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宗教と死

2023年3月 8日 (水)

大川隆法氏死去、66歳、元オーム真理教の上祐氏  神の化身が次々に死去と

2023年3月2日に幸福の科学の創始者、大川隆法氏が亡くなられました。66歳、2月28日に自宅で倒れたそうです。

日刊スポーツで大川氏の長男(幸福の科学から追放された)と対談した、元オーム真理教の上祐氏は、「神の化身と自称するカリスマの次々の死」により、時代が変わりつつあると話しています。例として挙げた教祖は。

サイババ 2011年死去     インド 85歳で死去

文鮮明  2012年死去  92歳肺炎で死去 韓国 統一教会を始める

麻原彰晃 2018年死去  オーム真理教 63歳で 日本 刑死 弟子の1部はアレフと名を変える

大川隆法 2023年死去  幸福の科学 66歳で死去

池田大作 2023年11月15日死去 創価学会3代目会長 95歳、老衰で死去 公明党を作る

 

◎大川隆法氏 

 1956年7月7日生まれ

 徳島出身 東京大学卒業後 トーメンに就職

 1986年 幸福の科学を始める

 1991年 宗教法人に

 最高神 エルカンターレ

 霊言でいろいろな死者を呼び起こす

 2009年 幸福実現党をつくる

 1100万の信者がいるという

 本を3100冊書く 41か国で訳す

 

大川氏死亡の新聞記事

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新宿区高田馬場4丁目にある幸福科学の教会

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新宿精舎となっています。

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3月16日号の「週刊文春」では大きく記事が掲載されています。

お布施は年300億円、大川氏の年収7億円とあります。

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2020年1月22日 (水)

不老不死について「 火の鳥」と「ものみの塔のパラダイス」2020年1月追記更新版 大学同窓生の年賀状から「死について」映画のことも

不老不死は果たして本当にいいのか 

手塚治虫の漫画「火の鳥」のなかの1場面

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わかりにくい写真で申し訳ありません。手塚治虫の『火の鳥』の『未来編』です。火の鳥の生き血を飲んで不死になった人間。自分以外に人間が生きて復活してくるのをずっと、待ち続けますが、それはだめでした。その時の絶望は、はかり知れません。

ほとんどの宗教が、死後の世界を想定して、信仰すれば、永遠の生を保証してくれるようです。私のように、無神論者で、死後の世界に生まれ変わることはないし、死後の世界に行くなんてまっぴらごめんと、確信しているのは少ないだろうと思います。しかし、「本当に確実にある」と確信している人も、日本でも外国でも少なくなってきているのではないでしょうか。死後の世界や、不死の問題については手塚治虫さんのまんがにおいては重要なテーマになっています。彼のマンガでは代表作の「火の鳥」や「ブッダ」、「ブラックジャック」などがそうです。そのマンガを見ると手塚治虫自身が、相当に深く死の問題を考えていたと思われます。

そして何度も、不死というものがあったら、実は大変恐ろしいものだということをわからせられます。

◎後に書いてありますが、2020年の大学時代の友人からの年賀状に「人は必ず死ぬ、という必然を受け入れられず、抵抗しています」と、書いてありました。このことについて、新しくブログを書きますとメールしましたが、書く前に、ずっと前に書いたこのブログに書き加えていましたが、結局、新しいブログを書かずに、このブログに色々と付加して更新してしまいました。

「火の鳥」上の図の漫画より

「火の鳥」の中で、さまざまな形で、「火の鳥」の血をなめた人が登場してきます。ところがその結果、すべてあまり良い結果になっていないのです。特に、『未来編』では人類はすべて絶滅しているのに主人公のマサトはただ一人「火の鳥」の血を舐めたばかりに、死ぬことができず、その後何千年も、次の人類が現れるまでただ一人生き続けています。そして5000年後に時間が来たら開けてくださいと書いた、タイムカプセルをみつけ、その中の人が復活するを唯一の楽しみにしています。そして5300年後、ふたをこじ開けたら中の人はぼろぼろになっていたのです。人と会えることが駄目だった時の絶望を描いているのがあります。

 

天国や極楽 エホバの証人ではどうなるのか

 

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購入したものみの塔の書物です

 

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細胞の中の詳しい説明です。本の中は高度な生物学の教科書という感じです

 

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 これは虎ですね。人間と仲良くなり、食べものは草です。

 

それでは、天国(パラダイス)とか、極楽などに行くのはどうでしょうか。大体の宗教は、かなりその辺になるとあいまいなのですが。「ものみの塔」(エホバの証人)ではかなり具体的です。奥さん連れで、よく子供もつれて訪れてきて、パンフレットを置いていくひとたちです。それによりますと、世界の不信仰の人類は世界戦争などで絶滅し、その間、信者だけは宙に浮いていて助かるそうです。そしてそのあと地球に戻るのだそうです。

 

 あるとき人間学研究所に地域の巡回で三人で訪ねて来た時、私は話を聞きながら、『生命ーどのようにして存在するようになったか 進化か創造か』という本を買い、そして、いろいろと話しを聞くことができました。この本は細胞や進化について詳しく書いてあって、高度な生物学の教科書のようです。しかし後ろの方に天地創造説と「楽園」についてかかれています。

 

そして聞いた話しでは、14万4千人の特に優れた信者(教会の幹部)は天の極上の楽園(パラダイス)へ行くそうです。その他の人は信者すべての人が地球上のパラダイスに行くのだそうです。それには定員はなく信者すべてだそうです。

14万4千人というのは聖書の中に書かれている人数です。聖書が作られた、その当時はこのくらいの数で十分でしようが、人口が今くらいになるととてもこれでは数が少ないのです。それで上級天国と一般天国に分けなければならないのです。

 

回ってきた人々にあなたがたは、上級天国にどうですかといったら、「私たちはとてもとても」と、わらって言っていました。あとの信者は、不信心な邪魔ものがいなくなった地球にもどり地上の楽園に住むそうです。年とった人も若返り、みんな若者になってしまうのですね。そこではライオンも草を食べるようになるそうですが。ほかの生物、例えば害虫などは、はどこまで、生存がゆるされるのでしょうね。いなくなるのでしょう。悪い細菌やウイルスもいなくなるのでしょうね。あるいはよい細菌やウイルスに変わるのでしょう。

 

私は不死のパラダイスに行きたくありません

ただそこで私は思うのですが。だいたい90歳くらいまで生きれば十分です。そこで、あらためて欲張っても100年くらいはまた生きてもいいのですが、あと数千年、数億年も生きなければならないとしたらどうでしょう。いづれ太陽系も消失するでしょうけれど。私はまっぴらごめんです。今生きている間で、そこそこ時に厳しく、時に楽しくで生きていれば十分です。死後の世界なんてないと思えば、この世界を少しでも住みよくしなければと思うのですが。皆さんはいかがお考えですか。

◎2020年1月22日追記

ところが、90才とか100歳まで元気で長生きできればいいやと、単純になかなか思えない人も世の中には多いものです。だから世の中の宗教が盛んなわけです。新大久保には韓国人、中国人、ベトナム人、ネパール人その他世界各国の人々が住んでいます、そして大久保、百人町にはいろいろな宗教の教会、寺院、イスラム教礼拝所などがあります。どの宗教も信仰をすれば、死後にも次の世が約束されているから安心して死んでいけばよいといいます。信仰を確信させるためのいろいろな装置があります。

筆者の様な確信を持った無神論者は少ないのです。普通はぼんやりと思っているだけで、何かを信じていれば安心だと思っているのです。キリスト教なら、入信し洗礼を受け入信して、アーメンでしょうか。日蓮宗は南無妙法蓮華経ですし、浄土真宗などは、南無阿弥陀仏と唱えればいいのでしょう。浄土真宗ではお経などで極楽(安楽国)に往生と言っていますが、どちらかというと、あきらめなさい-諦観という感じが強いのです。ともかく宗教は色々な方法を使って、死後について、安心立命し極楽とか浄土(仏教の場合)や、パラダイス行き(キリスト教やイスラム教)を約束します。そして自分の宗教が正しいと、争います。

浄土真宗でのお葬式

ちなみに筆者の家の宗教の浄土真宗大谷派のお葬式では、必ず僧侶だけでなく、参加者全員が勤行集の本を渡され、みんなでお経を唱えます。中心は親鸞の書いた,教行信証の中の正信偈です。帰命無量寿如来、から始まります。

そして最後に回向文を唱えます。

願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国

そして南無阿弥陀仏~と唱えます。

他の仏教宗派に多い、死を汚れとして行ういろいろな行いをとりません。浄土真宗では阿弥陀仏を信じれば誰でも仏になり、なくなると、すぐに仏になって、極楽浄土に成仏するので、塩で清めるなんてことはしません。いろいろな迷信的な儀式もしません。わが家では、以前は、仏壇の中に位牌を置いていました。しかし住職が息子さんに変わり、仏壇の中に位牌は置かないんですよ、と教えられました。浄土真宗では位牌の代わりに法名軸とか過去帳を使います。うちでも位牌を片付けて法名軸に変えました。

私自身は,強個な唯物論者で無神論者ですが、自分の死後については、無宗教式にとかこだわりません。無難に先祖のお墓に入れてもらえばいいと思っています。

参考になるブッダに関する書物

『ブッダ』手塚治虫 潮出版社

手塚治虫のブッダも全巻、みんな見ましたが、その中で、万物がみんなつながっているんだという意識のことが印象に残りました。

また、晩年のブッダが美しい景色を見て、「この世は美しい」(甘美なものだ)という言葉が印象に残りました。

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『ブッダの言葉ースッタニパーダ』岩波文庫 中村 元訳  1243円

はるか昔に読んだ、原始仏典の、『スッタニパーダ』も印象に残っています。ブッダが寄進された鶏肉を食べているのを見て、「なまぐさ」ものを食べるのはおかしいのではないかといわれて、肉を食べるのはなまぐさではない、よこしまな考えを持つこと~などがなまぐさである。というのも印象に残りました。原始仏典のブッダの言葉は身に沁みます。

ブッダは直接言っていないのに、弟子が書いたのでしょう、いろいろと地獄のことなど書いています。そういう6道輪廻を繰り返さないということがブッダの、教えであるはずなのに、弟子たちがまた書いているのは、本当におかしいと思います。

 

◎追記2020年1月22日  

このブログの後に、「人生100歳時代」が言われるようになりました。人生での大先輩である、岩城正夫先生は2020年に90才となられ、元気いっぱいです。100歳以上、元気で長生きされると思います。素晴らしい人生の大先輩を少しでも見習って生きていけたらと思います。100歳ぐらいまで元気で生きられて、ぽっくりと死ねたらいいですね。

