不老不死は果たして本当にいいのか
手塚治虫の漫画「火の鳥」のなかの1場面
わかりにくい写真で申し訳ありません。手塚治虫の『火の鳥』の『未来編』です。火の鳥の生き血を飲んで不死になった人間。自分以外に人間が生きて復活してくるのをずっと、待ち続けますが、それはだめでした。その時の絶望は、はかり知れません。
ほとんどの宗教が、死後の世界を想定して、信仰すれば、永遠の生を保証してくれるようです。私のように、無神論者で、死後の世界に生まれ変わることはないし、死後の世界に行くなんてまっぴらごめんと、確信しているのは少ないだろうと思います。しかし、「本当に確実にある」と確信している人も、日本でも外国でも少なくなってきているのではないでしょうか。死後の世界や、不死の問題については手塚治虫さんのまんがにおいては重要なテーマになっています。彼のマンガでは代表作の「火の鳥」や「ブッダ」、「ブラックジャック」などがそうです。そのマンガを見ると手塚治虫自身が、相当に深く死の問題を考えていたと思われます。
そして何度も、不死というものがあったら、実は大変恐ろしいものだということをわからせられます。
◎後に書いてありますが、2020年の大学時代の友人からの年賀状に「人は必ず死ぬ、という必然を受け入れられず、抵抗しています」と、書いてありました。このことについて、新しくブログを書きますとメールしましたが、書く前に、ずっと前に書いたこのブログに書き加えていましたが、結局、新しいブログを書かずに、このブログに色々と付加して更新してしまいました。
「火の鳥」上の図の漫画より
「火の鳥」の中で、さまざまな形で、「火の鳥」の血をなめた人が登場してきます。ところがその結果、すべてあまり良い結果になっていないのです。特に、『未来編』では人類はすべて絶滅しているのに主人公のマサトはただ一人「火の鳥」の血を舐めたばかりに、死ぬことができず、その後何千年も、次の人類が現れるまでただ一人生き続けています。そして5000年後に時間が来たら開けてくださいと書いた、タイムカプセルをみつけ、その中の人が復活するを唯一の楽しみにしています。そして5300年後、ふたをこじ開けたら中の人はぼろぼろになっていたのです。人と会えることが駄目だった時の絶望を描いているのがあります。
天国や極楽 エホバの証人ではどうなるのか
購入したものみの塔の書物です
細胞の中の詳しい説明です。本の中は高度な生物学の教科書という感じです
これは虎ですね。人間と仲良くなり、食べものは草です。
それでは、天国(パラダイス)とか、極楽などに行くのはどうでしょうか。大体の宗教は、かなりその辺になるとあいまいなのですが。「ものみの塔」(エホバの証人)ではかなり具体的です。奥さん連れで、よく子供もつれて訪れてきて、パンフレットを置いていくひとたちです。それによりますと、世界の不信仰の人類は世界戦争などで絶滅し、その間、信者だけは宙に浮いていて助かるそうです。そしてそのあと地球に戻るのだそうです。
あるとき人間学研究所に地域の巡回で三人で訪ねて来た時、私は話を聞きながら、『生命ーどのようにして存在するようになったか 進化か創造か』という本を買い、そして、いろいろと話しを聞くことができました。この本は細胞や進化について詳しく書いてあって、高度な生物学の教科書のようです。しかし後ろの方に天地創造説と「楽園」についてかかれています。
そして聞いた話しでは、14万4千人の特に優れた信者(教会の幹部)は天の極上の楽園(パラダイス)へ行くそうです。その他の人は信者すべての人が地球上のパラダイスに行くのだそうです。それには定員はなく信者すべてだそうです。
14万4千人というのは聖書の中に書かれている人数です。聖書が作られた、その当時はこのくらいの数で十分でしようが、人口が今くらいになるととてもこれでは数が少ないのです。それで上級天国と一般天国に分けなければならないのです。
