岩城正夫氏と岩明均氏父子,アメリカ化した教育に対し日本独自の道、鶴見俊輔氏 弟さんの岩城保氏は舞台照明で脚光 2025年2月 追記更新版
京都新聞2007年の記事の一部です 以下その全文です
9巻が2015年5月に出され、最新刊ですが1年半に1冊ぐらい新刊が出る感じです。10巻が待たれます。
ヒストリエ11は2019年7月発売されました
12は2024年6月21日に発売されました。
京都新聞2007年の記事の一部です 以下その全文です
ヒストリエ11は2019年7月発売されました
12は2024年6月21日に発売されました。
いま私は9月8日(日)に開催される、第3回人間学懇話会で、講師としてお話をするために準備をしています。テーマは「長生きのための、歯と唾液の健康法」です。唾液健康法については懇話会の前身の人間学研究所で何回もお話してきました。今回はその後のいろいろな知識も加えてお話をいたします。
私が訪問診療を受けているのは、2013年、旅先で脳出血をおこし、入院した大津の病院から病状が安定してから代々木病院に転院して、ということになります。それ以後月に2回、代々木病院に、そして月1回は代々木歯科さんの訪問診療を受けております。
現在、代々木病院の分院である大久保戸山診療所で訪問診療をしていただいているのは辛島先生と言います。とても親切ないい先生です。その先生が私が戸山高校の出身であるということを聞いて、訪問診療先に戸山高校の武藤先生がいらっしゃるというお話をお聞きして間もなく、武藤先生がつい最近の2024年7月7日に、99歳でお亡くなりになられたというお話を聞きました。武藤先生はおそらく戸山町あたりにずっとお住まいだったと思います。
武藤先生は、1925年、神戸にお生まれになりました。1947年東京帝国大学の数学科を卒業されました。そして当時の4中(現戸山高校)に赴任されました。そして1986年の定年まで戸山高校の数学の先生を続けられました。普通赴任先の学校は何回かかわるのですが、武藤先生は別格です。1959年から67年にはNHKの高校数学講座も担当されています。また、多くの著作も書かれています。また2016年8月27日には91歳で国会へのデモに参加されるなど活動を続けておられました。
私も武藤先生の数学の授業を受けましたが、試験問題がB4の横書きの紙に4問、地球の軌道の問題とか文章で答えを書き込むような問題でびっくりしたしたことがあります。武藤先生の数学の授業は、単に数学の問題を解くだけでなく、科学的なものの考え方を身に着けるのにとても重要でした。私の唯物論的な考え方の基礎にもなっています。とても物腰は柔らかく丁寧で素晴らしい先生でした。
他に、戸山高校では定年直前の”ガンマ”と呼ばれる先生がいらっしゃいました。きびしいので有名でした。ざわついた講堂に、ガンマが表れるといっぺんにシーンとなりました。授業では「エートはや(8)だよ」が口癖でした。定年まていました。じかなせために何かやさしさの方が目につきました。2年の担任の先生は英語の先生でしたが英語の副読本にジョージ・オーウエルの「アニマル・ファーム」を使いました。ソヴィエト社会を批判したものですが、同級生にはこんな本を使いやがってという人もいましたが、印象に残る授業でした。又書道の先生には書道の本当の字の書き方を習いました。また西洋史の若い先生には今も感動をうけていました。
戸山高校を出た後、東大などを目指す生徒を卒校生と呼びますが、私も現役で東大に入れる力はなく、私も卒校生となりました。戸山高校から東大に入る当時、浪人率は69,2%でした。1年目は東大しか受けませんでした。はじめから浪人するつもりでした。私の模擬試験の順位は100番から120番、模試の順位は全員の名前が順に張り出されます。卒校生の時には勉強一図で学力は上がり、英語の力などもつきました。しかし確実に東大に入れる自信はなく、家からは2浪はしないでくれということもあり、東京教育大学を受けることにしました。ここなら浪人する必要はなかったのです。(前年の大学入試をやってみましたが合格点が取れていました)しかし卒校生としての勉強がかなり何事にも自信をもって行動できる基礎になりました。
このころは特別な受験勉強をしなくとも戸山高校へ入れました。大久保中学校からは私の所属するクラスからは4人戸山高校へ入りました。東大に入った人はいませんでしたが、東京教育大に入った以外の3人は慶応大学に入りました。卒業前の大久保中の同級生では戸山高校から東大に入りのちに銀行の支店長となり、今でも人間学の勉強会で一緒の田中君がいます。私の大久保中学校、戸山高校の後輩の松丸正君はお米屋さんの息子でしたが、東大に入り、弁護士となりました。今年3月18日のブログにも載せました。私もガスやの息子だったのです。
大学では、本を読み漁り余裕ができました。関東生物科学生懇談会〈生懇)に入り、人間学分科会を作り、生懇の代表にもなりました。又小原秀雄氏とであいました。いご人間学研究会から、一方では総合人間学会の成立、一方では現在の人間学懇話会へなっていったのです。わが動物科のクラスの人々はお互いに良い刺激を与えあい、藤沢君と広瀬君は東大の大学院に入りました。一クラス下の動物科の浅島誠君は、発生学の権威でのノーベル賞の候補にもなっています。藤沢君は浅島君にいろいろと進学のお手伝いをしたそうです。
東京教育大学では1,2年の時の学長は朝永振一郎先生でした。先生の直接の講義のあと、素粒子論の入門の本を欲しい人は学長室に来るように言われました。3,4人が行きました。当時の学長室は戦前の恐ろしく古い理学部の建物の中にあり、学長室としてはとてもせまい部屋でした。後日、「人間って何ですか」の本を工作舎から出すとき、工作舎の代表取締役の方に朝永先生の話をしたら、とても喜んでおられました。
東京教育大学については『小説 私の東京教育大学』という本があります。私が東京教育大学を卒業した後、筑波移転反対闘争の経過を小説にしたものです。昔の東京教育大学はいい大学でし朝永先生先生のころは最盛期でした。東京教育大学と筑波大学は全く別の大学です。動物科の卒業生も筑波大には行っていません。後日大久保の地理などで筑波大の卒業生が私のことを、先輩と呼んでくれましたが、私はうれしいような微妙な気持ちです。
私は家業の東京ガス百人町店の専務となり、入社早々東京ガス部門を担当しました。しばらく後に第2サタケビルをつくり、その1室を人間学研究所のための1室としました、。人間学研究会、人間学研究所、そしてごく最近の人間学懇話会と、変わってゆきました。人間学関係の図書もたくさん集めましたが、その後人間学の部屋はなくなり、最近は自宅にわずかだけ置いています。
戸山高校についての本では、戸山高校の後輩で、1949年生まれの林望氏が書いた『帰らぬ日 遠い昔』があります。講談社 1992年発行。1500円、林望氏は悪名高い学校群制度の始まる直前の戸山高校生でした。まだ漢文の先生である「ダイシェン」など私も習った有名な先生がいました。その数年後、戸山高校と青山高校とが組まされ、東大を目指す人たちは灘や開成などの有名私立高校へ入るようになりました。
後日総合人間学会の前身の総合人間学研究会の後の懇親会では、林 望氏のお父さん(林雄二郎氏)が前にいて。林氏の本を読みましたよと、いろいろお話をしました。
2024年8月10日の昨日たまたま14,5年も長生きした金魚が1匹だけ残っていましたが、亡くなりました。猫も3匹以前長生きして生きていました。
桜美林大学19年4月の開校しました。大久保駅前に5階建てキャンパス
2、新宿区にどれだけ大学があるか調べてみました。
大隈重信によって設立された。慶応大学と並ぶ私学の代表
設置学部数 13 キャンパス数 4
理学部1部、理学部2部、工学部など学部数6
キャンパス数5
大学院に進むものも多い
設置学部 1
医学部と看護学部 2020年新校舎 キャンパス数 1
1887年創立 工学部建築学部、情報学部、先進工学部
国際文化交流学部 1つのみ
設置学部数1 キャンパス数 1
8学部を持つ キャンパス数 4
元は宝塚造形美術大学といいました。
学部数 2 キャンパス数 3
2018年開校 ビジネスマネジメント学群
新大久保、大久保、高田馬場3駅から
地域との結びつきを強める 元科学博物館の分館跡地に
設置学部数 7 キャンパス数 2
17、東京国際工科専門職大学
2020年4月開学
新宿区西新宿1-7-3 50Fコクーンタワー内
最近のAI、IoT、ロボット、ゲーム、CG などの発達と直結した大学
モード学園グループ(モード学園の中に3つ大学ができることになります)
18、国際ファッション専門職大学
2019年4月開学
新宿区西新宿1-7-3 50Fモード学園、コクーンタワー内
53年ぶりに国が作る新大学制度 職業と直結をめざす
学部数 1
近藤誠一学長 元文化庁長官
名古屋、大阪にもキャンパス
モード学園グループ
◎大学が基礎的な教養を高めた教養人ではなく、より早く企業の要請に沿った人材を養成することを目指すということ。
これでは4年制の専門学校という感じです。
ビジネススクール学科 大学院
・
26、サイバー大学 事務局
新宿区北山伏町1-11 ソフトバンク系の通信大学 株式会社大学
本店は福岡市 2007年開設
27、NICインターナショナルカレッジインジャパン
新宿区新宿5-9-16 ネバダ州立大学としてスタート
1年をここで学び、2,4年を海外の大学で
28、日本大学 大学院商学研究科新宿サテライトキャンパス
新宿区西新宿1-26-2
29、マギル大学
新宿区西新宿3丁目 西新宿8-4-2
カナダの名門公立大学 国際経営学修士
30、情報経営イノベーション専門職大学
新宿区百人町1-25-4
日本電子専門学校の付属大学という感じ 2020年4月開校
31,東京保健医療専門職大学
2020年4月開学 新宿区高田馬場2-16-6
32、人間総合科学大学 東京サテライト 〈新)
設置学部数 2 キャンパス数3
新宿区西早稲田3-18-4
33、ZEN大学 申請中
2022年4月22日(金)の人間学研究所の久しぶりの例会で、例会終了後、副所長の森岡修一氏から、西林克彦氏氏の書かれた「知ってるつもり 「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方ーという本の紹介をブログで紹介するように依頼されました。
◎1昨年の初めから大腸がんの3回の手術、その後の不眠症やいろいろの病気になり、最近少しマシになってきましたが、脳出血の後遺症の右マヒで左手でパソコンをうつスピードがさらに、落ちてなかなか文章を書くのが進みません。ご容赦ください。
「はじめに」から
光文社新書 2021年10月30日発行 820円+税
「わからない」を見つけるために「きっちりわからなくなる」には?
