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人間と教育

2017年12月23日 (土)

柴田義松氏の教育的人間学。2017年12月人間学研で米寿のお祝い

柴田義松先生、寿のお祝い、を兼ねて忘年会 (2017年12月14日)

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前列左から3番目が柴田先生。

 このブログは2010年8月に書かれたものですが、追記して更新しました。

 本来は柴田先生は2018年11月に満88歳になられますが、ちょうど忘年会に兼ねて少し早めてお祝いを、と木村先生の提案で開催することになりました。

 場所は昨年と同じ居酒屋の文蔵で開催されました。参加者は少し少なく12名でした。ブログ筆者の住まいに近いところに設定していただきました。

 筆者が司会役でお話ししました。

最初に「柴田先生、米寿おめでとうございます」、「柴田義松先生と人間学研究所」

という資料を皆さんに配布しました。

1969年 女子栄養大学に人間科でき、柴田先生のもと小原秀雄氏、岩城正夫氏

1985年5月 人間学研究会できる 柴田、小原、岩城、佐竹ら、佐竹ビルにて

1991年4月 人間学研究会再発足 人間学研究所準備室 第2佐竹ビルにて

1993年5月 実用的人間学研究会

1999年4月 人間学研究所できる 所長柴田義松 現在に至る 人間学研究所通信NO1

2000年12月 「人間学研究所年誌」2000発行 初めて国会図書館NO1

2002年11月 総合人間学研究会 事務局は人間学研究所その後学会へ

2004年2月 新教育人間学部会 現在に至る、2017,11、例会137回

    3月 「道具と人間」シリーズ 3巻発行 明治図書

2017年12月 忘年会兼柴田先生米寿の祝い

・資料説明後、柴田先生からのお言葉、それぞれの方からの言葉。

みんなの寄せ書き、記念品贈呈ということで、お祝いの会としました。

◎柴田義松先生は人間学研究所ができてから、今年まで18年間一貫して所長を務めていただきました。研究会員の中には柴田先生に教えを受けた方も多く、人間学研究所においては重要な役割を果たされてきました。

 人間学研究所では研究活動のみならず、研修会終了後の飲み会、カラオケなど楽しいひと時をご一緒できました、千葉の白浜温泉に1泊旅行をしたのも思い出されます。柴田先生は足が弱くなられ研究所の3階まで上がるのが難しくなりました。それで、ブログ筆者の近くの歩いてこられるところに年3回ぐらいは開催したいと思っていますということを提案しました。ブログ筆者も助かります。

◎これ以後は2010年8月に書かれたブログです

 柴田義松氏は今年11月19日に80歳になられます。8月10日には著作集7巻を学文社からだされました。柴田義松氏は愛知県に生まれ、名古屋大学から東京大学大学院に進まれました。修士論文が、ウシンスキーの「教育的人間学」で、その後に取り組む、ヴィゴツキーとともに、柴田氏の理論の中核をなすものです。柴田氏は1960年に明治図書からウシンスキーの『教育人間学』に訳書を出されてから、国立国会図書館に登録されている本で現在208冊を数えるほど多くの本を出しておられます。

 柴田義松氏と佐竹幸一との出会いは、1969年に柴田義松氏が女子栄養大学に、教授としてまねかれ、その後小原秀雄氏や、岩城正夫氏とともに画期的な「人間学科」をつくられました。その後、佐竹もお会いしてお話する機会があり、しばらく休止していた、人間学研究会を再開しようということになり、1985年に第二次人間学研究会がスタートしました。その後は小原、岩城氏と共に、1991年の人間学研究所準備室、1999年の人間学研究所の設立に至りました。柴田義松氏は人間学研究所の設立から2010年の現在まで、ずっと所長をしていただいております。人間学研究所を母体にして、2002年には総合人間学研究会、さらには発展的に解消し総合人間学会になり、ずっと副会長を務めておられます。大学は東京大学の教授となられ、学科長も務められ、その後成蹊大学の教授もつとめられました。

 ロシアからソビエトに至る教育の紹介という点においては、第一人者で、多くのお弟子さんがいらっしゃいます。今度著作集の出版記念パーティーと80歳の誕生祝いがありますが、多くの方が参加されると思います。専門は教授学で、教育内容・教科内容と教材の区別を提起したことはその後の教授学研究に革新をもたらしました。長らく日本教育方法学会の会長も務めておられました。また、略して「教科研」というのでしょうか、現在も月一回、人間学研究所で、教科教育内容などのビデオなどを会員と一緒に見ながら研究を続けておられます。

 柴田義松氏とのお付き合いは、小原秀雄氏とのお付き合いほどは長くないとはいえ、もう30年ほどになります。まだまだとてもお元気でその活躍ぶりには本当に頭が下がります。1メートル80センチ以上の長身です。この年代の方ではきわめて長身だと言えましょう。また普段の会議などではあまり、発言をされないのですが、発言をされるときには、きわめて簡潔かつ的確なお話をされます。また講演をしていただく時には、きちんとした話でテープ起こしをするとそのまま原稿になってしまうようにきちんとしています。しかしいかにも大学者という雰囲気を漂わせていますがおよそ偉ぶるということは全くなく気さくにお付き合いをいただいております。人間学研究会の例会のあとの懇親会では、お好きな日本酒を飲むのを楽しみにしておられます。

 人間学研究所で出している、『人間学研究所年誌』や、『人間学研究所通信』(HUMANOLOGY)などの原稿も以前からきちんと、ワ-プロでつくっていただくので、大変助かります。携帯電話もすぐに使いこなして、おとしの割にと言っては大変失礼ですが、新しいものもどんどん積極的に取り組まれているのはすばらしいことだとおもいます。

 柴田氏は、ウシンスキーの『教育的人間学』を翻訳し、「教育的人間学」という言葉をもっともはやく提唱したのが、ウシンスキーであると紹介しました。『教育的人間学』は1960年に明治図書から翻訳が出され、2010年に学文社から新訳版が出されました。ウシンスキーについては改めて、ブログで紹介しますが、ずっと教育的人間学の立場で研究し、現在でも人間学研究所の主要部会が「教育人間学部会」になっているように、永年教育人間学を提唱されている柴田義松氏が、1999年に出版された『日本の教育人間学』皇 紀夫・矢野智司篇(玉川大学出版部)に勝田守一、森 昭、大田 堯、堀尾輝久、和田修二などという人がのっているにも関わらず、柴田氏の名前がないのは、おかしいなと感じています。

 

2016年7月15日 (金)

