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大久保の街紹介

2019年6月16日 (日)

人間学研究所、2019年6月例会は韓国海鮮料理店、テジョンデで懇親会でした。9名の方が参加しました。

2019年(令和元年)6月14日(金)は、以前にも何回も行っていた韓国海鮮料理店のテジョンデへ行くことになりました。懇親会は12月に行いますが、前期にも1回開くことにしました。

テジョンデは2000年にオープンしたお店で、韓国のお店が増え始めたときからのお店です。人間学研究所ができた年も同じころからで、研究所のメンバーで今まで何回も来ていました。以前座敷形式でした。

場所は、新宿区百人町1-6-15 NKビル2Fです。新大久保駅からガードをくぐりすぐのところです。食べログの点数は3,43で比較的高い点数です。03-3207-8881

ブログ筆者が車いす生活になってから、ヘルパーさんとともに来たことがあります。その時は比較的比簡単に入れました。ところがヤマハの電動車いすからWILLの車いすに変わっていましたのでお店に入るのに段差が大変で、お店の人何人かに持ち上げてもらって入ることになってしまいました。エレベーターもやってと入れる状態でした。

事前の予約は8名でしたが、当日1名増えて9名の参加でした。料理は8人分出されたのですがそれでも余り気味でした。

頼んだ料理は、Aコース2980円、12品付きです。2時間飲み放題付きは4980円でした。4名がお酒を飲まないのでお酒は別のコースにしました。参加費3000円として集め,飲み代は実費ということにしました。

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座った席の近くのお店の看板です。

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奥に水槽が見えます。魚が泳いでいます。金曜日ということもありお店は満席でした。

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1、最初に出てきたオリジナルサラダ、4人分まとめて出てきます。これは1人分に分けたものです。

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、カンジャン セウ 生エビのしょうゆ漬け 1人1っ匹

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3、カンジャン ケジャン((生ワタリガニのしょうゆ漬け)

4、もう1品、 ヤンニョム ケジャン (生ワタリガニ甘辛だれづけ)、も出ました。写しそこないました。

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5、海鮮チジミ 少し食べてしまいました。

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6,グラン・チム ふわふわ茶碗蒸し 4人分

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7、肉のポッサム 4人分

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8、いいダコの2種類のチーズ炒め すこしぴんボケに。だいぶ食べてしまいました。食べでがありました。

単品で生きたいいダコの踊り食いがあります。

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9、メインの刺身盛り合わせ 4人分。刺身は8種類ほどあったように思いました。

10、写真を撮りませんでしたがニンニク素揚げ

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11、サンチュプレート 5種類のいろいろな野菜にくるんで。もう少し食べてしまいました。

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12、魚出し鍋、残った刺身を入れて鍋に。これを食べる前に帰りました。

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◎筆者は6時から(家を出たのは5時半)きて、9時近くで、飲んだお酒とまわりのうるささとなんやかんやで少し気分が悪くなり、トイレにも入りたくなってきましたので、(ここのトイレはバリアフリーではありません)申し訳ないけれど少し早めに帰りました。

若者向きで、豪華にたくさん食べる人には、味もよく、とても良いと思いますが、我々のような年配者には少し量が多くて食べきれない感じでした。4人分を5人でたべてちょうどいいくらいでした。

 

 

2019年6月12日 (水)

出没!アド街ック天国、6月8日は「新宿百人町」。20位ランキング。 ブログ筆者ながらの解説で書きます。追記版

2019年6月8日(土)夜9時放送のテレビ東京。「出没!アド街ック天国」「新宿百人町」を放送していましたが、うっかりテレビを見落としてしまいました。インターネットでバックナンバーが詳しく書かれていましたのでそのランキングに応じて、自分なりにコメントを紹介します。放送後、筆者の書いた、大久保・百人町に関するブログへのアクセスが増えました。ブログ筆者なりの解説をつけていきます。

◎昔の大久保の地域はかなり広い地域でした。大久保(元の西大久保)、百人町、東大久保(現在の新宿6,7丁目)歌舞伎町2丁目(元の西大久保1丁目)などでした。百人町の中に山手線の新大久保駅ができました。百人町には総武線の大久保駅もあります。

6月16日(日)百人町を一回りして写真を撮ってきたので資料を加えます。

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オレンジ色で囲ったところが百人町。右隣が大久保です。右下が新宿駅。

1位 世界の料理大集合

大久保・百人町地域では、韓国料理が圧倒的に多い。次いで一時ネパール料理店が25店ほどになりましたが今は20店ほどになりましベトナム料理店がじわじわ増えています。タイ料理、シシケバブなどトルコ料理、ハラル料理のお店、、変わったお店ではチュニジア料理店、ペルー料理店(ワンチャコ)など、いろいろです。新宿に住んでいる外国人が百数十国になりますから料理店もいろいろです。 以前、大長今(テチャングム)という韓国料理で、次にネパール料理になり、2018年2月20日に「新大久保屋台村」という、8か国多国籍料理店となった店ができました。今度行ってみます。。

ベトナムちゃん  人気のベトナム料理店  大久保駅近く 百人町1-19-17 食べログ3,78 段差があり車いすでは入れません 

ハンニバル  地中海・チュニジア料理店 大久保駅近く 百人町1-19-2大久保ユニオンビル1F 食べログ3,50  

千里香 中国延辺料理(韓国料理)百人町1丁目 淀橋教会近く 百人町1-17-10紺のビル2F 食べログ3,57すぐ近くに旬八百屋

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新大久保アジア屋台村のお店。8か国の国旗が出ています。段差が大きく車いすでは上がれません。

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アジア屋台村の看板。各国の料理が展示されています。

◎筆者がよく行くのは、新大久保駅すぐそばで郵便局通りにあるソムオーです。ベトナム料理と、タイ料理両方をやっていておいしい店です。そのほかにそのとかくに3店あるタイ料理店,クンメーもおいしい店です。

◎百人町は多国籍料理のお店がとても多いのですが、大久保地域には圧倒的に韓国料理が多いのです

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タッカルビを始めた、「市場タッカルビ」のお店。(ここは大久保のお店でした)

“”百人町大久保の店、チュニジア2店、インド3店、ベトナム8店、タイ10店から“”” 2016年11月 こういちの人間学ブログ

 チュニジア料理店のうちラジュールは閉店してしまいました

2位 皆中神社

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親子連れでおねがいに

百人町の氏神様 江戸時代鉄砲隊100人同心と与力が鉄砲が皆当たるようにと祈願して、てかなえられたということから「皆中」と呼ばれた。何かの願い事がかなうと祈願に来る人が多くねがいごとになりました。皆中神社では後に書く百人町鉄砲隊の行列も行われます。ここの先代の神主さんは筆者の祖父が,木曽から連れてきたそうですが。 

3位 楽器店

石森管楽器店 百人町1-20-23

もともと新大久保にはドイツ人の演奏家や日本の演奏家など音楽家が多く集まっていました。新宿は音楽文化発祥の地です。その後新大久保には戦後楽器を修理する人が多く集まりました。いまでは百人町に12件ほどの楽器店があり、黒沢楽器の本店(新大久保駅近く)などの大手から、こじんまりとした専門店まで多くそろっています。

4位 イスラム横丁

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新大久保駅から東京グローブ座へ向かう道を文化通りといいますが、駅からすぐの一角をイスラム横丁といいます。ハラル・フードの店Green NascoとレストランのNasco Food(コート)のお店が中心です。新宿区百人町2-10-8 新大久保イニシャルハウスアネックス1F、食べログ3,54 高い点数です。

その周りにハラル・フードのお店が集中しています。ここで、ケバブや焼き鳥を店頭で売っています。ビリヤニが評判とか。このお店のあるビルの1室に小さいイスラム教の礼拝所ができています.もう1か所、礼拝所があるとか。新大久保イニシャルハウスの2つのビルはエスニック料理の店が集中しています。ネパール料理の老舗的な、「モモ」、インドネシア料理店「メラ・プティ~」、元のお好み焼き屋さんは、「日越居酒屋」という日本とベトナムの居酒屋さんに変わりました。

すぐ隣に新宿八百屋があります。

5位 東京グローブ座

新大久保駅から文化通りを北の方に直進すると東京グローブ座につきます。東京グローブ座があるから文化通りとなずけられました。イギリスロンドンで活躍したシェイクスピアグローブの活躍したグローブ座と同じ形につくられました。円形の小さい劇場ですが、中曽根行革の一環として作られた西戸山タワーホームズという高層マンションと同時につくられました。公演の時には若い女性の行列が見られます。

6位 焼肉激戦区という

ケナリ 百人町1-17-6 東部ビル2F 大久保駅の近く1Fはデジニランドの大きな看板が 食べログ 3,32

焼肉 IWA 百人町2丁目 元AKBの内田真由美のみせ 文化通り 看板は目立ちます 食べログ3,18

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大きな段差があり車いすでは無理

両店とも車いすでは2階に上がれなさそうですが調べてきます。

もともとは普通の、ロースやカルビを出す焼肉屋さんが多かったのですが、途中から豚の脂身を焼いたサムギョプサルが全盛となり。その後、オリジナルのチーズタッカルビが今は全盛です。どこもかしこも、サムギョプサルやチーズタッカルビのお店です。一時期はチキンのお店がはやりました。昔ながらの焼肉屋さんのお店は少なくなりました。

7位 専門学校

新大久保は各種学校の多いところです。一つは日本電子専門学校のような学校であり、もう一つはたくさんの日本語学校です。そこで学ぶベトナム人やネパール人がアルバイトなどでコンビニの従業員になっています。東京マルチメディア専門学校、東京鍼灸専門学校、東京観光専門学校などいろいろです。

8位 鉄砲組100人隊

皆中神社の例大祭で2年に一度開催されます。もともと百人町は徳川百人組鉄砲の大繩地です。大久保の地に同心百人、与力二十五騎が、この地を拝領しました。同心でも千坪以上、与力では2千坪以上の土地があり、その地に火薬の原料となる木炭をとるためにつつじを植えました。そのツツジは同心たちの内職でもありました。鉄砲組100人組の人が一人朝倉さんがまだ百人町に住んでいます。

9位 リトルカトマンズ

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旬 八百屋 真ん中のビルの八百屋さんみたいな店の奥にお弁当などを売って入るそうです。看板はありません。2階に前に出てきた千里香があります。3階にネパール料理店。右に少し見えるのが淀橋教会。

このところのネパール人の急増と一時期、韓流ブームが下火になったためネパール料理店が急増しました。この周辺には1500人のネパール人が住むといわれます。ネパール料理店は大久保百人町で一時25店を数えましたが、韓流ブームにより再び韓国の店になった店もあります。

