2019年6月4日、以前に頂いたお手紙で、お住いの相模原から新宿の方へ来ていただきお会いすることになりました。その時に前に頂いたネコの木像、お地蔵様の木像に続いて観音様の木像を頂けるということでした。(6月6日 追記版)
ご一緒に昼食を食べた、チャイカの入口です。美味しいロシア料理のお店です。11時半にオープンです。いつも混みますので予約をしておきました。ヴォルガ・コースを予約しておきました。前菜、ボルシチ、つぼ焼き、ビーフ・ストロガノフ、デザートのコースです。ビールのほかに初めて白樺というウオッカを飲んでみました。大変美味しかったです。
上の写真の続きです。チャイカは人気の店で、11時半のオープン前にはもう行列ができています。
火おこしの実演をされる岩城正夫先生
岩城先生の人相と長命の秘訣
岩城先生の写真を撮らせていただきたいと思いながら、つい撮らせてくださいと、お話しできませんでした。この写真を再び掲載させていただきます。この写真より、より顔色はつやつやとしほとんどしわもなく、知らない人は70代前半といってもそうかと思われる若さです。この画像は前に書いたブログにも載せさせていただきました。
人相を見させていただくと、額が広く知識が広範囲に及んでいることが分かります。眉毛は太目で長命の相です。耳も大きくこれも長命の相です。歯を全部見たわけではありませんが奥歯を直されているようですが、全部そろっているように見受けられます。自分の歯でよく噛めるのは長命の条件です。80・20運動がありますが(80歳で20本自分の歯を残す)。筆者も奥歯が1本だけありませんが、そのかわりしっかりした親知らず歯(第3臼歯)が3本あります。年齢の齢という字は歯へんに令と書きます。歯が命なのです。
岩城先生は、今でも階段を1段づつ開けて歩いているとのことです。前は2段あけもされていたとか、驚異的です。足腰の鍛えは必需です。筆者は残念ながらリハビリで少し杖で歩くだけです。
お酒はビールや日本酒を適量召し上がる、これも長命には良いのです。お会いした当日もビールと、最後に「白樺」という「ウオッカ」をこれは美味しいと召し上がりました。
ただ、長生きしてもぼけてきてしまっては(認知症)になると、どうしようもありません。私の母も95歳近くまで生きましたが、認知症でした。いろいろと知的興味を持ち、彫刻などの細かい仕事をしているとぼけることはありません。
岩城先生は80過ぎにギターを弾くことを始めたようです。本に従い毎日少しづつ覚えていく。そして曲数を次第に増やしていく。今では40曲ですか細かい数は忘れましたがひけるそうです。大体1曲500回ひくと完全に身につくそうですが驚きです。
今人生100年時代といわれますが、圧倒的に女性が多いのです。男性は不摂生や、ストレスに弱く、たばこや酒の飲みすぎなどで短命になる傾向があります。岩城先生は100歳どころか、120歳あたりまで、お元気で生きられるように思いますと、お話しました。元気で長生きを目指すための模範となられるのではないでしょうか。
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岩城正夫先生から頂いた観音様の木像について
観音像の全体像です
今回は杉材で彫ったために彫るのが難しかったとおっしゃっていました。
以前に岩城先生から頂いた木像についての「こういちの人間学ブログ」
『岩城正夫先生から「鳴子こけし風ネコの木像」を送っていただきました。セルフメイドの世界について』2012年7月
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/post-98e0.html
『岩城先生から「鳴子こけし風お地蔵さん」を送っていただきました』2015年12月
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/12/post-992d.html
微笑んでいるようなお姿です・
こちらも、にこやかなお姿です。
この横顔は素晴らしいものです。仏師のつくった仏像の横顔に引けを取らない神々しさです。
今までに頂いた木造とともに、はじめは「鳴子こけし風ネコの木像」、真ん中が「鳴子こけし風お地蔵様の木像」、そして今回はずっと大きい観音像です。彫るのに時間がかかったと思います。本当にありがとうございました。
ネコの木像は耳が少し欠けてしまいました、申し訳ありません。
下の図は岩城先生がお持ちになった彫刻のモデルの仏像です。
この画像は岩城先生から頂いたモデルの写真です。写真の後ろに
三輪年朗著『円空彫りのすすめ』(日貿出版社)2008年新装版
「右の著書書を参照しながら 彫りましたが、なかなか思うようには彫れませんでした。」と書いていただきました。
円空は鉈で大雑把に彫を進めます。それに比べ、岩城先生の作品は細密に彫っておられます、同じようにはいかないと思います。あくまでも岩城先生の観音様です。
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岩城先生の息子さんの岩明 均氏の漫画(レイリ)を頂きました。
これは息子さんで有名な漫画家、岩明 均氏の原作で、室井大資氏の書いた漫画「レイリ」全6巻で、わざわざお持ちいただいてプレゼントして頂きました。
秋田書店 平成28年11月15日第1巻、2019年5月15日第6巻、第6巻は発行されたばかりです。
第1巻と第6巻の巻末に、原作者岩明 均氏の文章があるということで特に選んでいただいたようです。
第1巻の表紙
第6巻の裏表紙。定価650円プラス税です。
「武田崩れ」から「本能寺の変」へ、天才・武田信勝が覇王・織田信長に仕掛ける逆転の奇策!!
