臓器を取り出して移植するのが臓器移植です。しかしこの判定基準は様々です。そして脳死については様々な論争があります。さらには、また死体となっても皮膚というのは長生きで、完全に心臓も脳の働きも停止しても、ひげが伸びたりします。このように死といってもいろいろな段階があって一点ではないことがおわかりではないかと思います。

 死の問題は、人間にとって、人生上の大問題であり、宗教の発生する大きな原因となっています。良く出てくるのが4万年ほど前のネアンデルタール人の骨が発掘されたとき、そこに多数の花の花粉がみつかり、埋葬して、そこにたくさんの花を入れたのであろうと推測されました。この埋葬する儀式が宗教の始まりではないかといわれています。       古代の文明の発生とともに、死後の復活を求め、エジプトのピラミッドや、ミイラの製造などを行いました。エジプトで3500年前のものとみられる「死者の書」が見つかっています。それらの宗教は支配階級のものでした。

 BC400年前にブッダは、出家して、自分の教えを広め始めました。仏陀は当時のインドの社会が、支配者階級によって独占された宗教(バラモン教)を、一般庶民のものにしようとしました。カースト制度を否定し、人間扱いされていなかった不可触賤民や女性も、弟子にしました。いろいろな苦しみをいろいろな欲望をたって正しい生活(八正道)をすることによって誰でもが、平安な生き方をすることができると教えました。                   イエス・キリストも、当時の支配層の信じていたユダヤ教から脱して、神のもとに平等であると言って、貧しいもの、虐げられた者に救いの手を差し伸べました。そしてそれぞれ、仏陀は、死後輪廻転生のなくなることを願いました。(死後極楽浄土へ行くなどというのは、後世の弟子たちの作りものです)。イエスキリストは、身分や生まれに関係なく、信仰心だけで、神の国に、復活することを教えました。

 中世には、弾圧していた宗教を公認し、宗教の力を支配者層が身につけ、人々を支配する道具に使いました。中世の時代は戦争が続き世界中で、死体がそこらじゅうに転がっているような時代でした。人々は、あまりに現在の世の中が苦しく、来世での幸せを願うしかなく、それは支配者にとっても大変都合の良いことでした。宗教は様々な迷信とともに、人々の心を支配していました。

 近世になって、ルネッサンスが始まり、宗教に対しても批判的に見るものが出てきました。神よりも人間中心を叫ぶ者が出てきたのです。科学の発展とともに、唯物論の発生、自我の確立、迷信の克服、そして医学の発達は、人間を長生きさせるようになりました。

 しかし現代この20、21世紀になって、死に対して考え方が大きく変わってきてしまいました。現代の死の特徴は、死のタブー化で、死をできるだけ隠す、考えないようにするということです。特徴として1、家庭死から病院死へ、2、交わりの死から、孤独な死へ(特に最近の老人の孤独死は恐ろしいほどです)3、情緒的な死から、科学的な死へ(死の医学化)4、現実の死から劇化された死と変わってきています(「死を看取る医学、柏木哲夫から)肉親の死を体験していない人が増加しています。テレビやゲームなどの虚像の世界での死ばかり見ている。そして普通の人は死について考えず心の準備をしないままに、死に直面しうろたえるという事態が生じています。

 現代医療は、今までなかった事態を引き起こしています。延命治療をどこまでするかという問題も生じています。今死の医学(死生学・タナトロジー)の研究が進められていますが。私たちも、まったく考えないでいて、何かあったとき急にうろたえないようにしていたほうが良いように感じます。1年前父が急死しましたし、私の2歳年下の義理の弟に肺がんが見つかり、手術をすることになりました。今までとても元気にしていましたのに急なことで私もショックを受けました。私たちの年齢(私はもうすぐ68歳)になったら、考えておく必要があるように感じます。

追記 :義理の弟は、2011年9月16日に死去しました。

 つづく

 

2010年5月12日 (水)

ダライ・ラマ 「拝金主義と決別を」の批判

毎日新聞2010年5月3日づけの毎日新聞朝刊の一面にダライラマと毎日新聞の記者が会見し「自殺年3万人『拝金主義と決別を』」というメッセージをしたという記事がありました。ダライラマは皆さんご存じのように、1989年のノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世(74歳)です。6月に訪日するのでその前に亡命政府のある、ダラムサラで、会見をしたということです。