岩城正夫氏と岩明均氏父子,アメリカ化した教育に対し日本独自の道、鶴見俊輔氏

 岩城正夫先生から、岸田秀氏の本に関しての感想をブログを書いたことに関してのお礼のお手紙をいただきました。またそのお手紙に同封されて岩城正夫、岩明均父子に関する鶴見俊輔氏の新聞記事のコピーも参考資料として送っていただきました。、いろいろ有益な内容がありますので皆さんにご紹介します。
現代のことば  鶴見俊輔  父から子へ 2007年の京都新聞記事
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京都新聞2007年の記事の一部です  以下その全文です
 作家金達寿をしのぶ会で、初対面の人が近づいてきて、「私は岩明均の父」ですと、あいさつした。
 作家の父からあいさつされたことは、私の生涯に、それまでなかった。岩明均は、私が感心している漫画家であるが、これまでに会ったことがない。会おうと試みたことはあるが、会ってくれなかった。ただ感銘だけが残っている。
 その父親が、会ってからさらに10年近くたって、著書を送ってきた。
 岩城正夫著『セルフメイドの世界―私が歩んできた道』群羊社である。
◎参考資料
『セルフメイドの世界』については「こういちの人間学ブログ」をごらんください
「岩城先生から『鳴子こけし風ネコの木像』をいただきました、『セルフメイドの世界』について」   2015年12,30
 
 はじまりは、火を起こすことからで、私も、火は木の板を棒を摩擦して起こすということを、こどものころからころから本で知っていたが、この本は、これまで私が読んできた本と違って、失敗するというところからはじまる。
 原始人はどのように火を起こしたのか。痕跡から、その手続きをたどってゆく。
 この本を読み進むうちに、私は、なぜこの人の息子が『寄生獣』という、めずらしい本を書くに至ったかに、思い当たった。
 『寄生獣』の主人公新一は、突然に腕に宇宙からミミズのようなもの(ミギー)が入ってきて、わけのわからないままに、電気のコードで自分の腕を縛り、侵入を食い止める。教科書で習ったこともない、とっさの判断による戦いであり、共生の方法である。
 この漫画は私にとって目の覚めるほどおもしろい読書であり、85年生きてきた中で指折りの本である。
 こういう本が現れるまでの長い道のりが、父の著書『セルフメイドの世界』にはある。小学生のころ、国語の教科書で農政学者佐藤信淵(一七六九-一八五一)の何代にも渡る受け継ぎの話を読んだことがあるが、それを思い出した。
 原始人などといっても、現代のわれわれが考えるのは、あやふやな受け売りで、だいたいが自己教育のプログラムには入ってこない。だが岩城正夫―岩明均の場合、それは実現した。文明の手続きの中で、見失われる人間を見ることだ。
 もし私に余命があれば、父から息子への思想の流れを調べてみたい。             それは明治以後の教育史、敗戦以後アメリカ化した日本教育史の中で一つの逆の流れを作ることだろう。
 日本が政治と教育の領域にわたって米国の模倣に明け暮れているこの60年の中で,それはひとつの冒険への試みとなる。
 われらのUSA宗主国においては、1911年以来、ひとり生き残った先住民イシが白人社会に出てきたことから1つの動きが始まる。彼に対面した文化人類学者アルフレッド・クローバーから、まずその妻、さらに娘と二人の息子によって、米国とは違う考え方が、百年をかけて伝えられた。ことに、娘のル=グゥイン の書いた『ゲド戦記』は、米国で広く読まれ、日本語に訳され、映画になって同時代に影響を持っている。
 『セルフメイドの世界』から『寄生獣』への流れが、現代日本文化をつくりかえるひとつの力になることを望む。
          哲学者
 以上は同封されていた新聞の切り抜きをそのまま載せさせてもらいました。
 鶴見俊輔氏はハーバード大卒、母方の祖父は後藤新平。父の鶴見氏や弟妹も学者の一家です。日本にプラグマティズム導入し、「思想の科学」を発行しました。平和運動にもたづさわり、その後「べ平連」の設立、2004年に「九条の会の設立」などを設立しました。筆者もささやかながら、九条科学者の会に参加させてもらっています。
岩明 均氏について
 本名、岩城 均(ひとし)氏です。1960年7月生まれ、2016年の7月28日で56歳になります。和光大学は中退し、お父さんの最初の出版された火おこしの本の挿絵を描きます。確か新生出版の「原始技術史入門」1976年5月出版でしたでしょうか。今は人間学研究所に本が置いてあるので確認できません。人間学研究会ができたころ岩城先生も創立のメンバーでしたが、息子さんに自信を持たせるために、岩城先生が息子さん(岩明 均さんに)挿絵を描いてももらったんだっだと話していました。本の中に火おこしの方法やいろいろな火おこしの道具など多数の図版がありその技量に感心したものです。もうすでに均さんはその時から大変上手に挿絵を描いていました。そのあとも1985年に漫画家として自立できるまで暖かく見守っておられました。
 鶴見氏の文章でも取り上げられている「寄生獣」がものすごく大きな反響を呼びました。ブログ筆者もずっと「寄生獣」は読んでいました。結構残酷な描写があるのですが、それ以上にちょっと大げさですが哲学的に考えさせるところがあって、それが多くの人を引き付けているのでしょう。それ以後講談社の「月間アフタヌーン」を中心として、いろいろな漫画を発表していきました。ふつう有名な漫画となると多くのアシスタントを抱えるものですが、ほとんど1人で書いているようです。ですから作品数も少ないのです。ところで「寄生獣」は数多くの漫画賞を受賞し、2014年には映画化もされました。
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p142~ 新一の言葉―10巻から
生き物全体から見たら人間が毒で…寄生生物が薬ってわけかよ
誰が決める?人間と…それ以外の生命の目方をだれが決めてくれるんだ?
そうだ・・殺したくないんだよ!
殺したくないって思う心が…人間に残された最後の宝じゃないのか
p176
他の生き物を守るのは人間が滅びたくないから
人間の心には人間個人の満足があるだけなんだ
でもそれでいいしそれがすべてだと思う
人間の物差しを使って、人間を蔑んでみたって意味がない
p216 寄生生物ミギーのことば
道で出会って知り合いになった生き物がふと見ると死んでいた
そんな時なんで悲しくなるんだろう
そりゃ人間がそれだけヒマな動物どうぶつだからさ
だがなそれこそが人間の最大の取り柄なんだ
心に余裕のある生物 なんてすばらしい!!
寄生獣は紙で、(新装版全10巻と完全版全8巻)、電子書籍版全10巻とあります。なんと累計1500万部達成だそうです。 アフタヌーンKCDX,講談社刊
 2000年代からは歴史に題材をとった作品も多く出されるようになりました。「ヘウレーヌ」、や「七夕の国」、日本の武士を主人公とした「雪の峠」や「剣の舞」などもあります。最近では2003年からの「ヒストリエ」を連載中です。アレキサンダー大王の秘書官エウナネスを主人公としたものです。
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アフタヌーンKC 講談社 継続中です 9巻が2015年5月に出され、最新刊ですが1年半に1冊ぐらい新刊が出る感じです。10巻が待たれます。
 私が書いた後漢初期の歴史小説『人相食む』も出版もしていないのですが、岩明均さんに描いてもらえたらなー、なんて夢想したこともあります。
 いずれにしても、誰でもが描けないような豊な発想・構想力のもとで、マンガをつくりだすには、単に真似事の積み重ねの秀才タイプには不可能なことです。これは、失敗しても失敗しても努力の積み重ねで、新しい発見を見出していかれるお父さんの岩城先生と共通性が見られところです。鶴見俊輔氏はさすがにそういうところを見出しておられます。
 ところで鶴見俊輔氏は残念ながら、2015年7月に93歳でお亡くなりになりました。
岩城正夫氏について
 1930年生まれ、東京教育大を卒業されました。ブログ筆者の大学の先輩となります。大学卒業後、教師やいろいろな職業につかれたそうです。科学史学会の事務局員もやったことがあり、科学史学会の役員もされました。教育学の柴田義松氏(現人間学研究所長)が女子栄養大学の教授になられた後、1969年動物学の小原秀雄氏と原始技術史の岩城正夫氏を招へいし、同じユニークな「人間学」のカリキュラムに組み込みました。
 1982年、小原氏と岩城氏により「人間どう見るか」シリーズ3巻出版(群羊社)、1985年1月から小原、柴田、岩城氏により「人間人にとって教育とは何か」シリーズ、群羊社などが出版されました。
 1985年5月第2次人間学研究会発足しました。小原、柴田、岩城氏と筆者の佐竹が中心メンバーです。それが中断後、1991年4月第2サタケビルが完成しその1室に人間学研究所準備室が作られ、第3次人間学研究会が発足しました。その後1993年岩城氏の提案により人間サロンを開始しました。さらに1999年人間学研究所、2002年総合人間学研究会の設立に岩城先生は常に重要な役割を果たされました。小原、柴田先生は御大ですが実質的に支えらえたのはいつも岩城先生です。
 岩城先生は実験考古学の新しい分野を開発されました。一番最初に取り組まれたのは「火おこし」の技術です。大変な失敗の連続の中から、簡単に火が付く方法を見つけ出されました。現在は「古代発火法検定協会」が作られ、その理事長を務められています。岩城先生は本当にいろいろなものにチャレンジされてきました。人間学研究会の例会でもいろいろ実演して見せていただきました。石器の再現、パン焼き器、紙巻きたばこ機なども実演されました。全部足すとかなりの種類になります。古代の弩の再現にも取り組まれています。詳しくは「『セルフメイドの世界』-私が歩んできた道」発売 群羊社、2500年、1300円、をぜひご覧ください。和光大学でも大変人気がある講義で、学生のレポートを見るのが大変だとおっしゃっていました。
 その本にも書かれていますが、日本の学会に権威主義がはびこり、実際はどうなのかということがおろそかになっていることです。またその権威もアメリカの権威が最大に偉いとなっており、英語で書いた欧米の科学誌に多く書いたものが最も評価されるという状態です。ユニークな取り組みはあまり評価しないような日本の学問の世界の状況です。
 岩城先生のお弟子さんの関根秀樹さんも、原始技術の実演と説明を何度も、人間学研究会から研究所へと現在までとお聞きしました。関根さんは和光大学で学生時代、古文書の解読などに取り組んでおられました。それが、岩城先生の講義を聞き、その魅力にいっぺんにとりつかれたそうです。そしてずいぶん前から人間学研究会をとおしていろいろな原始技術の実演とお話をお聞きしました。火おこしの技術は世界チャンピオンだそうです。岩城先生と関根さんの共著の論文「古代文献に見られる古代発火技術について」において、第2章の「古文献にみえる発火技術」で古代のいろいろな文献を出されているのは、関根さんの面目躍如というところです。現在伊勢神宮などで使われている「マイギリ式発火法」は比較的最近の発火法で、本来は「きりもみ式発火法」が古くからおこなわれていたということなどを明らかにしました。(この論文は、「セルフメイドの世界」に載っています)
 お酒はほとんど飲めないのに浦澄がおいしいお酒だと教えていただいて筆者は今でも好んで飲んでいます。関根さんのことは改めて書きたいと思います。
 