ヤングBB 店の6から7割と外国人のお客が多い理髪店 新大久保駅すぐそば

旬 八百屋 百人町1-17-10常陽ビルF 八百屋さんでお弁当も売っている 淀橋教会そば 食べログ3,09

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   ”新大久保の最近のベトナム・ネパール料理店の増加、24-25店”  2016年4月「こういちの人間学ブログ」

10位 近江家 

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近江屋の向こうに山手線が見えます。

明治32年創業で大正5年新大久保に移ってきたようです。戦前からのお店は少なくなりました。

ブログ筆者の祖先も明治40年ころに曽祖父が新潟から転居し桶屋を始めました。以前はよく行っていました今。今は車いすなので段差がきつく入れません。

近江屋は新大久保駅前にあります。食べログ3,50で高い得点です。

11位 のび~るチーズが大ブーム

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でりか おんどる本店  百人町1-3-20エスケイビル1F 前から混んでいる店です 食べログ3,62

モンナンカムジャ(旧トントン)百人町2-2-1 2F 食べログ3,13

 一度はやるとどこも一斉にハットグのお店が出てきます。伸びるチーズがインスタ映えするとかで、売れていますが、今までの例では、一斉にお店ができ、飽きられると急に店が無くなります。ブームはいつまで続くでしょうか。 

”新大久保大久保通り北側のハットグ店4店の写真”   2019年5月 「こういちの人間学ブログ」

"新大久保の女高生増加~ホットク(ハットグ)などの屋台の増加” 2018年3月 「こういちの人間学ブログ」

12位 魯珈 Spicy curry

ここは大久保駅北口から春山外科に行く道でにぎやかな道にあります。新宿区百人町1-24-7シュミネビル1階といっても半地下です。ここのビルには以前チュニジア料理店のラジュールがあり何度か行きました。他にもペルー料理(ワンチャコ)のお店もあります。

魯加はいままできづきませんでしたが元は台湾料理のお店でしょう。有名なカレーのほかに魯肉飯も有名です。食べログで4,0で高得点のお店です。

13位 トリアノン

大久保駅から小滝橋通りに向かう、大久保通りにあります。昭和41年(1960年)からの老舗のケーキ屋さんです。

新大久保駅近くに住む筆者は東京風月堂のほうがなじみです。(新大久保店と大久保店があり)

14位 上陸スイーツ

連日女子中高生が押し寄せ大久保通り沿いはいつも大騒ぎ、彼女たちからブームが生まれる、とテレビでは言っています。ハットグもスイーツも客単価は安いのです。

CAFE ON 2014年韓国から 百人町2-1-1 K プラザ1の2階 食べログ3,15

Homibing 新大久保駅近く、韓国で20店ほどある店 百人町2-3-20、食べログ 3,41 生マンゴーホミビン1200円など

 かき氷のスイーツ各種。

ほかに、コーヒープリンス3号店、カフェMUIMUIやTAK CAFEなどが有名です。あまりに急激に増えてカウントできないくらいです。タピオカドリンクも売っている店が多いのです。大体ビルの2,3階にできているお店が多いのです

15位 大衆酒場

瀧元 百人町1-23-7 春山外科近く 昭和45年より営業。酒は八重樫のみ。百人町では老舗的なお店。前からよくテレビで紹介されます(酒場放浪記など) 食べログ3,58

久”留米ひとつぼ  百人町1-24-16百人町ビル1F やきとり  大久保駅南口近く三角形の道のところ 食べログ3,22

エスニックのエストランだけでなく日本の大衆酒場もたくさんあります。筆者はよく行った新大久保近くでは居酒屋仙力がおいしい店です。またその前の居酒屋越路にもよく行きました。大久保駅の北口周辺に日本の居酒屋が密集しています。立ち飲みの店もあります。エスニックのお店と混在しています。

16位 外国人が住みやすい街

新宿区は外国人が43,600人(令和元年)と10%近くも住み、増え続けています。1位中国、2位、韓国、3位ベトナム、4位ネパールです。同国人が多く住んいると何かと便利でしょう。特に百人町1,2丁目や大久保1,2丁目は外国人のほうが実質多くなってきています。各国の料理店数多くあります。

新宿区では多文化共生の街を推進する取り組みを進めてきました。新宿区役所。新大久保商店街では街路で多くの国の言語で放送しています。

17位 新宿八百屋

365日24時間営業で、1日2000人以上が来店する。筆者がだいぶ前に書いたブログですが今でもかなりのアクセスがあります。値段が安くドリアンなども置いています。前は筆者も時々買いに行っていました。今は車いすでは入れません。

”NHKドキュメント 国境なき八百屋さん” ~ 2012年7月 「こういちの人間学ブログ「」

18位 居酒屋カンちゃん

日米で絶大な人気を誇った悪役元プロレスラー、キラー・カーンの始めたお店。このお店はもともと台湾料理の店などでした。

百人町1-6-14 春日ビル1F 食べログ3,42 店の入口をハットグの店の行列がふさいで、大迷惑だそうです。

19位 タピオカ

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 台湾からタピオカのお店が入ってきて、3度目のブームだそうです。ハットグと同じ400円から500円ぐらいです。 

新大久保タピオカ24選!全部食べてきた」というブログがあります。北新宿の「茶加匠」、大久保駅直近の「閑茶坊」などが有名です 

閑茶坊 百人町1-17-3

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閑茶坊の2軒隣にまた新しいタピオカの店が。

Cafe On 百人町2-1-1Kプラザ2F  食べログ3,15

egg cofee  百人町1-3-25 お店の向こう側は大久保

20位 サライケバブ

一時期、トルコ料理のケバブ屋さんがだいぶ増えた時期があります。新大久保に来るお客さんが若い女性が多くなり、手軽に昼食を済ませるのによかったのです。サライケバブは大久保駅のすぐそばにあります。トルコ人の兄弟のつくるケバブが評判とか。職安通りにもインド料理店のとなりにもケバブのお店があります。ケバブ屋さんは屋台のお店が多いのですが、きちんとしたトルコ料理店は大久保駅近くのヒサルというお店が有名です。

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大久保駅のすぐ隣にえsニック料理が集中しています。左側(写真では下)がサライケバブ。後はネパール料理、、ベトナム料理店が隣のビルに。

いろいろなところに支店があります。大久保駅前店 百人町2ー23-1 食べログ3,36 ケバブライス900円など

◎ ブログ筆者なりのランキングで、付け加えるもの

その他の「新宿百人町」は、教会とお寺の多さも注目に値します。

”新大久保における宗教施設とキリスト教会の多さについて” 2019年5月 「こういちの人間学ブログ」

"大久保の弥勒殿と菜食兼美と東京媽祖廟~”2016年10月 「こういちの人間学ブログ」

ロッテの工場跡地にできた山手線の内側にできた、住宅展示場も注目に値します。

大久保地域には早稲田大学の理工学部がありますが2019年4月に百人町にも桜美林大学が開校しました。この辺りは元国立博物館の分館があり各種研究所がありました。この辺りは元陸軍の研究所がありました。

新大久保駅がJR東日本の駅の中で最も乗車率が上がりました。今駅を改装中です。

個別に興味のある所は、カテゴリー「大久保の街紹介」の各項目ををご覧ください。

2019年6月 8日 (土)

西新宿の高層ビル街を電動車いすで走る。税務署通りから青梅街道の地域、三井、三菱、住友のビルが多い。

 

上図は、正面が小滝橋通りと税務署通りの交差点。右側は百人町。左側が北新宿。後ろは新宿駅へ。

新宿区の地図,オレンジ色が今回回って写真を撮ってきたところです。右側が山手線,左へカーブしているのが中央線。それと平こうして小滝橋通り。左へ行く道が職安通りのつながりの税務署通り。並行した道は青梅街道です。その下に都庁や高層ビル街と新宿中央公園があります。

5年前に脳出血を起こしてからこの周辺に行っていませんでした。久しぶりに行ってみて大きな変わりようにびっくりしました。

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税務署通りにあるお地蔵さん。税務署通りの北新宿側は以前のままの低層住宅の地域です。西新宿側は高層ビルが建ち大きく変容しています。

西新宿側も前は小さい住宅や商店が密集しているところでした。

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お地蔵さんの裏にあるお稲荷さん。

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お稲荷さんの先に新宿村スタジオがあります。税務署通りの北側は低層の建物ばかりです。

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住友不動産グランドタワー 西新宿8丁目、40階建てのオフィスビル この辺りで最も高いビルです。

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下図 住友グランドタワーを正面から写したところ。右側のビルは新宿フロントタワー

 

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住友グランドタワーと新宿フロントスクエアの間に道があり西新宿8丁目と北新宿2丁目との境界になっています。

新宿フロントスクエアに入っているレストラン棟などの案内図。3階にはいろいろな医療施設が入っている、メディカルモール。

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新宿フロントスクエアの説明図。右の大きな建物が新宿フロントタワー(35階建て)。1,2階にはスーパー、コンビニ、レストランなど、3階にいろいろな診療所が))の2011年5月竣工

左がパークハウス新宿タワー(20階建てのマンション棟)いずれも三菱地所の建物。

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税務署通りから青梅街道に合流するところ。三角形の部分には小さな緑地ができています。

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青梅街道から新宿駅方面を見る。左のビルはパークハウス新宿タワー。後ろにわずかに見えるのが新宿フロントタワー

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青梅街道から、十二社通りを見る。ここに三菱地所の、ザ・パークハウス西新宿タワー60(60階建てマンション)右に上部が見えます。

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下図 このビルはまだ建設中です。6月5日付の新宿新聞によれば、今年8月に新宿6丁目に33階のオフィス・マンションビルの住友不動産西新宿セントラルパークが完成するという記事が載っていました。このビルがそうでしょう。同じ日の新宿新聞の広告に、”東京NO1オフィスビル220棟超(建築中含む)住友不動産という広告が載っていました。この辺りも大変住友不動産のビルが多いです。(下図)

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となりのビルが住友オークタワー(38階)西新宿6-8-1,2003年建設、でしょうか。

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住友不動産西新宿グランドタワーオレンジ色のところ、40F)の説明図。いくつか低層の付属施設も。

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東京医大病院の建物。丸いヘリポートがあるビルで左奥はアイランドタワー(44階)。

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成子天神社。奥に成子天神社の立てたマンションがあります。パークタワー西新宿エムズポート(27階)管理は三井不動産。奥に見えるところでしょうか。

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新宿アイランドタワー44F)屋上にヘリコプターのとまれる施設があります。つながって住友ビル東京都庁のビルが見えます。

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右にすこし見えるのが新宿警察。真ん中に大きく見えるのが新宿野村ビル(50階)。後ろに重なって見えるのが損保ジャパンのビル。

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古くからある高層ビル群。右に少し見えるのが住友(三角)ビル(52階)、。真ん中が新宿三井ビル(55階1974年完成)。間に小さく見えるのが京王プラザホテルビル。左側が新宿野村ビル(50階)