私の父は大正6年5月生まれですが、自宅で滑って転んで脳出血で平成21年の12月に亡くなりました。前日父親と一緒に、近くのすし屋に行ってお寿司を美味しそうに食べていたのに。はじめは頭のまえを打ったのだから大丈夫などと言っていました。しかし急に様態が悪化し病院でももうどうしようもないと言われました。血液が固まりにくいワーファリンを服用していたので出血が急速に進んだようでした。事故がなければもっと長生きできたでしょうに。92才でした。でも、元気でぽっくりの一つだったように思います。

2020年1月の年賀状を、大学時代の友人で、学生時代からその後まで人間学研究会を一緒にやっていた角田君という友人から頂きました。

「小生、喜寿を迎えて、「人は必ず死ぬ」という必然の事実をまだ受け入れられず抵抗しています。何とかこれを合理化できる考えはないものかと」という内容でした。大学の他の同級生にも送られたようで、これに関連したメールがとどきました。

メールにはブログにこの内容について、ブログを書きますと返信しました。今いろいろ資料を集めているところです。このブログは2009年にブログを書き始めた2009年ごろに、カテゴリー「宗教と死について」の最初に書いたブログで、その後2011年10月に追記して更新したものです。それをさらに2020年に更新しました。

新しいブログを書く前に、前に書いたブログに追記して2020年1月版として更新し直します。「宗教と死について」はいままで16ぐらいの記事を書きましたが、最近はほとんど書かなくなっていました。友人からの年賀状でまたこのテーマで書こうと思いますが、とりあえず古いものを更新してみます。これから新しい記事を書いていきます。

2020年1月8日NHKBSプレミアムで「壇蜜の生と死のるつぼ イスタンブール」という番組がありました。今まで、ネパール、メキシコ、タイと回ってきて、今回はイスラム教のイスタンブールです。生きること、死ぬことについて各国を回ります。

今年1月のこの番組には、壇蜜がトルコを回りイスラム教と死の問題を取り上げていました。壇蜜は納棺師とか湯灌師の資格を持っているのですね。どの宗教も死後の再生を約束します。特にイスラム教では来世を信じ込ませるのに優れていると思います。イスラム教では1日5回もメッカに向かって礼拝をしなければなりません。キリスト教でも仏教でもはじめはお酒を飲まないようにし偶像崇拝をしないように戒めていましたが、時が過ぎ、地方が変わるうちに、お酒も飲むとか偶像崇拝するようになってしまいました。それに対してイスラム教では戒律g厳しく守られています。

 

よくなくなった親しい親族などが空から見守ってくれるとかいう話がよく出てきます。それをどうのこうのと批判したりするのは愚の骨頂です。死んでいくときに待ってくれている人、もしくは最愛のネコちゃんでもいいのですが、また会えると思えば死も恐ろしくはありません。

「こういちの人間学ブログ」において、カテゴリーの名前を、「宗教と死」としましたのは,死と宗教が固く結びついているからです。科学が急速に進み、今や宇宙からミクロの世界までかなり科学で分かりつつあります。しかしながら、一方では宗教は一時より衰えましたが、まだ根強い影響力を持っています。アメリカではキリスト教右派がトランプ大統領を支え、大きな影響力を持っています。日本でも、神道政治連盟が,安倍内閣に大きな影響力を持ち、創価学会の公明党も政権を強力に支えています。一方、マルクス・レーニン主義に基づく無神論は、ソ連の弾圧や悪政、ポルポトの残虐行為、中国の大国主義的な行いなどで、人々の支持が失われているように感じます。これは秦の科学に基づいたものではなく、一つの宗教化したものと言えます。一部の良心的な政治家、科学者、その他の多くの人たちの動きや、考え方は救いですが、残念ながらなかなか世の中は良くなっていきませんね。

以前の追記 回ってくるエホバの証人の奥さんがたは、優しく確信に充ち「本当に迷える私たちを救おうと思っているのでしょう。嫌味な質問でも怒ったりしないで丁寧に答えます。

しかし、その後、わたしのお悩み相談で、昔エホバの証人の信者の親に連れられて、家々を回った、という人の相談を受けました。親元から抜け出すのが大変だったと言っています。自分が信者になるのはいいのですが、まだ自分を主張できない子供を連れまわすのはとてもかわいそうに思えます。

◎このブログははじめ2009年に書かれたものでした。追記して2011年10月のブログにしました。2020年に、また「宗教と死」のカテゴリーの記事を書くために少し追記して2020年1月版としました。

このテーマについては、今いろいろな資料にあたって、改めて新しいブログを書くつもりです。

◎2020年1月25日 追記

東京教育大学動物科の同窓の唐沢孝一さんから、メールを頂きました。前と同じように私と大学の同級の方々へと同時です。ブログを書きますと書きましたが、とりあえず前のブログに追記して書いたのがこのブログです。

「山中静夫氏の尊厳死」という映画の紹介です。原作者は南木佳士氏で佐久病院の医師で100回目の芥川賞を受けた方で、唐沢君の実家のすぐそばだそうです。主演は末期の肺がん患者に中村梅雀、担当医師に津田寛治です。末期がんとしり、静岡の自宅から、故郷の信州の田舎の墓地に自分の墓をたてに行きます。このことは1月30日号の「週刊文春」阿川佐和子と中村梅雀の対談が出ているようです。早速買いに行きます。また,耕論「人生100年の現実」も紹介していただきました。(唐沢君のホームページ)

カラサワ―ルド 「掲示板」

 週刊文春と、朝日新聞[1月24日]のオピニオン欄

「前向きに生きたい」フィールド・エッセイ

週刊文春 1月30日号

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2月14日公開の映画 「山中静夫氏の尊厳死」阿川佐和子のこの人に会いたい 中村梅雀 から

中村 死ぬ間際、いろいろな呪縛がほどけて、心が救われながら召される役なので、「これはやってみたい」と思ったんですね。

  役作りで体重を6キロ落として、それなのに医師役の津田さんがやせているのに病的に痩せていらしたんです。 

  余命少ない山中静夫が心の面で健康になって死んでいくのに、それを見とる今井医師がどんどん病的になっていく対比を出したいと。

  実は撮影中に母が危篤状態だったので、僕自身すごく死を考えている時期だったんです。

 

1月25日、週刊誌文春と一緒に買ってきた本などです。

大きく新聞に宣伝の出ていた本です。下に写した「死とは何か」と同じ出版社、文嚮社です。

「もしも1年後、この世にいないとしたら」

清水 研 国立がん研究センター中央病院 精神腫瘍科長 2019年10月16日 12月13日でもう第5刷です。

人生の締め切りを意識すると明日が変わる 3500人以上のがん患者と対話してきた精神科医が伝える 死ぬときに後悔しない生き方

人生を執着点のある旅だと考えるなら「死」は恐れのある対象ではなく 「終着点」でしかないのです。―今日を大切に過ごす

おわりにー「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づく

「死」は現代では不吉なことととらえられがちですが、死を意識して初めて生きることの光を感じるという側面もあります。人生の期限を意識することは、日々を粗末にせず自分らしい生き方にシフトするための大きな動機付けになるのです。

しかしながら、「死」を意識するだけでは、自分らしい生き方をどうしたら、実現できるのかわかりません。~自分らしく生きている感覚がない方、「must]の自分に[want]の自分が縛られて、息が詰まっているような感覚がある方は、主従関係を逆転させ、「want]の声を聴こうとする必要があるでしょう。

◎この本では再三にわたって、このことについて書いています。

 

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この本のうらについている帯封です。今、生きづらさを感じている人へ、と。

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上の帯封を書いてみます。

「10年後」がないとしたら、何のために「今」生きるか。:大切な人との時間を何よりも優先する。::本当は皆、いつ何が起きるかわからない世界に生きている。:働けなくなった時に、自分の存在価値を感じられるか。:人は死の直前になって心のままに生きていないことに気づく。:「こうでなくてはならない」という自分が「ありのまま」の自分を苦しめている:「元気な自分でなければならない」という思い込みは苦しい:「こうあるべき」で生きると「何のために生きるか」が分からない:人生は1回きりの旅である:「こころのままに行き当たりばったりしてみる」:「普通の日の連続」が幸せ

ー今起きていることはただの『普通』ではない『普通の日の連続』が『幸せなんです』。~もし1年後に自分が病床に伏していると仮定したら、1年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の自分をうらやみ、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと後悔するかもしれません。私の場合はあえてそう考えるようにします。

「今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではない」ということを意識することは、「今ここにある自分」を大切に生きることにつながるでしょう。p194

おわりにー「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づく

◎「ありのままの自分」って何でしょう。現実の厳しい資本主義社会の中で、心のままに行き当たりばったりで生きる、なんてことが至難の業ではないでしょうか。

◎「もしも1年後、この世にいないとしたら」の本の2回目の宣伝が、1月30日の毎日新聞にのりました。6万部突破だそうです。

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「死」とは何か 

エール大学の23年間の人気講義

縮約版は1850円+税 あとで出版された完全翻訳版が2850円+税

完全翻訳版は大きくかさばるので、電子版の要約でかなり読めます 

余命宣告をされた学生が”命をかけて”受けたいと願った伝説の講義が

ついに上陸!「死」という難しいテーマについて、理性的に明快に語った。

シリーズ累計22万部だそうです。

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本屋で見た漫画購入してみました 

「人生店じまいはムズカシイ」 マッちゃん84才 2019年12月4日 沼野正子 岩波ブックレット 1200円+税

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◎次のブログで感想をいろいろと書いていきます。

2020年1月31日

以前のブログにも書きましたが、知り合いや親せきや家族でたばこを吸っていた人は、がんになり多くが早くなくなってしまいました。不本意だったと思います。

私の祖父は煙草を吸い、熱燗が好きで、食道がんで亡くなりました。父は煙草を吸い、胃がんで胃の摘出をしましたが、お酒はあまり飲まず、90過ぎ迄長生きしました。叔母の御主人は肺がんで速くに亡くなりました。叔父もがんで死亡です。ただ一人の妹の旦那さんもヘビースモーカーでしたが60代で肺がんで亡くなりました。今は2人に一人ががんになる時代だそうですが、同じがんでも肺がんは死亡率が高いのです。

追記 2020年2月1日

「死んだらどうなるのか?ー死生観6つの哲学」-あなたはどの死後を望みますか?