◎学会の状況ですが、日本の現在の総合人間学会などでも、ブログ筆者が書いた論文など、二回も頭から否定されるような状況がありました。岩城先生も総合人間学会には嫌なことがあり学会をやめたと言っておられます。筆者はマックス・シェーラーなどの哲学的人間学を批判しています。それが筆者の論文に現れています。しかし、初代会長は哲学的人間学の立場です。「私の本をよく読めば、こんな考え方になるはずがないのになー」といっていました。
 総合人間学会に入られた、筆者がこの先生はと思っている研究者のかたも次々にやめてしまっています。はじめは政治とは無関係でいようという初代、2代目会長の方針に反対された、バナールの『歴史における科学』を訳された鎮目恭夫先生などですが、他の方の名前は今はあげないでおきます。初代会長には柴田先生を強く推薦すべきだったと後悔しています。でも3代目の堀尾輝久会長には期待しております。
 最近のブログにも書きましたが、岩城先生から鳴子こけし風のネコやお地蔵さまをいただきました。今度は観音様に取り組まれるようです。細かい手の作業は脳の働きを活性化させます。岩城先生がいくつになられても積極的に物事に取り組まれるのは本当に頭が下がります。いつまでもお元気なのもそういう積極性だと思います。私もそうありたいものと思っています。
 岩城先生は86歳です。でもいつまでもお元気なのは、驚きです。 以前、階段を上がるのに2段ずつ上がるようにしているとお聞きしていました。いつまでそのように上がっておられたのか今も上がっておられるかはわかりません。頭をいつまでも若々しく働かしておられるのと、体を常にうまく動かしていくのは若々しさの必須事項です。食べ物も気を付けられているのではないかと思います。このさき、おそらくは100歳を超えてもお元気でしょう。筆者もそうありたいなと思っておりますし、「実用的人間学」にとっても、「元気で長生き」というのは、極めて重要な課題です。
 ◎私事ですが、ブログ筆者も頑張らねばと思い、今まで電動車いすになってから、足の筋肉が衰えているように感じましたので、1週間前から、室内にいると時は、モーターのスイッチを切っています。普通の車いすよりだいぶ重いので、手足だけで動かすのは少し大変ですが、筋肉を鍛える意味で、手動にしています。来年あたりには杖で出歩けるようになりたいものです。
 