4巻22ページの「新府城」の計画図面。この本の中で唯一の岩明 均氏の書いたものだそうです。このような図面を一つ一つ詳しく掘り下げていくので、膨大な時間がかかるわけです。
(鷺宮高校に行っている孫が漫画部に入っているそうなので、喜びそうです。)
岩明 均氏は有名な漫画家です。ずっと以前、岩城先生の出版された本の挿絵を息子さんに任せて、それが漫画家になられる大きなきっかけになったようです。その挿絵の入った本も筆者は持っています。1985年に漫画家としてデビュー、その後「寄生獣」が大ヒットし漫画賞をとるとともに映画化もされました。アレキサンダー大王の秘書官を主人公とした「ヒストリエ」もおおくの賞を受賞しました。ただ発行が遅くもう11巻が出てもいいところとブログ筆者も待ち焦がれているところです。
人気漫画家はその需要を満たすため、多くのアシスタントを雇い、収入も多いが、いろいろな大変なことも多く、命をちじめてしまう人が多いようです。岩明氏はアシスタントを使わず、マイペースを崩していません。多くの印税などの収入なども、無駄なものを買わず、相模原市の一番の超高層マンションなどを購入されているそうです。ヴィンテージマンションの購入などは、老後の備えとしてはとても賢明なことです。
「レイリ」の第6巻のあとがきには岩明氏が書いておられます。「レイリ」のシナリオを書き始めたのは、確か2001年か2002年、今から17年前のことになる。「日本で1,2ののろさ」とおしかりを受ける遅筆漫画家の私としては、自ら作画する作品「ヒストリエ」を全速力で書き進めていく(ほとんど信じてもらえないが)一方で、少しづつ「レイリ」のシナリオを描き続け、ようやく完成したのが2013年の暮れ、。。。そう12年かかってしまった。ともかく当時のいろいろな資料を読み込んでいくうちに次々と歴史上の事実について問題点が出てしまったようです。それで室井大資氏に作画を頼んだそうです。この本も大変面白く、映画化される価値が十分あります。「ヒストリエ」は日本では映画が作れそうもないですが。
主人公のレイリは女性でありながらものすごく腕がたち、武田信玄の孫武田信勝の影武者になることの物語です。
「お城ジオラマ復元堂」で,第2弾が「高天神城」だそうで、この漫画のテーマにちょうどつながっています。今後何かと話題になっていくと思います。
名門武田家の滅亡の歴史、明智光秀が本能寺の変を起こす理由本能寺の変後、徳川家康と別行動をとった、武田家を裏切った、穴山梅雪の死の原因など、大胆な推測をしています。また一方、最後まで武田家に仕え壮烈な最期を遂げた、土屋正恒の1子、平三郎が徳川家康に認められついには大名になるということで結んでいます。
◎岩城先生はいまはない東京教育大学の先輩であり、人生における生き方の大先輩であります。1985年3月にお会いしてより2019年の現在までもう34年間のお付き合いをさせて頂いております。ブログ筆者の提唱する、実用的人間学においても、生きた素晴らしいお見本として心から尊敬をささげている方です。(初めてお会いした時が、息子さんが漫画家デビューした時なのですね)
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