フォト
無料ブログはココログ

大久保の街紹介

2026年3月16日 (月)

大久保の多国籍タウン 日経新聞、異文化タウンのランキング1位 新大久保でした。

 2026年3月14日〈土)の、日本経済新聞朝刊の・別刷り、「NIKKEI]プラス1の記事で

「なんでもランキング」の 「異文化タウンで食と交流を」で、山手線の3駅が入りました。

 日本で暮らす外国人は395万6619人(2025年6月)

 全国の人口の順位は、中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ネパール。

 

第1位が 新大久保(東京都新宿区)

   韓国やイスラム圏 多文化の象徴でした。

   写真では新宿区百人町2丁目のイスラム横丁の一角が、

   写されていました。 ハラル食品販売日本NO1,を自称

   する「GREEN NASCO]と隣りは、1階が「ネパール

   食材店」、の「BARHI」で2階がネパール料理店の

   「momo]です。

   少し前までは、barahiの隣は、「中華50番」でしたが

   そこを買収したようです。すぐ近くに、イスラム教の

   礼拝所があり、有名な「新宿八百屋」も、お隣です。

    山手線に沿った文化通りはこの、イスラム横丁の

   ほかに、いろいろ変化にとんだお店があります。

    この記事には載っていませんが、文化通りの反対

   歌舞伎町寄りの道(郵便局通り)は有名楽器店

   黒沢楽器があり、また韓国料理、中華料理、タイ料理、

   ベトナム料理とバラエティーに富んだお店があります。

   

第4位がミャンマー料理の高田馬場です。(新宿区)

   駅前の「タックイレブン高田馬場」のミャンマー

   料理、「ノング インレイ」などが有名です。

   山手線の線路際には珍しい料理店が集中しています。

   ブログ筆者の住まいは、新大久保と高田馬場との

   中間ぐらいにあります。

   

第9位が中華料理の池袋です。(豊島区)

   池袋北口に集中しています。以前よく中華のスーパー

   があり、よく買いに行きました。池袋にもいろいろな

   お店があります。

 

◎ 全国のランキングの中で3か所が、筆者が電動車いすで

  行ける距離だと言えます。

 

★ 2位 大阪 生野地区  大阪コリアタウン

  3位 川口 トルコ料理 中国人1位

  5位 群馬県 大泉町 ブラジル人

  6位 横浜鶴見 南米料理 沖縄料理

  7位 茨城上総市 亀仙人町 インドネシア料理など

  8位 浜松市 中央区 ブラジル

  10位 西葛西 江戸川区 インド人 インド料理

★ 新宿の外国人  2026年3月1日

  合計     205万619人

  1位 中国  19405人

  2位 韓国   8940人

  3位 ネパール 5566人

  4位 ミャンマー3408人

  5位 ベトナム 2675人

  6位 台湾   1957人

  8位 アメリカ 1226人

  8位 バングラディシュ  763人

 

 

 

 

 

   

    

 

   

    

 

2026年1月11日 (日)

エスニックの街、大久保 (1) 我が家の歴史を中心として、2026年改訂版

エスニックの街、大久保(1)その歴史、(2015年12月修正、2026年1月追記版)

 

このブログは2009年の、ブログを書き始めたばかりのころに書かれたものでした。2015年12月に少し書き加え更新しました。カテゴリーも旅行・地域となっていましたが「大久保の街紹介」に変更いたしました。

◎2026年1月3日(日)上の息子、佐竹謙治一家がお正月にわがやに来てくれました。

 謙治さん,広乃さん夫婦に孫たち3人でにぎやかになりました。孫たちは全部男で、大学生2人と中学生1人です。事前に来てくれることがわかりましたので、用意したものは佐竹家、関連家系図と5枚と、書き掛けの佐竹家家系図、その1、とです。妻に聞いて抜けているところは補充しました。池袋の叔母さんがくれた母の家系図(金子家の詳しい家系図)までには及びません。

◎新宿新聞 2026年1月1日号、1月15日号、新年特別号第2弾新大久保特集号

韓国の対日投資が活発、新規投資で過当競争 西大久保公園前、新たに料理店など6店

大久保通りの1階の家賃 坪、6~8万 イケメン通り 5~6万 西大久保公園通り 坪 3~4万円

大久保通り、イケメン通りの全店舗の載った地図 掲載

料理15店超が出店、閉店11店 カフェは伸び鈍化も61店に増、コスメ、有力店の出典が続く

新大久保駅

 

151210_093301

 

 

開業記念入場券です1000枚発行で、これは871号です。中に記念入場券5枚、このころ開業した四谷、信濃町千駄ヶ谷、新大久保駅の紹介。4駅のスタンプなどがあります。

 

Kc4a03590001

改築前の新大久保駅 

 ◎現在4階建てのビルとなった新駅舎ができました。エレベーターで車いすのブログ筆者も簡単に乗車できます。

 改築前の新大久保駅は三角屋根の小さな駅です。エレベーターの無い駅は山手線で2つくらいしかありません。電車に車いすで乗るときは高田馬場駅まで行きます。建て替えの計画があります。

 

 JR山手線の新大久保駅は、総武線の大久保駅の後でできたので新大久保と名付けられました。とても小さくまた古い駅です。平屋建ての小さい三角形の屋根があり、改札口の前は本当に狭いのです。平成26年11月15日に駅の開業記念100周年を迎え、開業記念入場券を購入しました。昔は山手線の高田の馬場と新宿駅の間に駅が無く、大正年3年に地元の懇願で駅が作られたそうです。開業当時は大久保通りと平面交差で、現在の駅舎とは大久保通りを挟んで向かい側に位置したそうです.。死んだおばあさんの話では当時の駅は小さくて夜は裸電球がぽつんとある程度だそうです。近くは戸山が原で陸軍の施設が多かったのですが、空いたところが多く子どもも自由にはいれたそうです。タヌキがひかれたなんてなんてニュースがあったそうです。駅の周辺はつつじを栽培していました。1924年(大正13年)の複線化に伴い現在の駅舎となりました。戦後も射撃場の弾よけの三角山などという人工の山がありわれわれ子供たちの遊び場でした。回りにまだ原っぱがたくさんあり遊ぶにはいいところでした。

 

 はじめ店は大久保駅の近くでした。店と風呂桶製造場所と自宅を兼ねた家は戦後まもなく山手線の内側に移転しました。戦後しばらくはバラック、それから平屋の建物、筆者が小学生の時に木造2階建てにしました。その後5階建てのビルにしましたがエレベーターを付けなかったため、余り歩けなくなった今自宅へ戻れません。

 

 改めて書きますが、この当時は筆者の店と住いが山手線の外側にあり、大久保通りの外側で、大久保駅と新しくできた新大久保駅の中間ぐらいにあり、現在もあるお米屋さんの隣にありました。大正時代の商店名が書いてある地図がありそこに桶商佐竹と載っています。小滝橋どうりにも3階建ての家がありそこから富士山がよく見えたそうです。その家は戦争後の混乱期に他の人が住み着き、結局安くで売却したそうです。

 新大久保駅はその後、増改築され、4階建てのビルの駅舎に改装されました。

 

韓流一辺倒から再び多国籍の街へ

 

 新大久保駅の前には、外国人と、大久保の街をおとづれる人でいつも混んでいます。2011年ごろには、韓流ブームとなり、さらに人が多くなり、土日には狭い駅出口の空間が人でいっぱいで人が出られないような騒ぎです。それが反韓デモや韓国との間が冷え込んでそれほど人出は多くありません。韓国一辺倒だったのが、再び多国籍の街に戻りつつあります。

 