 

2013年9月21日 (土)

よみがえる教室ー「いのち」を、身をもって教えた先生(その1)

★ このブログは、2010年4月6日に書かれたブログです。このテレビの録画は大量ののビデオの箱に入りどこにあるかわからなくなりました。このビデオを貸してほしいというお話があったのですが。

 2013年9月に一部付加して更新いたしました。

「こういちの人間学」では、教育についての事柄が、とても大切にもかかわらず、あまり書かれていません。そこで、2004年3月、『人間学研究所通信(HUMANOLOGY)第23号』に書いた文章を、再び書くことにしました。これは当時のNHKスペシャル「よみがえる教室」で、放送された内容の報告です。だいぶ前に書いた内容ですが今でも通用する大切な話なので改めて書くことにしました。このテレビの内容は、ビデオに録画しておきました。ついでながら、いままでにビデオに録画したものが、人間学研究所に730本あり、宝の持ちぐされになっています。(初回放送は2004年2月28日です)

 1999年ごろ、茅ヶ崎市に各教室に壁がなくいつでも自由に見学できる学校が作られました。「茅ヶ崎市立浜之郷小学校」です。今まで、不登校や学級崩壊が多く、それを何とか克服しようということでつくられた学校でした。                                         その初代校長先生が大瀬敏昭氏でした。大瀬さんは、教師になって、面白い授業をしたつもりでも落ちこぼれがなくならないということから、知識をただ詰め込むのではなく、子どもの声にじっくり耳を傾ける教育こそが大切であると気づきました。そこで新しく生まれた浜之郷小学校の校長に志願しました。小学校では年間150回の公開授業を行う予定でしたが、校長の仕事が忙しくてとてもできないということでした。そこで校長権限で、授業3割、会議や雑務が5割であったのを、会議等を思い切って減らし、授業6割にしました。

 昔は、いいところに就職するために勉強しなさいということでしたが、子供は自分の父親を見て、ある程度の学歴があっても大したことがないという現実を実感しているのです。ですからそういう理由でいえば白けてしまいます。そうではなくて、人生も捨てたものじゃないんだ。生きる価値を大切にするために学問をするんだということ。それを知ってもらうことが大切であるという立場で、授業することにしたのです。

 教師はお互いの先生の授業を見て、お互いに批判し討論します。まだ先生になって2年目の若い松永先生は、社会の授業で、「ふるさとの茅ヶ崎の海のすばらしさ」というテーマに取り組みました。はじめ子どもたちは宣伝のチラシなどを見て、ありきたりの決まったようなことを言っていました。その中で、ある男の子が、「茅ヶ崎の海は汚いよ、でもがんばってっています」と書いたことによって、みんな自分たちの目で見た汚い海の現実をいろいろ言うようになりました。しかし、松永先生はそれを、脱線したと考えて子どもに注意し、教室の雰囲気をもとに戻してしまいました。

 授業の後の教師の懇談会でそのことに関して参観したほかの教師から批判が出されました。子どもが本当に見ている現実を否定して、聞きかじりの情報で勝負するようになってしまう。何事も枠に入れてしまおうとすれば、ついてこない子がほとんどになってしまう。子どもたちが何を言いたいのか本当にわかろうとしてあげないと、子供に安心は生まれない。また学んだという革新や変わったという自信は生まれない。どんな意見でも認めてあげることが大切であると。                                           その後、松永先生は手厳しい批判を受け涙ぐんでしまいました。そうやって、一人一人の先生も成長していったというのです。

 文部科学省では、命の大切さをうったえ、引きこもりや落ちこぼれをなくそうということを主張して、「子どもの命をはぐくむ教育」といっています。しかしながら現実的にはこの小学校のような取り組みはきわめて少ないのです、従来は、新学校に教師に参観が多かったのですが、それがこの小学校では年二回行われる公開授業には、1200人の教師が詰めかけるといいます。うまい授業をするのではなくて、自信と安心を与える授業が注目されるようになってきたのです。

 すでにこの小学校では年間150日もの公開授業が開かれ、全国から2万人の教師が訪れているといいます。(2004年当時です)

★ 以前のブログでは浜の郷小学校としていましたが、正しくは浜之郷小学校でした。

訂正させていただきました。

その2に続きます、授業の内容ですぜひお読みください

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post-5b76.html

追記: 2016年5月24日

 この日、急にこの記事のアクセスが増えました。再放送をどこかでしたのかなと思いましたが、見つかりませんでした。

 その2、は大瀬校長のがんに侵された自分の体の状態を、授業に取り入れます。ぜひお読みください。

よみがえる教室ー「いのち」を、身をもって教えた先生 更新版(その2)

その1、その2と分ける必要が全くなかったのですが、分離して申し訳ありませんでした。

(その1)からの続きです

大瀬校長のお話し

 道徳の時間で「家族について考える」というのがテーマでした。江戸時代の浅間山の火山噴火のとき、ほとんどの村人が火砕流で死にました。わずか93人の村人が生き残った時、幕府の命令でそれぞれ死に分かれた親と子を家族にしたという話を題材にしました。「他人と家族になったら幸せだろうか」というテーマでした。授業が行われたとき、担当の先生は現実に片親しかいない子供が何人かいる中で思うように授業が続けられなくなりました。その場は参観した校長先生の手助けがあり、子供たちの意見もさまざまにだされて、うまく授業は進みました。しかし反省会で、かんじんの問いをためらうことにより、子どもたちの心の奥まで入っていこうとしなかったこと。自信のなさが子どもに伝わってしまうのではないかと批判されました。先生は子どもたちに心から申し訳なかったと、心から反省しました。このような教師の取り組みの積み重ねで、子どもの生き生きした意見をうまく引き出すことができるようになっていきました。