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改めて再訪して、追記していきます。

2019年5月22日 (水)

新大久保における宗教施設とキリスト教会の多さについて

大久保の宗教施設の概要

日本においては、宗教を強く信じる人は少なく、仏教や神道を信じるというより、なんとなく所属しているという感じです。たとえば筆者のうちは浄土真宗の檀家としてお寺にお墓がありいろいろな仏事にお世話になっているので、2人とも浄土真宗の信者にカウントされているでしょうし、少し前は地元の皆中神社の氏子にカウントされたいたもとも思います。

日本におけるキリスト教の信者は文化庁の「宗教年鑑」(2016年版)によれば、キリスト教会の数は日本に5743で、信徒は96万人だそうです。日本人の人口の1%に満たないような信者数です。ところが戦後の日本の首相では14%がキリスト教徒だそうで大きな影響力があるようです。

信者の内訳はカトリックの教会は785で、信者数は約44万人で46%です。後は多数あるプロテスタント系各派の信者と、ごくわずかの正教会系の信者です。プロテスタント系では1位が日本キリスト教教団で、信者数12万、次に聖公会、5万、パブテスト連盟3万、5位、福音ルーテル教会、2万、6位、セブンスター教会、1,5万、7位、日本キリスト教会あとは1万人台から1万人未満です。

大久保、百人町地域は多くの外国人が住んでいて、多国籍の街として有名です。新宿区に住んでいる外国人の数は、2019年5月1日で、中国人14635人と最も多く、韓国人10346人ですが、実際に観光ビザ等で働いている韓国人を含めると、韓国人は中国人より多いのではないかと思っています。

新大久保においては、近年、第3次韓流ブームにより、韓国の飲食品やグッズ店が目立ちますが、最近では中国人、韓国人のほか、ベトナム人、ネパール人なども多くなっています。新宿全体では、ミャンマー人やアメリカ人、フランス人なども多いのです。

余り目立たないようですが、新大久保およびその周辺には様々な宗教施設があり、ちょっと調べてみると、その多さに驚きます。外国人の宗教施設では韓国系の教会の数が目立ちます。キリスト教信者は韓国の中で30%を占め、日本に比べると格段に多いのです。そして新宿では、プロテスタント系の小さな宗教施設がマンションなどにつくられています。また仏教も多く、筆者も行ったことがありますが、やはりマンションの部屋の中の仏教施設は多数あると思われます。台湾の仏教徒は新大久保に大きな施設を作り目立ちます。大きな弥勒菩薩像と菜食兼美というところと、媽祖廟の立派な施設です。イスラム教徒も多くなり、イスラム横丁など大久保には2か所の礼拝所があるそうです。

今回は大久保、百人町を中心とする地域における、キリスト教系の施設(教会)を調べてみました。

1、大久保にある教会

日本福音ルーテル教会

   大久保1-14-14 大久保通りに面す 1912年より古くからある教会で、幼稚園もやっており、教会の幼稚園に行っていたとい う人も変多い。最近改築し、その姿はよく目立ちます。主任牧師は関野牧師。水曜日には牧師カフェをやっています。

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東京希望宣教教会 東京中央教会

   大久保2-18-8 韓国系では大久保最大の教会 1996年に1500人収容できる教会として建設

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入口は2か所あります

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新宿シャローム教会

   大久保3-10-1-203 日本キリスト教団 

きよめキリスト祈りの会

   大久保1-15-18-803

日本キリスト教会 バプテスト会東京新宿教会

   大久保1-3-3

ライトハウス新宿チャーチ

   大久保2-6-16平安ビル8A 平安ビルに4つの教会があります

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新宿キリスト教会

   大久保2-6-16平安ビル7A

東京盤石教会

   大久保2-6-16 平安ビル4A

日本ユナイテッドペンテコステ教会

   大久保2-6-16 平安ビル5A

シロアム教会 福音主義

   大久保3-10-1-203 マルエツの入っているオレンジコート内の2階」

2、百人町にある教会

ウエスレアン ホーリネス教会 淀橋教会

   百人町1-17-8 大久保駅近く 1904年にジョン-ウエスレーによって設立

   ホーリネス運動最初の教会  峯野龍弘牧師  3368-9165 大きな教会です。創立115年だそうです。1300人収容の大

   聖堂

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日本キリスト教団 百人町教会

   百人町2-32-5 キリスト教婦人矯風会内

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東洋宣教団 きよめキリスト教会 (日本キリスト教団)

   百人町2-3-18 新大久保駅近く 1996年創立

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東京ジグチョン教会

   百人町1-9-3 日本パブテスト連盟 主任牧師 許 碩真牧師 韓国系

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新宿シャローム教会

   百人町1-23-24 アミューズ大久保ビル2F 1974年新宿に移転 プロテスタント聖霊派

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大久保駅南口から小滝橋通りに行く道。左側に新宿シャローム教会、右側に東京媽祖廟。

ここには日、本の居酒屋とともにトルコ料理店、ペルー料理、タイ料理店などエスニック料理店がいっぱい。

ナオス国際キリスト教会

  百人町1-22-1 NSKビル4F

シロアム教会大久保教会

  百人町2-23-5 シロアム教会は元暴力団員の鈴木啓之氏が1995年設立

PBWM東京教会

  百人町2-27-5ツシマビル3F 韓国系 フェイスブックで紹介

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カトリック教会学生の家

  百人町2-23-27 教会も中にあります

  カトリックの教会は少なく、文京区関口の東京カテドラル関口教会が近く、ということに 

  東京大司教区での信者は95000人です。

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3、周辺の教会

大久保キリスト教会

   北新宿3-5-19 小滝橋通り、大久保駅近く

   1930年設立 3371-1556

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日本キリスト教会柏木教会

   北新宿3-1-8 大久保駅より3分 改革派 1931年植村環設立 1951年キリスト教団より離脱

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大久保バプテスト教会

   新宿7-23(26)-22(旧東大久保)ホテルサンルート裏 3207-0307 1958年スタート

   河野信一郎牧師

純福音協会

   歌舞伎町2-2-17(旧西大久保1丁目)明治通りの8階建てのビル  韓国系  1979年より

 

職安通りにも新宿純福音教会の看板がありました

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日本キリスト教団新宿西教会

   歌舞伎町2-19-11(旧西大久保)

日本キリスト教団百人町教会

   高田馬場1-34-13愛染堂ビル2F

◎そのほかにもまだ教会があるかもしれません。随時増やしていきます。

大久保でなくとも大久保教会としています。大久保は教会としては由緒あるのでしょう。最近のマンションでは大久保3丁目なのに、ガーデンタワー高田馬場マンションとしています。

その他の宗教施設

サイエントロジー東京

   百人町1 職安通りに面した大きなビル

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トムクルーズも入っているとか。建物の前で配っているものをもらってきました。

新宿の教会という名前で検索すると79件。天理教や金光教の教会も含まれます。キリスト教会だと54件です。

大久保・百人町にはお寺が2件,全龍寺、長光寺、神社は皆中神社、夫婦木神社、他に小さな神社があります。大久保2丁目には創価学会の大久保会館があります。

そのほかに以前紹介した、立派な建物の台湾系の弥勒菩薩と媽祖廟があります。

東京媽祖廟

新宿シャローム教会の斜め前にあります。

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職安通りのビルの地下にある仏教施設、大光寺、占いもやっています。

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明治通りに面した仏教の施設(台湾系?)

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戸山小学校すぐそばの神社です。

2019年5月12日 (日)

新大久保の大久保通り北側のハットグのお店4店の写真。初めてハットグを食べてみる。

2019年5月12日(日)大久保通りの北側(百人町2丁目、)のところにある、ハットグなどのお店の写真を撮り、今回初めてハットグを食べてみることにしました。

アリランホットドッグ(日本1号店)

K-プラザ2号館のところにあります。韓国スーパー、チョンガーネのとなりです。17年9月にできてから大繁盛で1日1000人にもなります。原価率は25%程度だそうですから、大きなもうけになります。また3坪ほどの屋台でいいのですからもうかります。

ハットグとはアメリカンホットドッグの略で、それの韓国語読みだそうです。

くしで刺したソーセージなどを、小麦粉などでつくったパイ生地で包み、油で揚げたもので、出来上がったものに、ケチャップ、マスタード,砂糖など5種類のものをかけたりして食べる。

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アリランホットドッグの看板 6種類

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朝9時半にもう混んできています。11時過ぎにはもう通れなくなります。他の店はそんなに混んでいませんでした。

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ポポホットク

アリランホットドッグの近く。ここはハットグのお店ではなくホットク(お焼きのようなもの)

大久保2-32-3 リスボンビル1F  食べログ 3,47

いろいろな種類のホットクがあります。

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まだお客は来ていません。

33トッポギチーズハットグ

百人町2-1-3 K-プラザ 1F

ハットグだけでなくいろいろ売っています。

 

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チョンガーネの左隣の33ハットグ店。(上図)

ナンマンホットドッグ&タピオカ

百人町2-2-2 宮下ビル1F 2018年11月オープン

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88パルパルホットドッグ

百人町2-10-2 1F 2018年9月オープン

新大久保の山手線の外側にあるホットドッグとカフェの両方をやっているお店

ここはまだ混んでいないので、ここでハットグを買うことにしました。

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全部で13種類もあります。

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持ち帰って食べてみました

500円のポテトクリームドッグを頼みました。

お客さんはまだ一組でしたので、車いすでも頼みやすい状態でした。1人受付専門の女性店員が。その場で注文に応じつくるので時間がかかります。さらに、そこで食べる人がいますから、混むわけです。

なんでも食べてみるほうですが、なんか脂っこそうで、あまり食べる気にはなりませんでした。でも、一度食べてみることに。

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持ち帰り用のビニール袋です。中にからしとケチャップが。

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こういう箱の中に入っています。

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お店で載せてもらった、ケチャップ、からし、チーズ

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なかを見ると。中のチーズが伸びてインスタ映えするとか。

下のほうに小さくソーセージが入っていました。

自宅に持ち帰り、家内に少し食べてもらいました。そんなにまずいというものではないということでしたたが。

筆者も食べましたがまあまあの味でした。500円で何度も食べるようなものではありません。途中で飽きられるのではないでしょうか。たとえば、サイゼリアなどでは500円以下で比較的美味しいものが食べられます。

2019年5月10日 (金)

