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小説、絵、映画など 芸術

2023年9月 5日 (火)

工作舎の本のご紹介2 『巡礼としての絵画』メディチ宮のマギ礼拝堂とゴッツォリの語りの技法

『巡礼としての絵画』はメディチ宮のマギ礼拝堂に描かれたベノッツオ・ゴッツォリの壁画の紹介の本です。

著者 前川久美子 4800円+税 2009年9月20日 工作舎刊

前川久美子氏は獨協大学外国語学教授 西洋美術史

 本文 229ページ 注 283ぺーじまで(絵画の説明) 全文 315ページ

 

フィレンツェ、パラツォ・メディチ礼拝堂を飾る絢爛豪華な壁画

注文主コドモらメディティ家の人々が書かれたことで知られる「マギの旅行

そして、「羊飼い」「天使たち」「祭壇画」「幼児礼拝」

そこには「代替巡礼」の図像プログラムが意図されていた。

自らを画中に描いたベノッツオ・ゴッツォリは、視るものに指示を与え、天国へと導く

生前に墓を送られるほど人気を博したルネサンス画家の、

その「語りの技法」は師フラ・アンジェリコを受け継いだものなのか

ベノッオの「語り」を丹念に追う

 

◎この本では大変多くの図版が載せられています。

 深い罪の意識におののき、年老いて病を患うコジモ(メディチ)が、長時間過ごした礼拝堂に

描かれる図像に、信心を助ける機能をもとめないことがありえようか。

 それはコジモの信心を助けるために制作され、実際にそうした目的で使われて

いたのではないか。(本書 第1章より)

 

◎「マタイによる福音書」でマギとはイエス生誕の印たる、星を見た東方の3博士をいう。

 magic の元ともなる。マギは没薬と乳香と黄金を幼児のイエスにささげる。」

 コジモはマギ同心会を手厚く保護する。マギはさらに西欧の君主がマギとして

 膝まづくようになる。

 

本の目次

第1章 パラッツォ・メディチ・リッカルディ礼拝堂の図像プロゴラム

 

第2章 代替の巡礼と絵画の機能

 

第3章 マギ図像と鑑賞者

 

第4章 ベノツォ・ゴツツォリの語りと絵画の場

 

第5章 ベノツォ・ゴッツォリの語りの技法の源泉

 

第6章 語り手としてのベノツォ・ゴッツオリ

 

本の表紙

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裏表紙

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ゴッツォリ(天使たち)1459年 メディチ礼拝堂 内陣右壁

 右は羊飼い

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フィリッポ・リッピ 幼児礼拝 1459年ころ

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ゴツッオリ 「天使たち」 1459年 メディチ礼拝堂 内陣左壁

左 羊飼い

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ゴッツォリ 1459年 パラッツォ・メディチ礼拝堂 マギの旅行より

 下図はメディチ家の人々とベノツィオ 部分

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ボッチチェリ マギの礼拝 1970年代前半

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礼拝堂における鑑賞者、信者の動き

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p43巡礼を経て救済に至る鑑賞者・信者の動き

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◎ コジモ・デ・メディチは1389年生まれ。フィレンチェ共和国生まれ。

 銀行業など多くの仕事を行う。政治の実権を握る。納入する税65%の

 65%を負担し、祖国の父と呼ばれた。プラトンアカデミーの設立など

 文学芸術などに貢献した。

◎個人の邸宅内に設置された最古の礼拝堂の一つ。パラッツ・メディチ

 礼拝堂、1457年に完成。

マギの旅行にはメディチ一族とその友人たちの肖像画書きこまれている。

◎メディティは深い罪の意識におののき、年老いて病を得る。

 天国への巡礼の為。

◎「ヨハネの黙示録」に基づく週末における救済をもとめる

 1464年死去。

 

 ◎この本は本文229ページの中に多量の図版が載せられています。特にカラー図版は

14ページ、本文中に大量の図版が載せられています。

 232ページからは注が、287ページにわたって書かれています。総ページ数315ページ。

 

 ◎この世での栄耀栄華を誇るとも、人には寿命があり、晩年には病気になり、死んでしまう。

 藤原道長は1018年ごろ、有名な歌「この世を場わが世とも思う望月のかけたることも無きと

 思えば」の歌を詠み、絶頂を迎えたようであるが1019年には病のため出家。1028年には

 62歳で死去した。宇治の鳳凰堂を立て来世にきぼうをもつ。コジモ・メディチと似ている。

2023年7月13日 (木)

上野の都立美術館のマティス展を見ました。素晴らしいものです。ぜひご覧になってください。

2023年6月27日〈火)上野の都立美術館で開催されたマティス展(HENRI  MATISSE:The Path to Color)を見てきました。

マティス展は、NHKのテレビで紹介を2回ほど見ていました。そして、マティスの絵のすばらしさを感じていました。ピカソと並ぶ現代絵画を代表する画家であるということと、その絵画の明るい輝きを感じていました。当日はいつもと同じ、障碍者手帳を持っていきますと、本人と同伴者の入場料が無料になるのとともに、予約なしで入れるのです。

マティス展のアルバム  8月20日まで開催

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「豪奢、静寂、逸楽」1904年 部分 

 新印象派のシニャックの招きで南仏へ行く。

 点描法への挑戦

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「豪奢」1907年

 左の大きな女性はヴィーナス

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「夢」1935年

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「金魚鉢のある室内」1914 パリのアトリエの窓から

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「コリウールのフランス窓」 1914 第1次大戦の勃発時 窓の中は黒で塗りつぶされる

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「マグノリアのある静物」1941年

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制作するマティス

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「座るバラ色の裸婦」 1935年

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「赤の大きな室内」 1948年

 

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マティスの作った教会 「ヴァンス・ロザリア礼拝堂」1948-51

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1931年―54年 1941年 手術で1命をとりとめ病床で切り絵を始める

[オセアニア 海』の一部 1948年

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[オレンジのあるヌード」1953年

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1954年11月3日 ニースのアパルトメントで死去

2023年4月29日 (土)