校長に末期の胃がんが見つかる

 ところが、昨年(当時)校長先生に胃がんが見つかりました。胃を全部とりましたが、末期のガンで三カ月、もって六か月の命と宣告されたのです。その時三つの選択肢がありました。治療に専念する。家族と残りの生を過ごす。学校の改革を全うする、の三つです。        校長の大瀬先生は最後を選びました。栄養のとれない先生は、点滴薬を袋に入れて、持ち歩くことにしました。土日はひたすら休んで体力を温存します。校長みずから「いのち」というテーマで授業を行うことになりました。先生は命の大切さを、生きたくても生きられない、日々衰えていく自分の身体をさらして、子供たちに訴えることにしたのです。

いのちと死についての話し

  授業は年老いたアナグマがいろいろな知恵を仲間に残して死んでいったという絵本を教材にしたものでした。アナグマは死んでいったけれど、「いのち」としてつながっていたのではないかと先生は訴えます。「いのち」は家族や友達につながっていくのではないかと、子どもたちも次々にこたえていきました。授業のあとで、校長先生は、死ぬということを今の子どもたちは見ることができなくなってしまった。自分の弱っていく姿を見せよう。しかし先生は言います。伝えようというのは正直に言うと恐怖の裏がえしです。恐怖のためで、かっこいいことではないと。先生はいいます。死を意識して初めてどういきるかということを本当に考えるものだ。でもあまりの熱、痛みの苦しみの中で、自殺したいと思ったこともあるし、寝ていてそのまま朝起きなかったらどんなに楽だろうかとおもっている、と。

 今自分は何のために生きているのだろうか、生きてなんになるのかと、問いかける子どもは多い。その中で、自分は死の恐れを率直に話すこと、小学校のときに命のかぎり精一杯がんばって生きていた先生がいたことを、伝えることが大切であるということを三学期で話そう。そして来年三学期には死とホスピスの話をしようということになりました。

 12月24日の終業式に、校長先生は一人一人に三学期にお会いしましょう、と声をかけました。しかしその2日後容態が一変してなくなってしまいました。枕元にはいのちの授業の資料が置かれていました。57歳でした。三学期の始業式には、先生の遺影が飾られる中、子どもたちは涙ながらに、先生にお別れをつげます。子どもたちにはいのちの大切さを身をもって教えてくれた、校長先生を一生忘れないでしょう。何のために生きるのかを考えるより、自分が今生きていること自体に大きな意味を見つけることでしょう。不登校も授業崩壊もないこのような学校が増えて、子どもたちが自分の生きることに確信を持てるようになることを、心より願っています。

「よみがえる教室」のその1をご覧ください。

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post-6624.html

2013年8月18日 (日)

ももクロの戦争歴史認識と韓国に対しての見かた 歴史教育に問題が 日経春秋

 2013年8月18日の日経新聞朝刊の「春秋」(朝日の天声人語のような位置づけ)の記事が大変興味深かったので、ご紹介します。また、少し調べてみますと、いろいろな問題点もあるように感じました。

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 筆者は、最近は紅白歌合戦は見ず、またアイドルグループにも、疎いために、「ももいろクローバーZ」(略してももクロ)というグループを知りませんでした。上の記事を読んでいただければわかると思いますが。古市氏が17歳から20歳の少女たちが先の戦争については、どのような認識を持っているかを調査した結果について書いてあります。その結果は、あっと驚くような結果であったと、『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)を書いた古市憲寿氏は述べています。

 早速、インターネットで検索してみました。「ももいろクローバーZ」は 2008年5月に結成され、路上ライブなどで苦労し、メンバーが一人途中でぬけるなどなかなか大変だったようです。しだいにん気が出てきて、2012年の紅白に出てさらに評判になりました。学生が中心なので活動は土日が主になっているそうです。また古市憲寿氏は東大大学院の博士課程を経て、現在は慶応大学のSFC研究所の上席研究員で、1985年生まれのまだ28歳の若い学者であることがわかりました。

 ももクロのメンバーへの、戦争に対しての質問では、戦った相手は上の新聞にある通り韓国というものや、終戦を迎えたのはいつ?というのに対して有安さん18歳は1038年11月、高城さん20歳は1975年か1973年と答え、戦争の時日本との同盟関係にあったのはどの国かという問いに対して、百田19、高城20、佐々木17はアメリカと答え、百田はアメリカと仲良かったんじゃ?ご飯くれるイメージ、と答えていたとのことです。えっ、本当?と確かに驚くべきことです。

 それに対して「春秋」では学校の歴史の授業に問題があるといっています。学校での歴史の勉強は、縄文弥生は詳しく、中世から急ぎ始め、現代史はプリントを配り終了。そういう授業を小中高と繰り返すと。ももクロのメンバーも縄文弥生時代は詳しかったといいます。確かにそういう傾向があるのでしょう。だいたい、試験問題にあまり現代史はでてこないのです。また歴史認識をめぐって論争中のことも多く、先生もさける傾向があるのかもしれません。今の政府も現代史はあまり詳しく教えてもらいたくないのでしょう。歴史も暗記中心で年号を記憶したりすることが中心になれば、多くの人が歴史にも興味を失ってしまいます。一方、暦女とよばれる人たちは、新撰組などの幕末のことや、戦国時代の武将などに興味を持っているようですが。

 この記事には書いていませんが、彼女らは憲法改正には興味を持っているとのことです。しかし戦争は一様に絶対にしたくないといっています。新聞にある通り祖父の戦争の話しを聞いているということもあります。そして現在の日韓関係については「韓国の言い分についてもよく知りたい」といっています。至極もっともなことではないでしょうか。

 ももクロの川上マネージャーは「彼女らは反日でも親韓でもありません」と釈明しています。それに対して、様々な2チャンネルなどで、彼女らは反日アイドルだと、攻撃しています。彼らの主張は新大久保でヘイトスピーチを繰り返す人たちと同じです。ついでながら隔週で行われていた新大久保の嫌韓デモは、8人の逮捕者を出してから、公安委員会が大久保通りデモの通過を許可しなくなってから、なくなりました。

 

2011年12月15日 (木)

教育に関しての名言 研究会例会から その1ウシンスキー追記版

 2010年9月16日(木)に第26回の実用的人間学研究会の例会があり、そこで佐竹幸一が講師となって「役にたつ、格言、名言」というテーマでお話をしました。そのために18ページの資料を作ったのですが、そちらの方に精力をとられ、ブログを書くのがおろそかになってしまいました。私は、学生時代に哲学的な問題に興味を持ち、自分のノートに、思ったことを書き連ねた「思索」というノートを書きました。それは大学ノートで23冊になりました。また一方で、いろいろな本を読みあさり、これはという文章をノートに書いて行きました。それは、「名言集」という名前を付け8冊ほどになりました。名言格言のような短いものではなく時には3ページに及ぶものもありました。これは大変良い勉強になりました。