  2019年10月7日刊 伊佐敷隆弘 亜紀書房 1800円+税

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6つの哲学とは

 哲学より宗教と類別した方がいいものが多い

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2018年8月 7日 (火)

「週間朝日に「とらちゃん」のことが掲載されました。」追記版。熊王信之氏の記事、「とら」ちゃんのことも

2017年12月29日号の週刊朝日は「丸ごと1冊ネコ特集」でした。
・ 2018年8月7日・『飼い猫のひみつ』について追記して更新しました。
そこの78ページの、「犬ばか、猫ばか、ペットばか」第1256回は、「猫スペシャル」で、いつも筆者のブログに、貴重かつありがたいコメントをいただいている熊尾信之氏の文章で、「とら」と独り者おっちゃんの日々という文章がのりましたので、ちょうど以前2017年1月に書いたブログで、「とらちゃん」の写真をたくさんご紹介しましたので、改めて文章を加えてご紹介します。「ネコ特集の特別な号に掲載されたことはすごいことです。
人間とペットとかを超えての暖かい心の交流は、胸を打つものがあります。では実際の文章をご覧ください。
 元の文章は、もっと長かったそうですが、紙数の関係で縮められたそうです。
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 お空に昇った「とら」(写真、雄)。その後どうしていますか。お別れしてから1年ですが、おっちゃんは「とら」のことが頭を離れません。.
 「とら」を初めて見たのは、近所の猫さんが何匹かの子猫を連れてわが家の前を通った檻のこと。子猫の一匹(原文では一頭です)を見て、あの子可愛いな欲しいなと、それまで猫を飼ったことがないおっちゃんが心底思ったのでした。
 わが家に来た日に、おっちゃん手を思い切り噛んだとら。いきなり知らない家に連れてこられ、怒ったのか、一日中押し入れに入った「とら」。気性が激しく、敵対する猫には徹底的に攻撃する「とら」。そんな「とら」をしかしいとおしく思うのでした。
 「とら」と独り者のおっちゃんが暮らす日々は、葛藤と矛盾だらけの職場とは違い、幸せに満ちたものでした。業務を終え、帰宅するのが待ち遠しいほどだったのは知っていたのかな。
 帰宅すると、玄関で必ずお出迎えしてくれ、思わず笑みが漏れたものでした。
 何度かあったね。2階の窓からいつ帰るか、と外を眺めていた「とら」と窓を見上げたおっちゃんの目が合ったことか。
 人と違い、猫が老いるのは早いよね。知らないうちに「とら」は年老い、腎臓が悪くなったのですた。でも、19歳の長寿表彰まで受けたのだから20歳も夢ではない、とおっちゃんは思っていました。1年以上、毎日自宅で輸液を入れながら一生懸命頑張ったよね。
 お別れのその日までお薬とミルクを飲んでくれて、19年と5カ月を懸命に生きた「とら」。お別れの時には抱きしめたおっちゃんの目を見つめたまま空に昇った「とら」。
 しばらくの間、おっちゃんはどうしているのかな、とお空から見ていてね。大好きな、大好きな「とら」。
追記12月22日 追記
 同じ文章がAERA.comにも掲載されました。
コメントで、元の原稿を見せていただきました。枠の関係でかなり減っています。また原文では1頭というのを一匹と直されたたそうです。意識的に頭としたのに単なる間違いとして替えられたみたいです。
 
( 以下は2017年1月に書かれたブログです)
熊王信之氏の科学的・合理的な考え方
「ちきゅう座」の2017年1月9日の熊王信之氏(筆者のブログに、よくコメントしていただく、とら猫イーチ氏)ブログに、「この世の成り立ちを見る基盤」という文章があります。
・ 2018年8月、追記:現在は「イチロウ」のお名前で出されています。
 ちきゅう座  http://www.chikyuza.net/ 
熊王氏の文章の概略を以下に書きますが、よろしければぜひ直接お読みください。
 暦は新しい年を迎えて、世間では正月を祝う人々で、各地の神社はあふれたそうです。
他人事のように書きましたが、世に言われるところの正月を祝うことはないからです。亡父が口癖のように言っていた 一休の「正月は、冥土の旅の一里塚めでたくもあり、めでたくもなし」ということで、また、神社に詣でるのがあほらしいからです。そしてあらゆる宗教を信じないからです。
 この世に生を受けた定めに従わなければならない平等原理の下に運命を知るからで、他にさしたる由来はありません。宗教を信じないのに何かを拝むのは馬鹿らしいと思ったからです。
 神社に比べれば寺のたたずまいがまだましのように思える。いにしえ回帰で靖国神社に詣でる政治家は本当に信仰するというよりただ宗教を利用しているとしか感じられない。
 神や仏が存在するかということだが、神や仏が存在するならお目にかかりたいものだ。いるなら愛猫を奪った罪で死罪を宣告してやる。
 視点を海外に転じれば、今や世界は宗教戦争の渦中にあるようです。各国とも今でも宗教的権威により、民衆を支配している様がうかがえる。
"The Grand Design"、においてイギリスの物理学者、ホーキング氏は「神は存在しない」と言っている。(2011年)「天国も死後の世界もない」-死ねば、人間は、脳が壊れた時には、部品が壊れて機能を止めたコンピューターのようなのものだ。死を恐れるのは、闇を恐れる人間のおとぎ話だ。。(ちきゅう座の直接のサイトではつながります)
 亡母は真宗本願寺派で、学校は真宗大谷派の学校でしたが、東も西も大した違いはないと言っていました。なんぼ拝んでも死んだら終わりやと言っていました。
 熊王氏の子供時代、妖怪や幽霊を恐れなかった。亡父は便所に妖怪が出ると話した。当時の家は農家で便所まで遠くて暗かった。怖くても便所に行った。亡父は幽霊などを恐れぬ子と思ったろう。こういうことに疑問を持つ端緒となった。
小学生の時お寺や墓地が平気で、彼岸花をとりに行ったりして墓地へ行きよく遊んだ。
 あるとき人魂を母や妹は見たといった。一緒にいた自分は見られず残念に思っていた。何とか見たいと思った。小学校高学年の時、そういうものを見ようとして夜抜け出して墓地や神社などにいったが、一度も見られなかった。
 そして人魂を、作ろうとして、脱脂綿にアルコールをしみこませ、棒の先につるして、母や妹を驚かした。父にひどく怒られた。
 本当はどうなのかを調べてみようとするのが自身のこの世を成り立ちを見る基盤です。
 熊王氏の科学的な信念の基盤はお父さんやお母さんから引き継ぎ、本人のとことん追求しようとする態度によって形成されたものですね。
熊王信之氏は愛猫「とら」ちゃんの病気と10月3日に亡くなる前後に、記事の減少がありましたが、アメリカの大統領選挙が始まり、大統領選挙のいろいろな考察が続き、11月には13の記事を「ちきゅう座」に書かれました。最近の記事では、トランプ氏のこと、安倍首相のこと、戦争のこと、そしてこの記事のようにと、多面的に書いておられます。参考になることも多いと思いますので是非直接お読みください。
最近の記事
2017,1・13 「トランプさん L・L・ビーン氏をご推薦」
2017,1・9 「この世の成り立ちを観る基盤」
2016、12・29 「この国はもう一度「今は無き掩体壕」を子どもに見せるのか」
2016、12・21 「疫病神の機体(未亡人製造機)-オスプレイ」
2016,12,2 「自衛隊が実際に駆けつけ警護に出動した時に何が生じるか」 
2016、11,27 「アベ化した頭で複雑怪奇なる新情勢に戸惑う」
2016,11・13 「トランプ次期大統領新政権発足初日にTPP廃棄を指示」
2016  11,23 「反トランプ氏言説の依って来るところは何か」
2016、11、21「南スーダンの紛争地を祭壇に見立て、自衛隊員が人身御供に、憲法改正を
         狙うアベ政権」
在りし日の「とら」ちゃん
 熊王氏から、「とら」ちゃんの写真を送っていただきました。
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在りし日の「とら」ちゃんの雄姿 ・ 追記:キリリとして、ヤマネコの威厳がありますね。
詳しくは下記の記事をご覧ください。
2016、10,18 「長寿動物表彰を受けた「とら」の最後」
       腎臓病と戦い 19年5か月の長寿を全うしました。
2015,10,4 「長寿動物表彰を受けた「とら」」
 「とら」ちゃんの画像を送っていただきました。なかなか堂々とした立派な姿ですね。
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タワーで遊ぶ「とら」ちゃん
 
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「とら」ちゃんを慕って集まるねこたち。「とら」ちゃんは 、オス猫ですが、母親のように、よく面倒を見、子供たちも、慕っていたそうです。
◎   直接画像を取り込めず、携帯でパソコン画面を映しそれから取り込んだのであまりきれいな画面ではありません。でも素晴らしい姿はわかると思います。 
2017年3月23日とらちゃんの追加の文章と画面を掲載させていただきます
とらちゃんは特別の能力を持っていました。
二階にとらちゃんの一緒にいたとき玄関先に5,6頭の猫がいました。
とらちゃんはいわば空を飛び、1階の玄関のところに飛び降り、猫パンチでたちまち猫を追い払いました。
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猫タワーで遊ぶとらちゃん
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声をかけると必ず振り返るとらちゃん
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夕食をたべるとらちゃん
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ネコベッドでやすむとらちゃん
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動画で送っていただいた、とらちゃんの画像。眠いのを我慢してポーズをとる、とらちゃんです。ガラケーで、パソコン画面をとっているのできれいにうつりませんが。
◎ サイトちきゅう座とは、「今の世界の日本はきわめて危うい方向に進んでいるという認識の下に、それぞれの分野の専門家や実践家の眼を通じたたしかな情報、問題の本質に迫る分析などを提供し、また共同の討議の場を作ることを志しています」
と書いてあります。
 4月1日、新しいブログを立ち上げるかもしれないとのご連絡をいただきました。ちきゅう座のブログではいろいろ自由が利かないことがあるかもしれませんが、他のところでは自由に書けるかもしれません。
熊王氏の考え方と筆者は科学的・合理性を目指す点で同じ
 ブログ筆者の場合も、熊王氏と全く同じようです。祖母と父は神仏に対しては、素朴唯物論的な考え方でした。祖母は迷信を信じず、また父は八百万の神なんかあてにならない、日本全体で戦勝を祈っても、戦争で負けてしまったとではないかと。7年も戦争に行った父の実感でしょう。
 後漢の唯物論哲学者、王充の「論衡」に筆者は心酔していますが、幽霊はいるのかいないかについて面白いことを書いています。死んで幽霊(鬼=キ)となったら、たくさんの人が死んで周り中幽霊だらけのはずだ、ぼーっとしてしかしはっきり見た者はいない。見間違いが多いのだ。また幽霊として出てくるとしたら、無機物の着物も一緒に出てくるのはおかしい、とか。
 筆者は様々な、非科学的な考えを追求する学会、「ジャパン・スケティプクス」にも入っています。「こういちの人間学ブログ」でも、いろいろな非科学的な考え方を批判しています。
 また靖国神社をはじめとして、神社が、日本会議や神道政治連盟を通して、昔の日本へと回帰することのお先棒を担いでいるのは日本の将来を暗くするものです。
 それでも、おみくじ収集のマニアとして、お寺や神社へ行っておみくじを集めているのですが。
 人魂や幽霊は恐ろしくて、びくびくしていると、何かを見間違えてそのように見えてしまうことがあるようです。また大槻教授によれば人魂現象は電磁波の働きで起きるようです。私も子供時代火の玉がのような発光体が電信柱の上のほうに上るのを見たことがあります。私もそれは幽霊などと思わず物理現象と思っていました。
 地球温暖化についての、「人為的二酸化地球炭素温暖化説」に対しての否定的見解も熊王氏と筆者は同じです。トランプ氏の考え方でおかしいなと思うことはありますが、「人為的二酸化炭素地球温暖化説」の否定ということについては全く同感です。
 筆者に比べ、英語について、すらすらと読み理解されるという点において、格段に優れておられます。いろいろ、英文の資料をはじめとしていろいろなことについて、教えていただくことは大変助かっています。ありがとうございます。
追記 「とら」ちゃんに比べるとうちの黒猫「くろべえ」はひどい顔を しています。お部屋を使ってもらっている方の猫にすっかりなっています。布団にもぐりこんだまま出てこないところを写真にとられています。年賀状に使われています。
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・・・ 2018年8月7日追記 よく私のブログに貴重なコメントをいただいている,イチロウさんから、愛猫「とらちゃん」のことをたくさんコメントいただきました。「とらちゃん」は威厳があり、家猫の祖先の山猫と同じように堂々としています。それに比べて家で飼っていた猫たちはダラダラして、ちょうど今泉忠明さんの書いた「飼いネコのひみつ」の表紙に描かれた漫画にそっくりなので、追記して更新しました。 ・ 『飼い猫のひみつ』 今泉忠明 イースト新書 2017年9月20日 800円プラス税 ・ 人と暮らすようになった本当の理由とは!? 砂漠を生きる野生のヤマネコが炬燵で丸くなるまでの1万年 なかなか面白い本です。 ・ 180807_084901 ・・・・ 表紙に漫画がでています。キリッとしたリビアヤマネコとだらだらしたいえねこと対比されています。 これが、きりっとした「とらちゃん」とだらだらした、うちの「くろねこくろべえ」とちょうど対比されて面白いな、と思いました。 ・ 180807_085001 ・・・・ 口絵に写されたヤマネコ、ヨーロッパヤマネコとリビアヤマネコの写真が載っています。