60年前、私の学生時代、東京教育大学の学園祭で同じクラスの藤沢君と、「想像動物学」の展示をやりました。

すでに60年前という半世紀以上前の、東京教育大学の学園祭で、同じ動物学専攻の藤沢弘介氏(埼玉大学教授)と、「想像動物学」についての、展示を行いました。たまたま、私の資料を整理していた時に、模造紙に描いたものを写真に撮ったものが出てきたのです。写真は残念ながら全部ではなく6枚だけですが、当時の雰囲気はわかると思います。

藤沢君はその英語の優れた読解力をもって、大学の図書館にあった、エンサイクロピーディア・ブリタニカに出ていた想像生物のところを訳し、出ていた図版を模造紙に転記してくれました。私は想像生物の系統樹などを描き、河童の解剖図などを担当しました。

展示した場所は大学の学生控室でした。ところで、東京教育大学の理学部の建物は戦前からある建物で、きわめて古臭い建物でした。お隣にある文学部の建物は比較的新しいきれいな建物でした。東京教育大学は東京文理科大学、東京高等教育師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校が合併してできた学校でした。文学部、理学部は文京区大塚に、他の2校は別のところにあり、私は1度も行ったことがありませんでした。

 私が1,2年生の時の大学の学長はノーベル賞で有名な朝永振一郎氏でした。朝永先生の素粒子論の講義のあと、その話を書いた本があるから,講義終了後に学長室に取りに来るようにと、話がありました。朝永先生の学長室は古臭い理学部の建物の特別に広くない部屋で、学生控室と同じくらいの部屋でびっくりしました。総合人間学会の設立の時、明治大学の理事の方が総合人間学会の理事にもなられ、明治大学のリバティータワーの部屋にお伺いしましたが、その広さと立派さの違いにびっくりしたものです。

 余談はさておき、狭い学生控室に展示の模造紙でいっぱいになるほど、たくさん展示しました。今残っているのは残念ながら6枚だけですが、展示を見に来た人の反響は様々でした。日本の妖怪などについてはこのあとで盛んになりました。これを見た年配の人が、「なんでこんなものを展示するんだと言っていました。まあおふざけですが、少しは学名のつけ方など、動物学の勉強にはなったのです。

◎ヒトの位置づけ

門 脊椎動物門 綱 哺乳綱 目 霊長目 科 ヒト科  属 ホモ 種 サピエンス

 

脊椎動物門 

  爬虫人目

上から

ケキュロプス アテネの創始者

コアトリキュー ヒトの手と心臓を持つガラガラヘビ

キメラ・オルトロス ケルベロス他の母

ナガス  ロンパリヘビ

(藤沢君が書いたもの、上手なものです)

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汎虫綱  見たこともない怪物たち

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鳥人目

迦楼羅 ピアサ 迦陵頻伽 ハーピー

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河童について

 日本の想像動物では1番の人気者

 汎虫綱としました

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河童の種類   -kapptorops

基本は卵生 おへそがない

1,おか河童

2,はなたか河童

3,まだら河童

4,からま河童

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河童の解剖図 佐竹担当 肺とえらを持つ

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汎虫綱

東龍と西洋の龍

  東龍の幼生は龍の落とし子

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未来人目

どうも悲惨な未来人のようです

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宇宙人亜目

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天狗と木っ端天狗

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◎他にいろいろ書きましたが失われてしまいました。

天使や妖精は書きましたが、いわゆる神様は入れませんでした。

 

 

 

2023年1月29日 (日)

宮城谷昌光氏の「馬上の星」(小説馬援伝)とブログ筆者の、「第五倫伝」の中の「馬援と馬氏」について

馬上の星 

2023年1月28日〈土〉の毎日新聞第2面の下に大きく、宮城谷昌光氏の新刊『馬上の星』(小説 馬援伝)の広告が載っていました。『馬上の星』は後漢初期の名将、馬援を主人公とした小説です。

  定価 1800円+税 2022年11月10日発行

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裏表紙の帯封

 馬援が,上の3人の兄の秀才ぶりを見て、劣等意識に苦しんだことが、痛いほどわかった。~

 馬援が平等を根本思想として生き抜いたさまは、当時の群像の中では特異であり、非凡であるとしかない。

 光武帝が恐れたのは、各地の反勢力の首領でなく、平等の所有を提唱しそうな馬援ではなかったか、などと思うようになった。

 馬援の若い時代の資料は極めて少ない。

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馬援は武陵蛮の討伐の時に疫病にかかった。光武帝の娘婿の梁松を軍の監督にたたせた。以前、馬援に軽くあしらわれたことを根に持っていた。梁松が現地に到着した時、馬援はなくなっていた。失敗はすべて馬援のせいであると報告。劉秀はそれを信じ、遺骸を郷里におさめることもできなかった。ひとり朱勃だけが擁護の上書をした。

あとがき から

馬援の言葉で後世のものが引用する言葉

 当今の世 独り君、臣を選ぶのみにあらず

 臣もまた 君を択ぶ

宮城谷氏の後漢時代の著作

 「草原の風」上、中、下 光武帝 劉秀

 『呉漢』 上、下   呉漢  光武帝の武将

 

第五倫伝について

 〇ブログ筆者は、後漢初期の時代に大きな関心を持ってきました。特に後漢の唯物論哲学者王充に大きな関心を持っていました。王充の墓を訪ねにわざわざ紹興市の上虞県までも行きました。後漢初期の時代は前漢に比べ、翻訳があまりありませんでした。ですから、小説も少なかったのです。ブログ筆者は後漢書を読むために中国語を習いにも行きました。宮城谷氏の小説ははじめのころの本はすべて購入していました。その為に、1万2000冊の本を3000数百冊に減らした今でも、20種類ほどの宮城谷氏の本が保管されています。「馬上の星」は2022年11月10日に中央公論新社で発売され、原本は『中央公論』2021年5月号から、2022年9月号まで連載されたものです。価格は1800円+税で、315ページの本です。

 