 例会ではそのノートから少しと、『ギフト』というNHKの英語のーE名言の世界ーや宮城谷昌光の『歴史の活力』、河合隼雄の『こころの処方箋』なども参考に付け加えました。今後いくつか紹介しますが、今回はあまり私が取り上げていない教育に関する言葉を紹介してみようと思います。

 人間を教育するということは―その人間のあすの喜びが、目指している未来の方向を、その人間に則して育成することである。この仕事は要するに新しい展望をつくることであり、すでにある展望を利用し、次第に価値のあるものに置き換えて行くことである。おいしい食事から始めてもいいし、サーカスに連れていくことから始めてもいいし、池の掃除から始めてもいいが、しかしどんな場合でも常に生活に目覚めさせ、集団全体の展望を次第に押しひろげ、それを国全体の展望にまで達せしめるようにすることが必要である。

                      マカーレンコ 「教育叙事詩」

 教育に血が通わなくなったことは前にも述べたが、金のないものできないものにとっては、今の学校ほどみじめな思いをする所はない。テストができなければ、進学ができなければ価値のない人間にされてしまう。他人に親切であろうが、どんなに仕事をしようが、誠実であろうが、協調性に富んでいようが何の意味をなさない。                        教習所のような学校が、どんな人つくりをしつつあるのか。子どもが一番よく知っている。~テストのためだけの学校だったら、テレビクイズのずばり当てましょう式に商品で釣りながら百科事典で学ばせた方がもっと効率的であろう。

                  近藤廉治他「あなたはどこまで正常か」

 もし子どもを悪党にしようと思ったら、おさない時から、彼がありとあらゆる道徳的格言を繰り返すことになれるようにすればよい。こうすればこれらの格言葉もはや何らの影響も彼にもたらさないようになるであろう。

                  ウシンスキー 「教育的人間学」

 ウシンスキーの「教育的人間学」は、当人間学研究所の所長である柴田義松氏(東大名誉教授)が1967年に明治図書から出版し(世界教育学選集 1と2)、2010年1月に学文社から、再版された本です。ウシンスキーは革命前のロシアで教師をしていました。ウシンスキーは「教育的人間学」という言葉を始めて使い始めました。今ではかなりその言葉が流布されていますが、ウシンスキーが最初です。

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 ウシンスキー「教育的人間学」ではいいます

 教育学は、科学ではなく技術である。しかしあらゆる技術の中で最も広範で複雑な、もっとも高級の、もっとも必要な技術である。~教育技術をの発展を促進することは、それの基礎となる多様な人間学的知識を教師の間に普及することによってのみ一般に可能になる。

 われわれは教師に 人間の本性―その教育に従事するのだが―に関する全面的知識を得んがために、できる限りの努力をすることは要求しうるし、又要求しなければならない。

 教育者は、人間を、現実の人間におこるものを―人間のすべての弱点、人間のすべての偉大さ、その日常のあらゆる小さな要求からすべての精神的要求に至るまで―知るように努めねばならない。

 残念ながら現実には、このような観点から、人間についての人間学を学びながら、教育について学ぶようにはなってはいません。

追記: 『教育的人間学』新訳版 ウシンスキー 柴田義松訳                    2010年1月 2800円+税   学文社

 

 

2011年6月21日 (火)

日本の子供にみられる身体の異変 正木健雄氏の話から

このテーマのサブタイトルは「学級崩壊」子供の「新しい荒れ」はなぜ起こるのか?というものです。今から11年ほど前の1999年10月1日にその当時は、日本体育大学大学院教授(現在は名誉教授)の正木健雄氏に、人間学研究所の第4回実用的人間学部会でお話ししていただいた内容の要約です。人間学ニュース(HUMANOLOGY)に掲載されました。10年以上前のお話ですが、現在正木氏が指摘された状態は進みこそすれあまり改善されていないように思えます。そこで改めてご紹介します。

 当時は多数のスライドにもとづいてお話ししていただきました。

 1974年ころから、子供の体がおかしいと言われ始めた。視力の低下は有機リン系の殺虫剤とテレビからの電磁波、さらに、86年ころからのTVゲームによると言われている。不登校の増加と視力の低下は比例します。さらに転んでも手をつけず歯を折る、子供の時からの肩こり、アレルギーの増加、自律神経失調、姿勢不良、虫歯や歯並びの悪さなどが起きており、それは1995年ころから特に悪くなっている。

 アレルギーは1991年には30%だったものが97年には、50%の子供に出ている。黄色4号などの食品添加物が、アトピー性皮膚炎の、大きな原因になっている。この事態に、厚生省は懸命に対策を立てているが、文部科学省は対策を立てていない。

 男子の肥満傾向と女子の痩せも共に増加して、両極化している。体格は、よくなっているが体力は落ちている。運動能力では、特に背筋力が落ちている。このままでは、子育てや介護ができなくなってしまう。体力維持には、体育の授業は大切であるが105時間から90時間に減らされようとしている。

 今、自律神経失調を訴える子供は、70から80%に及んでいる。特に体温調節の力が落ちていることが著しい。朝起きた時には35,5度、給食の時には37,4度になる。一日にこれだけ変わってしまうのはまるで変温動物のようである。体温調節能力は、生まれてから、2~3週間の間に、寒さを体験することによって生ずるが、病院で常に25度に保たれていると、体温調節能力が発達しない。

 体温が低く、交感神経が十分に働いていないと、ぼんやりして、学校へ行こうという気分になれない。また昼間の運動量が少ないと、なかなか寝付かれない。それで、朝から頭がさえている子は10%しかいないということになってしまう。パブロフが、4つの神経系のタイプに分類した場合、興奮も抑制も弱い子供が増えている。ギャングエイジに思い切り外で遊んで、興奮を強めたり、それを抑えたりすることを経験できなかったことによる。

 この状態では、抑えのきかない子は先生の授業を5分しか聞けないことになる。そういう子がクラスに半分もいれば授業が成り立たないわけである。また、女の子はおませだが、男の子は体力はあっても子供っぽく抑えの利かない傾向がある。環境ホルモンの影響があるのかもしれない。

 朝1時間目に、体育の授業をすると、授業が成り立つようである。また宇都宮の幼稚園では、朝、先生も混ざってじゃれあったり、取っ組み合いをして遊んで良い成果を上げている。哺乳動物は皆でじゃれあって、遊んで成長する。今子供たちに一番欠けていることである。