ロングセラー「分かったつもり」刊行から16年、今最も求められる「問題発見力」を身に着けるための方法を解説
「はじめに」
きっちりわからなくなることの重要性
「知ってるつもり」
大学生の会話 「講義で聞いたんだけど、ジャガイモは茎、サツマイモは根なんでしょう」、「そうそう」 と、それで終わってしまう
それだけで充分知っているつもりなのです。それから派生する周辺の知識群があることを知らない。「知ってるつもりなのです」
わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度わかってくることが必要なのです。
研究や学習が進むのはわからないことがわかってくることです。
わからない点自体がうまく見つけられないということが学習の途中や研究のスタートなどで実によく起こります。
本書は研究や学習を進めるために、わからない点を見つけ出す、わからないところを出すつくりだす方法についてたのべたものです。
裏表紙 西林克彦氏の経歴とカバーです
(オレンジ色のカバー部分です。この本の目指すところが書かれています。)
「問題解決学習」は、子どもたちが自分で問題を見つけてそれの解決を図るというものですから、子どもたちの学習意欲や活発な活動が保証されると見なされて、教育現場では多用されます。しかし、その領域に関する知識がかなりなければ、解決したい問題点など見つかるわけがありません。それに、こう考えたらどうだろうといった探索を導く仮説も、その領域の知識がかなりなければなりません。うまくいっていないのに、それでも「問題解決学習」をやらせて、「どうもうちの子どもたちは積極性がなくて・・・」なんていうのを聞くと、本末転倒だと思います。子どもたちの学習を見なければダメなのです。(本文より)
西林克彦氏の経歴です
西林克彦氏は1944年生まれ、東京工大から東大の大学院に進まれた、教育学者で、宮城教育大学の教授になられた方です。2005年の『わかったつもり』(光文社新書)は15万部のベストセラーに。ブログ筆者と同世代の方です。
カバー裏
本の内容
目 次
はじめに
「きっちりわからなくなる」ことの重要性
研究や学習が進むのはわからないことがわかってくるからです。~わからない点自体がうまく見つけられないということが、学習の途中や研究のスタートなどで実によく起こります。
「知ってるつもり」
われわれが「知ってるつもり」でいることもいくらもあります。~学生の会話~じゃがいもは茎でさつまいもは根 そうそう~それで、十分に知っているつもりなのです。~「知ってるつもりの知識は、孤立した他と関連しない知識ですから、そこから派生したり関係する周辺の知識群が存在するとは思っていません。そして彼らは「知ってるつもり」でいます。それ以上のことはないと感じているので、その話は終わって次にジャンプするのです。「知ってるつもり」の知識は、孤立した他と関連しない知識ですから、そこから疑問や推測を生み出すこともなく、わからなくならないので「知ってるつもり」でいられるのです。よく知らないので疑問を生じることがないから「知ってるつもり」でいられるのです。
~わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度分かってくることが大切です。
「知識システムを整備する」
知ってる知識のすぐそばでしか、きちんとした疑問や推測はできません。ですから、知識を使ってわからなくなる、わからなくするのです。
第1章「知ってるつもり」をなぜ問題にするのか
第1節「知ってるつもり」
「知ってるつもり」これがわれわれが持ってる知識の大部分のありようです。
われわれの知識は「知ってるつもり」であることが圧倒的に多く、日常の多くはそれで間に合っているというのは紛れもない事実です。
しかし、社会が「知ってるつもり」程度の知識で動いているわけではありません
飛行機雲
飛行機の向き 飛行機雲 横風の関係
なぜ「知ってるつもり」になりやすいか
点検・処理の甘さ
「知ってるつもり」への対処の難しさ
第2節「私たちはこんなマズイ知識の中で育っている」
教科書
日本の海岸線についての概略を述べたものから―たとえば空欄に記入させる問題を考えたとする
知識の周辺
テストで 出入りの少ない「砂浜海岸」(九十九里浜)そして 鳥取砂丘のように砂丘が発達しているところもありますや
三陸海岸、志摩半島、若狭半島などの「リアス式海岸」と「鳥取砂丘」を記入させ 対比する、という問題がある
しかしこのような知識はマズイ知識である
平野の海岸は砂浜
「 砂浜海岸」に対するのは「リアス式海岸」でなく、「岩石海岸」です
鳥取砂丘は特別か?。
日本に砂漠は存在しません 砂丘というものは、別に鳥取に限ったものではなく、
むしろ砂浜海岸があれば、砂丘や砂丘もどきがありま
海岸線がわかると何がわかるか
リアス式海岸と養殖の盛んさ
当該文章への疑問
教科書の記述 はじめなんの違和感がなかったのが 知った後では物足りなく
感じるでしょう
バラバラな事柄
事実の羅列 適用できない知識 広がりを持たない知識 このような教科書が多い
第3節「知識に関するいくつかの誤解」
知識と知恵
知識の質
それしか知らないと「知ってるつもり」になりやすい
考えたこともないという世界
◎消化器官は体の外ーという知識から この文章を下記に取り上げてみます。
(それしか知らないと「知ってるつもり」になりやすい)
第2章「共通性」と「個別特性」によるものごとのとらえ方
魚みたいなクジラ
第3章 孤立した知識への対応
第1節 繋がっていない知識
根・茎・葉からできている
本章では「知ってるつもり」の元凶ともいえる「孤立した知識」をどのようにすれば知識システムにできるのかについて考えま
す。
根、茎、葉からできている植物と 海藻の比較
根、茎、葉を持っていることは陸上に上がって光とリ競争をした歴史を持つ植物の特徴なのです
第4章 知識システムと教育
第5章 知識システム構築に関する留意点
第1節 驚きからのスタート
飛行機雲 知ってるつもりの例としての 驚きは知識システム構築の端緒となり得るものである
バス停の屋根 上りと下りの違い
共通性と個別特性
盆地と流出河川
第2節 知識のフル活用が「わからない」に繋がる
日食・月食
なぜ日食、月食は毎月起こらないか
規則的に起きている
わからないこと
第3節単純化と不整合
他の要因を一定に保つ
日本海側と太平洋側
夏における日本海側と太平洋側
緯度の影響
南三陸海岸の不整合
日本海側の温度と降水
◎この本の中にはいろいろと興味深い話が、例として挙げておられますが、その一つとして第1章 第3節、54ページからの文章を、書き出してみます。
「消化器官は体の外」、というお話を例として挙げてみます。
胃の内部や腸の内部は体の外側だというものです。口から消化器を通って肛門まで、ずっと管が通じているのはわかります。ですから、極端に単純化すれば、人間の身体は、真ん中がに穴が開いた円柱に手足が付いたようなものです。人間の消化器はドーナツにある穴のようなものです。ドーナツの穴がドーナツの内部とは言えないように、食物がとおっていく私たちの消化器は穴なのです。
消化器が外側であるという知識を持っていれば、食物を口に入れると、それでもう体内に取り込んだとは思えなくなるでしょう。歯で咀嚼し, 胃でこなし、生物で習った憶えきれないほどの種類の消化液をだして、食物をなんとか腸壁から内部に取り込めるような形にしようとしているのだと考えることができるようになるでしょう。
薬だって同様です。飲めばもう体内に取り込んでいると思いがちですが、、消化器内は体外なのですから,胃なり腸なりから吸収されなくてはなりません。だいたいにおいて薬の吸収は半分程度だと考えられているようです。
毒だってそうです。飲んだだけで吸収されなければ害は及ぼさないはずです。吸収されてわれわれの正常な働きを阻害するので毒性を表すわけです。われわれの体と運用のメカニズムを阻害するので毒になるわけで、毒性があるから毒というわけではないでしょう。人には有毒でも別のある動物には無害なこともあり得るわけです。
消化器官が体の外側だと知っていれば、食物や毒が吸収されていくメカニズムがどうなっているのかに興味を引かれるかもしれません。
サプリメントの広告 その成分が腸からどのように吸収され、どのようなメカニズムで患部にまで運ばれるか気になってしまいます。
◎この文章はほんの1部分のご紹介です。非常に幅広い例題が紹介されています。興味のある方は是非お読みになってください
人間学研究所の副所長の大妻女子大学名誉教授の森岡修一氏から『現代ロシアの教育改革』を送っていただきました。
大変優れた本なので、ごく簡単にですが、「こういちの人間学ブログ」で紹介させていただきます。
本の内容すべてについて書けないので、序章における岩﨑正吾氏の現代ロシアにおける新自由主義教育改革について、と「人間学研究所」に関連した森岡修一氏、白村直也氏、関 啓子氏の3氏の方がたが書かれたものを中心に簡単にご紹介させていただきます。
十分な時間をかけて本を読みこみ、ブログに書くべきでしょうが、能力不足と時間不足で表面をなぞるだけになってしまいました。興味がある方はぜひご自分で本を読んでいただきたいと思います。
裏面のカバーには、ロシア連邦の地図が載せられています
ロシア連邦には1億4680万人(世界9位)が住み、182の民族が暮らしている。ロシア人は77,7% 旧ソ連では2億8862万人。
『現代ロシアの教育改革』伝統と革新の<光>を求めて
ロシア・ソビエト教育研究会 1975年ころから国立教育研究所の川野辺敏先生の下に、ソビエト連邦の教育に関心を持つ大学院生や若手研究者が集まり研究会を開く。ソ連邦の解体後、ロシアだけでなく旧ソ連邦の新興国にも研究対象を広げる。
嶺井明子、岩﨑正吾,澤野由紀子、タスタンベコワ,クワニシ編著
(訂正 岩﨑氏のお名前を間違えていました。正吾氏が正しいお名前です、失礼いたしました.