 私は、戦前の昭和18(1943年)年2月20日の生まれ(2026年には83歳)、この街に生まれ育っていますので、この街の変化をずっと見てきました。以前人間学研究会の例会で、このテーマでお話しするため、自転車で大久保の街を全て回って、韓国やエスニック料理の店を調べました。そして、大きな地図を作り店名をいれました。圧倒的に韓国料理の店が多く、150店位もありました。そのほかには、台湾料理、モンゴル料理(小尾羊など)、マレーシア料理(メラプティカフェ)、タイ、ベトナム料理(ソムオー、クンメーなど)、最近増えてきた、インド、ネパール料理。珍しいのは、チュニジア料理、モロッコ・チュニジア料理、トルコ料理店などがあります。シシカバブなどのハラルフードを売っている店も増えてきました。中国内の朝鮮系の人々が住む延辺自治区の延辺料理などもあります。犬の料理(狗肉と書いてあります)があるのが特徴です。ミャンマー料理は大久保にできたでしょうか。高田馬場にたくさんあります。レストランではありませんが、うちのビルの一室を借りてもらっているコンゴのお店もあります。以前、新大久保と、大久保駅の中間に屋台村という店があり、6ヶ国の料理が食べられる店がありました。(残念ながら屋台村は2011年閉店しました。韓国料理の店に変わり、その店も現在は閉店してしまいました)まだバラバラでまとまりがありませんが、日本人の店とも協力して宣伝すればいいのですが。韓国系の店は韓人界が中心となりシャトルバスを走らせたりを始めました。

 

 2011年当時、家で貸しているテナントには、韓国人、中国人、日本人、そしてコンゴの人がいます。(詳しくは別のブログをご覧ください)

 

◎ 2026年1月には佐竹ビルには、1階に韓国の化粧品店、リメイクが入り、2回には韓国のハンバーガー店、4階はヨガのお店です。

5階と3階には株式会社サタケのレンタルスペース店が入っています。(3階は昨年末までカフェが入っています、)同じ百人町1丁目にある、第2サタケビル、第3サタケビルにもそれぞれ韓国系のお店にレンタルしております。

また以前は、新大久保駅の色々なお店を人間学研究会の例会のあと、懇親会でいろいろな料理を、食べ歩いています。その後、異業種交流会の二火会で話をする機会があり、店を調べなおしました。この当時一年の間に、30店近くが入れ替わっていました。私はいろいろ新しいお店ができると食べに行き、おすすめの店の説明書と地図を作りました。しかし病気の後歩けなくなり今は例会会場やお店に行けません。

 

 2015年12月には、脳出血を起こして2年、あまり詳しく大久保の街を書けなくなりました。しかし電動車いすを今月中に借りる予定で、そうすればまたいろいろ書けるようになるでしょう。

◎はじめはヤマハ、つぎにウイルの電動車いすで行動範囲が広がっています。池袋、中野、代々木辺りは電動車いすで出かけられます。

 

筆者の家の歴史

 私の新大久保の家は、今から99年前に(最初にブログを書いた年から99年。2011年に101年になりました、2015年で105年、2026年に116年です)、私の曽祖父傳蔵が新潟の長岡から出てきて、大久保の地に住み着き、桶屋と井戸掘りを、やってきました。むかしの長岡時代の板位牌をみますと年号が宝永2年2月1日(1765年)などというのもありますからずいぶん前からの位牌があります。昔の位牌は簡単な板で黒い漆塗りで作ったものです。以後、文政2枚、嘉永3枚、天保、安政、明治3枚、大正1枚です。家が没落して皆が苦労した原因になった人の位牌をお祖父さんがなんと鉋をかけてしまったそうです。

 

 母親の話では佐竹家は桶樽を昔から製造販売した長岡藩の御用商人で、苗字帯刀を許され、蔵がいくつもあったという話です。でも長岡藩は戊辰戦争で官軍と戦って負けたため、藩に融通したお金や店の貸し売りの分はすべて帳消しになり、没落したそうです。以前長岡のお墓がある場所を車で見にいってきました。新井薬師に住んでいた叔父さんが以前お寺に行き過去帳を見せてもらったそうです。また今は永代供養料を払って無縁仏にしてもらったそうです。長岡は新潟県第2の都市でしたが、戦災で戸籍が焼け何も残っていません。父からの遺産相続の手続きの時、前の戸籍が戦災で残っていないという証明書をくれました。

 

 戦災消失証明書によれば本籍は新潟県長岡市先手町3-832番地となっています。地図によると先手町3丁目は現在の地名でも残っていて、長岡駅に近いにぎやかなところです。 父が亡くなったとき戸籍謄本が必要ですが、昭和20年8月1日の戦災により消失して、謄、抄本は交付することはできませんとなっています。他の戸籍簿はかなり古いものがあります。お祖父さんは明治21年生まれの庄治郎、祖母は、いさ。曽祖父は傳蔵と曾祖母はテイです。曽祖父の親は高祖父といいます。高祖父の名前は傳右衛門だそうですが、残念ながらそれ以前は戸籍に残ってはいません。

 

 高祖父という言い方ははじめ筆者は知りませんでした。ネアンデルタール人について調べているうちに、ルーマニアで発見された原生人類の化石を調べたところ、その遺伝子配列はネアンデルタール人が、高祖父の時にいたということが、分かったといいます。4代前になります。

 

 祖母いさの両親は米田藤吉とシカ、藤吉の親は高祖父になりますが、米田新吉です。天保二年生まれ、藤吉は万延元年の生まれです。祖母の戸籍は消失しないで残っていました。祖母の家は大阪の淀川の近くです。小さい時に淀川の小魚をたくさん父親がとってくれてそれをよく食べていたので丈夫になったといっていました。祖母の祖母(高祖母)は小さいころには幕末で、戊辰戦争で幕府軍が逃げてきて恐ろしかったという話を祖母にしてくれたそうです。曾祖母は80代後半の時、大阪から来たことを覚えています。曾祖母は90以上生きていて、祖母は98歳、祖母の妹も98歳まで生きたそうです、長寿の家系なのですね。後にも書きますが大阪に逃れてきた祖父と結婚しました。

 

 長岡市は山本五十六の出身地として有名で、また大きな花火を打ち上げるのでも有名です。さらに古くは幕末の河合継之助が有名です。一方大阪のおばあさんの方の戸籍は古いものが残っています。それから江戸から東京にかけて新潟県出身の桶屋さんが昔から多かったそうです。

 

 最初に私のおじいさんが若い時に長岡から親から逃れて東京に出てきて、椅子職人として働いていました。そのあとに、ひいおじいさんが長岡から、道々、「わがやー、わがやー」(桶屋のこと)と道々、たが直しなどをしながら歩いて東京まで来たということです。そして息子庄次郎のうちに来たそうです。まもなく母親(曾祖母)も家に来たそうです。ところが両親ともにかなりのばくち打ちで道楽者、家が混乱し、たまらず、お祖父さんは大阪に逃れたそうです。お祖父さんは大阪の地で椅子つくりの職人になり大阪でお祖母さんと結婚しました。曽祖父母は大久保の地で、桶屋と井戸掘りを始めたのです。明治40年ころと推測されます。その後曽祖父が病気で倒れ、祖父母は子どもたちを連れ家族で、東京に戻ってきました。このころからのお店があるのは新大久保駅前の蕎麦屋さん(近江や)ぐらいです。お祖母さんは、曾祖母てい、がきつく、何度も大阪に帰りたかったそうです。のり巻きを作るように言われ、関西風に太巻きを作ったら、こんなのり巻きはだめだと捨てられたそうです。味噌汁の味の濃さも違い、ずいぶん苦労したみたいです。このころの話をよく聞いておけばよかったと思います。その後曽祖父傳蔵が亡くなり、曾祖母ていもなくなりました(大正)。祖父母には子どもが6人いました。ところが長男房次郎は井戸掘りでの酸欠事故でなくなり、(新聞記事になったそうです)おばさん二人も若い時に病気でなくなりました。3人が残ったのです。父、実も同じところで事故にあいましたが祖父が救い上げ、蘇生したそうです。

 