2019年5月、令和になった新大久保最近の変化、ハットグで異常な混み方3か所,遅い新大久保駅改修と、増えるカフェ、ベトナムなどの多国籍化も進む

2019年5月1日より年号も平成より令和と変わりました。大久保の街を電動車いすで、まだ空いている朝早めに街をめぐり、状況を報告します。

1,新大久保駅からイケメン通りにいたる道の大混雑ーハットグで異常な混み方

新大久保駅を降りて右に曲がり山手線のガードをくぐったところ、大久保通りを挟んで韓国系の商店が並び、少し行くと左側にK-プラザ1,2,3のビルが見えます。K-プラザ3までが百人町です。それから先は大久保になります。K-プラザの少し先に全龍寺というお寺がありその先がソウル市場という韓国スーパーがあり、さらに行くとチーズタッカルビを始めた市場タッカルビがあります。その店の角を右に曲がると、いわゆるイケメン通りとなります。5月10日の朝9時半ごろにまだ空いている時間に写真を撮ってきました。

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ここは新大久保駅から出てすぐ、今工事中の拡幅中の道路です。山手線に沿って新大久保から新宿までの道ができます。

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新大久保駅前交差点から大久保通りを見る。この辺りは百人町です。

朝、11時を過ぎると新大久保駅からイケメン通りにいたる道、大久保通りでは3か所で道がふさがり歩道を通れなくなります。この状態は最近始まったことではありませんが。

、1か所は大久保通り北側のプラザ1,2,3の近くの3か所のハットグの売り場周辺です。

、もう1か所は新大久保すぐ近くのジョンのハットグの店2店の周辺です。

、そしてもう一つは韓国のスーパー、ソウル市場からチーズタッカルビの火をつけた市場タッカルビと韓国スーパー・ソウル市場の周辺です。

この3か所では注文する人、しあがりを待つ人、ハットグを買った人が店の周辺で立ち食いをする人で、狭い歩道には往来する人で完全にふさがります。急ぐ人は車道を歩く羽目になります。電動車いすで行ったことがありますが、全く動けずすいませんとおしてくださいと大きな声を出してやっと通れる状況です。

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ここはチョンガーネのとなりの最も混む、アリランホットドッグ。

ある人のランキングで1位、確かに一番混んでいます。

ここが、K-プラザ1,2,3のビルです。真ん中の大きなビルは元の114銀行のビルだったところです。右側は元はパチンコ屋さんで大きな

テレビ画面があります。このまわりに3軒のハットグの店があり、最も混むところです。まだ開店前の9時半なので空いています。

プラザ2の1階は韓国スーパーのチョンガーネ、2階は韓国コスメ、スキンガーデン。

2、ジョンノホットク、ジョンノ屋台村とで大混雑

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新大久保駅の近くのお店。横道の両側にジョンノハットグのお店、昼頃はひどい混雑に、ここの奥はキラーカーンの居酒屋さん、店の前をふさがれて困るそうです。

3、ソウル市場 大久保1-16-15 豊生堂ビル

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ソウル市場のはじにハットグの売り場があります、

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ソウル市場と市場タッカルビの店の間に、前はDen,Kebabというケバブ屋さんでしたがハットグがはやると、ハットグの屋台になってしまいました。大久保1-16-15

この周辺にもハットグを買う人と市場タッカルビに入る人の行列が重なり大変込み具合になります。

 

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ついに山手線の外側にできた韓国のお店、ハットグとカフェ両方を1店で

88パルホットドッグ

2,新大久保駅の改修が遅い、改修しても障害者は使えないのでは?

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2016年2月の「こういちの人間学ブログ」に新大久保にエレベーターに書いて早くも3年数か月が経過しています。それなのに、まだこの状態です。2年前に作り出した桜美林大学の百人町の校舎はもう今年の3月で完成しました。エレベーターができても混雑がひどいと車いすでは無理ということになります。

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新大久保駅の近くから、百人町明るい会商店街を見る。この先は大久保駅のガード。多国籍の店、特に中国系の店が多い。

道をまっすぐ行くと大久保駅になります。

 

3、カフェのお店が急増

 最近非常に目立つのが、カフェです。以前は韓国系のカフェが大部分でしたが、最近は台湾系のカフェも目立ちます。値段は大体500円前後、はやりのハットグが4~500円。後はスター・グッズ店やコスメを買って1000円から2000円程度かなと思います。若い女子高生などはそれがせいぜいです。ものすごい人出の割に、売り上げはあまり増えていないようです。第1次ブームの時にはヨン様ブームで中高年の女性がたくさん来ていました。

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百人町2丁目のの雑居ビル。いろいろなお店が入っています。3階がコーヒー・プリンス3比較的前からあるカフェ、1と2もあります。

1階にはタピオカのカフェが新しくオープンしました。1階は韓国風中華料理店。5階はKポップライブ店。

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このビルの2,3階が最近オープンしたカフェ。1階は化粧品店、グッズ店。

 

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大久保駅のガード横にできたタピオカを売りにした台湾のカフェ 閑茶坊。最近こういう台湾カフェが増えています。

 

4、じわじわ増えるベトナムのレストラン、減少のネパール料理店 ハラルフード

一時、韓流ブームに陰りが出たとき、新大久保、大久保駅周辺のネパール料理店が25店を数えたことがあります。しかし2018年ころから再び第3次韓流ブームが起き始めるとだいぶ減ってきました。新宿に住むベトナム人は急増しています。それに伴いベトナム料理店も増えてきています。

百人町、大久保地域のベトナム料理店はインターネットによれば18店、(うち2店は大久保駅に近い北新宿)以前、韓国ブームが衰え、ネパール料理店が急速に増えたときには、ネパール料理店は25店もありました。その後詳しく調べ直していませんが、ネパール料理店をやめた後に韓国料理店になったりしています。今は20店以下でベトナム料理店と同じくらいの数だと思います。新宿に居住する、ベトナム人とネパール人はほぼ同数なので、妥当な数なのかもしれません。

2019年5月1日 ベトナム人 3613人、ネパール人 3320人

山手線の外側の山手線に並行する商店街文化通りの多国籍の店が入るビル。

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このビルの2階には老舗のネパール料理店,モモがあります。

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新大久保イニシャルハウスには1と2があり、2にはイスラム教の小さい礼拝所があります。

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新しくできた日越居酒屋 前は古くからやっていたお好み焼き屋さん

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イニシャルハウス2 ハラルフードの店があります。イスラム横丁の中心。焼き鳥とケバブの店頭販売があります。、

 

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総武線大久保駅と、小滝橋通りの間はいろいろなエスニック料理店、いろいろなたくさんの呑み屋さんなど大変変化に富んでいます。大久保駅周辺の新しくできたべトナム料理店

他にチュニジア料理店、コロンビア料理店、トルコ料理店など変化に富んでいます。

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大久保駅すぐ近くのネパール料理店と、シシケバブのトルコ料理の店。この道の先にはベトナム料理店。

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ハラルフードの店 HAJIMA 食材店

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の最近できた珍しいジャワ料理(インドネシア) モンゴ-モロ  11時オープン 食べログ3,27

ナシチャンプルーが1200円 車いすでも可能かどうか

東京中央教会のとなり

5、昔からある韓国の店について

 テジョンデと焼肉美苑

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海鮮韓国料理「テジョンデ」古くからの創業で筆者も何回も利用しています。

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比較的前からある焼肉屋さん。交番の道の奥にあります。

今の新大久保には画一的な料理のお店が多くなっています。一時は豚の脂身を焼いた、サムギョプサルがはやり、一斉にサムギョプサルの店ばかりになりました。一時期はチキンのお店が多くなりました。いまは、サムギョプサルのお店ばかりです。多様性がないと飽きられて衰退してしまいます。進化でも多様性がないと絶滅しやすくなります。

韓国料理でよくいっていたお店があります。新大久保駅近くの『デ・チャングム』というお店です。今は残念ながらネパール料理店になりました。大久保2丁目の前の「ナマズや」さんの後にできたお店で、『生マッコリ家』です。生マッコリが大変美味しく何回も行きました。このお店もなくなってしまいました。

6、その他、宗教施設など

前にもブログで紹介しましたが、いろいろな宗教施設が大変多いです。日本にもとからある教会は韓国の人がとても多いです。小さい教会があちこちにあります。職安通りにはマンションの1室が仏教施設になっています。

台湾の宗教施設は豪華で、百人町2丁目にある大きな弥勒菩薩像と菜食兼美という野菜の料理店があります。また媽祖廟の立派な施設もあります。

職安通りに面して、「サイエントロジー」という宗教団体のビルがあります。サイエントロジー東京というのだそうです。

2019年5月 7日 (火)

新大久保の商店街百人町明るい会商店会と大久保商店会の変化2001 年、2008年、2012年、そして2019年へ

多国籍化と大きな変化を見せる、百人町明るい会商店会と新大久保商店会振興組合の変化を見てみたいと思います。新大久保商店会振興組合は山手線の新大久保駅の内側から、明治通りまでの地域の大久保通りを中心とする商店会です。百人町の一部と大久保の大久保通り沿いの商店が含まれます。(以後新大久保商店会振興組合は新大久保商店会と略します)。また新大久保駅から総武線大久保駅を経て小滝橋通りまでを百人町明るい会商店会振興組合といいます。(以後百人町商店会と略します。)

2000年に大久保通り百人町明るい会商店会と大久保通り新大久保商店会で、「外国人とともに住む新宿区まちづくり協議会」(略して共住懇)で「おいしい”まち”ガイド」というパンフレットが作られ、地図が作られ、エスニックの店と新大久保商店会と明るい会商店会の一覧表と地図が作られました。その付録として、表に大久保地域・エスニックマップと裏面に2つの商店街の地図が作られました。

 

2019年の5月の令和と年号が変わったときと、2000年、そして急激に多国籍化へと変わった2012年とで比較したいと思います。その地図に商店会に所属する店が書かれ、店名に●印がつけられました。

2001年の「おいしい”まち”ガイド」

このパンフレットは2001年に、共住懇(外国人とともに住む新宿区まちづくり懇談会)が編集発行した資料です。全12ページで、前半は当時のエスニックのお店を76店、新大久保商店街を128店紹介しています。あかるい街では店の数説明付きでは25店で店名だけで残りの店は一覧表だけが載っていました。

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エスニックの店の内訳は韓国の店が最も多いが、この当時は多国籍の店という感じが多かった。中華料理朝鮮系、台湾、ネパール、タイ、インド、マレーシア、ミャンマー、チュニジアと多国籍という面が強かった。特に百人町屋台村は中に6店の多国籍の店があり、筆者もよく行きました。しかし韓国料理全盛のころに、韓国の店に変わってしまいました。

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新大久保商店街

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百人町明るい会商店街

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裏は大久保地域エスニックマップ

2001年当時は韓国料理も多かったが、多国籍の料理店も多かった。大久保商店街では新大久保駅周辺の百人町駅周辺には韓国料理の店はまだ大変少なかった。

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表は百人町明るい会と新大久保商店街の地図

百人町明るい会商店会は78店で

金融機関 第一勧銀、平成信用金庫、東京食品信用組合、三和銀行

コンビニ セブンイレブン ファミリーマート

韓国系の店 なし

エスニック

貸しビル業 なし

大久保商店会は105店でした。

金融機関 百十四銀行 西武信用金庫

コンビニ なし

韓国系の店 焼肉明日香?

エスニック タイ料理マイロード

貸しビル業 なし

 

2001年における状況

この時は表通りには、日本人経営の店が並んでいましたが、急激に韓国はじめエスニックの店が増え、多国籍の街といわれ始めた時代です。

1999年に多文化コミュニケーション情報誌「大久保、OKUBO」が出されました。創刊準備号にはカラオケパブ・チロルのオーナーで在日韓国人の白玉仙さんのことが出ていました。筆者も3号で紹介されました。2001年には「おいしいまちガイド」2001が作られました。ここにはエスニック料理店として韓国料理店38店、その他各国料理店20店などが載せられ、一方新大久保商店街の店、128店、百人町明るい会商店会も多数の店が載っていました。

2003年ごろから2004年にかけて、ヨン様ブーム(第一次韓流ブーム)といわれる。

中高年の女性が中心でした。

その後一時ブームが停滞した

 

2008年の状況

2008年には2001年の地図を土台として新大久保、大久保地域を全部、筆者が回りエスニックの地図を作りました。このころには韓国料理店が急速に増えてきました。新大久保商店街の百人町地区にも韓国料理店が急速に増えてきました。しかし、最も韓国料理店が多かったのが職安通りの韓国スーパー韓国広場の周辺でした。1つの通りに8店も密集して店ができたりしました。(2019年には1店だけです)

このころまでは屋台村はまだあり、ネパール料理店もでき初めました。

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韓国料理店は黄色です。中国台湾料理は緑、タイ・ベトナム料理は草色、イタリア・スペイン料理、インドネパール料理は赤に塗りました。

新大久保駅周辺にハラルフードの店ができ始めました。

◎2009年ごろから2012年ごろにかけて第2次韓流ブームといわれた。韓国歌手が紅白にでる。

 

3、2012年の商店街の状況

急激に韓国の店が増えて、日本人経営の店が減ってきました。

新大久保商店街では百人町地区では2001年のうちあった34店のうち残った店が9店になってしまいました。筆者の店も東京ガスの店をやめ韓国化粧品店にテナントとして入ってもらうようになってしまいました。

パリミキ、新大久保歯科医院、村松事務所、てんや、盛好堂書店、山本米店、文具柳や、内藤シューズ、円満屋、

大久保地域では明治通り沿いの店はまだ多く残っていますが駅に近いとくにイケメン通りに近いところでは急速に韓国化していきました。

ルーテル教会より新大久保駅側では26店中残った店は下記の8店でした。

あらばき印刷(転居)ひらまつ青果、焼き肉美苑、ヒルティ新大久保、、東京風月堂、やなぎや、万年湯、大丸設備

百人町明るい会商店街

2001年にあった78店中残ったところは、44店でした。

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◎2012年と2019年の地図は2019年4月19日に人間学研究所の例会で配布した資料です。

◎2012年の末ごろからしばらくの間、嫌韓デモなどがあり、韓国の店が停滞しました。特に職安通り沿いの店が壊滅的な打撃を受けました。

新大久保駅から離れた店などの多くの韓国の店が閉店があいつぐ。

地価、賃料が下がり2016年にはネパール料理店が25店と急速に増える。ベトナムの店も増加。ネパールの店は減少しましたがベトナムの店はじわじわ増えています。

◎2018年ごろから、チーズタッカルビやハットグがはやりだして、第3次韓流ブームに。店が周辺に広がりだす。今までの最高の人出となる。歩道を歩けないほど。ただ女子高生などが多く、客単価は大幅に低下、人の数ほどにはもうからないとか。筆者は若者の貧困化だと言っています。

3、2019年6月1日の状況

百人町明るい会商店会

2018年9月25日現在 末尾 ©2019となっている 会長坂内英明

金融機関 城北信用金庫、西武信用金庫(いずれも北新宿)

コンビニ セブンイレブン2店

韓国系の店   1店 (最近、この地域にも韓国のレストランなどが増え始めました)

エスニックの店 2店 ベトナム料理

医院・治療院   4

貸しビル業   19店

 

2016年6月1日 時点の加盟店の数98

新大久保商店街振興組合 

新宿区商店会連合会の資料から 末尾に©2019新宿区商店会連合会となっていますので公式には2019年にもこの数字で登録されているようです。会長氏名  伊藤節子

金融機関  都民銀行 資料には書かれているが今はなし さわやか信用組合 区域外

コンビニ セブンイレブン2店、ローソン2店、サンクス2店、ファミマ1店、ミニストップ1店

韓国系の店 40店ほど

エスニック 1店 タイ料理

医院・治療院     9

貸しビル業 分類になし 実数は10店以上

下記の地図では2012年にカラーでやめた店を消したところにさらに2019年までに亡くなった店を縦線で消しました。

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加盟店の数  147店 

(ただしこの中に筆者のビルのテナントだった、ギルズハウスが掲載されています。。ギルズハウスは2013年段階でもうほかのテナントに変わっていました。他にも2016年にはお店が変わっているところが多く、だいぶ前の名簿だと思われます。ギルズハウスの後に1階はソウルレコード、2,3階はコンゴの物販店、今は韓国美容室)

加盟店の中での外国人(ほとんど韓国系)の経営する店の数 約 40店 百人町明るい会に比べ極めて多い。店数がもともと多いのと、積極的に商店街としても進めたせいだと思われます。商店街では22か国語の放送、より多くの国旗を商店街に。

2019年現在確実にやめていると思われる店 15店ほど しかし新たに加入する店もあり実数は10店ほどの減かと思われます。

◎2000年の商店会名簿で商店会2019年の今も商店会名簿にある店 新大久保駅から

パリミキ,盛好堂書店、サカエカメラ、内藤シューズ、山本米店、円満屋、(百人町地区6店)

あらばき印刷(移転)、北京亭(今は韓国料理くるむ)ひらまつ青果、風月堂、AUショップ、万年湯、大丸設備、焼き肉美苑、東京電建、美容室パルコ、新田屋商店、フローリスト篠崎、新宿日曜大工センター、ZOO、島村印店、焼き肉中央苑(日本人経営)、小倉屋酒店、とんかつかつ味、アライ手芸店、山手クリーニング、市沢自転車、柳沢陶器店(大久保地区22店)

 合計  28店(2001年105店) 

 人間学研究所の例会で配布した資料と異なります。あらばき印刷、北京亭くるむ。北京亭くるむは元の中華北京亭の後にビルを建て、2階に中華店の代わりに、野菜でくるむという韓国料理を作り、大変若い女性などに好評なようである。

    

2019年5月の「新大久保商店会」のメンバー 

百人町地区 (全店27店)

 熱帯魚円満屋 内藤シューズ、盛好堂書店、パリミキメガネ、サカエカメラ、山本米店、(さくらや菓子店 なし)味ちゃん本店、セブンイレブン新大久保駅前店、フローラ新大久保,アイプロスパ、ファミリーマート新大久保店、明洞海苔巻き3号店、味咲(あさ)オンドル、(ギルズハウス なし)コリアスンデ家、新大久保歯科医院(転居)村松会計事務所、パティオ竹内、三軒家 (貸しスペース)チキンチョア、とんちゃん新大久保別館、金達来、スキンガーデン、チョンガーネ、にっこりマッコリ(店名変更)82カフェ、セブンデイズ、どないやねん

(太字は韓国料理店等 13店 半数が韓国系)

大久保地区の一部

 ひらまつ青果,鳥いち、フローリストしのざき、おでんよしの、林クリニック、こまどり、日曜大工センター、うどん伊予路、かつ味、小倉屋酒店、島村印店、市沢自転車、ZOO、ファーコス薬局、あらばき印刷、東京風月堂、万年湯、大丸設備、焼き肉美苑、東京電建、美容室パルコ、焼き肉中央苑、・・・

エスニック料理

 ソウルフード・バンコク(タイ料理)

◎商店街に入っていませんが、一時ネパール料理の店が25店ほどに新大久保商店会地区に急激に増えました。しかしその後ネパール料理店は減少しています。韓国料理になったり、インド料理店になったりしています。

ベトナム料理店が増えています。日本人向けというより新宿に多数住む、ベトナム人留学生向けの店が増えたのだと思います。

◎いささかまとまりが悪い資料ですがなんかしらの参考になればと思います。

2019年4月12日 (金)

江戸から明治大正昭和平成令和に至る、歴史地図で見る、大久保、百人町の歴史、追記版

参考資料「大久保の由来 大窪 旧東大久保の低地の状況を見る~」下記
参考資料:わが家のファミリーストーリー、父を中心として。戦後から現在まで  下記
参考資料 「新宿の民俗 昔の大久保、百人町~」2018年7月24日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/07/
 
 江戸時代から、明治、大正、昭和、平成、令和時代と変遷してきた、大久保、百人町と筆者の家の歴史をからめて、変遷を地図上でたどってみたい

(2019年4月1日 元号が5月より令和と変えられます)

 

追記
2016年10月に書いたブログですが、2019年4月に記事を追記して更新し直しました。
2019年4月の人間学研の例会でここに書いたお話を中心に筆者がお話します。また、4月1日、ツイッターにも文章をあげました。
2019年4月12日に追記して更新しました。

 

写真などのため鮮明に出ないのが申し訳ありません。
また、明治の末ごろにこの地に移り住んだ、筆者の先祖の足跡もたどって見たい。
大久保の地はこの一帯が大きな窪地であったことに由来しています。大久保通りに向けて土地が傾斜しています。昭和になっても大雨が降るとよく新大久保駅あたりが水浸しになることがありました。大久保の地は大きく分けて、百人町、西大久保、東大久保に分けられます。
大久保の地は,現在の百人町、大久保(旧西大久保),新宿6,7丁目(旧東大久保)、余丁町、西新宿7丁目の地域のかなり広い地区を言っていました。
元の東大久保の地は特に低く(現在は新宿6、7丁目)は花園神社裏から蟹川が流れ、東大久保の地を通り、そこには砂利の採集場があり砂利場といわれました。今も目立つ低地です。そしてその川は戸山の尾張藩の下屋敷そして神田川まで続いていました。
追 記 
いわゆる「御府内」とされる大江戸の市域は、はじめ「四谷の大木戸までが江戸のうち」とよばれ、大久保の地は大江戸の外でした。しかし、次第に江戸の町は広がり、1818年(文政元年)に、評定所は地図上に朱引きして境界を定めました。それによると西限は代々木村、角筈村、戸塚村,上落合村でした。現在の新宿区の一部は「御府内」になります。
 大久保村、柏木村、内藤新田、千駄ヶ谷村までは、町奉行支配の区域でした。また、諏訪村、戸塚村、鳴子宿、角筈村、下落合、上落合村までは,寺社の募金活動の許された,準「御府内」ということになりました。
   江戸の町(下)1982年、草思社 より
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戸山との関係
戸山は現在1、2、3丁目がありますが、大久保とは深いつながりがあります。明治時代に元の尾張藩の地を陸軍戸山学校とし、その後大久保、百人町の北側の地を陸軍で買い入れ、演習場やさまざまな陸軍の施設もつくられました。演習場周辺は戸山が原と呼ばれました。戸山の地名と大久保、百人町の名は重複しているのです。戸山高校は地名が戸山ですが、戸山小学校や西戸山小学校は百人町の地になります。以前あった戸山中学は大久保の地名でした。
◎「こういちの人間学ブログ」 2019年4月7日
「大久保の由来 大窪 旧東大久保の低地~」詳しく写真も載っています。ぜひご覧ください。
 
江戸時代末期の西大久保村の絵図(下)

 

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右側に全龍寺があり、近くに長光寺がある。

 

ここは百人町の百人組鉄砲隊の大繩地。伊賀出身の同心100人組。他に与力、25騎 、組頭(旗本)1人がいて、江戸城の警備などを行う。寛永時代は鉄砲撃ち場もつくられた。家族,中間などの使用人をいれてもせいぜい20人程度でしょう。すると2500人程度ということになります。
江戸城警備の鉄砲隊は4組ありましたが、他の3組の名前は現在につながっていないのです。
◎2019年3月の同じ広さの新宿区百人町の人口は、世帯数11129世帯。人口17206人です。
大久保通りは仲通りといい、他に現在の職安通り、諏訪通りの3本の道があった。右側の大久保に全龍寺があり職安通りを超えて境内があったようです。長光寺は鉄砲隊の菩提寺。全龍寺は大久保、長光寺は百人町になります。

 

鉄砲同心の土地は戦略上、間口が狭く奥が細長い形をして、今もその形が残っています。

 

100人の同心はそれぞれ1200坪ぐらいの土地を拝領し、与力は2000坪くらいの土地を拝領していました。今の百人町1丁目から4丁目までのかなり広い地に百数十軒で住んでいたことになります

 

同心の人々は、鉄砲の火薬を作るのに木炭が必要で、つつじで作る木炭が火縄銃によいということでつつじを植えました。ここのつつじは有名となり見物客がたくさん来ました。またつつじは同心の人たちの内職ともなりました。ここはつつじの名所となり見物客が押し寄せました。
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江戸名所図会より「大久保の映山紅」

 

 明治期になる町内の有志が明治16年につつじを1万株を植えました。ここのつつじは、日比谷公園や舘林や箱根に移植されました。今大久保百人町の地にもつつじがたくさん植えられています。
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上図からつながったところ、上の左側に川があり田んぼがあります、この辺りも低地だったでしょう。右端は尾張様戸山屋敷がある。
上は現在の諏訪通、真ん中は大久保通り、下は現在の職安通りです。

道路に沿って家がありあとは畑地です。

 

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「江戸、明治、東京重ね地図」より(上、下)

 

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上の地図の江戸時代の拡大図。紫色をしたところが百人町同心大繩地。つつじのしるしが付いています。草色が西大久保村。内藤家の家来が鉄砲隊100人組で江戸城の警備をしました。普段は大手三ノ門を警備した。百人同心は火薬の原料として、つつじの木炭を利用し、内職としてつつじを栽培し、江戸の名物となる。明治になるとつつじは箱根や館林に移された。同心のほかに騎馬の与力(確か20人)がいた。
同心たちの土地は間口が狭く奥が長い形で、そのまま現在に移っている。

 

皆中神社は鉄砲同心の守り神だった。百人町1丁目に住む、前東町会長の朝倉さんは鉄砲同心の子孫の方です。
地図では長光寺の隣に朝倉菊吉の名があり、千百四十坪となっています。与力は二千坪以上です。
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大久保元百人町大繩組屋敷絵図面

右上は尾張家の屋敷。中に人工の箱根山(高さ44,6m)が作られた。箱根山は山手線の内側では一番高いところです。

 

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明治時代の豊多摩郡大久保村。(上)
明治18年に新宿駅が開業し、ついで22年中央線の前身である甲武線が開通。

 

大久保は、はじめはまだ緑地が多く野菜の栽培される農地が多かった。。尾張家の跡地は明治7年に陸軍戸山学校になった。周辺は射撃場や練兵場となりました。周辺には陸軍の施設が多く、多くの高級軍人が大久保の地に住んでいました。また華族のお屋敷があり、文人なども多数住んでいました。
中央線大久保駅はありますが。まだ山手線の新大久保駅はできていません。山手線の電車の線路に沿ってつつじ 園がありました。

佐竹の祖先は長岡藩の桶を中心とした仕事をする御用商人とかで、名字帯刀を許され、大きな蔵がいくつもあったようです。しかし戊辰戦争で幕府初代側についたことで長岡藩は消滅し、商いも不調となり没落したようです。曽祖父の伝蔵の父親は傳右衛門といいます。祖父の庄次郎はこいつがいけないんだと位牌に鉋をかけてしまったそうです。

筆者の曽祖父の伝蔵は先に来ていた椅子職人をしていた息子の庄次郎を頼って新潟の長岡から転居し、1907年(明治40年頃)に百人町で桶屋を始めました。新潟からワガヤ―わがやー、といいながらタガなおしをしながら、東京まで歩いてきたそうです。そして大久保の地で桶屋を始めました。曾祖母は3番目の奥さんだそうで、夫婦ともばくち好きで息子の給与をばくちにつぎこむ始末で、祖父は大阪に逃げました。そこで祖母と結婚しました。伯父と父親は大阪で生まれました。
曽祖父が病気になり大阪にいた祖父母一家が1920年(大正9年)に、百人町に来ました。
このころのお店は百人町2丁目で淀橋教会の前あたりでした。このころから井戸掘りも始めました。

明治12年の地図 下図

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百人町と西大久保を含めて西大久保村といっていました。道路沿いだけが住宅地で、周辺は畑でした。(一部低地だけ水田)

 

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地図の続きです。東大久保村で 元の尾張藩の下屋敷は陸軍戸山学校に。
明治12年(1879年)の東京実測図(上)
道の両側に民家があり、それ以外はほとんど畑や雑木林でした。
西大久保村の中に百人町がありました。青梅街道と甲州街道の分岐点の宿場として新宿が発展しました。このころは角筈村です。

 

 下の地図は上の地図の続きです。上のほうに陸軍戸山学校。その下は東大久保村です。今では新宿6,7丁目になってしまいました。旧柏木地区は西新宿になり、百人町、大久保も中新宿にとかいう案もありましたが、百人町、大久保のままになりました。

 

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大日本職業別明細図。大正14年(1925年)大久保市街図。(上)
1914年(大正3年)には山手線に新しい駅、新大久保駅が作られる。

 

上のほうに戸山小学校がみえる。新大久保駅のすぐ近くには大久保シネマという映画館がありました。はじめのころはトーキーになる前でスクリーンの前に3人くらいの楽師さんがいたそうです。百人町と大久保の境に交番がありました。
1923年(大正12年)には関東大震災がありました。大正5年生まれの父は当時小学生だったそうです。このころはまだ大久保駅の近くに住んでいました。当時小学生制時代の父が言うには昼食とんかつは大好きなとんかつで、食べようとしたら大地震で、揺れが収まって家に戻ったら埃まみれで食べられないのがすごく残念だったそうです新大久保辺りは地盤が固く家が倒壊しなかったそうです。家の前が古川男爵の別邸で竹藪があり、余震に備えてしばらくいたそうです。今はそこは淀橋教会になっています。
関東大震災以後、下町から転居するものが多くなり、街は発展していきました。

 

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 大久保駅と新大久保駅の間の商店街。左上の大久保駅に近いほうに「桶商佐竹」の名前が見えます。筆者の下の息子が祖母(息子から見ると曾祖母)から聞いて学校の文集に乗せたものですとと、山手線はこのころは駅は高架ではなく地面と同じ高さでした。木の屋根がちょこっとついて、電球が1つか2つだけでした。電車も2両編成でちょうど、ちんちん電車のような気がします。その山手線にタヌキがひかれたこともあります。当時,戸山が原にはタヌキなどの野生動物がたくさんいたことでしょう。

 

昔の通りの名前は大久保通りではなくつつじ園通りという名前でした。新大久保駅周辺には広いツツジ園がありました。
店のないところは畑や空き地が多かったのです。

 

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「戸山小学校創立75周年記念、記憶を辿ったわが町大久保」昭和10年前後 上図
父親の青年時代の地図。このころには佐竹のうちは新しくできた新大久保駅近くに移転しました。大久保通りの南側右端、下側に佐竹の名があります。数字が書いてあるのは戸山小学校何期卒業かを書いてあります。父の実は19期卒業です。
この地図をみると高級軍人の住まいがたくさんあったことがわかります。

 

大久保小学校出身の加賀乙彦は、大久保には「山の手に下町が混ざっていた」、「知識階級の子弟もいるけれど、廃品回収業の家の息子もいる。」「原っぱもある、住宅街もある、貧民窟もある、それから町工場もある」、といっている。

 

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上の地図より広く見た絵図。上の赤いところが戸山小学校
このころはお屋敷がたくさんあり、今の大久保駅近くの教会のところ百人町には古川男爵別邸、東大久保に前田利為侯爵、ほかに安藤子爵、室町伯爵、曽我子爵、北大路男爵、松井男爵、南部男爵など、ほかに政治家、高級軍人、学者、芸術家、俳優、文化人など多くの人が住んでいました。大久保小学校の近くに小泉八雲の屋敷があり、今は記念公園が作られています。他に西条八十、国木田独歩、島崎藤村、下村湖人、岩野泡鳴などがいて、大久保文士村と呼ばれました。戸山小学校のそばには国沢新兵衛という満鉄の副総裁の大きな屋敷がありました。
現在の百人町2丁目の北西部には、外人屋敷があり、また近くに、著名な音楽家などが住んでいました。そのあたりに新興キネマの撮影所がありました。
岡田啓介(海軍大将)、平沼騏一郎,阿部信行らの総理大臣や東条英機大将(総理大臣にも),及川大将、植村中将、原田少将などの軍人も多く住んでいました。
岡田啓介首相(海軍大将)は1936年(昭和11年)に起きた二二六事件で、あやうく命が助かりましたが、高橋是清蔵相は殺されました。岡田啓介の自宅は大久保にあり、井戸や風呂関係でお得意さんだったとの父の話でした。岡田首相は東条内閣打倒に動きました。

 

その前あたり百人町3丁目の、戸山が原に陸軍科学研究所や、陸軍技術本部がありました。戦後この辺りに都立衛生研究所があり、また国立科学博物館の分館があり、それが筑波移転してからは、2019年4月から桜美林大学になります。
その東側戸山町に陸軍第一病院がありました。昔旧館が残っているとき、病院に行ったとき、すごく病院の壁が厚く、普通の倍はありました。少しぐらいの爆撃に耐えらえるように作ってあります。その後2回建て替えられ、今は国立第一病院から、国立国際医療研究センターとなっています。

 

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大正5年ごろから11年にかけての新大久保周辺。
横綱太刀山の自宅があった。筆者の父親が太刀山の井戸を掘ったと言っていました。いろいろな有名人が住んでいましたが、みんな井戸掘りではお得意さんでした。(下図)
大久保は水が豊富で浅い井戸で水がよく出ました。
こういちの人間学ブログ、
2018年7月24日
新宿区の民俗」昔の大久保、百人町。井戸掘り、桶屋をしていたわが家について」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/07/post-c761.html

すみません。つながりません。

2016年10月
「わが家のファミリーストーリー 父を中心として、戦争中まで」
つながります
2016年10月
「大正・昭和・平成を生きた父の死」
すみません。つながりません。上記の記事からはつながります。このブログ冒頭の記事に出ています。

戸山小学校周辺

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ここは百人町の右端。この先は大久保です。

戸山小学校周辺は畑や雑木林が多かった。裏は戸山が原でした。

 

この図の大久保通りの右端に交番があります。ここまでが百人町、その先は大久保になります。大久保通りから戸山小学校に行く道の角は盛好堂書店で今もあります。筆者の小学校時代の同級生がお店をやっています。このころはわが家は大久保駅よりでした。

 

戦後の大久保・百人町

 

戦後の大久保・百人町は昭和18年生まれの筆者が、直接 見分しています。
戦後しばらくの大久保地域は、元の陸軍の射撃場は駐留軍の射撃場に変わりました。
かまぼこ型の射撃場から小銃や機関銃などの音が聞こえ、時に外に銃弾が出たりします。
弾丸除けのための人工の山は三角山と呼ばれ、射撃場撤退の後は。子どもたちの格好の遊び場でした。三角山の後は、いわゆるバタヤ部落となりました。ずっと後でそこは都営住宅になりました。

 

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昭和62年(1968年)の百人町東町会の地図 上下
大久保通りの北側は百人町2丁目(上)
真ん中あたりにロッテ、右上に戸山小学校。
右下が大久保通り、下図につながります。

 

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昭和62年当時の百人町東町会の地図(上)

大久保通りの南側は百人町1丁目
左下に新大久保駅左は大久保通り

 

このころはぎっしり日本人の商店がつらなっていました。下図

 

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2000年の商店街。上の新大久保駅と大久保駅の間が百人町明るい会商店街。上図
下図の新大久保駅から山手線内側が新大久保商店街。このころには韓国のお店はほとんどありません。
2007年の新大久保商店街マップではまだ日本人経営の店が多くありました。

 

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2016年現在の、もう商売をやめてしまっているところは色塗りしています。塗りつぶしていないところ(日本人経営の店)はほとんど残っていません。

2019年の新大久保商店街振興組合員は、わずか24店でそのうち5件は韓国人経営の店です。

新大久保駅から百人町の地区は、残った店は、パリミキ、盛好堂書店、円満屋(観賞魚)、内藤シューズ、サカエカメラしかありません。
横道入り山本米店。大久保地区に 平松青果店、風月堂は大久保で残っています。

 

大久保・百人町の歴史(株式会社サタケの歴史も含めて)

 

弘仁(810-820)年代

小野 篁が諏訪神社(高田馬場で職安通り、大久保に面す)に大国主命をまつり再建した。大久保地区も氏子の地域

鎧神社(北新宿)や鬼王神社(前は西大久保1丁目、今は歌舞伎町2丁目) 平将門に縁の神社

鎌倉時代  

都立戸山公園のあたりは、鎌倉時代侍所初代別当和田義盛の領地で、和田戸山と呼ばれていた。また

源頼朝が源氏の勢ぞろいを行ったところと伝えられる。東大久保から新宿の花園神社にかけて、昔は入り江の低地で

大きな窪地になっていた。それで「おおくぼー大久保」と呼ばれるようになった。

安土・桃山時代

天正18年(1590年) 小田原城が落城し、江戸が徳川の領地となる

天正19年 東大久保村と西大久保村に分かれる

慶長7年(1602年)  鉄砲組百人組が土地を拝領、大久保村西部が百人町となる

鉄砲隊のまもりがみとして、諏訪神社の末社として神社が作られ、その後、皆当たる―神社として,皆中神社となった。

江戸時代

1603年 徳川幕府始まる

戸山の地は尾張徳川家の下屋敷へ

大久保の地は、下級武士や農民、町人の雑居地、川があり、水田もあった。

百人町は伊賀組鉄砲同心100人組などの屋敷となる。その内職としてのつつじの栽培で有名となる

明治時代

明治7年  戸山と周辺が陸軍省用地になる。陸軍戸山学校ができる

、以後、大久保、百人町には、陸海軍の将官30名が住む。

1888年(明治21年)

新潟県長岡にて佐竹庄次郎生まれる

1889年(明治22年)5月1日  

南豊島郡大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併し大久保村が発足 

1895年(明治28年)5月5日  

大久保駅開業(甲武鉄道  現在の総武線、中央線)

1896年(明治29年)4月1日 

南豊島郡が豊多摩郡に変更

1898年(明治31年 )

陸軍省が民有地を購入し軍用地とする。戸山が原周辺。様々な陸軍の施設が作られる。

演習場や射撃場などもつくられる

 

1907年(明治40年)ころ 

佐竹庄次郎 東京の大久保へ それを頼り佐竹の曽祖父伝蔵、新潟県長岡市より大久保百人町に転居、

大久保駅近くで、桶屋を開業する(現在は百人町2丁目)当時の地図に「桶商 佐竹」の名がみえる

昭和時代、店は大久保通りでしたが、自宅は小滝橋通りに3階建ての家があった(百人町1丁目)。富士山がよく見えたとのこと。

(長岡でも桶屋をしていました。高祖父は傳右衛門 長岡市千手町3-832戸籍簿は戦災で焼失) 

 

その後祖父庄次郎は転居、大阪にて大阪府東成郡榎本村にて結婚 息子2人生まれる。長男 房次郎 次男 実

 

1912年(大正元年)12月1日  

大久保村が大久保町になる

このころの大久保 戸山とともに華族、実業家、政治家、高級軍人などの住まいがあった。島崎藤村、下村湖人、小泉八雲、戸川秋骨、岩野ほうめい、岡本綺堂、国木田独歩、西城八十などの文学者も多かった.大久保文士村と呼ばれた また幸徳秋水、北一輝 、なども             

百人町3・4丁目や大久保3丁目には陸軍の施設がたくさんあった。

 

1914年(大正3年)11月15日  

新大久保駅開業(山手線) 、新宿から万世橋に通じる市電の開通。宅地化進む。

12月に東京駅もできる

 

1916年(大正5年)

父、実が大阪府東成郡榎本村で生まれる。

 

1920年(大正9年) 

佐竹の曽祖父伝蔵が病気で倒れ、祖父庄次郎と祖母いさが大阪より伯父、房次郎や父、実をつれて、

大久保に転居する  

1923年(大正12年)

関東大震災。大久保は家屋の倒壊あっても火災発生なし。下町からの転居が増える。

この後人口が増え、井戸掘りも繁盛する。大久保の街は広大なお屋敷も、庶民の家

もあるというところところであった。陸軍の施設が多く高級軍人が多く住んでいた。

1925年(大正14年)

「大日本職業別明細図」に大久保駅の近くで、「桶商佐竹」の名がみえる。

1928年(昭和3年)  かまぼこ型の射撃場に変わる

1932年(昭和7年)10月1日  

大久保町は東京市に編入され、淀橋区になる。それまでは豊多摩郡。

四谷や牛込は前から区であった。

1940年(昭和16年)庄次郎長男、房次郎 酸欠事故で死亡

1943年(昭和18年)

佐竹幸一生まれる 新潟の母親の実家に疎開

佐竹実は戦地満州から、第2次招集で中国安徽省へ 累計7年も戦地へ

母方の、父の戦友であった伯父は戦死

戦  後

1945年(昭和20年)       

終戦 大久保百人町は焼け野原に 。最初に父は大久保でバラックを建てたと自慢。

射撃場は米軍が使用

中国人、韓国人が大久保の地に住みはじめる 帰化する 金さんから金原さんなど

1947年(昭和22年)

3月に淀橋、四谷、牛込、戸塚区など各区合併、新宿区となる

1949年(昭和24年)

旧陸軍用地戸山が原を団地とする 大久保4丁目も団地化

このころ佐竹の店、東京ガスのガス風呂販売委託店になる

のち東京ガスの委託店、東京ガス百人町サービス店になる

1950年(昭和25年)       

ロッテ新宿工場竣工 韓国人増え始める

1952年(昭和27年)3月25日  

西武鉄道、西武新宿駅出来る

1958年(昭和33年)射撃場が返還される

1963年(昭和38年)9月     

早稲田大学大久保キャンパス出来る

1966年(昭和41年)4月有限会社佐竹製作所設立

佐竹幸一 家業の有限会社佐竹製作所に入社 人間学研究会設立

1978年

西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目となる(住宅地から繁華街へ)西大久保の地名はなくなり、大久保に。東大久保は新宿6,7丁目になる。

新大久保地域はラブホテルなどが多くなり、裏歌舞伎町と呼ばれるようになる。

1980年ごろから         

ニューカマーの韓国人増え始める 

1986年5月  

有限会社佐竹製作所から株式会社サタケへ  佐竹幸一 社長となる

1990年ごろから         

西戸山タワーホームズ(タワーマンション)出来る
このころから中国、フィリピン、タイなど周辺アジア国の人増える

1991年

第2サタケビル完成 人間学研究所準備室できる

1992年

共住懇でき、雑誌”おおくぼ”できる

2001年               

韓人会結成される
 日本人の店が減少、韓国系の店が増える 

「おいしい”まちガイド」発行される 韓国だけでなく多国籍の街のイメージ

2003年 「冬のソナタ」が放送され、大ブームに ヨン様ブームへ 

2004年 このころ第一次韓流ブームといわれる

2006年

1月、新宿区新聞 韓流まだまだ人気と 職安通り コリアタウン 飲食は150店が300店に

顧客は韓流マダム中心 店の入れ替わりが激しい

2007年 

毎日新聞、万能川柳で、「ヨン様に妻をとられて出前取る」このころ、空前の韓流ブームと

2008年

前に5つあった銀行、信用金庫など、新大久保に1店もなくなる

大久保通りの商店がほとんどなくなり、貸しビル業になる

佐竹「エスニックの街、大久保の今昔」を人間学研、二火会他で話をする 

佐竹 大久保の街全部を調べ、エスニック・マップを作る(最もにぎわったのはスーパー韓国広場のある職安通り)

東京ガスSTコミュネット株設立で業務移管。(株)サタケは貸しビル業で存続。

2009年7月より 

「こういちの人間学ブログ」始まる

第2サタケビル テナント 韓国の店に 

このころから、第2次韓流ブームでにぎわう 

2011年

フジテレビ韓流騒動 一方では地価上昇がおこる

2011年12月

「こういちの人間学ブログ」「韓国の店さらに増加,ヤナギヤさんやめる 12月の状態 2001年との比較」

2012年7月

代表的なお店、Kプラザビル1,2、3 がオープン、第2次韓流ブームのピークの頃

 ビル購入は)(株)光商(総合食品メーカー)

「少女時代」、「KARA]、「東方神機」など紅白にでる。ブームに

2012年10月

「こういちの人間学ブログ」日韓関係悪化 人通りの減少とやめる店が多くなる

2013年6月

佐竹ビル 韓国のお店がテナントに「美学空間」その後「リメイク」にかわる

2013年9月ごろ

嫌韓デモが盛んにおこなわれ、ヘイトスピーチ 韓国の店の売り上げ減少 地価も下がる

2014年6月

コリアタウン存亡の危機」 新宿新聞の記事 韓国の店減少とベトナム人、ネパール人増え、料理店もふえる

韓国スーパーKプラス 閉店 韓国系3,4割が閉店する

2015年

第2サタケビル2,3階ににコンゴのお店できる

2016年11月 

ネパール料理店が新大久保で25店になる。韓国の店後退 賃料下がる

「市場タッカルビ」で、人気回復のために、新商品「チーズ・タッカルビ」を作る

2017年

「Twis](韓国人、日本人、中国人のグループ)が紅白に出場 ブーム再燃のはしり

2018年~

一時減少していた韓国系の店が増える 第3次韓流ブーム 客層は10代から20代前半

中国人、韓国人のほかベトナム・ネパール人もさらに増え、多国籍の街へ

チーズタッカルビやハットグはやり、若者が道にあふれる

日韓関係は悪化 しかし若者は関係なく新大久保へ来る

(若者の貧困化により、円高も影響し、渋谷、原宿より安い新大久保へ)

2019年4月より

株式会社サタケ70期へ 創業117年へ

2019年5月より「令和」に改元

2020年

新大久保駅の新しいビル完成 

東京オリンピック

 

 

参考資料

 

大久保の歴史 山本恭子 新宿区広報

大久保(新宿区)ウイキペディア

「新宿区の昔と今」芳賀善次郎著

「新宿の散歩道」

「新修 新宿区町名誌」 新宿歴史博物館  1000円

「東京ふるさと文庫 2」

「新宿区の民俗」 新宿歴史博物館          H15年

「東京古地図散歩」(山手線)フォト・パブリッシング 2019年3月

「江戸の町」(下)巨大都市の発展 内藤昌 草思社 1982年

「新宿の1世紀 アーカイブス」2006年

参考

2007年 平成19年 新宿区に住む外国人 30337人

韓国人  13392人  中国人9258人  フランス人 1016人

ミャンマー  833人  フィリピン 833人   

 

2019年 平成31年4月1日の新宿区にすむ外国人   

全体 346425人 日本人  304268人 外国人 42157人

中国人  1363o 人

韓国人  10217

ネパール  3441

ベトナム  3344

ミャンマー 2110

◎ 観光ビザで働いている韓国人も多数

2019年4月 7日 (日)

大久保の由来,大窪から。旧東大久保の低地の状況を見る。江戸時代には川が流れ砂利をとる砂利場があった。

2019年4月6日(土)に、大久保の地名のもとになる東大久保(現在新宿6、7丁目)の窪地の状態を写真を撮りに行きました。

東大久保は大久保通りと職安通りとで南北を仕切られ,東西は明治通りと若松町、余丁町、富久町などの高台と仕切られた窪地のところです。江戸時代は東大久保村で、明治以後は大久保地域の一部として東大久保と呼ばれました。その後、新宿6,7丁目と名前を変えました。

旧東大久保周辺の地図です。上の緑色は都立戸山公園です。真ん中に明治通り。職安通りを挟んで上が新宿7丁目(旧東大久保1丁目)、新宿6丁目(旧東大久保2丁目)です。下図

◎昭和7年(1932年)東京市と呼んでいた時には、今の新宿区は淀橋区、戸塚区,四谷区、牛込区に分かれていました。淀橋区は大久保町、戸塚町、落合町、淀橋町でした。この時の大久保町は現在の百人町、西大久保、東大久保(新宿5,6,7丁目)、歌舞伎町、戸山町まで、ふくんでいました。1978年(昭和53年)住居表示の変更があり東大久保は新宿~丁目とかわりました。百人町、大久保地区も中新宿と変える案もありましたが、大久保、百人町の名前を残そうということで変更なしになりました。ちなみに西隣の柏木地区は西新宿と名前を変えました。

◎街の様子については、インターネットで「東京Deep案内」

「そこ新宿区新宿って言っちゃいます?旧東大久保新宿7丁目の昭和の昭和街並み」をご覧ください。確かに下町的な古い町並みが残っています。しかし外国人の住民の比率が高まっています。

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新宿区の防災マップです。やや濃い部分は高台の部分です。薄いところは低地です。右側帯状に色の薄いところがあります。この先に花園神社があり、そこの池を水源として川が流れ、新宿7丁目には川砂利をとる砂利場がありました。そこから戸山の尾張屋敷の池につながり、神田川までつながっていました。赤いところは擁壁や崖などがあり危険地帯です。

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大久保通りから旧東大久保(右側)と左側の戸山2丁目に分かれる坂道。ここは盛り土をして極端な坂にならないようにしました。

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上の写真を撮ったところから右を見ると坂が2つあります。ひとつはこの写真の左がわの急な明治道路に沿った坂道です。。もう一つはややなだらかな坂です

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大久保通りから旧東大久保への坂の入口左に、大久保通りに沿った急坂。これも椎の木坂といいます。

右がややなだらかな坂があります。

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先ほどの坂を下りたところです。この壁は大久保通りとの段差の壁です。塀の上は大久保通りです。

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坂を下り切ってまた明治通りに向かう坂、椎の木坂です。説明文には、「かって尾張藩戸山屋敷(現在の戸山ハイツ)のうちに椎の大木があり、この坂道を覆っていたため、椎の木坂の名がついた。また、古くはこの辺りが砂利場で、東西に上る2つの坂があったことから向坂とも呼ばれた。(新選東京名所図絵)

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椎の木坂 左は大久保通りの壁。大久保通りへの上り坂。

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四つ角のところ。いかにもレトロな感じの店です。

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その向かいのカレー屋さん。インドレストラン。

職安通りの坂の上から見たところ。右側に急な坂道があります。

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右の急な坂道は久左衛門坂。すぐ近くに階段の梯子坂もあります。何れも急坂です。左の坂は抜け弁天坂といわれていたらしいです。いずれにしても自転車で上がるには大変な坂でした。真ん中に見える青っぽいビルはイーストサイドスクエア。

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梯子坂です。

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税務署通りの抜け弁天に向かうところの立体交差。この先が新宿6丁目、手前が新宿7丁目。この通りに沿って以前は都電が通っていました。

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東大久保からの坂を上り切ったところにある小さい厳島神社・弁天様ー抜け弁天といいます。職安通りからつづくこの道は抜け弁通りといいます。

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抜け弁天のすぐそばにある、浄土真宗泉福寺。筆者の家の菩提寺です。月岡芳年の墓があります。近くには多くの寺があります。専念寺、法善寺,大聖院、西光庵、永福寺永などです。

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立体交差の先の新宿6丁目の西向き天神の鳥居と社殿。

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西向き天神。階段がありここが低地だとわかります。昔は大窪神社とも呼ばれていたとか。

 

右に西向き天神の隣の新宿中学校。合併前の名は大久保中学校と、筆者の卒業した学校でした。左には天神小学校。

大久保中学校はこの写真で写したところは低く、次第に階段で高くなります、筆者が中学生のころにはまわりに高い建物がなく、学校から新宿の伊勢丹や、三越がよく見えました。筆者は図工の時間にそれを絵にかいたので、鮮明に覚えています。当時の大久保中学校は進学校でわがクラスから4名が戸山高校に行きました。

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大久保通りから戸山ハイツ地区を左に見る。左に東戸山小学校。左に見えるマンションの後ろは箱根山。人工の山で、山手線の中では最も高いところです。道路の下は低地となっています。以前は道路で仕切られていませんでした。

道路の先には左に国立国際医療センター(昔は陸軍病院)、右に総務省統計局があります。

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大久保通りから新宿7丁目ー東大久保方面を見る。奥の高層ビルは、2015年にできた富久町のクロスコンフォートビル55階建てです。

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向こう側の新宿7丁目には道路と同じ高さのまだ古い木造2階建ての店や住居が残っています。右側には銭湯の煙突が見えます。

東京医科大学も新宿6丁目で,(旧東大久保2丁目)です。

 

2019年3月31日 (日)

2019年3月31日、神田上水公園の桜が満開でした。4月1日オープンの桜美林大学の桜も。

2019年3月31日(日)神田川の神田上水公園の桜を見に行ってきました。

2017年4月2日には、小滝橋通りから神田川の上流部分の桜を写真に撮り、ブログに書きました。

2018年3月26日には、高田馬場から椿山荘方面へ行き桜を写真に撮りブログに書きました。

満開の神田上水公園の桜

3月31日は午前中は天気が悪かったのですが、午後からは予報通り良い天気となりました。

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小滝橋の新宿区立神田上水公園の入口

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上の写真のすぐ右側の神田川の標識。さくの向こう側が神田川。

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上の写真 小滝橋の公園入口の標識から小滝橋通りを挟んだ、下流側を写真にとる。川を桜で覆っています。青空がきれいです。

 

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小滝橋の上から写真を撮る。右側が中野区東中野。左側が新宿区北新宿。向こうに見える高層ビルは東中野のタワーマンション。

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中野側から神田川を撮る。水は少ないですがきれいです。

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新宿寄りの公園。手前の空間にはすでに宴会を始める人も。

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花は隙間がないほどに見事に咲き誇っています。

4月1日 オープンする新宿百人町の桜美林大学。

神田上水公園からそんなに離れていません。

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桜美林大学 前に桜の苗木が 奥に古い桜の木。

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2019年4月1日、桜美林大学の手前の桜は、昔からの桜です。

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大学の前にはいろいろな桜が植えられています。この桜は楊貴妃だそうです。未だこれから咲きそうです。あと10数年たつと見事な桜となりそうです。

 

 

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