さらに岩﨑氏が正しいお名前です。5月13日変更いたしました。)
東信堂 定価 3960円 (3600円+税)2021年4月3日初版 406ページ
はじめに
世界史的に最大の事件ないし変化は1991年末のソ連邦の解体であろう。~本書は「ロシア・ソヴィエト教育研究会」のメンバーを中心に、現在のロシアの教育をできるだけ、ソ連時代からの問題関心と交差させつつ、内容によってはソ連時代との比較を通して、これまでの各自の「最新」の研究成果に依拠して、ヴィヴィッドに描き出そうとして刊行されたものである。これが第1の特徴
現在のロシアの教育の現実をできるだけ多面的に描き出そうとした。これが第2の特徴である。
この書は半世紀にわたり月1回の研究会を続けてきた成果であり、日本学術振興会・科学研究費補助金の研究成果でもある。
ロシア・ソビエト教育研究会 岩﨑正吾、嶺井明子
序章 ロシアにおける新自由主義教育改革の諸相
岩﨑正吾(首都大学東京名誉教授)
はじめに
新生ロシア連邦の誕生(1991年末)から30年が経過、2020年7月1日憲法改正の国民投票で圧倒的な数で改正が決定された。今日までの教育改革を主要には「新自由主義教育改革」として特徴づけ、教育の制度、政策及び過程などの諸相から~考察したい。
◎この論文でソヴィエト連邦以後のロシアの教育の変化の概略が述べられている。
第1節 ロシアの新自由主義教育改革をとらえる視点
新自由主義とは一般的には、市場原理に基づき、国家による福祉や公共サービスを縮小して規制緩和や民営化による小さな政府を志向する思想である。この思想は、教育分野では経済のグローバル化に対応できる競争的人材の育成を目標とする。同時に、教育をサービス(商品)ととらえて売買の対象と(有償化)、公教育の削減をはかる。また、設置主体と学校の多様化を促進し、学校選択の自由を拡大するとともに、テストによる学校間、個人間競争を推進し、学校の統廃合を進め、その成果に応じて報酬を付与するといった形で現れる。p4
新自由主義教育改革がすべてではなく、ソ連時代の教育遺産や社会主義擁護派の広範な社会層の激しい抵抗があった。また教育の国家統制を目指す新保守主義などの右派同盟の動きもある。またプーチンは経済発展を市場のみにゆだねるのではなく、国家がビジネスを捕獲の対象とする国家主導型(国家資本主義)の方向へ転換がはかられている。そして愛国主義に基づく国民統合を目指している。新自由主義と新保守主義はコインの両面として相互に補完している。
第2節 新自由主義教育改革の開始ーソ連邦解体前後
(1)政治・経済のペレストロイカの後退
(2)教育のペレストロイカの意味
(3)社会主義の枠内での「部分的独立採算制」
(4)脱ペレストロイカから新自由主義教育路線への変容
(5)国際教育活動主体の介入
第3節 新自由主義教育改革の全面的展開-エリツィン時代
(1)政治・経済分野の動向
(2)旧連邦教育法の基本原則と教育制度の多元的構造への転換
(3)教育課程の多様化-国際教育スタンダードと教科書制度
(4)教育の再解釈-有償化政策の意味
第4節 新自由主義改革の「深化」と新保守主義の台頭-プーチン時代
(1)政治・経済分野の動向
(2)新自由主義教育改革の「深化」
(3)新行政組織の現状と変遷
(4)教育制度の現状と変化
(5)教育課程改革ー第2世代の連邦国家教育スタンダード
(6)教育の質の向上と新評価システムの構築
(7)現代版ピオネールの復活
おわりに
新生ロシア連邦の誕生前後から今日のプーチン時代における教育改革の軌跡と特徴を新自由主義という切り口から大まかに描いてみた。明らかになったことは、歴史的経過や国情が異なるとはいえ、ロシアや日本を含め世界の教育改革の動向が驚くほど酷似していることである。こうした動向をつくりだしているのは、IMF, World Bank、WTO,OECD、EU, USAID, UNESCO などの「国際教育活動活動主体」である。これらの組織も一枚岩ではない。
ロシアの新自由主義改革は、旧連邦教育法での「全人類的価値の優先」や「教育における自由と多元主義」が削除されており、保守派のヘゲモニーが強くなっている。プーチンの保守路線は、今回の憲法改正にも表れている。
新主義教育は自由多様な個性を持つすべての子どもたちの能力を十分に発達させ、社会の発展のために遺憾なく活用できるシステムなのかが改めて問われなければなるまい。 「教育への権利の保障」を専ら学校や個人の責任に転嫁するのではなく、その充実に向けた国家責任を明確にし、「教育の実質的自由」の拡大に向けて、人類がつくりだし、蓄積してきた全人類的価値としての教育・文化遺産を継承し創造的に発展させていくことではないだろうか。
第1章 教育改革の25年-政策、成果、展望
セルゲイ・コサレツキー(国立研究大学高等経済学院教授)
訳:遠藤 忠
現代ロシアの「教育市場」は西側諸国の市場とは顕著な違いを持っている。その本質的部分は「汚らわしい分泌物」であり、「闇」である。この市場の元素はすでにソヴィエトの末期において形作られていたことを認識しておかねばならない。
現在の教育的不平等 学校の格差問題 ソヴィエト期の教育 社会的公平性の保障政策との違い
社会的格差の拡大 人口の減少、農村部の無人化 巨大な変化がロシア社会の構造を揺さぶっている 社会的格差が拡大し、このことが学校間の格差拡大と教育的不平等の激化において決定的役割を果たしている。
第2章 新しい時代の教育ガバナンス
ーロシア連邦教育法に見る教育制度・教育行政
黒木 貴人(福山平成大学講師)
コラム1 家計にやさしい教育を
白村直也
ロシアでは学校で制服が使われているが,子どもの成長により変えなければならず、文房具も高額で家計に負担がかかっている
第Ⅱ部 多民族国家の国民統合の模索
第3章 シティズンシップ教育の軌跡と変容
嶺井明子(前筑波大教授)・
アンドレイ・スクヴォルチョフ(ウリヤノフスク教育大教授)
(訳:嶺井明子)
第4章 先住少数民族の法保障と教育権
岩崎正吾
第5章 多言語教育と政策の現状と課題
ー母語教育保障、国民統合とグローバル化対応の葛藤
クアニシ・タスタンベコワ(筑波大学准教授)
第6章 ロシアにおける宗教教育の導入と今後の課題
井上まどか、(清泉女子大学准教授)
木之下 健一(独立行政法人大学改革支援)
第7章 ロシアの音楽学校における伝統的民族音楽の再生
ートゥバ共和国クズル芸術学校を例に
山下正美(上智大学共同研究員・)
第Ⅲ部 現代ロシアの教職・教師像
第8章 教育改革と教師教育の変遷
聖心女子大学教授 澤野由紀子
◎(澤野由紀子氏は一時、人間学研究所のメンバーに所属されていたことがあります)
(資料)マニフェスト ニューマニスチティックな教育学:21世紀
マニフェスト執筆者一同(訳:澤野由紀子)
コラム2 ロシアの教師は尊敬されているか?
木之下健一
判断が2つに分かれる。ロシアの教育の質は普通か悪いとされがちだが教員の職務遂行は比較的高い評価
第9章 現代ロシアの教師像
澤野由紀子
コラム3 教職員の待遇は改善されているのか?
白村直也
ロシアでは近年最低生活費が最低賃金より高いことが問題となり、ワーキングプア給与増額の問題が非常に深刻な社会問題化している。とりわけソーシャルワーカー給与の低さが問題になっている。教職員の給与は総じて増額している。
コラム4 国際比較でみるロシアの教師の特色
木之下健一
第Ⅳ部 教育のグローバル化と国際標準化への対応
第10章 ボローニャ・プロセスと大学改革
松永裕二(西南学院大名誉教授)
コラム5 学生にボランティア活動は根付いていくのか?p245
白村直也
プーチン大統領は2018年を「ロシア連邦のボランティア年」とし、開催イベントの開催を指示した。大学入学の際ボランティア経験有無を重視する大学が増えてきた。しかしそれは不十分なものでも評価されてしまうずさんさがある。
第11章 高等教育改革と研究者養成
遠藤 忠(宇都宮共和大学教授)
第12章 インクルーシブ教育をめぐる諸相 p259~272
―すべての子どもに教育への平等なアクセスを
白村直也(岐阜大学特任准教授)
はじめに―障害者をめぐる連邦国家プログラム、
ソ連期、障害児と健常児は別学体制がとられていたが、現在インクルーシブ教育の名のもとに大きく変わろうとしている。ーすべての学習者に教育への平等なアクセスを保障するもの。~戦略的計画文書「連邦国家プログラム」で、「新しい生活の質QOL]や「革新的な経済発展と近代化」をはじめとする、5つのカテゴリーのもと、2020年をめざす。その一つ「バリアフリー2011年から2025年」というプログラムを取り上げる。このプログラムでは「アクセスビリティー」や「リハビリテーション」を促し、障害者を社会へと統合していくことが目指されている。
インクルーシブ教育とは,ロシア連邦法「教育について」-「特別な教育的なニーズの多様性と個々の可能性を考慮し、すべての学習者に教育への平等なアクセスを保障するもの」と規定される。~障害児の教育について焦点化されることが多い。ロシアでは現在、社会、経済はじめ広範囲にわたって多くの「連邦国家プログラムが進められている。(インクルーシブ教育とは障害のある子も、ない子も共に学ぶということ。2006年の国連総会で共生社会実現のために提起された)
ここでは障害者を対象とする「バリアフリー2011年から2025年」というプログラムを取り上げる。
第1節 教育制度と連邦国家教育スタンダード
ロシアの障害児 総数は減少しているが、18歳以下では増加している。ソ連からロシアに至る特別教育には3つの大きな潮流がある。従来の教育を残しつつ、新たなロシア的なものに生まれ変わろうとしている。
2013年に「障害を持つ子どものための連邦国家教育スタンダード」が作成された。4つの教育形態を採用した。Ⅰ、インクルーシブ教育,(教育目標や内容は普通学校と同じ)、Ⅱ、特別学級形態、(小人数教育、通常学校との交流)Ⅲ、総合特別学校,(生活的な自立に重点)Ⅳ、最重度特別支援形態(個別支援)
ソ連とロシアの教育制度の比較 渡辺は両者の違いを3点指摘 ロシアになって1、発達に障害がある市民の教育を受ける権利を国家が保証する 2、教育行政上の命令的システムから多様性を保持したシステムへの転換 3、教育課程への親の参加
2015年10月にロシアで行われた聞き取り調査の結果
第2節 現地聞き取り調査に見る現状と課題
訪問先は 全ロシアろう協会、モスクワ国立教育大学障害学部、第288番幼稚園
(1)当事者にとってのインクルーシブ教育-全ロシアろう者協会にて
2015年訪問 会員ろう者9万人 79の地域支部、800以上の地方支部
矯正教育学研究所前所長 マロフェエフ氏 ソ連と現在 現在は学校の選択を親に任せる しかしまたソ連時代の特別教育の良き伝統が 弱まった。インクルーシブ教育の学校と特別学校の双方を併存させるべきである。
(2)教員養成をめぐって―モスクワ国立教育大学障害学部にて
次に訪問したこの大学はインクルーシブ教育を含め、特別教育の教員を養成するロシアでも代表的な教育研究機関である。地域により障害児への教育が開始される時期が異なる。
教員養成が抱える問題点、1、ロシアは地域が広大で障害児への教育が開始される時期が違うこと。2、教育養成にたずさわる学部が少ないということ。
(3)教育の現場から―第288番幼稚園
440人の園児のうち160人が何らかの障害を持つ インクルーシブクラスと障害児クラスがある園を卒業すると初等普通学校に希望する者は全員入ることができる
第3節 近年の動向
(1)教育行政の動き
2017年連邦評議会「インクルーシブ教育における生徒の権利執行について」がある。
インクルーシブ教育を受けている障害児は約56%に及ぶが、学校の設備や特別な条件を整備することなく、どのようなインクルーシブもあり得ない」
(2)「良い」インクルーシブ教育とは?