 祖父母の6人の子供の内次男の私の父実(死去)と、叔父さん(死去)と叔母さん(すみ子・死去)が残りました。父が子どものとき関東大震災があり、家はその時は大久保駅と新大久保駅の間にありました。家は大丈夫でした。地盤が下町より堅かったのです。関東大震災の時近くに古川男爵の大きな屋敷があり、そこの竹やぶで数日間余震をさけたそうです。今は教会になっています。父はその時小学生でお昼のご飯が大好きなとんかつで、それが埃まみれで食べられなくなり残念だったそうです。父は二度7年間も戦争に行き、はじめは満州、後半は中国でした。南方へ途中で行った部隊はほとんど全滅したそうです。満州ではノモンハン事件のすぐ後だったそうです。叔父さんは海軍に行って、私は小さいとき海軍ちゃんと呼んでいました。母親の兄さん幸雄は父の親友でしたが、中国で戦死しました(安徽省蕪湖県)。匪賊に襲われ何も残らなかったそうです。父は他の人より足が長いということで騎兵でしたが、大変な古参兵であることと、桶つくりや、井戸掘りなどの技術を生かし、上官の奥さんなどに重宝がられたそうです。騎兵はすぐサーベルを持つそうです。(陸軍では士官以上のみ)上官にはオリンピックで有名な乗馬の西大尉がいたそうです。父は現地の中国の人々に優しく、それも、無事に日本に変えれるもとになったようです。現地で稼いだ軍票が日本に帰り普通のお金に変えてもらいよかったそうです。

 

 母親の先祖は新潟の新発田です。母のお兄さんと父親が親友で、縁を強くしようとして父は母と結婚しました。母方の祖父は金子といい、荒川区尾久で、八百屋をやっていました。戦前はとても繁盛していたそうです。母親のお兄さんは中国で戦死しましたが、残りの妹は4人とたくさんいました。一番若い叔母(池袋で八百屋さん)は私と7歳ぐらいしか年が離れていません。母親の母方の親類は渡辺といいます。母方の祖先で、村相撲の大関になっていた人がいて、鴨居に頭がつくくらい大きかったそうです。どうもその遺伝を受け継いだのか、私も息子たちも背が高く、太りやすいようです。お祖父さんが新潟長岡で、お祖母さんが大阪、母が新潟なので4分の3ほど新潟系です。

 

 戦争中も祖父母と叔母さんたちが大久保百人町にとどまりました。大空襲で新宿は丸焼けとなりました。戦禍で逃げまどった苦労を祖母から聞いています。B29がたくさんきたが日本の戦闘機は全く歯が立たなかったそうです。いろいろ風呂桶をつくる道具があり大久保の地で最初にバラックを建てたそうです。お祖父さん庄次郎は古くから商売をしていることもあり、多くの職人を雇い、また親分肌でした。もう少ししゃべれれば簡単に区議会議員になっていたといっていました。地元の皆中神社の神主は自分が木曽から連れてきたんだといっていました。今は息子さん以下の代です。

 

 お祖母さん(いさ―米田家)は長寿の家系で、祖母は98歳でなくなりましたが、祖母の母、曾祖母も元気で90近いとき、東京へ出てきました。ブログ筆者が子供の時会ったことがあります。やはり90代後半で亡くなりました。大阪のお祖母さんの妹(うめこおばさん)も長生きで100歳近くまで生きたそうです。大阪では市場の仲卸の仕事をしていました。

 

私の父方の親戚はおじさん〈佐竹良平)が一人、おばさんが(村上すみこ)一人です。それぞれ子供が1人ずついます。

後、私には妹(小池栄子)が一人います。妹には子どもが2人います。所沢に住んでいます。義理の弟(小池吾朗氏)はがんで亡くなりました。

両親で2人、祖父母で4人、曽祖父母で8人、高祖父母では16人になります。

 

子や孫の代となるともっと増えるわけで、例えば私は佐竹という名字がついていますが、高祖父の佐竹という祖先から見ると遺伝子的には16分の1ということになります。

 

 妻(佳子)の系列(青野さん)は先生が多いのです。家内のお母さんは、90を超えてまだ元気ですが、(その後99歳で死去)妻のお父さんは東大理学部を首席で卒業、電波研究所の副所長にもなりました。第一次南極越冬隊にも参加する予定が脳溢血で倒れ不可能になったそうです。科学雑誌にたくさん投稿しています。そして亡くなってから勲章をもらっています。妻には2人の妹さんがいて1人の弟さんがいます。みんな先生か研究者になっています。妻のお祖父さんは、高等師範を出て女学校の校長先生だったそうです。みんな家族に恵まれ、一族みんなが集まると30人くらいになります。過去の1月2日に妻のお母さんと一族が集まり20人ほども集まりました。妻の父親は四国の愛媛県の出身、母親は岩手県の出身です。

 

 筆者の(66歳、最初にブログを書いた当時、今はもうすぐ73歳、 2026年に83歳になっています。)私で4代目で、今では息子の代(5代目として社長)になっています。来年で(当時)、創業100年になるのですが、桶屋と井戸ポンプ業から東京ガスの代理店(エネスタといっていました)になったあと株式会社サタケは昨年、近隣の店と会社合併がとなり、東京ガスの資本もくわわり、STコミュネットというあたらしい会社になってしまいました。息子2人はそこの社員です。もとの株式会社サタケは持ち株会社(まだ残念ながら1度も配当がありません)で不動産収入のみの会社となって一応存続しています。私は会長ということになっています。上の息子は東京ガスから離れ、不動産管理業とレンタルスペース業、の(株)サタケの社長に専念しています。

2026年2月、筆者は株式会社の会長を退任し退職金をもらうということになりました。

 

戦前の大久保の街

 

 戦前の大久保の街は、閑静な住宅街で、有名人、文化人などが住んでいて、特に、戸山が原の陸軍関係の施設に関連して、大変多くの高級軍人が住んでいました。私の父親は事故で亡くなった時92歳ですが、いろいろなうちに風呂の修理や井戸掘りに行ったそうです。横綱の太刀山や226事件の岡田首相、大将の家などです。(父は92歳で家の中で転倒する事故でなくなりました)

 

 筆者が卒業した戸山小学校は大正の初めに作られました。父親は比較的早い年度の卒業生です。父親の年代の人が昔を思い出し当時の地図を作ってくれています。戸山用学校には、父、私、息子の3代が通いました。大久保小学校は外国人の子どもが多く通っているのが有名ですが、明治に作られたようです。小学校に隣接して小泉八雲が住んでいました。石碑や記念公園が残っています。たくさんの文化人は住んでいました。

 

戦後の大久保の街

 

 戦後は、大久保の地に韓国や台湾の人たちが住みつき商売をはじめました。ロッテの工場が作られたのも影響がありました。今は大財閥で、いろいろ内紛が起きて居ますがここが出発点です。今は操業をしていません。一部は分譲住宅になりました。その後、20年ほど前から韓国の人達を中心に商売を成功させていきました。戦前から戦後間もない人々は、もう孫の代になり、ほとんどが帰化しています。20年ほどまえから、韓国の人達を中心に次々と商売を成功させていきました。「韓国広場」の金さんなどはいろいろな店を出し、うちの会社もいろいろ建築、設備の仕事をしてきました。

 

 さらに映画やテレビで韓流ブームが起こり、いっせいに、韓国料理店、韓国のスターグッズ店ができてきました。そういう人たちは、ニュー、カマーと呼ばれています。大久保、百人町の街は裏歌舞伎町とも呼ばれ、もともと韓国や中国のホステスさんなどが多くすんでいたのです。その後 急激に外国人が増えてきました。私は三回ほど300件の私が住んでいる店と住宅のまわりの国政調査を行いましたが、大体7割が外国人でした。正式に外国人登録している人の2倍は、観光ビザで来ているか、不法入国しているかという感じです。

 