回ってきた人々にあなたがたは、上級天国にどうですかといったら、「私たちはとてもとても」と、わらって言っていました。あとの信者は、不信心な邪魔ものがいなくなった地球にもどり地上の楽園に住むそうです。年とった人も若返り、みんな若者になってしまうのですね。そこではライオンも草を食べるようになるそうですが。ほかの生物、例えば害虫などは、はどこまで、生存がゆるされるのでしょうね。いなくなるのでしょう。悪い細菌やウイルスもいなくなるのでしょうね。あるいはよい細菌やウイルスに変わるのでしょう。
私は不死のパラダイスに行きたくありません
ただそこで私は思うのですが。だいたい90歳くらいまで生きれば十分です。そこで、あらためて欲張っても100年くらいはまた生きてもいいのですが、あと数千年、数億年も生きなければならないとしたらどうでしょう。いづれ太陽系も消失するでしょうけれど。私はまっぴらごめんです。今生きている間で、そこそこ時に厳しく、時に楽しくで生きていれば十分です。死後の世界なんてないと思えば、この世界を少しでも住みよくしなければと思うのですが。皆さんはいかがお考えですか。
◎2020年1月22日追記
ところが、90才とか100歳まで元気で長生きできればいいやと、単純になかなか思えない人も世の中には多いものです。だから世の中の宗教が盛んなわけです。新大久保には韓国人、中国人、ベトナム人、ネパール人その他世界各国の人々が住んでいます、そして大久保、百人町にはいろいろな宗教の教会、寺院、イスラム教礼拝所などがあります。どの宗教も信仰をすれば、死後にも次の世が約束されているから安心して死んでいけばよいといいます。信仰を確信させるためのいろいろな装置があります。
筆者の様な確信を持った無神論者は少ないのです。普通はぼんやりと思っているだけで、何かを信じていれば安心だと思っているのです。キリスト教なら、入信し洗礼を受け入信して、アーメンでしょうか。日蓮宗は南無妙法蓮華経ですし、浄土真宗などは、南無阿弥陀仏と唱えればいいのでしょう。浄土真宗ではお経などで極楽(安楽国)に往生と言っていますが、どちらかというと、あきらめなさい-諦観という感じが強いのです。ともかく宗教は色々な方法を使って、死後について、安心立命し極楽とか浄土(仏教の場合)や、パラダイス行き(キリスト教やイスラム教)を約束します。そして自分の宗教が正しいと、争います。
浄土真宗でのお葬式
ちなみに筆者の家の宗教の浄土真宗大谷派のお葬式では、必ず僧侶だけでなく、参加者全員が勤行集の本を渡され、みんなでお経を唱えます。中心は親鸞の書いた,教行信証の中の正信偈です。帰命無量寿如来、から始まります。
そして最後に回向文を唱えます。
願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
そして南無阿弥陀仏~と唱えます。
他の仏教宗派に多い、死を汚れとして行ういろいろな行いをとりません。浄土真宗では阿弥陀仏を信じれば誰でも仏になり、なくなると、すぐに仏になって、極楽浄土に成仏するので、塩で清めるなんてことはしません。いろいろな迷信的な儀式もしません。わが家では、以前は、仏壇の中に位牌を置いていました。しかし住職が息子さんに変わり、仏壇の中に位牌は置かないんですよ、と教えられました。浄土真宗では位牌の代わりに法名軸とか過去帳を使います。うちでも位牌を片付けて法名軸に変えました。
私自身は,強個な唯物論者で無神論者ですが、自分の死後については、無宗教式にとかこだわりません。無難に先祖のお墓に入れてもらえばいいと思っています。
参考になるブッダに関する書物
『ブッダ』手塚治虫 潮出版社
手塚治虫のブッダも全巻、みんな見ましたが、その中で、万物がみんなつながっているんだという意識のことが印象に残りました。
また、晩年のブッダが美しい景色を見て、「この世は美しい」(甘美なものだ)という言葉が印象に残りました。
『ブッダの言葉ースッタニパーダ』岩波文庫 中村 元訳 1243円
はるか昔に読んだ、原始仏典の、『スッタニパーダ』も印象に残っています。ブッダが寄進された鶏肉を食べているのを見て、「なまぐさ」ものを食べるのはおかしいのではないかといわれて、肉を食べるのはなまぐさではない、よこしまな考えを持つこと~などがなまぐさである。というのも印象に残りました。原始仏典のブッダの言葉は身に沁みます。