全ロシアコンクール「ロシアの優良インクルーシブ学校」活動の向上と、教育の分析。審査項目は8点。目的はインクルーシブ教育の発展と浸透に関する教育機関の活動の向上と、現行のインクルーシブ教育を分析することのある。
おわりに
ロシアのインクルーシブ教育をめぐる課題 1点目、ソ連の特別教育の「経験」がどのように今後位置付けられていくのか不透明なことである。2点目は2013年の時点でインクルーシブ教育が浸透しない理由として、施設のバリアフリー化や教員養成ができていない、そしてその理念が教育集団内で共有されていない、とされていたことにある。インクルーシブ教育の現場では教員に過度の負担がかかっているという声が上がっているいま、教員養成はもとより教員をサポートするリソース(チューターなど)配置のための予算措置が求められている。
◎白村直也氏は人間学研究所の研究員として、人間学研究所年誌に多くの論文を投稿されています。
「人間学研究所年誌2012」NO10 「世界史におけるソヴィエト障碍者の位置づけ」
年誌2013、No11 「東日本大震災避難者が抱える暮らしのニーズ」
年誌 2014 No12 「震災と教育の越境-福島県から県外派遣された教員と避難児童が抱える問題」
年誌2015 No13 「避難をめぐる政治と被災者のニーズー権利の付与と履行をめぐる諸相」
年誌2016 No14 「 ロシアにおける婚姻と出産をめぐる動向と母親(家族)資本」(2021年5月19日訂正)
(上記の文章が白村氏の書かれた論文です。森岡氏がこの年誌に
書かれたものをここに間違えて書いてしまいました。森岡様、
白村様、大変失礼いたしました。)
年誌2017 N015 「家庭の暴力と伝統的価値への回帰ー刑法の改正をめぐるロシア社会の動向」
年誌2018 No16 「施設から家庭での養育へーロシアにおける孤児の擁護をめぐる近年の動向と問題ー」
年誌2019 No17 「地域の問題に取り組み、学びあって育む社会人基礎力」
「インクルーシブ教育と教育改革の影」
年誌2020 No18 「大学生はソ連やロシアをどのようにとらえているのか」
◎年誌2016 No14の論文で、森岡修一氏の論文をここに間違えて書いてしまいました。白村氏が書かれたものに修正いたしました。たいへん失礼いたしました。
第Ⅴ部 教育遺産の再構築
第13章 ソヴィエト教育とは何であったのか p275~ 289
関 啓子(一橋大学名誉教授)
はじめに
第1節 ソヴィエト教育は、教育史・教育思想史においてどのような意味を持っているのか
誰のために何をどのように克服し、何を目指したのか?
(1)仮説としての研究枠組み
ソヴィエト教育には、身分制社会をなくすブルジョア民主主義の位相と、共産主義を目指す過程としての社会主義的な位相があり、それぞれ の位相に基づく教育制度や政策が、時には相互に矛盾をきたし、理想を急ぎすぎた政策は早産となったが、施政者の政策意思と人々の意識・要求とが折り合える教育改革の側面は具体化された。やがて教育政策が硬直化し社会経済の発展とそれに応じた人々の教育要求にこたえられなくなり、人々の不満が鬱積した。1991年にソ連邦は解体し、新体制に見合った教育改革が始まった。これが研究枠組である。
(2)クループスカヤがソビエト教育に込めた願い
1)子どもの貧困・健康問題、幼児死亡率の高さに対する取り組み
2)学校の不足と識字率の低さ、
とくに女性、農民、非ロシア民族が不平等の対象
クループスカヤは、まったく別の教育原理にもとづく新しい自由な学校を作るべきだと主張した。
男女の区別なく、すべての子どもたちに無料・義務・普通教育を与えようとした。
3)子どもの社会本能の抑圧
子どもの自殺に心を痛める 幼稚園や学校は規律・訓練装置であってはならない
4)階級を再生産する学校
インテリ的な労働に従事する人と身体的な労働に従事する人の階層化がおきるクルースプカヤの全面的に発達した人間の教育とは
「はっきりとした個性を持ち、社会本能がしっかり発達していて、身体労働にも精神労働にも同様に対応する能力を備えている人間の教 育」である。
5)身分制社会と資本主義社会
精神的なエリートと身体労働を行う階級をつくりだす区別的な「人づくり」の手段となってはならない。
社会主義教育(総合技術教育)-全面的発達概念 「全面的な労働への移行はおいそれとはいかない」
クルースプカヤは成人教育の発展に全力を傾注した。
第2節 理想の具体化に内在した困難
生存権の保障を教育による発達課題の遂行によって実現するというヒューマニズム思想があった。
管理者と労働者との間に差別感がはらまれるかどうか 身体労働に高い賃金を支払うことにより身体労働の価値をみえる形にした。
3つの困難 自治能力を身に着ける 技術革新に追いつく 自治能力の育成 すること
労働の遂行者と管理・計画者の2つの層を作らない―しかしソヴィエトの 生産現場はそうした状況から程遠かった。
第3節 ソヴィエト教育の2つの要素 ー 民主主義教育改革と社会主義教育改革
(1)ブルジョア民主主義教育改革が社会主義教育改革によって徹底された局面
短時間での識字率が向上 身分・階級による教育機会の制限は撤廃
(2)民主主義教育改革ではなしえない成果が社会主義教育改革によって成し遂げられた局面
平等と無料により子どもの発達可能性がもたらされた 家庭の経済格差の縮小により、興味や関心を無料で伸ばすことができた。
(3)教育改革がソ連社会主義の変質に影響された局面
エリートと身体労働者の差をなくそうとしたが、実際にはノメンクラトゥーラというエリートと被支配階級が作られてしまった。
(4)ブルジョア民主主義改革が成熟しなかったために、社会主義教育改革の芽が摘み取られた局面
企業長の単独責任制に移行 2つの階級を作らないーは実現しなかった。
結びに変えて 現代ロシアにおける教育の改革の一側面
ソビエト教育改革は一定の成果を収めたが、重要な課題も残した。教育の画一化、職業選択の自由を阻んだ学校制度教育をめぐる自由の制限、官僚主義、ノメンクラツーラという「エリート」の再生産。学校が多く廃校に。選択の自由と競争がキーワードに。
ソ連邦解体後は教育が市場化したために、家族の経済力がものをいう。階層が教育をとうして見事に再生産される。オルガルヒ(新興財閥)が特別なエリートになる。ソヴィエト教育の負の遺産の一つであったはずの官僚主義は継続し,教育による階層の再生産構造が明らかで,教育の不平等が深刻化している。
ソ連時代と(ブレジネフ期)とエリツィン期とプーチン期を比較調査する世論調査によれば、社会階層によって回答に差が表れ、プーチ ン期への肯定的評価は上流層で高く、下層では低かった。同調査では、人の発達や成功にかかわる項目(教育における成功)は、ソ連期の評価が高く、選択の自由にかかわる項目(職業的向上とキャリアの可能性)では現在のほうが高い。
現在の自由は選択の自由で、競争と対になって、経済的な豊かさに結び付く。ソヴィエト社会では身体労働と精神労働の賃金の差はあまりなかった。現在は格差社会。プーチン期は上流層で肯定的。現在のほうがいいという人は若い層と中層以上の人々である。現在の格差社会は固定的で簡単に階層移動は起こらない。賃金格差の主な要因が、企業間での、部門での、地域間での財務状況によるからである。
現代ロシアにおける教育改革の課題は、ソビエト教育の成果(平等などの正の遺産)を現代的に再生し、教育行政・運営の官僚主義などのソビエト教育の負の遺産を克服することであろう。ソビエト教育が果たせなかった、民主的な世界に不可欠な資質を子どもやおとなに発達させるという課題にも創造的に取り組むことが期待される。
◎関 啓子氏は人間学研究所で何回か講演していただいています。また「人間学研究所年誌」にも投稿していただいております また「関さんの森」については研究所の有志での見学会なども行われています。人間学研究所のメールでの連絡網でご連絡させていただいています。
人間学研究所年誌2015 No13 依頼論文 「アムールトラの保護と生物多様性」
人間学研究所年誌2017 No15 依頼論文「ロシアの批判的言説-教育をめぐって、ロシア革命100周年に思う」
「クルースプカヤの思想史的研究ーソヴェト教育学と民衆の生活世界」新読書社 1944年
「人間形成の全体史」共著 大月書店1998年
「アムールトラに魅せられて」東洋書店 2009年
「関さんの森の奇跡」新評論 2020年
第14章 就学前教育制度の機能と役割の変化
ー社会主義のソ連から資本主義のロシアへ
オリガ、サビンスカヤ(国立研究大学准教授)
嶺井明子
コラム6 タガンログ市における就学前教育-ソ連時代と現代ロシア
オリガ・アレクサンドロワ(訳:白村直也)
第15章 ロシアの数学教育
―達越性への道程
大谷 実(金沢大学教授)
第16章 ヴィゴツキーの心理学・教育学理論を読み直す
ー協同学習と補充教育を中心に p321~335
森岡 修一 (大妻女子大学名誉教授)
はじめに
ヴィゴツキーの心理学・教育学理論を<学校内>から<学校外>の教育へと「越境」しつつ分析・検討する試みである。<読解力>と<協働学習>にかかわるヴィゴツキーの基本的視座を瞥見しておこう。
ヴィゴツキーは、思春期(14歳―18歳)論理的・批判的思考に対応した<読解力>を構想しており、筆者はとりわけ所与のテクストを解体・再構成しつつ<協働学習>において「発達の最近接量領域」を拡充して、論理的・批判的思考を鍛えるヴィゴツキーの手法に注目したい。教え込みでない「深い学び」の授業とは、既知の発話対象(テーマ=Thema)を各人の多様な思考過程の中で、その発話が伝えるべき述部構造を構成する新しいもの(レーマ=Rhema)へと発展さ せ、教室を「知る」ための場所から、多種多様なレーマのぶつかり合う「考える」ための場所へと変えていく授業を指すべきであり「協働的問題解決能力」、「アクティブ、ラーニング」及び新学習指導要領の強調する「探求学習」等の実現には、上述の前提が不可欠である。
ヴィゴツキーの<発達の最近接領域>のキーワードにとって不可欠の要因が「異年齢集団」「異質な他者」といった<さまざまな発達可能性を持った他者との交流>の概念である。ヴィゴツキーは、人間に固有の高次の精神活動は、当初は、人々との協働活動・社会的活動の中で発生する外的な、精神と精神との間に成立する成員間の共有の過程として機能するが、それは次第に個々人の中に内面化され精神内的機能に転化すると考え、「こどもの現下の発達水準と可能的水準との隔たり」つまり「自力で解決する問題によって規定される前者と、おとなに指導されたり自分より仲間との共同で子どもが解く問題によって規定される後者との隔たり=<発達の最近接領域>において「異質協働」の教育が行われなければならないと、と主張した。(以上に出典の4つの注があります)。
第1節 「読解力」と「協働問題解決能力」