* 2011年、急に韓国の店が増えました。大久保の表通りが土日には通りにくい感じです。

もうすぐ2016年、町は色々に変化しています。2026年山手線の内側の百人町、大久保の一部は完全に韓国化しました。

 

やはり、新宿区で外国人登録している人は。韓国朝鮮系が最も多く、次に中国人です。新宿区では三番目は何とフランス人で、神楽坂周辺に住んでいます。大久保周辺にはほとんどいません。4位はミャンマーの人で、西新宿、北新宿に多く住んでいるとのこと。5位はフィリピン人といったところです。大久保の街についてはあらためて、5番目までご紹介していきます。

 

 2015年最も多いのが中国人、2番目が韓国人です。3番目が何とベトナム人です。

 

参考書 

 新大久保コリアンタウン  八田靖史  2009年 晩声社

 韓流タウンガイド 2012年   日本工業新聞社

 オオクボ 都市の力   稲葉佳子   2008年  学芸出版社

    これでいいのか東京都新宿区 昼間たかし 2019年 

        マイクロマガジン社

   もはやコリアンタウンだけでない万国の人が集まる神秘の

        大久保

 ルポ 新大久保 室橋裕和 辰巳出版

   日本の異国  室橋裕和  晶文社

 

 新宿区の民俗 6、淀橋地区編 新宿歴史博物館

   第6章 大久保と百人町-軍人の街から多民族の街へ

   大久保村は西大久保、百人町、東大久保、柏木、淀橋町

         の地域でした。

   井戸、職人の暮らし、エスニック街のところは、筆者の

         父、佐竹 実が話した。

 

    地図で見る新宿区の移り変わり 淀橋・大久保編 

        新宿区教育委員会

  (淀橋・大久保の町とくらし)

   四谷・大久保の犬小屋 大野瑞男

   尾張藩御付家老成瀬隼人正家の軌跡  村井早苗

   施行のこと・馬琴の飢餓体験から   北原糸子

   内村鑑三と植村正久 中沢ひろ樹

   角筈女子工芸学校と府立第5高等女学校 村田静子

    淀橋・大久保地区における戦前期の住民構成 

                奥須磨子

         相馬愛蔵・黒光夫妻と中村屋 高村光郎

   あの頃の新宿  西沢 爽

   新都心新宿の発展  山鹿誠次

   百人町界隈    大内 力

   わが青春の町新宿と田辺茂一のおっちゃん  

                 森村桂

   大久保の70年   徳永康元

         

2025年10月29日 (水)

新大久保駅周辺の日本語学校の多さ 中国人はじめ外国人が多い一つの理由

新大久保駅から線路際の道路〈文化通り〉の周辺には日本語学校が大変多く、コンビニにもたくさんの中国や韓国、ベトナム、ネパールなどの若者が買いに来ます。お店の店員さんもほとんど外国人です。そこで、どのくらいあるか調べてみました。まだほかにあるかもしれません。

日本語学校の休憩時間にはコンビニに買いに来る外国人の学生で溢れます、

百人町

東京早稲田外国語学校       百人町2-9-13 新大久保校 文化通り 学生数 505名

ミッドリーム日本語学校      百人町2-7-11(病院通り)、百人町2-14-12(本館) 学生数890名 認定日本語教育機関

東京ワールド日本語学校      百人町1-13-24(本館) 百人町1-22-12 北新宿 学生数1753名

育秀国際語学院          百人町1-20-24 大洋ビル 百人町1-23-7 新宿酒販ビル 

新大久保語学院          百人町2-4-6 メイト新宿ビル (新大久保校)全5校 韓国語中心

東京国際文化学院         百人町2-1-52  百人町2-6-12 百人町1-8-12 学生数800人 中国人中心

行知学園日本語学校        百人町1-6-21  行知学園ビル  

      百人町2-8-15 文化通り  行知書店 百人町2-4-5

行知学園美術           百人町2-16-15    

グレッグ外語専門学校       百人町2-6-10  山手線の線路際 2025年大きなビルに増改築終了 2026年始業

大久保

ユニタス日本語学校        大久保2-2-9 山京ビル3階  600名(帝京大グループ)

カイ日本語スクール        大久保1-15-18 みゆきビル3階 大久保通りに面す

ソウルメイト韓国語学校      大久保2-13-4 北原ビル301

 

その他 北新宿など 

フジ国際語学院           北新宿1丁目   1200名

ミツミネキヤクアカデミー      北新宿4-1-1 700名

エリート日本語学校         歌舞伎町2-44-1 1000名

 

◎高田馬場駅周辺も日本語学校がたくさんあります。」

韓国語教室 ハングルちゃん     大久保1-17-7                  

  

◎朝の通勤、文化通りを通学時間に通ると若いいろいろな国の学生がたくさん通ります。

◎百人町、大久保地域には、いろいろな専門学校もとても多いのが特徴です。

 日本電子専門学校など

2025年7月 9日 (水)

[世界タウン、新大久保] 日本で暮らす外国人たちの素顔 100カメ 2025,2,24 NHK総合

カメラの設置場所

Kimg3797

拡大地図

Kimg3806

Kimg3805

1、新宿八百屋  新宿区百人町2-9-16

 新大久保駅から道路を渡り、マツモトキヨシの横を入り、直進すぐ。

周辺にはハラルの食材販売のお店が多く、イスラム横丁とも呼ばれます。

 新宿八百屋は(株)クイーンズファームのお店で、1994年に設立

されました。2008年に新大久保に店を開く。

 高田馬場にデリバリーのお店。

現在は百人町のお店と高田馬場に卸部門。本社は百人町2-24-15で、

 社員数は55名です。

 新宿八百屋には6か国、20人のスタッフが働いています。

Kimg3798

 

お店で働く従業員の国籍。ベトナム6人、日本6人、ネパール、フィリピン

、韓国、中国(内モンゴル)

Kimg3803

7月10日9時半ころ

Kimg3810 

Kimg3811 

この近くのビルにイスラム教の礼拝所があります。

 

2、韓服-チマ・チョゴリ  オモイデ (株)OMOIDE

  百人町1-3-17 足立ビル3階

  (ブログ筆者のビル〈佐竹ビル〉の隣のビルです。)

  経営者 李 香順  韓服普及協会理事

   韓服 レンタル 年間利用者 1800人 利用者の7割が日本人

   成人式などに利用が多い

 

Kimg3807

7月10日撮影

Kimg3813

右となりが佐竹ビル、1階 RE MAKE,2階 ハンバーガー NEWYORK

Kimg3812 

 

3,ヒンズー寺院   (百人町2-24-1 シワ マンディル東京)

     始めは大久保駅近くのところにヒンズー寺院がありましたが

  その後新大久保駅の近くに転居しました。

     良く調べましたら住所は新宿区大久保2-29-16でした。

      ファミリーマートの近くです。名称 Shiri Shakti Temple 

  2018年設立 地下1階から3階のビル ヒンズー教のシヴァ神を祭る

  だれでも歓迎している

  大久保駅から3分 経営はバングラディシュ人のナンディーさん。

  イニシャルハウス(新宿八百屋そば)1階の バラヒスパイスセンタヒ経営

  シヴァ神の祭りの時には400人参加

   080ー5638-7706

  ◎場所を探しましたが、見つかりません。北新宿に転居したとの情報も。

  改めて現地に行ってきました。大久保に転居。

Kimg3809

Kimg3808-1

 

 

4、レストランとハラルフードのお店「ルン・ルアン」

   -タイ料理、スイーツ、弁当

  百人町1-14-13 ローレイビル1F 03-5330-8778

  大久保通りから1本歌舞伎町寄り 大久保駅近く 食べログ 3,3

     2018年末ごろオープン

  お店の主人はタイ人のプラーニーさんはイスラム教徒、5か国語で対応

  息子のパコーンさんが手伝う

  レストランにはいろいろな国の人が来ます。ハラルフード認証店

     お店を見に行って来ました。7月10日朝9時半にはオープンしていました。

   電話 03-5330-8778

  買い物したかったのですが、電動車いすでは段差があり、お店に入れません。

Kimg3814

Kimg3815

◎別番組で放送 

 