 今病気とまではいかないが、何かおかしいという子供が80%もいる。現状はほおっておいて自然に育つという状態ではない。身体の全面発達のために、大人は守りはたらきかけてやることが大切である。

 最後に学校の荒れの問題を、単に教育問題にだけ限定してとりくむのではなく、総合的多面的に取り組む必要を感じました。と書いてあります。

 現在はどうなのでしょうか、若干体力は改善したという新聞記事はみたように感じます。基本的な問題はますます厳しいようにも感じます。さらには福島原発事故により、子供たちがばらばらに避難し、放射能により校庭や公園で遊べないという事態も生じています。少子化はますますひどくなっています。これこそ政治の力で何とかしなければいけないと思います。

2010年9月22日 (水)

教育に関しての名言 実用的人間学例会 「嘘をつくなという教育はよくない」その2

2010年9月16日の実用的人間学研究会例会にお話しした「役に立つ名言、格言」のうち、教育に関してのものの続きです。

 「うそをついてはいけない」という教育は良くないということを、ある時歴史家、羽仁五郎氏が私に語った。この言葉は前から私が思っていたことを、一挙に解決するひらめきのように私をうった。

 「うそをつくな」という教育では、結局善良な人が馬鹿を見るということになる。「うそをつくな」という道徳教育では、社会からうそをなくすことはできない。それのみかうそが横行するのみである。権力者は昔からうそをついてきた。人民には「うそをつくな」という教育をすれば、人民は「人はうそをつかないものだ」と思いこみ、どんなうそでも信じることになる。~「うそをつくな」という教育は支配者のみに都合のよい教育だ。

 これに対して、被支配者のための教育は「うそをみやぶれ」という教育だということになる。これは科学的精神とか合理的精神とか独立心とかいうものである。このような人々の間では人をだました方が損をし、相手にされないのでかえってうそが少なくなる。

 人間性をいじめる道徳などないほうがよい

                  武谷三男 「思想の科学」 S、29,11「読者への手紙」

 これも昔読んで本当にその通りだなと思った文章でした。しかし残念ながらうそを見破れという教育は今の日本では到底不可能でしょう。今の教育は残念ながら支配者のための教育ですから。新聞を比較して読ませてみて、いかに各新聞によって同じ記事が、いろいろに違って書かれているかを知らせるという教育は大切ですが、一部の教師が自主的に行っているだけです。

 徒手空拳という言葉がある。徒手空拳~、ついに天下を手中に収めることができた人は、伝説上の皇帝の舜と、漢の高祖・劉邦、それに明の朱元璋(洪武帝であり、日本では豊臣秀吉だけである。~

 さて秀吉は「人たらし」といわれるほど、人の心をつかむのがうまかった。朱元璋もやはりそうで、二人とも若いころの貧窮のうちに諸方を流浪したせいで、人情の機微を察することにたけていた。このことはかなり重要なことを示唆している。端的にいえば、いつもおとなしく部屋に閉じこもって勉強に集中してくれる子どもを喜ぶ父母のもとからは、決して多数の人の上に立てる人間は育たないということだ。そんな子どもは成長してから、機械は動かせても人は動かせない。~

 たとえば石川島播磨重工の社長になった田口連三は小学生に上がる前に父を失い、小学生の身でありながら一家の代表としてさまざま役割を果たした。~「底辺の人間のやることはほとんど経験してのちの営業に進んだ時その経験は大変役に立った。相手の気持ちをつかみ、こちらの誠意をぶつけて交渉するのは。青白いインテリの世界と違うからだ」と述べている。

                    宮城谷昌光 「歴史の活力」

 現実にはそれほどのすばらしいトップにはならなくても、親からお金を出してもらって高学歴になった青白きインテリの人間が、役所でも、会社でも高い役職に付くのが現実です。そういう人は、貧しい人たちの苦しみなどは、まったくわからない人たちです。今、親の所得格差が教育格差につながり、固定化しつつつあることは、大きな問題です。

2010年9月16日 (木)

子どもが問題を起こした時、親子関係にチャンス「心の処方箋」6

「100点以外はだめな時がある」

 河合隼雄の「心の処方箋」にはすばらしい言葉が多いのですが。親子関係や他の人間関係において、とても大切なことをここで示しています。いか原文を少し簡略化しながら書いてみます。

 会社でいろいろ困難な問題があって疲れきって家に帰ってみると、妻と子供が浮かぬ顔をしている。中学生の子どもが、仲間に誘われて、窃盗をして、母親が学校に呼び出されたという。こういうときが「100点以外の答えはだめ」というときである。こういうときに自分は会社で疲れきっているのだからいい加減にしてくれよと逃げたリ、いい加減に説教してみたり、少しぐらいおこってみたりしてもだめである。こういうときは80点でもだめだし、98点でもだめである。

 後から考えて「良かった」とおもうことは、多くの場合、マイナスの形をとってあらわれてくるものである。ピンチ即チャンスである。父親が100点の答えを出せば、それは親子が真に対話する絶好のチャンスである。こんなときに「疲れているし、うるさいことだ、なんとか早く済ませて」などと考えると、もうだめである。このとき、父親がどのようにするべきかという模範解答はない。しかし自分には今100点満点が要求されている。これしかない、という自覚があるかないかで、結果は大いに違ってくる。自分の持っているだけのものを、全力でぶつけてみるのだ。そこには初めて本当の対話が生まれる。家族の対話が必要などと言ってもいつでも、それほどいつもできるわけではない。ピンチ即チャンスを生かしてこそ可能である。そのようなことは仕事の上でもそうであると、河合氏はそう言っています。     しかし、ふだんは100点満点ではなくて、これぞというとき、時々でいいのであると。

 このことはとても大切なことです。私の例をみても父親とこども特に息子というものは、普段あまり話をしないものです。息子は、なんとなく父親が煙ったがったり、だらしなくてだめだな、なんて思っているものです。真剣に自分のことを考えているとはとてもおもえないのです。ところが上に書いたような問題がおきたときに父親が真剣に、全力で、どうしようかと考えまた実行してくれているということ、そこで初めて父の、愛を感じるものだと思います。一度父親が自分のことを考えていてくれるという信頼感があれば、次に何か問題に突き当たった時に、父親に相談しようとおもいますね。父親もこのようなことを心がけていれば、何か大きな問題が起きたときにうろたえたり、逃げたりしないで、よーしチャンス到来だ、と思うのとでは全然、対応が違います。それは他の人間関係にも言えることだと思います。