OECDは2015年の<読解力>の調査と並行して,52か国の15歳児を対象に「チームのメンバーと協力して問題を解決する」 <協働問題解決能力>調査を実施した。①,シンガポール、②日本,③香港…の結果を得た。(ロシアは31位)シンガポールがいろいろな分野で首位になっている。2位の日本は、学校での集団作業(掃除や給食作業等)や対話的授業の結果としている。~
日本では、19年7月の「全国学力調査」において、生徒の批判的読解力や説明力、発信力に課題があることが明らかに。日本の15歳の読解力は8位から15位に急落。~「生徒に批判的にに考える必要のある課題をあたえる」等の項目では最低点。新学習指導要領に問題。ロシアの教員は「批判的に考える~」等は日本やシンガポールを上回る。ロシアの健闘。日本の生徒 記述問題の正答率の低さ、「日常生活におけることば」の低下が指摘されていることからも、ヴィゴツキー理論の主要キーワードを通じて現代の教育問題を再検討する探ることにしたい。
第2節 ヴィゴツキー学派の心理学のキーワードと協働学習
高取憲一郎はルリヤの著作に注目①活動②コミュニケーション③高次心理機能と低次心理機能④心理間機能と心理内機能⑤最近接発達領域⑥心理的道具と媒介の6主要概念を掲げ、②コミュニケーションについて、人間が対象に向かって活動する際、個人で行うのではなく、必ず他人とともに行っているという観点からヴァルシーの「個人―社会的枠組み」を援用して、ロモフの「個人的活動は共同的(集団的)活動の派生物であり、心理過程を対象活動との関連のみで研究するのは誤り」という所説に言及している。
第3節 ロイス・ホルツマンと補充教育
ヴィゴツキー理論に基づいた心理療法で注目、アメリカのホルツマンの指摘ー「ヴィゴツキーが…いくつもの(二元論的)二分法を弁証法的方法論によって乗り越えようとした」と述べている。
ホルツマンは①少しでも「発達」を学校に持ち込む、②学校外に「発達的学習」が可能な場所を作る,③公衆、政治家、政策立案者に持続的再教育を施す、の3点を提唱した。
学校外プログラムにおける「ともに実践する集合的形態」としての発達の最近接領域、つまり「協働・協調活動としての集合的な行動の機能」であり、この点で、他者との相互作用のなかで「創造的に模倣する」ことをの集合的行動の中核においているのは当然といえるだろう。
日本の子どもの<自己肯定感>はアメリカのみならず~際立って低い。先進国の子どもの幸福度ランキングは38か国中ワースト2位であった。
第4節 ヴィゴツキー理論における「遊び」の概念
家族と学級は少数の要素から成り立っているために、画一的で味気のない場所になっている。「教育」には、1、社会的本能を、遠大な社会な規模において教育すること。家庭、学級、学校の壁を町の全ての学校の統一のために次々と打破し、さらには国家全体を含む児童運動までに発展させなければならない。2、特別にデリケートな形式の社会的なコミュニケーションの育成と錬磨。
~ヴィゴツキーが何よりも重視するのは<遊び>である。社会的関係の明確化、錬磨、多様性を教えてくれるがゆえに「遊びは子どもにとって思考の最初の学校である。ヴィゴツキーにとって<遊び>は何よりもすぐれた「創造的活動」、であると同時に「自然的労働形態」に他ならない。
第5節 ヴィゴツキー理論と補充教育
2017年にロシア人研究者を迎えて科研費研究会が開かれた。ここではスクヴルォツォフ教授(S)との質疑応答のみを上げる。森岡氏は補充教育およびアイデンティティ形成に関連して、ヴィゴツキーとウシンスキーの研究の観点から3つの質問をし回答をえた。
異質協働と補充教育の接点=全人教育に向けて
森岡: ヴィゴツキーの理論は主として学校教育や教科教育の枠内で分析・検討であったが、彼の「発達の最近接領域」のキーワードにとって不可欠の要因が「異年齢集団」「異質な他者」といったさまざまな発達可能性を持った他者とであることを考えれば、むしろ学校外教育や補充教育においてこそヴィゴツキーの理論は貢献できるのではないか。
S そのとおりである・・
ヴィゴツキーの思想は今なおすぐれた教育学的・心理学的原理に満ちており、汲めども尽きぬ人格形成の源泉と言えるものである。
補充教育の現状と問題点
森岡:日本でもクラブ活動 重要であるが、教員の勤務が過重なことが問題に 補充教育の現状と問題点
国民教育とアイデンティティ形成をめぐって
森岡:日本では「道徳教育」の教科化に伴い、評価問題が浮上 ウシンスキーの「国民教育」の観点から読み直してみる必要性を痛感
協同学習における深い学びとは
日本では社会科新設諸科目の目標がヴィゴツキーの主張する「認識力」よりも「態度」や「心情」などの道徳的目標に還元されてしまう危惧が否定できない。「他者との協働」は<了解行為>における闘いに他ならず、授業(闘い)によって変化し豊饒化するのは生徒だけでなく,誰よりも教師自身でなければならないことを想起しておこう。
むすびに変えて
「総合技術教育」と「労働」をめぐるヴィゴツキーの分析視点について補足 主要な3点,(Ⅰ,Ⅵ、Ⅶ)
Ⅰ、労働は人間の歴史的発達の基礎であるがゆえに労働活動に結び付いた心理機能もまた、歴史的に形成された行動様式であり、あらゆる高次の行動形式のゆりかごである。
Ⅵ、研究成果の理論的意義と実践的活用の契機 ①発達の異なる年齢期の子どもと青少年の特徴に対して、総合技術教育の基本要素を適用 する際の心理学的・児童学的な根拠づけ,②子どものさまざまな年齢期での総合技術教育方法の心理学的・児童学的な根拠づけ,③子どもの全面的発達の要素としての総合技術教育の有効性に関する児童学的考察
Ⅶ、今後の研究は、問題点を究極まで絞り込み、子供の人格と世界観の発達の観点から総合技術教育の問題を解明すべきであるが、目下のところその第1歩を踏み出したに過ぎない
「総合技術教育」と「労働」をめぐるヴィゴツキーの分析視点
子どもと青少年を対象とする精神工学は、大人の精神工学とは峻別され、児童学の一部門として再編されるべきであるとして、労働や職業と直結したおとなの精神工学と区別するとともに、ヴィゴツキーがわざわざ「児童学的精神工学」「教育学的精神工学」という造語まで提案していることは,協同学習と発達課題の観点からもきわめて重要な意義を有する。
◎森岡修一氏は
人間学研究所年誌2008 No6 「リテラシーとコミュニケーション理論に関する一考察」(前編)
ーヴィゴツキーとルリヤの文化的・歴史的理論を中心にー
年誌2009 No 7 「リテラシーとコミュニケーション理論に関する一考察」(後編)
年誌2012 No10 「巻頭特集 柴田義松氏の講演と質疑応答」
年誌2014 No12 「ロシアにおける民族文化と教育の諸問題」
年誌2015 No13 「多民族国家における文化と教育」
ー20世紀末から21世紀初頭のロシアの教育変動を中心にー
人間学研究所年誌2016 No14 「多民族国家ロシアにおける文化と教育改革」
-ヴィゴツキー理論と補充教育の動向を中心にー
人間学研究所年誌2017 No15 現代ロシアにおける教育の動向-補充教育とヴィゴツキー理論を通じて
第17章 学校制度とロシアにおけるもう一つの教育制度
-ロシアにおける補充教育機関の展開と課題
リューボイ・ブイロワ、岩﨑正吾
第18章 ソ連の遺産とグローバル世界への離陸
-エストニアを事例として
福田誠治(都留文科大学理事長)
第1節 なぜエストニアか
エストニアはテストが短期間でOECD諸国の中でトップグループに入っている。世界から注目。
第2節 電子立国の原資はソヴィエト社会主義の遺産
ソヴィエト社会主義国期に国別産業としてエストニアにITの開発を割り当てた。
第3節 1,5歳からの幼児教育
第4節 基礎教育(小中学校)
第5節 個性を伸ばす教育
第6節 教職専門性と学校評価
特別寄稿 ソ連・ロシアの教育研究に携わって
ーこころの最初の動きを大切に
川野辺 敏(国立教育政策研究所名誉所員)
今でも私のこころに残っているのは「自分のなかの心の最初の動きを動きを消してはならない。それはそれは最も高潔なものだから、心の最初の動きのままに行動しなさい」(スホムリンスキー『息子への手紙』)という言葉です。それは私が初めてソ連訪問をした1968年冬の心の状況をそっくり表しているからです。
おわりに
ロシア・ソヴィエト教育研究会
関 啓子 澤野由紀子
本書は、現代ロシアのどうなっているかを、改革・制度・政策に焦点を当てまとめたものです。本書には含まれていないがすでに取り組まれている研究課題がありその一端を紹介したい。~
巻末資料
学校制度図 現在
ソ連時代
2012年度年間授業時数
1985年度年間授業時数
2018年度言語語別児童生徒数 30か国語
2018年度教科「母語」を学習する生徒数 70語(エネツ語は生徒数1人)
職業資格レベル
教育分野の職業スタンダード
文献案内
ーーーーー
参考資料
◎ソ連・ロシアの歴史 教育関連とともに
1869年 『教育的人間学』 ウシンスキー
1870年 レーニン生まれる ウシンスキー死去
1888年 マカレンコ生まれる(集団主義)
1889年 チェルヌイシェフスキー死去「哲学の人間学的原理」
1896年 ヴィゴツキー生まれる
1905年 血の日曜日事件、ソヴィエトの結成
10月革命(第1次ロシア革命)
ニコライ2世の反動
1917年2月 ロシア2月革命-二重権力
1917年11月7日 10月革命 レーニン ソヴィエト政府樹立
クループスカヤ 教育条項草案
ー国民皆教育、子どもの全面的発達、
コムソモール ピオネール 組織化
1918年 ロシア社会主義共和国連邦
スホムリンスキー生まれる
1922年12月 ソヴィエト社会主義共和国連邦
レーニン脳出血をおこす
1924年 レーニン死去(54歳)
1926年 ヴィゴツキー「教育心理学」
1928年 5か年計画 スターリン 独裁体制へ
1929年 世界恐慌
1934年 ヴィゴツキー「思考と言語」死去(37歳)
1936年10月 スターリン憲法
1939年 第2次世界大戦始まる
クルプスカヤ(レーニン夫人)死去(70歳)
教育思想・理論
マカレンコ死去 「教育叙事詩」など
1945年 第2次世界大戦終わる
1949年 中華人民共和国成立
1953年 スターリン死去 フルシチョフ
1956年 フルシチョフのスターリン批判
「思考と言語」ヴィゴツキー
1957年 人工衛星スプートニク打ち上げ
1961年 ガガーリン 初の宇宙旅行
1968年 プラハの春弾圧
1970年 スホムリンスキー23年校長
労働・教育実践 死去
1977年 ブレジネフ 幹部会議長(1906-1982)
ルリヤ 死去
1979年 農業不振が問題化
1985年3月 ゴルバチョフ大統領就任
1986年 ペレストロイカ始まる
1989年 ベルリンの壁撤去 ビロード革命
1990年 東欧諸国 自由選挙 東西ドイツ統一
脱ペレストロイカと新自由主義教育の開始
1991年7月 エリツィン大統領 ロシア連邦初代大統領