ブッダは直接言っていないのに、弟子が書いたのでしょう、いろいろと地獄のことなど書いています。そういう6道輪廻を繰り返さないということがブッダの、教えであるはずなのに、弟子たちがまた書いているのは、本当におかしいと思います。
◎追記2020年1月22日
このブログの後に、「人生100歳時代」が言われるようになりました。人生での大先輩である、岩城正夫先生は2020年に90才となられ、元気いっぱいです。100歳以上、元気で長生きされると思います。素晴らしい人生の大先輩を少しでも見習って生きていけたらと思います。100歳ぐらいまで元気で生きられて、ぽっくりと死ねたらいいですね。
私の父は大正6年5月生まれですが、自宅で滑って転んで脳出血で平成21年の12月に亡くなりました。前日父親と一緒に、近くのすし屋に行ってお寿司を美味しそうに食べていたのに。はじめは頭のまえを打ったのだから大丈夫などと言っていました。しかし急に様態が悪化し病院でももうどうしようもないと言われました。血液が固まりにくいワーファリンを服用していたので出血が急速に進んだようでした。事故がなければもっと長生きできたでしょうに。92才でした。でも、元気でぽっくりの一つだったように思います。
2020年1月の年賀状を、大学時代の友人で、学生時代からその後まで人間学研究会を一緒にやっていた角田君という友人から頂きました。
「小生、喜寿を迎えて、「人は必ず死ぬ」という必然の事実をまだ受け入れられず抵抗しています。何とかこれを合理化できる考えはないものかと」という内容でした。大学の他の同級生にも送られたようで、これに関連したメールがとどきました。
メールにはブログにこの内容について、ブログを書きますと返信しました。今いろいろ資料を集めているところです。このブログは2009年にブログを書き始めた2009年ごろに、カテゴリー「宗教と死について」の最初に書いたブログで、その後2011年10月に追記して更新したものです。それをさらに2020年に更新しました。
新しいブログを書く前に、前に書いたブログに追記して2020年1月版として更新し直します。「宗教と死について」はいままで16ぐらいの記事を書きましたが、最近はほとんど書かなくなっていました。友人からの年賀状でまたこのテーマで書こうと思いますが、とりあえず古いものを更新してみます。これから新しい記事を書いていきます。
2020年1月8日NHKBSプレミアムで「壇蜜の生と死のるつぼ イスタンブール」という番組がありました。今まで、ネパール、メキシコ、タイと回ってきて、今回はイスラム教のイスタンブールです。生きること、死ぬことについて各国を回ります。
今年1月のこの番組には、壇蜜がトルコを回りイスラム教と死の問題を取り上げていました。壇蜜は納棺師とか湯灌師の資格を持っているのですね。どの宗教も死後の再生を約束します。特にイスラム教では来世を信じ込ませるのに優れていると思います。イスラム教では1日5回もメッカに向かって礼拝をしなければなりません。キリスト教でも仏教でもはじめはお酒を飲まないようにし偶像崇拝をしないように戒めていましたが、時が過ぎ、地方が変わるうちに、お酒も飲むとか偶像崇拝するようになってしまいました。それに対してイスラム教では戒律g厳しく守られています。
よくなくなった親しい親族などが空から見守ってくれるとかいう話がよく出てきます。それをどうのこうのと批判したりするのは愚の骨頂です。死んでいくときに待ってくれている人、もしくは最愛のネコちゃんでもいいのですが、また会えると思えば死も恐ろしくはありません。