 東京媽祖廟 百人町1-24-12

 

 

 ネパール人特別相談所  百人町2丁目

 

      

2025年7月 7日 (月)

2025年更新版 大久保百人町地区の外国人について人口の変化と比較  1,2丁目日本人3割 更新版

2025年7月24日、2017年11月25日、追記して更新しました。(初期2010年8月の記事です)

◎ブログ筆者は新宿区百人町のこの地の82年間、ほとんど住んでいました。今も百人町の3丁目のマンションを借りて住んでいます。その前は百人町1丁目の店舗兼自宅のビルに住んでいました。私の家は私の曽祖父傳蔵が明治の頃より住んでいます。その後、祖父が庄次郎、父が実、と続き現在は私の息子、謙治が同じ地で引き継いで仕事をしています。

以前東京ガスのサービス店を経営していた時には、社員にガス工事を行う腕のいい中国人が数人、倉庫管理のチュニジア人、事務員には韓国と中国の女性事務員がいて韓国語、中国語のお客様に対応していました。

 先日終わった参議院選挙では外国人が日本に増えてきて、いろいろな問題が生じていると参政党は主張をしていました。しかし、外国人が日本中で一番多い百人町、大久住んでいていて、何か不都合を感じたことは一度もありませんでした。

 

新宿区は外国人が一番多い 

 新宿区新聞(今は新宿新聞)の最新号で、「国際色豊かな街に」として新宿区全体の外国人の国別比較、又百人町と大久保の外国人の世帯数と人口の表が出ていました。新宿区の外国人登録者の数は約35600人で東京都で第一位です。二位の江戸川区が約26000人ですからきわめて多いと言えます。足立区、江東区、港区が2万人以上です。全体として中国人が最も多く韓国朝鮮人が第二位となりますが、新宿区は、韓国朝鮮人が第1位、港区は欧米系の人たちが第1位です。豊島区は19400人ですが、中国人の数は一位の新宿区の数とほとんど同じの二位です。池袋駅の周りには、中国系のお店が多く、ミニ中華街のところがあります。これらの資料は都や区のホームページの人口統計を開けば出てきます。興味のある方はご覧ください。

 

2017年1月 追記

 

 新宿区に住民登録している外国人の数の比較で、韓国・朝鮮人が最も多かったのは、2011年の(平成23年)の14515人でした。中国人が韓国・朝鮮人よりも多くなったのは2012年(平成24年)のことで、それ以後はずっと中国人が一番です。

 

2016年12月1日の外国人数の比較では

 

中国 15258人 韓国・朝鮮 10266人 ベトナム 3587人  

 

ネパール 3407人 ミャンマー 1042人アメリカ 1040人  

 

フランス  837人 タイ 767人 フィリピン 710人 ・・・

 

2017年11月1日

 

中国 13953人 韓国 10134人 ネパール 3659人

 

ベトナム 3604人 ミャンマー 2208人 台湾 1936人

 

アメリカ 1046人 フランス 828人 フィリピン 782人

 

タイ 744人、英国 377人 スリランカ 261人

 

バングラデシュ 253人 インド 248人 カナダ208人・・・ 

   朝鮮 131人 

 

(ミャンマー倍増 中国、韓国が分離する。アメリカの数は誤りで修正しました )

 

合計 132国 男22357人 女20709人  合計43066人

 

新宿区の国別人口

 

 新宿区の2010年8月現在の国別人口は、韓国、朝鮮系が14524人、中国11947人、ミャンマー1242人、フランス、1048人アメリカ876人、ネパール869人、フィリピン855人、タイ688人,イギリス422人,カナダ,インド,バングラデシュと続きます。新宿区にはそのほか含めなんと118カ国の人々が住んでいます。以前多かったマレーシア人が急減し、ネパール人がインド人より多く急増しています。その結果ネパール料理の店が増えています。男女別では、中国、韓国、フィリピン、タイは女性が多く、歌舞伎町を中心に水商売ではたらいている人が多いのでしょう。他の国は男性が多いという状況です。フランス人は大久保地域にはほとんどいません。神楽坂地区に日仏会館やフランス料理の店などが多く、そちらに集中しています。

 

大久保と百人町の外国人

 

 新宿新聞には百人町と大久保の丁目ごとの世帯数と男女別人口合計人数の表が出ています。百人町全体で、外国人は3246世帯で3947人、大久保地域で4472世帯5442人です。大久保地域は特に韓国人が多く夫婦で住んでいる人も多いということです。百人町も大久保も圧倒的に1,2丁目が多く、そこだけで比較すると、大久保1,2丁目で総人口での比率は外国人が5133人で39%、百人町1,2丁目で36%となっています。そのほかに、観光ビザなどで定期的に来日して働いている人や、不法残留の人、親子で住んでいるが子どもが日本国籍をとっているなどの数が加わります。歌舞伎町などにつとめている女性で、日本人と結婚し、子どもが生まれた後、離婚するというケースが非常に多く、生まれた子供は日本国籍を持つようになります。日本国籍の子どもを持てば永住権がとりやすくなります。大久保1丁目は外国人2203人、日本人2522人ですが、今の勢いで行くと来年あたりには逆転すると思われます。外国人登録していない人も含めれば実質は日本人の3倍~4倍くらいはいると思います。それは以前私が百人町1丁目で国勢調査で3ブロック、300件を調査した結果でもそうでした

 

外国人の子供が多い大久保小学校

 

 大久保1丁目は歌舞伎町にもっとも近く、韓国料理店が密集し、外国人比率が、もっとも高いところです。その中にある大久保小学校は、外国人の子どものほうが多く、父兄へのお知らせも確か7ヶ国語のお知らせを作るとか聞きました。私の卒業した百人町二丁目の戸山小学校でも大久保小ほどではありませんがかなり外国人比率が多いのです。転居したばかりで、日本語がよくわからない子どもも多く、教える先生は大変だと思います。以前戸山中学校の中学生が、地域の会社や商店に3日ほど実習に来たのですが、中国から来た男の子は日本へ来たばかりで日本語が全く分からず大変困りました。

 

 前にも書いたように、私の所有しているビルの一つも、今年から、韓国スターグッズ店と、韓国料理のお店に貸しましたし、どんどん昔からのお店が韓国系のお店に変わっています。前から住んでいる人も、自分で商売をしないでみんな貸しビル業に変わってしまいました。外国から来た人たちと、もとからの日本人の連携はいま一つですが、うまく手を組んで大久保の街全体がさらに活性化するといいのですが。

 

追記 2015年5月

 

 このブログは2010年8月に書いたものです。このブログが急にアクセスが増えました。どこかのテレビの放送か新聞記事に大久保地域の外国人のことがのったのでしょうか。2010年ころ、この時期には大久保地域にはかなり、韓国・朝鮮系の人が多かったのです。しかしこのところ中国系の人が多くなりました。また新宿全体では三番目にベトナムの人(留学生)、ネパールの人、ミャンマーの人が増えています。

 

2015年5月1日現在 外国人の数 新宿全体32473人

 

2016年10月1日        2017年11月1日

 

(2016年10月新宿全体 40518人 1年と少しで8000人増加、

2017年には2548人増加)

 

百人町1丁目  1841人   1735人                                        

百人町2丁目  2024人   2166人                                         

百人町3丁目   376人   417人                                         

百人町4丁目   376人   399人

 

大久保1丁目  2035人   2332人                                  

大久保2丁目  3258人   3358人                                            

大久保3丁目   305人   517人

 

次いで多い地区は

 

北新宿1丁目 1697人   1846人                                            

北新宿3丁目 1682人   1789人                                           

北新宿4丁目 1283人   1575人

 

ここは百人町に隣接しています

 