(ガバナンスなき分権化)
8月 8月政変、共産党解体 ペレストロイカ終焉
新自由主義の全面的展開へ
12月 ソ連邦解体 諸国の独立
1992年 「旧ロシア連邦教育法」
2000年1月 プーチン大統領 大国ロシアの復活を目指す
保守路線 新自由主義教育の深化と新保守主義
2012年 「新ロシア連邦教育法」まで20年間に70回を
越える改正
それ以降も60回に上る改正があった
2014年 ロシア・クリミヤ併合
2018年 柴田義松氏死去
『人間学研究所年誌』
『人間学研究所年誌2000』No1 発行人間学研究所
2021年5月現在『人間学研究所年誌2020』発行
人間学研究所の例会は、2020年2月の例会を最後として、2021年5月も開催しておりません。新コロナが収束し、また例会を再開できるのはいつになるのでしょうか。
「こういちの人間学ブログ」
「新型コロナウイルス蔓延。蔓延は政治次第。2020年2月10日より、日本及び世界の変化を追う。追記して更新。
2021年4月24日
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2021/04/post-c2be97.html
「こういちの人間学ブログ」は2009年7月から始まりました。
2021年5月現在 記事数 1152 アクセス累計 191万となっております。
新コロナで人間学研究所の例会を開いていなかったり、2020年夏ごろから2021年初めにかけてのブログ筆者の何回かの入院などでアクセスが減少気味です。
改めてソビエト時代と現代資本主義(新自由主義)との対比について見直してみる必要がある。
いま世界の新コロナウイルスは、恐るべき勢いで進行中であり,とどまる様相を示さない。(2021年5月)こういう事態の中で、世界中で絶望的な貧困と死にさらされている圧倒的に多い人々と、こういう事態の中で、GAFAはじめ一部の世界的な多国籍・大企業はかってない膨大な利益を上げている。かってトランプ前大統領は連邦法人税を35%から21%に引き下げたが、その低い税率でも、払わない企業がフォーチュン500社のうち91社もあり、膨大な利益を上げている、アマゾンもその一つである。さすがにアメリカの大統領選ではバイデン氏が当選し、各国が多国籍企業に対し法人税の値下げ競争をするのではなく、各国が共同して法人税を上げることを提案しました。また純益の15%は納入するミニマム税導入も検討しています。巨大企業が税負担を減らし、大富豪が巨万の富を蓄積する一方において、世界的に圧倒的に多い貧困層がますます新コロナで貧困となり、死者も増大している。多くの失業した非正規の人たちは悲惨な生活を送っている。
参考 世界の大富豪の総資産は、たった62人の合計(180兆円)で、世界の人口の下位半分と同じということだ(2016年)。2020年の1位はアマゾンのべソスで、1310億ドル、2位はマイクロソフトのビルゲイツ980億ドルである。日本では2021年で第1位はソフトバンクの孫正義で444億ドル、2位はユニクロの柳井正である。
こういう状態の中で改めてソビエト時代とは何であったのか、現代のロシアとを対比させている試みである。それを教育という側面の中で、現代との対比においてみていこうとするのが、本書のねらいであった。かつてのスターリン独裁、中国共産党の大国主義的、そして様々な民衆弾圧などを見てみれば共産党の原則の中に、そうなる要素が含まれていたことがわかる。しかし、ソビエト時代の取り組みはそのまま捨て去ってしまっていいものではない。すぐれた側面をたくさん持っていたのである。良い面、悪い面を改めて見直していく必要があるのではないでしょうか。
参考書 「ソヴェト教育学」シンビリョフ教授,オゴロドニコフ教授 青銅社 1953年10月25日 550円
ソヴィエト高等師範学校教科書
ブログ筆者の身体の状況について
ブログ筆者は7年ほど前、旅行先で脳出血を起こしました。そのために右半身にまひが残り歩行が困難であり、筆記やパソコンも利き腕でない左側1本でうっています〈2級身体障害者)。もともと左目には眼底出血がありよく見えません、その上に右目は少し長く目を使うとづきづき痛みます。今も右目と周辺が痛みます。こういう状態ですので、論文等を十分に読みこなすことが困難になっています。ですから、今回のブログも十分読みこなし論考をしたものではありません。皆さんの論文の要旨を自分なりに書いただけで失礼してしまいました。
人間学研究所について
人間学研究所は1963年生物科の学生の分科会に始まり、1955年の第1次人間学研究会、1985年の第2次人間学研究会、1991年に人間学研究所準備室が作られ、第3次人間学研究会が作られました。その研究会に基づき1999年4月に人間学研究所が作られました。初代所長は柴田義松氏名誉所長小原秀雄氏、副所長岩田好宏氏、専務理事佐竹幸一、理事岩城正夫氏でした(現在は岩田弘宏氏が所長、森岡修一氏が副所長)その時には14名の所員と所友101名でした。いご現在に至るまで人間学研究所の活動は続いております。『人間学研究所年誌2020』第18号、『人間学研究所通信』89号が発行されています。月1回の例会は2020年2月を最後とし、新コロナウイルスのため開催されておりません。
今回の著作には副所長の森岡修一氏と研究員の白村直也氏と例会でお話をしていただくな
どでご連絡をしている、関啓子氏の論文を中心に紹介させていただいております。
人間学研究所は研究部門とだれでも参加できる、実用的人間学研究会から成り立っています。2021年研究所の所員は18名名誉会員は2名。
実用的人間学研究会は会員13名、顧問2名で成り立っています。「こういちの人間学ブログ」の筆者、佐竹幸一は、人間学研究所専務理事・事務局長、実用的人間学会長です。実用的人間学研究会はどなたでも参加できます。
ご連絡は 佐竹幸一 090-6549-2677
柴田義松先生、米寿のお祝い、を兼ねて忘年会 (2017年12月14日)
前列左から3番目が柴田先生。
このブログは2010年8月に書かれたものですが、追記して更新しました。
本来は柴田先生は2018年11月に満88歳になられますが、ちょうど忘年会に兼ねて少し早めてお祝いを、と木村先生の提案で開催することになりました。
場所は昨年と同じ居酒屋の文蔵で開催されました。参加者は少し少なく12名でした。ブログ筆者の住まいに近いところに設定していただきました。
筆者が司会役でお話ししました。
最初に「柴田先生、米寿おめでとうございます」、「柴田義松先生と人間学研究所」
という資料を皆さんに配布しました。
1960年 、柴田義松氏が女子栄養大学の教員(教育学)となる
1969年 女子栄養大学にユニークな人間コースができ、柴田先生のもと小原秀雄氏(動物学)、岩城正夫氏(原始技術史)が招へいされる。人間学の名で様々な本が出版される。
1985年3月 学士会館に柴田、小原、岩城氏と佐竹、野本さんらが参加。人間学研究会を 作ることになる
1985年5月 人間学研究会できる(第2次) 柴田、小原、岩城、佐竹ら、佐竹ビルにて数年で活動中止
1991年4月 人間学研究会再発足(第3次)人間学研究所準備室できる 第2佐竹ビルにて
1993年5月 実用的人間学研究会出来る
1999年4月 人間学研究所できる 所長柴田義松氏 現在に至る
「人間学研究所通信NO1」の発行
2000年12月 「人間学研究所年誌」2000発行 初めて国会図書館でNO1
2002年11月 総合人間学研究会出来る 20回研究会開催 事務局は人間学研究所その後学会へ
2004年2月 人間学研究所、新教育人間学部会 現在に至る、2017,11、例会137回 2018年11月145回
3月 「道具と人間」シリーズ 3巻発行 明治図書
2006年5月27日 総合人間学会設立記念集会 明治大学 300名参加 会長小林氏(憲法学) 柴田義松氏は小原氏とともに副会長
2006年 11月 シリーズ「総合人間学3」柴田先生 著と監修「現代の教育危機と総合人間学」 学文社 筆者は資料として、「人間学と人間科学の現状」を書く
2017年12月 忘年会兼柴田先生米寿の祝い
2018年10月 柴田先生ご逝去
2018年12月 柴田先生をしのぶ会
・祝う会では、資料説明後、柴田先生からのお言葉、それぞれの方からのお祝いの言葉。
みんなの寄せ書き、記念品贈呈ということで、お祝いの会としました。
・
2018年11月3日(土)追記、柴田先生のご逝去の知らせ
長らく入院されてから柴田先生の様子がわからなかったのですが、10月の半ば頃亡くなられていたということを、10月29日に木村廣子先生から連絡が入りました。
人間学研究所の今後の予定を書いた葉書を会員さんにお送りしたばかりですが、岩田所長のご提案で、「人間学研究所通信」の柴田先生の追悼文特集号を出すことになりました。それで急遽また葉書を出し柴田先生の追悼文特集号の記事募集のお願いをすることになりました。
◎2018年12月21日に、”柴田義松先生を偲ぶ会兼忘年会”
を新宿区百人町3-1-5西戸山タワーホームズ集会室にて午後6時から行います、
参加ご希望の方は、pcr92240@nift.com、佐竹までどうぞ。
◎柴田義松先生は人間学研究所ができてから、今年まで18年間一貫して所長を務めていただきました。研究会員の中には柴田先生に教えを受けた方も多く、人間学研究所においては重要な役割を果たされてきました。
人間学研究所では研究活動のみならず、研修会終了後の飲み会、カラオケなど楽しいひと時をご一緒できました、千葉の白浜温泉に1泊旅行をしたのも思い出されます。柴田先生は足が弱くなられ研究所の3階まで上がるのが難しくなりました。それで、ブログ筆者の近くの歩いてこられるところに年3回ぐらいは開催したいと思っていますということを提案しました。ブログ筆者も助かります。
◎これ以後は2010年8月に書かれたブログです
柴田義松氏は今年11月19日に80歳になられます。8月10日には著作集7巻を学文社からだされました。柴田義松氏は愛知県に生まれ、名古屋大学から東京大学大学院に進まれました。修士論文が、ウシンスキーの「教育的人間学」で、その後に取り組む、ヴィゴツキーとともに、柴田氏の理論の中核をなすものです。柴田氏は1960年に明治図書からウシンスキーの『教育人間学』に訳書を出されてから、国立国会図書館に登録されている本で現在208冊を数えるほど多くの本を出しておられます。