◎「こういちの人間学ブログ」において、カテゴリーの名前を、「宗教と死」としましたのは,死と宗教が固く結びついているからです。科学が急速に進み、今や宇宙からミクロの世界までかなり科学で分かりつつあります。しかしながら、一方では宗教は一時より衰えましたが、まだ根強い影響力を持っています。アメリカではキリスト教右派がトランプ大統領を支え、大きな影響力を持っています。日本でも、神道政治連盟が,安倍内閣に大きな影響力を持ち、創価学会の公明党も政権を強力に支えています。一方、マルクス・レーニン主義に基づく無神論は、ソ連の弾圧や悪政、ポルポトの残虐行為、中国の大国主義的な行いなどで、人々の支持が失われているように感じます。これは秦の科学に基づいたものではなく、一つの宗教化したものと言えます。一部の良心的な政治家、科学者、その他の多くの人たちの動きや、考え方は救いですが、残念ながらなかなか世の中は良くなっていきませんね。
以前の追記 回ってくるエホバの証人の奥さんがたは、優しく確信に充ち「本当に迷える私たちを救おうと思っているのでしょう。嫌味な質問でも怒ったりしないで丁寧に答えます。
しかし、その後、わたしのお悩み相談で、昔エホバの証人の信者の親に連れられて、家々を回った、という人の相談を受けました。親元から抜け出すのが大変だったと言っています。自分が信者になるのはいいのですが、まだ自分を主張できない子供を連れまわすのはとてもかわいそうに思えます。
◎このブログははじめ2009年に書かれたものでした。追記して2011年10月のブログにしました。2020年に、また「宗教と死」のカテゴリーの記事を書くために少し追記して2020年1月版としました。
このテーマについては、今いろいろな資料にあたって、改めて新しいブログを書くつもりです。
◎2020年1月25日 追記
東京教育大学動物科の同窓の唐沢孝一さんから、メールを頂きました。前と同じように私と大学の同級の方々へと同時です。ブログを書きますと書きましたが、とりあえず前のブログに追記して書いたのがこのブログです。
「山中静夫氏の尊厳死」という映画の紹介です。原作者は南木佳士氏で佐久病院の医師で100回目の芥川賞を受けた方で、唐沢君の実家のすぐそばだそうです。主演は末期の肺がん患者に中村梅雀、担当医師に津田寛治です。末期がんとしり、静岡の自宅から、故郷の信州の田舎の墓地に自分の墓をたてに行きます。このことは1月30日号の「週刊文春」阿川佐和子と中村梅雀の対談が出ているようです。早速買いに行きます。また,耕論「人生100年の現実」も紹介していただきました。(唐沢君のホームページ)
カラサワ―ルド 「掲示板」
週刊文春と、朝日新聞[1月24日]のオピニオン欄
「前向きに生きたい」フィールド・エッセイ
週刊文春 1月30日号
2月14日公開の映画 「山中静夫氏の尊厳死」阿川佐和子のこの人に会いたい 中村梅雀 から
中村 死ぬ間際、いろいろな呪縛がほどけて、心が救われながら召される役なので、「これはやってみたい」と思ったんですね。
役作りで体重を6キロ落として、それなのに医師役の津田さんがやせているのに病的に痩せていらしたんです。
余命少ない山中静夫が心の面で健康になって死んでいくのに、それを見とる今井医師がどんどん病的になっていく対比を出したいと。
実は撮影中に母が危篤状態だったので、僕自身すごく死を考えている時期だったんです。
1月25日、週刊誌文春と一緒に買ってきた本などです。
大きく新聞に宣伝の出ていた本です。下に写した「死とは何か」と同じ出版社、文嚮社です。
「もしも1年後、この世にいないとしたら」
清水 研 国立がん研究センター中央病院 精神腫瘍科長 2019年10月16日 12月13日でもう第5刷です。
人生の締め切りを意識すると明日が変わる 3500人以上のがん患者と対話してきた精神科医が伝える 死ぬときに後悔しない生き方
人生を執着点のある旅だと考えるなら「死」は恐れのある対象ではなく 「終着点」でしかないのです。―今日を大切に過ごす
おわりにー「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づく
「死」は現代では不吉なことととらえられがちですが、死を意識して初めて生きることの光を感じるという側面もあります。人生の期限を意識することは、日々を粗末にせず自分らしい生き方にシフトするための大きな動機付けになるのです。