高田馬場4丁目 1121人

 

1000人以上は以上です

 

国別人口  新宿区

              2015、5、1  12、1  2016,10,1

 

1位 中国   13710人  14184人  14645人                                      

2位 韓国/朝鮮 10463人 10205人  10246人                                            3位 ベトナム  2981人  3251人   3435人                                     

4位 ネパール  2512人  2831人  3305人                                      

5位 ミャンマー 1425人  1673人   1853人                                         6位 アメリカ   985人  936人   1020人                                          7位 フランス   748人  820人   820人                                      

8位 タイ     710人  707人   727人                                       

9位 フィリピン  678人   710人   767人                                        10位 イギリス  344人   372人   366人                                            11位 インド   228人         238人                                           12位 カナダ   192人         211人                                         13位 ドイツ   162人         171人                                       

14位 インドネシア 161人         194人                                       

15位 ロシア   156人         157人

 

スリランカ                    218人                                      

バングラデシュ                     202人

オーストラリア                    179人      

 

★ 2015年全部で117国の方が住んで居ます

 

◎2025年7月追記版(令和7年) 

 133か国50,016人の外国人が新宿に住んでいます。

 1 中  国    18、898人

 2 韓  国     9、116人

 3 ネパール     5,334人

 4 ミャンマー    3,314人

 5,ベトナム     2,669人

 6、台  湾      1,946人

 7、米  国      1,248人 

 8,フランス        797人

 9、フィリピン       712人

 10、バングラディシュ    658人

 11、 タイ         607人

 12,英  国        394人

 13、 インド         321人

 14,ウズベキスタン     292人

 15.インドネシア       278人

    ・・・

 133、北マケドニア 最下位   1人

 

地域別外国人  ランキング

  大久保2丁目    2705人

  百人町2丁目    1929人

  北新宿1丁目    1879人

  北新宿3丁目    1791人

  大久保1丁目    1527人

 

◎令和7年の新宿区の全人口   355,214人  

 

2016年10,1 123か国 40,518人の方が住んでいます。

 

スリランカ12位、バングラデシュ、14位、

 

オーストラリア16位と順位が変化しています。

 

2017年11月 132国、 43,066人の人が住んでいます。

 

 新宿区の全人口 342,723人 日本人 299657人 外国人 43066人(12,6%)

 

(このほか観光ビザで3か月ごとに来ている韓国の人などがたくさんいます)

2025年4月10日 (木)

神田川の満開の桜を3月30日と3月31日に見てきました。2025年4月9日に追記しました。

 2025年4月9日 神田川の早稲田地区の桜を見てきました。2022年3月31日に書いたブログに追記しました。

桜は満開を過ぎていましたがまだとてもきれいでした。

2025年4月のお花見の終点に神田川に沿った、椿山荘の隣にある細川公園の庭園を見てきました。桜はそんなに多くありませんが庭はとてもきれいです。

Kimg3692

奥に椿山荘の建物が見えます。神田川に花びらがたくさん落ちています。

Kimg3691

橋から川を眺めている、外国人観光客の人々。

Kimg3689

神田川の下流の方の桜は上流(新宿区内で)より桜が太い気がします。また川に中洲のようなものがあります。少しわかりにくいですが、下の方にシラサギが獲物を狙っているのが写っていました。

Kimg3685

上の写真のところです。

Kimg3684

 

2022年3月31日、神田川の川沿いに咲く満開の桜を3月30日と3月31日とに分けてみてきました。

神田川沿いの「水とみどりの散歩道」の看板がありました。青梅街道の西新宿の5丁目から西早稲田1丁目までの区間です。

この看板のあるところは高田馬場駅に近いところです。

Kimg0227

3月31日に行った神田川と妙正寺川の合流地点です。通りは明治通り。右側は都電荒川線が通っています。橋の向こう側は豊島区高田3丁目で手前は高田馬場2丁目です。

北新宿から高田馬場にかけての地図です 上方の青い色のところが神田川

Kimg0252

北新宿から西新宿の地図です。左側の赤い線のところが神田川。

Kimg0253

Kimg0232_20220331161701

上記の桜の隣の桜。見事に咲いています。

Kimg0233

神田通りの近くの明治通りにあった桜 。ピンク色の花は桜でしょうか

Kimg0234

Kimg0233

神田川には桜の花びらが浮いていました。手前には鳩の群れが。

Kimg0235

3月30日 神田川のやや上流部分を見てきました。

Kimg0229-2

Kimg0223

 

神田上水公園の表示があります。ここは北新宿4丁目です・

Kimg0206

満開の桜が見事です。

Kimg0228

神田川大久保通りから見た新宿副都心のビル

Kimg0224-2

2025年2月10日 (月)

2025年2月9日(日)の新大久保駅周辺の賑わい 大久保通りの百人町1丁目地区のみ ハンバーガーNEW YORK オープン

 百人町は山手線と中央線とで大きく3つの地域に分かれていて、町会もそれにおうじて、東町会、中央町会、西町会、その他とわかれています

百人町東町会の地区は山手線の内側の地区で、古くはロッテの工場があり(現在は住宅展示場)現在は韓国系のお店が立ち並んでいる地区です。ブログ筆者の会社も以前は東京ガスの委託店でしたが、今では貸しビル業とレンタルスペース業となっています。Satake BIL1階はコスメ店・リ・メイク(RE MAKE)で、3階はカフェでURI CAFE、4階はヨガ教室、5階はレンタル・スペース アズサとなっています。2階は以前は韓国のグッズ店でしたが、2025年 ハンバーグショップのNEW YORKに変わりました。

このビルから4軒先は、西大久保公園通りで大久保地区となります。

Kimg3623

2階部分 ハンガーバー NEW YORK 1月18日 オープン 座席80席 ハンバーガーの数により4種

 韓国風のハンバーガーとのこと。新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル2階

 食べログ得点 3,08

 ハンバーガーの数、1、~4で値段が変わってくる形・

 入り口がわかりにくいとのことです。

Kimg3624

新大久保駅のすぐ近くからセブンイレブンのところまで

Kimg3629

同じところを新大久保駅側より 写しました。

Kimg3632

 

この辺りの店頭で飲食物を売るお店が多く、店の周りは人が通れないような混雑となります。

Kimg3631-1

ここは大久保通りの大久保地区 ソウル市場

Kimg3628

 

ここは、大久保通りの大久保地区です。いわゆるイケメン通りの入口です。狭い道に人が密集しています。突き当りは職安通りです。この辺りでひどく込むのは新大久保駅からイケメン通りまでとイケメン通りの地区です。

Kimg3626

2025年1月 5日 (日)

新宿新聞元日号が送られてきました。18~19ページにコリアンタウン特集で、「人流が回復、店舗が増加、明治通りまで拡大」と書いています。

新宿新聞の元日号が送られてきました。全部で20ページの中で18,19ページに、「コリアンタウン特集」が載せられていました。1920年から始まる新コロナの蔓延で大久保の街の人通りも減っていましたが、2024年は完全に人の流れも回復しました。

◎ディスク容量が不足しているとのことで、残念ながら画像があげられませんでした。

 お店の入れ替わりの激しさが示されます。

Kimg3600-2

 

 

1,24年カフェ14店が出店、全59店に。

 

 1本の路地にカフェ6店も 24年はベーカリーカフェが増加

  23年は12店出店 24年は14店が出店。大久保通り医沿いのビル上階と

 脇道沿いの路面店が中心。新大久保駅被害側のカフェ59店に。大久保通り沿いでは

 BTSの公式ファンクラブARMYが手掛けたカフェ、Uri Cafeがオープンした。ここは5階の

 スタジオAS&SAとARMYの共同経営です。

 職安通り通りと大久保通りの脇道には、カフェー6店が点在、「カフェ通り」と呼ぶ人も。

 24年はパンを充実させたベーカリー・スイーツ・カフェも増加。新大久保駅に近い店の

 OKUDO〈大久堂)など。24年の韓国料理店は出店を閉店が上回った。前年を上回る12店。

 

2, フード・スイーツ店は39店

  メインエリアからタピオカ店消滅

  職安通りのアベベベーカリーは行列ができる人気店

      年末には新大久保にも進出

  24年には3店が消滅

 

3、賃料は高水準  イケメン通りは坪6万円 路地裏でも店舗転用が活発

  大久保通りの駅よりでは7~8万円

  西武新宿北口前の新築ビルは、売値10億強?