柴田義松氏と佐竹幸一との出会いは、1969年に柴田義松氏が女子栄養大学に、教授としてまねかれ、その後小原秀雄氏や、岩城正夫氏とともに画期的な「人間学科」(人間学コース)をつくられました。その後、佐竹もお会いしてお話する機会があり、しばらく休止していた、人間学研究会を再開しようということになり、1985年に第二次人間学研究会がスタートしました。その後は小原、岩城氏と共に、1991年の人間学研究所準備室、1999年の人間学研究所の設立に至りました。柴田義松氏は人間学研究所の設立から2010年の現在まで、ずっと所長をしていただいております。人間学研究所を母体にして、2002年には総合人間学研究会、さらには発展的に解消し総合人間学会になり、ずっと副会長を務めておられます。大学は東京大学の教授となられ、学科長も務められ、その後成蹊大学の教授もつとめられました。
ロシアからソビエトに至る教育の紹介という点においては、第一人者で、多くのお弟子さんがいらっしゃいます。今度著作集の出版記念パーティーと80歳の誕生祝いがありますが、多くの方が参加されると思います。専門は教授学で、教育内容・教科内容と教材の区別を提起したことはその後の教授学研究に革新をもたらしました。長らく日本教育方法学会の会長も務めておられました。また、略して「教科研」というのでしょうか、現在も月一回、人間学研究所で、教科教育内容などのビデオなどを会員と一緒に見ながら研究を続けておられます。
柴田義松氏とのお付き合いは、小原秀雄氏とのお付き合いほどは長くないとはいえ、もう30年ほどになります。(33年)まだまだとてもお元気でその活躍ぶりには本当に頭が下がります。1メートル80センチ以上の長身です。この年代の方ではきわめて長身だと言えましょう。また普段の会議などではあまり、発言をされないのですが、発言をされるときには、きわめて簡潔かつ的確なお話をされます。また講演をしていただく時には、きちんとした話でテープ起こしをするとそのまま原稿になってしまうようにきちんとしています。しかしいかにも大学者という雰囲気を漂わせていますがおよそ偉ぶるということは全くなく気さくにお付き合いをいただいております。人間学研究会の例会のあとの懇親会では、お好きな日本酒を飲むのを楽しみにしておられます。最近はカラオケも歌われます。
人間学研究所で出している、『人間学研究所年誌』や、『人間学研究所通信』(HUMANOLOGY)などの原稿も以前からきちんと、ワ-プロでつくっていただくので、大変助かります。携帯電話もすぐに使いこなして、おとしの割にと言っては大変失礼ですが、新しいものもどんどん積極的に取り組まれているのはすばらしいことだとおもいます。
ブログ筆者が、総合人間学会を皆さんとともに設立した時に、3冊の「シリーズ人間学」の本が出版されました。ブログ筆者は本の出版に当たり、2つの文章を書きました。一つは「人間学とは何か」であり、一つは人間学に関する資料集でした。2つとも出版社に送る手配をしたのですが、小林直樹氏と小原秀雄氏が相談して、筆者(佐竹)の文章は載せないことにしました。出版社から校正が来ないのでおかしいと出版社に言ったら、佐竹の文章は載せないと小林氏と小原氏で決めたというのです。小林氏は親せきの人が病気でとか言っていましたが。筆者が哲学的人間学を批判的に書いたのが気に入らなかったようである。
柴田先生は急遽、2つのうち1つは柴田先生の巻に「人間学と人間科学の現状」資料集を載せてくれることになりました。本文の部分は後で「人間学研究所年誌2006」に「人間学ノート」として載せてもらいました。柴田先生には本当に感謝いたします。
柴田氏は、ウシンスキーの『教育人間学』を翻訳し、「教育的人間学」という言葉をもっともはやく提唱したのが、ウシンスキーであると紹介しました。『教育的人間学』は1960年に明治図書から翻訳が出され、2010年に学文社から新訳版が出されました。ウシンスキーについては改めて、ブログで紹介しますが、ずっと教育的人間学の立場で研究し、現在でも人間学研究所の主要部会が「教育人間学部会」になっているように、永年教育人間学を提唱されている柴田義松氏が、1999年に出版された『日本の教育人間学』皇 紀夫・矢野智司篇(玉川大学出版部)に勝田守一、森 昭、大田 堯、堀尾輝久、和田修二などという人がのっているにも関わらず、柴田氏の名前がないのは、おかしいなと感じています。
追記 2018年12月25日、”HUMANOLGY”(人間学研究所通信)83号が発行されました。
今号は「特集 柴田義松先生(前人間学研究所所長)のご逝去を悼む」で、2ページから15ページまで、10人の方が追悼文を寄せられました。
偲ぶ会については、下記をご覧ください。
「こういちの人間学ブログ」2018年12月15日
「2018年12月14日 人間学研 柴田先生を偲ぶ会兼忘年会 『人間学通信82号』発行」
.http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2018/12/20181214-4194.html
★ このブログは、2010年4月6日に書かれたブログです。このテレビの録画は大量ののビデオの箱に入りどこにあるかわからなくなりました。このビデオを貸してほしいというお話があったのですが。
2013年9月に一部付加して更新いたしました。
「こういちの人間学」では、教育についての事柄が、とても大切にもかかわらず、あまり書かれていません。そこで、2004年3月、『人間学研究所通信(HUMANOLOGY)第23号』に書いた文章を、再び書くことにしました。これは当時のNHKスペシャル「よみがえる教室」で、放送された内容の報告です。だいぶ前に書いた内容ですが今でも通用する大切な話なので改めて書くことにしました。このテレビの内容は、ビデオに録画しておきました。ついでながら、いままでにビデオに録画したものが、人間学研究所に730本あり、宝の持ちぐされになっています。(初回放送は2004年2月28日です)
1999年ごろ、茅ヶ崎市に各教室に壁がなくいつでも自由に見学できる学校が作られました。「茅ヶ崎市立浜之郷小学校」です。今まで、不登校や学級崩壊が多く、それを何とか克服しようということでつくられた学校でした。 その初代校長先生が大瀬敏昭氏でした。大瀬さんは、教師になって、面白い授業をしたつもりでも落ちこぼれがなくならないということから、知識をただ詰め込むのではなく、子どもの声にじっくり耳を傾ける教育こそが大切であると気づきました。そこで新しく生まれた浜之郷小学校の校長に志願しました。小学校では年間150回の公開授業を行う予定でしたが、校長の仕事が忙しくてとてもできないということでした。そこで校長権限で、授業3割、会議や雑務が5割であったのを、会議等を思い切って減らし、授業6割にしました。
昔は、いいところに就職するために勉強しなさいということでしたが、子供は自分の父親を見て、ある程度の学歴があっても大したことがないという現実を実感しているのです。ですからそういう理由でいえば白けてしまいます。そうではなくて、人生も捨てたものじゃないんだ。生きる価値を大切にするために学問をするんだということ。それを知ってもらうことが大切であるという立場で、授業することにしたのです。
教師はお互いの先生の授業を見て、お互いに批判し討論します。まだ先生になって2年目の若い松永先生は、社会の授業で、「ふるさとの茅ヶ崎の海のすばらしさ」というテーマに取り組みました。はじめ子どもたちは宣伝のチラシなどを見て、ありきたりの決まったようなことを言っていました。その中で、ある男の子が、「茅ヶ崎の海は汚いよ、でもがんばってっています」と書いたことによって、みんな自分たちの目で見た汚い海の現実をいろいろ言うようになりました。しかし、松永先生はそれを、脱線したと考えて子どもに注意し、教室の雰囲気をもとに戻してしまいました。
授業の後の教師の懇談会でそのことに関して参観したほかの教師から批判が出されました。子どもが本当に見ている現実を否定して、聞きかじりの情報で勝負するようになってしまう。何事も枠に入れてしまおうとすれば、ついてこない子がほとんどになってしまう。子どもたちが何を言いたいのか本当にわかろうとしてあげないと、子供に安心は生まれない。また学んだという革新や変わったという自信は生まれない。どんな意見でも認めてあげることが大切であると。 その後、松永先生は手厳しい批判を受け涙ぐんでしまいました。そうやって、一人一人の先生も成長していったというのです。
文部科学省では、命の大切さをうったえ、引きこもりや落ちこぼれをなくそうということを主張して、「子どもの命をはぐくむ教育」といっています。しかしながら現実的にはこの小学校のような取り組みはきわめて少ないのです、従来は、新学校に教師に参観が多かったのですが、それがこの小学校では年二回行われる公開授業には、1200人の教師が詰めかけるといいます。うまい授業をするのではなくて、自信と安心を与える授業が注目されるようになってきたのです。
すでにこの小学校では年間150日もの公開授業が開かれ、全国から2万人の教師が訪れているといいます。(2004年当時です)
★ 以前のブログでは浜の郷小学校としていましたが、正しくは浜之郷小学校でした。
訂正させていただきました。
その2に続きます、授業の内容ですぜひお読みください。
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post-5b76.html
追記: 2016年5月24日
この日、急にこの記事のアクセスが増えました。再放送をどこかでしたのかなと思いましたが、見つかりませんでした。
その2、は大瀬校長のがんに侵された自分の体の状態を、授業に取り入れます。ぜひお読みください。
その1、その2と分ける必要が全くなかったのですが、分離して申し訳ありませんでした。
(その1)からの続きです
大瀬校長のお話し
道徳の時間で「家族について考える」というのがテーマでした。江戸時代の浅間山の火山噴火のとき、ほとんどの村人が火砕流で死にました。わずか93人の村人が生き残った時、幕府の命令でそれぞれ死に分かれた親と子を家族にしたという話を題材にしました。「他人と家族になったら幸せだろうか」というテーマでした。授業が行われたとき、担当の先生は現実に片親しかいない子供が何人かいる中で思うように授業が続けられなくなりました。その場は参観した校長先生の手助けがあり、子供たちの意見もさまざまにだされて、うまく授業は進みました。しかし反省会で、かんじんの問いをためらうことにより、子どもたちの心の奥まで入っていこうとしなかったこと。自信のなさが子どもに伝わってしまうのではないかと批判されました。先生は子どもたちに心から申し訳なかったと、心から反省しました。このような教師の取り組みの積み重ねで、子どもの生き生きした意見をうまく引き出すことができるようになっていきました。
校長に末期の胃がんが見つかる
ところが、昨年(当時)校長先生に胃がんが見つかりました。胃を全部とりましたが、末期のガンで三カ月、もって六か月の命と宣告されたのです。その時三つの選択肢がありました。治療に専念する。家族と残りの生を過ごす。学校の改革を全うする、の三つです。 校長の大瀬先生は最後を選びました。栄養のとれない先生は、点滴薬を袋に入れて、持ち歩くことにしました。土日はひたすら休んで体力を温存します。校長みずから「いのち」というテーマで授業を行うことになりました。先生は命の大切さを、生きたくても生きられない、日々衰えていく自分の身体をさらして、子供たちに訴えることにしたのです。