ブログ筆者の書いた「第五倫伝」の目次から

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 宮城谷氏の小説、『草原の風』は後漢の初代皇帝劉秀を主人公としたもの、後漢の名将を主人公とした『呉漢』に続き、やはり後漢の名将馬援を主人公とした『馬援』が書かれました。はじめ後漢書は全部を和訳されたものがなく、中国語版の後漢書を購入し、必要なところは、日本語に訳しました。

第五倫伝  後漢初期の人間学(旧書名 ”人相食む”)

            筆者 佐竹幸一  (以前はペンネーム 王 伯魚)

第1章~全24章 終章  あとがき参考資料 全354ページ

 

第19章 馬援と馬氏

 〇 馬援

 〇「薏イ(よくイーハト麦)のそしり」

  ー馬援は南方で蛮族と戦った時、その地方でよく採れる、ハト麦を車いっぱいに積んできた。それを南方からの貢物の宝物だと訴えて、馬 

   援を讒言した。無実なものを讒言により罪をなすりつけることのたとえとして以後使われるようになった。

 〇 第五倫、馬氏について奏上す

  ―馬援の子 馬氏の横暴について上奏し、馬氏は失脚する

 〇 馬氏の没落と白虎観会議

 ー--

 〇馬援の娘 明徳馬皇后 は第2代皇帝明帝の皇后となる

   明徳皇后は立派な皇后であったが

   馬援の息子たちは横暴がひどく失脚する

2022年12月18日 (日)

「国宝 東京国立博物館のすべて」展に行ってきました。帰りに上野精養軒ででランチ 12月18日、高校の展示会と国立博物館2度目の訪問

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◎12月18日(日)今度は妻とともに展示会の最終日に行ってきました。

東村山に住む息子の次男が、上野美術館での東京の高校生の美術展に入選したのを見に行ったついでに、再度の訪問です・

下の像は国立博物館で再度撮ったもの。

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東京都美術館 高校生の美術作品 中央展です

中央の機関銃 段ボールで作ったものが、孫の出品作です、本物そっくりです。 

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会場入り口です

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優秀作品の中から2つ

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「国宝 東京国立博物館のすべて」

2022年11月1日〈火〉、東京上野の国立博物館の所有している国宝をすべて展示するという、「国宝 東京国立博物館のすべて」展を見てきました。入場希望者は抽選なのですが、身体障碍者と介助者は入場料2000円が無料でそのまま入れます。あいにくの天気で寒空でしたが待たずにそのまま入れました。入場制限はありましたがガイドの説明をレシーバーで聞いている人が前をふさいでいて、人気のあるものは車いすでは、結構待たなければ見られませんでした。私はNHKのこの展示会のテレビを見ていましたので、何が見どころか説明を受けていました。

テレビでは長谷川等伯の松林図屏風が最初に出てきましたが、どういうわけかここでは出てきませんでした。テレビで詳しく説明していた孔雀明王像は事前に詳しい説明をテレビで見ていたのでよくわかりました。絵の中の線は細かい金箔でそれできれいに絵が輝いているというのがわかりました。地獄草子と平治物語絵巻は素晴らしいものでした。納涼図屏風も親子のくつろぐ姿を良く表していることを事前に説明を受けていました。

最後に展示されていた金剛力士像2体と、見返り美人だけは写真を撮ってよいということでした。

 

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カメラブレしてしまいました。

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2度目に撮った写真 やはりはっきりとは取れませんでした。

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上野精養軒で食べたランチです、

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3000円の図録です。とても立派なものです。

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図録の中から 孔雀明王像 平安時代

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国宝の太刀がずらっと並んでいるのは壮観でした。

これは 天下五剣の一つ 

太刀 銘三条(名物 三日月宗近)三条宗近 平安時代10~12世紀

平安時代はだいたい細身だそうな

もっともうつくしい日本刀といわれる

高台院が所持 徳川秀忠に贈られる

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国宝の刀剣19件を1つの部屋にまとめる

11月12日の毎日新聞朝刊 26面に 国宝銘三条のことがのっていました。

 

天下五剣のうちの1つ 銘安綱(名物 童子切安綱)

伯耆安綱 平安時代 源頼光が酒呑童子を斬ったといわれる

足利将軍家に伝来 秀吉、家康が所持

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天下五剣とは、上記の他に

鬼丸 国綱  御物

大典太 三池 国宝

数珠丸 青江恒次 重文

を言います

他に国宝の刀がたくさん

名物 大包平 古備前

無銘 政宗(名物観世政宗)

無銘 貞宗 (名物亀甲貞宗)

などなど

 

◎人間学研究所と実用的人間学研の本を書くための原稿を書くのに専念していたため、ブログも不十分なものしか書けませんでしたが、ようやく、1段楽して、ブログを書きました。天下の名剣が1どうのもとにそろうのは圧巻でした。

2020年12月12日 (土)

「鬼滅の刃」と戦いにおける刀で戦うロマンについて 他の作品含め、刀についてのいろいろ考えてみました。

今、「鬼滅の刃」が大ブームである。私のような普段マンガ本などあまり買わないものでも、どんなものかと買ってみたりしています。いつも本を買いに行く高田馬場の芳林堂でも各巻がいちばん目立つところに山積みしておいてありました。2020年10月21日に出た、「劇場版鬼滅の刃 無限列車版」700円+税 

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裏のカバーです

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を買いましたが、これはマンガでなく小説でした。

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次に同年12月9日にはシリーズの最終回の23巻「幾星霜をきらめく命」460円+税 が出てからすぐに買いました。すでに23巻までで1億2000万部が売れたそうで、もうけを考えれば、シリーズをもっと長引かせるのでしょうが、すっぱりやめてしまったのはいさぎよいと感じました。

まだ読んでいない方に、簡単に説明しますと、作者は吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)氏で、週刊少年ジャンプに2016年11月に連載を始め2020年5月18日に最終回となりました。2019年から全26話でテレビアニメ化されました。2020年映画化され、すでに今までの映画でのトップである「千と千尋の神隠し」に迫る勢いです。2020年の流行語大賞にも選ばれました。

話は、大正時代で、主人公の竃門(かまど)炭次郎が鬼と化した妹を戻す方法を探すための戦いを描いた和風剣戟奇譚とされています。途中の23巻で1億2000万部が売られています。他の主な登場人物は妹は禰豆子(ねずこ)仲間は、我妻善逸、猪の皮をかぶった嘴平(はしびら)伊之助、などなどです。鬼を破る中心人物は柱と呼ばれ、劇場版では、煉獄杏次郎が炎柱とされています。鬼の首領は太陽以外には殺すことができない鬼舞辻無残です。

吾峠呼世晴氏は福岡県出身、1989年5月5日生まれ、平成元年生まれ、現在31才です。ですから、長い昭和の64年と大正の15年ですから、吾

峠氏が生まれてから80年前で、今から見るとさらに110年ほど前ですから大正はずいぶん昔になります。77歳の私とは約半世紀46年の違いがあります。

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「~という呼吸法の複数の型」と刀で敵を倒す

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鬼滅の刃の感想と 漫画,映画等における刀の高い位置づけ 

劇場版と最終巻の漫画しか読んでいませんが、たくさんの読者ができたのもうなずける面白さです。時代設定が大正時代というところが、ブログ筆者とのギャップを感じました。筆者は昭和18年生まれで両親は大正生まれです。祖父母は明治生まれで感覚として、大正はそんなに昔と思えないのです。

しかし平成生まれの吾峠氏から見れば大正はずいぶん昔ということになります。主人公たちの武器である刀は持ち歩いてはいけないので、かくして持ち歩くことに、なっています。

映画や小説などでは刀はとても重視されます。日本の映画はもちろん、欧米の映画でも黒沢映画の影響からか、よく刀もしくは刀の様なものが出てきます。いち番いい例が「スターウォーズ」におけるライトサーベルです。飛んでくる敵の弾をライトサーベルでわざわざよけるのは無理があると思いましたが、どうでしょうか。

2015年に始まった「刀剣乱舞」でファンになった刀剣好きの女性を刀剣女子といいます。いろいろな歴史上の人物がかっこよい男性に描かれ、歴史上の名刀がいろいろ紹介されます。名刀が展示されると若い女性が列をなします。

古来日本では刀や剣には霊的なものが宿るとされてきました。三種の神器にも勾玉,鏡とともに剣が含まれています。 

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2008年から2016年まで創元社で出された全5巻の「戦闘技術の歴史」で見ますと、いろいろな武器が紹介されています。遠距離の場合は弓、次いで槍が主体となります。刀剣は集団戦の場合は乱戦になったときのみの最後の副次的なものです。そして個人としての剣豪は西洋、東洋ともに中世で終わります。イギリスのヘンリー5世がフランスと戦った際には、圧倒的に数が多い、フランス軍の重装備の甲冑の騎士がイギリス軍の長弓部隊に完膚なきまでに完敗します。またさらに鉄砲の発明で刀剣の役割はさらに後退します。長篠の戦いで圧倒的な信長の鉄砲隊の武田の騎馬軍団に対する勝利が見られます。

セルバンテスの書いた「ドン・キホーテ」は1605年に書かれましたが、主人公は中世の騎士に憧れますが、日本でも1600年に関ヶ原の戦いのあった年です。日本でも戦いの主力は鉄砲であり時に大砲でした。

筆者はグアム島でピストルを射撃場で撃ってみましたが、実に簡単です。私に連発式のピストルを持たしてもらえば、距離のある所で剣の達人にも、勝てるかもしれません。いくら剣豪でもピストルを持った人にかないません。インディー・ジョーンズという映画で、ハリソン・フォードがアラビアと思われるところで型を付けて刀で襲ってきた人をピストル1発で倒す場面が印象に残りました。

しかし幕末の新選組の近藤勇、土方歳三らは実戦的な剣法で大活躍しました。ここでは刀が大活躍しました。また明治維新後でも西南戦争で西郷隆盛軍の切込みに対し、政府軍側の薩摩出身者を中心としたの抜刀隊が田原坂における戦いで大活躍しました。

マンガや映画の世界では刀や剣よりもさらに現実離れをした大活躍をするのが空手や拳法の世界です。はるか昔のケンシロウやラ王の世界や、映画でのブルース・リーや、ジャッキー・チェンのカンフーの世界です。

現実の世界の戦いは核爆弾で人類を何回分も全滅できるほどの状態になっています。

2019年6月 5日 (水)

岩城正夫先生から観音様の木像を頂きました.岩城先生は89歳なのに驚くべきお元気さです。元気で長生きの生き方の見本です。漫画レイリも頂きました。

2019年6月4日、以前に頂いたお手紙で、お住いの相模原から新宿の方へ来ていただきお会いすることになりました。その時に前に頂いたネコの木像、お地蔵様の木像に続いて観音様の木像を頂けるということでした。(6月6日 追記版)

 

ご一緒に昼食を食べた、チャイカの入口です。美味しいロシア料理のお店です。11時半にオープンです。いつも混みますので予約をしておきました。ヴォルガ・コースを予約しておきました。前菜、ボルシチ、つぼ焼き、ビーフ・ストロガノフ、デザートのコースです。ビールのほかに初めて白樺というウオッカを飲んでみました。大変美味しかったです。

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上の写真の続きです。チャイカは人気の店で、11時半のオープン前にはもう行列ができています。

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火おこしの実演をされる岩城正夫先生

 

岩城先生の人相と長命の秘訣

岩城先生の写真を撮らせていただきたいと思いながら、つい撮らせてくださいと、お話しできませんでした。この写真を再び掲載させていただきます。この写真より、より顔色はつやつやとしほとんどしわもなく、知らない人は70代前半といってもそうかと思われる若さです。この画像は前に書いたブログにも載せさせていただきました。

人相を見させていただくと、額が広く知識が広範囲に及んでいることが分かります。眉毛は太目で長命の相です。耳も大きくこれも長命の相です。歯を全部見たわけではありませんが奥歯を直されているようですが、全部そろっているように見受けられます。自分の歯でよく噛めるのは長命の条件です。80・20運動がありますが(80歳で20本自分の歯を残す)。筆者も奥歯が1本だけありませんが、そのかわりしっかりした親知らず歯(第3臼歯)が3本あります。年齢の齢という字は歯へんに令と書きます。歯が命なのです。

岩城先生は、今でも階段を1段づつ開けて歩いているとのことです。前は2段あけもされていたとか、驚異的です。足腰の鍛えは必需です。筆者は残念ながらリハビリで少し杖で歩くだけです。

お酒はビールや日本酒を適量召し上がる、これも長命には良いのです。お会いした当日もビールと、最後に「白樺」という「ウオッカ」をこれは美味しいと召し上がりました。

ただ、長生きしてもぼけてきてしまっては(認知症)になると、どうしようもありません。私の母も95歳近くまで生きましたが、認知症でした。いろいろと知的興味を持ち、彫刻などの細かい仕事をしているとぼけることはありません。

岩城先生は80過ぎにギターを弾くことを始めたようです。本に従い毎日少しづつ覚えていく。そして曲数を次第に増やしていく。今では40曲ですか細かい数は忘れましたがひけるそうです。大体1曲500回ひくと完全に身につくそうですが驚きです。

今人生100年時代といわれますが、圧倒的に女性が多いのです。男性は不摂生や、ストレスに弱く、たばこや酒の飲みすぎなどで短命になる傾向があります。岩城先生は100歳どころか、120歳あたりまで、お元気で生きられるように思いますと、お話しました。元気で長生きを目指すための模範となられるのではないでしょうか。

岩城正夫先生から頂いた観音様の木像について

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観音像の全体像です

今回は杉材で彫ったために彫るのが難しかったとおっしゃっていました。

以前に岩城先生から頂いた木像についての「こういちの人間学ブログ」

『岩城正夫先生から「鳴子こけし風ネコの木像」を送っていただきました。セルフメイドの世界について』2012年7月

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/post-98e0.html

『岩城先生から「鳴子こけし風お地蔵さん」を送っていただきました』2015年12月

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/12/post-992d.html

 

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微笑んでいるようなお姿です・

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こちらも、にこやかなお姿です。

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この横顔は素晴らしいものです。仏師のつくった仏像の横顔に引けを取らない神々しさです。

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今までに頂いた木造とともに、はじめは「鳴子こけし風ネコの木像」、真ん中が「鳴子こけし風お地蔵様の木像」、そして今回はずっと大きい観音像です。彫るのに時間がかかったと思います。本当にありがとうございました。

ネコの木像は耳が少し欠けてしまいました、申し訳ありません。

下の図は岩城先生がお持ちになった彫刻のモデルの仏像です。

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この画像は岩城先生から頂いたモデルの写真です。写真の後ろに

三輪年朗著『円空彫りのすすめ』(日貿出版社)2008年新装版

「右の著書書を参照しながら 彫りましたが、なかなか思うようには彫れませんでした。」と書いていただきました。

円空は鉈で大雑把に彫を進めます。それに比べ、岩城先生の作品は細密に彫っておられます、同じようにはいかないと思います。あくまでも岩城先生の観音様です。

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岩城先生の息子さんの岩明 均氏の漫画(レイリ)を頂きました。

これは息子さんで有名な漫画家、岩明 均氏の原作で、室井大資氏の書いた漫画「レイリ」全6巻で、わざわざお持ちいただいてプレゼントして頂きました。

秋田書店 平成28年11月15日第1巻、2019年5月15日第6巻、第6巻は発行されたばかりです。

第1巻と第6巻の巻末に、原作者岩明 均氏の文章があるということで特に選んでいただいたようです。

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第1巻の表紙

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第6巻の裏表紙。定価650円プラス税です。

「武田崩れ」から「本能寺の変」へ、天才・武田信勝が覇王・織田信長に仕掛ける逆転の奇策!!

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4巻22ページの「新府城」の計画図面。この本の中で唯一の岩明 均氏の書いたものだそうです。このような図面を一つ一つ詳しく掘り下げていくので、膨大な時間がかかるわけです。

(鷺宮高校に行っている孫が漫画部に入っているそうなので、喜びそうです。)

岩明 均氏は有名な漫画家です。ずっと以前、岩城先生の出版された本の挿絵を息子さんに任せて、それが漫画家になられる大きなきっかけになったようです。その挿絵の入った本も筆者は持っています。1985年に漫画家としてデビュー、その後「寄生獣」が大ヒットし漫画賞をとるとともに映画化もされました。アレキサンダー大王の秘書官を主人公とした「ヒストリエ」もおおくの賞を受賞しました。ただ発行が遅くもう11巻が出てもいいところとブログ筆者も待ち焦がれているところです。

人気漫画家はその需要を満たすため、多くのアシスタントを雇い、収入も多いが、いろいろな大変なことも多く、命をちじめてしまう人が多いようです。岩明氏はアシスタントを使わず、マイペースを崩していません。多くの印税などの収入なども、無駄なものを買わず、相模原市の一番の超高層マンションなどを購入されているそうです。ヴィンテージマンションの購入などは、老後の備えとしてはとても賢明なことです。

「レイリ」の第6巻のあとがきには岩明氏が書いておられます。「レイリ」のシナリオを書き始めたのは、確か2001年か2002年、今から17年前のことになる。「日本で1,2ののろさ」とおしかりを受ける遅筆漫画家の私としては、自ら作画する作品「ヒストリエ」を全速力で書き進めていく(ほとんど信じてもらえないが)一方で、少しづつ「レイリ」のシナリオを描き続け、ようやく完成したのが2013年の暮れ、。。。そう12年かかってしまった。ともかく当時のいろいろな資料を読み込んでいくうちに次々と歴史上の事実について問題点が出てしまったようです。それで室井大資氏に作画を頼んだそうです。この本も大変面白く、映画化される価値が十分あります。「ヒストリエ」は日本では映画が作れそうもないですが。

主人公のレイリは女性でありながらものすごく腕がたち、武田信玄の孫武田信勝の影武者になることの物語です。

「お城ジオラマ復元堂」で,第2弾が「高天神城」だそうで、この漫画のテーマにちょうどつながっています。今後何かと話題になっていくと思います。

名門武田家の滅亡の歴史、明智光秀が本能寺の変を起こす理由本能寺の変後、徳川家康と別行動をとった、武田家を裏切った、穴山梅雪の死の原因など、大胆な推測をしています。また一方、最後まで武田家に仕え壮烈な最期を遂げた、土屋正恒の1子、平三郎が徳川家康に認められついには大名になるということで結んでいます。

◎岩城先生はいまはない東京教育大学の先輩であり、人生における生き方の大先輩であります。1985年3月にお会いしてより2019年の現在までもう34年間のお付き合いをさせて頂いております。ブログ筆者の提唱する、実用的人間学においても、生きた素晴らしいお見本として心から尊敬をささげている方です。(初めてお会いした時が、息子さんが漫画家デビューした時なのですね)

 

2018年4月20日 (金)

岩城正夫氏の講演会『人と技術』~器用と不器用~が開催されます。ぜひご参加ください。

人間学研究会、研究所で、大変お世話になった、岩城正夫氏から講演会のご案内をいただきました。岩城氏の講演はただお話だけではなく、いろいろな道具や技術についての実物や実演があり大変素晴らしいのですが、横浜市の鶴見区でのお話と、夜間ということもあり筆者は残念ながら参加できないとご連絡しました。
岩城正夫先生のことは、「こういちの人間学ブログ」でも、今まで何度もご紹介しました。少しでも興味をお持ちでしたら、ぜひ参加いただきたくご案内いたします。面白くてためになるお話です。
参  考
「岩城正夫氏と岩明均氏父子、アメリカ化した教育に対し、日本独自の道 鶴見俊介氏」
   2016年7月15日
―現在、アクセスが急増しているブログです。
「岩城先生から鳴子こけし風ネコ木像をいただきました。 『セルフメイド』の世界について」
      2015年12月
岩城先生 講演会 『人と技術』 ~器用と不器用~、のお知らせ
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岩城先生ご自身による自己紹介文(下記)
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岩城正夫 講演会 『人と技術』 ~器用と不器用~
聞き手:中島章夫(『動作術の会』主催)、白川真理(フルート奏者、『古武術奏法』研究者)
2018年4月30日(月) 19:00~21:00(18:30開場
横浜市鶴見区民文化 C.・サルビア H3階音楽ホール
(JR 鶴見駅東口階段おりて右へ徒歩2分、「シークレン」が目印)
全席自由、大人:3500円、大学生以下:1000円(当日受付にてお支払いください)
お問い合わせ・お申し込み: karadatoongaku@gmail.com 白川真理
「(前略)群洋社の藤原さんから「キャッチフレーズ」が欲しいと言われ「元気の出る本・・数えきれないほどの失敗体験から生まれた考え方・あなたも10回や20回の失敗くらいではめげなくなくなるかも・・・」というフレーズを作った。その内容を一口で言うなら「失敗に慣れる」ことだ。「負け」と「失敗」は全く同じとは言えないが似たようなところがある。人間の考え方は年月を経てもあまり変わらないようだ。
、私は物心ついてから今日まで数えきれないほどの失敗体験を積み重ねそしてついに失敗が苦にならない心境をつかむことができた。これからも私としては自分の気力の続く限り今後の人生を精力的に楽しく生き続けようと思っている。~」
『セルフメイドの世界 私が歩んできた道』岩城正夫著,群羊社「あとがき」
 時折、岩城先生のご自宅にお邪魔して様様なお話を伺うようになってから、もう10年以上になります。小人数だけではもったいないとずっと思っていましたが、今回、中島章夫さんとご一緒に、岩城先生のお話を聞く会を開催できる運びとなりました。きっと「元気の出る講演会」になることでしょう。どうぞご参加ください。(白川真理)
◎白川真理さんに直接メールしてお申し込みください。
(岩城正夫先生ご自身による自己紹介文)
 少年のころから物づくりが好きで,小学4年生のころに古い眼がねレンズで望遠鏡を作ったり5年のころにはブリキ板を切って重ねて銅線をまいたモーターを作ってみたり、鉛を溶かして粘土の形に流してにベーゴマを作ったりしました。
 6年になると模型飛行機や鉄道模型作りに熱中しました。また鉱石ラジオも作り出し、中学生になると真空管ラジオを作れるようになり、近所のラジオが壊れると無料で修理しました。中学3年の時(1945年)、日米戦争の末期ですが短波ラジオを作って「アメリカの声」を聴いていました。
 大学卒業後、はじめは中学教師、そのあと教育雑誌の編集者、それから科学史学会の事務職員をやりながら、大学講師もやっているうちに大学教師になりました。
 大学では古代発火法の研究を続けましたが、古代の石器や矢じり・土器などを作ることもやり、「原始技術史」という分野を立ち上げました。古代のクロスボウ(ボウガン)の復元も手がけました。定年後は「古代発火法検定協会」を設立し古代発火法の普及に努めました。
 晩年の趣味として,口琴(竹製、鉄製、真鍮製,角製、プラスチック製など)作り、鳴子コケシ作り、ギター演奏などがあります。現職は古代発火法検定協会理事長。(和光大学名誉教授)
◎岩城正夫先生と人間学研究所
 岩城先生とのおつきあいは1985年の3月に、小原秀雄氏と柴田義松氏とともに学士会館でお会いしたのが最初です。その時3人とも女子栄養大学の教員でした。そして、第二次人間学研究会がスタートしました。ですから、もう33年のお付き合いになります。
 その後一時中断がありましたが、ずっと人間学研究所を通じたおつきあいをさせていただいております。岩城先生は今でも人間学研究所の名誉会員とした「人間学研究所年誌」などをお送りしています。
 岩城先生からは、時々お手紙をいただくほかに、鳴子こけし風ネコの木像や鳴子こけし風お地蔵様を送っていただいたりしています。
 今回も先生の講演会のご案内状を送っていただいたのです。
残念ながら、車いす生活のため参加できませんが、ブログを読んでいただいている方にご紹介させていただきます。
 岩城先生は人間学研究所の事務局長もしていただいたことがありますが、大変優れた事務処理能力をお持ちで、人間学研究所の大黒柱としてご活躍されました。
 総合人間学会設立の時もご援助いただきましたが、学会で嫌なことがあり退会されたとのことです。筆者もまだ退会していませんが、2度ほど、大変嫌なことがあり、ただ所属しているだけという状態です。
 第2次人間学研究会から第3次人間学研究会の設立ごろに関しての岩城正夫氏の人間学研究所でのご活躍は、『人間学研究所年誌2007』NO5(2008年5月31日)の「人間学研究所のあゆみ(1)佐竹幸一に詳しく書きました。
 1991年に第2サタケビルが完成しそれに伴い、そのビルの2階に人間学研究所準備室を設立しました。そして(第3次)人間学研究会が設立されました。
 会長は小原秀雄氏、副会長は柴田義松氏、佐竹幸一、事務局長が岩城正夫氏でした。
途中、人間学研究所では、岩城先生のご提唱で、「人間サロン」という形で自由に話し合いのできる場、という形で例会を続けました。
以後人間学研究所の設立などがありましたが、研究所と例会は27年間、現在もずっと続いております。
1993年には佐竹が中心となり実用的人間学研究会が設立されました。
2011年1月に岩城正夫氏は人間学研究所をやめられましたが、今までの果たしてこられた長年の功績に感謝を込めて名誉会員となっていただき、「人間学研究所年誌」をずっとお送りしています。
”人生100歳時代を元気で長生き”を実践されている岩城先生
 岩城先生からいろいろとお話をお聞きして、生き方について学ぶことがとても多く、最も尊敬している先生です。
 人間学研究所の2018年6月例会は筆者が「人生100歳時代の健康法」をお話しする予定です。
 元気で長生きを若い時から実行され、以前例会でお話をお聞きした時は、階段を2段づつ上がるとおっしゃっていました。何よりも知的好奇心が強く、よく歩いていらっしゃること、いろいろなものを作っておられること、などで老化などは考えられないような状態です。
2017年9月15日の老人の日には100歳以上の方の人数が発表されましたが、65万7824人だそうです。内訳は女性5万9627人、男性8197人です。圧倒的に女性のほうが多いのですが岩城先生に元気で長生きで、男性で100歳越えを是非していただきたいものです。
2015年5月2日 追 記
 5月2日のアクセスのトップは、このブログでした。当日の会場には行けませんでしたが、さぞ盛況であったと思われます。このブログを読んで参加された方もあったかもしれません。参加された方が岩城先生の生き方に感銘を受けて、自分もそう生きてみようとするならば、素晴らしいことだと思います。お話の内容が何らかのまとまった文章になることを期待いたしますまと。その時には早速に購入し読ませていただきたいと思います。
このブログのアクセスが100件を超えました。
 

2017年6月28日 (水)

「毎日かあさん」終了-卒母。クローズアップ現代でも放送。子離れできぬ現実

1、毎日新聞の「毎日かあさん」終了 

2017年6月26日(月)で、毎日新聞で連載していました西原理恵子氏の「毎日かあさん」の連載が終了しました。最終回は第723回で、「卒業」です。書き始めは2002年ですから15年になります。ブログ筆者もずっと毎日新聞を取っていましたし、毎週月曜日の「毎日かあさん」を楽しみにいていました。単行本もほとんどもっています。

西原さんについては,2010年にすでにブログに書いています

「どん底でこそ笑え 人気漫画家 西原理恵子さん」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2010/04/nhk-9a9b.html

 毎日新聞ではカラー版1ページ全面を使って特集が出ていました。また同じNHK26日のクローズアップ現代+でも、「卒母宣言 子離れできますか」が放送されました。

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2002年に連載を始めて、4つの賞を取り、映画化もされました。

長男も長女も自分の道を歩き始めて「よかったな、16でやりたいことが見つかって。もしわたしがいなくなっても、この子たちは絶対大丈夫だと思っているんで」と温かいまなざしで見つめます。

2017年10月に新しい連載が始まります。

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上、単行本4冊の表紙

下、「台所」2003年 がんばれ共働き

「子どもを保育園に捨てた」3歳くらいまでは必ずお母さんの手で見ないとかわいそうというのが世の大多数の声だった時代でした。

 いろいろな子育ての形があるということで、共働きの人たちにもエールを送りたい気持ちがありました。それまで「毎日かあさん」は絵も汚くて人気がなかったのですが、共働きの親たちから感謝の声がすごく届いたのを覚えています。

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「思い出の夢」

マンガの最後に「あんなに抱っこしてほしかったのに」

  「もったいないことしちゃったなあ」

ああ楽しかった。

 手料理を作る時間でロスをするより、子供と楽しく一緒にいるのが一番いいと思います。子育てが終わった今の気持ちは「ああ楽しかった」。遠足から帰ってきたみたいな感じです。年を取ると、あの頃のことが昨日の事みたいですね。

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毎日かあさんの最終回、第723回 卒業 です。

この春に息子が大学に入学し、反抗期の娘も16歳になりダンスの道を見つけ、「母親」卒業を決めました。

2、NHKのクローズアップ現代が6月26日、「卒母」をテーマに生放送しました。

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西原理恵子さんの場合は、子供たちに一つの方向が見えて、めでたく「卒母」のめどがつきましたが、日本の現実ではなかなか卒母ができない現実があります。

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毎日新聞出版書籍本部長 志摩和生さん

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卒母したくても今どきの親子事情

採用が決定しても就職していいか親に確認しなければならない。そのほかいろいろと親子関係が変わってきている。「オヤカク」

◎毎日新聞6月27日の夕刊の記事から

15年時点の子どもの貧困改善13,9%は12年より2,4%低下し12年ぶりに改善した。雇用改善により少し改善したが、なお高水準。またひとり親世帯の貧困率は50%超である。

OECDがまとめた14年のまとめた加盟国36カ国の平均は13,3%で日本は16,3%である。日本が経済大国を誇りながらこのありさまである。地球温暖化対策とかいう無駄なことに年3兆円もかけているのに。その10分の1でも貧困改善対策費にかければいいのにと思います。

 

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母子家庭では、2013年の前回調査に比べ「借金がある」「貯蓄がない」と答えた割合がいずれも増えた。「生活が苦しい」という割合は母子家庭では8割超で、厳しい状況にいることがわかる。

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◎西原さんの家庭は、経済的に相当な富裕層になります。経済的な心配がなくて,子どもの自立を目指すことができます。普通の母子家庭のうちの場合はそうはいきません。

働く人の4割が非正規という現実

 非正規では収入が低く安定せず、将来の見通しが立たない。結婚もできず、子供は生まれず人口は減るばかり。

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◎街を見ても古くからのお店で、技術や修行を必要とするような店はどんどんなくなり、やたらと、コンビニやユニクロ、チエーン店の飲食店のような店が増えてきています。非正規社員が多くなり極端な場合店長すら非正規という例もあるほどです。非正規社員は給料も安く将来のみとうしが立ちません。

 大久保の街でも百人町東町会の地区で、以前は独立した商店がたくさんありました。みんなそれぞれの分野で修業した人が店主あるいは職人でありそれぞれに誇りを持っていました。しかし現在では残っている店は3店しかありません。(靴屋さん、本屋さん、熱帯魚販売)

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また親のほうも子育てが生きがいとなり、いつまでも子供べったりで卒母できない

子どもが定職につけず、親の年金で生活するものも増えてきている。何とかしなければ日本の将来はお先真っ暗です。

2016年6月 8日 (水)

岩城正夫先生から、「鳴子こけし風お地蔵さん」を送っていただきました

「鳴子こけし風お地蔵さん」を送っていただきました。

 

 
2016年6月7日、岩城正夫先生から、鳴子こけし風木像の第2弾、「鳴子こけし風お地蔵さん」を送っていただきました。

 

 木像にお手紙が添えられていて、この木像の経緯も書かれておりました。大変興味深いお話しなので、皆さんにご紹介します。

 

 すでに2015年12月30日の「こういちの人間学ブログ」で、「鳴子こけし風ネコの木像、セルフメイドの世界ついて」ご紹介しました。前のお手紙でも、次にチャレンジする木像のことを書いておられましたが、半年ぐらいで次の木像を作られるのは大したものです。

 

 お手紙には今度の作品で新しい発見をしておられるので、とても興味深く、皆さんに、ぜひ読んでいただきたく、文章をそのまま掲示させていただきました。以下、岩城先生のお手紙の文章です。

 

岩城先生のお手紙から

 

 こんどの作品作りで驚きつつも反省しましたのは、柔らかい木材(ヒバ―アスナロ)だけでも鳴子こけしが作れるとわかったことです。同封の地蔵尊はヒバ材だけで作ってあります。前回の説明文で私は、柔らかい木材で鳴子こけしは作れないと書きましたが、それは誤りであるとわかってしまいました。その点反省しています。

 

 じつは前回のネコ木像では首の部分だけは硬い木材を使いました。つまり、猫の顔を彫ってから下部に穴をあけ、首に相当する部分だけ硬い木材をろくろで切削しそれを頭の下から差し込んで接着剤で固定し、24時間おいて完全に固まってから胴体の穴に差し込むという、大変手のこんだ作業をして完成したものでした。しかし今回は本来の鳴子こけし同様、彫れた顔(下部には当初から首の部分が削られている)を胴体に差し込んで完成という単純な手順で作られたものです。しかも軟らかい木材だけの使用でです。

 

 思い返してみますと鳴子こけしを作り始めたのは2007年ごろと記憶しますから、それからずっと8年間以上ものあいだ柔らかい木材だけでは鳴子こけしは作れないと思い続けてきましたので、今回の体験は驚きと反省と嬉しさとが混在したものです。何度試みてもできなかったことがなぜ今になってできるようになれたのか、興味深いものがあります。

 

 それによく似た体験が思い出されました。40年前、何百回にもわたってキリモミ実験をしても火は絶対に起きなかったのが、7年間ほどの失敗続きの体験後、あることがヒントになってとうとうキリモミ式発火法に成功したときのことです。

 

 それはともかく、私の最終目標は「鳴子こけし風弥勒菩薩」つまり女性顔の木像なのですが、女性の顔はとても難しく、その前に2~3作ほど習作を試みたいテーマがあります。それら習作が出来上がったらまたご報告します。

 

「鳴子こけし風お地蔵さん」の写真

 

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大変優しい顔のお地蔵様の顔です。

 

 

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前にいただいた、ネコの木像と並べて写しました。よくこんなに細かく彫れるものですね。

 

お礼の言葉と、感想

 

 お手紙の末尾に前回、送っていただいた、「鳴子こけし風ネコ木像」に対して、「こういちの人間学ブログ」でご紹介したことと、岩城先生の書かれた「セルフメイドの世界」という本のご紹介に対して岩城先生から御礼の言葉をいただきました。

 

 「鳴子こけし風ネコ木像」、「鳴子こけし風のお地蔵さん」また、「火おこしの方法」でも、おいくつになられても、いろいろチャレンジして、その結果新しい発見をされている、そのあくなき探究心は敬服に値します。今度は、いよいよ「鳴子こけし風弥勒菩薩」にチャレンジされるのですね。すばらしいことです。「お地蔵さま」と同じように素敵なお顔になるのでしょうね。期待してお待ちしています。

 

 まだ前回のブログをご覧いただいていない方は、よろしかったらぜひ下記へアクセスしてください。

 

 
「岩城正夫先生から『鳴子こけし風ネコの木像』を、送っていただきました。『セルフメイドの世界』について」2015年12月

 

 

 

岩城先生のお名前で検索すると、このブログが上位にランク付けされているので、多くの方々に読まれているのではな以下と思います。興味ありましたら、ぜひご覧ください。

 

「原発と核兵器の問題岩城正夫氏の先見性『核武装のための原発論』」2012年7月

 

 

 
 また、お送りした「人間学研究所年誌2015」とそこに書かれていた拙文「ネアンデルタール人などと私たち人類」も読んでいただきました。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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