 新聞記事によれば、長引く不況に伴うリストラや借金苦、学校や職場でのいじめ・・・・。自ら命を絶つ人のほか、心を病む人も多い。そして悲しみは周囲に広がる。「日本は経済成長で(人々の心は)限界に直面し、今では経済の分野でも、世界規模の危機の中で苦しんでいる」と案じる一方、「現代社会は人間へのいつくしみや愛がかけている」と説いた。以上は新聞記事をそのまま載せたものです。

 自殺を減らす方策はあるのか。ダライ・ラマは『祈りだけで問題は解決しない』と断言し『次世代のために内なる価値観を重視する教育システムが必要』と語る。さらに生き方を見失った人々には「恥と自殺を考えるなら、恥をしのんだほうがいい。物乞いになってもそれは恥ではない。失敗しても自ら命を断つ理由などない」とのメッセージを送った。と書かれています。そして新聞の5面のダライラマの話しがつづきます。(さてダライ・ラマは、昔オーム真理教の麻原彰晃でも、会ってもらったと感激するような立場にいます)

 ~科学技術が精神的なものにとって代わり、お金が人々の心に浸透しました。しかし20世紀後半以降、精神的な価値観が見直されてきています。発展した国に住む人々は、徐々に物質的な価値の限界に直面してきたからです。私たちは内なる価値の重要性を学ばなければなりません。慈悲や愛といった内面にある価値は内なる平和を基礎にしているのです。お金は欲望などをもたらし猜疑心を高め人間同士の友情をこわします。「自分は不幸だ」と感じ、酒や麻薬に依存し欲求不満が高じ怒りっぽくなる。それは自殺や周囲の命を奪うことにもつながると思うのです。

 直面している問題は過去の怠慢が引き起こしました。今を生きる人はそれを排除しなければなりません。今の経済危機は強欲な拝金主義と投機的行為の結果です。人々は危機を乗り越える方法も、人間としての価値観も考慮せず、お金の話ばかりしています。

 自殺しようとしている人に言います。 がんばっても自信を持てないなら周囲に頼っても決して問題はありません。~何かで失敗したとしても、自ら命を絶つ理由などないのです。

以上、ほとんど新聞にのっているダライ・ラマのいっていることをそのまま書きました。そこで私が思うのですが。今の経済危機は、強欲な拝金主義と投機的な行為の結果ですとダライ・ラマ言っています。その経済危機を引き起こしたものは、新自由主義やグローバリズムにもとずいた、独占資本家集団や多国籍企業とその指示のもとに働く、政府が引き起こしてきたのではないでしょうか。お互いの競争のために、自国の工場を止めてもっとも安い工賃ですむ国を探します。その結果アメリカでも日本でも失業者があふれます。たとえばユニクロは、中国の労働者を低賃金で過酷に働かせます。そこで安くできたものを日本で売ります。日本で作っている繊維産業はとても太刀打ちできません。結局多くの企業や店が潰れてしまいます。そういう企業同士の戦いは熾烈で、道徳的にどうかなどは問題になりません。甘い考えでいて1位になれなければ、ときには2位、3位の大会社もつぶれてしまいます。

 日本でも、新自由主義に基づいた小泉元首相から続く自公政権がさまざまな、大企業本位の政策を行って、大きな利益をあげる一方で、勤労者の所得を下げ、非正社員化し、その結果として購買力が低下市景気も悪くなるという負のスパイラルに落ち込み、さすがに人々もそのことにきずいて、自公政権から、民主党中心の政権に変えたのではないでしょうか。いろいろな自殺も、収入が激減し将来に対して絶望的になって自殺するのではないでしょうか。また仕事は厳しくストレスは高まり、うつになって自殺する人もあります。いま、日本経済新聞などをみると、不景気だといいながら、大企業は軒並み、大きな利益を計上し始めました。大企業は巨大な社内留保をしていますが一般紙はそういうことを報じませんし、多くの人は知りません。そして決してその社内留保を労働者の賃金向上に使いません。次なる競争と利益のために使うのです。それなのに、経団連は法人税をさらに下げさせようとしていますし、政府もその要望にこたえ、逆に消費税を上げようとしています。

 そのような実態を無視して、一般的に、拝金主義をやめましょうとか内面の価値を高めしょうとか、ダライ・ラマは言います。一体だれにあなたは言っているのでしょうか。自殺しようとしている人にでしょうか。自殺を引き起こすような事態をもたらしている、政治家や大資本家に対して言っているのでしょうか。そういう大資本家や政治家にいくら説教しても駄目です。その事態を直すには、人々にそのことをきづいてもらい政治を変えることしかありません。断じて心がけの問題ではありません。ましてダライ・ラマも言うように祈っても無駄です。

 自殺しないようにするためには、教育システムを変えなければなりませんと言います。どのように変えるのでしょうか。人々に拝金主義をやめて欲を出してはいけませんよというお説教や道徳を垂れるのでしょうか。教育システムをかえて内面の価値を高めさせても、独占資本化はそんなものに関係ありません。あくまでも利益を求め続けます。そうしなければ、たちまち競争の世界から脱落してしまうからです。それは一般の人を、迷わせ我慢させる宗教と同じです。また、自殺しないで、人に頼りなさい、恥と思わないで、なんていうのは、たとえば、借金地獄から家族を守るために、保険金を得るために、自殺でもしようとするような事態の人に対してどうすればいいというのでしょうか。家族全員で物乞いでもしろというのでしょうか。そうではなくてきちんと社会保障するシステムを作り、自殺までしようと悩むとき、安心して、相談に行き、頼れるように早急にすべきでしょう。

 ダライ・ラマは祈りでは解決できないというだけましです。祈りで世の中を変えられるという宗教は多いのです。改めて、みなさんもそのような主張があるのではと見てみてはいかがでしょうか。

2010年4月11日 (日)

エホバの証人 ハルマゲドンを待望する人々 追記 上級天国は144000人

だいぶ前になりますが、前の人間学研究所に私がいたとき、女性(おかあさん)の三人連れで、それぞれ子どもの手を引いてきた人たちが、訪ねてきました。「エホバの証人」の人たちです。みなさんも、そういうひとに会ったことはないでしょうか。子どもと一緒に来ることが多いのです。でも子どもも本当はいやなのかもしれません、友達と遊んでいたほうがいいでしょう。さて人間学研究所に1万冊以上の本があり、本の多さに驚いていましたが、私も暇だったのと興味があったので、どうぞお座りくださいと、話を聞くことにしました。そこで、人間とは何かという話になりました。あまり頭から非難せずに、いろいろ聞いてみようと思ったのです。私は進化論の立場ですが当然彼女らは、宗教の立場です。その時に、普通の薄いパンフレットではなく、こんな本がありますと、『生命―どのようにして存在するようになったか 進化か、それとも創造か』という255ページの本を出しました。無料でという話もありましたが、私は本代を払いました。その本は生命の起源、人類の起源や、進化論のこと、細胞の構造など詳しく書かれています。一見すると高校の生物の教科書レベルです。当然のことながら、進化論の誤りを指摘し、創造論(神がすべての生命人間をつくった)正しいと書いてあります。そして次第に、進化論は誤りだと「エホバの証人」の立場の説明になっていきます。その本の内容はすべて聖書に書かれているもののそのままの引用です。その日は子どもいるので長くはいず、改めてということになりました。玄関払いが多い中で、話を聞き、本までかったので、大いに見込みがあると思ったのでしょう。彼女たちの信仰から言えば「エホバの証人」を知らないで、神の教えに従わないで、ハルマゲドンで死んでしまうのはかわいそうだと思うのでしょう。

 そのご同じ3人ですが、子どもはいませんでした。彼女らは、気に触るようなことを言ってもおこるようなことはなく、穏やかで確信に満ちていました。                         さて、前にあげた本と、彼女らの話を少し紹介します。1914年という第一次世界大戦がはじまった年が現代史の歴史の転換点だと言います。すなわち末期的な状況、そう「ハルマゲドン」が近いと言っているのです。「エホバの証人」は聖書に書かれていることをそのまま信じる聖書根本主義の一つで、それらの考え方はアメリカに根強く存在しています。彼らの考えでは、聖書に書いてある通り「ハルマゲドン(世界の破壊と消滅)」があって、キリストの再臨があり、最後の審判があって、それぞれの立場の信仰をしている者のみがパラダイスに行き、永遠の生を受けます。その信仰を守って死んだものも墓場からよみがえってきます。信仰をしていないものは滅亡します。ですから、そういう人は、ハルマゲドンが早く来ることを熱望します。ハルマゲドンになる可能性が最も高いのは核戦争です。『核戦争を待望する人々』(グレース・ハルセル1989朝日選書)という本があります。そこには聖書根本主義者(ファンダメンタリスト)についてかかれています。「エホバの証人」もその一つと言えましょう。その本によれば彼らは世界は6000年前に創造されたこと、イエスの母マリアが処女だったこと、ユダヤ人は神に選ばれた民である、又神はユダヤ人に聖地イスラエルを与えたと本当に信じるのです。アメリカには、4千万人を超える聖書根本主義者がいて、アメリカの元大統領、レーガンも1986年までは、ハルマゲドンを世界最終戦争に結び付け、その必然性を信じる解釈をしていたと書いています。この右派キリスト教徒の人たちは、共和党の右派として、また、イスラエルを熱狂的に支持する人たちであると言っています。 

 その具体的内容は、2回目に来た人たちにはじっくり聞くことができました。それによれば世界最終戦争があって、人々が殺し合いをしている間、エホバの証人を信じていた人のみ、地球上の上空で、ういているのだそうです。そして信じなかった人が完全に死滅すると、その浮いていた人たちが、地球に戻ってきます。地球に戻ってくるというのが他の宗教の極楽や天国と違い、非常に厳密さを帯びてきます。ただ地球に帰ってくる人たちは、人数に制限がないのだけれど、「エホバの証人」の幹部の人たち、14万4千人は天上の極上の楽園(パラダイス)に行くのだそうです。ずいぶん具体的ですが、現在の「エホバの証人」の幹部の数でしょうか。あなた方はいかがですかと聞いたら、三人は笑ってとてもとてもと首を振っていました。身分制はあるのですね。審判を受けて、地球の楽園に戻った人は、みんな若くなり、病気も治り、もう死ぬこともなくなります。でも仕事はまだあるようなのです。疑問に思ったのですが。子どもは、そこでは大きくなるのかどうか、どこの時点で成長が止まるのか、いつまでも子どもではいられないでしょう。そのおじいちゃんおばちゃんもその前のじいちゃんばあちゃんも若くなります。そうすると20~30ぐらいの年の人ばかりになりますね。だいたい私は、100歳まで生きれればもう十分で、千年どころか万年以上も生きなければならないなんてまっぴらごめんです。生物は死んで世代交代していくのが自然です。

 それから、楽園(エデン)においては人間と動物とが仲よくなります。花園で女の子が虎の親子を抱っこしている図が書いてあります。そこではライオンも雄牛のようにわらを食べると書いています。そんな馬鹿なと思って本をみると、イザヤ11:6-9と書いてあります。そこで聖書を見ると、旧約聖書のイザヤ書のその部分に、「おおかみは小羊とともにやどり、、子牛、若じし、肥えたる家畜はともにいて。。。ししは牛のようにわらを食い、乳飲み子は毒蛇のほらに戯れ。。。」と書いてあります。まさに聖書に書いてある通りなのです。藁しか食べられないししがなにかかわいそうな気がするのですが。でもそうならば動物たちも神に許されて、エデンの園にいるのですから、もう人間に殺されて肉にされたりしないはずですね。エデンではもう肉も魚も食べられなくなります。人間中心主義ですから食べてのいいのかもしれません。でも植物は本当に食べてもいいのでしょうか。さてバクテリアというときりがないのですが。いろいろな発酵食品も食べられないのかしら。食物連鎖が途絶えます。そして人によりそんな肉が食べられないエデンには行きたくないというかもしれませんね。

 この「エホバの証人」やヤマギシ会、前のオーム真理教などのカルト宗教では、親が子供を強制的に自分の信仰に引き込みます。「エホバの証人」では子どもを懲らしめることを差し控えてはならないと聖書に書いてあるとのことで、教えに従わない子供は鞭打たれるそうです。それが後遺症となり問題になっています。親は自分の考えに従わない子はサタンの側になったということで、無視したり虐待したりすることがあるそうです。自分だけが信仰するのならまだしも、子どもまで引き込むのは、恐ろしい犯罪ではないでしょうか。

追記 :2012年1月13日

 モルモン教についてブログを書こうと思って、調べていました。ここのブログで、「エホバの証人」では上級の天国。楽園へいける人は14万4000人と回ってきた人たちが言っていたのですが、始めその理由がわかりませんでしたが、その理由がわかりました。モルモン教でもそう言っていて、それは聖書の「ヨハネの黙示録」から来ていることが分かりました。聖書に書いてあることをそのまま信じるキリスト教原理主義では、ヨハネの黙示録の書いてある通りに信じることになります。聖書が書かれた当時の人口での14万4千人はそんなに少ない数ではないのでしょうが、世界の人口が70億人となる現在となってはあまりに少なく、「エホバの証人」ではそれで一部の幹部以外のその他の信者は、地球上の天国(人数は信者すべてで無制限)へ行くことにしたのではないかと思われます。

「ヨハネの黙示録」 第七章

 もう一人の御使いが生ける神の印をもって、火の出る山から上がってくるのを見た。~(彼は)地と海を損なうことができる4人の御使いに向かって大声で叫んで言った。「私たちの神の僕らの額に、私たちが印をおしてしまうまでは、地と海と木を損なってはならない」私は印を押されたものの数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされたものは14万4千人であった。(以後ユダの部族のうち、1万2千人が印を押され~と各部族の数が示される。それ以外の人は、そのあと地と海を損なう事のできる御使いが、地球をそこなうことによってー破滅させられる事になります)

 本当に聖書の通りなら、あくまでも、救われるのは、イスラエルの子らだけで、後世の我々は数に入っていないのではないかと思われます。また、14万4千人からもれた「ものみの塔」などの信者が地球上の天国(パラダイス)に戻るなどは聖書に書いて無いように思われますがいかがなものでしょうか。

 ★次に書くモルモン教についてと関連します。

幸福の科学と幸福の科学学園 参院選得票 7.15追加版

幸福の科学学園4月に開校

 幸福の科学学園が、2010年4月に開校しました。大川隆法の幸福の科学が作った中学、高校で、全寮制、中学は1学年2クラス60人、高校3クラス100人となっています。栃木県の那須に10万平方メートルの敷地のところに建てています。現在の教育界では、いじめや学級崩壊、学力低下などがあるが、ここでは人間にとって、最も大切な宗教教育によって精神性を高め、「徳力と学力」を備えた人材を作ると言っています。

 最初に「宗教教育」を根本に据えるというところから、幸福の科学の考え方を徹底的に植え付けようとしていることが考えられます。また、「ノーブレス、オブリージュ」を身に付けた、「天才」にしようとしています。将来は大学も作り、ちょうど創価学会が、創価高校から、創価大学を作り、創価学会の幹部育成を行っているのと同じことを目指していると言えましょう。しかし、創価大学を出て、裁判官や高級公務員に成っているように、幸福の科学の裁判官や、高級公務員が出てくることを考えると空恐ろしい感じがします。それにしても、カルト、もしくはそれに近い宗教団体が、およそ科学とは無縁であるはずなのに、学会とか科学とか言っているのは何か科学的な装いが必要なのだろうと思います。幸福の科学に入校するには、幸福の科学の信者の幹部の子弟が優先的に入れられるのは当然なことでしょう。

 幸福の科学がどのようなことを言っているのか知らない方のために少しご説明します。大川隆法は、歴史上の偉人が霊界に存在し、大川隆法にチャネリングを通して現在の人々に語りかけていると言って次々に霊言集を出したことから始まりました。それはいままでに仏教では日蓮から親鸞、道元など14人、キリスト教ではキリスト、モーゼ、内村鑑三など、神道系でも天照大神から卑弥呼までいろいろ、孔子、孟子、さらには、出口王仁三郎、谷口雅春、高橋信次などの新宗教の教祖 リンカーンエジソン、ソクラテス、坂本龍馬、紫式部など誰彼かまわず、語らせていて驚くばかりです。最近でも吉田松陰の霊言なども宣伝しています。それぞれの宗教団体とすれば、自分たちの教祖が、大川隆法の口からいろいろ言っているなどということは許しがたいことでしょう。はじめは研究会だったのが1986年には宗教法人とし、本尊は宇宙の最高神エル・カンターレでそれは大川隆法そのもので、昔、ブッダであり、ヘルメスでもあったと言うのです。大川隆法は東大法学部を出ているというのが売りで、一時商社に勤めていました。幹部候補生の登用試験にマークシート方式を採用するなど、今までの古典的宗教と変わったところがあります。この前の選挙に立候補した人を見ても東大、京大、早慶などの有名校の卒業生を前面に出していました。それらの人は学力はあっても、科学的批判的精神は全く学んでこなかったようです。

 大川隆法は、「太陽の法」とかいろいろな書物を出し、信者はそれを他の人に広める必要があるらしく、私と私の息子がたまたま戸山高校で、戸山高校の名簿で見たのでしょう、戸山高校の卒業生の信者の人物から、幸福の科学の紹介とたくさんの本が届いています。それを私はあきれながら、こんなことを書いていると批判する資料にしています。そのような大量のほんの売り上げで、かなり宗教団体としては大きな利益を得ています。また本を買った、あるいはすすめた登録した人をすべて信者としてしまうらしく、1995年には1000万人を突破したと言っていますが、昨年の衆議院選挙での幸福実現党の得票を見る限りではせいぜい30から50万人くらいであろうかと言われていますが。信者は平均3万円位をつぎ込むそうなので、毎月120億円が集まることになります。大量の衆議院選挙の立候補者が供託金没収となりましたが、問題にもならないのでしょう。本の売り上げには、税金がかかるはずですが、その他のお布施は無税なので、相当な実収入が入ることと思います。宗教法人は各政党にとっては有力な支持団体となるので、お布施は無税となっていますがこれは絶対におかしいことです。

 大川隆法は他の新興宗教団体と同じように、幸福の科学を中心とした「ユートピア社会」をつくろうとしています。選挙に出てきたのもそのためでしょう。1991年の「フライデー事件」以来はあまり反社会的な行動に出ていませんが、「オーム真理教」が選挙に出て、惨敗し、それを政府が弾圧して得票を少なくしたのだと考えたのが、サリン事件などを引き起こした原因だと言われています。幸福の科学が1000万以上の信者がいるはずで大量の得票を得るはずなのに、衆議院選挙で惨敗しました。こんどの参議院選挙で又惨敗した時、つじつま合わせに、おかしな行動を起こさなければいいのだが、と思っています。何しろ、大川隆法は釈迦もキリストも、含めた全宗教の教祖が、いわば彼に乗り移っているのです。そしてかれは全知全能の神様、仏様ですから、抵抗がなければすぐに、幸福の科学の理想的な「ユートピア」が建設されるはずです。そしてその信者も、頑張ればだれよりも「偉い」人物になれるのだと思っているのだと思います。でもこのような宗教に入る、社会の状況、人々の心の状況を、なんとかしなければならないと思っています。 幸福の科学はインターネットを通じてお悩み相談を受けています。どの宗教でもそうですが、まず熱心に悩みを聞いてくれます。そして、連帯感を感じアドバイスを受けます。それだけで、悩みがだいぶ解消することが多いのです。いろいろ勉強して、間違っていようが何かしらの信念ができれば気持ちが強くなります。他の人よりも信仰している自分のほうが偉いと思わせられます。その人を感心させるためには、たくさんの人が信じているんだということ、立派な建物や海外にも支部があるんだというお膳立てが必要です。そこで悩みが解決した人は、その人の本心から周りの人に、信仰をすすめるのです。これが新興宗教の信者が増える過程だと思うのですが。

 参議院選挙が終わって、幸福実現等の得票がわかりました。東京都で22,281票で、全国で229,026票でした。前回の衆議院選挙に比べ、候補者が少ない分さらに得票は減っています。信者1000万人を自称していてこの差をどう説明するのでしょうか。その中でドクター中松が幸福実現等から立候補していて38242票をとっています。 彼も最近はお目にかからなくなったのですが、どこでもいいから出てみようということなのでしょう。立候補者の家族や知人などの票もありますから。信者は前は20万人ぐらいはいると思っていましたが、実際は7から8万人ぐらいなのでしょう。

2009年10月 8日 (木)

宗教は嫌いだけれど、宗教的なものは好き

 以前、「ブッダ、キリストは好きだけれど、宗教は嫌い」という文章をここのブログに書きました。苦しんでいる貧しい庶民を救済するために奮闘し、キリストは命まで捧げました。でも、そののち、自分たちの宗教こそが正しいと主張し、他の宗教や宗派を弾圧し、平気で人の命を奪い、支配者の権力を維持するために使われ、さらには麻薬のように人々を幻覚、幻想でだます、いわゆるアヘンとしての役割を果たす、宗教がいかに多かったことでしょう。世界のいろいろな戦争や対立は、宗教戦争をバックにしているものが多いのです。

 ただ現実には、世界中を見てみれば、宗教を信じていると答える人は圧倒的に多く、無神論を唱えるものは少数です。私は宗教がすべて、マイナスに働いているとは思いません。宗教でも、ありとあらゆる立場の者があります。世界には、ブッダや、キリストの精神を純粋に受け継ぎ、貧しい庶民のために奮闘する誠実な宗教者も多いのです。

 私は、すべてではありませんが、宗教は嫌いです、といいますが、宗教的なものは好きなのです。私が中学の時にテストをやった結果では、向いた職業はということに対して、宗教家となっていました。いろいろと宗教を批判しているのはむしろ宗教的なものが好きだからです。人々が、宗教を信じてそれで幸せになるのは、それは良いことです。他人から見て、かなりおかしいなと、思うものでも、人に迷惑をかけない限り、それはいいのです。それを無理やり人にも押し付けて、迷惑をかけなければ、いわゆる、信教の自由があります。一時マルクス、レーニン主義の名のもとに、スターリン時代のソビエト連邦、中国の文化大革命や、ポルポトのカンボジアでの宗教弾圧は大きな間違いです。

 また、世界の歴史の中で、文化の発展ということに関して言えば、宗教家は多大な発展に寄与してきました。彼らは当時最高の文化人であったのです。建築においても、お寺や教会は素晴らしい文化遺産です。私は、お寺や神社などに行くのがとても好きなのです。そして一応、きちんとお賽銭を上げ拝んできます。それで、いろいろなおみくじを集めるなどというマニアになり、その話をしたりもするのです。

 また、宗教家の中には、素晴らしい人はたくさんいます。特に感心するのが、瀬戸内寂聴さんです。若い間はいろいろな恋愛遍歴がありますが、仏門に入ってからは、いろいろな悩みをもった人への話をすることがとても素晴らしいのです。私は、テレビで見たものをビデオにとって置きましたし、5巻ほどの市販のビデオも買いました。たくさんのおばさん達(失礼)を前にして、話をし質問に答えます。その中で、親しい人との死別がありなかなか、気持の整理がつかないという人が多いのです。瀬戸内寂聴さんは、必ず言います。「この中で、私は死なないと思っている人はいますか?」と、誰も手をあげません。「そうなんです。私も、あなたもみんな死んでしまうんです。もうこれはどうしようもないのよね」、みんなどっと笑います。「みんないつかは死ぬんですよ」。そして「それをいつまでくよくよしていれば死んだ人も喜ばないでしょう」といいます。そして「親しい人が死んで悩んでいる人はとても多いのですよ、あなたばかりではないのよ」。みんなうなずきます。人が死んで悲しく、苦しいのはみんなそうななんだと、そう分かって諦めるのが、仏教の真髄なんですね。また、自分のことは棚に上げて、他人が悪いと思っている人には、違う観点で自分にも過ちがあるのかもしれないときづかせます。人は基本的なものの考え方が変わると、劇的に変わります。このような奇跡を、瀬戸内寂聴さんだけでなく、多くの宗教者がやっていると思います。ブッダも、キリストも、どうしても治らなかった多くの病人を言葉や温かい手を差し伸べるだけで、奇跡的に人を救いました。本当に深い信仰心は、人々の心に劇的に作用し、奇跡も起こります。ルルドの泉もそうです。でもその神秘現象のメカニズムは医学的に解明されています。

 宗教には良い面もありますが、現実は、マイナス面があまりに多すぎます。特に政治に大きく絡んでくると様々な問題が生じます。やはり、宗教ではなく、現代の科学の時代に合った、救済方法が、開発されなければならないと思います。その一つが、私が提唱する、実用的人間学に基づく、宗教的なものの良い点も取り入れた人間に関するゼネラリストの誕生にあると思うのですが、いかがなものでしょうか。

2009年10月 6日 (火)

ブッダ・キリスト・孔子と宗教 (修正版)

  2009年10月22日の実用的人間学研究会例会で、「ブッダ・キリスト・孔子と宗教」というテーマで、お話をすることになっています。いずれも、神や仏になる前の名前は、「ゴータマ、シッダルタ」、「ナザレのイエス」、「孔丘」です。以前「宗教は、嫌いだけれど、ブッダは好き、(キリストもね)」という文章をブログに書きました、そこでは主に、ブッダの原始仏典である、『スッタニパータ』(中村 元訳 岩波文庫)の内容を紹介したものです。これは様々な仏典の中でも、もっとも古いもので、ブッダの言葉がそのまま素朴に残っているものです。佐竹は、学生時代にこれを読んで感激し人間学研究会で話したこともあります。また人にも、これをぜひ読んでみるといいよとすすめました。    

 中村氏の解説によれば、「この経典には、簡単素朴な最初期の仏教が示されている。そこには難しい教理はなく、素直に人として歩むべき道を説いたのである。ブッダは、一人の修行者として簡素な生活をし、特殊な宗教の開祖になる意識はなかった。この当時は大規模な僧院の生活は始まっていなかった」といっています。

 この 『スッタニパータ』はもちろん、キリスト教の『聖書』や、孔子の『論語』などと同じように、弟子が書いたものです。その後いろいろに解釈される前に、直接、ブッダや、キリストや孔子の言ったことばには、さすがに心を打つものが多いのです。しかし、ブッダも、キリストも、孔子も、その教えをただ素晴らしいと感じているだけでは宗教ではありません。 ブッダについては、、その生涯を描いた手塚治虫の長編漫画『ブッダ』も、面白くてためになる本でした。手塚治虫の代表作の一つといっていいでしょう。そしてブッダの教えを一人で守っている間は宗教ではありません。また特に孔子の『論語』などの学習は儒学になります。宗教としての儒教ではありません。

宗教とは

 宗教は、弟子たちがその教祖を神や仏としてあがめ、その言葉を教典や経典にすること、そしてその教えを専門に広める、僧侶や神父・牧師などが存在すること、そして、お寺や教会や孔子廟などの建物や組織としての教団、、さらにはそれをささえる信者などがそろって初めて宗教となるということです。

 精神科医の小田 晋氏は、「先生は、何人の教祖を精神病院へ送ったのですか」と聞かれたと言っています。「私はずいぶんと、教祖をつぶしてきました」、と笑って言いますが。人はある異常な精神状態では、神がかりになることがよくあります。でも普通は症状が治まると、けろっと、自分が神様であることを忘れてしまいます。でもその人に信者がついて組織が整っていけば、立派な宗教になります。また、キリストは40日40夜の断食と感覚遮断で幻覚を見たといいます。その時にはエンドルフィンも出てエクスタシー状況にもなります。(『キリスト教も幻覚から始まった』はまの出版)

共通点と相違点

 ブッダと、キリストと孔子ではいろいろと共通点と相違点があります。それはまずその宗教が生まれた風土が影響しているといわれています。温暖な農耕地帯である、インドや中国の地は、多神教的で、厳しい砂漠地帯に生まれた一神教の系列である、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの違いです。 共通点は、当時の人々の苦しみを、なんとか救いたいという強烈な意識です。今の世界でも、生きているより死んだ方がましだという悲惨な状況の人はたくさんいます。しかし彼らの時代はもっと厳しかったでしょう。時の支配者に虐げられ、先の見通しや、希望もなく早くに死んでしまう貧しい人たちの群れ。その人たちに、ブッダや、キリストや、孔子は胸を痛めます。

 当時は厳しい身分制度がありました。一部の特権階級を除き、大変厳しい生活をしてきました。インドでは、カースト制度があり、支配階級のバラモン、クシャトリア階級のほかに大量の庶民階級と、さらには不可触賎民といわれる、、人間扱いされない階級の人たちがいました。悲しいことにそれは今でも続いているのです。カースト制度をもとにするヒンズー教に対し、仏教では、カースト制度を認めません。キリストの生きた時代、ユダヤ人はその国をもたず、エジプトで奴隷扱いされていました。次にイスラエルに戻って来ても、ローマ帝国の支配を受けました。庶民は大変その中で苦しみました。キリストは、その教えと救いを示し、ユダヤ教を超え、単にユダヤ人だけでなく、女性も含めたすべての人々が神の前で平等で信じれば救われると言いました。中国でも、孔子の時代は春秋戦国時代で、戦乱の中で、庶民は塗炭の苦しみの中にありました。

庶民の苦しみを救うために

 こういった、庶民の苦しみを救うために立ち上がったのが、ブッダ、キリスト、孔子なのです。その三人に共通しているところは、あくまでも苦しんでいる貧しい庶民のためという立場です。そして、それは身分や民族、国家の枠を乗り越えたものです。そしてそういう人たちへのやさしさであり、逆に暴虐なものへの怒りです。ただその解決する方向は違いました。

 しかし後世、弟子たちがその教えを広めるために、いろいろな言説を加えていきました。その地に入りやすいようにしだいに、教義も変えていきました。そしてついに、権力者にとりこまれるにいたって、その権力者の権威を高め、庶民を弾圧する道具に変質して、堕落していったのです。それは三つの宗教に共通しています。それぞれの、教祖たちがその有様を見たらなんというでしょうね。ですから、私は、ブッダやキリストや孔子は好きなのですが、宗教は嫌いというのです。

 この文章は、「実用的人間学ニュース第10号」の文章を一部改編したものです。

           

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