いのちと死についての話し
授業は年老いたアナグマがいろいろな知恵を仲間に残して死んでいったという絵本を教材にしたものでした。アナグマは死んでいったけれど、「いのち」としてつながっていたのではないかと先生は訴えます。「いのち」は家族や友達につながっていくのではないかと、子どもたちも次々にこたえていきました。授業のあとで、校長先生は、死ぬということを今の子どもたちは見ることができなくなってしまった。自分の弱っていく姿を見せよう。しかし先生は言います。伝えようというのは正直に言うと恐怖の裏がえしです。恐怖のためで、かっこいいことではないと。先生はいいます。死を意識して初めてどういきるかということを本当に考えるものだ。でもあまりの熱、痛みの苦しみの中で、自殺したいと思ったこともあるし、寝ていてそのまま朝起きなかったらどんなに楽だろうかとおもっている、と。
今自分は何のために生きているのだろうか、生きてなんになるのかと、問いかける子どもは多い。その中で、自分は死の恐れを率直に話すこと、小学校のときに命のかぎり精一杯がんばって生きていた先生がいたことを、伝えることが大切であるということを三学期で話そう。そして来年三学期には死とホスピスの話をしようということになりました。
12月24日の終業式に、校長先生は一人一人に三学期にお会いしましょう、と声をかけました。しかしその2日後容態が一変してなくなってしまいました。枕元にはいのちの授業の資料が置かれていました。57歳でした。三学期の始業式には、先生の遺影が飾られる中、子どもたちは涙ながらに、先生にお別れをつげます。子どもたちにはいのちの大切さを身をもって教えてくれた、校長先生を一生忘れないでしょう。何のために生きるのかを考えるより、自分が今生きていること自体に大きな意味を見つけることでしょう。不登校も授業崩壊もないこのような学校が増えて、子どもたちが自分の生きることに確信を持てるようになることを、心より願っています。
「よみがえる教室」のその1をご覧ください。
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post-6624.html
2013年8月18日の日経新聞朝刊の「春秋」(朝日の天声人語のような位置づけ)の記事が大変興味深かったので、ご紹介します。また、少し調べてみますと、いろいろな問題点もあるように感じました。
筆者は、最近は紅白歌合戦は見ず、またアイドルグループにも、疎いために、「ももいろクローバーZ」(略してももクロ)というグループを知りませんでした。上の記事を読んでいただければわかると思いますが。古市氏が17歳から20歳の少女たちが先の戦争については、どのような認識を持っているかを調査した結果について書いてあります。その結果は、あっと驚くような結果であったと、『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)を書いた古市憲寿氏は述べています。
早速、インターネットで検索してみました。「ももいろクローバーZ」は 2008年5月に結成され、路上ライブなどで苦労し、メンバーが一人途中でぬけるなどなかなか大変だったようです。しだいにん気が出てきて、2012年の紅白に出てさらに評判になりました。学生が中心なので活動は土日が主になっているそうです。また古市憲寿氏は東大大学院の博士課程を経て、現在は慶応大学のSFC研究所の上席研究員で、1985年生まれのまだ28歳の若い学者であることがわかりました。
ももクロのメンバーへの、戦争に対しての質問では、戦った相手は上の新聞にある通り韓国というものや、終戦を迎えたのはいつ?というのに対して有安さん18歳は1038年11月、高城さん20歳は1975年か1973年と答え、戦争の時日本との同盟関係にあったのはどの国かという問いに対して、百田19、高城20、佐々木17はアメリカと答え、百田はアメリカと仲良かったんじゃ?ご飯くれるイメージ、と答えていたとのことです。えっ、本当?と確かに驚くべきことです。
それに対して「春秋」では学校の歴史の授業に問題があるといっています。学校での歴史の勉強は、縄文弥生は詳しく、中世から急ぎ始め、現代史はプリントを配り終了。そういう授業を小中高と繰り返すと。ももクロのメンバーも縄文弥生時代は詳しかったといいます。確かにそういう傾向があるのでしょう。だいたい、試験問題にあまり現代史はでてこないのです。また歴史認識をめぐって論争中のことも多く、先生もさける傾向があるのかもしれません。今の政府も現代史はあまり詳しく教えてもらいたくないのでしょう。歴史も暗記中心で年号を記憶したりすることが中心になれば、多くの人が歴史にも興味を失ってしまいます。一方、暦女とよばれる人たちは、新撰組などの幕末のことや、戦国時代の武将などに興味を持っているようですが。
この記事には書いていませんが、彼女らは憲法改正には興味を持っているとのことです。しかし戦争は一様に絶対にしたくないといっています。新聞にある通り祖父の戦争の話しを聞いているということもあります。そして現在の日韓関係については「韓国の言い分についてもよく知りたい」といっています。至極もっともなことではないでしょうか。
ももクロの川上マネージャーは「彼女らは反日でも親韓でもありません」と釈明しています。それに対して、様々な2チャンネルなどで、彼女らは反日アイドルだと、攻撃しています。彼らの主張は新大久保でヘイトスピーチを繰り返す人たちと同じです。ついでながら隔週で行われていた新大久保の嫌韓デモは、8人の逮捕者を出してから、公安委員会が大久保通りデモの通過を許可しなくなってから、なくなりました。
2010年9月16日(木)に第26回の実用的人間学研究会の例会があり、そこで佐竹幸一が講師となって「役にたつ、格言、名言」というテーマでお話をしました。そのために18ページの資料を作ったのですが、そちらの方に精力をとられ、ブログを書くのがおろそかになってしまいました。私は、学生時代に哲学的な問題に興味を持ち、自分のノートに、思ったことを書き連ねた「思索」というノートを書きました。それは大学ノートで23冊になりました。また一方で、いろいろな本を読みあさり、これはという文章をノートに書いて行きました。それは、「名言集」という名前を付け8冊ほどになりました。名言格言のような短いものではなく時には3ページに及ぶものもありました。これは大変良い勉強になりました。
例会ではそのノートから少しと、『ギフト』というNHKの英語のーE名言の世界ーや宮城谷昌光の『歴史の活力』、河合隼雄の『こころの処方箋』なども参考に付け加えました。今後いくつか紹介しますが、今回はあまり私が取り上げていない教育に関する言葉を紹介してみようと思います。
人間を教育するということは―その人間のあすの喜びが、目指している未来の方向を、その人間に則して育成することである。この仕事は要するに新しい展望をつくることであり、すでにある展望を利用し、次第に価値のあるものに置き換えて行くことである。おいしい食事から始めてもいいし、サーカスに連れていくことから始めてもいいし、池の掃除から始めてもいいが、しかしどんな場合でも常に生活に目覚めさせ、集団全体の展望を次第に押しひろげ、それを国全体の展望にまで達せしめるようにすることが必要である。
マカーレンコ 「教育叙事詩」
教育に血が通わなくなったことは前にも述べたが、金のないものできないものにとっては、今の学校ほどみじめな思いをする所はない。テストができなければ、進学ができなければ価値のない人間にされてしまう。他人に親切であろうが、どんなに仕事をしようが、誠実であろうが、協調性に富んでいようが何の意味をなさない。 教習所のような学校が、どんな人つくりをしつつあるのか。子どもが一番よく知っている。~テストのためだけの学校だったら、テレビクイズのずばり当てましょう式に商品で釣りながら百科事典で学ばせた方がもっと効率的であろう。
近藤廉治他「あなたはどこまで正常か」
もし子どもを悪党にしようと思ったら、おさない時から、彼がありとあらゆる道徳的格言を繰り返すことになれるようにすればよい。こうすればこれらの格言葉もはや何らの影響も彼にもたらさないようになるであろう。
ウシンスキー 「教育的人間学」
ウシンスキーの「教育的人間学」は、当人間学研究所の所長である柴田義松氏(東大名誉教授)が1967年に明治図書から出版し(世界教育学選集 1と2)、2010年1月に学文社から、再版された本です。ウシンスキーは革命前のロシアで教師をしていました。ウシンスキーは「教育的人間学」という言葉を始めて使い始めました。今ではかなりその言葉が流布されていますが、ウシンスキーが最初です。
ウシンスキー「教育的人間学」ではいいます
教育学は、科学ではなく技術である。しかしあらゆる技術の中で最も広範で複雑な、もっとも高級の、もっとも必要な技術である。~教育技術をの発展を促進することは、それの基礎となる多様な人間学的知識を教師の間に普及することによってのみ一般に可能になる。
われわれは教師に 人間の本性―その教育に従事するのだが―に関する全面的知識を得んがために、できる限りの努力をすることは要求しうるし、又要求しなければならない。
教育者は、人間を、現実の人間におこるものを―人間のすべての弱点、人間のすべての偉大さ、その日常のあらゆる小さな要求からすべての精神的要求に至るまで―知るように努めねばならない。
残念ながら現実には、このような観点から、人間についての人間学を学びながら、教育について学ぶようにはなってはいません。
追記: 『教育的人間学』新訳版 ウシンスキー 柴田義松訳 2010年1月 2800円+税 学文社
「第五倫伝」 後漢初期の人間学 こういちの人間学ブログ マルクス、エンゲルス人間論 中国と韓国の歴史とドラマ 人体と健康法 人間とは何か -人類学 人間と教育 人間と社会、歴史 人間学について 人間学懇話会の例会 人間学研究所の例会 人間学研究所の連絡や例会等 占いと神秘主義批判 原発、エネルギー問題 地球温暖化論批判 大久保の街紹介 宗教と死 小説、絵、映画など 芸術 政治と社会の現状 新宿の各地の紹介とレストラン(大久保以外) 新宿の紹介とレストラン 新宿以外のレストラン 新宿散歩 大久保以外 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 生き方について、人生論 精神医学、心理学、お悩み相談 経営人間学 経済・政治・国際 自然と歴史 顔の人間学、
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