 よく、息子や娘が、ぐれたりしてどうしようもない時、母親が包丁をたたみに突き立てて、どうしようもないのなら、いっしょに死のうと迫る場面が映画などでもありますね。それをみて、自分を本当に心配してくれている真剣な母親の姿に、心をうたれ、改心するというのがよくあります。実際はそんなに、映画やドラマのようにはいかないのですが、でもそういう時こそ本当の親の愛が分かり、立ち直ることが多いのです。

 学校の先生もそうですね。みんなから、不良だと言われつまはじきにされているものも、先生が真剣に自分のことを思っていると実感した時に、急激に良い方に変わります。みんな好きでぐれたり悪くなっているのではなく、真に愛するもの信頼できるものがいなくて、本当はひどくさびしいのであり、もし本当に愛してくれる、理解してくれる人ができれば人は急激に良くなリます。

 あらためて、「100点満点以外はだめな時がある」とこの言葉を、記憶しておくとよいと思います。

2010年5月23日 (日)

日本の薬物問題 恐るべき海外での実態ー新教育人間学部会

自由の森学園の学校カウンセラーである西田隆男先生のお話をもとに書かせていただきました。西田先生は麻薬、薬物からの依存症からの厚生施設、ダルクの埼玉の理事長をしておられます。なお、西田氏は人間学研究所の研究員で、新教育人間学部会でお話ししていただいた内容をここに書かせていただきました。

2007年に文部科学省の児童生徒の薬物に対する意識調査がありました。小6、中3、高3の生徒についてです。結果は薬物は絶対に使うべきではないというのが約90%、使うかどうかは個人の問題というのは3~9%でした。薬物の生涯経験率は、大麻使用でUSAで40%、ドイツ25%、日本では0,96%です。ただし大麻以外のものも含めると26%です。薬物は絶対に使うべきではないという90%のこどもは、ほとんど問題ありません。問題はその他の人々です。

 ヨーロッパでは、大麻を食い止めるのはどうしようもないとあきらめ、エイズの感染防止などのために注射針を配り、闇の世界ではなく表の世界で売るという、ハームリダクションを90年代から行っています。日本ではまだ少ないが、大麻(マリファナ)は簡単に手に入る状態です。海外ではオランダなど「解禁」状態、それは安心神話の流布、ファッション感覚、栽培が容易などにより広がりつつあります。アジアではこの前中国で日本人の麻薬の運び人が死刑になったように厳罰化の傾向があります。中国はゴールデントライアングルや北朝鮮とつながっているために入ってきやすい状況にあるのです。

 オーストラリアの高校生の50%は大麻経験があり、カナダでも高い率となっている。カナダやオーストラリアに子どもを留学させるときにはそういう危険性にも留意する必要があります。ロシア、グルジア出身の相撲取りが、逮捕されたが、この地域ではごく普通に使われていたのです。日本でも覚醒剤(ヒロポン)は戦後の一時期まで薬局で売られていました。コカコーラも、禁止されるまで、成分を隠していてコカインがわずかながら入っていたといいます。

 2008年に不正薬物の押収は覚せい剤、大麻は811キログラム、MDMA(合成麻薬)約136万錠に及んでいます。世界では大麻8423トンが押収されています。最近の主な薬物事件では世田谷区で、月に600万から800万の売り上げが(08,09)麻布、白金、高輪地区で年間2億円の売り上げ、有名大学で大麻がはやっている。芸能界でののりピー事件、J ウオークの中村などのように広く広がっている。ビートルズも大麻をやっていたし、パンクロックなどにLSDなどがつきものになっている状態です。この近くの新大久保の裏の道でも以前は公然と麻薬の売人がいて、取引しているのを佐竹はみております。

 今大きな問題となっているのは、一つにはMDMAのような合成麻薬で、禁止されても、少し分子記号を変えて新しいものが次々に生み出されていることです。また、今一番問題なのは、精神科の医者などが出す、睡眠薬、抗うつ剤、抗不安薬、鎮痛剤などの過剰摂取の問題です。それらの過剰摂取をOD (オーバードーズ、処方箋過量摂取)と言います。一時歌舞伎町など、リタリンなど大量の薬品を出す精神科医がいて問題になりました。

 何のためにODするのか?という問いに対して「気分を変えたい」「死にたい」といい、ODに依存する人にとって薬とは、「(生きづらさの)のお守り」、「いつでも死ねるという安心感のために持っているといいます。アメリカでも従来型の薬物乱用から向精神薬などに移ってきた。せきどめシロップでも一本飲んでしまえば覚せい剤と同じような状況になるのです。

 薬物使用のプロセスは1、初回使用、興味本位での使用 2、機会使用:周囲からの誘い 3、習慣使用:生活に変化 4 乱用:社会的問題を起こす 5、依存症(アディクション):病気、コントロール不能という、プロセスをたどります。

 また今問題なのは、抗うつ薬のプロザックを処方するという、プロザック現象で、化粧品と同等の薬物という感覚でサプリメント式に「幸せになる薬」などとしてさまざまな薬物が入ってくることです。(プロザックは日本では認可されていないのでアメリカでの現象です)難しいのは、うつ病で自殺するよりは、依存症になっても、その薬を処方せざるをえない現実があるからです。日常的に、楽しいことが多い人は薬物に向かわない。また煙草を吸わない人も薬物に行く人は少ないそうです。

 日本の厳しい社会情勢の中で、うつ病や、生きづらさを感じて薬物に走る人が多くなっています。過食症、拒食症、リストカットなど、日本の子どもたちは生きづらさを感じている。そして人間関係も希薄になっているのです。青少年ではそれを克服する方法は人間関係が改善されると治ることが多いといいます。その対策について、いろいろな方法を考えて実行する必要があります。

また、教育により、1、発達段階に応じた縦断的アプローチ、2、教化による横断的アプローチ3、関係機関との連携によるコラボレーションが必要であると西田氏は言っています。しかし薬物についての厚生労働省や文部科学省のパンフレットなどはほとんど活用されていないようです。今後の課題としては、①、薬物を選択しない生き方を示す 2、二次予防教育の充実化 3、今増えている向精神薬依存の問題解決が早急になされる必要があります。 

追記 ;2013年10月の新教育人間学部会で西田先生にお話をしていただきました。

「脱法ハーブの現状と課題」ブログにその内容を書きました。

http://koitininngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/10/98.c3da.html

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