2017年7月19日 (水)

日野原重明さん死去、105才。そしてがんになった早川先生、こんなはずじゃなかった。

1、日野原さん死去、105才

 

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毎日新聞より

 

 日野原重明さんが2017年7月17日、呼吸不全のため、105歳で亡くなられました。毎日新聞の17日夕刊の1面に記事が載り7月19日の朝刊社説にも「日野原重明さん105歳で逝く 長命社会に希望ともした」と書かれています。

 

 毎日新聞社説の内容(長命社会に希望ともした)を中心として紹介します。

 

「日野原重明さんは予防医学や終末期医療に尽くし、聖路加国際病院名誉院長であった。100歳を超えても現役の医師として働き、長命社会をどのように生きるかについて身をもって示した。

 

 日野原さんが予防医学の重要性を訴え、民間病院として人間ドックを開設したのは、1954年。脳卒中や心臓病などの成人病を「生活習慣病」と提唱したのは70年代だ。その後、食生活や運動などの重要性に注目が集まるようになり、厚生省(当時)が正式に「生活習慣病」の呼称を採用したのは96年である。

 

 日本の医療は専門分野ごとに細分化されてきた。それに対し日野原さんは患者中心の医療を訴え、地域に密着した医療の再構築に努めた。

 

 戦時中は東京大空襲の被災者の救済に奔走し、乗客として遭遇した「よど号事件」(70年)では機内で人質のケアに当たった。地下鉄サリン事件(95年)では多数の負傷者が運び込まれた聖路加国際病院で院長として陣頭指揮を執った。

 

 こうした体験から平和や命の大切さを伝える教育にも力を入れるようになった。各地の小中学校で開催してきた「命の授業」」では200校を超える。指揮者の小澤征爾さんと広島で平和コンサートも開いた。

 

 何歳になっても常に新しいことに挑戦した。童話「葉っぱのフレディ」のミュージカル用脚本を書き、ニューヨーク公演を実現させたのは98歳の時だ。老いのあり方を説いた著書「生き方上手」(2001年)は、ベストセラーになった。

 

 世界各国で平均寿命は伸び続けている長い老後をどのように生きるかは現代人の切実な課題だ。

 

 元気に自立生活ができる「健康寿命」を延ばすとともに、夢や生きがいを持ち続け、社会に貢献することの大切さを示したのが日野原さんだ。その軌跡は超高齢社会を生きる人々の指針となるであろう」

 

 聖路加病院の院長になったのは80歳の時からで、普通はもう退職しています。4年間院長を務めます。日本医学教育学会名誉会長、2005年には文化勲章を受章しています。

 

 睡眠は1日4時間半ほど、食事は控えめという生活習慣を守り、講演や執筆、大学での講義、病院の回診も続けて生涯現役を貫いた。
2、「こんなはずじゃなかった―医師 早川一光」

 

 2016年5月26日にNHKの「ハートネットテレビ」で、医師 早川一光(かずてる)氏の「こんなはずじゃなかった」(Eテレ)が放送され、2017年4月にETV特集で「こんなはずじゃなかった~在宅医療 ベッドからの問いかけ」再放送、7月15,19日にも再放送されました。

 

 

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 はじめこちらの記事を書く予定でしたが、急きょ、日野原さんの死去の話が出てきたので、対比しながら見てみることにしました。まだ生きておられるのか不明です。生きておられれば93才です(2017年)

 

 2014年10月に血液ガンの多発性骨髄腫を発病。抗がん剤治療を続けながら自宅で闘病生活を送っている。

 

 多くの人を見取り、老いや死について語ってきたはずだった。しかし病に向き合うと、心が千々に乱れた。布団の中では最後の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。

 

「在宅医療」を切り開いた早川さんが、みづからガンになり、在宅医療を受ける立場になった時、口をついて出た言葉が「こんなはずじゃなかった」だった。そしてまた、「先生、夜が怖い」という。「僕がこんなに弱い人間とは思わなかった」ということだった。

 

 早川さんは1924年満州生まれ、1948年京都府立医大卒、その第1外科に入局するが民主化運動のため半年で大学を追われた。その後堀川病院の院長となる。住民主体の地域診療に専念。1980年に「わらじ医者 京日記 ボケを見つめて」で毎日出版文化賞受賞。1982年「とおりゃんせ」という、テレビドラマにもなる。1995年から滋賀医科大学で医学概論を「総合人間学」の名前で講義する。

 

 1987年 KBS京都ラジオでの放送始まる。1988年に立ち上げた「総合人間学研究所」所長として、人間を医学の面からも哲学の面から宗教の面も見ていこうという総合人間学の研究、各地での講演活動を行う。2002年に「わらじ医者よろず診療所」を開設している。著書多数。

 

 好きな食べ物は肉、スイカ。若いころから肉、特にビフテキが大好きだが、野菜は嫌いでほとんど食べない。魚は大嫌いで、お酒は飲まない、とかなり偏った食生活だったみたいです。

 

 「早川先生は患者としてのつらさ、特に医師の視点から治療への疑問を率直にぶつける」「治らないのに鎮痛剤で痛みをわからなくするのがいまの治療か。本当の医療とは何や」

 

 同僚だった根津医師は言う。 「在宅医療では痛みや苦しみを取ることしかできない。でも、それは生活を守ること、患者のつらさを少しでも和らげる、早川先生自身もやってきた医療ではないですか」

 

 早川さんは「どうせ避けられないさんずの川や。上手な渡り方を勉強し、みんなに評価を問う。それが僕のこれからの道やないか」「自分が病気になり初めて病む人の気持ちがわかった。死ぬ怖さを知りました」

 

日野原さんと早川さんの違い

 

 日野原さんは、呼吸不全で死去しましたが、胃ろうによる延命装置を断ったそうです。文字通りの「ピンピンころり」での大往生です。105歳まで元気でいられるというのは驚異的です。

 

 一方早川さんは2014年10月にがんを発病し、2017年現在で3年近くが経過している。現在93才。かなり長命のほうと言えど、抗がん剤での治療は体力を著しく奪うので、日野原さんとは全然違います。「こんなはずじゃなかった」という弱音を吐くのも、やむおえないと思われます。

 

 がんという病気はじわじわとからだを蝕みます。肉に偏り、野菜を食べない食生活もがんの発生に影響しているでしょうか。

 

 ブログ筆者の父親は92才で自宅内で転倒し頭を強打し、脳内出血でその日のうちに亡くなりました。前日には筆者と二人で寿司を食べに行ったりしてとても元気だったのに、急な死去で、びっくりです。事故がなければ少なくともあと4~5年は元気でいたと思われます。

 

 文字通りのピンピンコロリだったのですが・・・

 

 早川さんの総合人間学については興味があります。筆者も人間学研究所に所属し、総合人間学会に所属するからです。
◎2019年4月22日 追記
早川一光さんは2018年6月2日に支給されました。京ねん4歳でした。

2014年8月 3日 (日)

『イエス・キリストは実在したのか?』 イエスは帝国支配にあらがって敗北した貧農のユダヤ人革命家

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イエス・キリストは実在したのか?」

 7月29日に本を買いに行った中で、大変興味深い本を見つけました。「イエス・キリストは実在したのか?」という本です。作者は1972年生まれでイランからアメリカに移った宗教学者でレザー・アスランという人です。2013年に書かれ、2014年7月に翻訳されました。白須英子訳、文芸春秋刊、1850円+税です。キリスト教が生まれる前のイエスの実像に迫る研究を20年近く続けその成果としてこの本をだしたというものです。この本はアメリカでセンセーションを起こし20万部を超えたという。世界25か国で翻訳される予定だという。カルフォルニア大学助教授。イスラム教徒による実証研究というところが大変珍しい。

はじめにー歴史上のイエスを再現する

 本書の意図は、キリスト教が発足する前のイエス、歴史上の人物としてのイエスを可能な限り再生してみることにある。

 イエスを彼が生きた時代、ユダヤ教の信仰と実践のありようを永久に変えることになるローマ人に対する蜂起がじわじわと盛り上がりつつあった時代の社会的、宗教的、政治的背景にしっかり据えて描けば、それはそのままイエスの伝記になる。 p24,25

英語の原題は”ZEALOT The life and times of Jesus of nazareth”

「革命家(熱狂者) ナザレのイエスの生涯と日々」

 帯封に本の内容が要約して書かれています。

「聖書」はもともとイエスの死後布教に携わったイエスの使徒たちの手紙や文書をひとつに編んだもの。

この世の魂を救う手立てを探索する(青年時代の)私に思いがけないことが起こった。信仰を持たない人々の疑問に答えるときにそなえて聖書を深く読めば読むほど、福音書にあるイエスと歴史上の人物としてのイエスー「救世主イエス」と「ナザレのイエス」との間に隔たりがあることがわかったのだ。

もはや自分の読んだ物語が文字通りの事実であるという想定にとらわれなくなっていた私は原文書のなかに、歴史の切迫した事情によって意図的に除外された重要な真実に気づいたのである。皮肉なことに、ローマ帝国の無慈悲きりきわまりない占領に大胆に反抗する動乱の時代に生きた歴史上の人物としてイエスを知れば知るほど私は彼に心を惹かれるようになった。~浮世離れしたイエスよりも、世界最強の帝国支配にあらがって、敗北してしまう、貧農のユダヤ人革命家のほうが、私にとってずっと現実感のある存在になった。p12

著者はそれぞれの弟子たちの文献、聖書以外の歴史的な資料を比較調査することにより、聖書で何が捏造され、何が史実から落とされて行ったかを明らかにしていく。

熱心なキリスト教徒からムスリムに転向して、客観的にイエスを見ることができるようになった。

本の内容

第一部 ローマ帝国とユダヤ教

第1章ローマ帝国と手を結ぶユダヤの大祭司たち

第2章ユダヤ人の王ヘロデの実像

   貧農の反乱と「メシア」

   ヘロデ属王による反乱鎮圧

   属王ヘロデの死去とローマの直轄支配

第3章ヘロデ王は赤子大虐殺などしていない

   初期キリスト教徒はイエスの生涯に無関心だった

   神話と現実を区別していなかった福音書

   さまざまに解釈された「メシア」

第4章地上の革命求める者たち

   読み書きのない習慣がない社会にいたイエス

   処女降誕伝承とイエスの家族

     イエスには、少なくともヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという4人の兄弟 

     とほかのしまいもいる大家族

     1世紀のパレスチナで独身でいるのは極端に珍しい事実

第5章 世界最強帝国に宣戦布告する

第6章 聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」

第2部 革命家、イエス

    プロローグイエスはなぜ危険視されたのか

第7章イエスの陰に隠された洗礼者ヨハネ

第8章善きサマリア人の挿話の本当の意味

第9章 無償で悪魔祓いをする男

第10章 暴力革命も辞さなかった男 

第11章 イエスは自分を何者と見ていたのか?

第12章 ピラト裁判は創作だった

第3部キリスト教の誕生

   プロローグ「神」になったイエス

第13章ユダヤ人スディアスポラから生まれたキリスト教

第14章パウロがキリスト教を世界宗教にした

第15章イエスの弟ヤコブが跡を継いだに見えたが・・

   エピローグ 歴史に埋没したナザレのイエスの魅力

どのようなことをなことを問いかけたのか

イエスとは実際にはどのような人物だったのか?

そして、イエスは何を実際に説いていったのか?

そして、それがどのように変質して、世界宗教へと飛躍していったのか?

聖書の物語と、実際の史実の差から見えてきたものとは?

「聖書」から落とされた史実、捏造された物語

キリスト教は、イエスが作ったのではない

福音書は、実際のイエスを描いていない

イエスは、過激なユダヤ人ナショナリストであった

イエスが説いたのは、愛と平和ではなく、武力行使も辞さない革命だった

ヘロデ王は、赤子大虐殺などしていない

ローマ総督ピラトがイエスを三度助けようとしたというのは作り話

キリスト教は、パウロによって世界宗教となった。

-キリスト教のローマ化とイエスの家族の地位低下

 新約聖書の大部分はパウロが書いた。

イエスは大変革をもたらす熱烈な革命家から、ローマ風の神格化された英雄へと次第につくりかえられ、ローマ人の抑圧からユダヤ人を解放しようとして失敗した一人の人間から、浮世の問題には全く関心のない天界の存在にされていったのである。p222

 一つはイエスの弟ヤコブを旗頭とした陣営と、元ファリサイ派のパウロが陣頭する陣営である。最終的には、これら憎悪に満ちた、敵対意識丸出しの当事者間の抗争が、何にもまして、私たちが今日知るグローバルな宗教としてのキリスト教をかたちづくることになる。

この本の最後に(p276)著者の結論の言葉として

 救世主イエスと人間イエス

 2000年後の今、パウロの創り上げた救世主(キリスト)は、歴史上の人物としてのイエスをすっかり包含してしまった。~

歴史上の人物としてのイエスの包括的な研究で、できれば明らかにしたいのは、「ナザレのイエス」-「人間としてのイエス」で、それは「救世主(キリスト)」イエスに負けず劣らずカリスマ的で、人を動かさずにはいらない魅力に溢れる,賞賛に値する人物だからだ。ひとことで言えば、彼は信じるに値する人物だ。

 と、述べられている。

略年表

紀元前63        ポンペイウス、エルサレムを征服

紀元前4         ヘロデ大王死去

紀元前4ー紀元後6  「ナザレのイエス」誕生

  6           ガリラヤのユダの蜂起

  26          ピラト  ユダヤ総督に

  26-28      洗礼者ヨハネの宣教開始

  28-30      ナザレのイエス宣教開始

  30-33      ナザレのイエスの死

  36          サマリア人の蜂起

    37年ころ       タルソスのサウル(パウロ)の回心

  48          パウロの最後の書簡

  62          イエスの弟ヤコブの死

  66          ペテロとパウロのローマでの死

  66          ユダヤ人の蜂起

  70          エルサレム陥落

  70-71      「マルコによる福音書」書かれる

  73          ローマ軍のマサダ占領

  100-120    「ヨハネによる福音書」書かれる

  313         コンスタチヌス帝「ミラノ勅令」

                キリスト教が国教に

◎イエスの宣教活動は長くても3年ぐらいしかなかったことがわかる。

 イエスの教えは、ローマ帝国で教えを広めるために変質し、313年キリスト教がローマ帝国の国教になるに従いさらに変質した。そしてキリスト教が国王以上の権力を持つに至り、決定的に支配の道具になっていった。

 この本には大変詳しい原注が付いており、著者の見解を裏付ける根拠になっております。これも本書が優れている点です。          

 訳者あとがき

 福音書記者たちにとって、ユダヤ人の独立運動から距離を置き、イエスの物語から、急進主義や暴力革命や一途な行動の片りんをできるだけけし去りイエスの言葉と行為を自分たちが置かれた新たな政治環境適合させようとしたのは極めて自然なことだった。

 ローマ―とりわけローマの知識人エリートーがキリスト教伝道の主要なターゲットになっていた。

 ローマ帝国で布教するためにユダヤ的要素を取り除いて編纂されたのが「新約聖書」ということである。だからこそ、世界中の人々が受け入れることができたのではないか。

2011年1月17日 (月)

死について その2 死の生物学、医学 そして宗教

1、細胞の死

 

  人間の体は細胞で成り立っていますが、その細胞は約60兆といわれています。普通の細胞は、どんどん死んで新しい細胞に入れ替わっていきます。良く分かる例が皮膚の細胞で、古い細胞は、どんどん死んで垢となってはげ落ちていきます。細胞の死に方にはアポトーシスという整然としたきれいな死と、ネフローシスという、やけどや炎症などによる壊死のような死に方があります。生物の普通の細胞はどんどん死んで新しい細胞に置き換わっていくのですが、死なない細胞があります。それは一つは生殖細胞で、他の細胞がすべて死に絶えても、次世代に受け継がれていきます。もうひとつはがん細胞です。1952年に子宮がんから取り出されたがん細胞(ヒーラー細胞として有名)は世界中に配られ培養され続けています。がん細胞は遺伝子の故障が原因で発生するもので、がん細胞は体内で、どんな人でも発生し、ふつうは抗体や白血球などにより壊されてしまいます。それが抑えることができないようにまで増殖すると、始めてがんとして目に見える形になります。

 

 1990年にはDNA(デオキシボリボ核酸)で構成されている染色体の先端にある塩基配列があり、テロメアといいますがDNAが複製するたびに短縮していくということをハーレイ博士が発見しました。ちょうど回数券のように、分裂をするたびに減って最後になくなればその染色体さらには細胞も死ぬというのです。がん細胞にはテロメアを延長させる酵素を持っているようだというのです。細胞は分裂で再生しますが、60回くらいが限度だといいます。テロメアの回数券が60回ということです。また、1月23日の日経新聞記事で、「人はなぜ死ぬのか」という記事がありました。心筋や神経細胞のように分裂しない、「非再成型細胞にも寿命がある」と東京理科大学の田沼靖一ゲノム創薬研究センター長が「非再生系細胞にはアポトーシスとは別の死の仕組みが備わっている」と三つ目の死に方があると。紹介していました。

 

 生命の起源より、連綿とした遺伝子のつながりがあり、外部環境の変化に応じて、遺伝子も変化し、古い適応できない生物は死滅し、適応した子孫が生き残り次第に進化をし、この地球上に様々な生物が生じてきました。すなわち、さまざまな死がなければ、世の中は変化発展していかないのです。個体がどんどん死んで、新しい個体が環境に応じて変化するためにその種は維持されるのです。死がなかったら進化も発展もありません。人間の社会もそうで、そうでなかったら文明の発展はありません。動物の世界では死は自然の持つ一つのシステムです。生態系の中で動物は死ねば他の生物のえさとなり役立ちます。人間も鳥葬の間は自然のシステムでしたが、今人間の死は儀式化され、自然には帰れなくなっています。また人間は動物として、ふつうは繁殖ができないと死ぬことになるのですが、能力がなくなっても長く「余命」として生きていられるようになった生き物です。ゾウなどは、生殖能力がなくなってもすぐ死ぬわけではなく、仲間がささえるという面があるようです。また、家族のゾウが死んだときしばらくの間その死体を離れないということがあり、「死」について多少の認識があるようです。

 

2、死と宗教

 

 肉親の死は、宗教などにより儀式化し、通夜、初七日、33回忌などを通して次第に受容してい(死の癒し)。 昨年一年間で日本人が約120万人の人が死んだそうです。2040年にはピークの166万人になるそうです。以後少しづつ減少していきます。

 

なぜ人は死を恐れるのかということに関して、

 

  1、死は非常に苦しいもの、醜いものと考える

 

  2、この世から、自分が永久に消滅してしまうという、限りない寂しさと死後はどこへ行くのかという不安

 

 私は無神論の立場から、死はいわば永遠の眠りのようなもので、病気などで死ぬ寸前の痛みがあっても、最後には大量に脳内から出されるドーパミンで、夢のような快感を感じながら死んでいけるようなので、心配はしていません。また、死後の世界などは、絶対なくて、そのまま安らかに眠った状態になるだけであると確信しています。わたしは死後に天国だろうが、極楽浄土だろうがなにかに生まれ変わることなど、まっぴらごめんです。

 

 ただ、最近は、あまり無いのですが、心臓ノイローゼなどがあった若い時には、自分が死んでしまって、何もない暗黒の世界をイメージが出てきてぞっとして目が覚めたりしたことはあります。生きていることはお釈迦さまが言うように、いろいろ矛盾はありますがこの世界は美しい甘美なものなのですね。心身が健康な時には死も意識に表れてきませんが、重病に侵されたら否応なしに意識せざるを得ません。特にがんで余命を宣告されたらなおさらそうです。ですから、誰でもがいずれは死ぬのだから、一日一日も大事に使おうと思うべきなのでしょうが、なかなかふつうはそんなことを感じないで生きています。いずれにしても宗教などで、じぶんたちの宗教を信じない者は不幸になり、地獄に落ちるとかいうものほど傲慢なものはいません。ありもしないもので人をだますのは詐欺そのものではないでしょうか。

 

 うちの家の宗派は、真宗大谷派です。葬儀や何回忌に必ずお坊さんとお経(真宗大谷派勤行集)をいっしょに読み上げます。正信偈で何度も唱えているのでかなり覚えてしまいました。そして和賛から回向そして南無阿弥陀仏と唱えます。ちょっと付け加えますと、韓国歴史ドラマを見ていると、お坊さんが、南無観世音菩薩というのを、日本語で言うのとまったく同じ言葉で言うのを興味深く感じます。また蓮如上人の「白骨の話」などの法話も聞きます。浄土真宗というものは、けがれるといけないからと塩をまいたりするのはおかしいなど、葬儀上の迷信をすっぱり否定しているところはなかなかいいと思います。いずれにしても仏に帰依して、南無阿弥陀仏を唱えれば、悪人でも浄土(安楽国らしい)へいくことが保証されます。これは死後に関してかなりの安心感を与えるでしょうね。少し横道にそれました。いずれにしても、人間が死ぬということに対しての恐れ、その克服法として宗教が生まれてきたと言えるでしょう。

 

 キリスト教というのは、自分の教えにしたがうものには、パラダイスを約束し、そうでないものには、地獄行きを命じます。最後の審判で、その前に死んだ者も墓からよみがえって神の審判を受けます。キリスト教の聖書で最も目立つ言葉が、私に従えという命令です。かなり理不尽と思われる命令を神が下しても従わざるを得ません。聖書の中でも、神はよくその人の神への信仰がほんものであるかを試します。

 

 クリスマスのころになりますと、車が止まっていて、独特の口調の一本調子のマイクの音で、あれ「エホバの証人」なのでしょうか、「罪を犯した人間の報いは死である。悔い改めなさい。そうすれば永遠の命を与えられるであろう」というような内容をながしていますね。みなさんもお聞きになったことがあるでしょう。前にも宗教のところで書きましたが、「エホバの証人」ものみの塔の資料を買ったりもらったりいろいろ聞きました。きつい質問でもにこにこしながら、話します。絶対の確信を持っているのでしょうね。

 

追記:2012年1月 新大久保駅周辺が、韓国のお店に行く人でごった返している2011年12月ごろ、毎日毎日、その言葉が流れていました。

 

 以下は「エホバの証人」の3人の女性の人たちから聞いたことです。

 

最後の審判のときにハルマゲドンがあり、「エホバの証人」を信仰しないものはすべて死にたえてしまいます。そのハルマゲドンのときに信仰している人は、一時地球上の空中に浮いているそうです。そして無信仰な邪悪な人間などが死にたえた後、一部の高級な信者144000人は天上のパラダイス(楽園)へ、その他の信者は地球上へ戻り、年老いたものは若返り、病気も治り、ライオンやクマとも仲良しになり、ライオンも草をたべるようになります。ということでした。14万4千人というのがずいぶん具体的で、面白いなーと感じました。話してくれた3人に、あなた方はそういう天国に行くのですかとたずねましたが。私たちはとてもとても、と笑っていました。

 

 でも私は、そういうパラダイス(楽園)があっても行きたくありません。永遠の命なんてまっぴらごめんです。100歳も元気に生かしてもらったら上出来で、もう疲れたからそろそろ永遠の休息でもとりたいな、と思います。それにしても、あるかどうかわからないことを絶対と信じて、自分たちに従わない人を弾圧したり、地獄へ行くなどと脅かすのはひどい傲慢だと思います。そういう人はよほど欲が深いのでしょうね。もし本当に永遠の命をもらったとして、地球や太陽が滅び、ついには宇宙がなくなるまでなんか生きていたくありません。

 

 

死について考える その1、死とは何か 2020年1月 追記版 

1997年(平成9年)10月の実用的人間学研究会第49回例会において、私は「死について考える」というテーマで、お話ししました。13年も前のことなので、その頃参加していた方は少なくなっていると思うので、来月(2月)の実用的人間学の例会でお話ししてみようと思います。そのときの24ページの手書きのレジメを基に、お話ししてみたいと思います。

 

追記 2月例会は寒いので、もっと明るく楽しい話題にすることにしました。

2020年1月23日 追記

 

死について、いろいろな見方と歴史をお話ししました。

1、死もいろいろに分類される

死といっても

人間の死、動植物の死、民族の死、人類の死、そして宇宙の死まで、いろいろです。

人間の死に関しても、細胞死、臓器死、個体死、精神死などいろいろとあります。

人間に関して言えば、生物学的、医学的な死、と社会的な面での死というものもあります。

フィリップ・アリエスという人は、死にも、

1、一人称の死(しぬ人本人の死)2、二人称の死(家族身内にとっての死)3、三人称の死(医者など第三者にとっての死があると言っています。

また人間にとっての死も、ある一点の時間で死んだと言えないのです。すなわち死は点ではなく、線上を流れていく過程で見ていかなければなりません。

1、呼吸停止、2、心臓停止、3、瞳孔が拡大(脳死)となっていきます。

昔、NHKのETV特集で、「4つの死亡時刻」という番組をやっていました。死亡時刻もどこをもって判定するかは難しいのです。

 

2、死の定義の一つは、「脳幹を含む脳の全体の機能の不可逆的な停止」とされています。

脳細胞の死も1、大脳の死(人間としての意識をもたらす脳)と、2脳幹(中脳、橋、延髄)など、呼吸の中枢などがある。3、全脳死があります。心臓が止まって脳への血流がなくなっても脳はただちに死ぬわけではなく数十分は生きられます。そこで血流が戻れば生き返るということになります。そのようなときに臨死体験という状態が生まれます。しかし蘇生するならばそこではまだ死んではいないのです。いわゆる仮死状態です。死んだ後体験するのではなく、死にそうなときに体験するということです。

完全に死んだ人」が生き返ったことは、宗教上のお話し以外一度もありません。またもし生き返ったらそれは死んでいなかったということです。生き返らないのが死なのですから。

 

 さて人工呼吸器の発明により、いわゆる「脳死」ということが生じてきました。脳幹部分は生きていて自発呼吸をしている状態はまだ死亡したとは言いません。しかし脳幹部分が死んだ場合でも、人工呼吸器で呼吸を維持することができます。その段階で、「脳死」が生じます。心臓やほかの臓器はきちんと機能していて、体は当然暖かいし、子供などでは栄養が与えられて成長していくこともあります。このような状態でも両親が自宅に引き取って、生かし続けているケースがいくつもあります。でもこの段階でいちおう人間の死(脳死)と判定し、臓器を取り出して移植するのが臓器移植です。しかしこの判定基準は様々です。そして脳死については様々な論争があります。さらには、また死体となっても皮膚というのは長生きで、完全に心臓も脳の働きも停止しても、ひげが伸びたりします。このように死といってもいろいろな段階があって一点ではないことがおわかりではないかと思います。

 

3、死と宗教

 死の問題は、人間にとって、人生上の大問題であり、宗教の発生する大きな原因となっています。

良く出てくるのが4万年ほど前のネアンデルタール人の骨が発掘されたとき、そこに多数の花の花粉がみつかり、埋葬して、そこにたくさんの花を入れたのであろうと推測されました。この埋葬する儀式が宗教の始まりではないかといわれています。       

古代の文明の発生とともに、死後の復活を求め、エジプトのピラミッドや、ミイラの製造などを行いました。エジプトで3500年前のものとみられる「死者の書」が見つかっています。それらの宗教は支配階級のものでした。イスラム教でも死後に復活するために遺体は土葬にするそうです。

 

4、ブッダとイエス・キリスト

 BC400年前にブッダは、出家して、自分の教えを広め始めました。仏陀は当時のインドの社会が、支配者階級によって独占された宗教(バラモン教)を、一般庶民のものにしようとしました。カースト制度を否定し、人間扱いされていなかった不可触賤民や女性も、弟子にしました。いろいろな苦しみをいろいろな欲望をたって正しい生活(八正道)をすることによって誰でもが、平安な生き方をすることができると教えました。                   

イエス・キリストも、当時の支配層の信じていたユダヤ教から脱して、人は神のもとに平等であると言って、貧しいもの、虐げられた者に救いの手を差し伸べました。

そしてそれぞれ、仏陀は、人々が信じていた死後輪廻転生のなくなることを願いました。

(死後極楽浄土へ行くなどというのは、後世の弟子たちの作りものです)。

イエスキリストは、身分や生まれに関係なく、信仰心だけで、神の国に、復活することを教えました。

 

5、宗教の変質

 ヨーロッパでは、313年、ニケーア公会議でローマ帝国が弾圧していた宗教、、キリスト教を公認し、国教化し、宗教の力を支配者層が身につけ、人々を支配する道具に使いました。

中世の時代は戦争が続き世界中で、死体がそこらじゅうに転がっているような時代でした。人々は、あまりに現在の世の中が苦しく、来世での幸せを願うしかなく、それは支配者にとっても大変都合の良いことでした。宗教は様々な迷信とともに、人々の心を支配していました。

622年、ムハンマドと信者がメディナへ移住しました。その後イスラム教は広大な世界に広がりました。

 

6、人間中心の叫び 

 近世になって、ルネッサンスが始まり、宗教に対しても批判的に見るものが出てきました。神よりも人間中心を叫ぶ者が出てきたのです。科学の発展とともに、唯物論の発生、自我の確立、迷信の克服、そして医学の発達は、人間を長生きさせるようになりました。

 

7、現代人の死への態度の変容

 しかし現代この20、21世紀になって、死に対して考え方が大きく変わってきてしまいました。現代の死の特徴は、死のタブー化で、死をできるだけ隠す、考えないようにするということです。

特徴として1、家庭死から病院死へ、2、交わりの死から、孤独な死へ(特に最近の老人の孤独死は恐ろしいほどです)3、情緒的な死から、科学的な死へ(死の医学化)4、現実の死から劇化された死と変わってきています(「死を看取る医学、柏木哲夫から)肉親の死を体験していない人が増加しています。テレビやゲームなどの虚像の世界での死ばかり見ている。そして普通の人は死について考えず心の準備をしないままに、死に直面しうろたえるという事態が生じています。

 

 現代医療は、今までなかった事態を引き起こしています。延命治療をどこまでするかという問題も生じています。今死の医学(死生学・タナトロジー)の研究が進められていますが。私たちも、まったく考えないでいて、何かあったとき急にうろたえないようにしていたほうが良いように感じます。1年前父が急死しましたし、私の2歳年下の義理の弟に肺がんが見つかり、手術をすることになりました。今までとても元気にしていましたのに急なことで私もショックを受けました。私たちの年齢(私ー筆者はもうすぐ68歳 当時 ・2020年2月20日に満77歳となります。)になったら、考えておく必要があるように感じます。

 

追記 :義理の弟は、2011年9月16日に死去しました。肺がんで速すぎる死でした。

    

 つづく

 

 

2010年5月12日 (水)

ダライ・ラマ 「拝金主義と決別を」の批判

毎日新聞2010年5月3日づけの毎日新聞朝刊の一面にダライラマと毎日新聞の記者が会見し「自殺年3万人『拝金主義と決別を』」というメッセージをしたという記事がありました。ダライラマは皆さんご存じのように、1989年のノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世(74歳)です。6月に訪日するのでその前に亡命政府のある、ダラムサラで、会見をしたということです。

 新聞記事によれば、長引く不況に伴うリストラや借金苦、学校や職場でのいじめ・・・・。自ら命を絶つ人のほか、心を病む人も多い。そして悲しみは周囲に広がる。「日本は経済成長で(人々の心は)限界に直面し、今では経済の分野でも、世界規模の危機の中で苦しんでいる」と案じる一方、「現代社会は人間へのいつくしみや愛がかけている」と説いた。以上は新聞記事をそのまま載せたものです。

 自殺を減らす方策はあるのか。ダライ・ラマは『祈りだけで問題は解決しない』と断言し『次世代のために内なる価値観を重視する教育システムが必要』と語る。さらに生き方を見失った人々には「恥と自殺を考えるなら、恥をしのんだほうがいい。物乞いになってもそれは恥ではない。失敗しても自ら命を断つ理由などない」とのメッセージを送った。と書かれています。そして新聞の5面のダライラマの話しがつづきます。(さてダライ・ラマは、昔オーム真理教の麻原彰晃でも、会ってもらったと感激するような立場にいます)

 ~科学技術が精神的なものにとって代わり、お金が人々の心に浸透しました。しかし20世紀後半以降、精神的な価値観が見直されてきています。発展した国に住む人々は、徐々に物質的な価値の限界に直面してきたからです。私たちは内なる価値の重要性を学ばなければなりません。慈悲や愛といった内面にある価値は内なる平和を基礎にしているのです。お金は欲望などをもたらし猜疑心を高め人間同士の友情をこわします。「自分は不幸だ」と感じ、酒や麻薬に依存し欲求不満が高じ怒りっぽくなる。それは自殺や周囲の命を奪うことにもつながると思うのです。

 直面している問題は過去の怠慢が引き起こしました。今を生きる人はそれを排除しなければなりません。今の経済危機は強欲な拝金主義と投機的行為の結果です。人々は危機を乗り越える方法も、人間としての価値観も考慮せず、お金の話ばかりしています。

 自殺しようとしている人に言います。 がんばっても自信を持てないなら周囲に頼っても決して問題はありません。~何かで失敗したとしても、自ら命を絶つ理由などないのです。

以上、ほとんど新聞にのっているダライ・ラマのいっていることをそのまま書きました。そこで私が思うのですが。今の経済危機は、強欲な拝金主義と投機的な行為の結果ですとダライ・ラマ言っています。その経済危機を引き起こしたものは、新自由主義やグローバリズムにもとずいた、独占資本家集団や多国籍企業とその指示のもとに働く、政府が引き起こしてきたのではないでしょうか。お互いの競争のために、自国の工場を止めてもっとも安い工賃ですむ国を探します。その結果アメリカでも日本でも失業者があふれます。たとえばユニクロは、中国の労働者を低賃金で過酷に働かせます。そこで安くできたものを日本で売ります。日本で作っている繊維産業はとても太刀打ちできません。結局多くの企業や店が潰れてしまいます。そういう企業同士の戦いは熾烈で、道徳的にどうかなどは問題になりません。甘い考えでいて1位になれなければ、ときには2位、3位の大会社もつぶれてしまいます。

 日本でも、新自由主義に基づいた小泉元首相から続く自公政権がさまざまな、大企業本位の政策を行って、大きな利益をあげる一方で、勤労者の所得を下げ、非正社員化し、その結果として購買力が低下市景気も悪くなるという負のスパイラルに落ち込み、さすがに人々もそのことにきずいて、自公政権から、民主党中心の政権に変えたのではないでしょうか。いろいろな自殺も、収入が激減し将来に対して絶望的になって自殺するのではないでしょうか。また仕事は厳しくストレスは高まり、うつになって自殺する人もあります。いま、日本経済新聞などをみると、不景気だといいながら、大企業は軒並み、大きな利益を計上し始めました。大企業は巨大な社内留保をしていますが一般紙はそういうことを報じませんし、多くの人は知りません。そして決してその社内留保を労働者の賃金向上に使いません。次なる競争と利益のために使うのです。それなのに、経団連は法人税をさらに下げさせようとしていますし、政府もその要望にこたえ、逆に消費税を上げようとしています。

 そのような実態を無視して、一般的に、拝金主義をやめましょうとか内面の価値を高めしょうとか、ダライ・ラマは言います。一体だれにあなたは言っているのでしょうか。自殺しようとしている人にでしょうか。自殺を引き起こすような事態をもたらしている、政治家や大資本家に対して言っているのでしょうか。そういう大資本家や政治家にいくら説教しても駄目です。その事態を直すには、人々にそのことをきづいてもらい政治を変えることしかありません。断じて心がけの問題ではありません。ましてダライ・ラマも言うように祈っても無駄です。

 自殺しないようにするためには、教育システムを変えなければなりませんと言います。どのように変えるのでしょうか。人々に拝金主義をやめて欲を出してはいけませんよというお説教や道徳を垂れるのでしょうか。教育システムをかえて内面の価値を高めさせても、独占資本化はそんなものに関係ありません。あくまでも利益を求め続けます。そうしなければ、たちまち競争の世界から脱落してしまうからです。それは一般の人を、迷わせ我慢させる宗教と同じです。また、自殺しないで、人に頼りなさい、恥と思わないで、なんていうのは、たとえば、借金地獄から家族を守るために、保険金を得るために、自殺でもしようとするような事態の人に対してどうすればいいというのでしょうか。家族全員で物乞いでもしろというのでしょうか。そうではなくてきちんと社会保障するシステムを作り、自殺までしようと悩むとき、安心して、相談に行き、頼れるように早急にすべきでしょう。

 ダライ・ラマは祈りでは解決できないというだけましです。祈りで世の中を変えられるという宗教は多いのです。改めて、みなさんもそのような主張があるのではと見てみてはいかがでしょうか。

2010年4月11日 (日)

エホバの証人 ハルマゲドンを待望する人々 追記 上級天国は144000人

 だいぶ前になりますが、前の人間学研究所に私がいたとき、女性(おかあさん)の三人連れで、それぞれ子どもの手を引いてきた人たちが、訪ねてきました。「エホバの証人」の人たちです。みなさんも、そういうひとに会ったことはないでしょうか。子どもと一緒に来ることが多いのです。でも子どもも本当はいやなのかもしれません、友達と遊んでいたほうがいいでしょう。

 さて人間学研究所に1万冊以上の本があり、本の多さに驚いていましたが、私も暇だったのと興味があったので、どうぞお座りくださいと、話を聞くことにしました。そこで、人間とは何かという話になりました。あまり頭から非難せずに、いろいろ聞いてみようと思ったのです。私は進化論の立場ですが当然彼女らは、宗教の立場です。その時に、普通の薄いパンフレットではなく、こんな本がありますと、『生命―どのようにして存在するようになったか 進化か、それとも創造か』という255ページの本を出しました。無料でという話もありましたが、私は本代を払いました。その本は生命の起源、人類の起源や、進化論のこと、細胞の構造など詳しく書かれています。一見すると高校の生物の教科書レベルです。当然のことながら、進化論の誤りを指摘し、創造論(神がすべての生命人間をつくった)正しいと書いてあります。そして次第に、進化論は誤りだと「エホバの証人」の立場の説明になっていきます。その本の内容はすべて聖書に書かれているもののそのままの引用です。その日は子どももいるので長くはいず、改めてということになりました。玄関払いが多い中で、話を聞き、本まで買ったので、大いに見込みがあると思ったのでしょう。彼女たちの信仰から言えば「エホバの証人」を知らないで、神の教えに従わないで、ハルマゲドンで死んでしまうのはかわいそうだと思うのでしょう。

 

 その後、同じ3人ですが、子どもはいませんでした。彼女らは、気に触るようなことを言ってもおこるようなことはなく、穏やかで確信に満ちていました。                         

 さて、前にあげた本と、彼女らの話を少し紹介します。1914年という第一次世界大戦がはじまった年が、現代史の歴史の転換点だと言います。すなわち末期的な状況、そう「ハルマゲドン」が近いと言っているのです。「エホバの証人」は聖書に書かれていることをそのまま信じる聖書根本主義の一つで、それらの考え方はアメリカに根強く存在しています。彼らの考えでは、聖書に書いてある通り「ハルマゲドン(世界の破壊と消滅)」があって、キリストの再臨があり、最後の審判があって、それぞれの立場の信仰をしている者のみがパラダイスに行き、永遠の生を受けます。その信仰を守って死んだものも墓場からよみがえってきます。信仰をしていないものは滅亡します。ですから、そういう人は、ハルマゲドンが早く来ることを熱望します。ハルマゲドンになる可能性が最も高いのは核戦争です。『核戦争を待望する人々』(グレース・ハルセル1989朝日選書)という本があります。そこには聖書根本主義者(ファンダメンタリスト)についてかかれています。「エホバの証人」もその一つと言えましょう。その本によれば彼らは世界は6000年前に創造されたこと、イエスの母マリアが処女だったこと、ユダヤ人は神に選ばれた民である、又、神はユダヤ人に聖地イスラエルを与えたと本当に信じるのです。アメリカには、4千万人を超える聖書根本主義者がいて、アメリカの元大統領、レーガンも1986年までは、ハルマゲドンを世界最終戦争に結び付け、その必然性を信じる解釈をしていたと書いています。この右派キリスト教徒の人たちは、共和党の右派として、また、イスラエルを熱狂的に支持する人たちであると言っています。 

 

 その具体的内容は、2回目に来た人たちにはじっくり聞くことができました。それによれば世界最終戦争があって、人々が殺し合いをしている間、エホバの証人を信じていた人のみ、地球上の上空で、浮いているのだそうです。そしてエホバの証人を信じなかった人が完全に死滅すると、その浮いていた人たちが、地球に戻ってきます。地球に戻ってくるというのが、他の宗教の極楽や天国と違い、非常に厳密さを帯びてきます。ただ地球に帰ってくる人たちは、人数に制限がないのだけれど、「エホバの証人」の幹部の人たち、14万4千人は天上の極上の楽園(パラダイス)に行くのだそうです。ずいぶん具体的ですが、現在の「エホバの証人」の幹部の数でしょうかこれは聖書に書かれている人数です。

 あなた方はいかがですかと聞いたら、三人は笑って、とてもとてもと首を振っていました。身分制はあるのですね。審判を受けて、地球の楽園に戻った人は、みんな若くなり、病気も治り、もう死ぬこともなくなります。でも仕事はまだあるようなのです。疑問に思ったのですが。子どもは、そこでは大きくなるのかどうか、どこの時点で成長が止まるのか、いつまでも子どもではいられないでしょう。そのおじいちゃんおばちゃんもその前のじいちゃんばあちゃんも若くなります。そうすると20~30ぐらいの年の人ばかりになりますね。だいたい私は、100歳まで生きれればもう十分で、千年どころか万年以上も生きなければならないなんてまっぴらごめんです。死ねないのですよ。生物は死んで世代交代していくのが自然です。

 

 それから、楽園(エデン)においては人間と動物とが仲よくなります。花園で女の子が虎の親子を抱っこしている図が書いてあります。そこではライオンも雄牛のようにわらを食べると書いています。そんな馬鹿なと思って本をみると、イザヤ11:6-9と書いてあります。そこで聖書を見ると、旧約聖書のイザヤ書のその部分に、「おおかみは小羊とともにやどり、、子牛、若じし、肥えたる家畜はともにいて。。。獅子は牛のようにわらを食い、乳飲み子は毒蛇のほらに戯れ。。。」と書いてあります。まさに聖書に書いてある通りなのです。藁しか食べられない獅子がなにかかわいそうな気がするのですが。でもそうならば動物たちも神に許されて、エデンの園にいるのですから、もう人間に殺されて肉にされたりしないはずですね。エデンではもう肉も魚も食べられなくなります。人間中心主義ですから食べてのいいのかもしれません。でも植物は本当に食べてもいいのでしょうか。さてバクテリアというときりがないのですが。いろいろな発酵食品も食べられないのかしら。食物連鎖が途絶えます。そして人によりそんな肉が食べられないエデンには行きたくないというかもしれませんね。

 

 この「エホバの証人」やヤマギシ会、前のオーム真理教などのカルト宗教では、親が子供を強制的に自分の信仰に引き込みます。「エホバの証人」では子どもを懲らしめることを差し控えてはならないと聖書に書いてあるとのことで、教えに従わない子供は鞭打たれるそうです。それが後遺症となり問題になっています。親は自分の考えに従わない子はサタンの側になったということで、無視したり虐待したりすることがあるそうです。自分だけが信仰するのならまだしも、子どもまで引き込むのは、恐ろしい犯罪ではないでしょうか。

 

追記 :2012年1月13日

 

 モルモン教についてブログを書こうと思って、調べていました。ここのブログで、「エホバの証人」では上級の天国。楽園へいける人は14万4000人と回ってきた人たちが言っていたのですが、始めはその理由がわかりませんでしたが、その理由がわかりました。モルモン教でもそう言っていて、それは聖書の「ヨハネの黙示録」から来ていることが分かりました。聖書に書いてあることをそのまま信じるキリスト教原理主義では、ヨハネの黙示録の書いてある通りに信じることになります。聖書が書かれた当時の人口での14万4千人はそんなに少ない数ではないのでしょうが、世界の人口が70億人となる現在となってはあまりに少なく、「エホバの証人」ではそれで一部の幹部以外のその他の信者は、地球上の天国(人数は信者すべてで無制限)へ行くことにしたのではないかと思われます。

 

「ヨハネの黙示録」 第七章

 

 もう一人の御使いが生ける神の印をもって、火の出る山から上がってくるのを見た。~(彼は)地と海を損なうことができる4人の御使いに向かって大声で叫んで言った。「私たちの神の僕(しもべ)らの額に、私たちが印をおしてしまうまでは、地と海と木を損なってはならない」私は印を押されたものの数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされたものは14万4千人であった。(以後ユダの部族のうち、1万2千人が印を押され~と各部族の数が示される。それ以外の人は、そのあと地と海を損なう事のできる御使いが、地球をそこなうことによってー破滅させられる事になります)

 

 本当に聖書の通りなら、あくまでも、救われるのは、イスラエルの子らだけで、後世の我々は数に入っていないのではないかと思われます。また、14万4千人からもれた「ものみの塔」などの信者が地球上の天国(パラダイス)に戻るなどは聖書に書いて無いように思われますがいかがなものでしょうか。

 

 ★次に書くモルモン教についてと関連します。

 

 

 

 

幸福の科学と幸福の科学学園 参院選得票 7.15追加版

幸福の科学学園4月に開校

 幸福の科学学園が、2010年4月に開校しました。大川隆法の幸福の科学が作った中学、高校で、全寮制、中学は1学年2クラス60人、高校3クラス100人となっています。栃木県の那須に10万平方メートルの敷地のところに建てています。現在の教育界では、いじめや学級崩壊、学力低下などがあるが、ここでは人間にとって、最も大切な宗教教育によって精神性を高め、「徳力と学力」を備えた人材を作ると言っています。

 最初に「宗教教育」を根本に据えるというところから、幸福の科学の考え方を徹底的に植え付けようとしていることが考えられます。また、「ノーブレス、オブリージュ」を身に付けた、「天才」にしようとしています。将来は大学も作り、ちょうど創価学会が、創価高校から、創価大学を作り、創価学会の幹部育成を行っているのと同じことを目指していると言えましょう。しかし、創価大学を出て、裁判官や高級公務員に成っているように、幸福の科学の裁判官や、高級公務員が出てくることを考えると空恐ろしい感じがします。それにしても、カルト、もしくはそれに近い宗教団体が、およそ科学とは無縁であるはずなのに、学会とか科学とか言っているのは何か科学的な装いが必要なのだろうと思います。幸福の科学に入校するには、幸福の科学の信者の幹部の子弟が優先的に入れられるのは当然なことでしょう。

 幸福の科学がどのようなことを言っているのか知らない方のために少しご説明します。大川隆法は、歴史上の偉人が霊界に存在し、大川隆法にチャネリングを通して現在の人々に語りかけていると言って次々に霊言集を出したことから始まりました。それはいままでに仏教では日蓮から親鸞、道元など14人、キリスト教ではキリスト、モーゼ、内村鑑三など、神道系でも天照大神から卑弥呼までいろいろ、孔子、孟子、さらには、出口王仁三郎、谷口雅春、高橋信次などの新宗教の教祖 リンカーンエジソン、ソクラテス、坂本龍馬、紫式部など誰彼かまわず、語らせていて驚くばかりです。最近でも吉田松陰の霊言なども宣伝しています。それぞれの宗教団体とすれば、自分たちの教祖が、大川隆法の口からいろいろ言っているなどということは許しがたいことでしょう。はじめは研究会だったのが1986年には宗教法人とし、本尊は宇宙の最高神エル・カンターレでそれは大川隆法そのもので、昔、ブッダであり、ヘルメスでもあったと言うのです。大川隆法は東大法学部を出ているというのが売りで、一時商社に勤めていました。幹部候補生の登用試験にマークシート方式を採用するなど、今までの古典的宗教と変わったところがあります。この前の選挙に立候補した人を見ても東大、京大、早慶などの有名校の卒業生を前面に出していました。それらの人は学力はあっても、科学的批判的精神は全く学んでこなかったようです。

 大川隆法は、「太陽の法」とかいろいろな書物を出し、信者はそれを他の人に広める必要があるらしく、私と私の息子がたまたま戸山高校で、戸山高校の名簿で見たのでしょう、戸山高校の卒業生の信者の人物から、幸福の科学の紹介とたくさんの本が届いています。それを私はあきれながら、こんなことを書いていると批判する資料にしています。そのような大量のほんの売り上げで、かなり宗教団体としては大きな利益を得ています。また本を買った、あるいはすすめた登録した人をすべて信者としてしまうらしく、1995年には1000万人を突破したと言っていますが、昨年の衆議院選挙での幸福実現党の得票を見る限りではせいぜい30から50万人くらいであろうかと言われていますが。信者は平均3万円位をつぎ込むそうなので、毎月120億円が集まることになります。大量の衆議院選挙の立候補者が供託金没収となりましたが、問題にもならないのでしょう。本の売り上げには、税金がかかるはずですが、その他のお布施は無税なので、相当な実収入が入ることと思います。宗教法人は各政党にとっては有力な支持団体となるので、お布施は無税となっていますがこれは絶対におかしいことです。

 大川隆法は他の新興宗教団体と同じように、幸福の科学を中心とした「ユートピア社会」をつくろうとしています。選挙に出てきたのもそのためでしょう。1991年の「フライデー事件」以来はあまり反社会的な行動に出ていませんが、「オーム真理教」が選挙に出て、惨敗し、それを政府が弾圧して得票を少なくしたのだと考えたのが、サリン事件などを引き起こした原因だと言われています。幸福の科学が1000万以上の信者がいるはずで大量の得票を得るはずなのに、衆議院選挙で惨敗しました。こんどの参議院選挙で又惨敗した時、つじつま合わせに、おかしな行動を起こさなければいいのだが、と思っています。何しろ、大川隆法は釈迦もキリストも、含めた全宗教の教祖が、いわば彼に乗り移っているのです。そしてかれは全知全能の神様、仏様ですから、抵抗がなければすぐに、幸福の科学の理想的な「ユートピア」が建設されるはずです。そしてその信者も、頑張ればだれよりも「偉い」人物になれるのだと思っているのだと思います。でもこのような宗教に入る、社会の状況、人々の心の状況を、なんとかしなければならないと思っています。 幸福の科学はインターネットを通じてお悩み相談を受けています。どの宗教でもそうですが、まず熱心に悩みを聞いてくれます。そして、連帯感を感じアドバイスを受けます。それだけで、悩みがだいぶ解消することが多いのです。いろいろ勉強して、間違っていようが何かしらの信念ができれば気持ちが強くなります。他の人よりも信仰している自分のほうが偉いと思わせられます。その人を感心させるためには、たくさんの人が信じているんだということ、立派な建物や海外にも支部があるんだというお膳立てが必要です。そこで悩みが解決した人は、その人の本心から周りの人に、信仰をすすめるのです。これが新興宗教の信者が増える過程だと思うのですが。

 参議院選挙が終わって、幸福実現等の得票がわかりました。東京都で22,281票で、全国で229,026票でした。前回の衆議院選挙に比べ、候補者が少ない分さらに得票は減っています。信者1000万人を自称していてこの差をどう説明するのでしょうか。その中でドクター中松が幸福実現等から立候補していて38242票をとっています。 彼も最近はお目にかからなくなったのですが、どこでもいいから出てみようということなのでしょう。立候補者の家族や知人などの票もありますから。信者は前は20万人ぐらいはいると思っていましたが、実際は7から8万人ぐらいなのでしょう。

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