しかしながら、「死」を意識するだけでは、自分らしい生き方をどうしたら、実現できるのかわかりません。~自分らしく生きている感覚がない方、「must]の自分に[want]の自分が縛られて、息が詰まっているような感覚がある方は、主従関係を逆転させ、「want]の声を聴こうとする必要があるでしょう。
◎この本では再三にわたって、このことについて書いています。
この本のうらについている帯封です。今、生きづらさを感じている人へ、と。
上の帯封を書いてみます。
「10年後」がないとしたら、何のために「今」生きるか。:大切な人との時間を何よりも優先する。::本当は皆、いつ何が起きるかわからない世界に生きている。:働けなくなった時に、自分の存在価値を感じられるか。:人は死の直前になって心のままに生きていないことに気づく。:「こうでなくてはならない」という自分が「ありのまま」の自分を苦しめている:「元気な自分でなければならない」という思い込みは苦しい:「こうあるべき」で生きると「何のために生きるか」が分からない:人生は1回きりの旅である:「こころのままに行き当たりばったりしてみる」:「普通の日の連続」が幸せ
ー今起きていることはただの『普通』ではない『普通の日の連続』が『幸せなんです』。~もし1年後に自分が病床に伏していると仮定したら、1年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の自分をうらやみ、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと後悔するかもしれません。私の場合はあえてそう考えるようにします。
「今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではない」ということを意識することは、「今ここにある自分」を大切に生きることにつながるでしょう。p194
おわりにー「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づく
◎「ありのままの自分」って何でしょう。現実の厳しい資本主義社会の中で、心のままに行き当たりばったりで生きる、なんてことが至難の業ではないでしょうか。
◎「もしも1年後、この世にいないとしたら」の本の2回目の宣伝が、1月30日の毎日新聞にのりました。6万部突破だそうです。
「死」とは何か
エール大学の23年間の人気講義
縮約版は1850円+税 あとで出版された完全翻訳版が2850円+税
完全翻訳版は大きくかさばるので、電子版の要約でかなり読めます
余命宣告をされた学生が”命をかけて”受けたいと願った伝説の講義が
ついに上陸!「死」という難しいテーマについて、理性的に明快に語った。
シリーズ累計22万部だそうです。
本屋で見た漫画購入してみました
「人生店じまいはムズカシイ」 マッちゃん84才 2019年12月4日 沼野正子 岩波ブックレット 1200円+税
◎次のブログで感想をいろいろと書いていきます。
2020年1月31日
以前のブログにも書きましたが、知り合いや親せきや家族でたばこを吸っていた人は、がんになり多くが早くなくなってしまいました。不本意だったと思います。
私の祖父は煙草を吸い、熱燗が好きで、食道がんで亡くなりました。父は煙草を吸い、胃がんで胃の摘出をしましたが、お酒はあまり飲まず、90過ぎ迄長生きしました。叔母の御主人は肺がんで速くに亡くなりました。叔父もがんで死亡です。ただ一人の妹の旦那さんもヘビースモーカーでしたが60代で肺がんで亡くなりました。今は2人に一人ががんになる時代だそうですが、同じがんでも肺がんは死亡率が高いのです。
追記 2020年2月1日
「死んだらどうなるのか?ー死生観6つの哲学」-あなたはどの死後を望みますか?
2019年10月7日刊 伊佐敷隆弘 亜紀書房 1800円+税
6つの哲学とは
哲学より宗教と類別した方がいいものが多い
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