  裏道でも住宅の店舗転用が進む。

 

4,"推し活"関連店が拡大

  ワッペンワークは一気に6店 大久保通りの明治通り沿いに3店

  推し活グッズ専門店も 大久保通りの明治通り近くのお店 PIPPI

      客は10~20代の女性 ワッペンワークのアソボードも

 

5、老舗グッズ店が閉店 爆買い消え、品ぞろえにも苦慮

  老舗のオルチャンも閉店。新大久保で20年営業のお店

  ◎オルチャンはブログ筆者の佐竹ビルの2階のお店のところでした。

  代わりに”NEW York BuR Ger ”というお店が2025年1月にオープンしました。

 

6、コスメ 路地裏に新店 

  大型店 スキンガーデン 前年度を超えそうだがコロナ前には届かず

  売り上げ増もコロナ前には届かず

  減少は韓国コスメが日本で広まりオンラインで気軽に買えるようになった。

2024年12月19日 (木)

2024年末の新大久保から大久保駅周辺をみる。だいぶお店が変わっています。毎日新聞の記事。

Kimg3550

上図 新大久保駅前の交差点の様子

(大久保通りとツツジ通りの交差点)

 

Kimg3565-1

下図は地図の部分を拡大したもの

新大久保コリアンタウンとして韓国のお店が特に集中しているのは

新大久保駅から大久保通りの右側の方面でいわゆるイケメン通り

 ぐらいに集中しています。

新大久保のコリアンタウン周辺の写真2枚、新大久保の地図1枚、プルプルの感触を楽しめる猫プリンの「ナムチニ ハニーカフェ」1枚

都立戸山公園の写真1枚、箱根山の写真1枚、皆中神社の写真1枚。

Kimg3567

12月11日の毎日新聞 16面 プラットTokyo

はやりの韓国スイーツである、「猫プリン」が有名な「ナムチニハニーカフェ」のお店が出ています。

新大久保 若者つどうまち 近くに自然も

 

Kimg3549

GREEN NASCO

文化通りの燃えてしまったお店の再建してオープン

前はハラルフードのレストランと食材店が別べつにありました。

 

下図 右 円満や 熱帯魚 数少ない昔からのお店

 左 佐竹ビル

Kimg3551

 

下図 佐竹ビル 1階はコスメ、Re MAKE

2階は今新しいお店 改装中の NEW YORK BURGER 

Kimg3552

佐竹ビル 2階がオルチャンから NEW York Burgerへ改装中

 

Kimg3553

SATAKE Bidg〈佐竹ビル)百人町1-3-17

 3階 が BTSファンクラブ ARMY のCAFEである Uri Cafe 2024年9月10日 こういちの人間学ブログ

 5階がレンタルスタジオ As&As(アズサ)3周年記念 2024年3月29日 こういちの人間学ブログ

 4階がヨガ教室

 

Kimg3557

上図 盛好堂書店の後は、POP UP STORE (BEATY STORE)になりました。

どういうお店かよくわかりません。

 

Kimg3554

上図 ナムチニ 82 カフェ 、2階にあります。猫プリンが有名とか。

 上の新聞に猫プリンのことが載っています。

 

Kimg3561 

Kimg3560-1_20241219171301

上図2枚 ベトナム料理店 バインミー 高田の馬場店で買ったことがあります。

ビルのオーナーは筆者の親戚

 

Kimg3558

大久保通りの新大久保駅と大久保駅の中間ぐらいの位置にできた新しいビル

以前はここに床屋さんがありました。

 

下図 台湾の媽祖廟 道の両側にあります

Kimg3563

媽祖廟の隣にできた最近の施設

Kimg3564

大久保駅近くの宗教施設。すぐ近くに媽祖廟やキリスト教会があります。

 

◎少しの間にだいぶ変化しています。

 

2024年12月 6日 (金)

2001,2008,2017年の大久保エスニックの街と、韓国広場周辺の韓国レストランの減少を見る  追記更新版 2024年末。 

◎2024年12月ごろ  追記して更新します。
2017年以降の状況の追記 「人間学研究所年誌2021」
エッセイ「新コロナウイルス蔓延とその2年間のご報告』佐竹幸一 p32からp35
 2020年2月10日 「こういちの人間学ブログ」新型コロナウイルスの蔓延 まん延は政治次第」
 新型コロナの始まりは2019年11月22日、中国武漢の発病と言われます。
日本では2020年1月16日、国内初感染の報告がありました。
 2月5日 ダイヤモンド・プリンセス号 10人の感染 
 4月7日 緊急事態宣言 アベノマスク配布
 2023年5月3日 政府決定 新コロナに対する政策の見直し インフルエンザと同じ第5類に
 2024年4月 公費援助終了 
 新型コロナウイルスが蔓延しているときは。新大久保の街も一時衰退していましたが、感染が下火になってからは、また、にぎやかになってきました。変わってインフルエンザは流行へ
 又一時韓国のお店が少なくなり、ベトナム・ネパールのお店が増えたこともあります。今は再び、韓国のお店が増えています。表通りは店は新規開店が難しく,裏通りにお店ができてきました。新大久保駅近くの大久保に面した地価は急激に上昇しています。
 2024年での百人町東町会地区(新大久保駅山手線内側の百人町地区)でのお店の変化は、盛好堂書店が閉店となりました。
今では古くからの日本のお店は、熱帯魚販売の円満屋さんぐらいになってしまいました。
ブログ筆者のお店も、以前は円満やさんのお隣の東京ガスライフバル百人町でした。今では韓国の化粧品のお店です。
 詳しくは、以前の「こういちの人間学ブログ」でご覧ください。ここは追記します。
2001年(平成13年)と、2008年(平成20年)と2017(平成29年)においての、エスニックの街、韓国グッズ・レストランの変化を見て、大久保地域の街の変化を見てみたいと思います。

 

 「こういちの人間学ブログ」においては、2009年8月にブログを書き始めてから、カテゴリー「大久保の街」という名称で86ほどの記事を書いてきました。詳しくはカテゴリー「大久保の街」で検索してみてください。その概略の流れと元になる資料をご紹介します。

 

「マツコの知らない世界」の2018年11月放送では、大久保の町を紹介し、2011年(ピーク)、2014年(衰退)、2018年(第3次ブーム)としていました。

 

2001年ごろ

 

 2001年は多国籍の街ということで注目し始められた年です。このころは韓国料理の店が次第に増えてきましたが、韓国料理以外の店もあり、大久保=エスニック・多国籍の店と言われました。このころは新大久保駅周辺でも日本の店のほうが多かったのです。

 

 共住懇で作った「おいしい”まち”ガイド」の2001では、最初にエスニックということで、韓国料理だけでいろいろなエスニック料理店や物販店が3ページ半で80店ほど紹介されています。その中で韓国料理店は40店ほど、そのうち2017年現在も残っている店は半分に達しません。いかに入れ替わりが激しいかを示しています。

 

 2001年当時は、しかしそれ以上に、大久保通りだけで、4ページ半と多くの日本の店も紹介されています。

 

◎それ以前の新大久保は日本人経営の商店がずらっと並んでいました。

 

170917_085201

 

中に同封されている地図・エスニックマップ

 

 

170917_085401

 

2001年当時の 新大久保駅から明治通りにかけての大久保通りと職安通りのエスニック料理、グッズ店。

 

 

170917_085402

 

新大久保駅から大久保駅にかけての百人町1丁目と2丁目地区。このころには大久保通りとお滝橋通りの交差点には三和銀行がありホテル海洋もありました。新大久保駅のすぐ近くにハラルフードの店ができてきました。

 

 

170917_085502

 

2001年の新大久保駅から百人町地区のところまで。このころは日本の店も多かったのです。この地図に書いてあり、35店中、2017年にも残っている店は、サカエカメラ、内藤シューズ、山本米店、パリミキ、盛好堂書店、だけです。

 

2008年ごろ

 

 2008年には筆者が独自に大久保地域のエスニック料理店を全部自転車で回り地図上に記入していきました。このころには韓国料理店は一番多く、特に職安通りに集中していました韓国料理店高麗の裏の道には8店も軒を連ねすぐ近くの路地にも6店も韓国料理店ができました。。このころには新大久保駅の周辺の店はまだ日本人が経営する店は多かったのです。それで職安通りのほうに多くの店が集中しました。また新大久保駅の近くにはハラルフッドの店が多くなりはじめました。

 

 筆者のところも、東京ガスの委託店から、1,2,4階を韓国の店に貸すことになりました。新大久保駅から3分ほどで、いわゆるイケメン通りの手前の場所なので、テナントはすぐ決まりました。5階は自宅で、3階は株サタケの事務所と人間学研究所の事務所に残しました。

 

 

2008年8月1日に筆者が作った手書きの大久保エスニックの地図(大久保方面)

 

上部が大久保通りで、下部が職安通り.右が明治通り。

 

自転車ですべての道を回り調査しました。結果は人間学研究所の例会でも発表しました。

 

170917_085701

 

地図の左半分。百人町地区。新大久保駅と大久保駅に挟まれた地域

 

2011年には長く文房具店をやっていた柳やさんが、土地とビルを韓国系のところに売りました。周りに日本人が減り文房具の売り上げが激減してきたそうです。

 

170919_111501

 

手前の茶色のビルが、プラザ1、真ん中の白いビルが2、奥谷や低いビルがです。プラザ3には大画面のテレビがあります。

 

170919_111401

 

このビルはプラザ2 元114銀行のビルでした。

 

2012年12月にはしばらく空いていた三つのビル(K-プラザ1、2,3)が韓国系のビルとなりました。初めは3つのビルを取り壊して1つの大きなビルにする計画でした。ビルの一つは元114銀行の持ちビルで、1,2階が銀行でその上は社宅でした。

 

 
170917_085801

 

 2008年ごろは、この当時もっとも韓国の店でにぎやかだったころです。韓国系の店は大久保通りよりも職安通りのほうがにぎやかだった。韓国系スーパーマーケットの韓国広場(歌舞伎町)とその前面に密集してつくられた韓国レストラン。ここには高麗博物館が作られました。

 

 大久保通りから職安通りに抜ける、いわゆるイケメン通りのテナント料が高騰し脇道なのに坪4~5万円近くの店まで現れました。

 

 このころには脇道にも人があふれ、大久保通りから2件横道に入った第2サタケビルも行列ができる盛況でした。1階から3階は韓国グッズ店で、地下は宮(クン)というバーでした。

 

2013年から2014年ごろ、反韓デモで客数が激減

 

 2013年ごろから 2014年にかけては反韓デモが大久保通りに何回も通り、それに対してレイシストしばきたいが応酬し街は騒然となった。これにより客数は激減し、韓国の店のバブルが崩壊し、大久保通りの新大久保からイケメン通りの先の店や職安通りの店は撤退する店が多くなりました。今まではお客さんが多く、どんな店も流行っていたのが味とサービスの良い店だけが残りました。

 

 筆者のところでも第二佐竹ビルのテナントが、地下1階のバーも、1、2、3階のグッズ店も撤退しました。現在は地価のバーは入れ替わり、1階はソウルレコード、2,3階はコンゴのお店でしたがこれもやめました。

 

2013年末には百人町1丁目に第三サタケビルが完成、1階はカフェ、と中国のお店、2階は韓ホドンチキンが入り人気が高まりました。3階は日本人の事務所といろいろです。

 

 2014年10月には職安通りにできたかなり大きな複合店、Kプラスが閉店し、韓国系の店から中国人、台湾人などに向けた免税店に変わりました。

 

 テナント代が下がり、韓国系の店だけでなく、ベトナム、ネパールのお店が増えてきました。2016年にはネパールのレストランが25店も出来ましたが、さすがに急に店を増やしすぎ、やめる店が出始めました。ベトナムの店は順調に増えています。

 

2017年ごろ、多国籍化もあり客足回復

 

 大久保通りの日本人経営の店がなくなり、代わりにエスニック・韓国の店が増えてきました。

 

 職安通りの韓国広場の前で韓国レストラン高麗の横道に以前は8店の韓国レストランがありました。今はなんと2店になりました。大久保通りのイケメン面通り周辺からイケメン通りは混みますが、職安通りの人どうりは急速に減少しました。

 

 大久保通りでの嫌韓デモが禁止されてから、大久保への客足は急速に回復してきました。従来は韓国の店のお客は中高年の女性が多かったのですが、最近は圧倒的に若い女性が増えています。

 

 2016年には竹見ビルがビルを売却し、カプセルホテル、9アワーズができました。

 

 はやりの食べ物が、はじめは豚肉の脂身を焼いたサムギョプサル、それがチキンの店が多くなり、今はダッカルビが大人気です。どこかで初めて人気が出るとみんな始めます。

 

 前にも書きましたが、大久保の街は再び韓流の街から、多国籍の街に戻ってきました。多国籍の街のほうが私は歓迎します。大久保通りの人通りはだいぶ回復しました。

 

 新大久保駅は改装中ですがオリンピック前には完成します。駅前の混雑が早く解消してほしいものです。

 

職安通りの韓国広場周辺の韓国レストランの店のさびれ方

 

170919_105501_2

 

職安どうりのスーパー、韓国広場。こちらは歌舞伎町でこの店の周辺に韓国レストランがたくさんできました。

 

170917_085702

 

 上の地図で韓国のレストランが密集していたところ。左下にスーパー韓国広場。

 

170913_143501

 

ほとんどやめている中で、今も残るデハミング。
2018年11月14日追記「マツコの知らない世界」でこの店が、紹介されました。ブログを書くために、デハミングで検索したら、ほかにあまり出ていないで、このブログが出ていました。

 

170913_143701

 

今も残る宋家カムジャタン。宋家カムジャタンは他の場所に何店かできています。隣はデハミング。

 

170913_143601

 

韓国レストランの代わりに入った串カツ屋さん。左の店は韓国のチキンの店。

 

170913_143301

 

 

評判の良かった韓国レストラン、オザッキョの後はホテルになっていました。建物が汚れ、さびれた感じです。

 

 
170919_110301

 

職安通りからみたにぎやかな韓国レストランの店がたくさんあった道の入り口。2階は韓国レストラン高麗でしたが、改装中でまた営業するかは不明です。1階は韓国風?中華レストラン新宿飯店。

 

170919_105502

 

高麗の隣のビルには高麗博物館と文化センターアリランがあります。1階はコンビニに。

 

170919_110101

 

以前はここはK-plusという韓国スーパーなどの複合店でした。それが客数の減少から倒産し今は免税店となっています。

 

002_1

 

 

「こういちの人間学ブログ」 2014年10月8日

 

「韓流百貨店K-plus 閉店 最大の要因は貧富の差拡大と円安」
170919_105802

 

店の前には、中国系の観光客でしょうか、たくさんあつまっています。

 

170919_105801

 

この通りにもたくさん韓国レストランがありましたが今では1階は中国免税店。2階の水宝館など数店です。

 

 
「大久保コリアタウンの変化―大幅に変化 2017 新宿新聞の元日号から」

 

 

 

より以前の記事一覧

2026年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック